第8話
「して、余に仕えたいと思った理由は何か?」
「はい、テネロ様がレシエ侯国の国主となられてから、国土が戦火に巻き込まれた事は一度としてありません。先程申し上げた通り、私どもは戦火によって故郷を失いました。なればこそもう二度と同じ思いはしたくないのです」
レシエ侯国、謁見の間。ゼアルたち四人はそこで国主テネロを前に跪いていた。
ゼアルたちの考えた乗っ取り易そうな国の条件は三つ。国主に身寄りが少ないこと、圧政を敷いている事、そして攻められ難い立地をしている事である。
テネロが国を戦火に巻き込んだ事がないというのは事実である。だがそれは単に、攻めにくい立地に加えて土地があまり豊かではなく、苦労して攻め落とすだけの利点がなかっただけの事である。
テネロ侯爵。先代の急逝により若くして国主となったものの、彼に苦言を呈した重臣をあっさり処刑して以降、誰も彼に逆らう事が出来なくなってしまったという経緯を持つ暴君である。それ故にゼアルも慎重に言葉を選びながら交渉した。
「ふむでは、そなた達は一体何が出来るのかね?」
「はい、私と妻のヴァルナは故郷テバスで国家魔術師として働いておりました。また養女のイハサは元々使用人ではありますが、外見にそぐわない剣の腕に惚れ込み家族として迎え入れたという経緯があります。きっとお役に立てることでしょう」
「なるほど、もう一人の娘は何もできんのか?」
「はい、いずれ私たちのように魔術をと考えてはおりますが、現状他人様にお見せできるような技術は何も……」
「そうか……、おい娘、面を上げい。名は何という」
何もできないと言っているのに、テネロはラクリエに興味を惹かれたらしい。そう言ってラクリエに話しかける。
「はいテネロ様。私はジェーン、ここにいるゼアルとヴァルナの一人娘にございます」
言われて顔を上げたラクリエが見たもの、それは顔の力を失い唖然とするテネロの姿であった。
「…………美しい」
「……えっ?」
「なんと美しい娘だ、そなたほど美しい女性を余は見たことがない」
何かスイッチが入ってしまったのか、テネロはもはや周囲のことなど目に入らないとばかりに、真っ直ぐラクリエの元に歩いていく。そしてラクリエの手を取って立たせると、
「そなた、余の妻となれ」
ゼアルや配下の兵士も居並ぶ中、そう言い放った。
「えっ? ええと……」
はいともいいえとも言えず、目線でゼアルに助けを求めるラクリエ。ゼアルたちの計画の第一段階はあくまでテネロに取り入る事である。テネロがプロポーズをしてくることなど全く想定していなかったのだ。
当初テネロを冷ややかな目で見ていた兵士たちも、彼のこの行動には動揺せざるを得なかった。
「余であればそなたをより美しく着飾ってやることができるぞ? どうじゃ? 悪い話ではあるまい」
テネロは更に詰め寄るがその時、
「お待ち下さいテネロ様。私どもの娘をかって頂けるのは、親として喜ばしい限りにございます。私どもの立場をきちんと保証して頂けるのでしたら、この話、謹んでお受けしたいと存じます」
父親役であるゼアルが勝手に了承してしまう。
「おおそうか、なかなか話の分かる父親ではないか。では決まりだな。皆の者、聞いたであろう! 余はここにいるジェーンを夫人として迎え入れることにしたぞ! ついては国を挙げての盛大な挙式を行う故、ただちに準備に取り掛かるのだ!」
「……はっ!」
兵士たちはいかにも何か言いたげではあったものの、完全にラクリエに熱を上げてしまっているテネロに水を差す事もできない。結果黙って従う他なかったようである。
「いきなり大変な事になってしまいましたね」
「全くです。どうして断らなかったのですか」
その後ゼアルたち四人はすぐに客室へと通された。挙式が行われるまでの数日、ゼアルたちは客人としてもてなされる事になったのだ。しかしこのような事態は計画にはなく、ラクリエとイハサがそれぞれ戸惑いと不安を口にする。
「まあそう言うな、一年かけて国を乗っ取る予定だったものが、二人の結婚によって堂々と内政に干渉できるようになったのだ。おかげで計画が一年は早まった。悪い話ではあるまい」
「しかしこれでは計画のために姫様を売ったようなものではありませんか! こんなやり方、わしは認めません!」
「私の事はいいのイハサ。ゼアル様にはきっとゼアル様のお考えがあるのよ」
「姫様……」
怒るイハサを諦観したように諫めるラクリエ。二人の立場が逆なら反応も逆になっていたであろうことは想像に難くない。
「うむ、言いたい事があればどんどん言ってくれて構わないぞ。我とて別に眷属を苦しめたくてやっている訳ではないからな。結婚の件もそう、あくまで形だけだ」
「……というのは?」
「式を挙げたその日の内にテネロには死んでもらう。それならいいだろう」
「それは……、ですがそうなると今度は別の問題が……」
「……我ら四人は間違いなく疑われるだろうな。だがそれも証拠を残さなければいいだけの事。証拠がなければ我らは、義理とはいえ国主の親族。滅多な事はできまい」
「国中の人から白い目で見られる事になりませんか?」
「怖いか? イハサ」
「…………っ!」
何故そう思ったのかは分からない。だがイハサは確信をもって言える。その時のゼアルの目は確かにこう言っていた。〝逃げるのであれば今の内だぞ〟と。
一見優しい言葉のようで、ラクリエに対する罪を生涯背負って生きていくと決めたイハサにとって、それは挑発に等しい意味を持つ。それが分からないほど、イハサは子供でも愚かでもない。
「……上等です」
一度言葉にしてしまえばもう、不思議と恐怖はなかった。
式は三日後に行われた。城の中庭で宣誓を行った後、馬車で市街を一周。そして夜までのスケジュールで立食パーティーが開かれた。ゼアルたちも当然新婦側の主賓として参加している。ラクリエを遠目で眺めながら、頻繁に訪れては賛辞を送ってくる関係者に対して、一人一人礼を述べていく。
これからはゼアルこそがこの国の実質的なナンバー2になる。
誰が言った訳ではないが、彼らの多くは既にそう理解していた。それ故に少しでも彼の覚えをよくしておこうと、ゼアルに対してゴマをすりに行く者が多かったようである。
これはゼアルにとっても好都合で、すり寄ってくる彼らに対して当たり障りのない対応をしながらも、自身の存在を印象付けていった。
本来一年かけて行うはずだった根回しだが、予定が早まったことでそれをしている時間的余裕がなくなったのだ。そうすることで根回しの代わりとしたのである。
「ヴァルナ、テネロはパーティーが終わるまで待つと思うか?」
「……待たないと思います。見てくださいあの緩みきった顔。テキトウに抜け出して行為に及ぼうとするのではないでしょうか」
「……だよな」
テネロに必要以上にボディタッチをされながらも、努めてにこやかに対応しようとするラクリエに対して、ゼアルは申し訳ない気持ちで一杯になった。
「そういえばあの日の夜も立食パーティーでした。違う点は、今度はわしらが仕掛ける番だという事でしょうか」
その日を境に、イハサとラクリエはそれまでの地位を失い、そして今日再び社会的地位を得ることになる。何かしら縁を感じずにはいられない。
「む……どうやら動いたようだな」
テネロがラクリエの手を引いて会場の奥へと誘う。何をするつもりなのかは今更考えるまでもない。
「では我も行くとしよう。我が戻るまで、この場は二人に任す」
「はい、行ってらっしゃいませ」
ヴァルナはそう言ってゼアルを送り出すのであった。
それから僅か三分後、ゼアルは戻ってくる。
「早かったですね」
「我を誰だと思っている。人一人始末するくらいどうという事はない」
「それは失礼しました。それでこの後はどうなされるおつもりなのですか?」
「終宴の宣言は我がやろう。後は素知らぬ顔をしていればいい」
「そうですか、分かりました」
ゼアルたちの予想通り、会場からテネロとラクリエがいなくなったにも関わらず、特に気にする者はいなかった。既にパーティーにおけるテネロの役目は終わっている。いなくなったからと言って連れ戻す意味もなかったのだ。
その後、気を見てゼアルがお開きとするまで、立食パーティーは続いた。
そして一夜が明けた。
ゼアルは明け方すぐに、テネロがいないという報告を受ける。小一時間ほど探すフリをして、次は城中の兵を動員して捜索に当たらせた。形式上ラクリエに対しても聞き取り調査を行ったが、事前に打ち合わせた通りの事を喋らせただけであっさりと開放した。
そして夕刻、大勢の兵の前で途方に暮れる演技をしながら、ゼアルはある事を提案する。
「やむを得ん、テネロ様が見つかるまでの間、誰か他の者に国主代理をやって貰わねばなるまい」
その日一日、兵士総出でテネロを探したにも関わらず見つけられなかったのだ。その提案は至ってまともなものだった。
「本来であればテネロ様の義父である私が勤めるべきなのだろうが、あいにく私は新参者、部下たちは納得しないだろう。誰か、国主代理に推薦したい者はいないか」
ゼアルは兵たちに呼びかけるが、代理と言っても国主である。軽い気持ちで推薦などできる訳がなかった。そんな中……、
「一人、推薦したい者がおります」
そう声を上げたのはディルク兵士長。軍のトップに位置する人物である。
「ディルク兵士長……分かった、言ってみなさい」
「はっ、恐れながらゼアル様、それは貴方です」
「なんと……。理由を聞いてもいいんだろうか」
「はっ! 私ディルクは初めて貴方を見た時から威厳のある方だと思っておりました。そしてテネロ様の義父であることに加え、今回の捜索においても的確な指示とリーダーシップを発揮された事。レシエにきて日が浅いことなど大した問題ではありません。貴方は国主が持つにふさわしい力を持っておられます。一人の部下、そして一人の国民として、ゼアル様にはレシエ侯国の国主代理を務めていただきたいと存じます。なあ、皆もそう思うだろう?」
ディルク自身の人望もあるのだろう。ディルクがそう声を上げると、歓声をもって他の兵士も賛同の声を上げた。元々テネロの評判がよくなかった事と、あくまで代理という建前も彼らを後押しした。テネロは今、どこかに行っているだけ。どうせすぐに戻ってくる。今選んだのは単なる繋ぎに過ぎない。そんな考えもあって、ゼアルとあまり面識のない兵士ですらもゼアルの国主代理就任に賛同したのである。
「そうか、そういう事であれば私も覚悟を決めよう。レシエ侯国国主代理の任、謹んで務めさせていただく」
「はっ、よろしくお願い致します」
その日、ゼアルは事実上のレシエ侯国の国主に就任した。代理という形であったため式典も何もない寂しいものではあったが、それはゼアルにとって些細な問題に過ぎなかった。
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