落ちこぼれ高校生編

第1話 桜吹雪と赤点と

 入学早々、担任からいじめられたのかと思った。

 新入生学力確認テストで赤点を取ったのはここ十年で俺が初めてらしい。


「Be動詞なんてワケ分かんねえよぉぉ!」


 解答用紙に書かれた三十四点の赤字が忌々しく光る。点数の横には担任の平井先生から「これは高校生のレベルではない。もう少しやる気を出しましょう」のご丁寧なコメントが付されていた。

 何が高校生のレベルではない、だ! お高くとまりやがって、てめぇ、さては噂に聞くインテリか! インテリだな!?


「うるせえ、こっちだってそんなこと分かっとるわ、ダラ!」


 平穏を引き裂く絶叫。ちぎり捨てた解答用紙が春の終わりを告げる桜吹雪のように周囲に舞う。

 その直後、視線を感じ、教室を見渡す。女子と目があった、が、すぐに逸らされた。。俺はため息を一つして、しぶしぶゴミとなった紙くずを独りで一つ一つ拾い上げた。


「テストどうだった?」


 そんな俺に、声をかける人がいた。俺は、声の主に返事をしようと振り向く。


「いや、全然駄目だった!」


 ――違った。声をかけられたのは俺の隣のやつだった。一人気まずさを感じ、ストレッチのフリをして体の向きを戻す。

 彼らは、奇妙にもお互いテストの点数の確認と謙遜を繰り返している。ちなみに横目で見えた全然駄目だったというやつのテストの点数は七十八点。死ね。


 挙句の果てに、そういうやつに限って「全然勉強していなかったからな~」なんてぬかしやがる。死ね。


 そうか、やつらにとってテストの点数は「自分は全然駄目だった」という相互同調のうえで気持ち悪い連帯意識を生み出し、さらに他人との比較でカタルシスを得るための道具でしかないのだ。そして、「勉強していないから」という言い訳を場に出しておくことで、勉強していないのに高得点を取れる自分最高! と愉悦に浸る悪趣味さ! キモいわ~。


 俺は、怖気を感じて机の上で組んだ自分の腕に顔を埋める。


 そんな紙くずを胸に抱えて机に突っ伏す俺を見かねたのか「鷹岡君、どうだった?」なんて同情で声をかける同級生の高橋をキッと睨むと、彼は愛想笑いを残して集団の中に戻っていった。


「完全に出遅れたよな」


 八方塞がりで独り言を呟いているのに気付き、再度、自分の腕に顔を埋める。そして、誰にも聞こえないように肺の中の空気を絞り出して深いため息をつく。


 高校デビュー、失敗したな。名前の五十音順で配置された、教室の中心にある俺の机の半径二メートルを避けて、クラスメイト達の楽しそうな声が響く。残りのホーム・ルームは机に突っ伏したままで、高校での一日が終わった。


 家に帰ると、奥から「おかえり」と声がした。母さんが先に仕事から帰って来ていた。

 靴を脱いで玄関からダイニングに上がると、母さんがリビングから顔を出した。後ろからはマルチーズとダックスフントの雑種犬、ラテが尻尾を振りながら駆けてくる。

 母さんはラテを抱き上げ、ラテのクリーム色の毛を撫でながら黄色い声を出す。


「哲仁、学校早く終わったがやね。友達と遊ばんがけ」


 うるさいな。次の瞬間、俺を強烈な異臭が襲った。思わずえづく。

 ダイニングテーブルに無造作に置いてある犬用のチキンペースト缶が目に止まる。中身が半分減っており、空気に触れて乾いた生臭い臭いが鼻をつく。


「いや、中学生じゃないし、遊ばんよ。みんな家も遠いがやし」


 俺は生き物が苦手だ。半年前、婆ちゃんが亡くなってすぐに、母さんの独断で犬を飼い始めた。母さんに犬を飼いたいと相談されたときは反対したが、相談された次の日に、学校から帰るとラテがいた。

 俺の家は家族三人で住んでいる持ち家なので大家に反対されることはない。しかし、鷹岡家は婆ちゃんが死んでから掃除好きの人は絶滅し、次第に溜まっていく犬用品やら食べかけのペットフードの缶だらけになった。

 それらを見ていると、髪を掻きむしりたくなる衝動に駆られる。しかも、家の中は獣臭が充満しているので、えづいてしまって食べ物が喉を通らない。そのため、昼と夜の二食は、コンビニか外食で済ませていた。

 ちなみに、風呂もカビており、週に三回、衛生面から俺は近所の不動湯で湯浴みをしている。


「高校、楽しいけ?」

 母さんが何の気無しに聞く。俺はその笑顔が妙に苛立った。ラテは床に下りたそうに母さんの腕の中でもがいている。


「チキンの缶、食べさせ終わったらちゃんと掃除しとかんなん駄目やがいね」


 俺はそれだけ言って、母さんに顔も合わせず逃げるように廊下を歩いた。


「ゲームばっかりせんと、勉強しられよ」


 背中で母さんの忠告を受ける。「勉強しろ」それだけ言っていれば親の面目は保たれるとでも言うように、壊れたレコーダーのごとく毎日繰り返されるルーティン。ただ、聞いたふりをすればいい。俺は息を止めながら、自分の部屋がある二階にとぼとぼと上がった。


 俺の部屋は二階の奥にあり、手前の部屋には母の妹で同居中のカナチャンがいる。足音を聞きつけたのか、カナチャンが部屋の扉を開けた。部屋から漏れ出る油と埃が混じったような臭い。息を止めても微かに鼻を刺激するツンとした臭いから逃れるべく、カナちゃんに背を向ける。無遠慮に投げかけられるカナチャンの甲高く媚びたような「お帰り」の声に、俺の精神はゴリゴリと削られる。

 カナチャンの肩書は家事手伝いという名のニートだ。カナチャンが発する不健康な悪臭に辟易しながら頭を縦に振り、そそくさと自分の部屋に向かった。


 自分の部屋の前まで来ると、部屋のドアノブに手を掛け、回す。回して、扉を開け、身体がギリギリはいる隙間に体をねじ込み、すぐに扉を閉める。俺の部屋にカナチャンの臭いが入らないためだ。

 部屋に入ってすぐにベッドに体をなげうちたい欲望に抗いながら、まずはカバンを置き、服を脱ぎ、パンツとシャツだけになった。


 ぼうっとする意識の中、学校で親に見せるプリントをもらったことを思い出す。俺は、担ぐタイプのカバンから資料を引っ張り出す。今日貰ったプリント類は、広辞苑を優しくしたくらいの厚みがあった。中には破り捨てた英語以外のテストもある。こちらは六十点以上をキープしていたが、英語のテストを破ったことがバレないよう、併せて後で破っておこう。


 まあ、そんなことはどうでもいい。とりあえず、この中から目的のプリントを探さなければならない。俺は一旦、資料を置こうと机の上を見る。目には、雑然とした学習机の上に、俺が通う富岡第一高校の合格通知と、紙ペラ一枚が入った元志望校の不合格通知が映った。

 俺は、不本意の合格通知の上に、今日貰ったプリントを投げ捨てる様に置いた。

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