第25話 何者でもない

「勝者――!」


興奮した会場。ざわめきに負けじとレフェリーが叫ぶ。肌を焼く光が降り注ぐ。こめかみを伝う汗。高く掲げられた三人のガッツポーズ。


錆びた釘ラスティッドネイル!」


 そっちかい! 会場全体が震える。ねぎらいの拍手。しかし俺には、耳元をしつこく追いすがる蝿の雑音にしか聞こえなかった。


 満面の笑みで観客に答える彼らが眩しい。中島に舞台袖に捌けるよう促されるまで、俺は虚空を見つめ、ただ呆然とリングに突っ立っていた。まるで、俺の試合はまだ終わっていないのだとでも言うかのように。


「厨時代って、何者?」


 リングから降りる俺の耳に、確かにそう声が聞こえた。足を止める。振り返ると、サンプラザ中野さんがマイク片手に身を乗り出している。芸能人は素人に対して残酷なんだな。俺たちは、今、何者でも無くなったのに。


「君たちって、どこを目指しているの?」


 レフェリーが中島にマイクを渡す。中島は、困った顔をして俺にマイクを渡す。俺はリョウエイの顔を見ると、なにか喋れと顔で合図された。


 目指すべきどころ。考えたこともなかった。俺たちは、何を伝えたくて、何を目指してここに立っているのだろう。考える。数瞬の沈黙。会場は、この珍妙な三人が何を言うのかと固唾を呑んで見ている。


「分かりません」


 会場全体がずっこける音がする。観客席からくすくすと笑い声が漏れる。

 笑われて当然だ。何者でもない田舎の人間が、スターたちと一緒の舞台に立っているのだから。冷やかしだと思われただろうか。


「僕たち、馬鹿なんですよ」


 中島が俺からマイクを奪い取り、そう言う。リョウエイは何やら変なポーズを取っている。審査員たちの苦笑。


「厨時代、面白いよね」


 欺瞞だ。面白いなら、あなたたちに俺たちの言葉が届いたなら、次へ進ませてくれよ。俺たちにもっと暴れさせてくれよ。


「ありがとうございます」


 俺は、このとき、どんな顔をしていたんだろうか。リョウエイは芸能人に声をかけられただけで心底ご満悦のようだ。もはや、負けたことなど頭の中にないように。


「頑張って」


 サンプラザ中野さんが親指を立てる。

 頑張れって、俺たちには次なんてないんだぞ。その言葉は、俺たちを倒したあいつらに言えよ。俺は、厨時代を否定された悔しさと、次に進める彼らへの嫉妬で、その言葉の意味が分からなかった。


「暗いな」


 熱く光るスポットライトの下、舞台袖にはけていく勝者の背中を見つめながら、俺は影の中に身を委ねた。


「檜山先生、すごいですね。厨時代。うちも、元々は厨二病を前に押し出したんですが、あそこまで吹っ切れることはできませんでした」


「ありがとうございます。横前先生。あなたの生徒さんたち、錆びた釘も青春感があっていいですね。うちの生徒たちも大変勉強になったと思います。帰ったらまた――」


「いやいや、檜山先生。諦めるのはまだ早いですよ。まだ、敗者復活戦がありますからね。見た限り、審査員に声をかけられたのはお宅の生徒だけでした。必ず登ってきますよ。彼らは」


「……そうですね。あいつらはアホだからな。中島は医者になる勉強の暇に参加してくれているし、松里も体を張ってくれているし、鷹岡も、自分なりに壁を何とか乗り越えようとしているし、みんな頑張っとるがやちゃ」


 檜山先生はメガネを外して、両手で顔を拭った。

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