第31話 帝と将軍
正平二十二年(一三六七年)四月二十九日、
和睦の条件が整った住吉の南朝は、
三条坊門の将軍御所では、南朝の帝(後村上天皇)の
上座に迎えられた
読み進める中で突如、その声が
『……武家降参……』
その場にそぐわない言葉が
神妙に平伏して、帝の
「武家降参じゃと。
激怒した義詮が、下座から上座の
上座に残り、へなへなと魂が抜けたようになっていた
「
「ま、麿がそのようなことを知っているわけがなかろう。全ては
そう言うと、
我に返った正友は、振り返り、道誉の前で両手を床に着く。
「こ、
平身低頭に誠意を示した。しかし、道誉の顔は怒りに満ちている。
「その
「ま、まさか。そのようなことは絶対にござらん。
必死に弁明する正友を、道誉は不審な顔つきで睨む。
「では、楠木(正儀)の知らぬところで、決まったとでも言うのか」
「左様としか思えませぬ」
「何をしゃあしゃあと。河内守は
指摘に、正友の全身から汗が噴き出す。
「いや、されど、
「ふう、何やら朝廷内で不穏な動きがあるようじゃな。されど、それは我らが
憮然と道誉は言い放ち、席を立った。
南朝の
積年の
「殿、なぜに武家降参などと……」
血の気を失った正儀が、重い口を動かす。
「
「ならば、なぜ」
「きっと、清書の折であろう。わしの詰めが甘かったか」
ふうと息を吐いた正儀は、立ち上り、縁に出て天を仰いだ。
「やはり、四条大納言(隆俊)ら、強硬派の方々が……」
正友は、背中越しに正儀へ問いかけた。
「清書は、
「されど、
「うむ、そうとしか思えぬ。これより、
そう言うと、正儀は帝の居所へと向かった。
帝(後村上天皇)の住まいへ渡ろうと、正儀が回廊を歩いていたところ、目の前に男が現われてゆく手を塞いだ。大納言の四条隆俊である。
「河内守(正儀)、
勝ち誇った顔で、隆俊は正儀に言い放った。
正儀は、わなわなと肩を震わせて隆俊を睨む。
「大納言様(隆俊)、同行した駿河守(正友)の話では、
「怖いのう、河内。武家降参など麿の
扇を口に充てた隆俊は、ふふっと薄っすら笑みを浮かべ、その場から立ち去った。
「か、河内守……」
中には
「
「ただいま駿河守(正友)から事の次第を聞き、急ぎ参上つかまつりました」
そう言って、正儀は帝の前で平伏した。
すぐに
「駿河守から聞いてすでに知っておろうが、
「すまぬ、河内……
帝の言葉に、正儀は
「四条殿らの思惑に気づかず、
沈痛な顔で、
それによると、
「武家降参は
帝は、隆俊や
五月、伊賀国
半年前、病を発した
(……芸能は目で見て耳で聴くものじゃ。その両方が調和すれば、倍にも十倍にもなるであろう……)
この道誉の指摘が、耳を離れなかったからである。
舞踊と筋(物語)に目を向けるばかりで、調べや節といった
「この世は猿楽と田楽だけではない。
暇さえあれば、観世はさまざまな
六月八日、正儀は近臣の駿河守、河野辺正友を京へ送った。三条坊門第に入った正友は、将軍、足利義詮の前に通される。その
正友は義詮を前で
「
対して道誉の機嫌は悪い。
「礼を尽くしてと言うておる割に、なぜ楠木が自ら来ぬのか」
「申しわけござらぬ。河内守は
「で、事の次第とは何じゃ。話してみよ」
憮然とした態度で、義詮が正友を
「我らが
説明する正友を、道誉は鼻で笑う。
「存じますじゃと。そなたの考えか」
「いえ、少なくとも、河内守が
その言葉にも若干の嘘がある。武家降参の四文字は、強硬派に謀られたとしても、いったんは帝の口から出た言葉である。しかし、清書の直前で言葉を付け加えたなど、
憮然とした表情で、義詮はふううぅと大きく息をつく。
「もうよい。いくら質問しようが、その
「も、申しわけございませぬ」
苦汁の表情で、正友は深く頭を下げた。
「和睦の時期が早過ぎたようじゃな。
義詮は道誉に目配して、これ以上の話を打ち切ろうとした。
「お、お待ちください。帝は和睦の
必至に正友は訴えた。
しかし、義詮の反応は冷たい。後を道誉に任せて、さっさと広間から出て行った。
「河野辺殿、再び、わしに恥をかかせるつもりか。将軍は和睦を諦めたわけではない。されど、
そう言うと道誉も、その顔に
その場で正友は
七月中旬、正儀は
「足利義詮によって追討を受け、越前の
正儀の情報は、聞世(服部成次)からもたらされたものであった。
ほう、と口元を少し開けた
「城が落ちたのか。それはいつのことじゃ」
「十三日のことです。されど、幕府軍によって討たれたのではなく、病であったようです。興味深いのは、将軍が、一緒に
「
「それはわかりかねますが、足利義詮は、
「なるほど、義詮に道朝の討伐を仕向けたのは道誉であったと聞く。道誉は幕府
「ただ和睦の交渉は京極道誉があってこそ」
深刻な表情を正儀は見せた。その顔を見て、
「義詮が、道誉の力を警戒しているとすると……」
「その京極道誉が力を持っている間に、和睦を取り
少し目を落として、正儀は懸念を口にした。
「急がねばならんな」
焦りの色を
七月二十九日、京極道誉は、正儀が幕府に河野辺正友を送った返礼として、
南朝は参議の六条
「摂津殿(
「六条
その真摯な態度に、
一旦、
ちょうど
「和泉守、ちょうどよいところへ」
「これは六条
「幕府より、先般の詫びの返礼として、摂津殿が参っておる。京極入道からの和睦継続の話を持って来られたようじゃ。早々に東条に使いをやって、呼び寄せるのじゃ」
「河内守殿(正儀)を、でございますか」
当然のことと
「摂津
「それがしは、これより和泉の館へ戻るところでございます。それゆえ……」
「おお、それはちょうどよかった。やはり武家は武家同士、話も合うであろう。和泉守、よしなに頼むぞ」
全てを言い終わらないうちに、
「わしとて用があったのじゃが……」
不満顔で正武は、
「殿、何事でございましょうや」
「うむ、その
言いかけて、正武は言葉を飲み込んだ。
「あの……殿。楠木館へ行って何をすればよいのでございましょう」
「いや、何でもない。もうよいのじゃ。持ち場へ戻ってよいぞ」
その若党は首を傾げながら、
その足で正武は、摂津
正武には、大納言、四条隆俊の言葉が脳裏をよぎっていた。楠木一門の重鎮でもある正武だが、和睦の決裂は、正直よかったと思っていた。
(和睦が決裂すれば、三郎殿(正儀)とて腹を
漠然とそのくらいに考えていた。
六条
仕方なく正儀は、その足で和泉の和田正武の元に馬を走らせた。
館の広間で正儀は、正武から譲られた上座に腰を降ろす。
「新九郎(正武)殿、どうして摂津
大事な和睦の切っかけを
「いや、申し訳ござらん。
頭を掻きながら、正武は白々しく嘘をついた。
「わざわざの返礼に、手ぶらで返すわけにはいかぬ。わしから馬一頭、
「三郎殿(正儀)、御使者を手ぶらで返したのはわしの落ち度じゃ。三郎殿の馬一頭、
「では、お任せするとしよう。詫びの書状も託したい。これから書く書状も、一緒に届けてくれまいか」
「承知した、三郎殿」
この後、朝廷からも馬一頭を帝(後村上天皇)の名で贈るよう委託された正武は、これら返礼の品を用意して京へ送る。しかし、正儀の和睦を願う詫び状が、京極道誉に届くことはなかった。
京にある京極屋敷では、京極道誉が、住吉から戻った摂津
「楠木は何を考えておる。和睦を求めながら使者として送ったお主に会おうともしない」
下座から報告を終えた
南朝との和睦を進めた道誉の目的は、将軍、足利義詮に恩を売ることである。和睦を実現し、自身の影響力を拡大することにあった。しかし、いったん和睦という火種に火を着けた後では、進展がないとなると、義詮から叱責を受ける立場に変わっていた。
今や道誉にとって、和睦は厄介事でしかなかった。
「入道様(道誉)、この後、いかがしたものかと」
不安そうに、
うわの空で道誉が
「……かと言って、今更、和睦を進めないわけにもいかぬ……か」
「え、何と仰せですか、入道様」
「いや、何でもない。楠木が当てにならんのなら別の手立てを考える。その
「
「そうじゃ、
憮然とした顔で、道誉は
「承知しました、入道様」
「わしは将軍に、
「はっ」
ただちに京極道誉は、三条坊門第に出向き、義詮への
どう言い訳をしようかと思案しながら義詮を待っていると、現れた近習が意外なことを告げる。
「御所様は、朝からお熱があるようで、寝所で御休みになられておられます」
「何、お身体の具合が悪いのか。では、今日はお会いできぬな」
心の中で道誉は、わしにはまだ運がある、とにやつく。
「では、住吉に送った使者の件は、また日を改めてご報告に
そう言うと、道誉はそそくさと将軍御所を後にした。
八月、日を改めて摂津
「先般は、楠木殿にも会うことができず、不本意な結果に終わり、入道様(京極道誉)も大そうご立腹でございました。今後の和睦交渉に支障が出ぬようにするためにも、楠木殿(正儀)の上洛を、右大臣様より御口添えいただきとう存じます」
「誰よりも和睦を望んでいる河内守が顔を見せなかったというのは信じられませぬ。麿が口添えなどしなくとも、あの男のこと、自ら上洛して和睦を求めるでしょう」
「左様でございましょうか」
「まあ、確約はできませぬが……それに、もう麿は、口添えすることはできなくなります」
「右大臣様、いったい、どういうことでございましょうや」
怪訝な表情を浮かべて、
「麿はほとほとこの朝廷に愛想が尽きました。和睦を欲する者と、討幕を譲らない強硬な者との溝は深く、麿が間を取り持つことは不可能にございます。よって、京へ戻ることに致しました」
意外な話に、
「されど、右大臣様、京の
「ほほほ、
南朝の右大臣、
翌、九月、右大臣の
しかし、期待に反して正儀のところにもたらされた幕府の返答は、
この日、
扇をいじりながら、
「やっと、
「返書には将軍が風邪をひいたと書かれているが……偽りでございましょう。幕府は和睦交渉を進めるつもりがなくなったのでは」
不安げに
しかし、
「いえ、病で伏せているのは本当かも知れませぬ。それも風邪ではなくもっと重い病です。このところ、幕府の公の席に、顔を出していないようです」
「何、それは本当か。将軍の病が長引けば、和睦はどうなる。いや、死なれでもすれば、和睦は立ち消えとなるやも知れぬではないか」
「その通りでございます。幕府では、それに備えるかのような動きもあります」
「動きとは」
「先の執事であった
正儀は
義詮は、京極道誉の
「京では、この
「さりながら、ついこの間まで追討を受けていた身ではないか。いくら道誉の力を削ぎたいからというても、そのような者を幕府
最もな言い分であった。これに、正儀も頷く。
「それがしも同意でございます。もう一人、動きがございます。おそらくはこちらが本命かと。従兄の細川清氏を攻め滅ぼした四国
細川頼之は、中国
この情報に、
「細川頼之といえば、伊予国の宮方(
「
正儀の見解に、
「いずれにしても、幕府においては和睦を考える余裕は当面はないな」
諦め顔で、
結局、これ以降、
九月七日、細川
わざわざ軍勢を率いて上洛したのは、将軍、足利義詮の
洛中に入った頼之は、その足で三条坊門の将軍御所を訪ねた。
病人を見舞うには、まるで似つかわしくない風体で、両の拳を床につける。
「御所様(義詮)、細川
「おお、弥九郎か。待っておったぞ」
近習に支えられながら、義詮は上体を起こした。
「お身体の具合、心配しておりました。お加減はいかがでございましょうや」
問いかけに、義詮は苦笑を浮かべる。
「よくはない。そう長くはないであろう」
「御所様、何を仰せです。幕府安寧のためにも、御所様には早くお元気になっていただかなくては」
「自分の身体は自分が一番よく知っておる。されど、確かに幼い春王丸を残して死ぬのは心残り。だからこそ、お前を呼び寄せたのじゃ。
「はっ。
「そうか、安堵したぞ。中国、四国と平定したその
「ははっ」
十一月二十五日、重篤な状況に
「父上、お加減はいかがですか」
「おお、春王丸か……残念ではあるが、わしは間もなく死ぬであろう」
「父上、何をおおせでございます」
表情を強張らせながら、父が差し出した手を握った。
「春王丸、何ら悲しむことはない。わしが居なくなってもよいように、そなたに新たな父を与えよう。弥九郎(頼之)これへ」
「はっ」
沈痛な面持ちで、頼之が義詮の枕元ににじり寄った。
「手を」
求めに応じて頼之が手を差し伸べた。すると義詮がその手をとって、春王丸の手と合わせる。
「弥九郎の教えを守り、立派な将軍となるように励むのじゃ」
「父上……」
思わず春王丸は言葉を詰まらせた。
「弥九郎、そなたには新たな子を与えよう。立派な将軍に成るよう、そなたが後見してやってくれ」
「御所様……承知つかまつりました」
頼之はゆっくり、かつ力強く頷いた。
この後、義詮の前で三献の儀が行われ、春王丸への足利家の家督承継と、頼之への幕府
春王丸の家督相続と細川頼之の幕府
帝は
平伏した
「
筆を置いた帝が、
「阿野大納言、それはいつのことであるか」
「昨日のことでございます。幕府の諸大名が三条坊門第へ集められ、
「左様であるか。これからの交渉の相手は京極入道(道誉)ではなく細川頼之ということであるな」
「
「河内守(正儀)、細川頼之は我らと和睦を進めるであろうか」
帝に問われた正儀は、
「はは。おそらくは足利義詮の意志を継いで、和睦を求めてくることでしょう。これまでの中国
その答えに、帝は少し口元を緩める。
「細川頼之とは、まるで河内守じゃな」
「ほんに左様でございますな。きっと、河内守と気が合うことでしょう」
帝に続き、
場が和む中、正儀は苦笑いしながら顔を上げる。
「気が合うかどうかはわかりませぬが、不思議とあの者の考えていることがわかるような気が致します」
その言葉に、帝は納得顔を正儀に返す。
「それでは和睦の交渉は、これまでと同様に河内守に頼むとしようぞ」
「ははっ。承知致しました」
帝の
「う、うう……」
和やかな雰囲気が突然、帝の苦しむ声で遮られる。帝は胸を押え、
「
「大丈夫でございますか」
すぐさま、
「う、う、う……」
額に汗を浮かべた帝が、真っ青な顔を歪めて胸を押さえた。
だが、発作はしばらくして収まる。
「最近、このようなことが何度かあるのでございます」
「いや、もう、大丈夫じゃ。心配は要らぬ」
そう言うものの、帝の額には汗が
「
近習を呼び寄せた
すると帝は、その近習に支えられ、心配する
正儀は、ただならぬ予感に襲われる。
「阿野大納言様は、
「いや。河内守はどうじゃ」
「恥ずかしながら、それがしもまったく気づいておりませなんだ」
十二月に入り、将軍、足利義詮は、ついに身体を動かすことさえ、ままならない状態に
その
「父上、お気を確かに」
「御所様、春王丸殿ですよ」
「お気を確かに」
跡継ぎと妻たちに声を掛けられ、義詮は薄く目を開ける。
「おお……春王丸……」
弱々しく息を吐きながら言葉を続ける。
「……わしが死んだら……楠木
唐突な言葉に、春王丸は目を丸くする。
「敵ではありませぬか」
思わず春王丸が口にした。
「わしは……楠木
「
「そうじゃ。我が父は……昔、幼いわしに、正成の戦振りを嬉しそうに話し……討死を無念な顔で話した」
苦しそうに声を絞り出す義詮に、後ろで控えていた細川頼之が進み出る。
「御所様、お身体に触りますゆえそのあたりで……」
身体を気遣う頼之に、義詮は首を横に降る。
「
池田
驚く一同を尻目に、義詮の話はなおも続く。
「わしはいつしか……その
息苦しそうに義詮は語った。
「御所様、それ以上はお身体に触ります。お言葉はしかと、この頼之が承りました。それがしにお任せくだされ」
ゆっくりと頷く頼之に、義詮は安心したかのように眠った。
十二月七日、将軍、足利義詮は三十八歳でこの世を去る。遺言によって、義詮の遺骨は分骨され、観林寺(
正平二十三年(一三六八年)、年が明け、正儀は
この年の一月、正儀は、父、楠木正成の三十三回忌の追善供養の一つとして、
落慶法要には舎弟の楠木
法要の後、
「
「いやいや、正儀殿のお気持ちこそが大事。拙僧はその中で力を尽くすだけでございます。されど、それはそれとして、住吉の朝廷でさえ、租税が入らず宮廷行事が行えないありさまとか。
「はい、それがしは足利義詮が亡くなった後も、引き続き幕府との和睦の道を探りとうございます。交渉すべき相手は京極入道から、新たな
これに、
「それを聞いて安堵しました。義詮公が亡くなり、世間では
事実、強硬派の四条隆俊、北畠
「正儀殿、よろしければ、拙僧が細川頼之殿とお引き合わせ致しましょう」
突然、
「
「拙僧は諸国を旅して回っておりましたのでな。讃岐の善通寺を訪ねた折、世話になりもうした」
「それは都合がよい。どのようなお方でしょう」
興味深そうに、正儀が目を輝かせた。
「それは直接、正儀殿の目でご確認いただくのがよろしかろう」
「承知しました。ではよしなに」
正儀は
立ち話をしていた二人の元へ、男たちが歩み寄ってくる。
「河内守(正儀)」
「河内守(正儀)を探していたところ、和泉守(正武)がここまで連れて来てくれたのです」
そう言って、
「和泉守、御足労をおかけした」
「いえ、礼を言われるほどのことでは……三郎殿(正儀)、それがしはこれにて」
三人を背にして、正武は戻って行った。
「
「これは六条様、もったいなきお言葉です」
手を合わせた
「河内守、
「それでは、拙僧はこれにて」
「ああ、そうじゃ。一つだけ、申し訳ございませぬ。
「ご、
「六条様、病気
誤解を解くために、正儀は経緯を話した。
「そうであったのですか。これは失礼を致しました。であれば、
正儀にたずねたのは、正儀が
「いまだ時折、発作はありますれど、護摩行のお陰か、頻度は減っているように存じます」
「いま、
「六条様、帝はきっと御回復されます」
内心、正儀も不安を抱えていたが、口には出さないようにしていた。
「おお、そうじゃな、河内守。さりながら、万が一のことも考えておかねばなるまい。その場合は、
「はっ、承知しております」
神妙な顔で正儀は応じた。
二人の会話に、
「少々、よろしいですかな。
「
不思議そうに正儀がたずねた。
「老僧の
指摘した
「されど
むっとした表情で
「はい、
「つまり、
唖然として、
「はい、可能性の一つとしてでございますが」
「その場合、他に可能性があるのは、一の宮様(
眉根を寄せて、
「では
「はい、六条様。それには
「今の時点では発作はあるが、そのとき以外はお元気じゃ。御存命のうちの御譲位は難しかろう。されば、三種の神器じゃな」
後醍醐天皇は、醍醐天皇の
「なるほど。ようわかり申した。それにしても、
不思議そうに
「それは拙僧がその昔、
「
不審がる
「
「な、何と。先帝(後醍醐天皇)に苦言を呈して行方をくらませたという、あの藤房様なのですか」
「六条様、もう、昔の話でございます。今は一介の老僧にて」
「こ、これは知らぬ事とはいえ、先般からの非礼、お許しくだされ」
「いや、頭を上げてくだされ。何の、気にされることはございませぬ。それより、
三人の会話を
眉間にしわを寄せた正武は、ゆっくりと目を閉じ、ふうぅと深い息を吐いた。
二月、再び、帝(後村上天皇)に大きな発作が起こった。
「河内守(正儀)、そこにあるか」
「
寝所の隣の間で、他の
「
「はっ」
恐縮しながら、正儀は
「
「うむ、心配をかけたな。もう大丈夫じゃ」
そう応じる帝であったが、その顔には、いまだ血の気が戻っていない。
「河内守、そなたには、幼き娘がおったな。幾つになった」
「年が明けましたので、数えて四歳になります」
「そうか、四つか。名は何という」
「はい、
「そうか、そちと合わせれば
「それが、館の中を走り回り、乳母の手を
そう言って、場を和ませた。
「そうか、
目を細めて帝は微笑む。
「……
「はい、六の宮様でございますな。存じております」
六の宮とは、帝の第六皇子、
「河内守、
はっと息を飲み込み、正儀は帝の顔へと視線が動いた。正儀の官位で、それも武将の娘を親王の正室とすることは、通常考えられないことであった。
「
しかし、帝は気にしている風はない。
「それについては、阿野大納言に考えさせよう。誰かふさわしい家門の養女としてから、ということになるであろう」
「さ、さりとて……」
ただただ、正儀は恐縮する。
「これは
そう言うが、それは帝の思いやりであることは、正儀にはよくわかっていた。楠木家が親王の室を出すということは、家格を上げることに繋がる。南朝に、帝に、身を挺して尽くす正儀や楠木一門に報いるには、これが一番よいと考えてのことであった。それは自身の体調の変化を悟った帝の遺言でもあった。
「もったいなきお言葉。この河内(正儀)、断る理由が見つかりませぬ。ありがたく、お受け致します」
思わず目頭が熱くなるのを正儀は感じた。
『巡り逢わん 頼ぞ知らぬ命だに 有らばと頼む程のはかなさ』
帝は病床で
その頃、和泉守、和田正武は、自らの館にあって一人悩んでいた。
再三、四条隆俊、北畠
正儀とは異なり正武の心情は、幕府を滅ぼし一族の無念を晴らし、唯一南朝が皇統を継承すべきと考えていた。
しかし、楠木軍の一翼を担い、一族の棟梁である正儀を盛り上げていくことにも義を感じていた。その上で、天才的な戦の才があるにもかかわらず、戦嫌いで、幕府に対して常に和睦を探る正儀の態度が残念であり、我慢がならなかった。
縁側に出た正武は腕を組む。
「どうしたものか……」
天を仰いで深い溜息をついた。
その後は大きな発作もなく、政務に励んでいた帝(後村上天皇)であった。だが、三月十日、奥の居所で写経に
胸を押さえて苦しむ帝の様子に気づいた
「
うずくまる帝の背中をさすりながら、
「
これまでにないほどの帝の発作に、
寝所に横になった帝は、
「
枕元に座った
帝は、皆の励ましには応じず、死を悟ったかのように、自らの胸のうちを語りだす。
「……
帝は、
その
親王は、
帝は話を続ける。
「されど……
「
無理に口元を和らげて、
「河内……河内守はおるか」
帝は正儀を求めて、手を差し出した。
「ここにおります」
前に進み出て、正儀は帝の手を取った。
「我が朝廷を守護する武将は徐々に減り……今ではそなただけが頼りじゃ……
「お、
まっすぐ帝の目を見て、正儀は誓った。
正平二十三年(一三六八年)三月十一日、再びの深夜の発作で、後村上天皇は
幕府の征夷大将軍、足利義詮が亡くなってから、わずか三か月後のことである。ほぼ同じくして二人が亡くなったことで、時代の流れが大きく変わろうとしていた。
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