第31話 帝と将軍

 正平二十二年(一三六七年)四月二十九日、南風はえが京の町に暖かな気色けしきを運んでくる。ただし、その中には不快な湿気も含まれていた。


 和睦の条件が整った住吉の南朝は、検非違使別当けびいしのべっとう葉室はむろ光資はるすけ勅書ちょくしょを持たせ、将軍、足利義詮よしあきらの元に送る。勅使ちょくしの護衛として、河野辺かわのべ駿河守するがのかみ正友が楠木の兵を率いて従った。

 三条坊門の将軍御所では、南朝の帝(後村上天皇)のみことのりうけたまわるにあたり、将軍、足利義詮が下座に控える。そして、和睦を執り成した京極道誉をはじめとする幕臣が、さらにその後ろに控えた。

 上座に迎えられた勅使ちょくし光資はるすけは、南朝の尊厳を保とうとするかのように、一挙手一投足に威厳を持って振る舞う。しかし、その首筋には不自然な汗が見て取れた。

 光資はるすけおごそかに勅書ちょくしょを開き、帝に成り代わって『ちんは』とみことのり読み上げる。

 読み進める中で突如、その声が上擦うわずる。

『……武家降参……』

 その場にそぐわない言葉が光資はるすけの口をいた。勅書ちょくしょは、南朝の帝が一方的に幕府の降参を受け入れるという趣旨である。

 勅書ちょくしょを読み終えた光資はるすけが、恐る恐る将軍、義詮に目をやった。

 神妙に平伏して、帝の勅諚ちょくじょうを拝していた義詮が、ゆっくりと身体を起こす。そこには、怒りに満ちた顔があった。

「武家降参じゃと。南方みなみかたは和睦の経緯を知らぬのか。このみことのりは聞かなかったこととする。そのほうは、住吉に戻り、破談じゃと伝えよ。南方みなみかたには、この責任、必ずや取らせてくれよう」

 激怒した義詮が、下座から上座の光資はるすけに言い放った。そして、南朝の勅使ちょくしや、幕府の道誉らを残し、席を立って奥へと消えていった。

 上座に残り、へなへなと魂が抜けたようになっていた光資はるすけの元へ、末席に控えていた正友が、席を立って詰め寄る。

別当べっとう様、こ、これはいったいどういうことでございますか」

「ま、麿がそのようなことを知っているわけがなかろう。全ては御上おかみ御心みこころじゃ」

 そう言うと、光資はるすけも立ち上がり、広間から姿を消した。しかし、そのあからさまな動揺は、経緯を知っているに他ならなかった。

 我に返った正友は、振り返り、道誉の前で両手を床に着く。

「こ、此度こたび仕儀しぎ、申し訳ござらぬ」

 平身低頭に誠意を示した。しかし、道誉の顔は怒りに満ちている。

「そのほうらは、和睦をつぶしたかったのか。武家降参など、将軍が受け入れるとでも思うたか。わしの面子は丸潰まるつぶれぞ。そなたの主人も知っておったのか」

「ま、まさか。そのようなことは絶対にござらん。河内守かわちのかみ(正儀)が知っておれば、このような勅書ちょくしょ、必ずや止めたことでしょう」

 必死に弁明する正友を、道誉は不審な顔つきで睨む。

「では、楠木(正儀)の知らぬところで、決まったとでも言うのか」

「左様としか思えませぬ」

「何をしゃあしゃあと。河内守は蔵人くろうどであろう。帝のそばに仕え、此度こたびの朝議の経緯も知っておるはずじゃ。帝の伝奏でんそうさえも行う蔵人くろうどが知らなかったで済むと思うのか」

 指摘に、正友の全身から汗が噴き出す。

「いや、されど、御綸旨ごりんじと異なり勅書ちょくしょでございますので……河内守が知っておった内容と、此度こたび勅書ちょくしょは違うとしか思えませぬ」

 勅書ちょくしょ綸旨りんじと異なり、手続きが煩雑であった。綸旨りんじであれば、帝のめい蔵人くろうどの誰かが文書にして発すればよい。しかし、勅書ちょくしょとなると弁官が草案を作成して朝議にはかり、全ての公卿くぎょうの同意を得てから帝に奏上する。そして、勅意ちょくいを得て勅書ちょくしょを清書しなければならなかった。

「ふう、何やら朝廷内で不穏な動きがあるようじゃな。されど、それは我らがあずかり知らぬ事。この始末どうするのか、早々に帰って楠木殿と相談されよ」

 憮然と道誉は言い放ち、席を立った。


 南朝の行宮あんぐうである住之江すみのえ殿の一間で、正儀は京から戻ってきた河野辺正友から事の次第を聞いた。

 積年の宿志しゅくしが叶うその時を、今は遅しと待っていた正儀は、言葉を失い、呆然自失に項垂うなだる。

 しばしの沈黙のあと、正友は腫れ物に触るかのように、恐る恐る口を開く。

「殿、なぜに武家降参などと……」

 血の気を失った正儀が、重い口を動かす。

勅書ちょくしょの草案は、公卿くぎょう皆の総意の元に作られ、主上しゅじょう(後村上天皇)が目を通されて御承諾された。わしは蔵人くろうどの一人として草案を奏上致したが、その折、武家降参の文言はなかった」

「ならば、なぜ」

「きっと、清書の折であろう。わしの詰めが甘かったか」

 ふうと息を吐いた正儀は、立ち上り、縁に出て天を仰いだ。

「やはり、四条大納言(隆俊)ら、強硬派の方々が……」

 正友は、背中越しに正儀へ問いかけた。

「清書は、葉室はむろ様(光資はるすけ)ほか、数名の弁官と他の蔵人くろうどによって行われた。わしは公平を期すためと、清書の席からは外されておった。その折、追加されたとしか思えぬ。葉室はむろ様は和睦派と強硬派の間に立たれる御方。四条様や北畠様のみならず、阿野大納言様(実為さねため)も、適任の御方として納得されたのじゃ」

「されど、葉室はむろ様は四条様らと通じていたと……」

「うむ、そうとしか思えぬ。これより、主上しゅじょうの元に参り、このことを御存知であられたか、問うてみたい」

 そう言うと、正儀は帝の居所へと向かった。


 帝(後村上天皇)の住まいへ渡ろうと、正儀が回廊を歩いていたところ、目の前に男が現われてゆく手を塞いだ。大納言の四条隆俊である。

「河内守(正儀)、葉室はむろ殿より聞いたぞ。幕府は和睦のみことのりを破棄したという。我らが和睦を唱えても、所詮、幕府に和睦の意志がなければ、和睦は成り立たぬ。やはり幕府は滅ぼさねばならん。そうであろう。のう、河内守」

 勝ち誇った顔で、隆俊は正儀に言い放った。

 正儀は、わなわなと肩を震わせて隆俊を睨む。

「大納言様(隆俊)、同行した駿河守(正友)の話では、勅書ちょくしょにあった武家降参の四文字に、足利義詮は激昂したとか。なぜ勅書ちょくしょにこのような文言が入っていたのか。このことが全てを台なしにしたと思いませぬか」

「怖いのう、河内。武家降参など麿のあずかり知らぬ事。勅書ちょくしょ御上おかみの勅意をしるしたものじゃ。勅書ちょくしょに武家降参とあるのであれば、それが御上おかみ御心みこころであろう」

 扇を口に充てた隆俊は、ふふっと薄っすら笑みを浮かべ、その場から立ち去った。

 蔵人くろうどとして、正儀が帝に拝謁を願おうと居所の前までくると、すすっとふすまが開いた。中から出てきたのは、勅使ちょくしとして京へおもむいた葉室はむろ光資はるすけである。

「か、河内守……」

 光資はるすけは、目の前の正儀に驚き、目を伏せて小走りに立ち去った。

 中には項垂うなだれた帝の姿がある。そのかたわらには大納言の阿野実為さねためが付き添っていた。

御上おかみ、河内守が参りましたぞ」

 実為さねためが声をかけるが、帝は顔を上げなかった。

「ただいま駿河守(正友)から事の次第を聞き、急ぎ参上つかまつりました」

 そう言って、正儀は帝の前で平伏した。

 すぐに実為さねためが正儀の顔を上げさせる。

「駿河守から聞いてすでに知っておろうが、勅書ちょくしょの中にあった武家降参について、葉室はむろ殿から経緯を確認しておった」

「すまぬ、河内……ちんの不覚であった」

 帝の言葉に、正儀は実為さねための顔をうかがった。

「四条殿らの思惑に気づかず、葉室はむろ殿に任せた麿の責任じゃ。御上おかみには何の責任もない……」

 沈痛な顔で、実為さねためが経緯について正儀に説明する。

 それによると、光資はるすけは帝の勅意ちょくいを得て勅書ちょくしょを清書する際、四条隆俊ら強硬派に求められ、将軍、足利義詮を刺激する言葉をちりばめようと、帝に幕府へのお気持ちを問い、思わず出た武家降参の四文字を取り入れて、勅書ちょくしょしるしたとのことであった。

「武家降参はちんの本音でもあった。四条大納言ばかりを責められぬ」

 帝は、隆俊や光資はるすけを責めることなく、引き続き和睦を進めるよう正儀に命じた。


 五月、伊賀国小波多こはたでは、京極道誉の指摘とは裏腹に、観世こと服部清次の小波多座が、ますます人気を博していた。

 半年前、病を発した竹生大夫ちくぶだゆうこと父、服部元成は、観世の成功を見届けると、安堵したように息を引き取る。その元成の義弟に、糸井行心ぎょうしんという者が居た。大和国結崎ゆうざき郷にある糸井神社(観音院)の神官一族である。

 行心ぎょうしんは、観世の人気を聞き付け、猿楽の中心である大和に招こうと手を尽くした。そして、糸井神社のある結崎ゆうざき郷を領する興福寺一条院の下司げし、井戸時春との間を取り持つ。結果、観世は時春の招きを受け入れる形で、大和国結崎ゆうざき郷に座を移した。

 小波多こはた座は結崎ゆうざき座と名を改め、自身の名も服部清次から結崎ゆうざき清次と改める。これは心機一転の他に、楠木とのえにしを断ち、南北朝の騒乱から距離を取りたかったからでもあった。

 結崎ゆうざきに腰を落ち着けた観世であるが、考え込むことが多くなる。

(……芸能は目で見て耳で聴くものじゃ。その両方が調和すれば、倍にも十倍にもなるであろう……)

 この道誉の指摘が、耳を離れなかったからである。

 舞踊と筋(物語)に目を向けるばかりで、調べや節といった音曲おんぎょくがおろそかになっていたことまでは観世も気づいていた。

「この世は猿楽と田楽だけではない。幸若舞こうじゃくまい曲舞くせまい雅楽ががく、琵琶語り、一節切ひとよぎりつづみなど鳴物なりもの奏楽そうがく……あらゆるものを聞くしかあるまい……」

 暇さえあれば、観世はさまざまな音曲おんぎょくを求め、奈良や京の町に出向くようになる。


 六月八日、正儀は近臣の駿河守、河野辺正友を京へ送った。三条坊門第に入った正友は、将軍、足利義詮の前に通される。そのかたわらには京極道誉が控えていた。

 正友は義詮を前でかしこまる。

此度こたび勅書ちょくしょの件、まことに申し訳なく存じます。我が主、楠木河内守(正儀)からも、和睦への道が閉ざされぬよう、幕府へは礼を尽くして此度こたびの次第を説明せよ、と承っております」

 対して道誉の機嫌は悪い。

「礼を尽くしてと言うておる割に、なぜ楠木が自ら来ぬのか」

「申しわけござらぬ。河内守は蔵人くろうどとしての務めがあり、それがしが謝罪にうかがった次第です」

「で、事の次第とは何じゃ。話してみよ」

 憮然とした態度で、義詮が正友をうながした。

「我らが南方みなみかたの中にもさまざまな意見がございます。我が主、楠木河内守ら和睦を願う者たち。また、それをよしとしない者どももございます。主上しゅじょう(後村上天皇)の御心みこころは和睦に相違ありませぬが、勅書ちょくしょとなると公卿くぎょうの意見も汲まねばなりませぬ。主上しゅじょうに奏上するにあたり、それらの者どもを納得させるためにも、そのような文言が入ったものと存じます」

 説明する正友を、道誉は鼻で笑う。

「存じますじゃと。そなたの考えか」

「いえ、少なくとも、河内守が主上しゅじょう勅意ちょくいを得て、弁官たちが勅書ちょくしょの草案に取り掛かったところまでは、何ら問題はありませなんだ。されど、公卿くぎょうにて草案を整える段階で加えられました。河内守は公卿くぎょう従三位じゅさんみ以上の位階の者)ではありませんので、この事実を存じなかったという次第でございます」

 その言葉にも若干の嘘がある。武家降参の四文字は、強硬派に謀られたとしても、いったんは帝の口から出た言葉である。しかし、清書の直前で言葉を付け加えたなど、勅諚ちょくじょうの威厳を落すような事実を、悟られるわけにはいかなかった。

 憮然とした表情で、義詮はふううぅと大きく息をつく。

「もうよい。いくら質問しようが、そのほうの申し分は、変わらんのであろう」

「も、申しわけございませぬ」

 苦汁の表情で、正友は深く頭を下げた。

「和睦の時期が早過ぎたようじゃな。も、まだ、和睦を諦めているわけではない。じゃが、南方みなみかたの考えがまとまっておらぬようでは、また、どこかで問題が生じるであろう。そのほうは、早く住吉に戻り、楠木の棟梁に伝えよ。強硬な者どもも含め、早く南方みなみかたの意見をまとめられよと」

 義詮は道誉に目配して、これ以上の話を打ち切ろうとした。

「お、お待ちください。帝は和睦の勅意ちょくいを持たれております。此度こたびのことで、勅書ちょくしょの文言に対し、公卿くぎょうも考えを改めたと思われます。急ぎ再度の勅書ちょくしょの草案に掛かりますゆえ、幕府におかれても勅使ちょくしの受け入れをお考えくだされ」

 必至に正友は訴えた。

 しかし、義詮の反応は冷たい。後を道誉に任せて、さっさと広間から出て行った。

「河野辺殿、再び、わしに恥をかかせるつもりか。将軍は和睦を諦めたわけではない。されど、南方みなみかたの意見をまとめることもできぬのに、勅書ちょくしょだけをこちらに投げられたのではかなわんと申しておるのじゃ。どのように住之江すみのえ殿の中をまとめるかは楠木殿次第。和睦の話し合いが打ち切られないように、幕府は門戸を空けておこう。そのように楠木殿に伝えよ」

 そう言うと道誉も、その顔にあらわに不満を浮かべたまま、広間を後にした。

 その場で正友は項垂うなだれる。正儀のこれまでの苦労を思い返すと、無念でならなかった。


 七月中旬、正儀は住之江すみのえ殿の一室で、大納言の阿野実為さねため、参議の六条時熙ときひろと会っていた。

「足利義詮によって追討を受け、越前の杣山そまやま城に籠城ろうじょうしていた先の幕府管領かんれい斯波しば道朝どうちょうが亡くなったようにございます」

 正儀の情報は、聞世(服部成次)からもたらされたものであった。

 ほう、と口元を少し開けた実為さねためが、手に持つ扇をばちんと閉じる。

「城が落ちたのか。それはいつのことじゃ」

「十三日のことです。されど、幕府軍によって討たれたのではなく、病であったようです。興味深いのは、将軍が、一緒に籠城ろうじょうしていた道朝の跡継ぎで、先の執事でもあった斯波しば義将よしゆきを許したことです。ただし、越中の守護のみ残し、他の所領は召し上げたようにございますが」

 実為さねためは首を傾げる。

謀反むほんを起こした者を許したのか。減俸げんぽうしたとはいえ、所領まで与えて……なぜじゃ」

「それはわかりかねますが、足利義詮は、斯波しばを完全に滅ぼさないことで、一部の大名に力が集中しないようにしておるのやも知れませぬ。特に京極道誉」

 あごを触りながら、時熙ときひろが納得の顔で頷く。

「なるほど、義詮に道朝の討伐を仕向けたのは道誉であったと聞く。道誉は幕府管領かんれいが不在の間に、自らが管領かんれいのように振る舞うておる」

「ただ和睦の交渉は京極道誉があってこそ」

 深刻な表情を正儀は見せた。その顔を見て、実為さねためが考え込む。

「義詮が、道誉の力を警戒しているとすると……」

「その京極道誉が力を持っている間に、和睦を取りまとめなければ、和睦の話は立ち消えになってしまうやも知れませぬ」

 少し目を落として、正儀は懸念を口にした。

「急がねばならんな」

 焦りの色をにじませた実為さねためが、時熙ときひろと顔を見合わせた。


 七月二十九日、京極道誉は、正儀が幕府に河野辺正友を送った返礼として、住之江すみのえ殿に評定所の文官ぶんかん摂津せっつ能直よしなおつかわした。能直よしなおは、正儀と今後の調整を行うように命じられていた。

 南朝は参議の六条時熙ときひろが、能直よしなおに面会する。

「摂津殿(能直よしなお)、わざわざ返礼にお越しいただけるとは、主上しゅじょう(後村上天皇)も御喜びあそばせましょう。本来は武家同士、河内守(正儀)がお相手致すところであるが、生憎あいにく、東条に戻っております。使いをやりますので、しばらく住吉に逗留されてはいかがか」

「六条宰相さいしょう様(時熙ときひろ)が自らお相手いただき、恐縮でござる。此度こたびは京極佐渡守さどのかみ(道誉)から、和睦の交渉を終わらしてはならんと、楠木殿と今後について相談するように命じられております。手ぶらで帰るわけにも参りませぬので、お言葉に甘え、二、三日、逗留させていただくことに致します」

 その真摯な態度に、時熙ときひろは安堵した。

 一旦、能直よしなおを残して部屋を出た時熙ときひろは、正儀を呼び寄せるまでの間、客人の相手を任せられる者を探す。

 ちょうど行宮あんぐうに出仕していた和泉守、和田正武が回廊の向こうを歩いていた。渡りに船と、時熙ときひろが正武を手で招く。

「和泉守、ちょうどよいところへ」

 時熙ときひろの元に歩み寄った正武が、軽く頭を下げる。

「これは六条宰相さいしょう様、いかがなされましたか」

「幕府より、先般の詫びの返礼として、摂津殿が参っておる。京極入道からの和睦継続の話を持って来られたようじゃ。早々に東条に使いをやって、呼び寄せるのじゃ」

「河内守殿(正儀)を、でございますか」

 当然のことと時熙ときひろは頷く。

「摂津将監しょうげん殿は二、三日、こちらに逗留される。麿が相手を務めたいところじゃが、生憎あいにく御上おかみ(後村上天皇)より用を頼まれておる。そのほう、河内守がくるまでの間、摂津殿の相手をして欲しいのじゃ。都合はいかがか」

「それがしは、これより和泉の館へ戻るところでございます。それゆえ……」

「おお、それはちょうどよかった。やはり武家は武家同士、話も合うであろう。和泉守、よしなに頼むぞ」

 全てを言い終わらないうちに、時熙ときひろは正武に、能直よしなおの応対を任せた。そして、そそくさと、その場を立ち去った。

「わしとて用があったのじゃが……」

 不満顔で正武は、行宮あんぐう遠侍とおさぶらい(守衛所)に向かい、和田の若党を外へ呼び出す。

「殿、何事でございましょうや」

「うむ、そのほうはこれより楠木館へ向かい、河内守殿に……」

 言いかけて、正武は言葉を飲み込んだ。

「あの……殿。楠木館へ行って何をすればよいのでございましょう」

「いや、何でもない。もうよいのじゃ。持ち場へ戻ってよいぞ」

 その若党は首を傾げながら、遠侍とおさぶらいの中に戻っていった。

 その足で正武は、摂津能直よしなおが待つ宿坊に出向いた。そして、正儀が所用で来れないと嘘をつく。すると、能直よしなおは残念な顔をして、京へ戻る支度したくをはじめた。

 正武には、大納言、四条隆俊の言葉が脳裏をよぎっていた。楠木一門の重鎮でもある正武だが、和睦の決裂は、正直よかったと思っていた。

(和睦が決裂すれば、三郎殿(正儀)とて腹をくくって幕府を討つであろう。わしが三郎殿の背中を押してやろう)

 漠然とそのくらいに考えていた。


 六条時熙ときひろは、東条の正儀に、家人けにんを通じて別の使者も立てていた。これによって、幕府の使者が住之江すみのえ殿へ来ていると知った正儀は、翌日、急ぎ住之江すみのえ殿へ馬を駆った。しかし、摂津能直よしなおはすでに京へ戻った後であった。

 仕方なく正儀は、その足で和泉の和田正武の元に馬を走らせた。

 館の広間で正儀は、正武から譲られた上座に腰を降ろす。

「新九郎(正武)殿、どうして摂津将監しょうげん殿(能直よしなお)を帰されてしまわれたのか。わしがくるまで引き留めておいてくれればよかったものを」

 大事な和睦の切っかけをつぶされ、正儀は焦りの色を隠さなかった。

「いや、申し訳ござらん。将監しょうげん殿の元へ、京から使いが来られ、急遽、帰られたという次第じゃ」

 頭を掻きながら、正武は白々しく嘘をついた。

「わざわざの返礼に、手ぶらで返すわけにはいかぬ。わしから馬一頭、よろい一式を届けておくとしよう」

「三郎殿(正儀)、御使者を手ぶらで返したのはわしの落ち度じゃ。三郎殿の馬一頭、よろい一式は、わしが名代として承ろう。それがしからも詫びとして、馬と鎧を送ろうと思うので、一緒に用意しよう」

「では、お任せするとしよう。詫びの書状も託したい。これから書く書状も、一緒に届けてくれまいか」

「承知した、三郎殿」

 すずりと筆を借り受けて、正儀はその場で詫び状をしたためる。そして正武を信用して返礼品の手配とともに託した。

 この後、朝廷からも馬一頭を帝(後村上天皇)の名で贈るよう委託された正武は、これら返礼の品を用意して京へ送る。しかし、正儀の和睦を願う詫び状が、京極道誉に届くことはなかった。


 京にある京極屋敷では、京極道誉が、住吉から戻った摂津能直よしなおからの報告を受けていた。

「楠木は何を考えておる。和睦を求めながら使者として送ったお主に会おうともしない」

 下座から報告を終えた能直よしなおに、道誉は、ちっと舌を鳴らして言葉を返した。

 南朝との和睦を進めた道誉の目的は、将軍、足利義詮に恩を売ることである。和睦を実現し、自身の影響力を拡大することにあった。しかし、いったん和睦という火種に火を着けた後では、進展がないとなると、義詮から叱責を受ける立場に変わっていた。

 今や道誉にとって、和睦は厄介事でしかなかった。

「入道様(道誉)、この後、いかがしたものかと」

 不安そうに、能直よしなおがたずねた。

 うわの空で道誉があごに手をやる。

「……かと言って、今更、和睦を進めないわけにもいかぬ……か」

「え、何と仰せですか、入道様」

 能直よしなおの問いかけに、道誉はため息をつく。

「いや、何でもない。楠木が当てにならんのなら別の手立てを考える。そのほう南方みなみかたの右大臣、洞院とういん実守さねもり様にお会いせよ」

洞院とういん卿でございますか」

「そうじゃ、洞院とういん卿は名義上とはいえ、二条関白(教基のりもと)不在の今、朝議を仕切る御立場と聞く。もともと京の洞院とういん家を継ぐことが望みで京から南方みなみかたに走ったお方じゃ。是が非でも和睦を実現させて京に戻りたい気持ちはあろう」

 憮然とした顔で、道誉は能直よしなおを促した。

「承知しました、入道様」

「わしは将軍に、此度こたびのことを知らせなければならん。楠木と会えなかったことは、この場のみに留めておけ」

「はっ」

 能直よしなおは頭を下げると、すぐに出て行った。


 ただちに京極道誉は、三条坊門第に出向き、義詮への謁見えっけんを求めた。

 どう言い訳をしようかと思案しながら義詮を待っていると、現れた近習が意外なことを告げる。

「御所様は、朝からお熱があるようで、寝所で御休みになられておられます」

「何、お身体の具合が悪いのか。では、今日はお会いできぬな」

 心の中で道誉は、わしにはまだ運がある、とにやつく。

「では、住吉に送った使者の件は、また日を改めてご報告にうかがうと、将軍にお伝えあれ」

 そう言うと、道誉はそそくさと将軍御所を後にした。


 八月、日を改めて摂津能直よしなおは、再び南朝の行宮あんぐうである住之江すみのえ殿に参内さんだいした。ここで、右大臣の洞院とういん実守さねもりに会い、京極道誉が和睦交渉の継続を望んでいることを伝える。

「先般は、楠木殿にも会うことができず、不本意な結果に終わり、入道様(京極道誉)も大そうご立腹でございました。今後の和睦交渉に支障が出ぬようにするためにも、楠木殿(正儀)の上洛を、右大臣様より御口添えいただきとう存じます」

 住之江すみのえ殿の一室で、能直よしなおはそう言って実守さねもりに頭を下げた。

「誰よりも和睦を望んでいる河内守が顔を見せなかったというのは信じられませぬ。麿が口添えなどしなくとも、あの男のこと、自ら上洛して和睦を求めるでしょう」

「左様でございましょうか」

「まあ、確約はできませぬが……それに、もう麿は、口添えすることはできなくなります」

「右大臣様、いったい、どういうことでございましょうや」

 怪訝な表情を浮かべて、能直よしなお実守さねもりの顔を凝視する。

「麿はほとほとこの朝廷に愛想が尽きました。和睦を欲する者と、討幕を譲らない強硬な者との溝は深く、麿が間を取り持つことは不可能にございます。よって、京へ戻ることに致しました」

 実守さねもりは清々したと言わんばかりの顔である。

 意外な話に、能直よしなおは困惑する。

「されど、右大臣様、京の洞院とういん家は、甥の実夏さねなつ様が継いでおられるではありませんか」

 洞院とういん実夏さねなつ実守さねもりは、洞院とういん家の跡目を巡って争い、敗れた実守さねもりが京を出奔して南朝に加わっていた。そんな事情で、実守さねもりが京へ戻ることを、実夏さねなつが許すはずはなかった。

「ほほほ、実夏さねなつは先月亡くなりました。実夏さねなつさえいなくなれば、麿の上洛を邪魔する者はおりませぬ。それどころか洞院とういん家は麿が継ぐことになりましょう。麿はここでくすぶっている暇はないのです。そういうことで、入道殿にはよしなにお伝えくだされ」

 南朝の右大臣、洞院とういん実守さねもりの変り身の早さに、ただただ唖然とする能直よしなおであった。


 翌、九月、右大臣の洞院とういん実守さねもりが南朝を去った後、その予言の通り、正儀は幕府の京極道誉に、将軍、足利義詮への謁見えっけんを申し出た。将軍へ、和睦に関する帝(後村上天皇)の御内意を伝えるためであった。

 しかし、期待に反して正儀のところにもたらされた幕府の返答は、謁見えっけんの申し出を断るものであった。

 この日、住之江すみのえ殿の空には、厚い雲が広がっていた。その御殿の一間で、正儀は大納言の阿野実為さねため、参議の六条時熙ときひろと顔を合わせた。

 扇をいじりながら、実為さねためは考える。

「やっと、御上おかみの許しを得て、河内守(正儀)が上洛するというのに、幕府はなぜ断ってきたのか」

「返書には将軍が風邪をひいたと書かれているが……偽りでございましょう。幕府は和睦交渉を進めるつもりがなくなったのでは」

 不安げに時熙ときひろは呟いた。

 しかし、透っ波すっぱを放って京の世情に詳しい正儀は、首を横に振る。

「いえ、病で伏せているのは本当かも知れませぬ。それも風邪ではなくもっと重い病です。このところ、幕府の公の席に、顔を出していないようです」

「何、それは本当か。将軍の病が長引けば、和睦はどうなる。いや、死なれでもすれば、和睦は立ち消えとなるやも知れぬではないか」

「その通りでございます。幕府では、それに備えるかのような動きもあります」

 実為さねためが正儀を凝視する。

「動きとは」

「先の執事であった斯波しば義将よしゆきが昨日、上洛いたしました」

 正儀は義将よしゆきの上洛の背景を説明する。

 義詮は、京極道誉の讒言ざんげんを信じ、先の管領かんれい斯波しば道朝どうちょうを追放したことを後悔し、道朝が亡くなった後、これを機会に息子の義将よしゆきを許し、越中の守護にした、ということであった。

「京では、この義将よしゆきを幕府管領かんれいに迎えるのではないかという噂があります。義詮の嫡男、春王丸はわずか十歳。義将よしゆき管領かんれいになるかは別にして、幼い春王丸が次の将軍となってもよいよう、不在の管領かんれいを早く定めようとする動きがあっても不思議ではございませぬ」

 いぶかしがって実為さねためは首を傾げる。

「さりながら、ついこの間まで追討を受けていた身ではないか。いくら道誉の力を削ぎたいからというても、そのような者を幕府管領かんれいに付けるであろうか。そのようなことをすれば、将軍の威厳はなくなろうぞ」

 最もな言い分であった。これに、正儀も頷く。

「それがしも同意でございます。もう一人、動きがございます。おそらくはこちらが本命かと。従兄の細川清氏を攻め滅ぼした四国管領かんれいの細川頼之よりゆきです。すでに軍勢を率いて四国を出立し、上洛の途についたという知らせを受けております」

 細川頼之は、中国管領かんれいとして山名時氏、大内弘世ひろよを寝返らせて中国地方を平定した後、四国管領かんれいを任じられていた。

 この情報に、時熙ときひろがなるほどと頷く。

「細川頼之といえば、伊予国の宮方(南方みなみかた)、河野通盛みちもり通朝みちとも親子を攻め滅ぼした。続いて阿波国で小笠原頼清を味方に引き入れ、中国に続き四国もほぼ平定したというではないか」

御意ぎょい、我らにとっては四国を盗られた憎き敵なれど、実力は疑う余地はありませぬ。この男が幕府管領かんれいとなれば、改めて幕府の出方をうかがわなければなりません」

 正儀の見解に、実為さねためは静かに目を閉じる。重い空気が三人を包んだ。

「いずれにしても、幕府においては和睦を考える余裕は当面はないな」

 諦め顔で、実為さねためが深い溜息をついた。

 結局、これ以降、実為さねための指摘どおり、幕府との和睦交渉は止まってしまう。


 九月七日、細川頼之よりゆきが四国の軍勢を率いて入京した。その、ものものしい様子に、京の町人まちびとたちに戦慄が走った。先に京に入った斯波しば義将よしゆきとの間で、戦が始まるのではないかと噂が立ったからである。

 わざわざ軍勢を率いて上洛したのは、将軍、足利義詮のめいであった。頼之を幕府管領かんれいとするにあたって、中国・四国を平定した細川軍の示威じいを天下に見せ、他の武将からの異論を封じるのが狙いである。

 洛中に入った頼之は、その足で三条坊門の将軍御所を訪ねた。小具足こぐそく篭手こて脛当すねあてなど)姿のまま、頼之は、将軍の近習によって、義詮の寝所に通される。

 病人を見舞うには、まるで似つかわしくない風体で、両の拳を床につける。

「御所様(義詮)、細川弥九郎やくろう(頼之)、お召しにより、ただいま参上つかまつりました」

「おお、弥九郎か。待っておったぞ」

 近習に支えられながら、義詮は上体を起こした。

「お身体の具合、心配しておりました。お加減はいかがでございましょうや」

 問いかけに、義詮は苦笑を浮かべる。

「よくはない。そう長くはないであろう」

「御所様、何を仰せです。幕府安寧のためにも、御所様には早くお元気になっていただかなくては」

「自分の身体は自分が一番よく知っておる。されど、確かに幼い春王丸を残して死ぬのは心残り。だからこそ、お前を呼び寄せたのじゃ。管領かんれいの件、よく考えたであろうな」

「はっ。管領かんれいは、それがし如きでは力不足ではありますれど、御所様からそのようにお認めていただき、この弥九郎、身に余る光栄にございます。粉骨砕身、務めさせていただく所存にございます」

「そうか、安堵したぞ。中国、四国と平定したそのほうの腕前、幕府の管領かんれいとして十分に発揮してくれ」

「ははっ」

 小具足こぐそくを鳴らしながら、頼之は平伏した。


 十一月二十五日、重篤な状況におちいった将軍、足利義詮は、枕元に十歳の嫡男、春王丸と細川頼之を呼び寄せた。

「父上、お加減はいかがですか」

「おお、春王丸か……残念ではあるが、わしは間もなく死ぬであろう」

「父上、何をおおせでございます」

 表情を強張らせながら、父が差し出した手を握った。

「春王丸、何ら悲しむことはない。わしが居なくなってもよいように、そなたに新たな父を与えよう。弥九郎(頼之)これへ」

「はっ」

 沈痛な面持ちで、頼之が義詮の枕元ににじり寄った。

「手を」

 求めに応じて頼之が手を差し伸べた。すると義詮がその手をとって、春王丸の手と合わせる。

「弥九郎の教えを守り、立派な将軍となるように励むのじゃ」

「父上……」

 思わず春王丸は言葉を詰まらせた。

「弥九郎、そなたには新たな子を与えよう。立派な将軍に成るよう、そなたが後見してやってくれ」

「御所様……承知つかまつりました」

 頼之はゆっくり、かつ力強く頷いた。

 この後、義詮の前で三献の儀が行われ、春王丸への足利家の家督承継と、頼之への幕府管領かんれいの任命が行われた。


 春王丸の家督相続と細川頼之の幕府管領かんれいの就任は、翌日には住之江すみのえ殿の正儀の元にも届いた。正儀はすぐに大納言、阿野実為さねためとともに帝(後村上天皇)の元に参じる。

 帝は女御にょうご三位局さんみのつぼね(阿野勝子)とともに、写経を行っていた。

 平伏した実為さねためが、帝の背中越しに言上する。

御上おかみ、予てから噂があったとおり、足利義詮の嫡男、春王丸が足利の家督を相続しました。さらに、讃岐の細川頼之が幕府管領かんれいに任命した模様でございます」

 筆を置いた帝が、実為さねための方に向きなおす。

「阿野大納言、それはいつのことであるか」

「昨日のことでございます。幕府の諸大名が三条坊門第へ集められ、御披露目おひろめがあったようにございます」

「左様であるか。これからの交渉の相手は京極入道(道誉)ではなく細川頼之ということであるな」

御意ぎょい

 実為さねためは、ゆっくりと顔を上げながら同意した。

「河内守(正儀)、細川頼之は我らと和睦を進めるであろうか」

 帝に問われた正儀は、かしこまって頭を下げたまま答える。

「はは。おそらくは足利義詮の意志を継いで、和睦を求めてくることでしょう。これまでの中国管領かんれいや四国管領かんれいとしての頼之は、戦は最小限に、利があれば敵とも和睦して参りました。そして戦となれば用意周到、絶対に勝てる戦をしております。そのような男が、和睦の交渉をせずに、我らに戦を仕掛けてくるとは思えませぬ」

 その答えに、帝は少し口元を緩める。

「細川頼之とは、まるで河内守じゃな」

「ほんに左様でございますな。きっと、河内守と気が合うことでしょう」

 帝に続き、実為さねためも頬を緩めて、正儀に視線を向けた。釣られて三位局さんみのつぼねも、袖口で口を隠して笑う。

 場が和む中、正儀は苦笑いしながら顔を上げる。

「気が合うかどうかはわかりませぬが、不思議とあの者の考えていることがわかるような気が致します」

 その言葉に、帝は納得顔を正儀に返す。

「それでは和睦の交渉は、これまでと同様に河内守に頼むとしようぞ」

「ははっ。承知致しました」

 帝のめいに、正儀は安堵の表情を浮かべてかしこまった。

「う、うう……」

 和やかな雰囲気が突然、帝の苦しむ声で遮られる。帝は胸を押え、前屈まえかがみに倒れ込んだ。

御上おかみ、いかがされました」

「大丈夫でございますか」

 すぐさま、三位局さんみのつぼね実為さねためそばに寄り添って、背中を摩った。

「う、う、う……」

 額に汗を浮かべた帝が、真っ青な顔を歪めて胸を押さえた。

 だが、発作はしばらくして収まる。

「最近、このようなことが何度かあるのでございます」

 三位局さんみのつぼねは、帝の背中を摩りながら、心配そうに呟いた。帝は肩で大きく息をしながら、三位局さんみのつぼねの手をそっと払い除ける。

「いや、もう、大丈夫じゃ。心配は要らぬ」

 そう言うものの、帝の額には汗がにじんでいた。

御上おかみ、今日は寝所でお休みください。誰かある。誰かある」

 近習を呼び寄せた実為さねためは、寝所へお連れするように指示をする。

 すると帝は、その近習に支えられ、心配する三位局さんみのつぼねとともに奥に下がった。

 正儀は、ただならぬ予感に襲われる。

「阿野大納言様は、御上おかみのお身体のこと、気がついておられましたか」

「いや。河内守はどうじゃ」

「恥ずかしながら、それがしもまったく気づいておりませなんだ」

 しばし、正儀と実為さねためが沈黙する。今、帝に万が一のことがあれば、住吉の朝廷に、計り知れない影響が生じるのは必至であった。


 十二月に入り、将軍、足利義詮は、ついに身体を動かすことさえ、ままならない状態におちいっていた。

 そのかたわらには、正室の渋川幸子ゆきこと側室の紀良子きのよしことともに、春王丸が寄り添う。

「父上、お気を確かに」

「御所様、春王丸殿ですよ」

「お気を確かに」

 跡継ぎと妻たちに声を掛けられ、義詮は薄く目を開ける。

「おお……春王丸……」

 弱々しく息を吐きながら言葉を続ける。

「……わしが死んだら……楠木正行まさつらの墓の隣に葬ってくれ」

 唐突な言葉に、春王丸は目を丸くする。

「敵ではありませぬか」

 思わず春王丸が口にした。

「わしは……楠木正行まさつらに敬慕の念を抱いておった。お前の祖父が……楠木正成を慕っていたようにな」

等持院とうじいん様(足利尊氏の戒名)が、でございますか」

「そうじゃ。我が父は……昔、幼いわしに、正成の戦振りを嬉しそうに話し……討死を無念な顔で話した」

 苦しそうに声を絞り出す義詮に、後ろで控えていた細川頼之が進み出る。

「御所様、お身体に触りますゆえそのあたりで……」

 身体を気遣う頼之に、義詮は首を横に降る。

四條畷しじょうなわての戦の後……父は楠木の血脈を絶えさせぬために……正行まさつらの忘れ形見の子を……摂津の池田に引き取らせたくらいじゃ……これにはわしも驚いたものよ」

 池田教依のりよりの養子となった池田教正のりまさのことである。春王丸や妻らばかりか、さすがの頼之も目を剥いた。

 驚く一同を尻目に、義詮の話はなおも続く。

「わしはいつしか……その正行まさつらのことを……まだ見ぬ兄のように慕うようになった。将軍の息子としてはあってはならぬことじゃが……正行まさつらが鬼神のごとく攻め上がってきた時は心踊るものがあり……四條畷しじょうなわてで討死した時には涙にくれた……わしは南方みなみかたと和睦を成しえ……正行まさつらの舎弟……正儀とも語り合いたかった。正儀とはどのような男であったのかのう……春王丸よ。いつか必ず南方みなみかたとの和睦を実現し……楠木を味方につけよ」

 息苦しそうに義詮は語った。

「御所様、それ以上はお身体に触ります。お言葉はしかと、この頼之が承りました。それがしにお任せくだされ」

 ゆっくりと頷く頼之に、義詮は安心したかのように眠った。

 十二月七日、将軍、足利義詮は三十八歳でこの世を去る。遺言によって、義詮の遺骨は分骨され、観林寺(善入山ぜんにゅうざん宝筐院ほうきょういん)にある、楠木正行まさつらの首塚の隣にもとむらわれた。


 正平二十三年(一三六八年)、年が明け、正儀は左兵衛督さひょうえのかみとなる。かつて、足利尊氏が朝廷に反旗をひるがえした際、足利討伐の総大将、四条隆資たかすけが任じられた役であった。また、武家では建武の御代みよに足利尊氏も任じられた役で、征夷大将軍がいない今の南朝では、武家の棟梁にも等しい官職である。


 この年の一月、正儀は、父、楠木正成の三十三回忌の追善供養の一つとして、授翁じゅおう宗弼そうひつを迎えて北河内の仁和寺荘にんなじそうに観音寺を建立こんりゅうする。

 落慶法要には舎弟の楠木伊予守いよのかみ正澄まさずみ、従兄弟の楠木飛騨守ひだのかみ正近に、和田和泉守いずみのかみ正武、そして、河野辺駿河守するがのかみ正友ら一族・家臣の他に、参議の六条時熙ときひろをも迎えていた。

 法要の後、御堂みどうの外で正儀が宗弼そうひつに頭を下げる。

宗弼そうひつ様、お陰を持ちまして、よい供養ができました。もう少し寄進できればよかったのですが、今の楠木にはこれが精一杯。宗弼そうひつ様にもご迷惑をおかけしました」

「いやいや、正儀殿のお気持ちこそが大事。拙僧はその中で力を尽くすだけでございます。されど、それはそれとして、住吉の朝廷でさえ、租税が入らず宮廷行事が行えないありさまとか。南方みなみかたはますます先細るばかり。正儀殿は、この先、いかにお考えか」

 宗弼そうひつは心配そうな表情で、正儀の顔をうかがった。

「はい、それがしは足利義詮が亡くなった後も、引き続き幕府との和睦の道を探りとうございます。交渉すべき相手は京極入道から、新たな管領かんれい、細川頼之に変わりますが……正使を送る前にどのような男か確かめたいと思うております。それがしが思うような男であればよいのですが……」

 これに、宗弼そうひつが頬を緩めて大きく頷く。

「それを聞いて安堵しました。義詮公が亡くなり、世間では南方みなみかたが戦を仕掛けるのではないかとの噂もありましたゆえ」

 宗弼そうひつの言葉に、正儀は苦笑いをする。

 事実、強硬派の四条隆俊、北畠顕能あきよしの両大納言らは、義詮が亡くなると、祝宴を開き、討幕に向けて勇ましい言葉を並び立てたと、正儀の耳にも入っていた。

「正儀殿、よろしければ、拙僧が細川頼之殿とお引き合わせ致しましょう」

 突然、宗弼そうひつの口から出た名に、正儀は驚く。

宗弼そうひつ様は、管領かんれい殿(細川頼之)をご存知なのですか」

「拙僧は諸国を旅して回っておりましたのでな。讃岐の善通寺を訪ねた折、世話になりもうした」

「それは都合がよい。どのようなお方でしょう」

 興味深そうに、正儀が目を輝かせた。

「それは直接、正儀殿の目でご確認いただくのがよろしかろう」

「承知しました。ではよしなに」

 正儀は宗弼そうひつに頭を下げ、よい取っ掛かりとなることを期待した。


 立ち話をしていた二人の元へ、男たちが歩み寄ってくる。

「河内守(正儀)」

 宗弼そうひつと向かい合う正儀の背中越しに声をかけてきたのは、参議の六条時熙ときひろであった。そのかたわらには和田正武を連れ立っていた。

「河内守(正儀)を探していたところ、和泉守(正武)がここまで連れて来てくれたのです」

 そう言って、時熙ときひろは正武に振り返る。

「和泉守、御足労をおかけした」

「いえ、礼を言われるほどのことでは……三郎殿(正儀)、それがしはこれにて」

 三人を背にして、正武は戻って行った。

宗弼そうひつ様……でございましたな。観音寺の建立こんりゅう、お見事な御仕切りでございました」

「これは六条様、もったいなきお言葉です」

 手を合わせた宗弼そうひつが、時熙ときひろに頭を下げた。

「河内守、御上おかみ(後村上天皇)のことで、少しよろしいか」

「それでは、拙僧はこれにて」

 時熙ときひろに気を遣い、宗弼そうひつは正儀に軽く会釈して立ち去ろうとした。しかし、思い出したように足を止め、正儀に振り返る。

「ああ、そうじゃ。一つだけ、申し訳ございませぬ。御上おかみのお加減はいかがでありましょう。平癒へいゆ祈願のお陰はありましたでしょうか。拙僧も、気になっております」

「ご、御坊ごぼう、帝のお身体のことを知っておられるのか」

 時熙ときひろは、強張った顔を宗弼そうひつへ向けた。帝の発作のことは、宮中でもごく一部の者しか知らないことであった。

「六条様、病気平癒へいゆ、悪霊退散の護摩行ごまぎょうを、内々に高野山の僧正そうじょうにお願いしていただいたのは、宗弼そうひつ様なのです……」

 誤解を解くために、正儀は経緯を話した。

「そうであったのですか。これは失礼を致しました。であれば、御坊ごぼうもここにってくだされ。麿が聞きたかったのも御上おかみの発作のことです。それで、河内守、その後、どうなのじゃ」

 正儀にたずねたのは、正儀が蔵人くろうどとして帝のそばにいたからであった。

「いまだ時折、発作はありますれど、護摩行のお陰か、頻度は減っているように存じます」

 時熙ときひろはほっと胸をろす。

「いま、御上おかみにもしものことがあれば、朝廷は一大事じゃ」

「六条様、帝はきっと御回復されます」

 内心、正儀も不安を抱えていたが、口には出さないようにしていた。

「おお、そうじゃな、河内守。さりながら、万が一のことも考えておかねばなるまい。その場合は、熙成ひろなり親王が立派な帝になられるよう、我らが盛り立てていかねばならん」

「はっ、承知しております」

 神妙な顔で正儀は応じた。

 熙成ひろなり親王は、大納言、阿野実為さねための姪である三位局さんみのつぼね、阿野勝子が生んだ皇子であった。帝は、早くから熙成ひろなり親王に対して東宮とうぐう宣下せんげ(皇太子任命)をしていた。

 二人の会話に、宗弼そうひつは不安気な表情を浮かべる。

「少々、よろしいですかな。熙成ひろなり親王が東宮とうぐう宣下せんげを受けておられると言うても、努々ゆめゆめ、御油断されませぬように」

宗弼そうひつ様、それはどういう意味でございますか」

 不思議そうに正儀がたずねた。

「老僧の戯言ざれごととしてお聞きくだされ。熙成ひろなり親王は東宮とうぐうの証である壺切つぼきり御剣みつるぎを持っておられぬのではありませぬか。そのうえ、正式な立太子りったいしの礼も、執り行っておられない」

 指摘した壺切つぼきり御剣みつるぎとは、大昔の寛平五年(八九三年)、敦仁あつひと親王(醍醐天皇)の御代みよから受け継がれる東宮とうぐう(皇太子)の証である。その壺切つぼきり御剣みつるぎは、北朝の皇統が持ったままとなっており、南朝の帝には伝わっていなかった。また、東宮とうぐう任命の正式な儀式である立太子りったいしの礼も、南朝の台所事情から執り行われていなかった。

「されど御上おかみより、東宮とうぐう宣下せんげを受けておられる」

 むっとした表情で時熙ときひろは反論するが、宗弼そうひつは残念そうな顔をする。

「はい、主上しゅじょうが御存命のうちはよいのです。されど、崩御ほうぎょされた後となると、宣下せんげの後立てが存在しないことになります。立太子りったいしの礼を経て壺切つぼきり御剣みつるぎ熙成ひろなり親王が持たれておられるのであれば、廃太子としない限り、東宮とうぐうの地位は安泰です。帝が崩御ほうぎょされても、廃太子を命ずるお方がこの世に居ないということですので、東宮とうぐうであり続けるのです」

 時熙ときひろは正儀と顔を見合わせる。

「つまり、東宮とうぐう宣下せんげだけでは、御上おかみ崩御ほうぎょされてしまうと、熙成ひろなり親王が帝になれない可能性があると言われるのか」

 唖然として、時熙ときひろは目を剥いた。

 宗弼そうひつは淡々と答える。

「はい、可能性の一つとしてでございますが」

「その場合、他に可能性があるのは、一の宮様(寛成ゆたなり親王)ということか」

 眉根を寄せて、時熙ときひろは唸った。

 寛成ゆたなり親王は北畠親房の娘、顕子が生んだ帝の第一皇子で、叔父には強硬派の大納言、北畠顕能あきよしがいた。

「では御坊ごぼう、どうすれば確実に熙成ひろなり親王を帝に就けることができるのじゃ」

「はい、六条様。それには主上しゅじょうが御存命のうちに熙成ひろなり親王に御譲位なさるか、熙成ひろなり親王の御即位に際して三種の神器を奪われぬことです」

「今の時点では発作はあるが、そのとき以外はお元気じゃ。御存命のうちの御譲位は難しかろう。されば、三種の神器じゃな」

 時熙ときひろがそう言うのには理由があった。

 後醍醐天皇は、醍醐天皇の延喜えんぎ天暦てんりゃくを理想とし、上皇や法皇による権力の二重化を嫌い、天皇親政を目指した。延喜えんぎ天暦てんりゃくにおけるもう一人の帝、村上天皇にあやかって生前から後村上を号とする今上帝きんじょうていも、帝を退く時は崩御ほうぎょするときと決めていた。

「なるほど。ようわかり申した。それにしても、御坊ごぼうはなぜ、そのように宮中の有職故実ゆうそくこじつに詳しいのじゃ」

 不思議そうに時熙ときひろがたずねた。

「それは拙僧がその昔、洞院とういん公賢きんかた様に、いろいろと教えを乞うたからでございます」

 公賢きんかた洞院とういん実世さねよの父で、幾度かの南軍の京侵攻に際して、両朝の間で渡りを付けた元の北朝の太上大臣である。

洞院とういん様に教えを乞うたと……いったい御坊ごぼうは何者なのじゃ」

 不審がる時熙ときひろに、正儀が口を開く。

授翁じゅおう宗弼そうひつ様は、建武の御代みよの中納言、万里小路までのこうじ藤房ふじふさ様です」

「な、何と。先帝(後醍醐天皇)に苦言を呈して行方をくらませたという、あの藤房様なのですか」

「六条様、もう、昔の話でございます。今は一介の老僧にて」

「こ、これは知らぬ事とはいえ、先般からの非礼、お許しくだされ」

「いや、頭を上げてくだされ。何の、気にされることはございませぬ。それより、立太子りったいしの件は、拙僧も老婆心が強すぎたかも知れませぬ」

 宗弼そうひつ時熙ときひろの手をとって、逆に謝った。


 三人の会話を御堂みどうの陰に立って聞いていた者がいた。先ほど正儀の元から立ち去ったはずの和田正武であった。

 眉間にしわを寄せた正武は、ゆっくりと目を閉じ、ふうぅと深い息を吐いた。


 二月、再び、帝(後村上天皇)に大きな発作が起こった。

 蔵人くろうどとして住之江すみのえ殿に務めていた正儀は、寝所で横になる帝を見舞った。寝所に入れるということは、それだけ、信頼されていた証である。

「河内守(正儀)、そこにあるか」

御上おかみ、河内はここにおります」

 寝所の隣の間で、他の蔵人くろうどたちと一緒に控えていた正儀は、ふすま越しに平伏した。

そばへ参れ」

「はっ」

 恐縮しながら、正儀はふすまを開けて、帝の枕元に座る。

御上おかみ、御気分はいかがでありましょうや」

「うむ、心配をかけたな。もう大丈夫じゃ」

 そう応じる帝であったが、その顔には、いまだ血の気が戻っていない。

「河内守、そなたには、幼き娘がおったな。幾つになった」

「年が明けましたので、数えて四歳になります」

「そうか、四つか。名は何という」

「はい、式子のりこと申します。紫式部むらさきしきぶの式で式子のりこです」

「そうか、そちと合わせれば儀式ぎしきじゃな。ふふ、実直な河内守らしい名よのう。そなたに似て、さぞかし、真面目な子に育つであろう」

「それが、館の中を走り回り、乳母の手をわずらわせております。それがしに似たというより、我が妻に似たのやも知れませぬ」

 そう言って、場を和ませた。

「そうか、勇婦ゆうふ伊賀局いがのつぼね(徳子)に似たか。では美しき女房になろう。それも楽しみであるな……」

 目を細めて帝は微笑む。

「……ちんには今年で六歳になる男児がおる」

「はい、六の宮様でございますな。存じております」

 六の宮とは、帝の第六皇子、懐成かねなり親王のことである。

「河内守、ちんよりそなたに頼みがある。将来、そなたの娘を懐成かねなりの室として貰い受けたい」

 はっと息を飲み込み、正儀は帝の顔へと視線が動いた。正儀の官位で、それも武将の娘を親王の正室とすることは、通常考えられないことであった。

御上おかみ、もったいなきお心遣い、この河内、言葉も出て参りませぬ。されど、御上おかみや宮様に御迷惑をおかけするのではありますまいか」

 しかし、帝は気にしている風はない。

「それについては、阿野大納言に考えさせよう。誰かふさわしい家門の養女としてから、ということになるであろう」

「さ、さりとて……」

 ただただ、正儀は恐縮する。

「これはちんからの頼みなのじゃ。忠臣の中の忠臣である楠木の娘を、親王のきさきに迎えることは、ちんにとっても誇りなのじゃ」

 そう言うが、それは帝の思いやりであることは、正儀にはよくわかっていた。楠木家が親王の室を出すということは、家格を上げることに繋がる。南朝に、帝に、身を挺して尽くす正儀や楠木一門に報いるには、これが一番よいと考えてのことであった。それは自身の体調の変化を悟った帝の遺言でもあった。

「もったいなきお言葉。この河内(正儀)、断る理由が見つかりませぬ。ありがたく、お受け致します」

 思わず目頭が熱くなるのを正儀は感じた。

『巡り逢わん 頼ぞ知らぬ命だに 有らばと頼む程のはかなさ』

 帝は病床で信濃宮しなののみやこと宗良むねよし親王への句を詠んだ。そこには、兄宮に再び会いたいという、気弱になった帝の心情が表れていた。


 その頃、和泉守、和田正武は、自らの館にあって一人悩んでいた。

 再三、四条隆俊、北畠顕能あきよしの両大納言のから、誘いを受けていたからである。

 正儀とは異なり正武の心情は、幕府を滅ぼし一族の無念を晴らし、唯一南朝が皇統を継承すべきと考えていた。

 しかし、楠木軍の一翼を担い、一族の棟梁である正儀を盛り上げていくことにも義を感じていた。その上で、天才的な戦の才があるにもかかわらず、戦嫌いで、幕府に対して常に和睦を探る正儀の態度が残念であり、我慢がならなかった。

 縁側に出た正武は腕を組む。

「どうしたものか……」

 天を仰いで深い溜息をついた。


 その後は大きな発作もなく、政務に励んでいた帝(後村上天皇)であった。だが、三月十日、奥の居所で写経にいそしんでいた時、発作に見舞われる。

 胸を押さえて苦しむ帝の様子に気づいた三位局さんみのつぼね(阿野勝子)が、慌てて帝に寄り添う。

御上おかみ、いかがされました。御上おかみ御上おかみたれかある、たれかある」

 うずくまる帝の背中をさすりながら、三位局さんみのつぼねは近習を呼んだ。

御上おかみ御上おかみ、しっかりなさいませ」

 これまでにないほどの帝の発作に、三位局さんみのつぼねは気が動転する。だが、背中をさするうちに、帝は少し落ち着きを取り戻す。しかし、発作は帝の生気を奪い、起きる事さえままならぬ容態となった。

 寝所に横になった帝は、住之江すみのえ殿に大納言の阿野実為さねため、参議の六条時熙ときひろとともに、蔵人くろうどの正儀を呼び寄せた。

御上おかみ、大丈夫でございましょうや」

 枕元に座った実為さねためが、声をかけて励ました。しかし、その顔には、すでに死相が表れていた。

 帝は、皆の励ましには応じず、死を悟ったかのように、自らの胸のうちを語りだす。

「……熙成ひろなりに、生きているうちに譲位できなかったことは……残念でならぬ……」

 帝は、実為さねための姪、三位局さんみのつぼねが生んだ熙成ひろなり親王を溺愛できあいしていた。

 三位局さんみのつぼねは美貌を誇った帝の尊母、阿野廉子かどこ大姪おおめいだけあって、見目麗みめうるわしい女御にょうごであった。大叔母おおおばの阿野廉子かどこの計らいで、関白、二条師基もろもとの養女となってから奥に上がり、帝の寵愛を受けて熙成ひろなり親王を生んだ。

 その熙成ひろなり親王も、今年で十九歳。幼い頃から祖母、廉子かどこの影響を受けて、京への思いが強かった。また叔父である大納言、実為さねための影響を受けて、和睦を強く望むようになっていた。

 親王は、実為さねため時熙ときひろらの和睦派の公卿くぎょうらとともに、武士の正儀にも全幅の信頼を寄せている。それだけに、強硬派の大納言である四条隆俊や北畠顕能あきよしは、熙成ひろなり親王が次の帝に成ることに脅威を感じているのは明白であった。

 帝は話を続ける。

「されど……熙成ひろなり東宮とうぐうであることには違いない……そなたたちは……和睦を成し遂げ……熙成ひろなりを京へ戻すのじゃ……よいな」

御上おかみ、ご安心くださいませ。我らが必ず熙成ひろなり親王を京へお連れ致します」

 無理に口元を和らげて、実為さねためは帝を安心させた。

「河内……河内守はおるか」

 帝は正儀を求めて、手を差し出した。

「ここにおります」

 前に進み出て、正儀は帝の手を取った。

「我が朝廷を守護する武将は徐々に減り……今ではそなただけが頼りじゃ……熙成ひろなりを守ってやってくれ」

「お、御上おかみ……承知……承知致しました。我がいのちに代えても、熙成ひろなり親王を守護たてまつる所存にございます」

 まっすぐ帝の目を見て、正儀は誓った。

 正平二十三年(一三六八年)三月十一日、再びの深夜の発作で、後村上天皇は崩御ほうぎょした。それはの刻であった。

 幕府の征夷大将軍、足利義詮が亡くなってから、わずか三か月後のことである。ほぼ同じくして二人が亡くなったことで、時代の流れが大きく変わろうとしていた。

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