第32話 新帝

 正平二十三年(一三六八年)三月十五日、摂津国住吉の住之江すみのえ殿は、帝(後村上天皇)へのはなむけであるかのように、満開の桜に包まれる。

 大喪儀たいそうぎを終えて、正儀は大納言、阿野実為さねため、参議の六条時熙ときひろの御供として、関白に復帰していた二条教基のりもとの元を訪ねた。

「関白様、喪儀そうぎも無事に終わりました。続いて親王様の践祚せんそを早く執り行うべきかと存じます。つきましては日取りを決めたく、参上つかまつりました」

 強硬派の大納言、四条隆俊と北畠顕能あきよしらが横槍を入れないうちに、実為さねためは、早く熙成ひろなり親王の践祚せんそを進めたかった。

「うむ、承知しております。月のうちにはとり行いましょうぞ。されど、四条卿らをかねばなりませぬゆえ、三月の終りとしたく存じますがいかがか」

 間を空けた提案に、正儀は少し不安を覚えた。だが、実為さねためは頷く。

「関白様、それで結構でございます。されど、四条卿らが一の宮様であることを理由に寛成ゆたなり親王を押そうとも、御上おかみ遺勅いちょくに従い、東宮とうぐう宣下せんげを受けた熙成ひろなり親王こそが次の帝にございます。そのこと、くれぐれもたがわぬように、お願い申し上げます」

 実為さねため教基のりもとの顔をじっと見据える。言質げんちをとろうとしていた。

「もちろんわかっております。何なら誓紙でも書きましょうかな」

「あ、いや、それは……」

 苦笑いを浮かべて、実為さねためは軽く手を振った。

「ほほほ。それでは、日取りについては、早ければ明後日にも麿からお知らせ致します。よろしいかな」

「承知致しました。それではよしなに。お取り計らい願います」

 教基のりもとの言葉に、実為さねため時熙ときひろは安堵する。だが正儀は、人の好い教基のりもとに一抹の不安を感じていた。


 その不安は、すぐに現実のものとなる。

 その日の午後のことである。強硬派の四条隆俊と北畠顕能あきよしが、七人の公卿くぎょうを集めて、関白、二条教基のりもとの元へと押しかけた。熙成ひろなり親王と寛成ゆたなり親王について、皇位継承を改めて廟堂びょうどうで審議すべきと、教基のりもとに直訴を行ったのである。

 大勢の公卿くぎょうに取り囲まれた教基のりもとは、こらえきれず、朝議にはかりたいとその場を逃げてしまった。


 翌々日、関白、二条教基のりもとの発議で急遽、公卿くぎょう廟堂びょうどうに集められた。蔵人くろうどであった正儀は、帝(後村上天皇)が崩御ほうぎょしたことでその任を解かれ、掌記しょうき(書記)としてさえも同席は叶わなくなっていた。

 廟堂びょうどうの空気は、最初からぴんと張り詰める。

「和睦が成らなんだ今、幕府と相対していくには、若い熙成ひろなり親王では不安じゃと皆が漏らします。多くの公卿くぎょうに支持を得ている寛成ゆたなり親王こそ、次の帝にふさわしいかと存じます。何と申しても一の宮様でございます」

 四条隆俊は、関白の教基のりもとに睨みを効かせて寛成ゆたなり親王の践祚せんそを迫った。

 これに対して、すかさず阿野実為さねためが意見する。

「待たれよ、四条卿。そもそも、このようなことを朝議にはかろうとすること自体、御上おかみに対する不遜ふそんじゃ。朝議を開くというのは、臣下が帝を決めるということに他なりませぬ」

「いえ、古代の継体けいたい帝は、大連おおむらじ大伴金村おおとものかなむららが協議して、選びたてまつったとある」

 悪びれずに隆俊は応じた。

 継体けいたい帝とは、古代、応神おうじん天皇の五世孫ごせいそんで、第二十六代の天皇である。皇統が途絶えそうになったとき、越国えつのくにから朝臣ちょうしんによって迎え入れられたと伝わる謎多き天皇であった。

 これには、さすがに実為さねためも、苛立ちを隠しきれずに声が大きくなる。

「いったい、いつの時代の話をされておられるのか。このような朝議をしようと、次の帝は、御上おかみから東宮とうぐう宣下せんげを受けた熙成ひろなり親王をおいて他にはありませぬ。これを無視して寛成ゆたなり親王を帝に据えようものなら、天下の御政道ごせいどうが成り立ちませぬ」

 もう一人の強硬派の首魁しゅかいである大納言、北畠顕能あきよしが薄笑いを浮かべる。

「阿野様、何か勘違いされておられぬか。いくら熙成ひろなり親王が東宮とうぐう宣下せんげを受けていると申しても、立太子りったいしの礼が行われていたわけではありませぬ。現に東宮とうぐうの証である壺切つぼきり御剣みつるぎを持たれているわけではありますまい」

 顕能あきよしの言葉に、六条時熙ときひろがはっとする。授翁じゅおう宗弼そうひつの指摘を思い出したからである。

 東宮とうぐうの証となる壺切つぼきり御剣みつるぎは、北朝の皇統が持ったままで、南朝には伝わっていなかった。また、この頃の南朝は支配地域も縮小して租税も少なく、盛大な立太子りったいしの礼を執り行う余裕もなかった。

 だが、時熙ときひろも黙っているわけにはいかない。

「たとえ立太子りったいしの礼を執り行っていなくとも、御上おかみ遺勅いちょくでございます。御上おかみ御意思ごいしを無視されると申されるのか」

御上おかみ遺勅いちょくと申されるが、枕元でお聞きになったのが三位局さんみのつぼね様(阿野勝子)と、阿野大納言、六条参議、そして河内守かわちのかみ(正儀)という御面々では、どうも信用できかねます」

「何、我らが嘘をついておると申されるか。聞き伝なりませぬな」

 いつもはおとなしい実為さねためが言葉を荒げた。しかし、顕能あきよしは涼しい顔で口撃する。

「それならば、麿は御上おかみより寛成ゆたなり親王が世継ぎじゃと聞いた……と申せば、阿野卿はお信じいただけますかな」

 横柄おうへい顕能あきよしのもの言いに、時熙ときひろ苛立いらだちの表情を浮かべる。

「今更、寛成ゆたなり親王のお名前を出されても……中宮様の一件で、御立場を失って久しい……」

 感情的になった時熙ときひろは、宮中では禁句となっていることにまで触れた。

 寛成ゆたなり親王の生母は北畠親房ちかふさの娘、顕子あきこであった。だが、親王が幼いうちに亡くなり、帝の寵愛は阿野勝子に傾倒する。その勝子が熙成ひろなり親王が産むと、危機感を募らせた親房は、末子の房子を中宮として輿こし入れさせた。しかし、房子の不義にたんを発した騒動で、親房は謹慎を余儀なくされる。北畠の血を引く寛成ゆたなり親王は、その騒動の中で、忘れられた存在となっていた。

 時熙ときひろの発言に目を吊り上げたのは、その時、自身も謹慎を余儀なくされた顕能あきよしである。

「六条卿の申されようは、寛成ゆたなり親王はおろか、御上おかみまでを愚弄ぐろうするのもじゃ。当時のことは新待賢門院しんたいけんもんいん様(阿野廉子かどこ)の御意向ごいこうであろう。すでに御院ごいん様が薨御こうぎょあそばされ、麿もこうして朝議に出られるようになった。当然、寛成ゆたなり親王に、その責がおよぶものではないわ」

「北畠卿は新待賢門院しんたいけんもんいん様に責任を追わせるおつもりか。御言葉を慎みなされ」

 すかさず言い返す実為さねために、再び隆俊が加わる。

御院ごいん様のことで、何もそのように怒ることもありますまい。やはり、阿野卿は御身内おみうちよのう」

 四人の公卿くぎょうの言い争いは泥沼におちいった。

「待たれよ、おのおの方。議論はいつまで行っても交わることはないであろう……」

 朝議を開いた教基のりもとが、悩んだ挙げくに議論を制した。

「……麿に一任いただきたく存ずる。結論は軽々に申すことはできませぬが、やはり、御上おかみ御意向ごいこうは無視するわけには参りませぬ」

 その言葉に、実為さねため時熙ときひろは顔を見合わせて安堵する。一方、隆俊と顕能あきよしは強張った表情で教基のりもとを睨んだ。


 住之江すみのえ殿に作られた侍所さぶらいどころ。正儀は河野辺正友、和田正武らとともに、践祚せんその行方に気を揉んでいた。

 朝議の後、正儀らは阿野実為さねために呼び出される。

「結論は関白様(二条教基のりもと)に一任することに決したが、御上おかみ(後村上天皇)の御意向ごいこうを尊重するとのこと。一先ひとまず安堵した」

 紛糾した朝議を制し、実為さねための顔はほころんでいた。

 しかし、なおも正儀は険しい表情を緩めない。

「大納言様(実為さねため)、油断は禁物でございます。もはやこれまでと、強硬な手を使ってくるやも知れません」

 これに時熙ときひろの顔が強張る。

「強硬じゃと……兵を用いるとでも河内守は考えておるのか」

「それがしの知るところでは、四条大納言様は手勢を紀伊から百騎ばかり呼び寄せております。北畠大納言様の動きはつかめておりませぬが。行宮あんぐうをこれらの兵で固めて、三種の神器と関白様を手のうちにして、寛成ゆたなり親王の践祚せんそを強行するとも限りません」

「うむ、まさかとは思うが、念には念を入れた方がよいか……河内守(正儀)、行宮あんぐう警護のためと称して、東条から兵を集められるか」

 実為さねための問いかけに、正儀は難しい表情を浮かべる。

「兵を集めることは容易ですが、それがしが郎党を集めたとなると……」

 和睦派と強硬派によって内戦状態になるのを恐れていた。

「それがしが兵を出しましょう」

 声の主は和泉守、和田正武であった。

「我が和田党であれば、楠木の郎党より、目の敵とされる恐れは少ないでしょう。それに、和泉の我が館であれば東条に比べて近うございます。すぐに兵を集められます」

 提案は合理的であった。

「和泉守、それはよい提案じゃ。さっそく兵を呼び寄せて行宮あんぐうを警護してもらおう。のう、河内守」

 手をって実為さねためが喜ぶが、正儀は、いつになく和睦派の動きに協力的な正武に、内心、躊躇ちゅうちょしていた。しかし、断る理由も見当たらない。

「承知しました。新九郎(正武)殿、よしなにお願い申す」

 目を向ける正儀に、正武は無表情に頷いた。


 熙成ひろなり親王の践祚せんそに向け、正儀は公卿くぎょうたちを説得するため、それぞれの屋敷を奔走していた。

 とある屋敷から、次の公卿くぎょうの元へ向かおうと馬に跨がった正儀の元へ、青い顔した河野辺正友が馬で駆け付ける。

「殿、大変でございます」

 嫌な予感が走る。

「いかがしたのじゃ」

「殿、和田党によって、我らは行宮あんぐうから閉め出されました」

「な、なんじゃと」

 かっと正儀は目を見開いた。

 行宮あんぐうに集まった和田の兵は、予定をはるかに超えるものであった。兵たちは住之江すみのえ殿を囲み、関白以下の公卿くぎょう住之江すみのえ殿ごと軟禁した。一部の兵は行宮あんぐう内に入り、三種の神器をたてまつる宝物の間も抑えていた。

 仔細を聞いた正儀は、正友を伴って急ぎ住之江すみのえ殿に戻る。しかし、御殿の外には、二重三重に和田の兵が取り囲んでいた。

 馬上から正友が声を張る。

「こちらは、楠木河内守様なるぞ。殿を通すのじゃ。門を開けよ」

 上気する正友に対しても、和田の兵は戸惑いながらも開門には応じず、そろりと、やりを二人に向けた。

 そんな兵を押し分け、奥から一人の男が進み出る。

「河内守様、申し訳なき事なれど、ゆえあって、ここをお通しするわけには参りませぬ」

 男は和田正武の嫡子、判官代はんがんだいの和田孫次郎まごじろう正頼まさよりであった。

「これは、御父上の命か」

 一門の棟梁である正儀の問いにも、正頼は苦渋の表情を浮かべるだけで、返事を返すことはなかった。


 その頃、行宮あんぐうの中では、四条隆俊と北畠顕能あきよしが、具足ぐそく甲冑かっちゅう)姿の和田正武を供に、関白、二条教基のりもとの元を訪れていた。三人は教基のりもとの前で、仰々しく平伏する。

 人のよい教基のりもとであったが、この度ばかりは、真っ赤な顔をして激怒する。

行宮あんぐうに兵を入れるとは、いったいどういうことじゃ。このようなことをして、ただではすまぬぞ」

「手荒い事をして申しわけございませぬ。されど、このようにせねば、関白様の身に、大事が起きていたやも知れませぬ」

 頭を上げた顕能あきよしが、自らの首に向けて手刀を引く真似を見せた。

「どういうことじゃ」

「関白様、それがしから説明致しましょう……」

 隆俊も顔を上げる。

「……河内守(正儀)が阿野大納言らと謀って、行宮あんぐうに兵を送り込もうと致しました。河内守より出兵を下知げちされた和泉守(正武)は、兵を率い行宮あんぐうまで来たものの、思い悩んだ挙げ句、恐れ多いことと、我らの元に参じ、行宮あんぐうを守護する側に回ったという次第でございます。のう、和泉守。申してみよ」

 不審がる教基のりもとに、後ろで平伏していた正武が、具足ぐそく甲冑かっちゅう)を鳴らして顔を上げる。

「それがしは、確かに河内守殿より、行宮あんぐうに兵を出すようにと命ぜられました。河内からも兵が出てくる可能性がございます。我が一門の棟梁に反意を示すのは忸怩じくじたる思いにございます。されど、御政道ごせいどうを護らんがため、四条様の元に参じて行宮あんぐうを守護することに致しました」

 これに隆俊が補足する。

「河内守の狙いは、北畠卿と麿でございましょう。和泉守の機転がなければ、我らは討たれておったやも知れませぬ。いや、関白様さえも被害を被っていたやも」

「まさか、そのような事、信じられぬ……」

 教基のりもとは、ただ茫然と宙に目をやった。


 和睦派の大納言、阿野実為さねためと参議の六条時熙ときひろは、和田の兵によって別室に留め置かれていた。そこに、二条教基のりもとの元からがった四条隆俊と北畠顕能が現れる。

 激高した時熙ときひろが、すかさず二人を睨みつけた。そして、その後に姿を見せた和田正武を目に留めると、思わず手に持つ扇で床を打ち付ける。

「この裏切り者めが」

 しかし正武は、目線を合わせようとはせず、ただ黙って敷居近くでひざを付き、一礼した。

 一方、隆俊と顕能は、立ったまま、勝ち誇ったように、実為さねため時熙ときひろ見下みおろしていた。

「六条殿、和泉守(正武)を責めるのは筋違いであろう。和泉守は、ただただ行宮あんぐうの安寧を願うて、思い悩んだ挙句に麿に相談し、行宮あんぐうを守備したまでのことじゃ」

 にやりと口元を緩めた隆俊に、実為さねため高眉たかまゆを吊り上げる。

「何を心得違いしているのかは知らぬが、麿が河内守に命じたのは、行宮あんぐうの警護じゃ。それを麿たちが謀反むほんを企てたように吹聴したのであろう。そもそも兵を集めていたのは四条殿らであろう」

「阿野殿、抗弁は朝議が終わってからにされるがよい。今しがた、関白様(二条教基のりもと)と話がつきました。河内守の挙兵に関与された阿野卿と六条卿を除き、朝議を開くことになりました。ここで、いずれかの親王の践祚せんそが決まることとなります。では、我々はこれにて」

 冷たく言い放った顕能あきよしは、きびすを返し、隆俊・正武と共に、部屋の外へ出て行った。


 さっそくその日の午後、朝議が開かれる。

 住之江すみのえ殿の外では、和田正武の息子、正頼に排除された正儀が、河野辺正友、郎党数名とともに、遠巻きにして朝議の行方を見守っていた。

 関白、二条教基のりもとは、四条隆俊と北畠顕能あきよしたくらみは理解していた。だが、和睦派の首魁しゅかいである阿野実為さねためと六条時熙ときひろが不在の中では、強硬派の意見を制する者が居ない。また、顕能あきよしの工作で強硬派の公卿くぎょうが多かったため、第一皇子の寛成ゆたなり親王の践祚せんそを認めざるを得なかった。

「さりながら、御上おかみ(後村上天皇)の遺言に背くわけには参りませぬ。寛成ゆたなり親王の践祚せんそに同意いたすとはいえ、東宮とうぐう宣下せんげを受けられた熙成ひろなり親王がいずれ帝に御成りあそばすという前提でのこと。此度こたびは、熙成ひろなり親王がまだお若いゆえ、いずれ時が来たるときまで兄宮の寛成ゆたなり親王が帝の座にお付きになる。そういうことでなければ、とても賛同致しかねます」

 教基のりもとと残りの和睦派の公卿くぎょうたちは、せめてもの反論を試みた。結果、熙成ひろなり親王を皇太弟こうたいていとして認めさせ、和睦派の体面を保った。

 さっそく朝議の結果は、住之江すみのえ殿の外で控えていた正儀にも知らされた。

「そのような事、認めてなるものか」

 河野辺正友が郎党とともに激昂した。しかし、正儀が制する。

熙成ひろなり親王が皇太弟に決まったことがせめてもの救いじゃ。朝議で結果が出たからには、無駄な争いを行ってはならん」

「されど、殿……」

 怒りで肩を震わせる正友に対して、正儀はゆっくりと首を左右に振る。

「我らが熙成ひろなり親王を御推挙したのは朝廷のことを思うてのことじゃ。ここで我らが暴れることが朝廷のためになろうか。我らは東条へ、いったん引こうではないか」

 そう言うと正儀は馬に跨った。表面上は冷静な対応である。しかし、心の中は誰よりも怒りに震えていた。

 正友を始めとする家臣たちも、悔しさを胃の腑に落として従った。


 正平二十三年(一三六八年)三月末、東宮とうぐう宣下せんげを受けていた熙成ひろなり親王を押しのけて、寛成ゆたなり親王が、帝(長慶天皇)に践祚せんそした。このとき、二十六歳である。

 後日、和田党が守備する住之江すみのえ殿で、即位の礼が執り行われた。即位の礼とは言っても質素なものである。

 本来なら、たくさんの旗が掲げられ、揃いの白装束を着た近衛兵が整列する中、束帯そくたい姿の公卿くぎょうたちが控える。そして、雅楽が演奏される中、帝が高御座たかみくらに上り、さまざまな儀式が数日間、行われる。この式典は、世間に即位を知らしめる意味で、庶民にも見物を許すのが慣例であった。

 しかし、この度の即位の礼では高御座たかみくらはなく、雅楽の演奏もない。旗はまばらで、守護する和田や名和の兵たちは直垂ひたたれ姿のままであった。そして、庶民の見物も認めず、人目をはばかるようにして行われた。

 同時に熙成ひろなり親王の立太子りったいしの礼も執り行われた。関白、二条教基のりもとこだわり、四条隆俊らに最後まで抵抗した事柄ことがらであった。

 即位と同時に立太子りったいしの礼を行うことで、新しい帝は、熙成ひろなり親王が践祚せんそするまでの一時的な帝である事を明確にした。つまり、熙成ひろなり親王こそが万世一系ばんせいいっけいの世継ぎだと世の中に示したのである。

 さらに、教基のりもとはもう一つ条件を出していた。それは、阿野実為さねためと六条時熙ときひろの赦免であった。

 教基のりもとは、実為さねため謀反むほんなど、あり得るはずのない滑稽な話であって、罠であることは明白と考えていた。だからこそ、この先、隆俊ら強硬派の暴走に歯止めを設けるためには、どうしても必要なことであった。

 赦免された実為さねため時熙ときひろは、堅い表情で、終始無言で即位の礼に参列した。

 武家も大勢列席していたが、正儀の姿はなかった。隆俊は正儀を許さなかった。

 一つは、父、四条隆資たかすけを死に追いやった正儀を憎んでいたことが根底にある。だが、これは、隆俊の誤解に基づくものであった。

 もう一つは、正儀が朝廷の兵馬を掌握することを恐れていたからである。隆俊は和田正武を重用ちょうようすることで、楠木の力を削ぎ、正儀に対抗する力を育てようと考えていた。

 とにかく、正儀は朝廷での立場を失った。だが、即位の礼に招聘しょうへいされなかったことに特に異論も唱えず、楠木館で沈黙を守った。

 正儀は流れを読むことに長けている。自らの正義を主張し、訴えれば訴えるほど、敵が増えると悟っていた。今はただ流れが変わるのを待とうと思った。

 この年、新帝(長慶天皇)の即位が実現したことで、帝の叔父にあたる北畠顕能あきよしは内大臣に就任する。この先、正儀の立場は、ますます苦しいものとなっていくのは必定であった。


 四月十五日、幕府においては、足利義詮よしあきらの嫡男、数え十一歳の春王丸が元服し、足利義満となった。元服を取り仕切ったのは幕府管領かんれいの細川頼之である。

 これより十日前、頼之は武蔵守に任じられていた。かつて、鎌倉幕府に於ける執権北条氏、建武の新政時の足利尊氏、そして、足利幕府を開いた後には将軍家執事の高師直こうのもろなおも任じられた特別なものである。

 元服式は頼之が烏帽子親えぼしおやとして加冠かかん役を務め、従弟の細川業氏なりうじが髪結い役を務めた。また、弟の細川頼元や、従弟の細川氏春もそれぞれ役を務め、式典は細川氏の独壇場どくだんじょうとなった。

「御所様、元服の儀、祝着至極にございます」

 儀式を終えて、頼之が笑みを見せた。

「武蔵守(頼之)、段取り、ご苦労であった。これからもよしなに頼むぞ」

「ははっ」

 十歳を少し超えたばかりの少年、義満に、頼之はかしこまって頭を下げた。

「で、はいつ将軍に成るのじゃ」

「御所様、将軍宣下せんげ宝筐院ほうきょういん様(足利義詮の戒名)の喪が明ける十二月以降になりましょう」

 問い掛け応じたのは、かたわらに控えた伊勢守いせのかみ、伊勢照禅しょうぜんであった。照禅は出家後の号で、名は貞継さだつぐよわい六十の老武士である。足利尊氏の時からの将軍近臣であり、幕府・将軍家の内々の諸事・作法を取り仕切っていた。

 正室の渋川幸子ゆきこはばかった先代の足利義詮が、身籠った愛妾あいしょう紀良子きのよしこを伊勢家に預けたことで、義満はこの照禅の屋敷で生まれ、幼い日々を過ごした。言わば傅役もりやくといえる存在である。

 このこともあり義満は、公なことは頼之を父として頼り、内々のことはこの照禅を父として頼っている。


 五月、正儀の姿は、自身が建立こんりゅうした北河内仁和寺荘にんなじそうの観音寺にあった。扉を閉じた御堂みどうの中は、格子窓から入るの光で観音菩薩だけが輝いていた。

 この菩薩に向かって手を合わせる正儀の背後が急に明るくなる。その光に向けて、正儀が振り返った。

「正儀殿、拙僧が御呼び出てしたにも係わらず、お待たせして申し訳ありませぬ」

 そこには、授翁じゅおう宗弼そうひつが一人の男を連れて立っていた。

「いや、心静かに手を合わせるのに、ちょうどよい一時でございました。で、そちらの方が……」

 りんたたずむ男に、正儀は視線を送った。

 すると、男がその場に座って頭を下げる。

「幕府管領かんれいの細川頼之にござる」

「楠木河内守かわちのかみ正儀にござる」

 居住まいを正し、正儀も頭を下げた。

「拙僧が讃岐さぬきを訪れた折、細川殿には大そう世話になってのう。此度こたびも、拙僧の願いを快くお受けいただいた」

 これまでも宗弼そうひつは、気が向くと諸国を旅して回っていた。

 軽く笑みを浮かべた宗弼そうひつが、二人を本堂から寺の客間へと案内した。正儀は、下座の宗弼そうひつを挟んで、上下かみしもの区別なく、頼之と向かい合わせに座る。

「わざわざの御運び、痛み入り申す」

「いや、何の。楠木殿、和睦を進めるために、それがしは貴殿に会わなければと思うておりました。宗弼そうひつ様の話は渡りに船でござった。御所様(足利義満)は、これまで同様に、南方みなみかたとの和睦に尽力せよとの仰せでござる。何卒なにとぞ、よしなに」

 その言葉に正儀は、申し訳なさそうに視線を落とす。

「それがしも思いは同じでございます。されど、少々間が悪うございました。住吉では新しい帝(長慶天皇)が御即位されました」

「聞いております。てっきり、弟宮おとみや様(熙成ひろなり親王)が践祚せんそされるのだと思うておりましたが」

 正儀が顔を曇らせる。

「新しい帝は、先帝(後村上天皇)とは異なるお考えをお持ちです」

「異なる考え……新帝は和睦を願うておられぬと言われるか」

「難しいことになるでしょう」

 申し訳なさそうに正儀は頷いた。

 すると頼之は、ううむと唸って目をつむる。

 しばしの沈黙が二人を包んだ。

管領かんれい殿、それは、和睦を願う正儀殿にとっても辛いことなのです」

 空気を察して、宗弼そうひつかばった。

 これに、正儀が苦笑いで応える。

「それがしは蔵人くろうど罷免ひめんされました。さらに和睦で志を同じくしていた公卿くぎょう方も厳しい御立場となりました。もはやそれがしから帝のお耳に入れることは、難しくなりましょう」

 無念な表情の正儀に、頼之は首を横に振る。

「では、別の手立てを考えましょう。お見受けするところ、楠木殿の朝廷(南朝)での御立場は苦しいものと察しまする。楠木殿さえ、よければ、将軍の元に参じていただけぬであろうか」

 突然の申し出であったが、正儀はさほど驚きもせずに宗弼そうひつの方に顔を向けた。

「正儀殿、拙僧もそれがよいと存ずる。よくご検討されるがよい」

「山名弾正だんじょう殿(時氏)や大内修理しゅり殿(弘世ひろよ)のようにでございますか……」

 二人はすでに頼之によって、南朝方から幕府へ寝返っていた。

 正儀は静かに首を横に振る。

「お会いする前から、細川殿からそのようなお話が出るであろうことは承知しておりました。おそらく宗弼そうひつ様もそれを期待して、それがしを細川殿に引き合わせたのでございましょう。されど、それはできませぬ。楠木は、山名や大内とは違います」

「楠木殿、それをわかっていて、ではなぜ、この場に来られた。和睦も奏上できぬ、幕府に付くこともできぬでは、それがしと会う意味がないではないか」

 そう言って、頼之は正儀の顔を窺った。

「まったく仰せの通りじゃ。されど、それがしは細川殿に一度、会うてみたかった。どのような男なのかこの目で見たかった。ただそれだけなのです」

 偽らざる胸のうちであった。

「ふふふ、ははは、これは愉快じゃ……」

 頼之は胸襟きょうきんを開く。

「……楠木殿、それがしも同じでござる。貴殿と一度会うてみたかった。なるほど、楠木殿とは気が合いそうじゃ。宗弼そうひつ様が言われた通りでございましたな」

 その言葉に、宗弼そうひつは我が意を得たりと微笑み返した。

 結局、この日、頼之は、これ以上、和睦を協議するわけでもなく、正儀の寝返りを求めるわけでもなかった。宗弼そうひつを含めた三人は、ただ互いの立場で、今の世情について意見を語った。


 その頃、大和国結崎ゆうざきに一座を移し、結崎ゆうざき清次となった観世は、京で乙鶴おとづるという女曲舞おんなくせまい師に魅了されていた。

「いつ観ても、そなたの舞は美しい」

「観世殿、来られていたのですか……」

 舞台の袖で待っていた観世に、乙鶴おとづるは頬を赤らめる。

「……少しお待ちくだされ。すぐに片付けますので」

 美男である観世の誘いに、乙鶴おとづるは胸を踊らせた。

 乙鶴おとづるに近付いたのは、単に美しい女だからではない。曲舞くせまいが、未完の申楽さるがく能に、何かを与えてくれるのではないかと思ったからである。

 曲舞くせまいとは、静御前しずかごぜんで有名な白拍子の舞が起源とも言われ、物語に韻律おんりつを付して節と奏楽を伴う歌舞である。中でも乙鶴おとづるは、百万ひゃくまんという大和から出てきた女曲舞おんなくせまいが打ち立てた賀歌女かがじょという流派であった。

 暇さえあれば、観世はその乙鶴おとづるの元を訪れた。そして、情を交わし、曲舞くせまいの節を五感で身に付けた。

『芸能は目で観て耳で聞くものじゃ。その両方が調和すれば倍にも十倍にもなるであろう……』

 この京極道誉の言葉が、頭から離れることはなかった。


 観世が乙鶴おとづるの元に通いだして、しばらくの後である。ついに道誉の問いかけに、答えを見つける。

 大和に戻った観世は、試行錯誤の末、大和音曲やまとおんぎょくを創作した。それまでの調しらべ主体の申楽さるがく能の音曲おんぎょくに、曲舞くせまいふしを取り入れたのである。

「入道様(道誉)、私はついに答えを見つけましたぞ」

 観世は天を仰いで高らかに笑った。


 この年の十月、河内国の楠木館へ、幕府より使者が訪れた。細川頼元と赤松光範みつのりの二人である。

 頼元は幕府管領かんれい、細川頼之の歳の離れた弟であり、子のない頼之の嫡養子ちゃくようしとなっていた。

 一方の光範みつのりは、播磨守護、赤松則祐そくゆうの兄、範資のりすけの嫡男である。かつての摂津守護で、正儀とは摂津の覇権をかけて幾度も戦った仲であった。しかし、いつも楠木の神出鬼没の戦振りに翻弄ほんろうされ、煮え湯を飲まされていた。正儀に対しては敵意しかなかったが、頼之のめいで渋々、使者として楠木館に来ていた。

 光範みつのりは、出家して正寛しょうかんとなった熊王丸を、正儀の元へ送り出した元の主君でもある。赤坂城の麓にある館の中を、その正寛しょうかんを探すかのように、きょろきょろと辺りを見回しながら頼元の後に続いた。

 二人は広間に通されると、正儀の前で下座に腰を降ろす。

「幕府管領かんれい(頼之)より、和睦の申し入れを預かって参りました。つきましては、楠木殿(正儀)より、住吉の帝に奏上つかまつりますよう、お頼み申す」

 そう言って頼元が書状を差し出した。淡々と交渉に入る頼元に対し、光範みつのりは終始厳しい視線を向けていた。だが正儀に、これを気にする素振りはない。心は別のところにあった。

(わしを試しておるのか……)

 正儀は、頼之の真意を計りかねていた。すでに、和睦の奏上ができる立場でないことは承知しているはずである。

 心の中で自問しながら、正儀は二人の顔を見る。

「もとより、和睦はそれがしの思うところ。管領かんれい殿の書状は、帝(長慶天皇)に奏請そうせいいただけるよう、できる限り尽力する所存。されど、朝議でどのように決するか、保証の限りではござらん」

 二人を前に、正儀は正直に話した。

 あらかじめ言い含められていたからか、頼元はそれで結構と言葉を返した。


 接見が終わった正儀は、細川頼元と赤松光範みつのりを、逗留先の往生院おうじょういん六萬寺ろくまんじ)に案内する。この寺院は東条からは遠い。馬に乗った正儀が、自ら一行を先導した。

 馬上で光範みつのりが、うんざりとした表情を浮かべる。

「楠木殿、まだ着かぬのか。一体、何処に連れて行こうというのか」

「御足労をおかけし申し訳ない。あれに見えるが往生院おうじょういんでござる」

 そう言って、小高いところに建つ建物を指差した。

 山門さんもんに到着した頼元が正儀に歩み寄る。

「楠木殿自らの案内あない、痛み入り申す」

 遠くへと連れ回されたにもかかわらず、頼元は礼節ある態度をみせた。一方、光範みつのりは、憮然として目をらしていた。

「いや、ついでに、赤松殿(光範みつのり)に引き合わせたき者もおりましたから」

「それがしに……」

 それまで視線を逸らしていた光範みつのりが、怪訝けげんな表情を返した。

 そんな二人を連れて、正儀が寺の山門さんもんくぐる。そこには頭を下げる一人の修業僧がいた。

「赤松の殿(光範みつのり)……お久しゅうございます。熊王にございます」

 境内けいだいで待っていたのは、熊王丸こと出家した正寛しょうかんであった。

「く、熊王なのか、楠木殿(正儀)、これはいったい……」

 驚く光範みつのりに、正儀が表情をやわらげる。

「熊王丸は出家の道を選んだのです。積もる話もございましょう。二人でごゆるりと話をされるがよろしい。では、細川殿はこちらに」

 仔細がつかめず首を傾げる頼元を連れ、正儀は本堂へと向かった。


 その場に残された赤松光範みつのり正寛しょうかんの二人は、場所を変え、食堂じきどうの中で向き合う。開け放った障子越しの赤や黄色の紅葉が、時の隔たりを忘れさせた。

「熊王丸、達者であったか。ずいぶんと心配したのじゃ。生きておれば、便りの一つでも誰かに託せなかったのか」

「私は殿(光範みつのり)に不義理をしてしまいました。本来、会わせる顔などないのでございます。それを楠木の父上(正儀)が、どうしてもと言われ、こうして、厚顔をかえりみず、お会いした次第です」

「楠木の父上とは……いったい、これまでの間、何があったのじゃ」

 さっぱり腑に落ちない光範みつのりに向け、正寛しょうかんは申し訳なさそうにうつむく。

「あれからわたしは……河内東条におもむき、運よく楠木の家臣に声を掛けられました……」

 そう言って、ぽつりぽつりとこれまでのことを語り始めた。

 楠木館に招かれた正寛しょうかんは、思いがけず正儀の猶子ゆうしとなる。それからは、義理の兄弟たちと心許せる日々を過ごした。

 正寛しょうかんは、幼い自分を育ててくれた慈悲深い正儀を、どうしても討つことはできなかった。結果、親身になって送り出してくれた主君、光範みつのりへの不義理との間で悩み、自害しようとした。そして、正儀に打ち明け、この寺で出家したまでの経緯いきさつを、滔々とうとうと話した。

 聞き終えた光範みつのりは、辛そうな表情を見せる。

「そうであったか……わしがかたきを討つために出奔しようとするお前を止めておれば、苦しまずに済んだ。すまなかった」

「殿様、滅相もございませぬ。全てはわたしの責任でございます。それに、出家して思ったのは、赤松の殿と楠木の父、二人にお会いできたことこそが、私の生涯の宝となっているのでございます」

 正寛しょうかんは小さな笑顔を浮かべた。

「そうか……正儀という男は、それほどまでに心優しき者か……」

 そう言って光範みつのりは、正儀が居る本堂に目を向けた。


 幕府の使者、細川頼元と赤松光範みつのり往生院おうじょういんに残し、正儀はその足で住吉に向かった。

 しかし、住之江すみのえ殿には参内さんだいせず、大納言、阿野実為さねための屋敷に入って、事の次第を伝える。

 神妙に頭を下げる正儀に、実為さねための表情が曇る。

「河内守、麿から御上おかみ(長慶天皇)に伝えることはもうできぬ。わかっていよう。関白様(二条教基のりもと)にお話して、力になってもらうがよかろう」

 新帝が即位したことで、実為さねためは朝廷での実権を奪われ、今は形ばかりの大納言であった。

「いえ、大納言様。それがしは直接、四条大納言(隆俊)に話をしてみるつもりです。それを阿野様にお伝えしておきたかったのでございます」

「そうか……そういうことであるか。そなたがそう思うのであれば、悔いの残らぬようにな」

 そう言って、実為さねためは正儀を送り出した。

 その日、住吉大社の宿坊に泊まることにした正儀は、河野辺正友を四条隆俊の屋敷へと使わせる。隆俊が無視する懸念もあったが、意外にも会うとの返事を正友は持ち帰った。


 翌日、正儀は住之江すみのえ殿の一間で、四条隆俊を前に、下座で平伏した。隆俊のかたわらに和泉守、和田正武の姿もある。正儀を不信がっているのは明らかであった。

 その場の空気が張り詰める。

「河内守が麿に会いたいとは珍しいことじゃ。今更、何用じゃ」

 平伏の姿勢から、正儀はゆっくりと顔を上げる。

「幕府からそれがしの元へ和睦の使者が参りました。書状を預かっております……」

 そして、隆俊に渡すようにと正武に書状を差し出す。

「……ぜひ四条大納言様より、朝議におはかりいただき、帝(長慶天皇)に奏上いただきますよう、お願い申し上げます」

 睨むように正儀へ視線を向けたまま、隆俊は正武から受け取った書状をゆっくりと開く。

「河内守、なぜにそなたが和睦の取り次ぎをやっておるのか。誰の許しでやっておるのか」

「仰せ、ごもっともなれども、朝廷(南朝)の事情を知らぬ幕府の使者が、それがしの元に参り、和睦の取り次ぎを頼みました。それがしのところで放っておく訳にも参らず、こうして、住吉にまかり越しました。朝廷で朝議に御はかりいただき、帝(長慶天皇)に奏上できる御方をと考え、四条大納言様の元へ参った次第にございます」

 そう言って、隆俊の叱責をかわした。言い分は至極真っ当で、隆俊もそれ以上は、苦言を呈することはできなかった。

此度こたびの相手は京極入道(道誉)に非ず、新たな幕府管領かんれい、細川頼之でございます」

 怒りを抑えて書状に目を落とす隆俊に、正儀は言葉を足した。

 目を通し終えた隆俊が、正武に見せることもせず、正儀に向けて書状を投げ返した。

「先般の和睦と条件は何も変わっておらぬではないか。このようなものを奏上せよと申すか」

 冷たく言い放つ隆俊を前に、正儀は目の前にほうられた書状を拾い上げる。そして、元のように折り揃えながら、隆俊の前に再び差し出す。

「和睦の条件は同じですが、新帝が即位され、将軍も変わりました。和睦の交渉は振り出しに戻ったということでございます。幕府としては条件を最初の時のように自分たちに都合よく書くこともできたでしょう。されど、同じ内容で和睦を求めてきたのは、今後の交渉として幸先よきことにございます」

「条件をまったく変えようとしない和睦を幸先よきものじゃと。そのほうは幕府の手先であるか」

 だんだんと隆俊の声が荒立ってくる。

「大納言様、和睦を呑めないとしても、和睦の交渉を引き続き行う事こそが肝要でございます。住吉の、ここ数年の安寧は、和睦の交渉が続いておればこそでございます。和睦を打ち切れば、幕府は兵を挙げることでしょう。さすれば……」

「和睦をする気もないのに、交渉をせよと申すか。やはり、卑怯な河内守よ」

 遮って隆俊は暴言を浴びせた。

「な、何と」

 腹に据えかねた正友が言い返そうとするのを、正儀は後ろ手で制する。そして、大きく息を吐いて意を決っする。

「大納言様、それがしを御父君のかたきとお恨みのご様子、予てより承知しております。結果的に御父上を見殺しにしてしまったことは、それがしとて辛い出来事でございました」

「ふん、まるで他人事よのう」

「お聞きください。大納言様がそれがしにこだわってまつりごとをされる限り、この先、誤った道を進まれることになるやもしれませぬ。このことは生涯、それがしの胸にしまっておこうと思いました。されど、もし、大納言様のお考えを変えていただくことができるのであれば、お話する意味があろうかと存じます」

 不審な表情を隆俊が浮かべる。

「いったい何が言いたいのじゃ」

「それがしがなぜ男山に行幸ぎょうこうされた先帝(後村上天皇)を、お助けしに戻らなかかったか、その理由にございます」

「何、理由じゃと」

「それがしは先帝より密命を受けておりました。あの時、先帝は死を覚悟されておられました。それがしに三種の神器を託し、男山からの下山を命ぜられたのでございます。先帝に万が一のことあらば、楠木党で熙成ひろなり親王を守護し、三種の神器をもって新しい帝に即位させよと。それゆえそれがしに、東条に戻って動くなと、お命じになられたのでございます」

 隆俊ばかりか、同席していた正武も目をいた。

「何を突拍子のないことを。三種の神器は確か、男山から総撤退の折、阿野卿(実村さねむら)が馬にくくりつけて下山された。それを、そちが先に持っていようはずはない」

「四条様は箱の中に入った神器を見られましたか。箱の中には神器はなかったのです。それがしと従弟の美木多五郎(正忠)が抱えて、男山を抜け出し、賀名生あのうに持って帰ったのです。それを発案され、先帝に奏上されたのが、阿野実村さねむら卿と、そして四条隆資たかすけ卿にございます」

「そ、そちが男山に戻って来なかったのは、我が父君の考えじゃと言うのか」

 隆俊の顔が上気する。明らかに動揺していた。しかし、その動揺を隠そうとするかのように、刺すような視線を正儀に向ける。

「よくもそのような戯言ざれごとを」

「それがしは東条で悶々と日々を過ごしました。このまま東条に留まれば先帝のおいのちを危険にさらす。かといって、男山に舞い戻れば、先帝のめいに逆らうことになります」

 その目は薄っすらとにじんでいた。

「麿がそのような話、信じると思うてか。断じて信用せぬ。このにおよんで、自分の臆病を棚に上げ、言うに事を欠いて、先帝のめいじゃと。我が父君の考えじゃと。心底見損のうたわ」

 目を吊り上げた隆俊は、立ち上がると、正儀に歩み寄り、閉じた扇をその肩に振り下ろす。

 ―― ばしっ ――

 乾いた音が部屋に響いた。そして、正儀を睨みつけ、大股おおまたで部屋を出て行った。


 残された和田正武は、ふうぅと溜息をついて、四条隆俊が置いていった和睦の書状を手繰たぐり寄せる。

「三郎殿(正儀)、これはそれがしが預かっておこう。四条様とて、一存で和睦を跳ねのけるわけにはいかぬ。いずれにせよ、朝議におはかりいただくことになろう……」

 そして、和睦の書状を手に取って立ち上がる。

「……わしは三郎殿の話を信じよう。もしかすると、四条様とて、信じたやも知れぬ。されど、わしはどうしても和睦は受け入れられん。お主とわしの考えは、もう交わることはないであろう。すでにたもとを分かったのじゃ」

 正武は正儀の背中越しに声をかけ、そのまま部屋を後にした。

 後ろに控えていた正友は、かける言葉が見つからず、一礼をして外へと向かう。残された正儀は、時が止まっているかのように、その場に一人たたずんだ。


 結局、幕府からの和睦の申し入れは、大納言、四条隆俊から朝議にはかられたものの、隆俊と北畠顕能あきよしが主導して拒絶することが決した。

 朝議の結果を受けて、正儀は往生院おうじょういんに向かい、逗留していた幕府の使者、細川頼元と赤松光範みつのりに結果を伝えた。

「であれば、楠木殿だけでも幕府に来られてはいかがじゃ。熊王(正寛しょうかん)と話して、楠木殿がどういう男なのか、ようわかり申した。そなたのような方が、討幕一辺倒の頭の固い公家たちの中にるべきではない」

 態度を変えた光範みつのりは、正儀の立場をおもんぱかった。

 しかし、正儀は首を縦には振らない。

「それがしはあくまで南(南朝)の者です。帝(長慶天皇)を御護りしなければなりませぬ」

「されど、このままでは……」

 首を横に振る正儀に、光範みつのりは続く言葉を飲み込み、何とも言えぬ表情で、頼元と顔を見合わせる。

「楠木殿……本当に残念です……本当に」

 頼元があわれむような目を向けた。

 すくった水が指の間から消えて行くように、またもや、正儀の目の前で和睦が消えていく。

 悔しさを噛み殺し、正儀は正寛しょうかんとともに、往生院おうじょういん山門さんもんから、頼元・光範みつのりの一行を見送った。


 それから一月ひとつきも経たぬ十一月、細川頼元と赤松光範みつのり率いる幕府方、総勢五千余騎が出陣する。

 京に忍ばせていた聞世(服部成次)の配下が、楠木館の正儀の元に透っ波すっぱを送って京の状況を伝えた。

 和睦の交渉が破断になれば、いずれ幕府は軍を動かすであろうことは正儀も予測していた。しかし、動きは正儀の予想よりはるかに早いものであり、楠木党に戦支度いくさじたくを整えさせる暇を与えなかった。

 この幕府の動きに、正儀は急遽、軍議を開いた。

 舎弟の楠木正澄が悲壮な表情を浮かべる。

「兄者、傭兵ようへいを集めても我らは五百にも満たぬ。後は橋本ら紀伊勢じゃが、今から戦支度いくさじたくを整えていたのでは、とても間に合わん」

「こんなときに、美木多助氏殿がおればのう」

 従弟の楠木正近がそう言ってちっと舌を鳴らした。

「父上、ここは先手必勝。討って出て、幕府軍の出鼻をつぶしてしまいましょう」

たわけたことを申すな。そのようなことで勝てれば苦労はせぬ」

 勇ましく進言する猶子ゆうしの篠崎正久であったが、正澄に軽くあしらわれた。

 黙って皆の意見を聞いていた正儀が、やっと口を開く。

此度こたびの幕府の挙兵はあまりにも手際がよい。はなから和睦の交渉は破談になると見透し、この挙兵が目的であったかのようにな」

「兄者、八年前の畠山国清の侵攻では、幕府は用意周到に南河内に押し寄せてきた。その折も、先だって和睦を求めてきた。そのときと同じというのか」

 眉をしかめて正澄が問いかけた。

「あの時は、武力を背景に和睦を求めてきた。それならわかり易い。されど、此度こたびは武力を背景に和睦せよと恫喝してきた訳ではない。あくまで、和睦が決裂して、面子のために兵を送るようなもの。されど、それにしては一月ひとつきもせぬうちに、五千余騎の兵を送ってくるとは奇妙じゃ。管領かんれい、細川頼之。いったい何を考えておるのか」

 一同は重苦しい気色けしきに覆われた。

 軍議の席に、聞世(服部成次)が遅れて現れる。装束は諜報で使う黒衣ではなく、直垂ひたたれ侍烏帽子さむらいえぼしを被っていた。

「遅くなり申した。幕府軍の様子が入りました。男山から四條畷しじょうなわてに入り、真っすぐ南下する気配です。おそらく狙いはこの東条かと」

「何、狙いはこの館……」

 唖然として正澄が声を漏らした。

 一方で正儀は、なるほどと頷く。

「そうか、これは楠木への脅しであったか。わしに、幕府に参じるか、戦って滅亡を選ぶか。二つに一つを選べということじゃ」

 怜悧れいりな頼之の顔が浮かんだ。

 無念な表情で、正友が呟く。

「狙いが楠木とわかれば、住吉の朝廷は、援軍を寄越さないのではありますまいか」

「兄者、どうする」

 この正澄の言葉で、一同が一斉に正儀の発言に注目した。

「よし、幕府の狙いが住吉ではなく我らじゃとすれば、この地で踏ん張る理由がなくなった。幕府に参じる事もなく、戦って滅亡する事もない、第三の道が我らに開けた」

 怪訝な表情を浮かべる正澄が、正近と顔を見合わせてから、首をひねる。

「……とすると、どうするのじゃ、兄者」

「逃げるのよ」

「では千早城……」

 正澄の言葉に、正儀は首を左右に振る。

「いや、国見城としよう」

「国見……金剛山の山頂の……」

 自身なさげに言う正近に向け、またもや正儀が首を横に振る。

「いや、その国見ではない。天野山あまのさんの南にある国見城じゃ」

 不思議そうに正澄が首を傾げる。

「兄者、なぜ千早ではなく国見城なのじゃ」

「千早では、幕府軍が取って返して住吉に向かった時、我らの参陣が間に合わぬ。国見であれば、敵を河内の奥に誘い込むと同時に、万が一、幕府軍が住吉に向かったときには、和泉を抜けて住吉に馳せ参じることができる。それと、和田の軍勢とで挟み撃ちもできよう」

 深慮な正儀の策に、一同は納得した。


 その頃、幕府が挙兵したことに、住之江すみのえ殿は大騒ぎとなっていた。正儀らの努力で和睦交渉が進んでいたここ数年間は、戦のない日々が続いていた。そのため、宮中では危機への意識が低下していたからである。

 大納言の四条隆俊は、和泉守、和田正武を呼び寄せ、挙兵をうながすとともに、湯浅党ら紀伊の南朝勢力に出陣をうながす使者を送った。

 以前であれば、真っ先に正儀が召し出され、隆俊らの顔を立てつつ、正儀が南軍の戦略を決めていくのが常であった。しかし、この度は正儀を召し出すことはなかった。これは、隆俊が正武に全軍の戦略を委ね、楠木をその下に置こうとしたためである。

 だが、和睦派の公卿くぎょうは言うにおよばず、強硬派の公卿くぎょうさえも、知略に長けた正儀が参内さんだいしないことに、不安を隠し切れなかった。


 真っすぐ南河内に向けて進軍してきた幕府軍は、手はじめに八尾城を攻略し、これを落とした。

たえ、必要なものだけにして早く出立の用意を。とにかく皆を急がせるのです」

「ええ、奥方様(徳子)。承知致しております」

 楠木館では、正儀のめいで、徳子とたえが手際よく、逃げる準備を進めていた。

 そこに持国丸が、支度したくの様子を見にくる。

「母上(徳子)、支度したくはまだですか」

「もう、出られます。父上(正儀)に伝えなさい」

 母の言葉に持国丸は頷き、すぐに正儀の元へ走った。

 こうして楠木軍は女こどもまでを連れて、慌ただしく国見城へと撤退した。


 幕府の細川頼元と赤松光範みつのりが率いる軍勢が東条に入ったのは、まさにその直後であった。幕府の兵は楠木本城である赤坂城を囲うが、城には旗指物はたさしものが立っていない。水を打ったように静まり返り、とびからすが、悠々と飛び交っている。兵が籠城ろうじょうしていないことは、麓からでも一目瞭然であった。

 この度、正儀は籠城ろうじょうと見せかける必要はなかった。ここに居ないということを、殊更ことさら、幕府軍に知らしめる方がよかったからである。


 所は変わり、京の三条坊門第。先の将軍、足利義詮が亡くなって一年が経っていた。幕府は、義詮の喪が明けたことで、足利義満の将軍宣下せんげに向け、その支度したくで慌ただしかった。

 数えで十一歳の義満を上座に据えて、幕府管領かんれいの細川頼之が下座から向かい合う。二人は、その隣にはべる近臣の伊勢照禅しょうぜん(貞継)より、将軍宣下せんげの儀式について説明を受けていた。

 その頼之の元へ、東条に進軍させていた舎弟の細川頼元より知らせが届く。

 頼之は、使いの武者を御所の庭に引き入れ、義満からも見えるように障子を開け放った。そして、自身は縁に座って使いを迎える。その武者は片ひざ付いて、東条の様子を殿上てんじょうの頼之に話した。

 すると、頼之の表情が変わる。

「まさか、赤坂城がもぬけの空とは……一矢もまじえず、一族郎党、女こどもを連れて全員で逃げたというのか……何と大胆な」

 口をつぐんで、頼之はううと唸った。

 考える暇を正儀に与えさせず、楠木が幕府へ参じるしかないようにしたつもりであった。しかし、頼之の予想を超えて、正儀は逃げることでこれをかわしたのである。

「どこに逃げたのかわからぬのか」

「初め千早城かと思いましたが、楠木軍が逃げた方角を百姓らに問い詰めると、天野山金剛寺の方に向かったとのこと。あのあたりには仁王山におうざん城や国見城など、楠木の支城があるそうです。右京大夫うきょうのだいぶ様(頼元)は、そのいずれかかと申されておられました」

「ううむ、千早城と違い、攻め落とせぬ城でもなさそうじゃが……幕府軍を河内の奥に誘い込み、何をしようというのか……」

 国見城へ退いた正儀の真意を、頼之は量りかねた。迂闊うかつに攻めれば、手痛い目に合うのではないかという不気味さがあった。

 その頼之の背中越しに、部屋の奥から義満が問う。

「武蔵守(頼之)、そなたの策はうまくいかなかったのか」

「御所様、面目次第もございませぬ。楠木正儀、思うていた以上に賢い男のようです。さすがに楠木正成の息子だけのことはあります」

 そう言って頼之は義満に謝罪するが、深刻な顔ではない。心なしか楽し気な表情を浮かべている。

「御所様、ますます、楠木を味方に付けたくなりました。宝筐院ほうきょういん様(足利義詮の戒名)の遺言は必ずそれがしが実現致します。御安堵くだされ」

「うむ、武蔵守(頼之)、そなたに任せようぞ」

「ははっ」

 薄く笑みを湛えたまま、頼之は手を着いた。

 殿上の成り行きに、庭先の使者がそろりと顔を上げる。

管領かんれい様、右京大夫うきょうのだいぶ様(頼元)へは何とお伝えしますか」

「うむ……まもなく将軍宣下せんげも控えておる。長引かせる訳にはいかぬ。きっと楠木は籠城ろうじょうにも備えておろう。此度こたびは、これまでじゃ。撤退して京へ戻るように伝えよ」

「ははっ。承知致しました」

 使いの武者は、一礼して立ち上がると、きびすを返した。

 その後姿を目で追いながら、照禅があごを触る。

管領かんれい殿、将軍宣下せんげは重要なれど、ここで楠木の包囲を解いてしまうと、南方みなみかたは図に乗りませぬか」

「いや、照禅殿、考えがあります」

 頼之は脇に控えていた細川家の家臣を呼び寄せる。

「楠木が幕府に帰参することを承知したとの噂を、住吉の帝(長慶天皇)の耳に届くように流布せよ」

「ははっ、承知致しました」

 家臣はそう言うと、義満にも頭を下げて、すぐに御前から下がっていった。

「なるほど、楠木がいつまでも南方みなみかたに留まっておれぬようにするのでございますな」

 照禅はにやりと頬を緩めた。


 楠木党は、天野山金剛寺の南にある国見城に籠城ろうじょうしていた。城には井戸があり水に困ることはなかった。また、河内国の南端という地のりは、兵糧を紀伊から運び入れることができる。これによって、幕府軍が河内に駐留しても、すぐに困るということはなかった。

 楠木の物見ものみが、この国見城に入る。

「殿(正儀)、幕府軍が撤退しました。東条には一人の兵も残っておりませぬ」

 小具足こぐそく姿の男が、館の外で片ひざ付き、中の正儀に報告した。

「それで幕府軍の進路は」

「はい、竹内峠へ向かっております」

「うむ、ご苦労であった。ゆっくりと休んでくれ」

 労いの言葉に、物見ものみは一礼をして下がっていった。

「竹内峠ということは大和を経由して京へ戻るということじゃな。やはり、兄者が言うとおり、楠木が狙いであったか。住之江すみのえ殿はもう大丈夫じゃ」

 脇で聞いていた楠木正澄は、胸をなでおろした。

「四郎(正澄)、幕府軍が京へ戻ったら、我らも東条へ戻るぞ。女たちに教えてやれ」

「承知した。皆、喜びましょうぞ」

 ひとまず、正儀は試練を乗り越えたのであった。


 その頃、住之江すみのえ殿の公家たちは、楠木党の動きに狼狽えていた。正儀が赤坂城を捨てて、さっさと国見城に逃げ、城を幕府軍に明け渡したからである。その背景には、楠木が南朝を見捨てる気ではないかとの噂が、宮中で広まっていたことにあった。

 大納言の四条隆俊は、和田和泉守いずみのかみ正武を連れて、内大臣、北畠顕能あきよしの屋敷に出向き、今後の対応を協議する。上段の顕能あきよしを前にして、正武を下座に控えさせ、隆俊自身は二人が見えるように横に座る。

「和泉守よ、河内守(正儀)は幕府と通じておるのではあるまいか」

 隆俊ははなから正儀を疑っていた。

「それがしは、幼き頃から河内守殿(正儀)を存じ上げております。策に長けた男ではありますが、断じて御味方を裏切るような男ではありませぬ」

 正武は武骨な男であった。いくら、正儀とたもとを分かったとはいえ、正儀の器量をねじ曲げて伝えるような真似はしない。隆俊はその言葉を受けて、少しばつが悪そうに目線を外した。

 しかし、顕能あきよしは納得の表情を浮かべない。

「河内守は、熙成ひろなり親王の後立てとなっておった武将じゃ。はたして、先帝(後村上天皇)と同様に、主上しゅじょう(長慶天皇)に忠義を誓えるのか……」

 疑問を呈す顕能あきよしに、隆俊も頷く。

 そこへ、北畠家の家人が頭を下げて入ってくる。

住之江すみのえ殿からの知らせでございます。幕府軍が東条から撤退を開始したとのことでございます」

「何、本当か」

「やれやれ、これで一安心じゃ」

 隆俊は顕能あきよしとともに肩の力を抜いた。

 体をねじる様にして正武がその家人に振り向く。

「楠木河内守殿はいかがされましたか」

「いまだ国見城に留まっておるようです……されど……」

 報告をもたらした家人が口ごもった。すると、顕能あきよしがもどかしい態度にいらつく。

「いかがしたのじゃ。申してみよ」

「幕府軍が撤退するのは、楠木河内守殿が幕府軍に降参したからじゃと……近隣の土豪らが、噂しておるそうにございます」

「なに、本当か」

 思わず隆俊が腰を浮かした。すると家臣は、自身の言葉に対して、申し訳なさそうに頭を低くする。

「いえ、あくまで噂でございます。噂の出所がよくわかりませぬ」

「まさか、河内守殿に限ってそのようなことはありますまい。そもそも降参したからと言って、楠木軍をそのままにして幕府軍が引き上げる事など、常識としてあり得ませぬ」

 さすがに正武は、これを一笑に付した。

 しかし、隆俊はその楽観的な態度に目を吊り上げる。

「いや、策士の楠木に、常識などというものが通用しようか。あり得ることではないか」

「いや、されど……」

「もし、河内守が裏切ったとなると、この住吉の地は、北からは幕府軍に、南からは楠木軍に挟まれることになる」

 正武の発言を制して、顕能あきよしが口を挟んだ。すると、隆俊がううむと低い声で唸る。

 結局、顕能あきよしと隆俊は、正儀の裏切りを懸念して、帝(長慶天皇)へ動座を進言する。その結果、帝は万が一の事も考慮し、住吉から賀名生あのうへの行幸ぎょうこうを決意した。


 十二月、大和国結崎ゆうざき郷、観世こと結崎ゆうざき清次の結崎ゆうざき座を、再び京極道誉が訪ねていた。

「これは京極入道様(道誉)。遠路はるばるのお越し、まことに痛み入ります」

 輿こしから下りた道誉に向けて、観世が深々と頭を下げた。

「わしを呼び寄せたということは、お前の申楽さるがく能が完成したという事か」

「左様にございます。私はそれを大和音曲やまとおんぎょくと名付けました」

大和やまと……音曲おんぎょく……そうか。ではさっそく見物致すとしよう」

 福田神社の境内けいだいに作られた舞台を前に、道誉は客席の中央に置かれた床几しょうぎに座った。京極道誉一人のための舞台であった。

 演目は卒都婆そとば小町こまち。絶世の美女と名高い小野小町おののこまちの成れの果てだという老女が出てくる話である。

 一座の大夫たゆうである観世が仕手役してやくを務める。赤い小袖こそで茅色かやいろ打掛うちかけを羽織り、小面こおもての能面姿で、閉じた扇をゆっくりと前に出す。そして、囃子方はやしかたかなでる調べに乗って、しずしずと足を運び、前に伸ばした手をゆっくり横へと動かした。

 囃子方はやしかたかなでる調子に、道誉が耳を傾ける。最も大きく変貌したのは調べであった。調べ主体の小謡節こうたいぶしが特徴であった猿楽を、曲舞くせまいの節を取り入れて、小気味よい調子に変えていた。これによって、従来の申楽さるがく能に、幽玄さを兼ね揃えた大和音曲やまとおんぎょくが出来上がっていた。

 もはや、誰に見せるでもなく、観世は虚無きょむとなって音曲おんぎょくに身を任せた。

 演じ終わった観世は我に戻り、道誉が口を開くのをひたすら待った。

「ううむ……確かにお前の申楽さるがく能は、田楽を越えたようじゃ。賭けはわしの負けじゃ」

 田楽を越えてみせると観世が道誉に誓ってから、すでに十二年の歳月が過ぎていた。

「約束じゃ。お前の願いを何でも申してみよ。わしでできることなら、何でも叶えてやろう」

「ありがたき幸せなれども、私めは申楽さるがく能を完成させることばかりに夢中で、賭けに勝ったときにお願いすることなど、考えておりませなんだ」

「何と、これは愉快じゃ……」

 声を上げて道誉は笑う。

「……本当に何もないのか」

 改めて道誉が聞くと、観世は少し考えてから顔を上げる。

「京に一座を構えてみたいと思います。京の地であれば、今まで以上に、多くの方に見ていただくことができまする」

 その言葉に道誉の顔が曇る。

「わしも、お前を京に連れて行ってやりたいのじゃが……一つ大きな問題がある。それはお前が楠木の縁者、楠木正儀の従弟ということじゃ。お前も知っておろう。幕府と南の朝廷との和睦は成らなんだ。楠木一族は、いま幕府にとって一番の敵なのじゃ」

「私めは、服部清次から結崎ゆうざき清次へと名を改め、楠木一族とは無縁の者にございます。入道様(道誉)には、私めが楠木の手先になって動くような者に見えまするか」

「ううむ、そうは見えぬから困るのじゃ。そう見えておれば、とっくにその首をねていたであろう。可哀想じゃが、今、お前が京で一座を構えるすべはないのじゃ」

 道誉の言葉で、またしても観世は大きな壁にぶつかったのであった。


 十二月二十四日、和田正武が供奉ぐぶする帝(長慶天皇)の行幸ぎょうこうが、住之江すみのえ殿を出立した。

 正儀の楠木党にも注意を払い、河内は通らず、そのまま南下して紀伊に入る。そこからさらに西に進んで賀名生あのうに入った。

 帝や公卿くぎょうらは、幕府軍による侵攻の緊張からは解かれたが、正儀が南朝を見限り、幕府に降参したのではとの不審感が根深く残ったままであった。

 賀名生あのうに入った四条隆俊は、北畠顕能あきよしはかり、正儀討伐を検討する。二人は朝議にはかる前に、内諾を得るべく帝の元に上った。

 帝(長慶天皇)は脇に関白、二条教基のりもとを伴っていた。自身の叔父にあたる顕能あきよしに絶大な信頼を寄せていたが、それでも言いなりにはなるまいと、腐心した結果である。

「河内守(正儀)が朝廷を見限り、幕府に降参したのであれば、御上おかみをお守りすべき父兄の教えに背き、義を捨てた不忠者にございます。討伐せねばなりますまい」

 顕能あきよしは、正儀に国見城へ退いた理由や、幕府に降参したという噂の真偽を確認することなく、正儀の討伐を奏上した。

「げにも。河内守の行いは前代未聞の裏切りである。放っておけば悪しき前例になる。ちんも河内守の討伐は必要と思うぞ」

 帝は隆俊と顕能あきよしの言葉を鵜飲みにした。

 しかし、そばに控えていた関白の教基のりもとが口を挟む。

「北畠卿、河内守が朝廷を見限ったとか、幕府に降参したとかは、全てが噂の範疇を出ないことであろう。まずは、その真偽を確認すべきが肝要ではないか。御上おかみ、まずは河内守に勅使ちょくしを送り、当人から申し開きをさせてはいかがかと存じます」

「ううむ……確かに、二条関白のいうことはもっともなことじゃ。四条大納言、さっそく勅使ちょくしを河内守の元へ送るのじゃ」

「は……御意ぎょい

 渋い顔で隆俊はかしこまった。

 だが、隆俊が勅使ちょくしとして選んだのは、隆俊ら強硬派にくみする検非違使別当けびいしのべっとう葉室はむろ光資はるすけであった。


 翌日、葉室はむろ光資はるすけは金剛寺の南にある国見城へ入った。

 いったい何事かと、正儀は光資はるすけを上座に上げて、その前で神妙にかしこまった。

「河内守(正儀)、此度こたび御上おかみ(長慶天皇)の守護を後回しにして東条を離れ、国見城へ勝手に撤退したこと、まことにもって不忠である。御上おかみにおかれても大そうお怒りじゃ。この場で申し開きをなさいませ」

 思いもせぬ光資はるすけの言葉に、正儀は顔を強張らせる。

 その後ろに控えた舎弟の楠木正澄もいきり立つ。

「な、何を申される」

 思わず感情的に口走った弟を、正儀が手で制して自ら口を開く。

「まず、此度こたびの幕軍の狙いは、東条の楠木を制することにございます。我らは京に透っ波すっぱを放ち、進軍中も物見ものみを放って確認しておりました。住之江すみのえ殿に向かわないことを見切ったうえで、国見城へ退却したまでのことにございます」

「されど、敵はその東条から取って返し、住吉に進軍したなら、どうするつもりであったのじゃ」

 信用ならんといった態度で、光資はるすけが正儀を尋問した。

「それについても、心配はございません。この城であれば、いざとなれば和泉を抜けて住吉に参じることができまする。それに、和泉守(和田正武)殿と挟み撃ちを行うことも可能でございます」

「ううむ、河内守の申すことは全て言い訳でないのか。終わった後であれば、好きなようにも言えよう」

 そんな光資はるすけの態度に、正澄はおろか河野辺正友らの家臣も気色ばんだ。

「うぉっほん……」

 場の気配を感じ取った光資はるすけが、咳払いをして話を変える。

「……河内守が幕府に降参したとの風聞もある。真偽のほどはいかに」

「それがしが……いえ、決してそのような……そもそも、降参するのであれば、東条から退かずに、降参しております。どうか、疑いを御晴らしいただきますように」

 心当たりがないことを説明することほど、難しいことはなかった。

「では、河内守の申し開きは御上おかみにお伝え致しましょう。されど、疑いが晴れるまで、宮中への参内さんだいは不要とのことにございます」

 光資はるすけが言い渡した出仕不要は、謹慎処分という意味であった。


 一年半前には幕府との和睦、南北両朝の合一は、もはや相成ったものと思われていた。しかし、和睦は決裂し、一年を待たずして将軍、足利義詮よしあきらと後村上天皇が相次いで亡くなる。

 さらに、期待に反して寛成ゆたなり親王が新帝として即位し、ついには、謹慎処分を言い渡された。

 先帝の崩御から、わずか十月とつきも経ずに、正儀は、目指す君臣和睦の道筋を完全に見失った。

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