第32話 私という主人公

「まさか、こんな大きなホールで大勢の人を前に発表をするなんて夢にも思わなかったわ!」


 私たちの登場に、ホール全体が湧き上がる。リングに落ちる照明が、シワとシミの入った横顔に照りつける。暑いなあ。上がりにくくなった腕でぎこちなく額の汗を拭う。


「アッハッハ! アヤさん、もう三回戦ね。ここで勝ったら優勝は目の前よ!」


 隣りにいるミサオさんは私と同じく齢八十だと言うのに二十代の生娘のようにすっかりはしゃいでいる。なんにせよ、彼女はイベント事に弱く、今でも孫娘と嵐のライブツアーに行くほど精力的なのである。


「ううん、自信ないわあ。大丈夫かなあ」


 御年八十二歳。年長者のトメさんが弱音を吐く。私もここに来る前まではミサオさんと同じく心配でならなかったが、来たら来たでパワフルな演者たちに乗せられ、私自身若返ったようだった。


 三人の格好は、他の演者に対抗して、若いもんには負けないぞという意気込みを全面に押し出している。Tシャツ、ジーパン、首に必勝はちまき代わりの白いタオルを巻き、この大会に臨んでいる。

 そう、私たち“則天去私”は、本大会で平均年齢最年長。どこか場違い感を覚えながらも、人生に一度の舞台、思いっきり楽しんでやろうという心づもりでいる。


「あっはは、勝てたら、もうけもん、もうけもん!」

 ミサオさんが腹の底から大きな笑い声を出す。しわがれた顔の奥に、女手一つで五人の子どもを育て上げた肝っ玉母ちゃんの横顔がちらりと見えた。


「それにしても、こんなババアになんでみんな期待すんのやろ」

 トメさんはどこまでいってもネガティブだ。一回戦、二回戦とも、トメさんが考えた詩を詠んでここまで勝ち上がってきたのに、何故自分の詩が評価されたのか不思議でたまらないらしい。


「トメさん、今までの八十年間は、どうだった?」


 ミサオさんが、トメさんの肩に手を置く。トメさんは、虚空を見つめて、しばらく考え込んだ後、

「色々あったなあ」

と言った。


「夫が死んでから――一息ついて、子どもや孫も帰ってこんし、何をやろうか悩んでたときに、老人ホームでアヤさんに詩の朗読会に誘われたときは、ホント、有り難かったのよ」

 トメさんの眼鏡の縁から五十になって大学を卒業した知性がにじみ出ている。


「私も、トメさんと同じく文学が好きだったし、旦那と会ったのも文通がきっかけだったから、暇つぶしにでもなるかと思ったのよ。ミサオさんは新しもの好きだしね」


「本当、色々あったわね。私たちの人生、勝ったり、負けたり。たくさんあった」

 ミサオさんが笑う。何事もなく、五体満足でここに立ててるだけでも勝っているんじゃないかなあ。私はそう思う。


「そうそう。今まで色々あったことを、今まで通り観客と、厨時代の僕たちに教えてあげればいいのよ」


「そうね、アヤさん、いつもどおり、おしゃべりしましょうか」


「ミサオさん、トメさん――。そうね」


 ――見せてあげよう、厨時代。私たちの八十年間の集大成を。


――試合開始のゴングが鳴る。

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