旅立ち、長い電話編

エピローグ

「哲仁! 準備できたがけ?」

 来年からはもう住まない自室は、酷くさっぱりしていた。高校時代の思い出も、すべてクローゼットの中にしまわれており、俺がPSPに明け暮れた勉強机の上には、卒業証書と代々木ゼミナールのパンフレット、声と言葉のボクシング全国大会のときの写真立てだけが置いてある。


「ちょっと待って、あと五分!」

 俺は、一階から聞こえてくる母さんの声にそう応え、ガラケーの電話帳を開く。そこには、母さんの電話番号以外に三つあり、そのうちの一つを押してかけた。


 五回の呼び出し音の後、電話の奥で無事、つながる音がする。


「おお、鷹岡か。どうした」

「お久しぶりです。檜山先生。今日が出発の日なので、挨拶をと思って」

「おー、律儀やのう。鷹岡も、春から浪人生か」

 電話越しで檜山先生の嬉しそうな声が聞こえる。一高に入って、もう三年経ったのが嘘みたいだと、感慨深くなる。

「結局、卒業するまで、鷹岡は勉強せんかったな」

「テレビで忙しかったんで」

「お前、チューリップテレビから取材きたからいうて、勉強する時間たくさんあったがいね、学生が勉強おろそかにしられんがやちが!」

「でも、檜山先生のおかげで、俺の学校生活充実してましたよ。本当に救われたと思います。勉強はしなかったけど」

「……おう」

「そういえば、浪人生って一組で俺だけでしたっけ?」

 一高の特別進学及び普通コースは二年生から文系と理系に分かれる。俺は、文系の一組に進み、平井から晴れて開放され、担任が檜山先生になった。

「いや、鷹岡以外にもおるよ。久吉ひさよしとか」

「あー、そうなんですね。そういえば、中島って、今年から医学部行くんですか」

 中島は医学部を目指し、理系の二組に進んだ。担任は、化学の山本先生になった。

「いや、富大医学部落ちたからもう一年がんばりますって。宅浪するらしいよ。鷹岡は予備校どこ行くんやっけ」

「新潟の予備校に通います。寮住みになりますね」

「そうか。中島とは会ってないがけ? 同じ厨時代やったやろ」

「会ってないですね。懐かしいな。そういえばだいぶん前ですけど中島といえば大喧嘩しましたね。もう解散の危機で」

「いつ頃」

「二年目の全国大会」

「大分前やな!」

「俺にとってはついこの前ですよ」

「で、結局のところ原因は何だったがけ」

「音楽性の違いですかね」

「何じゃそりゃ」

「ふふふ」

「何かミュージシャンみたいなこと言ってる!」

 檜山先生はそう言って笑った。笑いすぎてえづいているのか、電話の奥で、他の先生が檜山先生を心配する声が聞こえる。

「いや、でも言うでしょ。大会の直前に作ってきた詩を詠みたいっていうから。しかも、中島、一度も書いたこと無い癖に自信満々で厨二病をテーマに書いてきてるんですよ。俺たちは、前年度の空気感を求められているんだぞ。直前になって方針転換とか、厨二病かよ? って突っ込みましたもん」

「厨二病はどっちもどっちやろ」

「それもそうですけどね。で、ジャンケンで中島の詩を詠むことになったと」

「で、結果が」

「初戦敗退ですよ」

 檜山先生が爆笑する。窓の外、青い空に飛行機が飛んでいる。

「そういえば、一年目の全国大会、厨時代爪痕残したよな!」

「富山からは初出場で決勝まで行って」

「な」

「六分間もしゃべり続けたチーム、俺たちだけですよ」

「あれ、そうやったっけ? 全然そんな感じせんかったぜ」

「俺、審査員の顔見てて、どんどん渋くなってるの分かりましたよ」

「まあ、審査員も、大目に見てくれてたがやないけ、厨時代頑張っとったがやし」

「そうですかね」

「そうそう、立派やがいね」

「確かに、そうかもしれませんね。取材もたくさん来ましたし、サインもねだられましたね」

「なかなか無いちゃ。そんな経験」

「一番面白かったのが……」

 俺は、決勝戦終了後の帰り道を思い出し、噴き出した。

「リョウエイだけ妙にサイン上手かったことですかね。俺と中島は新品のノートに名前書くみたいなサインだったのに」

「あー、リョウエイだけスター気取りだったな。巧妙な崩し字で最後に☆つけて」

 俺と檜山先生は電話越しで笑いあった。

「そういえばリョウエイは東京の私文でしたっけ。受かったんですか?」

 リョウエイは俺と同じく文系の一組に入った。確か、前聞いてた時は国士館大学志望だったはず。

「いや、親の後継いで歯科医。お姉ちゃんと同じく私立の歯学部に行くがやと」

「は?」

「あいつ、何か頑固で、クラスメイトに教えたくないとか言っててな。気にすることもないと思うんだが」

「え、文系から歯学部! えー、リョウエイないわ」

 厨時代の中で、リョウエイが一番成功してるじゃん。

「鷹岡は将来何になるがけ」

「経営者です」

「何でけ」

「新しいことがしてみたいからです」

「そうか」

 檜山先生は感慨深そうに息を吐いた。

「後、座学よりも実学でチャレンジして学んでいけるから」

「だらぶち、経営者こそいっぱい本読んで勉強せんなんがいね。まあ、鷹岡は本が好きやから、そこは心配しとらんけど」

「あはは」

「いやー、楽しみやな」

「楽しみです」

「それじゃ、勉強頑張って!」

「ありがとうございます。あ、平井先生にもよろしく言っといてください」

「おう、任しとけ。あ、平井先生からの伝言、詩なり、小説なり、創作は続けられやと。それじゃあな!」

「はい、失礼します」


 俺は、通話を切り、ガラケーをポッケに入れる。西日が差し、机の上の写真立てがブラインドの隙間から差す光を受けて輝いている。

 写真には、全国大会で優勝のトロフィーを抱き、涙目になっている檜山先生が写っている。


 俺は、自室のドアを開け、階段を下りる。髪を束ねた母さんが、ラテと一緒に一階のリビングから出てきた。


「送っていこうか」

「お願いするわ」


 俺が裏口の扉を出ると、カナちゃんが見送りに立っていた。


「いってきます」


   了

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光の三分間と声と言葉の青春 鷹仁(たかひとし) @takahitoshi

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