第39話

 イハサが自室のベッドで目を覚ましたのは、それから半日ほど経ってからの事であった。ゆっくりと瞼を開けたイハサは、状況が呑み込めないままむくりと上体を起こす。



「あ、イハサ、起きた?」



 いつからそこにいたのだろう。上体を起こしたイハサに対して、ラクリエが声をかける。



「姫様……? わしは何故こんな時間に寝ていたのでしょう」


「寝ていたんじゃなくて気絶していたの。ガリュウ様との試合に負けてね」


「父上と……?」



 イハサは頭に手を当てて考える。言われてみると確かにそうだったような気がする。



「姫様、わしはどれくらい気絶していたのですか?」


「だいたい半日くらいかな、ガリュウ様は試合の後すぐに帰られました。湿っぽいのは苦手とおっしゃられてね」


「そうですか……、結局わしは最後まで父上から一本も取ることができなかったのですね」



 そう言ってイハサは悔しそうにシーツを掴む。頭の中で反芻するのは試合直後のガリュウの言葉。そして不意に、何かを決意したように顔をあげ、ベッドから立ち上がり、ドアに向かって歩き出す。



「イハサ? どこかに行くの?」


「ずっと迷っていました、そんな手段で強くなってしまっていいのかと。でも父上に指摘されてようやく気付きました。迷ったままでいる事もまた弱さ。だからわしは強くなる道を選びます。主君や大切な人を守れるくらいに強く」


「イハサ……」



 イハサの言葉の意味が分かっているのか、ラクリエは終始険しい顔で部屋を後にするイハサを見送った。




「それで……我の眷属になりたいと……?」


「そうです。わしは今まで迷っていました。こんな形で強くなってしまっていいのかと。でも父上に指摘されて気付きました。迷ってばかりいてふっきれずにいることも弱さ。だからわしはゼアルの眷属となり、わしの忠義の証としたい」



 ゼアルの眷族となった者は身体能力が上がる。元が一般人並みだったラクリエは大した変化も見られなかったが、元から強いイハサが眷属になった場合、その上げ幅は比較にならないだろう。イハサもそれが分かっていたからこそ二の足を踏んでいた。


 イハサのように日々修練にいそしんで力と技を手にした者にとって、それは容易く許容できるものではない。



「だめ……、ですか……?」



 顎に触れて思案するゼアルを見て、難色を示していると思ったのだろう。不安そうにイハサが訊ねる。



「いや、そうではない。だが……そうだな、ヴァルナやラクリエの時とは少々状況が違う。故に一つ条件を出そう」


「条件……?」


「そうだ。イハサが掲げる忠義の形、それを聞かせてほしい」


「忠義の形……」


「内容は問わないが、嘘や守れないものは却下だ。そして誓う以上は最後までそれを貫いてもらう。それが条件だ」


「むむ……」



 予想外の条件を突き付けられ、イハサは顔をしかめた。



「期日は問わん。考えが固まったらいつでも我の元に来るがいい。そのときに改めて我の眷属としよう」




 そして夜、イハサは自室のダブルベッドの中で。ゼアルの出した課題について考えていた。


 自身の掲げる忠義の形、それを示すことがイハサに課せられた事柄である。だが忠義に対して漠然としたイメージしか持っていなかったイハサにとって、それは難問であった。


 ふと隣を見る。そこにはかすかな寝息をたてて眠るラクリエの姿があった。なし崩し的に眷属になったとはいえ、彼女は正式な眷属である。そんなラクリエがどんな忠義を掲げているかというと……。



(多分姫様も、特別意識はしていないでしょう。けれども姫様は、ゼアルの命令であれば何でも受け入れてしまうのではないでしょうか……。たとえそれがどんなに鬼畜な命令であったとしても、難色を示しつつも全て受け入れてしまう、そんなイメージがあります。ヴァルナさんも似たようなものでしょうか、むしろ命令の内容によっては嬉々として実行しそうなイメージです。今は大分打ち解けたとはいえ、彼女は本来人嫌いです。ゼアルの命令だから仲良くするように努めただけで、命令がなければ打ち解けようとすら思わなかったはず。忠義も覚悟も姫様より上ですが、形の上では姫様と同質でしょうか……)



 では自分はどうだろう。どんなに鬼畜な命令でも黙って従う事が出来るのか? ……答えは否。イハサに二人のような忠義は示せない。そのような命令を下されたら、むしろ真っ向から反対するだろう。ゼアルは嘘の忠義は認めないと言った。だがそれが自分なのだ。従えないものには従えない。


 イハサは暗い天井を見つめながら、やがて疲れて眠りに落ちるまでずっと、ゼアルの出した課題について考えていた。



 そして翌朝、ゼアルの起床時間に合わせてイハサはゼアルの元に訪れた。



「ゼアル……」


「イハサか、どうしたこんな時間に、何か用か?」



 夜中ずっと課題について考えていたイハサの目元は、うっすらとクマが出来ていた。だがその甲斐あって考えは纏まったのか、どこか吹っ切れたような顔をしていた。



「昨日の課題について考えてきました」


「早いな。いいぞ、聞かせてくれ」



 ゼアル自身も期待している節があるのか、どこか楽しげにそう促した。


 勿体ぶるようにイハサは一度深呼吸をして、真っすぐにゼアルを見据える。そして……。



「わしが掲げる忠義、それはゼアル、お前を殺すことです」



 なんて事を言い出した。



「……ほう」



 だが言われたゼアルも別段気にした様子もなく、むしろ笑みすら浮かべている。



「詳しく聞こうか」


「……はい。ゼアル、お前がレシエの領主になって二年と半年、たったそれだけの期間で、今のハーノインすら上回る領土を手に入れてしまいました。もはや四人で旅をしていた頃と違って、ゼアルのささいな言動一つで人が死ぬ、そんな立場になったのです。今でこそ名君と言われていますが、これから先もそうであるという保証はありません。……だから、この先ゼアルが暴君と成り果てたその時、わしはゼアルを殺してその凶行を止めます。それがわしの掲げる忠義です」



 ゼアルの全てを受け入れるであろう、ヴァルナやラクリエとは違う。自分が忠誠を誓うのはあくまでまともなゼアルに対してのみ。それが一晩じっくり考え抜いたイハサの答えだった。


 嘘でも偽りでもなく、忠誠心に欠けるが故の言葉でもない。その言葉には確かな忠義と、不退転の覚悟があった。それを感じ取ったゼアルは……。



「……いいだろう、イハサ。お前の忠義、確かに聞き届けた」



 そう言うとゼアルは、棚から短剣を取り出し、おもむろに自らの手の平に傷を付けた。



「イハサ、お前を我の眷属として迎えよう」


「……はい」



 差し出された手の平、その傷口の血をイハサは下から掬うように舐め取った。



「体が慣れるまで少し時間がかかるだろう。それまでゆっくりしていなさい。それと、イハサにはこの剣を渡しておこう」



 そう言ってゼアルが手渡したのは、昨日ガリュウより譲り受けた刀、魔導器。



「この刀は……まさか父上の!? どうしてゼアルがこれを!」


「此度の礼としてガリュウ殿より譲り受けた。だが我が持っていても仕方のないものだからな。イハサが使うといい」


「それは…………いえ、大切にします」



 イハサは一瞬躊躇うような仕草を見せる。だがすぐに切り替えて刀を受け取った。それだけイハサにとっても恐れ多い武器だったという事なのだろう。



「父上……」



 受け取った刀を頬に寄せ、イハサが呟いた。それがどのような武器であるのかゼアルは把握していなかったが、ガリュウの形見になるであろう事は分かり切っていた。

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