第50話

 ディルク達の奮戦のお陰か、裏門の敵は少なく、また増える気配もない。そこに予め待機していた先遣隊が襲いかかる。少ないとはいってもその兵力差は五倍は下らない。本来はまず勝てないであろう兵力差だが、今は退路の確保が目的なのだ。ゼアル達が逃げるまでの時間を勢いで稼ぐ事なら出来る、いや、稼いでもらうしかない。


 魚鱗の陣を組んで敵部隊に仕掛けていく先遣隊。ある意味ディルク達より危険な役目だが、その動きに迷いや恐怖といった感情は見られない。むしろ自分たちの力で主君を守るのだという強い使命感に満ちていた。


 対する敵部隊は、隊列こそ整ってはいたが、その動きは明らかに精彩さを欠いていた。思いがけない反撃に動揺したのか、あるいは元から正規の軍隊ではなかったのか。先遣隊の猛攻を受け、敵部隊は次第に左右に分断されていく。



「ヘイゼル王よ、そろそろのようだが準備はいいか?」


「うむ、だが本当に最後でよかったのか?」


「ああ、我は魔術の心得がある故、半端な兵に遅れはとらん」


「そうであったか……」


「それよりヘイゼル王よ、分かっているとは思うが、森に逃れたら後は完全に別行動だ。犯人の狙いは我ら二人だろう。一緒に行動するのは危険だ」


「無論だ、リチャードが何故こんな事をしたのかは分からんが、もはやとても許容出来るものではない。一日も早く国に戻り、相応の裁きを下すつもりだ」


「それを聞いて安心した。……健闘を祈る」


「ゼアル殿、そなたもな」



 先遣隊は分断した敵部隊に合わせて隊を分け、退路を開く。そこに向かって、ヘイゼル率いる少数精鋭部隊が一気に駆けていく。



「ギベリー二卿、次は貴殿の番だ。先遣隊の負担にならないように、早めに出てくれると助かるのだが」


「う、うむ」



 敵の目的はヘイゼルとゼアル。その為かギベリーニはどこか及び腰で、今回リーダーシップを発揮した様子もない。正直足手まといなのだが見捨てる訳にもいかなかった。


 ヘイゼルに続いてギベリーニ以下数十人の兵士が馬に跨り駆けていく。そして遂にゼアルの番である。



「正門の部隊に撤退の指示を、それを以って宮殿からは完全に兵を引く」


「はっ!」



 ゼアルは馬上から指示を出し、馬を翻す。



「いくぞ! 目指すはラルラジュナ北の森。何があろうと決して止まるな!」



 そして一度馬を嘶かせると、一気に駆け出した。


 先遣隊が切り開いた退路、その先にある森。当初こそ押していた先遣隊だが、やはり時間と共にその関係は逆転しつつあった。ヘイゼル王が駆け抜けたときと比較して、その幅は七割ほどまで狭まっている。だが問題はない。駆け抜けるだけであれば。


 ゼアルはすれ違いざま、援護してあげたい衝動に駆られるも、それを実行に移すほど愚かではなかった。



「ゼアル様、敵の包囲網は抜けましたがこれからどこに向かいましょうか?」



 先頭を走るゼアルに、ヴァルナが並走して声をかける。



「このまま北上して森を抜ける」


「この森を……ですか?」



 ヴァルナの言わんとする事は分かっていた。ここから森を抜けた先にはアスタルテの断崖と呼ばれる高い崖があり、その先は現在鎖国中の国、亜人国家セルベリアがある。つまり逃げ場がないのである。



「我に考えがある。今は従ってほしい」


「ゼアル様がそう仰るのでしたら……」




 そこに、宮殿から退却するゼアル達を遠目で見送る、一人の青年の姿があった。



「ゼアル達は逃げたか……。まあ数を揃えたとはいえ所詮はならず者の集まり、ここまでやれただけでも良しとするべきか」



 誰にともなくそう言うと、今度は肩口に止まる白い鳥に話しかける。



「ヘイゼルとゼアルは北の森に逃げた。作戦をプランBに移行する」


『承知した。だがギベリーニの話によると、既に別行動をとっておるようじゃ。どちらを優先するべきかの』


「当然ヘイゼルだ。ヤツを取り逃がせば我らは終わる。何としても仕留めよ。それに……」


『それに……?』


「ゼアルにもう逃げ場はない。事前の工作によってもはやセルベリア国民全てが敵になったと言っても過言ではない。後回しにしたところでどうとでもなる」


『うむ、ではわしらはヘイゼル王の討伐に移ろう』


「ああ、俺も今からそちらに向かう」



 最後にそう言葉を交わして、青年は白い鳥との会話を終えた。



「聞いていたなゾーラ、この場はお前に任す故、宮殿に残った敵の殲滅にあたれ」


「分かりました。リチャード様もお気をつけて」


「ふっ、俺を誰だと思っている。行くぞ!」



 リチャードは馬を大きく嘶かせると、ゼアル達の逃走経路に進路を取る。



(これで終わりか? ゼアル。……いや、ヤツはあの時からずっと俺の予想を超える動きをしてきた。恐らく今回も……)



 根拠はない。だがきっとそうなる。何故かそれだけは確信している。ヤツを仕留めるのは自分以外には有り得ないのだと。


 馬を駆り合流を急ぐ青年の首元では、赤い液体の入った小瓶が踊っていた。




『リチャード、聞こえているか』



 鳥を通してアズールから連絡があったのは、程無くしてのことであった。



「聞こえている、どうした」


『想定外の事が起きた。ヘイゼル王は我らに任せ、貴様はすぐにゼアルを追え』


「どういう事だ」


『先ほど別動隊より連絡があった。ゼアルは想定していたルートを大きく外れて森を北上しておるようじゃ。アスタルテに保護を求めるつもりかもしれん。すぐに追いかけねば逃げられるぞ』


「アスタルテに保護……だと?」



 アスタルテは鎖国国家である。故に今回の作戦では考慮しなかったのだが……。苦し紛れに逃げ込むつもりなのか、あるいはゼアルにはアスタルテと何らかの知己があったのか。


 いずれにせよそれは、リチャードの予感が的中した事を意味していた。



「分かった、詳しい逃走ルートを教えろ」


『現状はまだアスタルテの断崖に向かっている事しか分からん。だがアスタルテに入るつもりであれば断崖のどこかからしかないだろう』


「なるほど、では俺もすぐに断崖に向かおう。追跡は馬の足跡を見れば十分か」



 リチャードは即座に手綱を引いて馬を止めると、北に進路を変えて再び走り出す。



「やはりこうなったか、ゼアル」


『何を言っている?』


「何でもない、こっちの話だ」



 想定外の事態に振り回される事となったリチャードだが、その表情はどこか明るかった。

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