第6話 高校生の本分

「アキ、聞いたか? 八月の合宿で詩のボクシングってのをやるらしいぞ」


 七月。窓の外では蝉の鳴き声がかすかに聞こえる。照りつける日差しの中、野球部がランニングでもしているのだろう。アブラゼミの合唱の中に、規則的に低い男声の掛け声が交じる。


「詩のボクシング? 殴り合うの?」


 部室である情報処理室に集まったディベート部の面々は、今年の論題である『日本は道州制を導入すべきである。是か非か』の立論を整理し、敗因となった論拠不足の部分を再度補足していた。俺は、詩のボクシングという聞き慣れない単語を発した内山に、印刷したネットニュースのコピーを渡す。


「違うって、ポエムだよ、ポエム。特別進学とくしんクラス合同での一対一のポエムバトル。皆の前でポエムを発表して、それを周りの観客が評価するんだってさ」


 外は炎天下とのことだが、ディベート部は空調が効いた部屋での活動なので快適この上ない。しかし、冷房が古いらしく少し埃臭いが致し方ないだろう。

 俺の頭の中に内山の言ったポエムバトルをしている二人の少女が浮かんだ。左手に花があしらわれたノートを持ちながら、もう一方の手で相手を殴っている。そして、勝った方は右手をレフェリーに高くあげられながら、劇画調の顔で我が生涯に一片の悔い無しという顔をしている。負けた方はリングの隅で真っ白になって灰になり、力尽きていた。


「そういえば。この前、平井のやつに土下座させられたわ」


 自分の妄想に吹き出しながら、話を振ると、ディベート部の皆が驚いた顔でこちらを見る。皆の表情筋が一瞬のうちに動き回るさまを見るのは大変愉快だ。


「え、アキ、何したん? マジウケる」


 内山が手を叩いて笑う。その他の部員は何も言わずに聞き耳を立てている。鎌田は、細い目を凝らして虚空を見つめている。内山が鎌田に「寝るな」と言うと、鎌田は一瞬体を痙攣させた後、「ふが?」と返事をした。どうやら寝ていたようだ。


「いやさ、ジャバラバやらなかったのよ。一枚も」


 俺がそう言うと、中島が当たり前だろという顔をする。中島はディベート部地区予選で第二反駁を任されていた。というのも、総当たりで三戦行った結果、四戦目を戦わずして予選敗退が決定したため、四戦目は試合の要である第二反駁のポジションが、来年以降の強化として一年生に充てられたのだった。


 ディベートは立論、質疑、第一反駁、第二反駁の四つの役割をそれぞれ一人ずつ担当する。そのため試合を行うには各チーム四人必要なのだが、二年生が三人しかいないため、普段は負担が少ない質疑を一年生に充てがっていた。

 中島が第二反駁に選ばれた理由は二つ。声が大きいことと、堂々としていることだ。どれだけ理論が筋道立っていても、はっきりと自分の意見を主張出来なければ、説得力は生まれないのだ。


「マジか~。まあ、俺もやってないけど」


 内山が椅子の背もたれに体重をかけて座っている。倒れそうで倒れないバランス感覚を持っているのが内山の特徴だった。


「そもそも、ジャバラバって非効率的じゃね? 俺、赤点ギリギリセーフ。四十いくかどうかだったわ」


 内山はそう言いながら椅子の背もたれに自重をかけ、自分の限界に挑戦していた。しかし、二年生からたしなめられ、内山は素直に椅子を元に戻した。


「そんなん、生徒がやりたくないものを強制しても身につかんがやちが!」


 俺たちの会話に、腕と足を組みながら椅子に深く座っていた檜山先生が発言した。

 檜山先生は生徒の自主性に任せるというスタンスで授業を行っている。先日おこなった檜山先生が担当する古文・漢文の授業では、黒ひげ危機一発で当たりを引いた生徒に先生役を任せ、自分は後ろから先生役の生徒をサポートする授業を行った。多少のグダ付きはあったが、事前に先生役になるかもしれないと聞かされていた生徒たちは家で予習してきたのか、生徒側であっても先生役の授業にツッコみながら楽しく授業していた。


「ジャバラバやっても平井のテスト、ムズすぎるから。平均点五十いかないんでしょ? 最高でも確か六十だから頭おかしいんだって」


 内山が檜山先生に追従するように平井を非難する。


「わざとテストを難しくして、課題で足りない点数を補填させる。そんな罰みたいな勉強駄目やって。鷹岡の土下座にしたってそう。その時は頭を下げても、心の中では反省してないがやから。意味ないがやちゃ」


 檜山先生の言葉が胸にしみた。俺がジャバラバをやらないことでクラスメイトたちにも連帯責任として追加のジャバラバが足されていた。そのため、以前よりも俺と一年二組の間に分厚い壁があるような気がしていた。


 心のどこかではジャバラバをすれば助かるという気持ちはある。だけれども、一方で、それは何か違うなと思ってしまう自分がいる。それは、点数に操られている周りのクラスメイトを見ていると余計にそう思う。まあ、高校生は受験でいい点数をとっていい大学にいくものなのだろう。だが、それでいいんだろうか。何も考えず、一つの手段をただ言われるままにこなしていくことが本当にいいことなのだろうか。


 俺の考えは、おそらく一笑に付される程度の戯言にしか過ぎないのだろう。親も、勉強しなさいとしか言わない。勉強をすればいい大学に入れて、いい生活を送れる。本当にそうなのだろうか。


 それじゃあ、特進コース以外の進学コースの連中は? 一高の、養護コースや体育コース、情報処理コースの連中はこの先一生つまらない生活を歩まなければならないのだろうか。そんなの可笑しいじゃないか。


 俺には、まだ何が正しいのか分からなかった。

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