第48話 小僧と大御所(最終回)
応永六年(一三九九年)秋、だんだんと色を濃くする紅葉が、京の寺の
南北朝の合一から七年の歳月が過ぎた。
この日、京の四条大宮から
その四条大宮にある
安国寺は
寺の中では小僧を送り出した一人の僧が、走り去った
「
鉄斎は小僧たちの世話役の僧侶で、一方、周建は先ほど寺から駆け出して行った小僧のことである。
鉄斎が声の主に振り向くと、そこには、集観
「はい、
「そうか、それは何よりじゃ。今日はどこへ
「はい、そこの
すると、集観
「ほう、怪しげな男とは」
「何でも、
鉄斎の話を聞いて、集観
「確か、海の向こうの中国に、
「では、その
真顔で問う鉄斎に、集観
「いやいや、その者が居たのは、百年、いや百五十年は昔の話じゃ。それに深編笠を被っていたかまではわしも知らぬ」
そう言って笑いながら本堂に向かった。鉄斎は集観
この頃、足利義満は、すでに将軍職を嫡男の足利
出家した義満は室町にある花の御所を義持に譲り、自らは京の
将軍職を譲った義満であったが、幕政から引退するつもりはさらさらない。ここ北山第を第二の御所として
すでに南北合一の時の幕府
その基国が北山第に
「大御所様(義満)、大内
「そうか、ついに動いたか」
土岐氏、山名氏と、力を持ちすぎた外様の大名を、義満は粛清していった。次なる狙いは、明徳の乱で勢力を拡大した大内義弘である。義弘も、次は自らの番であろうと悟り、将軍家との融和を図ってきた。しかし、義満は北山第の工事を負担しなかった事を理由に、義弘を巧みに挑発していた。
「大御所様に申し上げます」
下座に現れたのは、
そして、伊勢氏が
「
にやりと口元を緩めた義満が、基国に目を配る。
「よし、通せ」
早速、義満は平井新左衛門と会うことにした。
話が終わると、義満が睨みを効かせる。
「平井とやら。五千もの兵を堺に入れておいて、弁明とは笑止千万。ならば、なぜ
「め、滅相もございませぬ。ただ我が主は、弁明をするなら別の形を希望しております」
新左衛門の申し出に、義満は怒りをあらわにする。
「ここでは嫌じゃと申すか。
「い、いえ、決してそのようなことは……」
慌てる新左衛門に、義満は追い討ちをかける。
「早々に帰り、
「はっ、はは」
頭を床に擦り付けるように新左衛門は平伏し、急ぎ足で
「さて、これで
平井新左衛門が帰ると、義満は先ほどの態度から一変し、何事もなかったように、横に控えていた畠山基国と伊勢貞行に話しかけた。
基国が難しい顔を義満に向ける。
「大内殿が本当に、
「大人しく兵を引けば、紀伊と和泉の所領を返上するよう働きかける。それを呑むようならば手を打つが、さもなければ、討伐するまでのことじゃ」
下座に控えていた
義満が進めた南北朝の合一は、正儀が目指していたそれとは、あまりにも大きくかけ離れたものであった。南北合一の翌年には歴代帝の
そして、二年前には仏門に入り、人々からは南朝法皇(後亀山法皇)と呼ばれるようになっていた。
「法皇様、
先の内大臣、阿野
「法皇様、相も変わらぬもので申し訳けのうございます」
すでに膳を前にして法皇を待っていた六条
南北合一の約定で大覚寺統(南朝)の領地とした諸国の
最期まで南朝法皇に付き従ったのは、出家をした阿野
困窮は皇族とて同様で、嫡子の
そんな状況でも、南朝法皇は耐え忍んでいた。
「
ことごとく合一の約定を反故にされた法皇であったが、両朝
「左様にございますな」
安国寺の小僧、
音色に惹かれて進んでいくと、一人の男が
男は深編笠を被って顔を隠したまま、二尺もあろうかという
「それがしに御用かな」
怪しげなその風体にも、周建は動じる様子を見せない。
「笛の音を聞いておりました」
「そうか、笛が気に入ったか」
「はい、母上を思い出します。母上が口ずさんでいた調べです」
深編笠越しに、男は繁々と周建の顔を
「小僧殿、名は何と言う。歳は幾つじゃ」
「六つです。名は周建と申します。
男は深編笠を被ったまま、ゆっくりと頷き、再び語りかける。
「そうか、一休殿(周建)か」
「あの……お坊様なのですか。お侍様なのですか」
その装束は僧の様でもあるが、
「それがしは
「なぜ顔を隠しているのですか」
「わしは、人の世の無常、
不思議そうな顔をする周建に、
「人にはそれぞれ出家の仕方があってよいのではないか。格好を気にする僧は、格好だけが僧になっておるのじゃ」
小さいながらも、なるほどと思う周建であった。
「読経で御仏に使える僧もおれば、それがしのように、ほれ、これで御仏に使える者もいる」
そう言うと、虚無僧は周建の前で大振りな縦笛を
笛の音が途切れると、周建が首を傾げて興味深そうに、その
「これは何ですか」
「これは一尺八寸の縦笛、尺八じゃ。吹いてみたいのか」
「はい」
「じゃが、そなたには大きいのう……そうじゃ、これを吹いてみよ」
そう言うと、男は腰袋から小振りな笛を取り出す。
「これは
虚無僧は、
―― ぴいぃ ――
上擦った音色が響いた。ただそれだけであったが、周建は
「そうか、気に入ったか。ならば、一休殿にこの笛をやろう」
虚無僧の言葉に、周建は驚いて顔を上げる。
「大事なものではないのですか」
「うむ、大事なものじゃ。されど、一休殿であれば、きっと、この笛を大事にしてくれるであろう。それに、わしにはこの尺八がある」
「でも……」
戸惑う周建の頭を、虚無僧が軽く
「この笛が好きなのであろう。わしもその
「本当に。やった。では、明日またここに来ます」
満面の笑みを浮かべた周建は、虚無僧と再び会う約束をした。
「そこの小僧、
「は、はい」
仰々しい
「何じゃ、これは」
親俊は、周建が
そこに集観
「これは大御所様、急なお越しで。前もってお教えいただければ、お迎え致したしたものを」
「いや、近くまで寄ったものじゃからな。安国寺は将軍家が
「それはよき
集観
その後ろでは親俊が、放った
「これはそなたのものであろう」
そう言って、先ほど拾い上げた
「あ、ありがとうございます」
ちょこんと頭を下げて、周建はその笛を受け取った。
二人のやり取りに義満が振り向く。そして、興味深そうに周建の手元に目をやる。
「
「今は吹けませぬが、もう直、吹けるようになります」
首を左右に振りながら、周建が答えた。
これを見ていた鉄斎が言葉を足す。
「どうも、見ず知らずの男にもろうたようで……今度は調べを教えてもらうと約束をしたようです」
「ほう、そうか。それは楽しみじゃな。小僧殿、名は何という」
「周建と申します。
名を聞いて義満は目を細める。
「では一休殿、その笛が吹けるようになれば、また、
緊張していた周建であったが、笛の話になって笑顔となる。
「はい。わかりました」
「うむ。約束じゃぞ。楽しみじゃ」
義満も笑顔を見せて、
読経が終わり、
「よくお勤めいただきました」
軽く会釈で応じてから、義満が
「
「はい、左様でございます」
だが、後ろに控えた親俊には、会話の意味がわからない。すると、義満は、腑に落ちない表情を浮かべる親俊に振り返る。
「
「え、は、はい」
「では、そちに仕事を与えよう。時折、小僧殿を、いや、一休殿を見張るのじゃ。この寺で何事もなく僧侶となっていくようにな」
「大御所様(義満)、先ほどの小僧殿は、いったい何者なのでございましょうや」
首をひねる親俊に、義満に代わって集観
「
しかし、
「では、万が一の時は、一休殿が皇位につかれることもあるということですか。なるほど、だから、無事に日々を過ごされるよう、それがしが見守ればよいのでございますな」
一人で合点する親俊に対して、義満は首を横に振る。
「いや、そうではない。あの子が皇位に就くことはあり得ん。本来、生まれて来てはならん子であったのじゃ」
「え、あの……いったい何が何なのか、それがしにはまったく見えぬのですが……」
困り顔の親俊に、義満が深く溜息をつく。
「あの子には楠木の血が流れておる。正成の血を引く
「く、楠木……なぜ、そのようなことに……」
「それは、また、追々、
さすがに親俊も全てを了知する。
「承知つかまつりました。それがしにお任せを」
親俊は神妙な顔つきで両手を床についた。
十月二十七日、
義弘は、堺に
城の本丸(主郭)にある館の広間で、
「
足利将軍家の菩提寺、
覚悟を決めたかのように、義弘は口元を引き締める。
「院主様(
「
「されど……」
「大御所様の味方をするわけではありませぬが、大内家は六か国の
「我らは武士です。領地は力で得たのです。戦で負けて領地を失うのであれば納得もできましょう。されど、一戦も構えずに兵を引いては、大内の名折れでござる」
「それでは無駄に
「命なぞ惜しくはありませぬ。それがしはすでに、母へ形見と遺言を送り、
「それほどまでに……」
義弘の覚悟のほどを知った
京の
その
「熱心なのはよいことじゃ。されど、たびたび、寺を抜け出して、大丈夫なのか」
「はい、
安国寺の小僧たちの世話役である鉄斎は、周建が
その顔を周建が見上げる。
「虚無僧様は、本当に顔がないのかと思っておりました」
初めて会ったとき、俗世の顔を捨て、仏世の顔もまだ持ち合わせていないと語っていた。だからか、虚無僧は周建に苦笑いを返した。
その風体は、頭は剃髪しておらず、白髪を伸ばし、白鬚も蓄えていた。そして、顔には、目尻の
「母上はどうされた」
虚無僧が聞くと、周建は手を止め、うつむく。
「わかりませぬ。私が寺に入ってから会うておりませぬ」
「そうか……以前は、母上と二人で暮らしていたのか」
周建は首を横に振る。
「お
「お
「近くに住む女の人です」
「寺に入るまで、母上と、どのように暮らしておったのじゃ」
その問いに周建は黙り込む。これ以上、母を思い出すことは聞かれたくなかった。周建は再び、
そんな二人が居る荒ら屋を、遠く離れて見張る男たちがいた。幕府
堺の
平井
「院主様(
「わしは何も、意地だけで幕府軍を迎え撃とうというのではないぞ。なに、大丈夫じゃ。見よ、この城を。百万の軍でも破れまい。兵糧も堺浦から船で運び入れればよい。数年でも持ちこたえよう」
自信満々な義弘であった。だが、一瞬とはいえ、足利義満の威光に触れた新左衛門は、不安を払拭することができなかった。
黙り込む新左衛門の憂虞を取り除こうと、義弘は
「大御所様(義満)に不満を持つ鎌倉
これでどうだと言わんばかりに、義弘は諸将の名前を並べ立てた。
しかし、新左衛門の表情は硬い。
「殿(義弘)、頼もしき諸将たちではありますが、いずれも堺からは遠く、我らの助けになりましょうや」
「畿内では、楠木にも書状を送っておる。楠木が立ち上がれば、幕府に不満を持つ河内・和泉・紀伊の諸将もきっと立ち上がるであろう」
義弘の希望的な観測であった。
しかし、新左衛門も他の重臣たちも、今更、楠木が立ち上がっても、大勢を覆すことにならないことはわかっていた。
それでも義弘は楠木に
「あの時の池田の
義弘は十年前のことを
南朝法皇(後亀山法皇)が住む
「
遠慮なく庭に入ってきたのは正儀の
「これは、叔父上様、いつも気遣っていただき、ありがとうございます。さ、これに」
正信を縁に招き入れたのは、楠木正勝の娘、
「これは、村の百姓が届けてくれたかぶと白菜、それにごぼうとねぎじゃ。稗や粟、麦、それに少しじゃが白米もある。また、当座はこれで過ごしてくれ」
野菜と雑穀を降ろすと、縁側に腰をかける。
「どうじゃ、つつがなく過ごしておるか」
「はい、叔父上様。貧しいながらも何とか食べるものにも困らずに暮らしております。これも、叔父上様のお陰です」
「礼など要らぬ。お前は小太郎兄者(楠木正勝)の娘じゃ。わしを父と思うて、もっと頼ってくれてよいのじゃぞ」
「そなたも、
「ありがとうございます。時折、大覚寺にも出向いて、法皇様や六条様(
「そうか、離れたとはいえ、やはり千菊丸のことが気になるのじゃな。それなら致し方なかろう。同じ京の地で、見守ってやるがよい」
照子が千菊丸を産んだのは、南北合一から一年半ほど後のことであった。その時、楠木照子はまだ十九であった。
「お疲れでしょう。
そう言って照子は
それは正儀が亡くなって一年と少し後、南北合一の直後である。
唯一無二となった京の朝廷が、南帝(後亀山天皇)へ、太上天皇(上皇)の尊号贈呈を、いまだに渋っていた頃のことである。
楠木一族は、すでに内大臣を辞した阿野
上座には
「伊予守(正顕)、幕府より、楠木一門の処遇について内々に打診があった。ただ、打診とは言うても、実質は申し渡しということであろう」
「して、その内容は」
「楠木正秀を楠木家の嫡流として認め、
伏し目がちに、口を真一文字に閉ざす正秀に目を配りながら、
「
他にも、楠木
わかっていた事とはいえ、あまりの所領の小ささに、正信らは暗い表情で黙り込んだ。
楠木一門は、一時は守護国として河内国・和泉国・摂津国住吉郡を。ほかに所領として
沈黙が続く中、一族の長老である正顕が頭を下げる。
「承知つかまつりました。我ら楠木が幕府の沙汰に抗っては、
楠木党の長老の言葉に、正信は悔しさを静かに胸に仕舞い込んだ。しかし、楠木正元の最期を見届けた正秀は、手をぎゅっと握り締め、肩を震わせた。
見かねた正信が正秀の肩を叩く。
「九郎(正秀)、今は耐えるのじゃ」
「……承知……つかまつりました」
苦悶の表情で、正秀は頭を下げた。
この状況に、
しばらくして、皆が席を立とうとした時のことである。阿野
「実は、中納言、日野
正信は上洛に際しての南朝最後の除目で、
上座から、
「
「持明院(北朝)の帝(後小松天皇)が、伊予局殿に会いたいと申されております」
「えっ」
一同から驚嘆の声が漏れた。
叔母である
「いったいどこで、伊予局を
問いかけに、
「では、その時の若者が持明院の帝……」
そう言って、正信は息を呑んだ。
「それで、我らにどうせよと……」
「本来、めでたきことでありますが、
話を聞いて正顕が、ううむと唸り声を上げてから、疑問をぶつける。
「会うというのは、どのようにして。伊予局を
「日野卿(
「照子は遊女ではありませぬ。宮廷にも入れず、都合のよい時に外で会うだけなど、いくら帝といえど、承服できかねます。亡くなった兄、正勝に合わせる顔がありませぬ」
正信の意見に、正顕も
「阿野様、わたくしも同じ思いにございます。申し訳なきことでございますが、お断りいただきたく存じます」
そう、
「叔母上様(
意外な言葉に、三人は一斉に照子の顔を
「照子、なぜじゃ」
「少しでも
「伊予局、そなたそこまで……」
この後も話し合いは続いた。しかし、結局、照子の決意は変わることはなかった。
それから、たびたび、大覚寺に日野家の
一つ若い帝は、純粋に照子に恋をしていた。それは照子にもひしひしと伝わり、いつしか自身も、帝に会える日を待ち望んだ。
帝は照子を
照子の
大そう喜んだ帝は、
若い帝は、子が産まれれば照子を皇子の母として近くに呼び寄せられると漠然と考えていた。しかし、実際は逆である。帝の長子となる千菊丸と、その母となった照子は、
困った
それから五年が経ち、今年六歳となった千菊丸が安国寺に送られ、一休
「叔父上、
昔を思い出していた津田正信は、照子の声で我に戻った。
縁側に座ったままで
「久しぶりに
「まあ、禅尼様はお元気でおられましか」
「うむ、御達者じゃ。
禅尼は幼い頃、正儀の
「それと、もう一人……思わぬ者に会うた」
「いったい誰でございますか」
思わせぶりな正信の言葉に、照子は興味深そうに身体を乗り出した。
「
照子も名前くらいは知っていた。
「何の御用であったのですか」
「うむ、
「そうでございましたか。ご苦労をされておられるのですね」
「そのようじゃ。南北合一の後、
「四条村に……
なぜ正長が、隣の
「うむ、正長が楠木ゆかりの地を巡っている間に、病で亡くなったとのことであった。わしも
「そうでしたか。正長殿は御悲しい思いをされたのですね。一度、会うてみたいものです」
照子の言葉に、正信が頷く。
「年が明ければ、叔父上の七回忌の法要じゃ。そこで正長も呼んでやろうと思う。派手なことはできぬが、お前も参列してやってくれ。皆もそなたに会える事を楽しみにしておる」
叔父上というのは正儀の舎弟、楠木正顕のことである。正顕は
その正澄は、南北合一から一年と少し後に、風邪を拗らせて亡くなった。千菊丸の生まれた日のわずか二十日後のことである。正儀に成り代わって南北合一と千菊丸の誕生を見届け、あの世の正儀に報告しにいくがごとくの往生であった。
「承知つかまつりました。私を養女にして、後ろ楯になっていただいたのが大叔父上様(正澄)です。私が伊予局となったのも、大叔父上様あればこそ。必ず
照子の返答に、正信は安堵して頷いた。
ただ今となっては、宮中に入り伊予局となったことが、はたして最善であったのかと、正信は照子をおもんぱかった。
津田正信は、照子が家を出た後、同じ
「法皇様、ご無沙汰をしております」
「久しぶりであるな。
法皇は南朝の旧官職名で正信に語りかける。
「……伊予局(楠木照子)の元を訪ねた帰りか」
「はい。されど、京を訪れたのは、法皇様にお願いの儀があって参りました」
「珍しいのう。
「大内義弘からの書状でございます」
その言葉に、
「大内といえば、堺に
「左様にございます。大内は幕府に反旗を
「
「げにも、六条様。倉満荘の楠木
「されど……何じゃ」
書状を手に、法皇が正信に問いかけた。
「
話を聞いて一同は驚く。
「今更ながらに、幕府に抗おうというのか……勝ち目はあるのか」
「勝ち目などありません。お願いの儀と申すは、法皇様(後亀山天皇)に、正秀への書状を承れないかと思い
法皇が大きく頷く。
「正秀が思い留まるよう、
「はっ、法皇様。まことにありがたく存じます」
正信は、その場に深く平伏した。
津田正信は南朝法皇(後亀山法皇)の
聞き覚えのある調べに、正信が立ち止まる。
「
「津田の
見知った顔に、一休
そんな周建の頭に、正信が手をやる。
「そうか、安国寺はこの近くであったな。達者にしておったか」
袖口で涙を
「母上様は……」
「元気じゃぞ。一人前の僧侶になったお前に会えるのを、待ち望んでおる。じゃから、お前も修行に励むのじゃ」
ひくひくと泣く声を押し殺し、周建は頷いた。
「されど、お前のような
「はい、
そう言って
「虚無僧とはいったい……」
正信は、その
「その、虚無僧とやらはどこに行ったのじゃ」
突然の態度に、周建はたじろぐ。
「お、教えることはなくなったと、先ほど、ここを発ちました」
津田正信の胸の鼓動が高まる。まさかと思いながら
しばらく南に走ると、
(こやつに違いない)
後ろから肩を
「御免」
正信が虚無僧の深編笠を払う。
「やはり……」
そこには義兄、楠木正勝の顔があった。
どれだけ苦労をしてきたのか、白髪となり、しわも深く刻まれていた。しかし、正信が一番驚いたのは、額から頬にかけての大きな刀傷であった。
「いったい何が……」
そう聞くのがやっとであった。
すると正勝が、苦渋の表情を浮かべてうつむく。
「すまぬ。わしの棟梁としての采配が皆を不幸にしてしまった」
「あの時、死んだものと……」
あの時とは、千早城が落とされ、峠を越えて逃げた時のことである。正勝の敗走軍は、畠山の執拗な追討を受けた。
「事実、わしは死んだも同然であった」
深く息を吐いた正勝は、目に留まった枝振りのよい松の、その根本にある手頃な大石の上に腰を下ろした。
このあたりは、かなり昔、公家の屋敷が建ち並んでいたところである。しかし、湿地であったがために、人々が住まなくなり、荒れ地となっていた。正勝が座った石も、かつては屋敷の庭を飾ったものであった。
その石の上で、しばらくうなだれた正勝であったが、正信にうながされると、ぽつりぽつりと語り始める。
「……
「なぜ戻って来なかったのじゃ。皆に会いたくなかったのか」
強い口調で、正信は義兄を責めた。
しばらく悩んでから、正勝は重い口を開く。
「わしは……父上(正儀)のように、君臣和睦の信念を貫けなかった。幕府を討って京へ凱旋したいという気持ちも強かった。常に父上の思いと、自らの中に沸き立つ幕府への憎しみとの間に揺れていた」
「そんなこと……それはわしとて同じじゃ」
「いや、わしはその迷いをもったまま戦に出ておった。采配にはその迷いが出ていた。棟梁としては失格じゃ。皆を……皆を不幸にしてしまったのはこのわしなのじゃ。小次郎が
正勝の話に正信は沈黙した。照子のことを考えると腹立たしくもあった。
「その後、我らがどうなったのか知っておるのか」
「ああ、知っておる。時折、遠くでお前たちのことは見ておった。お前のことも、照子のことも。
「では、これを知っておるか」
その
正信が難しい顔をする。
「九郎(正秀)は、幕府に反旗を
「何じゃと」
顔を強張らせる正勝に、正信が畳みかける。
「正盛……元服した金剛丸も一緒じゃ。思い留まらせるには、父である小太郎兄者(正勝)の力も必要じゃ」
これに、正勝は戸惑いの表情を浮かべる。
「わしにどうせよと言うのじゃ」
「わしはこれより、
義弟の言葉は、正勝の迷いを抑え込んだ。
十津川で兵を募った楠木正秀と楠木正盛は
この度の出陣に際し、正秀は、
かつての
「兵は全部でどれだけ、集まったか」
「ざっと、百五十といったところです。後は
和田
「うむ、先に到着した者の話では五十人ばかり集まっておるようじゃ。直に
「されど、合わせても二百人。九郎殿(
正盛の提案に、
「ううむ、では、もう少しだけ、様子をみるか」
そう言って、御殿の
楠木正勝と津田正信は、
(……朝敵とは誰じゃ。戦の相手が朝敵なのか。幕府を滅ぼせば帝を御救いすることができるのか。幕府であろうが、朝廷であろうが、それは単なる器にしか過ぎぬ。朝敵とは人の心の中に
父、正儀の思いを胸に、正勝が叫ぶ。
「九郎(正秀/
夜通し馬を走らせて、正勝と正信は
「遅かったか……」
そう言うと、正信は肩を落として
わずか一日の差であった。正勝と正信が到着した前日に、
正勝がその場に力なく両ひざを付く。
「父上(正儀)、申し訳ありませぬ……」
片手で顔を覆い、振り絞るように声を発した。
応永七年(一四〇一年)正月も終わりの頃。安国寺の
(
幼い周建は、壮大な
「これは、
貞行に迎えられ、二人は座って頭を下げた。
「執事様(貞行)、つい先日、堺の戦が終わったばかりですが、このような時によろしかったのでございますか」
集観
すると、貞行は口元を緩める。
「大御所様(義満)自らが本日を御希望されたのじゃ。気になさるな」
十二月二十一日、幕府の大軍に対し、
顔を上げた周建に目を配った
「伊勢の北畠殿が参陣したと聞きおよびましたが……」
南北合一に、最後まで反対の意を唱えた南朝の大納言、北畠
「
北畠の変節に、貞行は顔をしかめた。
伊勢氏は伊勢平氏の末裔で、伊勢国は祖先の地であった。貞行は顕泰を押し退けて、自らが守護に成ることを望んだ。だが、この度の顕泰の奮戦で、その希望も
「よほど楠木の方が
貞行が口にした楠木の名は、幼い周建も聞き覚えがあった。母、照子や津田正信の口からたびたび出てきた名前である。しかし、周建は、自分が楠木とどう関係するかまでは、教えられてはいなかった。
集観
「執事様、それで、大内に
「うむ、棟梁の楠木
親俊が周建に同情の目を向ける。
「これで楠木は、大内に加担した者はいうにおよばず、一門全体への責めも厳しくなりましょう。幕府との和睦を求めた楠木が幕府から追われる破目になり、
「人の定めというのは生まれる前から定まっておると言います。楠木は、楠木にしかできぬ役目を背負って元弘の
大人たちの話は、周建にはわからなかった。だが、集観
一休
「これは
近習を連れた足利義満は、
「これは大御所様(義満)、お招きいただきありがとう存じます」
「ありがとうございます」
集観
「大御所様、
「何、もう吹けるのか……」
こども相手にわざと大げさに驚いてみせる。
「……よし、
義満に
この正月で数え七歳となった周建の吹奏に、伊勢貞行と
周建が
「おう、一休殿、とてもこどもとは思えぬ音色じゃ」
「まったくじゃ。驚き申した」
貞行と親俊は、素直に感嘆の声を上げた。
当然、義満も喜んでいるものであろうと、二人が顔を向ける。しかし、義満の表情は硬かった。
「大御所様、いかがなされました」
貞行に声をかけられて、義満ははっと気を取り直す。
「その調べは、いったい誰に教えを乞うたのじゃ」
幼子を
「虚無僧様です。この
「虚無僧……とな。何者じゃ」
「わかりませぬ」
上気した義満の問いに、周建も戸惑った。
見かねた親俊が代わりに答える。
「それがしは、その者が一休殿と一緒に
「そうか、旅の僧か……」
義満は落ち着きを取り戻す。
「……いやいや、悪かったのう。一休殿が吹いた調べは、
近習を介して
近習から桐箱を受けとった義満は、
そして、周建の
「な、何と、
義満は感嘆する。
「……この
貞行も首を傾げる。
「不思議なことがあるものでございますな。目の前で起きていることが信じられませぬ。それにしても、その旅の僧侶とは何者でございましょうや」
これを受けて集観
「その者は御仏の化身かも知れませぬな。一本の竹から作られた二つの
「どうじゃ、一休殿、一緒に
「はい、わかりました」
周建と義満は、それぞれの
『……この
『ほんとうに』
『ああ。一緒に
元は足利尊氏が
周建と義満は元より、二人に
南朝と北朝に別れた
完
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