第26話 もう一度、立てるなら

「あのさ、中島って何で俺たちと一緒に全国来てくれるの?」


 全国大会まで、一週間を切った。冷たい風が、廊下の窓ガラスを叩く。始業前のチャイムに急かされた女子のスカートがひらりと舞う。俺たちは、その奥にある光を追い求め、必死に手を伸ばす。もうちょい、うえ。


「誘っといてなんだけど、ディベートと医学部の勉強で忙しいんだろ」


 本当だよ。中島の苦笑いが朝の廊下に響く。吹き抜けの階段を通して降り注ぐ弱々しい朝日が彼の横顔を照らす。


「まあ、勉強ばかりもあれだし、息抜きもいいかなって思っただけだよ」


「それが中島のバイタリティよ!」


 リョウエイの得意顔。彼の細まった二重が、一人の女子が横切るのに合わせて視線を滑らかに移動させた。


 リョウエイはシャッターチャンスとばかりに両手の人差し指と親指でフレームを作り、女子の後ろ姿をパシャリ。俺と中島は体をくねくねさせながら見えるか見えないかギリギリのラインを攻めている。


「ふうん。リョウエイは? リョウエイだって合唱部忙しいんだろ?」


「合唱部はいいんだよ。顧問のババアが煩いしな。それにだ」


 リョウエイはニンマリと笑った後、表情筋を縦横無尽に揺すった。鼻が膨らみ、眼には自然と力が入っている。


「俺は、だって、全国大会の審査員見たか? サンプラザ中野さんとか芸能人が来るんだぜ!」


 リョウエイが興奮して大声でまくしたてる。リョウエイのつばが飛んできたので俺は顔をしかめる。何故か必要以上に詰めてくるこいつから距離を置こうと思った。


「嬉しそうだね」


 中島が生暖かな横眼で見てくる。


「絶対サインもらうわ」


 リョウエイの鼻息が荒い。


「俗っぽいな」


 素直な感想。


「さすがリョウエイ!」


 煽る中島。


「何でだよ!」


 リョウエイはいつものニヤケ顔で、「お前らは楽しみじゃないのかよ。いや、楽しみに違いない」などと反語を用いてブツブツ言っている。それを横目に、中島は俺に視線を移す。


「そういえば、アキのがまだだったな」


 リョウエイが思い出したように眉を上げる。


「アキは何でそこまで一生懸命になれるの?」


 中島が苦笑しながら聞く。


「一生懸命かな」


「僕に頭下げたじゃん」


 確かに、中島が全国大会に出ないと聞いたときは焦った。何故か、この三人でないと駄目だという予感があった。

 だが、俺が二人を呼び止めてまで全国大会に行きたかった理由ってなんだ? 何で、俺はここまで必死なんだ? 数秒の沈黙。二人の視線。唇が、ある一つの結論を紡ぐ。


「そうか、変わりたかったんだ」


   ◇


「厨時代って何なの?」


 サンプラザ中野さんからもらった問に、俺は答えられなかった。


「俺たちは、いや、俺はそもそも何者なのか」


 全国大会に出て、一回戦が終わった今でも分からない。

 変わりたい。いや、この全国大会に出れば、なにかが変わるかもしれないと思っていた自分は、他の発表者どころか、自分自身の声すら聞けてはいなかった。

 何故変わりたいのか。何を表現したいのか。その答えを出すには時間が足りなかった。結局、俺は何もつかめず、ただ、せっかくもらった全国への切符をただ浪費しただけで終わった。


「変われると思ったんだけどな」


 残ったのは茫漠な空回りした欲求と、変わらない現実。その狭間に放った負け犬の言霊が虚しく空を漂う。


「――」


 誰?


「アキ!」


 横を見ると、中島とリョウエイが、興奮した顔で俺の肩を叩いている。

 前を向く。観客席で巻き起こる、拍手喝采。


「敗者復活を果たしたのは! 厨時代!」


 それが、俺が耳元で聞いた言葉だった。訳が分からなかったが、何度かその言葉を咀嚼するにつれ、運命は、俺たちにもう一度扉を開く権利をくれたのだと知った。

 会場は、拍手に包まれ、一回戦で負けた他のチームも納得の表情でこちらを見ている。

 檜山先生は観客席で広角を上げてニヒルに笑った。


「そうか、頑張って。って、そういうことか」


 なにか熱いものが伝った。こんなのは、初めてだったから。


「どうやら、神は俺たちを見放していないらしい」


 リョウエイが得意げに笑う。


「そうだな。持ってる。俺たちは、持ちし者だ」


 中島が俺の背中を力強く叩く。


「ああ」


 変われるかもしれない。そう思った。


 もう一度、立てるなら。

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