第21話

 ユートリア候国。最近建国されたガイルを国主とするこの国は、それ故にまだ城と呼べる物が存在しない。現在ガイルが住んでいるのは、同国の南海岸にある町、ラムザの一角に建てられた、広大な敷地を有する邸宅であった。現状城を造る、という話は当然持ち上がってはいるものの、具体的な事は何も決まっていない。今、その邸宅の中庭にて、国主ガイルと小柄な少女イハサが鎬を削っていた。


 ガイルが振るうのは身の丈程もある巨大な剣。当たれば一撃必殺に等しいこの剣を、ガイルは絶え間なく繰り出していく。しかしその切っ先は、いずれもイハサを捉えるには至らない。イハサはその小柄な体躯と体捌きで剣戟を綺麗にかわしていく。そして甘く繰り出された一撃をかいくぐり、一気に間合いを詰めた。



 イハサの振るう刀が、陽の光を受けて一瞬だけ煌いた。その体躯からは想像もできないほどに速く、鋭く、そして力強い一刀。その一撃を受けたガイルは……しかし何事もなかったかのように、僅かに間合いを開けただけであった。


 それもそのはずガイルは鎧を身に着けているのだ。刀は鎧を切り裂いたが、そのせいでガイルに届いた切っ先は僅かに留まった。


 イハサも同じく距離をとると、何を思ったか刃先の血を拭って鞘に収めてしまう。



「どうした? 降参か?」


「まさか、次の一撃で仕留めるための準備です」



 そういいつつ得物を鞘に収めたのは、一体どんな了見か。しかしイハサは刀に手をかけたまま構えて見せる。理屈は分からないが至って真面目らしい。それを感じ取ったガイルも、逆にそれを好機と見て同じく剣を構える。


 少女は次の一撃で決めると言った。ならばその一撃に自分の一撃を合わせれば、間合いの広い自分が勝つ。ガイルはそう考えた。そして……、



 イハサが動いたタイミングでガイルは剣を振るう。小柄ですばしっこいイハサに対して、自分から間合いを詰めるのは愚の骨頂。少女が自身の間合いに入ったその瞬間に剣を合わせればいい。


 その判断は何も間違ってはいなかった。ただ一点、ガイルが読み違えたのは、イハサが狙っていたのは初めからガイルそのものではなく、ガイルの振るう剣の方だったという事である。


 片や分厚く巨大な剣、片や薄く細長い刀。二つの刃が交差する。二つの刃が喰らい合う。そして振り抜かれた二人の刃は……、



 どすりと、切り飛ばされた大剣の上半分が大地に突き刺さる。



「そこまで。この戦い、イハサの勝ちだ」



 周囲の兵達にも聞こえるように、ゼアルがそう宣言する。二人の試合を見ていた兵士たちは、賞賛するのも忘れてただ呆気に取られていた。


 通常イハサのような小柄な少女に負けたとあっては、誰しも情けないと感じるものだろう。だが実際に剣を交える二人を見て、その様な印象を抱く者は皆無。


 もし自分がイハサであれば、ガイルの初撃で両断されていただろう。逆に自分がガイルであったなら、一瞬で間合いを詰められ腕、あるいは胴、あるいはそれ以外のどこかを切り落とされていたに違いない。そして何より……、



「信じられねえ、俺の剣を真っ二つにしやがった。本当に人間かよチビ助」


「誰がチビ助ですか。それに刃こぼれを起こしたから今のは失敗なのです」


「全く、強いとは聞いていたが限度があるだろう」



 ガイルが半ば呆れたように肩をすくめた。



「……そうでもない。あれほどイハサが苦戦するのを見たのは初めてだ」



 そう発言したのは、二人の実質的な上司であるゼアルであった。



「苦戦? あれでか?」


「うむ、胴への一太刀でガイルに致命傷を与えるのは難しいと判断したんだろう。だから剣そのものを狙った。そうだなイハサ?」



 確かめるようにそう声をかけると、



「…………ふんっ」



 と、気恥かしそうにプイとそっぽを向いてしまう。要するに当たっていたのだろう。



「つまり苦肉の策で剣を切ったのか。……いや、それもどうなんだよ」



 普通は試合中どころか、お膳立てされたって出来はしない。それをガイルの剣よりもずっと小振りの刀でやったのだから尚更だ。



「やったね! 流石は私のイハサ!」



 なんて言いながら抱きついていったのは、イハサと共にここユートリア候国にやって来たもう一人の少女、ラクリエ。レシエにいた時と違って元気なのは偶然ではない。



「これはまたどえらい美人が出てきたな。あの子もゼアルの部下なのか?」


「そうだが……美人…………なのか?」


「はあ? あの子が美人じゃなかったら一体誰が美人なんだよ」


「う、ううむ……」



(そう言えばレシエを乗っ取った時も、テネロがラクリエに一目惚れした事を利用したんだったか。レシエ城内でもラクリエの容姿を褒める言葉など何回聞いたか分からない。それは単に彼らの立場上ゴマをすっていただけかと思っていたが……、人の美醜の感覚はよく分からないんだよな……)



 強い者が美しいとされる魔族の感覚では、イハサの方が百倍美人に見えていたりする。



「ところでカティアはどうした? 見当たらないようだが……」


「あいつならユートリアの都市開発に奔走してるよ。元々優しいヤツだ、軍事行動なんぞよりよっぽど性に合ってるんだろう。ところでそういうゼアルはどうなんだ? 副官の姉ちゃんと槍使いの兄ちゃんの姿が見えないようだが」


「その二人には留守番を任せてきた。イハサとジェーンを連れてハーノインに行く用事が出来たのと、ヴァルナは最近体調があまり良くないそうでな」


「そうか、あの姉ちゃんがな……」



 ベルガナ戦争末期において、結局最後まで兵を動かすことなく退却していったハーノイン軍。一見異様とも思える行動だが、その行動にハーノイン全体の深い悲しみが感じられるような気がしなくもない。



「ハーノインと言えば、確か英雄の一人娘で天才少女剣士とか呼ばれている子がいたな。いつかイハサとその子の勝負を見てみたいもんだ」


「そ、そうだな……」



 ラクリエは有名すぎるが故に偽名を名乗らせたが、イハサは本名で通している。天才少女剣士の事を知っていながらその名前を覚えていないあたり、どこか抜けている。



「ところで領地経営の方は上手くいっているのか? 自分の治める土地が発展していくのは中々楽しいものだろう?」



 しかしガイルは顔を曇らせ、



「いや、まだそんな段階じゃねえよ。日々増えていく人と仕事に目が回りそうだ。情けない話だが、アイデアの一つでも貰えたら助かるんだが……」



 かつて連合は、連合に属する他の国と干渉することを原則禁じられていた。だが今は違う。連合内で助け合う事は禁止どころか推奨すらされている。というか推奨しているのがゼアルなのだが。



「それならいい案がある。ベルガナ戦争初期に落としたとされる、ヤーデ川にかかる二本の橋。まずはこれを再建するといい」


「再建? 構わないが最優先でやるような事か?」


「もちろんだ。ミレトス大橋だけでは不便で人の移動が制限される。橋を優先して作ることで人の流れがスムーズになり、経済も発展する」


「理屈がよく分からんが……」


「重要なのは大勢雇って一気に造って一斉に解雇……とはしない事だ。そこそこの人数にそこそこの日程、そして造り終えても解雇はせずに、また新しい仕事を与える。可能な限りこれを繰り返す」


「するとどうなるんだ?」


「工員は現場の近くで寝泊りをするだろう。金を貰っても使う場所がないという状況になる。すると今度は彼らを相手に商売をしようとする者が現れる。次第に生活に必要な物が揃っていき、最終的にそこが町になる」


「分かるような……分からないような……」


「はは、まあその辺の理屈はゆっくり理解していけばいい。ユートリアは人も土地も有り余ってるからな。きちんと治めればかなりの発展が見込めるはずだ」


「しかし分からんな、そんな有望な土地をどうして自分で治めなかった? あんたが直接統治すれば、ユートリア一国でハーノインやミッドランドに肩を並べる大国に出来たんじゃないのか?」


「それは買い被りすぎだ。我はレシエの領主。豊かな土地が見つかったからと言って、レシエを捨てる理由にはならんよ。だいたいユートリアも連合の一部なのだから、間接的に我が治めているようなものだろう」


「それはそうだが……」



 豊かな土地を治めればそれだけ領主も贅沢な暮らしが出来るだろうに、ゼアルはそれを望まない。ガイルはその時初めて、自身がゼアルに対して抱いている認識が少し間違っている事に気付いたのだった。

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