第76話

 多くの兵がラインクルズと距離を保つ中、レンだけが悠然と彼に近付いていく。その距離が縮まるにつれて存在感を増していくレン。



「ハーノイン総統、ラインクルズだな?」


「お、お前は……!」



 初対面だ、それは間違いない。だが似ている。二十年前に天才剣士と呼ばれた一人の少女に。彼女の身長を伸ばし、肉付きをよくしたらこんな感じになるのではないかと。そしてラインクルズは戦慄する。目の前の少女が腰から下げたサーベル状の魔導器。かつて魔王を討った時に使われたとされる魔導器にとても酷似していたのだ。


 魔導器の中でも特殊な部類に入るそれは、ラインクルズの使う硬化の魔導器とは殊更相性が悪かった。



「心配するな、これは使わん。お前ごとき使ってやる価値もない」


「……!!」



 自分の腕に相当な自信があるのだろう。あの天才少女と関係があるのであれば、その自信も頷ける。だがそれはそれとして、ラインクルズにも身一つで総統の地位に昇りつめたという自負がある。自分の半分、否、三分の一すら生きていないような少女に侮られるなど許せる訳もない。



「ぬかせ、私とて名の知れた武人。返り討ちにしてくれる」



 言ってラインクルズは剣を構える。正直な所、目の前の少女があの天才少女と同等の力を持っていて、なおかつ魔導器まで使われれば、万に一つもラインクルズに勝ち目はない。だが今少女は魔導器を使わないと宣言した。ならば事実上少女がラインクルズに手傷を負わせる手段はなく、それはラインクルズの勝利を意味する事になる。もちろん宣言を反故にする可能性もあるが、彼女があの少女の縁者なのだとするなら、嘘はつかない可能性は高かった。


 それは一瞬だった。レンはラインクルズとの距離を一気に詰めると、そのまま腹部に向かって拳を叩き込む。轟音と共にラインクルズがたたらを踏んだ。



「な……何だあの子は。剣も槍も弓も効かなかった相手に、素手でダメージを与えているぞ……?」



 周囲の兵士たちが皆一様に驚愕する中、レンの事をよく知る二人は全く逆の印象を抱く。



「予想外に効いてない……。兄さん、何か分かる?」


「……魔力の流れを感じない。あいつ、魔導器の力を使ってない」


「えっ……?」



 セリカは慌ててレンに視線を戻す。剣対素手、これだけでも絶望的なハンデだというのに、ラインクルズには硬化の能力も働いているのだ。だというのにラインクルズの剣はその尽くが空を裂き、逆にレンの拳によって確実にダメージを蓄積していく。


 勝てるかもしれない。兵士たちは皆手に汗を握らせるが、セネトとセリカの視点では勝って当たり前の勝負なのだ。もどかしい。



「ねえ兄さん、姉さんは一体……?」


「多分だけど、魔導器を使うまでもないと思ってるのかも」


「うん、ありそう……」



 レンは戦いが好きだが弱い者いじめが好きなわけではない。可能な限りギリギリの戦いに興じたいのだ。楽しみたいのだ、戦いそのものを。


 戦闘においてリーチの差というのは、そのまま勝敗に繋がる重要な要素になる。相手の射程外から一方的に攻撃するというのは、それだけ有利に働くのだ。だがこの場で繰り広げられる攻防はそうではない。リーチの差をものともせずレンは的確に攻撃をかわし、拳を叩き込む。相手が弱いのではない。歳の影響はあるだろうが、それでも彼の技量は達人と呼べる域に達している。レンの身体能力がそれを優に超えているのである。



(バカな! 私の剣が、ただの一発も当たらない。それも素手でだと……? そんなふざけた話があるか! こんな事、あの剣聖にだって出来はしない!!)



 昔、剣聖と呼ばれた男と何度か手合せをしたことがある。無論勝てはしなかったが、ここまで絶望的な差はなかった。



「くそっ!!」



 忌々しげに振るわれた大振りの一撃。ラインクルズの心境を表したかのようなその攻撃は僅かにレンの頭髪を掠める。だがそんな隙だらけの攻撃を見逃すようなレンではない。僅かに腰に捻りを加えたかと思うと、次の瞬間ラインクルズの顔面に強烈なハイキックを叩き込んでいた。それでも蹴りは止まらず、振り抜くように一回転すると、ラインクルズの体は宙を浮き、激しく地面に叩きつけられる。


 蹴りと地面にぶつかった時の『衝撃』、それは体を硬化したところで軽減できるようなものではなく、むしろ硬化しているからこそダイレクトに頭部に伝わる事となる。結果脳は激しく揺さぶられ、ラインクルズはそのまま意識を失ったのである。


 頭を地面に叩きつけられるラインクルズ。そして数秒後、彼が起き上がってこない事を悟ると、周囲の兵達は一気に湧き上がる。



「「うおおおおぉぉぉぉ!!」」


「凄え、本当に倒してしまいやがった! それも素手で!」


「何もんだよあの子、俺今からプロポーズして来ていいかな?」


「落ち着けまだ気絶しただけだ。すぐに魔導器を奪って拘束しろ」



 そんな中、歓喜する反乱軍をホームズが一喝する。やはりリーダー、このような事はセネトもセリカも苦手だ。


 決戦の最中、颯爽と現れ総統ラインクルズを倒してしまった謎の少女レン。この戦いにおける最大の功労者は間違いなく彼女であり、否応なく周囲の注目を集める事になる。そんなレンがまっすぐセネトとセリカの元に歩いていく。二人とレンの関係性が疑われた。



「終わったぞ兄、セリカ」



 見れば分かる。だがその言葉に引っかかりを覚えた者が一名。



「……兄?」


「か、彼女とは兄妹同然に育ったので、昔からそう呼ぶんですよ」


「……ふむ、そうか」



 しかしこの解答では、他の兵士たちを納得させる事はできなかったらしい。ただでさえセリカの恋人という事になっているセネトに、強くて美人で兄と呼び慕ってくれる幼馴染まで出てきたのだ。兵士たちのセネトを見る目に、今度は嫉妬と羨望の色が加わった事は言うまでもない。

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