第35話 サヨナラとコレカラ
勉強も出来ない俺には、帰る場所も何もない。そんな感情は、高校に入ってから、いや、ばあちゃんが亡くなってから、ずっと心のなかに居座っていた。俺の人生は、どうにもならない倦怠感に包まれている。
それは今までの
怖いな。畜生、もう壊れるものは無いはずなのに、壊れる怖さを思い出してしまった。人生が壊れる瞬間は、大いなる力で濁流に飲まれるように、酷く無力に流されるだけだ。
一筋の光に縋るように、この声と言葉のボクシングに出てはみたけれど、俺にはもう何も残っていないし、何を言えばいいか分からないから。ここまでこれるとは思っていなかったから、用意した詩ももう無いし。
「これが、終わったら、元の生活に逆戻りか」
乾いた笑いが出た。そんな俺に何も言わず、レフェリーが俺にマイクを手渡す。その瞬間、俺の両肩を誰かが叩いた。中島とリョウエイだった。畜生、そんな目で見るなよ。こうなってしまっては、もう逃げられない。
くそ、こうなりゃ自棄だ。そう思うと、惨めな自分にふつふつと怒りが湧いてくる。いわゆる逆ギレってやつ。それでも、不思議とマイクに力が籠もる。
目の前には、千人の観客がいる。あたりを見回すと、会場のすべての人と目が合う。こんなときなのに何故だか、俺はくっきりとした輪郭で二千の瞳を見つめていた。一瞬の間。腹に込める力。
俺は、声を放つ――。
「この会場の、すべての人へ。あなたに許せない過去はあるか!」
「俺には、ある! 返せないくらい恩義がある、だけど引き返せないぜばあちゃん不孝!」
――今から俺が口に出すのは詩なんていうまとまった綺麗なものじゃない。
「俺のばあちゃん、去年亡くなった。首の癌だった。末期の癌。痛みで動けん! 痛くて暴れて、病院では引き取れん。自宅療養。横にならないと苦しくて寝られず、三十分ごとに向きを変える必要! だから、介護が必要だった。でも頼れる人がいなかった。家には母さんと、俺の二人しかいなかった」
――それは、伝わってほしいというささやかな祈り。俺一人ではどうしようも出来ないから、ただ誰かに近くで話を聞いてほしいという、俺のわがまま。
「介護から逃げた俺! 母さんは介護疲れで狂った! 家がめちゃくちゃになった。死のうと思った! 耳に残る「痛い」。ばあちゃんの遺体。無力で卑怯な自分。許せる時分?」
「こんな自分に誰がした! 一人で抱えるには重すぎる贖罪!」
――どうすればいい。これから……!
「鷹岡、一人でよく頑張った! もし俺だったら生きていけなかった!」
その言葉で、俺は暗い水底から少しだけ水面に顔を出せた気がした。隣で中島が叫んでいる。お前、ラップなんて打ったこと無いだろ、そんなボロボロのラップで無茶しやがって。
「そうだぜ鷹岡お前乗り越えた。辛かった道でも過去も大事、でも現実見据えて今生きる俺たち!」
リョウエイがDJよろしくエア・ディスクに指を添えながらラップを打つ。あれ、リョウエイの美声も相まってこっちは割と上手い……。
「則天去私って、挫折を知って、生きる道知る生まれる自信と上がる自分自身」
ノッてきたのか中島とリョウエイが全力で叫ぶ。
◇
――僕たち三人が厨時代になってから、僕とリョウエイは檜山先生に呼び出されていた。
「檜山先生、話ってなんですか」
「おお、二人とも来たか。――鷹岡は?」
地区大会で負けてから、ディベート部の活動も比較的少なかったし、アキはいつも通り誰といるでもなく、一人でさっさと帰ってしまったようだった。僕は首を横に振る。
「そうか、すまないな。中島、リョウエイ集まってくれて」
「それで、俺に何のようです?」
リョウエイがジョジョ立ちをする。最近、ジョジョの奇妙な冒険を見てハマっているようだ。若干時代がずれたミーハー気質のあるところがさすがリョウエイだなと思った。それを見て、いじられキャラのくせに高飛車に出てきたリョウエイの腹を、檜山先生は嬉しそうに突く。アフンという嬌声とともにリョウエイはのたうち回った。
「お願い、というか、鷹岡についてなんだが、今後、一緒に活動するお前らには伝えといたほうがいいと思ったがやちゃ」
……その時だった。僕たちが初めて鷹岡の家庭事情について聞いたのは。
「全国大会用の詩、鷹岡に書かせてやってくれんけ」
「いいですけど、何でまた」
「二人は、何で全国大会に出ようと思ってくれたがけ」
「俺は、サンプラザ中野さんに会いたいからです!」
「僕は、勉強の息抜きというか、折角チャンスをもらえたんだからって感じですけど」
「鷹岡はさ、言葉にはしとらんけど、この全国大会に賭けてるところがあるがやちゃ。私には分かる」
檜山先生が得意そうに笑う。そういえば、アキにはどこか余裕がない危うさを感じることがある。自棄というか、破滅的と言うか。勉強にしたって、どこか諦めてしまっている気がする。
「鷹岡の笑ってる顔見たことあるか。いつも、仏頂面で何考えてるか分からんやろ。だけどさ、ドラゴンスレイヤーの詩を作ったときの顔見たか、楽しそうに笑うんだよ」
檜山先生は情報処理室の椅子の上で、足を組み直す。
「私は、この全国大会を通じて、鷹岡だけじゃなく、みんなででっかくなって帰ってきてほしいと思うがやちゃ」
「あいつには居場所がないし、作り方も下手。そう思い込んでいる。本当はそんなことないがやけど。だから、詩を書かせる役割をあげなきゃならない。その点、お前たちは人との関わり方を知っているからサポート役を任せられる。三人で厨時代ながやちゃ。中島、リョウエイ。――不器用な鷹岡を、助けてやってくれ」
「分かりました。任せてください」
リョウエイが胸を張ってそう言う。僕も続いて頷いた。
「それにしても、檜山先生、アキのこと担任じゃないのによく知ってますね」
僕が聞くと、檜山先生は笑った。
「この話は平井先生からきたがいぜ、意外やろ? 内緒やよ」
◇
――俺たちがこのステージに立って、分かったことがある。
「あなたに後悔はないか。何もかも無くなって、絶望していないか。そんな自分を許せはしないか」
「俺たちは過去の自分を許せるほど強くないんだ」
――誰かが隣にいてくれる。それに気付けるだけで俺は前に進めるのだと。
「それでも必死で今日を生きたいんだ」
「結局の所、自分を救うのは自分自身なんだ」
――忘れていただけなんだ。怖い過去をみないように、目をつむっていただけなんだ。俺にもあったじゃないか、居場所が。
「何もなくていい。だって今があるから。だから俺は一歩踏み出すんだ」
――やっと自分を許すことが出来た気がする。ありがとう、厨時代。
「ありがとう! みんな!」
五本の指を天に挙げる。空気が震える。観客の歓声。労いの拍手。暖かい光が俺たちを包む。ああ、世界はこんなに優しいのか。
――終了のゴングが鳴る。
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