第42話 即位
弘和三年(一三八三年)六月二十六日、その日、京の町は朝早くから蝉の声に包まれていた。
京の
義満は
後日、足利義満は、花の御所で
「御所様(義満)、
次から次へ、守護大名が義満に祝辞を述べた。
「これは越前守殿、御苦労にございます。今後もますますお勤めに励まれるように」
義満の
義母の態度に、少々、憮然とする義満の前に、新たに河内
「御所様、
「楠木が金剛山から東条に戻ったと聞いた。
「ははっ。承知しております」
「武功のあった山名を押しのけて、畠山に大国河内を与えたのじゃ。必ずや、河内国に幕府の威光を知らしめるのじゃ」
「
基国は赤面し、頭を下げたまま後ろに下がっていった。
不機嫌そうに義満が、
「照禅よ、
「はい、南軍への備えをおろそかにできぬとの理由にございまする」
「河内の守護に成れなんだことに憤慨しておるのか」
「そのようにお見受けします」
「山名は全国に
義満は山名一族に対して、強い警戒心を持ちはじめていた。
七月、正儀は大納言の阿野
このとき、事実上の
大和国では、興福寺衆徒の筒井
「
南朝帰参に際して正儀は、元の
「
「うむ、病の床にあった北畠
正儀は息を飲む。
「いつのことにございますか」
「三日前のことじゃ」
亡き内大臣の四条隆俊とともに、最も正儀を苦しめた政敵が亡くなった。正儀は安堵とともに、自らの理想を実現できなかった
「これで、
「……右大臣様(
「正儀殿、長い年月でありましたな」
君臣和睦、南北合一に向けて、やっと南朝側の懸案が解決に向かおうとしていた。しかし、そんな南朝とは裏腹に、今度は幕府が、細川頼之路線を否定する
「話はそのくらいにして、さ、参りましょう。
上座に向かって、正儀が
「
「阿野大納言からすでに聞いたであろう。北畠
「君臣和睦は、長きに渡るそれがしの夢でございました」
正儀が応じると、
「されば、幕府との和睦に向け、何か手立てはあるか」
親王の問いかけに、正儀は難しい顔を返す。
「我らにとっては由々しき事態にございます。
伊勢国守、北畠顕泰は父の
正儀の見立てに
これを見て、正儀が微かな希望を口にする。
「されど、見込みがないわけではございませぬ。
意外な話に、一同がざわついた。
「河内守、細川頼之は幕府諸将の反感を買い、追われるように四国へ逃げた。足利義満からも追討が
「細川頼之の舎弟、頼元は、罪を許され、すでに上洛を果たしております。その頼元は、近頃、摂津守護に返り咲きました。これは、将軍(義満)が
しかし、
「頼之を孤立させるために、舎弟を取り込んだということではないのか。古今東西、よくある話と思うが」
「いえ、将軍が赦免して細川頼元が上洛した後、
「なるほど、そのようなことがあったのか」
「はっ。もともと将軍にとって細川頼之は、父ともいえる存在です。これまで
正儀は、
しかし、知略と人徳を兼ね揃える頼之に対して、一族郎党は誰も頼之を裏切らなかった。さらに阿波、讃岐、土佐の武士たちも頼之を慕って幕府に対峙してしまった。これは、頼之の四国経営が在地の武士たちに受け入れられていた証である。
頼之は、逆に伊予の河野
さらに山名惣領で、幕府から頼之追討を命じられた備後守護の山名時義も二の足を踏んだ。圧倒的に頼之が有利なこの状況に、わざわざ瀬戸内を渡って兵を四国に送るのは、貧乏くじを引くようなものだからである。
将軍、義満はこれをよい機会と頼之との和睦を模索した。しかし、
しかし、ここにきて、頼之に対する幕府の態度に変化がみられるというのが、正儀の見立てである。
右大臣の
「して、具体的にはどのように進めるのか」
「はっ。まずは、
一同は正儀の考えに、互いに顔を見合わせて頷いた。
「よかろう。その
摂津守護に復帰した細川頼元の京屋敷に、かつて正儀の配下であった摂津国住吉郡の守護代、
「
「はい、それがしも大和の
「それは何よりでござる。では、楠木殿の時と同じく、摂津住吉郡の守護代をお任せしたい」
「こっ、これはありがたき幸せにございます」
渡辺
「楠木殿も貴殿が離れることになり、淋しいことであろう」
頼元は正儀を
「実は、それがしに幕府に残るよう勧めたのは、楠木殿なのです」
「何と、楠木殿が……なぜ、そのようなことを」
「楠木殿は、
「ううむ、楠木殿は君臣和睦、南北合一を諦めておらんのですな。されど、残念ながら今は時期ではござらん。我ら細川でさえ討伐を受け、滅亡を覚悟した身。それがしも将軍(足利義満)にやっと許しを得て、摂津守護に返り咲いた直後じゃ。
申し訳なさそうな頼元に、渡辺
「いえ、楠木殿もそのあたりはよく存じておられます。じっくりと時期を見計らいたいと申されておられました」
得心した頼元が頷く。
「いずれ楠木殿ともお会いして、南北合一に向けて話をしとうござる。貴殿が
「それがしも、このまま楠木殿と
「わかりました。ただそれまで、正儀殿が持ちこたえてくれるとよいのだが……」
一旦目を伏せてから、頼元は難しい顔を上げる。
「……まずは、兄に会うてもらおう。今度、
「上洛でございますか。まだ赦免も受けておらぬのに、京に戻られて大丈夫でございましょうや」
「うむ、それがしも
「承知しました。密かに会える場所を考えてみましょう」
九月三十日、細川頼元が言った通り細川頼之が上洛し、
法要に参列した
一方、細川頼之上洛の話を渡辺
しばらくして、頼之は数名の供廻りを連れてやってくる。正儀はすでに金堂の中で、
「正儀殿、久し振りです」
声の方に振り返ると、
「
常久とは頼之の出家後の法名である。
「幕府の間合いを量っておるのです」
「なるほど。将軍が、細川殿に反発する諸将の代表たる
問いかけに頼之は満足そうに微笑む。
「さすがは正儀殿。よくわかっておいでです。今日のところは運よく生き長らえました。今後も間合いを量りたく存じます」
にやりと笑う頼之に、正儀も頷いた。
「早く復帰される事を祈っております。
頭を下げる正儀を見つめ、頼之は真顔に戻る。
「正儀殿、なぜ、もう少し我慢して、幕府に留まろうとなされなかったか。正儀殿ほどの御方であれば、今は時期ではないことくらい、わかっていたはずであろう」
問われた正儀が、頼元の目を見返す。
「いや、今が時期なのです。
「されど、楠木家にとっては……」
掌を掲げて、正儀は頼之の言葉を制する。
「元より承知しております。楠木の家名を上げるのが目的であれば、ここは我慢して幕府に残ったことでしょう。ですが、楠木は後醍醐の帝の
正儀の動じない姿勢に、頼之は黙り込むしかなかった。
「常久殿の
正儀は珍しく力んでいた。その焦りに戸惑いながら、頼之は南朝の危機的な状況を汲み取る。
「貴殿の思いは判りました。そのときがくればお願い致そう。されど、今は時期ではござらぬ。その時期がくるまで正儀殿は、いや、
「承知しておりまする。されど、和泉は山名氏清に完全に制圧されました。紀伊は山名
「うむ、山名は排除しなければなりませぬ。南の朝廷のためだけでなく、幕府にとっても害なのです。今や山名一族の領国は十一か国にもおよびます。全国の六分の一を占め、六分一衆とも呼ばれておる。さらに問題なのは山名が新田の支族ということ。つまり、将軍家や我ら足利一門と同じく、八幡太郎(源義家)の血筋ということじゃ」
頼之が言わんとすることは正儀にもわかっていた。
武士たちの間では、平安後期の清和源氏の英雄、源義家の血統であることが、武家としては征夷大将軍の条件とみられていた。義家の直系である源頼朝の血統が途絶えた後、次に嫡流に近い足利尊氏と新田義貞が後醍醐天皇の元で戦った。これは結果的に、清和源氏の嫡流家を競う争いでもあった。
山名はその新田の支族であったが、早くから新田本家を見限って足利に加担した。そして、紆余曲折を経て今に至っている。新田本家が没落した今、新田の血統から次に将軍に成るのは山名であるとの強烈な自負を持って、将軍の座を虎視眈々と狙っていた。
「特に、和泉守護の山名氏清は、父、時氏に似て、兄弟の中で最も野心を抱いておる。早いうちに取り除くに限る。幕府に復帰し、山名を除くことがそれがしの使命でござる」
頼之は、幕府から追討を受けてもなお、足利義満のことを心配し、足利幕府の安寧を願っていた。やはり正儀とは似た者同士である。だからこそ、従兄の細川清氏のように南朝に帰参することもなく、四国の幕府方の武将を味方に付けることができた。
「承知しております。目的は違えど、山名は我らの共通の敵ということですな」
「その通りです。山名が手強いことは、そなたもよく御存知のはず。山名
「ううむ……」
頼之の言葉に、正儀は正久・正国に難しそうな表情を見せてから、ゆっくりと頷いた。
十月、右大臣の吉田
帝の前で、
「
玉座の前の
帝は自ら声を発することはせず、伝奏役の
「
十津川は、
数日後、上皇(長慶上皇)の行列は、十津川に向かうために学晶山栄山寺の
上皇の一行は、しばらくすると
「
「
上皇が漏らした言葉に、
一行が
上皇は
声をかけられた正儀は、正勝を連れて上皇の
「楠木三郎正儀にございます。御見送りに参上つかまつりました」
敢えて、官職名は名乗らなかった。上皇の心中を察してのことである。
父に続いて、正勝も見送りの言葉を口にして神妙に控えた。
しかし、上皇の
「歳をとったな」
「
沈黙するしかない正儀に、さらに上皇は続ける。
「……そちは言うであろう。いまのありさまから
「……じゃが、皇統は残さなければならぬ。
上皇は努めて冷静を保たれていた。
「承知つかまつりました。それがしの
「もうよいぞ。参ろう」
上皇は
正儀と別れた上皇は、十津川郷の湯之原に入った。
『しづかなる心は尚ぞなかりける 世を思う身の山の住居に』
昔の歌を思い出し、上皇は思わず口ずさんだ。まさに今の心情である。上皇はこの山の住処で、光明と号して歌を詠んで暮らすのであった。
この年もあとわずかとなった十二月。
関白左大臣は二条
これまで新帝を支えてきた阿野
最後に
「それがし如きに、参議とは、もったいなきことにございまする」
平伏したまま、正儀は謝意を伝えた。すると、新帝が
「
「はっ。必ずや、君臣和睦、南北合一を成し遂げたいと存じます」
新帝を前に、正儀は決意を新たにした。
年が明け、弘和四年(一三八四年)正月。赤坂の楠木館では、正儀の参議就任を祝って、ささやかな宴が催された。
正儀は、実子の正勝と正元、
他には舎弟の楠木
家臣では、先の
しかし、この場に居ない者も多い。出家して僧の空信となった従弟の美木多正忠に、同じく僧の
従弟の楠木正近と聞世(服部成次)、忠臣の菱江忠元や津熊義行、
にこやかに酒を飲むそれぞれの息子たちに、正儀は一人ひとりの顔を映しながら冥福を祈った。
「河内守殿(正儀)、参議への御就任、まことにめでたいことじゃ。正儀殿が
そう言って一同の笑いを誘ったのは、和泉の
「
「河内守殿、やめてくだされ。それではまるで南に帰参したことは失敗だったように聞こえるではないか」
頭を下げる正儀に、光重は笑いながら答えた。
すると、もう一人、南朝に帰参した大和の
「そうじゃ、河内守殿、そう頭を下げられたのでは、我らの面目が立たぬ。我らは河内守殿が南北合一をしてくれると思い、貴殿にかけたのじゃ」
そう言って、家高が正儀に酒を注いだ。
正儀に従って南朝に帰参した者がいる反面、幕府に留まった者もいる。正儀が幕府との仲介を期待する摂津の
説得して幕府に帰参させた助氏は、すでに家督を嫡男の助朝に譲っていた。棟梁となった助朝は考えを巡らせた挙句、そのまま幕府に残ることにした。美木多の所領は、南朝の諸将と比べると最も北に位置していた。幕府側の和泉守護である山名氏清と、河内
この日、最も喜び、張り切っていたのが、奥を仕切る正儀の妻、徳子である。
「さっ、
徳子は娘の
年が明け、数え八つになった正勝の娘、照子も料理を運ぶ。
「御爺様、料理をお持ちしました」
「おお、これは照姫自らのお手持ちでござるか。かたじけのうござる」
愛らしい照子の仕草に、正儀は目を細め、おどけて見せた。正儀も、可愛い孫娘の前では、単なる一人の祖父であった。
嫡男の正勝は、義兄弟の篠崎正久・津田正信と車座になって酒を酌み交わしていた。
正久の目が少し
「こうして楠木が一つになれる時が来ようとは……まことにうれしいことじゃ」
「分かれている間に、二郎兄者(正久)は涙もろくなった。のう、六郎(正信)」
「ははは、二郎兄者は、つかえが一つとれたのでのであろう」
弟として常に傍にあった正信は、その心情を思いやった。正久が涙を
「そうじゃ。楠木はまた一つに戻った。これからは次の棟梁たる小太郎(正勝)が一族を
その言葉に正勝は姿勢を正し、真面目な顔でゆっくりと頷いた。
一方、正儀の次男、楠木正元は、和田和泉守正頼・
「多聞丸もあと三年もすれば元服じゃな。太郎兄者(
正元は、残念そうに目を閉じた。
多聞丸は正元を真っすぐに見返す。
「いずれ、それがしが父の
「おお、その
正頼が嬉しそうに酒を口に運んだ。
―― がちゃん ――
突然、広間の外で、御膳がひっくり返る音がした。
「母上様、母上様」
「伊賀(徳子)、どうした。伊賀、気をしっかりと持て」
「殿……」
か細い声で、徳子は正儀の
正儀は、自らの手で徳子を抱き上げ、寝所に運んだ。よほど調子が悪いのか、すぐに深い眠りに入った。
娘の
「伊賀はこれまで変わるところはなかったか」
自らが不在の間の徳子の様子を、娘の
「特に持病など、心当たりはありませぬ。ただ私は
そう言って、徳子の侍女である
「実は……奥方様は、このところお身体の加減が悪く、時折、立ち上がれなくなることがありました」
「
「奥方様から、皆に言わぬようにと口止めをされておりました。相済まぬことでございます」
そう言って、
正儀は言葉を失う。不在の間、徳子は当主、正勝の母として、楠木家を内側から支えていた。そんな徳子が、皆に気を
「奥方様は大殿が帰ってこられたことを大そうお喜びになられ、気丈に振る舞っておいででした。大殿がこの館に戻って気兼ねなく過ごされるためには、以前の伊賀局様(徳子)のままでおられることが一番であろうと」
「そうか、伊賀はそのように思うておったのか……」
正儀は
二月二十日、正儀は
頼之は、京の
「討ったそれがしが言うのはおこがましいが、御尊父の御冥福をお祈り申す」
観音寺の金堂で、頼之を前にして、正儀は深々と頭を下げた。
「
その言葉に、正儀は
「とにかく、ご無事に法要を終わられ、安堵しました」
幕府
「将軍(足利義満)の御前でございますれば、おいそれとは手を出せぬでしょう。されど、法要が終われば一目散に寺を出て、京を後にして参った」
はははと頼之は笑ってみせた。
「じりじりと間合いを詰めておるという訳ですな」
「その通りです」
考え通りにことが運んでいるようであった。
「して、正儀殿の方はいかがか」
「ううむ、紀伊の山名討伐でございまするな。河内の武士に、紀伊出兵を
「正儀殿、三百とは少ない。最低でも三千は必要であろう」
「わかっており申すが、なかなか思うたようにいかぬのです。北河内は畠山(基国)に侵食され、幕府に帰参した者が多い。後は
正儀は残念そうに呟いた。
楠木党は、大軍を
「とにかく紀伊を完全に奪われないことが肝要かと存ずる」
遠慮しつつも、頼之は渋い表情を浮かべた。
後ろに控えていた河野辺正国が口を挟む。
「常久殿(頼之)、紀伊は広く南部はまだまだ
「うむ……されど、北には和泉の山名氏清が控えている。このままでは、いずれは山名兄弟が紀伊を制圧する……」
そう言って、頼之は
「……今のうちに山名
正儀はううむと唸る。
「山名
「左様か……確かに、ある程度の軍勢を
渋る正儀の様子に、頼之は沈黙した。その沈黙を篠崎正久が破る。
「父上(正儀)、そのお役目、それがしにお任せくださらぬか」
「二郎(正久)、お前の気持ちは嬉しいが、いかんせん、我らには兵が
反対する正儀に、正久は食い下がる。
「いえ、何も最初から大軍を送る必要はありませぬ。それがしが手勢を率いて紀伊に入り、密かに紀伊の朝廷勢力を結集します。紀伊には橋本党や湯浅党の残党が多く、
「相手が
正久の提案にも、正儀は難しい表情を崩さなかった。
言われるまでもなく、難しい仕事であることはわかっていた。しかし、紀伊の勢力を盛り返すにはこれしかない。
「正儀殿、やってみる価値はあるのではありますまいか。問題は
頼之は正久の意見を肯定した。
これを受けて、正国が思い出したように、ぽんと手を打つ。
「それなら
「
頼之が首を傾げる。
「かつて、紀伊の朝軍(南軍)が砦を築いたところにございます。
正国の提案に正久はひざを打つ。
「そうか、いざとなれば、高野の僧兵をも味方に付けられるやも。父上、それがしに、ぜひ
正久の提案に、頼之が正儀に目を配って決断を
「よかろう。やってみるがよい」
「父上、お任せあれ」
その表情には、強い決意が現れていた。
四月初め、京の都である。聞世こと服部成次が花の御所に侵入して以降、
そんな中、その観阿弥の息子である
藤若大夫が、上座に座る将軍、足利義満の前で頭を低くする。
「
「しばらくとな」
藤若が照禅に向け、小首を傾げる。
「いかがなされましたか」
「うむ、御所様(義満)は近く、
二年前に京の
照禅の話に義満が言葉を足す。
「うむ、そなたの
肩を落とす義満に、上目遣いに藤若がたずねる。
「それはいつのことでございましょうや」
「五月の終りを考えております」
興行も五月である。以前から
「致し方ありませぬ。御所様、ここは犬王と致しましょう」
「うむ、そうじゃな。犬王であれば、二条様も満足するであろう」
その名に、義満は気を取り直した。
犬王とは、かつて観阿弥も一時師事した田楽師、一忠の弟子で、藤若大夫ら大和猿楽と並ぶ近江猿楽の旗手である。観阿弥が義満と引き合わせたことで、犬王も義満の庇護を受けるようになっていた。
「犬王殿ですか……」
その名を聞いて、藤若は少々残念そうにうつむいた。
四月二十八日、新たな帝(後亀山天皇)を戴いた南朝は、元号を元中に改元する。
その直後、正儀の
正久は、かつて、紀伊の南軍が造ったという
「この砦を修復して、ここに陣屋を立てよう」
「そうでございますな。それにしても、
正国の言葉通り、あたり一面を背の低い
「そうじゃ、ここを
「なるほど、
正国の冗談に、正久も笑った。
「さて、陣屋を建てるとしても、まずは人じゃ。山名に知られぬように、橋本や湯浅の残党に声をかけていかねばならん。できるか」
「お任せあれ。橋本や湯浅の残党が籠る場所は、父から聴いて、察しがついております。お味方は直に集まるでしょう」
「うむ、頼んだぞ」
そう言って正久は、手にした
その頃、観阿弥は藤若大夫(観世元清)とともに、駿河守護の今川
五月四日、観阿弥は静岡
観阿弥に先立って舞台で
藤若の舞台を簡潔に表すなら
演舞を終えて袖にはけた藤若大夫を、観阿弥が留める。
「うむ、よいできであった。一座の主役として、十二分なでき映えであった」
めったに誉めない観阿弥に認められ、藤若大夫は照れ笑いを返す。
「主役などとは、とんでもありませぬ。今日の主役は父上ではございませぬか」
「いや、わしも歳をとった。今後、観世座は、そなたを中心に回したい。わしは引き立て役として、そなたの背中を押してやろう」
「父上、何をおっしゃいます。皆、父上を見に来ているのです。さ、早う舞台へ」
藤若大夫は観阿弥を
観阿弥は、若い一座の者に主役の
結局、その日の観阿弥は従来にも増して華やかで、身分の上下を問わず見物の者たちは一様に称賛した。藤若大夫は、そんな偉大な父を、改めて感心する。
舞台が終わった観阿弥を駿河に残し、藤若大夫は観世座の若者たちと一足先に京への帰路につく。摂政、二条良基らを招いて開く、足利義満の宴席が気掛かりだったからである。
もちろん、目的は犬王の猿楽。自身の申楽能に幽玄さを求める藤若は、同じ志向の犬王が気になって仕方がなかった。摂政らを前にした大舞台でどのような舞を見せるのか、ぜひ、自身の目に焼き付けておきたいと思っていた。
このあと、京に戻った藤若は、犬王の、媚び
一方、駿河に留まった観阿弥は、今川
観阿弥は上座の
「観阿弥殿、先般の舞台はまことに感動致しました」
「お
観阿弥はそう言って盃をぐいっと飲み干すと、返盃しようと銚子を持った。
「いや、わしは今、胃の腑を悪くしており、酒を断っておる。返盃は不要じゃ。気にされるな。それにしても、さすがに将軍の覚えめでたい京一番の猿楽師じゃ」
そう言って、もう一度、観阿弥の盃に酒を注いだ。しかし、義満の名が出ると、観阿弥は少し顔を曇らせる。
「もったいないお言葉でございます。されど、最近は花の御所への出入りを許されておらず、将軍様の覚えめでたいというのは少々、
「そうであったか。これほどまでの猿楽師を……それはもったいないことじゃ」
そう言って、観阿弥の盃にさらに酒を注いだ。それをぐっと飲み干す観阿弥を見て、
夕刻前には酒宴が終わり、観阿弥は
その後、
「本当にもったいないことじゃ……されど、上意であれば致し方なし」
庭に捨てた酒を見つめ、
その翌日から、観阿弥は体調を崩す。高熱が出て十日ばかり苦しんだ後、息を引き取った。
五月十九日、享年五十二歳であった。
観阿弥は、正儀の幕府降参に伴って京へ進出する機会を得た。そして、正儀の南朝帰参によって、その生涯を終えることになった。
正儀の選択は、自身の
六月、正儀は帝(後亀山天皇)に召し出され、
正儀は、宮中で何か起こったのではないかと胸が騒いだ。
「
「
ひれ伏す正儀に、帝は
「
帝の言葉に正儀は、はっと顔を上げる。
「は……はい」
正儀は再び帝に対して
忘れるはずはない。後村上天皇が、自身をそこまで信頼してくれていたのかと、心奮える思いで御言葉を承った。あの日のことは、今でも昨日のように思い出される。
一方、正儀の娘、
恐縮する正儀に対して帝自らが話を続ける。
「
正儀は、幕府に降ったときから、いや、先帝(長慶天皇)が即位した時から、この話はなかったものと考えていた。それを後村上天皇に代わり、目の前の帝が果たそうと言ってくれたのである。正儀にとって、この上ない喜びであった。
平伏して正儀は目頭を熱くする。
「それがし如きのために……身に余る光栄でございます」
「宮様との婚儀の前に、
「万事、仰せのままに致しとうございます。内大臣様(
正儀は
その足で正儀は、阿野
正儀は恐縮する。
「
「
「そうでありましたか……」
「
「父上、お顔をお上げください。父上は朝廷のことをいつも第一に考えて参ったのです。そんな父を誇りに思う事こそあれ、恨むことなどありましょうや」
頭を下げる正儀に、
「
「まあ、
「伊賀、よい話じゃ」
館に戻って部屋に入るなり、正儀が声を上げた。
夫の帰りに気を遣った徳子は、
「殿様、お帰りなさいませ」
「徳子、大事ないか。無理をするな。そのままでよいぞ」
手を差しのべて、徳子の身体を気遣った。
「その嬉しそうなお顔、よほどよいことがあったのでございますね」
「そうじゃ。
「ほ、本当にございますか」
青白い徳子の顔に、薄い紅が差した。
「わしが幕府に降ったことで、
「本当に夢のようにございます」
宮中への思いが強い徳子は、
「大殿様、奥方様、本当にようございました。
徳子の涙する姿に、
同じ頃、京の室町にある花の御所。足利義満が奥御殿の
「母上、観阿弥が亡くなりましたぞ」
「ほう、観阿弥が。それは残念なこと」
特に驚くでもなく、禅尼は淡々と応じた。
「どのようにして亡くなったか、お聞きにならぬのですか」
「そうですね……病ですか」
なおざりな受け応えに、義満が顔を曇らせる。
「やはり、母上でございましたか。なぜ、観阿弥の命を」
感情を隠し、静かに問う義満に、大方禅尼はかん高くあざ笑う。
「おほほ、まるで、わらわが観阿弥の命を奪ったかのような、もの言いですね」
「駿河の今川
「さあ、何のことだか」
冴えた推理をみせる義満にも、大方禅尼は動じることはなかった。
「母上が知らぬというのであれば、話を変えましょう。観阿弥に同行していた藤若大夫は、一足早く駿河を発ったので、難に会わずに済みました。余は……いえ、それがしは、藤若を何としてでも守ってやりたいと思うております。例え、楠木の血を引いていようとも」
「将軍ともあろう者が、そこまであのような者に御執心とは……藤若とて、もう、よい歳ではありませぬか」
このとき、藤若大夫は数えて二十二歳、義満は二十七である。
「母上は何か誤解をされておられるようです。それがしは、あやつの
「ほほほ、怖い、怖い。されど、その者を除いて、義満殿の
今度は、目を据えて
「確かに、父とも慕う弥九郎を追いやった斯波義将らには怒りを覚え、庇ってやれなかった自身を悔いておりました。されど、今となっては、よかったことと思うております」
思いがけない義満の反応に、大方禅尼の微笑が消える。
「どういうことですか」
「将軍の威厳を保つには、見せしめが必要。弥九郎が身を持って教えてくれました。力を持たせて、その力を奪う。力を奪うためには、その者に敵対する者も育てておかねばなりませぬ」
さらっと老獪なことを口にする義満に、大方禅尼は眉間に皺を寄せて目を閉じた。しかし、次に目を開けたとき、強顔は消えている。
「ふうぅ……いつまでもわらわの子のままで、というわけはいきませぬな。そなたはもう立派な将軍。今の貴方なら、きっと自身の
「母上……」
「そなたのためと思うておりましたが、いつの間にか……女だてらに、
禅尼の言葉に、義満は少し色を取り戻して静かに頷く。
「将軍の育ての父は弥九郎(細川頼之)。育ての母は貴方様。よい、父と母に巡り合うたと思うております」
義理の子の言葉に、大方禅尼は付き物が落ちたかのような穏やかな微笑みを見せた。
九月、
正儀とともに、病を押して徳子も
徳子は正儀と侍女の
「どうじゃ、
正儀は足取りのおぼつかない徳子を支えてゆっくり歩いた。
徳子が正儀に寄り添う。
「あの時は、必死で
寂しそうに足元に目を落とす徳子に、正儀はわざとにやにや笑みをたたえる。
「おお、そうであったな。何でもそなたが大木を引き抜き、川に渡して橋にしたのであろう。凄い怪力じゃと皆が驚いたとか……」
しんみりとする徳子を見るのが辛かったからである。
「殿までそのような
「さあ、どうであるかな」
口元を緩め、とぼけてみせた。
「
「ええと、どうだったでございましょう。ほほほ」
「みなさま、楽しそうでございますね。されど、そろそろ、河内局様(
宴に出席することのできない
帝が顔を出す婚儀の宴に、本来、皇族でも
しばらくすると、婚儀の礼を終えた
宴もたけなわ、皆の顔が赤らむ中、徳子の顔だけは青くなっていった。
「伊賀(徳子)、あまり無理をするな。部屋を借りておる。疲れたら横になって休むがよかろう」
「いえ、殿。今日は大丈夫でございます。
「そうか……わかった。では、よく見ておくがよい。我らの子じゃ。しかと二人で見届けようぞ」
つつがなく披露の宴が執り行われた。かつて自らも宮中で過ごした徳子にとって、至極のひと時が過ぎていった。
十月十三日、
一族が徳子を囲む。
「母上様、お気を確かにお持ち下され」
「ありがとう……最後にあなたに会えて良かった」
「最後だなどと……」
そこには、心配そうな顔で徳子を見守る
そんな禅尼に向けて、徳子は優しく微笑みを返した。
続いて正儀に目を向ける。
「殿(正儀)……お勤めに……お戻りください」
自らの命が
その手を正儀が優しく握る。
「いや、伊賀(徳子)のそばに
「君臣和睦のためにございましょう……淋しいなどと……楠木の宿命を……わかって嫁いだのです」
「伊賀……」
正儀の目に涙が浮かぶ。
「御婆様……元気になってください」
孫の照子が徳子のもう一方の手を優しく
「
徳子の声に、照子とその母、
「殿……」
「何じゃ、伊賀」
「……南北合一……ぜひ実現……ください」
徳子はそう言うと、涙に
静かな最期であった。正儀の瞳から大粒の涙が流れる。一同は徳子にすがって、いつまでも嗚咽した。
この後、徳子と一番長い時を過ごした侍女の
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