第5話 出された課題は紙ヒコーキにして昼休みに飛ばす
その日は俺にとって悪夢の始まりだった。
「はい、皆さん見てー! 今日から毎授業ごとに宿題を出します!」
教室の窓ガラスに雨が叩きつける六月。俺が入学してから今まで、俺の携帯電話の電話帳は母さん以外増えていない。俺は、英語の授業中は携帯電話をいじりながら時間をつぶすことに決めていた。教壇では女性英語教諭で一年二組の担任でもある平井が語気の強い口調で俺たちに宣言した。
「これからは英単語を覚えるために、この縦三十六列、横七列の長方形のマス紙に英単語とその日本語訳を書いてもらいます」
そう言うと平井は、俺達の前にマス目がびっしり書かれた一枚のA3の紙を取り出した。卓上には、おそらく今見せている紙と同じものが三センチほどの厚みを持って積まれている。
「どうやって使うんですか?」
クラスが宿題と聞いてざわつく中、優等生の高橋が手を挙げる。窓の外では雨足が早くなった。
「お、高橋、良い質問。まずはこの左端の縦一列に、覚えたい英単語を三十六個書いてもらいます。続いて、その隣の列に今書いた英単語の日本語訳を書く。こうして三十六個分の英単語を訳した後、左端の英単語の列を折って隠し、今度は日本語訳を見ながら英単語を書く……」
平井は手に持ったA3の紙を、端だけ飛び出た不均等に折る。
「こうやってジャバラを折りながら英単語のテストを繰り返していく。このシートをジャバラバと言います」
何でも、理屈の上では人間の覚えられる最大の数が七つということで、マジカルナンバーと呼ばれているらしいが、その理論を踏襲し、このジャバラバを考案したのだとか。権威を着るのは大変よろしいことだが、俺は中央大卒の教師らしいいかにも理屈っぽい素敵な発明だと思った。
「皆さんには毎授業新しいジャバラバを渡すので、このジャバラバを宿題として、次の授業までにやってきてもらいます」
その一言に、教室中から大きな溜息や愚痴が漏れる。それを遮るように平井が続ける。
「もちろん、皆さんもジャバラバだけではちゃんと英単語を覚えられたのか不安になる人もいると思うので、これからは授業の最初に毎回単語テストをして英単語がちゃんと覚えられているかどうか確認します」
サッカー部とアメフト部の連中が「ふざけんなよ」を連呼する。その様子を意に介さず、平井がさらに続ける。
「問題を出すのはこのターゲット単語帳の中から、毎回私が指定した三十六単語をジャバラバで予習してもらって、そのうち十個、ピックアップしてテストに出します」
クラス全体が教師の理不尽に怒りを通り越して諦めに変わる。その様子を見た平井がニヤリと湿った笑いを浮かべる。
「ちなみに単語テストで全部覚えられていて満点が取れたら、各単語テストごとに中間テストでプラス一点追加します」
その言葉を聞いた瞬間、皆の血液が沸騰し、教室から歓声が上がる。
「ただし!」
平井の制する声に教室が静まり返る。
「もし単語テストの正解数が五問以下の場合、ペナルティとして予習のジャバラバをプラス一、します!」
携帯電話を弄るのにも飽き、机に突っ伏していた俺と平井の目が合う。その瞬間、平井の厚化粧した目元が若干歪んだような気がした。しかし、気の所為だったのか、平井はすぐに最前列の生徒に、ジャバラバを一人一枚ずつ取りながら後ろまで回すよう指示をした。
その後、各自一枚ずつ配布されたジャバラバだったが、俺のジャバラバはもらった瞬間、紙ヒコーキへと姿を変え、休み時間の空へとゆっくりと飛んでいった。
昼休みの鐘が鳴る。平井が教室を出た瞬間、皆の顔がほころんだ。
今日も一年二組は俺の周り以外が賑やかだ。
俺は、いじられることの何がいいのかわからない。そもそも、自尊心を傷つけてまで交友を保つ理由などわからない。尊厳を崩された人間は、本当に人間たり得るのか。俺は、己を
松里は運動部の連中に連れられて食堂に行った。
気を取り直し、俺はいつもどおり携帯に繋げたSONYのイヤフォンから流れるファンモンの『ヒーロー』を聞きながら机の上で組んだ腕に顔を埋める。
その後も、優等生たちはジャバラバをし、松里はいつも通りクラスメイトのいじりに「やめろよぉ」と嬉しそうに言い、俺は教室の中心で寝ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます