第39話 日本三大悪行事

 試合開始のゴングが鳴ってなお、会場は浮ついていた。

 俺は、会場の一人ひとりを見る。錆びた釘の強烈な残滓ざんしが、観客すべての脳内を侵食していた。


 俺は、中島を見る。中島が頷く。さあ中島、ディベート部の第二反駁で培った度胸で、この空気を払拭してくれ!


 ――一瞬の間。中島が、深く息を吸う音。会場が、始まらない試合に違和感を覚え、こちらを見る。


「会場の皆様、日本三大悪行事って知ってますか!」

 中島が声を張り上げる。突如放たれた謎のキラーワードに、会場全体の集中がこちらを向く。


「バレンタインデー、夏祭り、クリスマス」

 俺は、指折り、忌々しそうに言葉を紡ぐ。

「どれも、男女が思いを伝え、仲良くにはなるのは格好のイベントである」

 そう、俺たちが非モテである所以。虚しさを生み出す根源ともいえるそれらは俺たちの敵なのだ。憎々しげに、俺は会場の一人ひとりに語りかける。


 俺の説明に納得がいったのか、会場からは頷く同志や微笑ましげに笑うご婦人が見て取れる。


「そう、僕たちモテない高校生の豆腐メンタルにとっては日本三大悪行事は死活問題!」

 どうやら、中島も前に乗り出し、調子に乗ってきたようだ。


「そんな中、あまりにも絶望的な敵に独り、立ち向かう男がいた」

 俺は、中島に合わせて、アニメOPのナレーションのごとく、仰々しいセリフの読み上げを行う。

「――これは、愛と平和のために戦う、勇敢なある男の物語である」

 最終兵器リョウエイを発進させるためのお膳立てがここに整う。会場からは感嘆と拍手が聞こえる。


 さあ行け、リョウエイ、お前の真の姿を見せてやれ! 俺の言葉で、今まで鳴りを潜めていたリョウエイが、リングの中央に立ち、アメリカ大統領がスピーチをするかのごとく会場に向かって手を挙げる。

 観客は、一体何が起こるのだろうと固唾を飲んで見守っている!


「我の名はリョウエイ! 巷ではギャラクシートレインとして名を馳せている」

 出た、リョウエイだ! 一回戦で見たリョウエイのキャラクターを思い出したのか、会場全体から悲鳴が漏れる! そんなことは意に介さず、リョウエイはジョジョ立ちを決め、地獄の暴走機関車、ギャラクシートレインに憑依する。


「今日はバレンタインデー。常にモテる我は、女の子にいつチョコを渡されるか分からない。そのため、いつもより少しだけ早く登校するのだ。

 そう、学校までの道程は女の子に合わせていつもよりゆっくり歩く。かわいい女の子はエスコートしなければならないのだ!」


「おばあちゃんに優しい速度で歩くギャラクシートレイン。すれ違う新聞屋の奇異な視線」

 ここからが俺の仕事、俺はいわばナレーターであり、アシスト役だ。リョウエイの世界観、チョコを求める男子高校生が青春であるという、決勝戦のテーマとの合致を、分かりやすく観客に伝える橋渡しをするのと同時に、リョウエイが次に進む線路レールを敷く役目をする。

 迫真の俺のナレーションに、会場は段々と理解してきたようだ。今回の主人公はリョウエイだと。


 リョウエイが三秒くらいすり足をする。

「遅っ!」

 中島のツッコミ。観客が「何やってるんだこいつら」と鼻で笑う。


「学校到着。時刻は朝五時」

「早すぎだろ!」

 俺のナレーションにすぐさま中島のツッコミが重なる。

「学校は開いていない」

「いや、開いていないんかい!」

 俺のリードにリョウエイのパフォーマンス、それにかぶせて中島全身全霊のツッコミが光る。俺が敷いたレールをリョウエイが暴走する。そして、観客目線の中島のツッコミで俺たちの独特の世界観を会場全体に共有する。


 それが功を奏したのか、会場からは僅かながら笑いが増えていた。伝わっている。そんな感触があった。


「学校の玄関。登校した生徒が規則正しく内履きに履き替える」

「諸君、直接渡せない女子が、意中の男子にチョコを入れる場所をご存知だろうか」

 リョウエイが観客に問いかける。会場が見守る。

「そう、下駄箱だ」

 自信満々なリョウエイ。

「臭いだろ!」


「そんなことはない、野球部の臭い下駄箱とは違い、我の下駄箱はフローラルだ」

 中島のツッコミに向きになり、リョウエイは反論する。

「五十歩百歩だろ!」

 が、中島の怒涛のツッコミがハエたたきのようにリョウエイをはたき落とす。

「さて、中身は?」

 気を取り直し、リョウエイが下駄箱の中を漁る。

「入っていない」

「当たり前だろ!」


「うむ、どうやら女子は、靴箱の中にチョコを入れるなんて野暮なことはしないようだ」

 どこまでも自分を曲げないリョウエイ、流石だ。

「認識のクセがすごい!」

「さあ、女の子たちが待っている。教室へ行こう」

「ギャラクシートレインは期待を胸に教室に向かう」


「さて、机の中は?」

 リョウエイが何かを漁る動きをする。まるでゴキブリみたいだ。

「手を突っ込む。丸めた半年前のテスト、テスト、テスト、テスト! テストで机の中は一杯だ」


「ちなみに点数は赤点」

「勉強しろよ!」

 場外で繰り広げられる俺と中島の掛け合いにも会場はぽつぽつと笑ってくれている。


「何だと、机の中にチョコがないではないか!」

「妥当だよ!」

「そうか、分かったぞ?」

「何を?」

「机の中が一杯だから、女の子はチョコを入れられなかったんだな!」

「そこじゃないんだよ!」


「その後、放課後のチャイムまで待ったが、誰もギャラクシートレインにチョコを渡さない」

 俺が、悲しそうに読み上げる。

「乗車拒否だろ」

 中島がリョウエイを残酷に切り捨てる。しかし、ぼそりといったこの一言は、会場全体の空気を沸騰させる。

 会場の笑いが収まるまで、俺たちは数秒の休憩を挟んだ。


「ふむ、どうやら女子は、学生の本分を分かっている。学生は、勉強が仕事だ。ふふ、そんなまじめなところも我好みだ」


 そう言って、何かに得心したのか、リョウエイが手を叩く。


「おっと、ここでリョウエイ閃いた!」

「そうか、愛しのフィアンセは、俺を待っているのでは? こうしちゃいられない、早くお姫様の元へ赴かねば!」


「ギャラクシートレイン、走る! 宿直室!」

「宿直室ー!」

 俺の言葉に合わせて、リョウエイは叫びながら全力疾走する。


「体育館の裏!」

「体育館の裏ー!」


「屋上!」

「屋上ー!」


 走り疲れ、肩で息をするリョウエイ。数秒の間。


「――いない」

「いないんかい!」

 意外性と同情、そして、「でしょうね」が混じった笑いが、会場からリョウエイに注がれている。


「そうか、分かったぞ!」

 観客の常識を切り裂くように、リョウエイが叫ぶ。

「おお、ようやく分かったか!」

 中島の言葉に会場ともどもフィナーレに近づいてきたのだと安堵する。


「我のフィアンセは帰り道で待っているのではないか?」

 ここでもズレた発言をするリョウエイ。

「違うんだよ!」

 よく言った! そんな笑いが会場から聞こえた。この一瞬、会場全体が中島とシンクロしたような気がした。


「ふふふ、愛い奴め。今いくよ! 待っててね!」

 一心不乱に駆け出すリョウエイ。


「そして、家に帰ってもらえたのは、お母さんからのチョコ一個だった」

 そう言い切り、俺は会場を見渡す。集中しすぎて、俺たち以外の声が消えていたが、過集中ゾーンから覚醒したことで、会場隅々から笑いと声援が聞こえるようになった。観客の笑顔が目に映る。ポエムのキリもいい。練習でも、発表時間ギリギリだったので、もうそろそろ三分経つはずだ。


 そうか、もうこれで、俺たちの大会は終わるんだ――。最後のナレーションを終えて、俺は安堵のため息をつく。

 それと同時に、胸に、寂しい思いが込み上げる――。


 俺は、顔を伏せる。


 ――鷹岡、お前は、これで本当にやりきったか?


 誰かの声が聞こえた。はっとして、俺は顔を前に向ける。


「――夏祭り!」

 隣で、間髪入れずに、中島が叫ぶ。中島はこちらを見て、嬉しそうに笑った。リョウエイも、次の発表に向けて、臨戦態勢をとる。

「もっと、やろうぜ!」

 そう聞こえた。

 

 ああ、そうだったな。祭りはこれからだ。

 俺は、マイクを握りなおした。審査員たちは、驚きと困惑の混じった顔を一瞬浮かべたが、「しょうがないやつらだ」と、大きく頷いた。


 ――終了のゴングはまだ鳴らない。

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