第11話

 大陸の南西部、ナダル連合の南端に流れる川、ヤーデ川。以前この川には三本の橋が架かっていた。だが以前の戦いで連合が一度敗北して戦線をヤーデ川まで後退させたときに、ミレトス大橋の一本だけを残して残る橋を破壊したという経緯がある。


 残ったミレトス大橋の両端にはそれぞれ連合、ベルガナ両軍が陣を敷き、互いに攻めあぐねる状態が続いた。


 長らくそんな両軍の緩衝地帯となっていたミレトス大橋だが、程なくしてナダル侯国軍と新たに配備された巨大な投石器により、ベルガナの陣地は呆気なく崩壊することとなる。ゼアルたちレシエ軍がミレトス大橋に到着する七日前の事であった。



 ミレトス大橋南側。つい先日まではベルガナ軍の陣地だったその場所に、ナダル連合加盟国とナダル侯国の兵を加えた二万四千の大軍が集結する。とりわけ注目を浴びたのは、連合の盟主であるナダル候グノンと、レシエ候国の国主代理であり新参者であるゼアルの存在である。


 ゼアルはグノンを含むほぼすべての国主に対して、握手と挨拶、そして他愛もない世間話を交えるのだった。



「もっと疑念や皮肉の一つでも言われるかとも思ったが、案外普通の反応だな」


「連合国と言っても有事以外は不干渉が鉄則。どうでもいいと思っているのでしょう」



 ディルクが言うには加盟国同士の政略結婚すら禁止されており、今回のような事でもなければ諸侯が互いに顔を突き合わせることそれ自体が稀なのだという。



(加盟国同士の結びつきが強くなったところでそれほど悪影響があるとも思えないが……、派閥を作らせないためだとかそんな理由なのだろうか……?)



 実際のところ、ゼアルがそのようなものを目の当たりにした経験はない。実感がないのも当然なのかもしれない。




「全軍集まったようだな。ここから先は全軍を三つに分けてベルガナ攻略に向かおうと思う。一つはここから東に向かい、元連合領であるテバス、ラザ、ハンナを奪還する組。次に現在ハーノインと対峙しているベルガナ本隊、これの背後を突き挟撃する組、最後に西進してベルガナ本国に直接攻め込む組だ。では各人どの組に加わりたいか希望を聞きたいのだが……」



 そこまで言い終えるとグノンは、不意にゼアルに視線を向けた。



「ゼアル殿、確か其方はテバスの出身であったな。故郷がどうなっているのか気になっておるのではないか?」



 旧テバス侯国、ゼアルが自身の故郷として語った国だが、もちろん偽りである。しかし、



「はっ、お心使い感謝致します」



 偽りなのだがどこの組になっても大した違いはないと考え、グノンの提案を受け入れた。



「うむ、では他に希望がある者は――」



 自分たちの組さえ決まってしまえば、後は実質蚊帳の外である。ゼアルは諸侯たちの会話を話半分に聞きながら、ずっと地図を眺めていた。




 それから数日後、ゼアル率いるレシエ軍は、同じく東征組のゲルト、ダーナ軍の後に付いて旧ナダル連合領を目指していた。


 ゲルト、ダーナ軍は共に二千を超える。血気に逸る両軍の長に対して、手柄などどうでもよく、早く遠征が終わればいいと考えているゼアル。かくして彼らの利害は一致し、先行する両軍が攻略、後続のレシエ軍が事後処理という運びとなった。


 程なくして東征組は旧ナダル連合領三国の内、テバス、ラザの奪還に成功する。しかし先刻の取り決め通り、レシエ軍はその戦いにはほとんど参加せず、一兵たりとも損なうことなくラザ城への入城を果たした。



「ここはいい城だ。立地が良く規模も大きい。我らレシエ軍は次の攻略には参加せず、この城の守りを固めたいのだが構わないだろうか?」


「うむ、良いのではないか? 実際に戦って分かったが、ベルガナの兵は思った以上に脆弱だ。残るハンナも我らだけで十分だろう」


「我らゲルトとダーナが先行してハンナを落としてくる故、レシエは安全が確保されてからゆっくり来られるといい」


「それは頼もしい。しかし元よりテバスとラザを捨てるつもりでハンナに戦力を集中させていた可能性もある故、油断はされないように」



 ゼアルは至って真面目だったのだが、



「はっはっは、なるほどそれは恐ろしい」



 と、真面目に聞いていないのは明白だった。



(まあ真実は分からないし、念押しする必要もないか……)



 ともかく両侯爵の同意は得た。ゼアルは嬉々として部下に見取り図の作成を命じるのであった。




 翌日、ゼアルたちレシエ軍はゲルト、ダーナの出発を見送ると、そのままラザ城にとどまった。そしてゼアルの指示の元、ラザ城をより堅固にすべく増改築を始めたのである。


 特に力を入れたのは出城の増築で、城の弱点として敵が攻撃してくるであろう場所、そこに出城を増築していった。


 ゲルトとダーナがラザ城を落とした時のルートから、厄介だと思われる場所に出城を築いていく。より堅固に、より抜け目なく。その甲斐あってか、わずか数日でラザ城は立派な要塞と化した。



「今更ですがゼアル様、この城を改築することに意味はあるのですか?」



 そう疑問を呈したのは、増改築の進捗管理を任されたヴァルナであった。



「どういうことだ?」


「この城が守りに適しているというのは事実なのでしょう。ですが我ら東征軍の戦略目標は残るはハンナのみ。このラザ城が再び戦場になる可能性は低いです。何よりいずれ我らはレシエに戻ります。その我らが私財を投じてまで改築を行う必要はあるのでしょうか」



 レシエは貧しい国である。元々土地があまり豊かでないことに加え、テネロの行き当たりばったりな政策に振り回され続けた経緯がある。ゼアルが国主代理に納まって以降は経済も上向きではあるものの、所詮は半年の成果に過ぎないのである。


 そんなレシエが金を出してまで他国の城を強くする意味があるのかと、ヴァルナは言っているのだ。



「ヴァルナのいう事も分かる。だが得てして戦場では心の支えとなる存在が重要になるものだ。絶対に落ちない城、絶対に負けない将。そう言ったものに人は縋り信じて集う。我はこのラザ城をそんな場所にしたいのだよ。本当に不落であるかどうかは問題ではない。そう信じられる場所、人を集める力を持つ場所に、な」


「……申し訳ありません。私が浅はかでした」


「気にするな、何にでも疑問に思う事、そしてその疑問を解消すること。それが積み重なって人は成長するのだ」


「はい……」



 ラザ城からゲルト軍とダーナ軍が発ってから八日ほど過ぎた頃、ゼアルの元に火急の報せが届く。タイミング的にハンナ陥落の報せでもおかしくはないが、伝令の様子からそんな朗報ではない事は明らかであった。



「〝ゲルト軍、ダーナ軍共に、ハンナ攻略中に伏兵の挟撃を受けて壊滅。それを率いる両侯爵も生死不明〟か……」


「生き残った兵たちも間もなくこのラザ城目指して殺到してくるでしょう。ゼアル様、どうかお願いします。どうか我らをお救い下さい!」



 ほんの数日前まで快進撃に浮かれていたのに、余程恐ろしい目に遭ったのだろう、今目の前にいる伝令は憔悴しきっているように見える。



「分かっている。誰か、この者に水と食料を。狼煙を上げ、周辺の村々を回って水と食料を買い占めるのだ。同時に避難を呼びかけ、絶対に村に食料を残さないように厳命せよ!」


「「はっっっ!!」」



 伝令の言った通り、程なくしてラザ城にはゲルト、ダーナの敗残兵が殺到した。ゼアルたちは彼らを伝令と同じように遇し、一通り休ませた後はレシエ軍と同じように働かせた。その数は翌日の午後をピークに増え続け、三日が過ぎる頃には三千もの数に膨れ上がった。ゼアルにとって誤算だったのは、避難を呼びかけた周辺の村の住人、彼らが予想を大きく上回る規模でラザ城に避難してきた事である。


 通常これから戦場になろうという場所に、わざわざ避難する者などそういない。そのせいでラザ城の収容可能人数を大きく超えてしまったのである。



「ディルク、話がある」


「はい、何でしょうか」


「知っての通り、このラザ城はゲルトとダーナ、そして周辺の村から避難してきた人たちで一杯だ。故、お前は明日の朝、レシエ軍を率いてテバスまで後退しろ」


「……それは構いませんが、間もなくベルガナの追撃隊と一戦交える事になるでしょう。まさかゲルトとダーナの敗残兵だけを率いてベルガナと戦うおつもりですか?」


「……そうだ」



 当然だが彼ら敗残兵はゼアルの部下ではない。ゼアルに対する忠誠心が薄い上に、負けて多くの兵を失ったため、指揮系統を再編する必要があった。加えて……、



「それはダメです! もう一度お考え直し下さい! 一度敗戦を経験した兵はどうしても弱くなる。敗戦の恐怖心が彼らを浮足立たせるのです! レシエの兵がいればそれもある程度は抑えることが可能です。どうかもう一度お考え直しください!」


「分かっている。彼らが負けたとき、彼らは攻める側だった。今回彼らは守る側にいる。そこを強調することで恐怖心を抑えてもらうより仕方あるまい」


「しかし……!」


「くどいぞディルク、これは決定事項だ。お前は明朝にレシエ軍を率いてテバスに向かえ」


「……分かりました。どうかご武運を」



 ディルクは表情にこそ出さなかったが、どこか悔しそうに敬礼をして立ち去るのであった。



「悪いなディルク。お前とレシエ軍には重要な役目がある。それがただの寄せ集めの兵では話にならんのだ」



 ゼアルがぽつりと呟いたその言葉は、誰にも届くことはなかった。

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