第35話 二つの楠木
建徳元年(一三七〇年)十一月一日、
最後に残された秋を駆逐するかのように、
正儀は、館の広間に近臣の河野辺正友や菱江忠元、そして
「殿、
「何……ついにそのときが来たか」
恐れていたことが現実となった。楠木軍は、楠木
「ち、父上、どうされます。まさか、小太郎兄者(正勝)と戦うことになろうとは……」
正勝の義弟である正信は、あきらかに動揺していた。義兄の正久にとっても同じである。
そんな二人の
「うむ、すぐに
そう言うと、その場で、すぐに書状を
続いて、正儀は
「女衆はすぐにこの城を離れるのじゃ。それぞれ、家に戻るか、寺にかくまってもらうようにせよ」
「殿様(正儀)はいかがされますか」
「我らはここに残り、城を守る」
「ならば、私もここに残らせてください」
これに正儀は驚き、その顔をまじまじと見る。
「何を申す。そなたは楠木の者ではないのじゃ。我らとここに一緒に残る
正儀の優しさであったが、他人だと言われた
北侵した南軍は、
「小太郎殿(正勝)、そなたにとっては辛い戦じゃが、帝(長慶天皇)の
正武は正勝に、父の
一瞬、戸惑いの表情を浮かべた正勝に、叔父の正澄が目配せし、ゆっくりと頷く。すると、正勝も覚悟を決めたかのように総大将の隆俊に顔を向ける。
「親子の情は捨てております。逆賊を討ち、南摂津を取り戻したいと存じます」
「うむ、天晴れな覚悟じゃ。期待しておるぞ」
「ははっ」
上機嫌な隆俊を、正勝は伏し目がちに
この度の出陣は、南朝に募った憂慮からである。一つ目は堺浦を幕府方に押えられたこと。二つ目は和泉の豪族が幕府方に寝返ったこと。三つ目は幕府の宇都宮氏綱が南朝の支配地域深くにまで侵攻してきたことにある。
強硬派の隆俊は、ここは無理をしてでも、裏切り者の正儀を攻めて南摂津を取り戻し、世に南軍の健在を知らしめたいと考えていた。
一方、橋本
「殿(
近臣である
「
四条隆俊は閉じた扇で胸のあたりを小刻みに叩きながら、皆に考えを求めた。
「大納言様、相手はあの楠木正儀です。どのような策が待ち構えているかわかりませぬ。まずは兵糧の補給路を断ち、様子をみてはいかがかと存じます」
消極的な意見は、自身の迷いと、実の父と戦わねばならない正勝の立場を考えてのことであった。
「何を弱腰な。城内の敵は察するところ、五百にも満たなぬであろう」
正武は
意外にも、これに正澄が頷く。
「和泉守(正武)の申しよう、それがしも承知した。ここは我ら楠木も討って出ようではないか。大将の
わしに任せろと言わんばかりに、正澄は正勝に視線を送った。その申し出に、隆俊と正武は満足そうな表情を浮かべた。
正儀から知らせを受けた
「御所様、楠木殿の城が、南軍に攻め込まれております。直ぐに、畠山(基国)、京極(高秀)らに命じて、救援に向かわせたいと存じます」
「う、うむ……」
歯切れの悪い声を漏らす足利義満の視線の先は、頼之を飛び越えて、その後ろにあった。
「管領殿、本当に兵を出す必要があるのですか」
その声に頼之が振り向くと、そこに、薄藤色の
「こ、これは
驚いて一礼する頼之を一瞥し、
「楠木の参来は、戦をせずに河内・和泉を手中に収めるという妙案と思うておりましたが、来たのは河内守(正儀)のみ。楠木一門は割れて南方に残った者も多い。そして、
父として、母として、共に義満を支えようと言っていた禅尼の疑いの眼差しに、頼之は閉口する。
九州は征西将軍、
理路整然で淡白なところがある頼之は、十分に大方禅尼の同意を得ることなく、九州探題を、文武に長けた今川了俊(貞世)に挿げ替えてしまう。このことは禅尼の不信を煽るには十分な出来事であった。
神妙に頼之が頭を下げる。
「御説、ごもっともでござる。まさか楠木が割れ、このようなことになるろうとは、それがしの浅慮ゆえのこと……」
そう言うと、頼之は頭を上げて、大方禅尼の目に視線を合わせる。
「……されど、その楠木党が割れたことこそが大きな進展。
凛とした頼之に、大方禅尼は苦い表情を隠すよう、口元にだけ笑みを浮かべ、義満に顔を向ける。
「それを考えるのは管領殿の仕事。のう、義満殿。照禅殿(伊勢貞継)とも、よう相談して決めるがよろしかろう」
板挟みに苦り顔を浮かべる義満を尻目に、禅尼はすくっと立ち上がる。そして、頼之に、
「
篠崎正久が不思議そうな表情を正儀に返す。
「父上、東の楠木軍はどうするのじゃ」
「四郎(楠木正澄)と渡りがついた。四郎は戦を仕掛ける振りをするだけじゃ。城に攻め込んでくることはない」
正澄の考えは、聞世(服部成次)を通じて、正儀の耳に届いていた。
津田正信は安堵の表情を浮かべる。
「なるほど。我らは小太郎兄者(楠木正勝)と戦わなくても済むということじゃな」
「そうじゃ。されど、新九郎(正武)殿とは戦わねばならぬ。気が引けることではあるが、和田勢に集中して押し返すのじゃ」
「承知した」
「おう」
正儀の
楠木正澄・正勝が率いる楠木軍と、和田正武・
一方、
この城を普請した菱江忠元が正儀に駆け寄る。
「殿、ここは危のうございます。奥へお入りください」
「いや、大丈夫じゃ」
構わず正儀は前線で指揮をとり続けた。
和田の兵が
「丸太を落とせ」
解き放たれた丸太は、幾人もの和田の兵を巻き込んで転がり落ちていった。
楠木軍の常套手段は和田の兵たちとてよくわかっていた。しかし、終始、正攻法で
一進一退の攻防が続く中、細川頼元の軍勢千余騎と、山名氏清の軍勢千余騎が到着する。
山名氏清は、南朝側から幕府側に寝返った山名時氏の四男で、山名家を相続した山名
その氏清が率いる山名軍が、和田軍に襲い掛かった。和田軍は当初は山名軍を押し返す勢いであったが、数の差は埋めきれず、後退を余儀なくされる。
そこに、橋本
「殿(正儀)、若(正勝)と御舎弟(正澄)も兵を引きはじめたようにございますな」
「うむ、何とか窮地は脱したが……」
いつまた南軍が兵を押し上げてくるかわからない状況に、正儀は心休まることはなかった。
南軍が撤退した後、正儀は友軍である細川頼元の陣中に出向いた。幕府
「
「楠木殿、御無事で何よりじゃ。されど、御嫡男と御舎弟に攻められてはたまらんな」
頼之は正儀に同情した。確かに正儀には一番辛いことであった。しかし、頼之へ強がった顔を見せる。
「自らが選んだ道です。致し方ありませぬ」
「楠木殿、このあたりで一度、南の帝(長慶天皇)へ和睦を持ちかけてはいかがかと存ずる。先回の宇都宮との戦いや、
「さて、それはどうでありましょう。和田正武や橋本
「されど、強硬派の
確かに大納言、阿野
「それがしも、今の宮中は承知しておりませんので、何ともいえませぬが……」
「楠木殿、そうであれば、一度、和睦を持ちかけようではないか」
頼之が和睦を急ぐのは、正儀を気遣ってのことであった。
しかし、正儀は難しい顔を崩さない。だがそれでも、
細川頼之は和睦の使者として、
また、双方の朝廷の
天野山金剛寺の南朝は、この和睦の申し出を受けて、
奏上役の
「幕府からの和睦の内容、皆、どうであろうか」
「三年前の和睦の条件を守られております。今の我らの状況からすれば、幕府は誠実に対応しておると存じまする」
大納言、阿野
「三年前と同じ条件であれば、断るのが道理ではないか。この条件で和睦を呑むのならば、では、なぜ三年前に和睦を結ばなかったのかということになる」
これに対し、和睦派の
内大臣、北畠
「我らの意見は兎も角、
二年前の和睦交渉では、先帝(後村上天皇)が上皇となってもよいと、決意されてのことであった。だが、まだ若く、強気を崩さない
北畠
十二月十五日、これに怒った頼康は、勝手に本領の美濃へ帰る。そして、ほんの一年前に戦った南朝の伊勢国守、北畠
この動きに、
建徳二年(一三七一年)三月十一日、南朝は、先帝(後村上天皇)の三回忌法要を、
観心寺は楠木の菩提寺でもある。正儀を信頼していた先帝(後村上天皇)は、自分の
法要には、関白、二条
僧侶たちによる
僧侶たちの合唱が終ると、先帝に殉じて出家し、
『書き置きし 昔の春の言の葉に
高名な歌詠みでもあった
金堂の外から、この法要に参列していた徳子は、
あたりを見回す徳子に、如意丸が振り向く。
「母上、いかがされました」
「
そう言って、徳子は席を立った。
一方、寺の外では一人の男が立ったまま、この
男は観心寺の外から手を合わせ、
「父上、父上でありましょう」
男の前で呼び止めたのは、八歳となった正儀の娘、
男は深編笠の網目から
「殿……」
徳子は思わず声を上げた。だが、決して呼び止めるためではない。夫の気持ちをおもんぱかり、その場に立ち止まって、ただ後姿を見送るのみであった。
この月の二十三日、京の朝廷では、後光厳天皇が第二皇子の
だが、この譲位は一筋縄にはいかなかった。それは、かつて正儀が東条へ連れ去った
一方の後光厳天皇は、管領の細川頼之の支持を取り付けたことで、譲位の問題は大方禅尼と細川頼之の争いとなる。結果は頼之が征したものの、二人の間に大きなしこりを残すことになった。
五月、濃い緑に覆われた天野山金剛寺の
「これより逆賊、楠木正儀と幕府の者どもの討伐に
隆俊が正儀のことを逆賊扱いするたび、正勝の顔は険しくなった。
帝は
「武運を祈るぞ」
玉声に、正勝らはその場に伏した。
そして、もう一人の強硬派の中核、内大臣の北畠
「
諸将の間にどよめきが起こる。近臣の河野辺正友はううむと唸って腕を組む。
「今の
「おそらくこれが最後の決戦のつもりであろう。この人数、わしの討伐だけではあるまい。南摂津三郡の平定が狙いであろう」
「やはり、城に籠って、
「うむ、
「父上、一戦も交えずにでございますか。それは東条の者たちを考えられてのことですか」
「それもあるが、結果が見えておるからじゃ。南軍は無理をして、兵を
正儀が、北和泉の
「……さすれば、浜に押し寄せる波を相手にするがごとく、敵が押し寄せてきたときには引き、敵が引いたときに押せばよい。その間に幕府の大軍を後ろ楯に、
現状を的確に把握した正儀の言葉は、常に皆を安堵させた。
落ち着きを取り戻した正久らは、すぐさま
翌日、京の三条坊門第では、正儀からの知らせを受けた幕府の
「御所様、ただちに諸将に命じて、南摂津へ向かわせとうございます」
「武蔵守(頼之)、昨年の楠木救援の折、畠山が文句を言っておったが、構わぬのか」
義満はそう言って、近臣の伊勢照禅(貞継)に目をやった。
「
照禅の言葉に、頼之は苦々しい表情を浮かべる。
「御所様、これは河内守を守る戦いにあらず。
続けて照禅に体を向ける。
「……では、照禅殿におたずねしたい。河内守が討たれれば、
そう言って頼之は照禅の顔を睨んだ。
「さ、さあ、それは……」
「御所様に、苦情をそのままお伝えするばかりが
自分の息子ほどの頼之が、正論で責めてくることに、照禅は
「判った、弥九郎(頼之)。もう、伊勢を責めるでない。将軍の名で諸将を摂津に送るよう
面倒は御免とばかりに、義満は頼之に後を任せた。
危機が迫る
「
「私は……やはり、楠木の者ではないからでしょうか……」
その言葉に面食らう正儀に、
「……このような時こそ、
「なぜ、そうまでして……」
正儀は、
「そなたが、楠木の者と同心したいと言うのであれば、
「あ、ありがとうございます。一生懸命にみなさまの御世話を致します」
翌日、
その
「殿、全員、撤退を完了致しました」
「うむ、ご苦労であった。で、弥太郎(忠元)、兵糧はどのくらいあるか」
「はい、今、
「
「そんなに……しょ、承知致しました。では、ただちに」
驚いた顔で忠元は下がって行った。
一方、正儀が撤退した
五月八日、幕府
諸将は足利義満の手前、無視することもできず、渋々出陣に応じた。しかし、わざとゆっくり進軍し、七日後にやっと、
布陣した諸将は、さっそく集まって軍議を開く。ここで口火を切ったのは若く血気盛んな畠山基国であった。
「おのおの方、
「うむ、そうじゃな。何も我らが河内守(正儀)を援けなくとも、南軍さえ討てば文句はなかろう。きっと、
「わしも賛成じゃ。楠木にはこれまで散々、煮え湯を飲まされておる。我が兄や甥も楠木に討たれて亡くなったのじゃ。目の前で楠木が討たれるのは、見ものじゃ」
そう言って、京極高秀も頬を緩めた。
しかし、父、山名時氏の豪胆な性格を受け継ぐ山名氏清は、基国の言い分を鼻で笑う。
「畠山家はかつては幕府方の河内
「何じゃと、この裏切り者が」
基国は吐き捨てるように
「若造、聞き捨てならん」
「何をっ」
氏清と基国が同時に
「二人とも、その辺にされよ。我らがいがみ合っていたのではどうにもならん」
年長の高秀がその場を収める。一枚岩とはいえない幕府軍であったが、とりあえず、正儀が南軍に討たれるまで、淀川の北岸に陣を布いて動かぬということだけは決まった。
南軍は
「殿、南軍はこの城からあと一里までに迫りました」
義行の報告に、正儀の
「援軍は淀川の北に布陣したまま、川を渡る気配がありませぬ。これでは南軍に攻めてくれと言っているようなものでござる」
諦め顔で正儀が溜息をつく。
「やはり、幕府の諸将は、我らを助ける気がないと見える」
「催促をかけましょうか」
正友の隣から菱江忠元が進言するが、正儀は首を横に振る。
「無駄じゃ。ここはやはり、
「承知つかまつった」
忠元はすぐにその場を下がった。
正儀は聞世(服部成次)を呼び寄せて、正友とともに館の中に入った。
「淀川の北岸にいる幕府の諸将は、我らが南軍に討たれるのを待っておるようですな」
苦々しそうに話す聞世に、正儀も頷く。
「おそらく我らが討たれたところで淀川を渡り、疲弊した
「左様にございますな」
正友は険しい表情を浮かべた。
「わしのみならず、南軍の太郎(橋本
そう言って、正儀は聞世に頭を下げた。戦で高揚する敵陣に忍ぶという危ない役目であった。
「殿(正儀)、それがしとて、楠木一門のはしくれ。一門が分かれて争う姿は見たくありませぬ。四郎殿への繋ぎは任せてくだされ」
「すまぬ」
正儀は聞世にじり寄り、肩に手を置いた。
この後、南軍は
隆俊は、目の前の
五月十九日、幕府
事は一昨日。正儀が京に送った菱江忠元から、援軍の諸将が淀川の北岸に留まっていることを聞き、さっそく
日頃から諸将の身勝手な言い分に苦慮していた頼之は、拳を握りしめて立ち上がる。
「
「と、殿っ、お、お待ちくだされ……」
慌てる老臣を残し、頼之はすごい剣幕で屋敷を出て行った。そして、その日のうちに、西山の
細川家の老臣は、大慌てで三条坊門第に駆け込んだ。
数えて十四歳の将軍、足利義満は血相を変える。すぐに伊勢照禅と相談して、赤松
上段に座る将軍の表情は強張っていた。
「御所様、いかがされました」
「播磨守(
「何も困る事はありますまい。日頃から、御所様は細川頼之を煙たがられていたではありませぬか。
「いや、弥九郎(頼之)は、いつも
その言葉に、
「そのお言葉をお聞きしとうございました。であれば、それがしも
義満は、
翌日、義満は
わざわざ出向いてきた義満と
「弥九郎(細川頼之)、頼む、戻って来てくれ。そなたが
「御所様、わざわざ足を御運びいただき、たいへん恐縮なれど、それがしなど、何の力もございませぬ。
頼之は簡単には折れなかった。
二人の会話に
「武蔵守(頼之)殿、そなたに全ての苦労を背負わせたのは、我らの責任もある。諸将が言うことを聞かぬのは今に始まったことではない。わしはそなたに同情を禁じ得ぬ。されど、そなたが
「京極入道殿(道誉)もでございますか」
「そうじゃ、道誉殿は我が
「ありがたいお話なれど、入道殿がそのような役回り、はたしてお引き受けいただけるか……」
「まあ、そなたが言うこともわからぬではないが、ただの一度も、足利将軍を裏切ったことはありませぬぞ。意外と義理堅いお方じゃ」
頼之も、言われてみれば、そうかとも思う。結局、義満と
六月二十二日、南軍が正儀と睨みあいをはじめて
「申し上げます。幕府軍は大挙して淀川を渡っております」
この知らせに、橋本
「大納言様、これはさすがに分が悪うございます。いったん軍を引くのが得策と存じます」
「和泉守、そもそのように思うか」
隆俊は、信頼する和田正武にも考えを求めた。
「伊勢の援軍でもない限り、これを支えるのは難しいかと存じます。それがしも、ここはいったん南に兵を引くのがよいかと思います」
この頃、伊勢国守である内大臣の北畠
「わかった。その
隆俊の
一方、幕府軍は、河内・和泉に撤退した南軍を牽制するため、三手に別れて、河内・和泉方面に駐留した。
八月六日、南軍にしばらく動きがなかったことで、畠山基国ら幕府軍は河内・和泉への駐留を止め、兵の引き揚げをはじめた。諸将にとっては、大軍を留め置くだけでも、たいへんな出費だからである。
だが、南軍の総大将である大納言の四条隆俊は、この機会を待っていた。
隆俊は、
「幕府軍が撤退を開始した。麿はこの時を待っておった。皆、
隆俊の言葉を受け、前列の和田正武がすくっと立ち上がり、武将たちに振り向く。
「大納言様の言われる通り、敵が引いた後が一番の好機。この機を逃さず、兵を北進させようぞ」
片手を突き上げる正武に、南軍の諸将も
「うぉおっ」
一同が気勢で応じた。
しかし、中には浮かない顔の者もいる。十七歳の楠木正勝は、父、正儀と戦をすることに、割りきれない思いが募っていた。後見役の楠木正澄も、もちろん同じ気持ちではあるが、そこは年の功で表情には出さない。
「小太郎(正勝)、しかと気を保て」
正澄は正勝に小声で注意を
一方、正儀の姿は
その館の広間で正儀は河野辺正友と、摂津の領国経営について話し合っていた。そこへ、菱江忠元が強張った顔で現れて、二人の前に座る。
「殿、再び南軍が兵を集めております。直にこの城へ押し寄せて参ります」
「ふう……やはり諦めておらんか……」
凶報に、正儀の顔は曇った。幕府の諸将が河内・和泉から撤退し、正儀が
「幕府の諸将が撤退した直後です。もともと我らを助けるつもりのない大名たちが、再度の出兵に応じるかどうか」
正友は、眉間に皴を寄せ、悲観的な観測を口にした。もちろん正儀とて同じである。
「それでも、
「殿、して、
「仕方あるまい」
苦渋の表情で、正儀は息を吐いた。正友と忠元も、顔を見合わせて溜め息を漏らすしかなかった。
正儀は、すぐに
男どもは大急ぎで
「いつまでこのようなことが続くのか」
「仕方がないであろう。文句を言わず、荷を運ぶのじゃ」
義兄の篠崎正久がたしなめる。しかし、正久とて、この不毛な戦に辟易としていた。
幕府
「
近臣に向けて頼之は命じた。今、頼之に動かせる兵といえば、これだけしかなかった。
南軍は、
「
楠木正勝は、思わず上目遣いに隆俊の顔を
(父上が汚点……)
心の中で呟いたはずの声は、顔に出ていた。慌てて楠木正澄が正勝の背中を小突く。
「承知つかまつりました。必ずや正儀が首、上げて参ります」
正澄は正勝を
そんな正勝の様子を見かねて、橋本
「大納言様(隆俊)、お待ちください。何も血を分けた親子、兄弟を戦わせずともよろしいのではございませぬか」
「
隆俊が厳しい目を
正澄と正勝の顔を
「大納言様、であれば、それがしも先陣にお加えください。伊予守殿と
隆俊は下目に
「
「はっ」
硬い表情で、
一方、和田正武は、この楠木一族の葛藤を、残念そうに見澄ましていた。
城の外では、正儀の
一方、城の中では正儀が、河野辺正友、菱江忠元、
大望の援軍は、南軍が仕掛ける前に、淀川の対岸に到着し、正儀らを安堵させる。そこには、細川、赤松、京極の紋が入った旗がなびいていた。
幕府
頼之を助けると約束した赤松
もう一人、頼之を助けると約束した京極道誉は、一族の
細川頼元、赤松義則、
一方、正儀らおよそ五百の楠木軍は
「殿、正面は
「……太郎殿(橋本
「父上、ここは以前のように、戦をした振りで、この難局を乗り切りましょう」
「そうしたいのは山々なれど、四郎(楠木正澄)らは南軍の総大将、四条大納言(隆俊)らの本営を後ろに背負っておる。行動は見張られておるようじゃ。四郎(楠木正澄)は試されておるのやも知れん。わしらと通じていないのかと」
「
正友の言葉に、正儀はゆっくり頷いた。
九月六日、正儀らの願いは
直後、和田の騎馬隊が勇ましく、
しかし、
一方、楠木正澄と楠木正勝は、いかにして正儀と戦わないようにするか、そればかりを考えていた。兵たちの状況は一触即発であったが、双方の大将の
「楠木を討つ。我に続け」
勇ましく、馬を駆って正勝・正澄の楠木軍に切り込んで行ったのは池田
「正儀を討てないのは残念であるが、代わりに
楠木軍の中に入った
正澄も郎党たちに抗戦を
「兵を押し出せ。幕府軍を押し返すのじゃ」
「我に続け」
攻めくる幕府軍に、正勝も討って出ようと馬を駆った。
一方、南軍に突入した池田の一隊は、南軍楠木の兵の囲みを破って、正勝・正澄の首を目指していた。
「我こそは、摂津池田の住人、池田
この挑発に乗り、正勝が馬の
「池田十郎(
立ち塞がったのは、
「お前は、いつぞやの……」
「……お前は何者じゃ」
「わしは河内・和泉の守護、橋本
「何……」
「我が父は楠木
「あ、兄……じゃと」
目を見開いて驚く
「やめよ、やめよ。この者を討つな」
和田良宗が間に入って叫んだ。正勝も事態を察して兵を留める。
呆然とする
しかし、一度、火がついた双方の軍勢は収まる気配はなく、戦いは激しさを増していった。
南軍は劣る兵力ながら、西に東に、そして北の
「くそ、押し返せ、引くな」
正勝は力を振り絞って声をあげた。
そこに、新たな一軍が目の前に現れる。
「何、菊水の旗じゃと」
菊水の旗を掲げて正勝の前に現れたのは、今は敵方の義兄、篠崎正久であった。続いて細川勢の間を割って菊水の旗が続々と現れた。最後には正儀も馬に跨り姿を現す。
「我こそは楠木河内守正儀じゃ。諸将に守っていただいてばかりでは申し訳ない。我らも武士の意地がござる。皆とともに我らも戦いましょう。それ、皆の者、突入せよ」
正儀の
「河内守殿
「て、敵はどっちじゃ」
敵も味方も
細川軍の侍大将が正儀の元に走り寄る。
「河内守殿、これでは敵か味方が、区別がつかなくなります。お気持ちは嬉しいが、ここは、いったん撤退いただきたい」
「しもうた。これはわしとしたことが
正儀は馬上でとぼけてみせた。
そうするうちに、まず、細川軍の兵たちが戸惑って動きを止める。次に、敵と味方に別れた楠木の兵たちも、自然、互いに
その中に、篠崎正久の姿もあった。
正久は馬から降りて手を差し伸べる。
「小太郎(正勝)、大丈夫か」
「二郎兄者(正久)、これはいったい……」
「父上(正儀)の御指図じゃ。我らが菊水の旗を掲げて突入すれば、幕府軍は手を出せなくなると考えてな。されど、南から和泉の
「ち、父上がそのようなことを……」
「当たり前ではないか。そなたは父上(正儀)の嫡男ぞ」
正勝は正久の手を握り返した。
「二郎兄者、わかった。この
「おう、早う行け」
正勝は、その場で郎党を集めて撤退を命じた。
同様の内容が、正澄には菱江忠元から、
一方、東の
数日後、南朝の
負け戦と聞いて、帝は
「
「め、面目次第もございませぬ。正儀めに加担した和泉の
「伊勢では、北畠
帝は隆俊に厳しい言葉を投げかけて、奥へと下がっていった。
隆俊は、面子にかけても、このまま終わるわけにはいかない。しかし、諸将に
十一月三日、それでも
「殿(正儀)、天野山の
「そうか…」
聞世の報告に、正儀は目を
南軍の力が削がれるたびに、正儀の和睦の
「なぜ先を考えずに、幕府に挑み続けるのじゃ。自ら滅びの道に進んでいるのがわからんのか」
正儀は苦々しく呟いた。
十一月五日、再び細川頼元と赤松義則が、
湯浅党だけでも百人の死者が出る。合戦は正儀、頼元、義則の大勝に終わった。
戦が終わった
「四条卿(隆俊)、この戦に、どのような大儀があるというのか。なぜ戦われる。多くの者どもが死んだだけではないか」
その場に正儀は一人
度重なる無謀な合戦で、南軍は多くの兵を失った。結果、摂津へ北侵する戦力を完全に失う。そして、負け戦は、帝(長慶天皇)の威厳をも失墜させた。
ある夜、正儀は風に当ろうと館の縁側に出る。晩秋の夜風は身震いするほどに冷たかった。すぐに中に戻ろうとしたが、空を見上げて思わず
「お前まで、心が晴れぬのじゃな」
月に向かって正儀は話しかけた。
ふと耳を澄ますと、笛の
「いったい誰が……」
音色に
「この寒い中、こんなところで笛を吹いておったのか」
その声で笛の
「いえ、館の中では、ご迷惑と思いまして。殿様(正儀)こそ、いかがされました」
「いや、何でもない。誰が吹いているのであろうと思うてな」
「笛がお好きですか」
「わしも笛を……
「まあ、そうでございましたか。今度、私にもお聞かせください」
「わしの
そう言って、正儀は苦笑いを返した。
「そうでございますか……では、私の笛でよろしければ、どうぞお聞きくだされ」
代わりに
正儀の
月あかりに一瞬光った正儀の瞳に、
「殿様(正儀)、いかがされました」
「いや、何でもない。
「行かないでください……」
募る思いに、
「……辛いことがあれば、
ついに胸のうちを吐露した
思わず正儀は目を閉じる。これまで、
「わしは東条に残してきた奥がいる。奥と同じように、そなたの気持ちに応えてやることはできぬであろう」
「奥方様と同じようになどとは、
正儀は
すると、
建徳二年(一三七一年)は、こうして、かつての味方同士、さらには肉親同士の戦で暮れていった。そしてこの年は、幕府にとって大きな存在の二人が亡くなった年でもあった。
十一月二十九日、
将軍、足利義満は赤松邸を訪れて、
「播磨守(
病気を押して、
そしてもう一人、
新田の支族に生まれたが、早くから足利尊氏に味方して、正儀の兄、楠木
ともに乱世を生き抜いた武勇名高い二人の名将は、隣接する
年が明け、文中元年(一三七二年)春。赤松
道誉は、正儀を京の醍醐寺に招いた。側近の河野辺正友と
この日、醍醐寺には
「父上、凄い賑わいでございますな」
正久は、押しかけた大勢の人に呆気にとられた。正儀らは、人混みを
「殿、あそこでございますな」
正友が指差す先には、一段高い
「河内守(正儀)、よう来られた」
そこには、かつての策謀家の面影はなく、一人の老人が居た。正儀は挨拶を済ませ、道誉の隣に座る。
「入道殿(道誉)、観世の後ろ楯となって京へ導いていただき、ありがとうございます」
観世(
「ふふ、わしはそなたに対する義理人情でやっておるのではない。絵でも、茶器でも、よいものを見極めるのがわしの努めよ」
道誉が力を貸した舞台は、立花が飾られた華やかなものである。
「ここでの成否で、観世のこの先が決まる。まあ、観ているがよい」
口元に笑みを蓄えて、道誉は語った。
その舞台では
観世の舞に、道誉の目が釘付けになる。
「そう、これじゃ。この小気味よい節が、観世の舞を際立たせる」
観世は演目を次々とこなしていった。正儀は、見たこともない
「見よ、河内守。鬼夜叉丸じゃ」
道誉が示す舞台の袖には、観世の息子、九歳の鬼夜叉丸の姿があった。舞台の袖から中央に進み出た鬼夜叉丸は、九歳とは思えぬほどに、華麗に舞台を演じる。
道誉が背筋を伸ばし、
「ふふ、もうこれで、わしの務めは終わった。もう、奴は自分で道を切り開くであろう」
その横顔に、正儀は、役目を終えた者の寂しさを感じ取った。
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