第28話 ウミガメの唄
――試合開始のゴングが鳴る。
「あるところに、メジナの群れがいました」
まだ幼さの残る、高く、憂いを帯びた鈴の音のような声が凛と鳴る。
チームウミガメの三人のうち、一番背の低い、水色のカーディガンを羽織った
「その中の一匹は、やけに弱々しく、背びれもぼろぼろでした」
化粧もまだ覚えていないような少女が、それでも凛々しく、精悍な顔つきで言葉を紡いでいる。桜色のワンピースを着た娘のおさげが揺れる。
「ある日、仲間の一人が弱いメジナをつつきました」
三人目は男の子だ。変声期を迎える前のやんちゃさの残る声で、ゆっくりと、静かな口調で話す。
「周りのメジナがそれを見ると、習うように、寄ってたかって一匹のメジナをイジメ始めました」
「やめてよ!」
「ぼろぼろのメジナは、更にぼろぼろになりながらも、仲間だったメジナたちから必死で逃げ、水面へと飛び出しました」
「メジナが飛び出した先は、広い、広い、海だったのです」
「メジナは広い海を、必死で泳ぎました。そして、海の中をゆっくりと泳ぐ、ウミガメに出会ったのです」
「そんなぼろぼろになって、メジナ君は、どこから来たんだい」
「僕は、あの狭い水槽だよ」
「メジナは、図体のでかいウミガメが怖くて、またいじめられるのではないかと身を震わせました」
「ウミガメさんは、僕をいじめないの?」
「いじめないよ。この、広い海では好きなところに行けるし、嫌だったら別のところに行けばいいからね」
「メジナが元いた水槽を見ると、別のメジナが、群れのみんなにいじめられています」
「メジナは広い海を泳ぎ、もう、元いた水槽に戻ることはありませんでした」
「何で、いじめは起きるのだろう」
「なぜ人は少しの違いだけで仲良くできないのだろう」
「みんな違うのに。何で仲良くできないんだろう」
「私は勉強が得意」「僕は走るのが得意」「私は絵を書くのが得意」
「狭い教室の中で、一人をいじめているクラスメイトの目は、あまりにも冷たかった」
「昨日までの友達を、凍ったナイフで刺すように」
「何の罪悪感も持たず」
「私たちはそんなメジナの群れになるくらいなら」
「広大な海を泳ぐ」
「「「ウミガメになりたい」」」
◇
「彼女たちは、元々、明るい子でした」
私の隣に座っている湯墨先生は、伏し目がちに言う。
「懺悔させてください。僕が、教師として不甲斐ないばかりに、彼女たちに楽しい学校生活を送れなくしました」
横前先生と私は、弱々しく震える湯墨先生の小さな体に、目を落とした。
「三人は、不登校なんです」
「不登校……」
私は、舞台の上の三人を見た。光の下、千人もの観客の前で、明るく笑っている。彼女たちがあの小さな体にそんな苦役を強いているなんて、とてもそうは思えなかった。
「僕は、彼女たちには広い世界を見てほしかった」
湯墨先生は、喉の奥から絞り出すように声を出した。
「水槽の中にメジナを入れると、ある一匹を標的にいじめが起こります」
湯墨先生が、少しばかり顔を上げる。
「いじめられたメジナを他の水槽に移すと、今度は残ったメジナの中でいじめられっ子が生まれます」
横前先生は静かに湯墨先生の言葉に、頷いた。
「一方で、ウミガメは何年間もかけて二万キロもの大洋を回遊し、やがて生まれ故郷に戻ってきます」
そして卵を生んで、ウミガメはまた、海に還っていくのだ。
「彼女らも、声と言葉のボクシングという広い大海原を通して、いじめなんていうものはちっぽけなものだということを知ってほしかった。そして、できることなら、いつかウミガメのように、学校に戻ってきてくれる日を待っています」
湯墨先生は、何か明日の向こう側を見るような目で、笑った。
「だから名付けたんです。チームウミガメと」
――試合終了のゴングが鳴る。
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