第38話 新たな時代を始めよう

「おい、まじか。何このライブ感。僕たち、こんな空気の中、戦うのか。完全にアウェーじゃん」


 錆びた釘の発表が終わり、会場は温かい拍手に包まれていた。

 中島は奴らに甘酸っぱすぎる青春をこれでもかと見せつけられ、膝を折った。体の震えが控えの椅子に伝わり、カタカタ鳴る。


「コホー、コホー、ウラ、ウラヤマシイ。オレ、アイツ、クウ!」

 リョウエイにいたっては顔面が般若の面になっており、目は血走り、指をクロスさせ呪詛を呟いている。まるで悪鬼だ。


「まあ、二人とも、落ち着け、冷静になれ」

 大会の決勝で告白するなんて、うらやま……けしからん事をしてくれよってからに。たかが目の前でカップルが誕生する光景を見せられたくらいで、ルサンチマンから激高するのは、あまりにも大人気ないだろう。俺はあくまでも紳士的に余裕を見せている。


「アキも大概だよ。歯食いしばりすぎて血が出てるじゃん」

 中島に指摘され、口元を拭うと、唾液に混じって赤い筋が数本走っていた。危ない危ない。もう少しで奥歯を噛み砕くところだった。

 まあ、無理もない。俺たち三人は彼女が出来た試しがないので、あの青春野郎たちに対する憎悪で髪が逆立っているのだ。


「『声と言葉の青春』――か。何だか僕たち、完璧に否定された気持ちになるな。お手上げだよ。何も話すことなんかない」

 中島が珍しく弱気なことをいう。


「オレ、オンナノコ、イナイ。オレタチ、セイシュン、ナイ――」

 先程の威勢とは嘘のように、リョウエイが萎びている。


 ――俺たちは、本当にここで終わってしまうのだろうか。声と言葉の青春。確かに、俺も彼女がほしい――じゃなくて、彼女がいない俺たちは青春を語る資格は無いのだろうか。

 いや、そんなことはないはずだ。青春の定義は『季節の春を指す言葉である。転じて、生涯において若く元気な時代、主に青年時代を指す言葉(Wikipediaより引用)』だ!


 つまり、彼女の存在は青春の一部であり、青春の全てではない。つまり、俺たちの中で、青春を再定義すれば――。


「そうか――。二人とも、大丈夫だ。見えたぜ。勝ちの芽がな」

 俺の言葉に、二人はこちらを向く。


「何だアキ、気休めは止せ」

 中島が力なく言う。


「オンナノコ、オンナノコ、ノコノコキノコ――」

 リョウエイが腕を卑猥に動かしているのを中島が制止する。


「これだよ」

 俺は、学生服のポケットからルーズリーフの一片を取り出した。


「めっちゃグシャグシャやん!」

 中島がツッコむ。


「いいだろ、そこは」

 鞄とか制服に入れたプリントって、いつの間にか、クシャクシャになるよね。


「結局俺たちの原点は、ここにあるんじゃないのか」

 それは、そのルーズリーフはウミガメとの戦いで詠むはずだった一篇の詩だった。


「その――紙は!」

 リョウエイが目を見開く。


「日本三大悪行事一つ、バレンタインデーの詩だ」


   ◇


 全国大会が始まる一週間前、俺たちは、週一の定例になった、一高の階段下での星座の鑑賞会に興じていた。


「日本三大悪行事って知ってる?」


「何だよ、それ」

 中島が鼻で笑う。


「一年の中で、カップルがイチャイチャするイベントだ。日本三大悪行事という通過儀礼を通すことで、二人の絆はより強固に、熱く燃えたぎってしまうのだ」


「クリスマス。バレンタインデー。そして……、他に、恋人がラブラブになるイベントって何があったっけ」

 目の前を、始業ギリギリで遅刻しそうなカップルが駆けていく。どちらも、大きめのエナメルバッグにお揃いのミッキーとミニーのキーホルダーをつけている。どうやら野球部と女子バドミントン部みたいだ。透けたバッグからグローブとバドミントンの羽が見えている。


「夏祭りとかどう?」

 中島が女子の健康的な足を覗き込みながらそう言った。

「二人、浴衣を着て、庄川沿いの道を花火見ながら歩くのか」

 朝の冴えた頭で妄想してみる。俺の隣を歩くクラスの女子。誰にしようか、迷うな。

「そんで、屋台でりんごあめ買って、射的で彼女にかっこいい姿見せるんだ。彼女の上気した顔、光る汗、橋の下の暗闇」

 中島、今日は妙に語るなあ。

「後は分かるな?」

 中島の拳が固く握りしめられる。俺は、それに合わせてサムズ・アップする。

「お前ら本当に馬鹿だなあ」

「リョウエイに言われたくない」

 俺は星を見上げてすぐさま反論する。

「まったくだ」

 中島がリョウエイの背中を叩いた。そして、いつもどおりのじゃれ合いが始まる。


   ◇


 興奮した会場が段々と冷め、錆びた釘が、リングから降りてくるのが見える。

「思い出したか?」

「あれをやるの?」

「決勝戦にもなって何で?」

 二人は合点がいかないと言った顔をする。


「この詩が、俺たちの日常だから。この詩が、厨時代そのものだから、そう信じているから」

 俺は、語り始める。


「俺、中島と、リョウエイと厨時代を組むまで、ずっと独りだったんだよ。孤独で、ここだっていう居場所がなかったんだ。勉強もできないし、本当に、孤高なる影、ロンリーファントムって感じ」


 二人は、静かに俺の話を聞いてくれている。


「でもさ、声と言葉のボクシングを通じて、この大会を通じて自分の気持ちを声に出すうちにさ、気づいたんだ。俺たちは、色んな人に応援されて、ここにいるんだって」


 俺は、笑った。


「バレンタインデーの詩も、厨二病の詩もさ、檜山先生とか、この会場のみんながさ、くだらねえって笑ってくれたんだ。俺たちのキャラクター、日常がみんなの心を動かしたんだぜ。最後はさ、俺たちの全力の輝きを魅せて、みんなに笑ってもらいたい」


 ――そういえば、夏合宿で俺が叫んだ詩も、みんな温かい拍手で迎え入れてくれたっけ。

 俺の言葉に中島とリョウエイは、神妙な顔つきをしている。やれやれ湿っぽくなっちまった、


「どう? リョウエイ。輝いてる?」

 俺は、湿った空気を何とかしようと、リョウエイにフる。

「ああ、この上なくな」

 さすがリョウエイ。こんな時でもユーモアのある返しをしてくれる。裏切らないな。

「顔の油だろそれ」

 中島も、機転の利いたツッコミが冴えている。

「うるせーよ」

 三人の漫談で、場が温まった。


「それじゃあ、バレンタインデーを詠むんだな。確かにクオリティは高かったけど」

 バレンタインデーは、全国大会用に作ってきた詩だ。

 元々、日本三大悪行事三種類の詩を作ったが、一番観客の反応が良かったバレンタインデーだけ残し、持ってきた。観客はもちろんディベート部の面々だ。

 中島とリョウエイは安堵して表情が緩む。


「いや?」

 俺はそう言って、おもむろに紙を半折にした。そして、二人に見とけと合図する。


「折りたたむじゃろ?」

 二つ折り、四つ折りにした。

「そして、これを、こう」

 二人が不思議そうに見つめる。


 俺はルーズリーフを思いっきり千切り、中の文字が判別できないほど細かくなったそれを二人の頭に投げた。詩だったものは、桜吹雪のように宙に舞った。


「貴方、何してはりますのん?」

 リョウエイの目がキマっている。怖い。


「こいつ、破りやがったぞ」

 ここまでドスの利いた中島の声は聞いたことがない。当然だ。折角決まった方針を直前で反故にしたのだ。後は千人の観衆の前で三分間棒立ちという拷問を耐えねばならない。


 二人が俺の襟元を持って揺さぶる。やれやれ、困ったものだ。妙な達成感と緊張のスリルで笑みが溢れる。


「待て、あんなのは駄目だ」

「じゃあ、どうするんだ!?」

 中島の揺さぶりが止まった瞬間、俺は言葉を続ける。

「日本三大悪行事、全部やる!」

 二人の目が点になる。

「バレンタインデー以外の詩は?」

「部室で作った詩と、錆びた釘の甘酸っぱさを混ぜて、再構築する。主役はリョウエイ」


「おお」

 リョウエイが任せておけと得意げな顔をする。


「バレンタインデーで告白された男が、夏祭りで女の子と仲良くなり、クリスマスで結ばれるというストーリー――」


「いいじゃん!」

 リョウエイがいやらしい顔をする。


「――を、夢見た男子高校生が、どこかで待っているはずの彼女(予定)を求めて駆けずり回る話」

「なんでやねん」

 リョウエイが全力のツッコミ。俺のみぞおちにクリーンヒット。俺はくずおれた。

 中島に至っては過呼吸で死にそうだ。


「でも、楽しそうだろ?」

 息も絶え絶えに、俺たちは笑った。


「いいか、これも青春だ。俺たちは尾崎豊だ。盗んだバイクで走り出す十五の夜だ。俺たち厨時代をみんなに魅せつけてやるんだ。それよりほら、始まるぞ」

 レフェリーが俺たちの名前を呼ぶ。


 リングの中央へ行き、俺たち三人は肩を組んだ。

「立ち上がれ青春!」


「「「おう!」」」


「始めよう厨時代!」


「「「おう!」」」


「勝って、帰りまでの空き時間に秋葉のメイド喫茶に行くぞ!」


「「「おう!」」」


 ――試合開始のゴングが鳴る。

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