第34話 正儀上洛
正平二十四年(一三六九年)三月二十一日、南河内の山々は、若々しい緑に包まれていた。
正儀が東条を出奔した翌日のことである。楠木本城である赤坂城を取り囲む橋本太郎
「殿(
「何、本当か」
「細川と赤松の軍勢は、竹内峠へ向けて、兵を引き上げております」
「いったい何があった……昨日の一件は何だったのか」
しばらくすると、和田正武もやってくる。
「太郎殿(
「それがしにもわかりませぬ。赤坂城は、ほれ、あのように変わりない」
赤坂城に目を向けた正武も首を傾げた。
橋本本家の橋本正高らも集まる中、
「殿、赤坂城より和睦の申し出がありました。楠木
「何、四郎叔父上が……あい判った。すぐに会おう」
しばらくして楠木正澄が現われる。
「おお、太郎(橋本
正澄は、討伐軍の陣に入ってくるなり、何事もなかったように二人に声をかけた。
その
「
「太郎兄者(
唖然とする
「太郎(
唐突な正澄の話に、正武は思わず
「では、三郎殿(正儀)はどうされたのじゃ」
「我らは、幕府に降った兄者(正儀)と
「太郎兄者、叔父上が言うた通りです。楠木は父が居なくなっても今まで通りじゃ。よしなに頼みます」
正武は、驚いて言葉を失った。その隣で
正儀一人が追放され、楠木党が今まで通り南朝を支えると聞けば、赤坂城を取り囲む意味はない。翌日、
三月二十三日、摂津国の四天王寺に、東条を逃れて一息つく正儀ら一行の姿があった。しかし、ここに腰を落ち着けるわけではない。
すぐに正儀は、幕府
この城は摂津国住吉郡に根を下ろす渡辺党の支城であった。そこで正儀ら一行を待っていたのは、渡辺党の棟梁、
「
「かたじけない、渡辺殿」
「いや、何の。河内守殿(正儀)に、摂津の守護代を御推挙いただき、我ら一族、たいへん感謝しておるのです」
幕府から、摂津国住吉郡の守護も任された正儀は、守護代をこの
細川頼元が正儀に声をかける。
「河内守殿(正儀)、それがしは先に京に入って、兄(細川頼之)に報告せねばなりませぬ。この後、河内守殿(正儀)にも京へ入っていただき、御所様(足利義満)と御対面いただきます。されど、
「
「では、河内守殿(正儀)、上洛の手筈は万事、この守護代にお任せあれ」
その日の夜には、楠木党の津熊義行が、北河内で集めた兵を率いて
東条を撤退した橋本
大納言の四条隆俊は、正儀が東条を出奔したことにほくそ
「左様か。正儀は居なくなったか。されど、楠木党は今まで通り朝廷(南朝)に残るというのじゃな」
願ったり叶ったりの状況であった。
「
殿上から内大臣の北畠
「あい判った。
そう応じると、
すると、帝が近習に
「楠木を
「ははっ、恐縮至極に存じます」
上機嫌で答えた帝に、
気をよくした帝は、さらに問いかける。
「他に何か願いはないか。言うてみよ」
「はっ……では、恐れながら一つだけ。観心寺、
南軍の指揮を執るためには財源が必要である。そのためには徴税の名目が必要で、
「観心寺は楠木家の菩提寺であるとともに、先帝(後村上天皇)の
「お聞き届けいただき、ありがとう存じます」
「うむ。では、あれを」
帝に命じられた
「
「御意」
「たとえ、その太刀が手元に無くとも、
期待を寄せる帝に、
「は、ははっ。この
頭を低くする
四月二日、幕府方に転じた正儀は腹心の臣、河野辺正友を、新たな
一行は、渡辺党が準備した舟で淀川を上り京へ向かった。舟は順調に
舟から降りた正儀は、頼元に向けて軽く頭を下げる。
「これは
「河内守殿(正儀)、よく京へ上られました。我が兄が、細川の京屋敷で楠木殿を待っております」
正儀は頷き、頼元に案内されて、細川屋敷を目指した。正儀にとって、戦以外での上洛は、幼き頃、四条
道すがらにある
「ととさま、かかさま」
子供が脇をすり抜けて、
細川の京屋敷にて、幕府
「楠木殿、ようおいでくだされた。一年前にお会いし、必ずや、楠木殿を味方に付けたいと思い、少々、強引なことも行いました。申し訳ござらん」
南朝を裏切らざるを得ない状況を巧みに作った頼之から、謝罪の言葉を聞けたことが、正儀には意外であった。
「もったいないお言葉、痛み入ります。されど、それがしに従ったのは、この河野辺駿河守(正友)ら若干の者たち。我が嫡男の小太郎(楠木正勝)、舎弟の伊予守(楠木正澄)らを説得するには至りませなんだ」
「それは残念でございました。されど、楠木正儀という武士が、幕府の武将になったということが、何よりも大事なのです」
「それがし如きに……お気遣い、かたじけない」
謙遜ではない。正儀は自らの立場を過小評価していた。
すると、頼之が首を横に振る。
「いやいや、本当のことでござる。ただ、東条は
そう言って小さな笑みを返した。
正儀は頼之の柔軟な態度に感心する。
「
「それはよい考えです。築城には、我らも手を貸しましょう」
頼之の賛同を得て、正儀の新たな居城が決まった。
「明日、御所様(足利義満)にお会いいただこうと存ずる。
その夜、頼之自ら、正儀の一行を大切な客人として、酒と料理でもてなした。
翌、四月三日、正儀は河野辺正友と
(この屋敷の……この
この頃から、
部屋の造りに目を奪われつつ、正儀は一段高くなった上座を前にして座り、将軍、足利義満の出座を待った。
しばらくすると、
(小太郎(楠木正勝)より、少し若いか)
心の中で呟やきながら、正儀は両手を着いて頭を低くした。
すると、義満は上座を空けたまま、
その状況に正儀は驚き、慌てて向きを直して頭を低くした。
「楠木殿、御所様(義満)は、武家の棟梁たる征夷大将軍として、
後ろに控えた頼之が説明した。もちろん義満の自主的なものではなく、段取りは、この頼之が整えたものである。
正儀は南朝から
「これは過分な扱い、痛み入り申す。楠木河内守正儀にございます。それがしの幕府への参陣をお許しいただき、真に
「楠木河内守、大義である」
無表情なまま、義満が筋書き通りに労いの言葉を掛けた。
後ろに控えた河野辺正友と
「御所様、これは
目の前に差し出された刀に、義満は筋書きから外れ、興味深そうに手に取り、白刃を抜いてしげしげと眺める。
「河内守の兄というと、楠木
「はい、左様にございます」
義満は、白刃を眺めた後、ゆっくりと
「父上が生きておったら、この
無邪気に喜ぶ義満の態度が、正儀には不思議であった。後ろで見ていた頼之が、その疑問を解消する。
「御所様の御父上である
「な、何と」
正儀は驚きを隠せなかった。兄の首塚というのも生々しかった。しかし、それ以上に、先の将軍、義詮は正儀にとって敵である。その敵が、自分の兄を慕っていたとは、にわかには信じられないことであった。
微かに戸惑いを受けべる正儀に、義満が補足する。
「我が父は、楠木
幕府と南朝の和睦交渉が破綻して、ちょうど二年が経っていた。
心の中で正儀は呟く。
(あの折、幕府と
二人は同じ歳である。正儀は静かに目を閉じ、ついに会うことの無かった義詮に思いを馳せた。
「河内守殿、どうされた」
頼之の呼びかけで、正儀は我に返る。
「い、いや、何でもござらん」
「ところで、南の朝廷は、正儀殿の後任として河内・和泉両国の守護に、橋本
小首を傾げる頼之に、正儀は真実を言うか否か
「あの……橋本
「河内・和泉二か国を治めさせるにしては無名な男よのう。和田和泉守(正武)の方が、よほど名が通っておるが……」
頼之に不審が生じていた。それを感じ取った正儀は、いずれわかることだと観念する。
「橋本
不審を払拭するために、正儀は一気に説明した。
「何、楠木正成の
目を剥いて、義満が興味を示した。同じく足利尊氏の
「なるほど、それで合点がいきました。血筋を気にする公家どもが、なぜ橋本
「何が困るのじゃ」
頭を傾げる頼之に、義満が問いただした。
「御所様、それはそれがしから……」
正儀が頼之に代わって答える。
「……
「武蔵守(頼之)、そうなのか」
「
義満に応じた頼之は、腕を組んで思案する。
「御所様、橋本
「承知つかまつりました」
手を突いて、正儀は頼之の
一方、南朝である。帝(長慶天皇)の姿は
再び
「ひとまず、
大納言の四条隆俊は、内大臣の北畠
「そんなことより、住吉を幕府に盗られたのは困りました。堺浦までは目と鼻の先。湊を抑えられてしまっては、交易の富を手放すことになります。さすれば我らは致命的……」
「左様にございます。いつも、楠木三郎(正儀)が真っ先に気にかけ、再三、兵を住吉に進めていたのはそのためです。それが今や、逆の立場。あの男が幕府方におるのは、はなはだ困ったことです」
「うむ、正儀め。いずれは討ち取ってくれよう。おお、そうじゃ。楠木一族に攻めさせればよい。同士討ちじゃ。ほほほ」
口元をにやつかせて、隆俊が軽口を叩いた。
これには、さすがの正武も顔を曇らせる。
「さあ、どうでありましょう。楠木
正武に釘を差された隆俊は、憮然とした表情で口を閉じた。
「いずれにしても、住吉を取り返す手立てを考えねばなりませぬぞ。ふうむ……」
二人のやり取りを気に掛けることもなく、内大臣の
京では、正儀が一人で観林寺(
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時……」
墓の前で手を合わせ、
「兄者、わしはついに幕府に降ってしもうた。帝(長慶天皇)を京にお戻しするためには、もう、わしにはこれしか残されておらんのじゃ。兄者であればどうしておった。父上が生きていたら、どうされておったであろうか」
顔を上げた正儀は、首塚に語りかけた。
その隣には
「これが、義詮殿の供養塔か……兄者、あの世で義詮殿と酒でも酌み交わしておるのか……敵だった者と語り合うというのは、どういうものじゃ。腹を割ればわかり合えるものかのう」
そう言って正儀は、足利義詮の供養塔にも手を合わせた。
四月二十二日、正儀ら一行は、淀川を下り、
「渡辺殿、我らは
正儀は、本来の城の主である
「河内守殿(正儀)、お気遣いなく。城とはいうても、見ての通り、砦に毛が生えたようなもの。わしは
いかにも人のよさそうな老人
翌日、正儀は広間で、河野辺正友を
「弥太郎(菱江忠元)よ、
「人を集めなければなりませぬな」
「
「承知つかまつった。では、それがしは、
城造りの大工や
その
続いて正儀は、河野辺正友に命じて、
その一人に
「楠木殿が幕府方になった限りは、我ら
「これは、
正儀が礼をいうと、秀則は後ろを向いて手を打ち鳴らす。
「皆、入ってくるのじゃ」
その合図で、老若入り乱れた十人ばかりの女たちが入って来て、秀則の後ろに控えた。
「楠木の方々は男衆ばかりでこの地に入られた
秀則は、すぐ後ろに控えた女を
「
「いや、女手は助かるが……そのような事をお願いするわけには……」
「我らがお手伝いできるのも、殿(正儀)が
「
楠木党にとっては、非常にありがたい申し出であった。
正儀の前から下がった
「
「え、側室……」
「住吉郡は幕府方と
「……」
顔を強張らせる
「お前は器量よしじゃ。楠木の殿(正儀)の覚えめでたき
そう言って秀則は、
一人残された
五月、正儀は再び上洛する。そして、
いつぞやの
その時、この屋敷に泊まったのは偶然であった。道誉があらかじめ用意した山海の珍味でもてなされた正儀は、その礼として先帝(後村上天皇)より拝領の
道誉に会うのは二年半振りである。上段に座る道誉の顔は、
「入道殿(道誉)、ご無沙汰をしております」
「楠木殿、息災か」
「はい、おかげを持ちまして、こうして生きながらえております」
「幕府に降ったそうじゃな。そなたらしくないのう」
幕政を退いた道誉は、正儀と南の帝(長慶天皇)の関係を、詳しく把握していなかった。
「あの折、残念ながら、それがしの力が足りず、和睦が成りませんでした。その後、将軍(足利義詮)がなくなり、帝(後村上天皇)も崩御され、事情がずいぶんと変わりました。されど、それがしは和睦を諦めたわけではないのです。幕府の側から和睦を進めるために、幕府に降って参ったのです」
「そうか、貴殿はやはり変わらぬのか……わしは変わった。身体を悪くしてな。五郎(京極高秀)に家督を譲って、悠々自適のはずが、身体がいうことを効かなくなった。もう少し早く隠居すればよかったのだが、やりたいことができた。何かわかるか」
「いや……」
「ふふ、それはそなたを知って、そなたが切に願う和睦を成し得てみたくなったのじゃ。
柔らいだ表情で、道誉が繰り言を述べた。
「いえ、入道殿は十分、生きることを楽しまれてきた。それがしからみれば、うらやましきことです」
正儀の本音であった。それを聞いて道誉はわははと豪快に笑う。
「そなたは切れ者ではあるが、少々、真面目すぎる。もっと、人生を楽しむがよい。これから先、そなたの性分では辛いことが待ち受けておる。そなたは楠木を背負ってきた。なるほど、棟梁としては申し分ない。されど、そのことが、南軍といえば楠木、楠木といえば正儀、そなたなのじゃ。幕府の諸将も、朝廷の公家も、皆、そなたを敵として扱うであろう。我が息子の五郎でさえ、息子や孫を殺された
「わかっており申す。それがしが幕府に降ったのは、父や兄の君臣和睦という悲願を実現するがため。どんな苦労とて厭いませぬ」
神妙な顔で正儀は答えた。
「ふふ、だから、それがよくないのじゃ。周りの者たちは、まあ、山の中で見つけた猿を見物しているようなつもりで見ておればよい。さすれば、気負いも無くなろう」
「猿でございますか、入道殿」
「そうじゃ。猿じゃ」
ふふっと思わず正儀が笑みをこぼした。
その顔に満足そうに頷きながら、道誉が話を続ける。
「ところで、猿といえば、猿楽じゃ。そなた、
「……入道殿がどうして観世を……」
不振がる正儀の顔を見て、道誉はにやりと微笑む。
「ひょっとした事から奴の芸に惚れ込んだ。素性を調べ、そなたとの縁が判った」
様々な音曲芸能に通ずる
「京に一座を出したいと言うておったが、楠木の縁者が将軍のおひざ元である京に出てくる事などできぬと言うてやった。素性が割れれば、命の危険もあるからな」
京で楠木はそういう立場なのだと、正儀は改めて認識する。
「楠木殿、されど、そなたが幕府に降ったとなれば話は別じゃ。観世大夫を、すぐにでも京へ誘ってやろうと思う。何、面倒はわしがみる。一応、そなたにも許しを得ておこうと思うてな」
道誉の言葉に、正儀が表情を和らげる。
「叔母が……いえ、観世の母が亡くなり、ちょうど墓参りに行こうとしていたところ。それがしから観世に伝えましょう」
叔母の楠木
「では、任せよう。これで奴との約束も果たせる」
満足げに道誉は微笑んだ。
一方の正儀は、自らの行動が思わぬところで人の人生を変えてしまうことに、心の中で驚いていた。
正儀が戻った
上がり口の
「殿様(正儀)、これを御使いください」
「これは
「こ、これは殿様、申し訳ございませぬ」
慌ててしゃがんだ
少し内気な女であった。父から、正儀の
足を
「ああ、よいのじゃ。わしが急に手を出してしまったからな」
その夜のことである。正儀は寝所に入り、
書状を書き終えた正儀が、筆を置いてあかりを消そうとしたときである。
「殿様(正儀)、あの……よろしいでしょうか」
「
正儀が応じると、
「な、何じゃ、その恰好は……」
ゆらゆらと揺れる
「我が父より……殿様の
「そうか、そのような事を御父上が……じゃが、それはそなたの本意ではあるまい」
「い、いえ、そのような……」
返事を聞く前から、正儀は首を横に振る。
「おそらく家のためと言われたのであろう。御父上に伝えてくれ。その
そう言って、正儀は優しく微笑んだ。
その笑顔に、
この後、
半月後、正儀の叔母、楠木晶子の四十九日法要の翌日のことである。正儀は、晶子の息子、
「聞世……それに三郎殿(正儀)ではありませぬか」
背中越しの声に正儀が振り返る。そこには、晶子のもう一人の息子、
「久しいのう。十年、いや十五年振りくらいであろうか」
「本当にお
頭を下げる観世に、聞世が歩み寄って肩を叩く。
「観世、息災であったか。母上を看とってやれず、すまなかった」
「ああ……母上はお前の名を呼んでいた。聞世も最後に母上に会えず、無念だったであろう」
観世の言葉に、聞世は少し淋しそうな表情を返した。
久し振りに再会した双子の兄弟。同じ顔を持った観世と聞世の会話に、
「そなたが観世の子、
「い、いえ……」
七歳の鬼夜叉丸は、聞世の言葉に耳まで赤くして下を向いた。
観世は正儀らを、自分の屋敷に案内する。質素で小さな建物であった。
正儀と観世、聞世の三人は、火の気のない
「一座の興行は上手くいっておるようじゃのう。
向かいに座る観世に、正儀が言葉を投げ掛けた。
「何と、京極入道殿にお逢いになられたと……」
正儀の口から出た名に、観世は驚きの表情を浮かべた。
すると、聞世が
「何じゃ。殿(正儀)が幕府に降った事を知らぬのか。本当に
観世は再び驚いて、正儀の顔を凝視する。
「三郎殿が幕府に……」
「うむ。わしが幕府に参じたことで、京極入道殿(道誉)は、お前を京に誘いたいと言うておられる。面倒はみるとのことじゃが……どうじゃ、観世」
「そ、それは願ったりのことでございますが……」
「よし。では、その旨、入道殿に伝えよう」
「京での
話が纏まると、双子の弟である聞世は、自らのことのように喜んだ。
「されど、楠木党が幕府に参じるなど、今もって信じられませぬ」
不思議がる観世に、正儀は、さもあらんと頷く。
「じゃが、楠木党がではない。わしだけが幕府に参じたのじゃ」
「三郎殿だけが……いったい何がございました」
「南の帝(長慶天皇)を京へ御迎えせんがため、わしが先に京に入ったまでのことじゃ。聞世を置いていくので、後で詳しく聞くがよかろう」
そう答える正儀の隣では、聞世が悔しそうな顔でうつむいていた。そんな二人の態度に、観世は口を
六月、仮の住いとする
「殿、
正儀は驚いて顔を上げる。
「何、新九郎(正武)殿がか……」
「はい、突然、三百余騎に囲まれ、成す
住吉大社から
「そなたのせいではない。和田軍が出てくることはないと判断したのはわしの責任じゃ。されど、何より弥太郎(菱江忠元)が無事でよかった。なあに、慌てて取り戻す必要はない。しばらく
思い通りにいかない中でも、決して正儀は諦めない。最善の策が駄目なら次善の策、それも駄目なら次々善の策と、粘り強く事を運ぶのが信条であった。
南軍の攻勢は正儀に対してだけではなかった。九月には、南朝の伊勢国守である内大臣、北畠
南朝が攻勢を仕掛ければ仕掛けるほど、幕府、さらには北朝内での正儀の立場は悪くなっていった。
九月二十日、その正儀が、京の
「楠木
「ははっ」
任官は幕府の意向があってのうえである。武家を統率する意味のある
しかし、幕府に求められて、官位官職を与えなければならない北朝の
十七年前、南朝は京を奪還した。時の
帝と上皇、
しかし、上皇も連れ去られていたため、
その原因を作った一人である正儀に、関白の
「河内守(正儀)、三種の神器は、今、どこにあるのじゃ」
「はっ、以前は
「河内守よ、天に二朝はおらぬ。そなたの言う帝とは誰のことであるのか」
「はっ。申し訳ございませぬ」
厳しい
右大臣の
「そなた如きが、幕府に降っても何の足しにもならぬ。必要なのは三種の神器じゃ。それも持たずに、よくも朝廷に
実俊の言葉は強烈な憎悪が含まれていた。これに、
しかし、正儀はただ平伏して、
正平二十五年(一三七〇年)正月、幕府
頼之の求めに応じて、諸将が居並ぶ宴席に、正儀が顔を出した。
まず、下手に座して一礼する。
「遅くなり、申し訳ござらん」
「よう、参られた。さ、こちらへ」
頼之は上座の近くへと手招きする。正儀は恐縮しつつも、頼之の
ほとんどの者は正儀の顔を知らない。諸将は、いったい誰であろうかと、腰を据える正儀の顔を、興味深そうに
正儀が着座すると、向かいに座る京極高秀の顔が曇った。唯一、正儀の顔を見知っていたからである。
「お初にお目にかかられる方も多いと存ずる。それがしは楠木三郎正儀にござる。新参者ですが、よしなにお頼み申す」
その
「皆も存じておろうが、楠木河内守が幕府の一員となった。皆と顔を合わせるよい機会じゃと、それがしがお呼びした。皆、よしなに頼むぞ」
「幕府に参じたからには、御所様(足利義満)のために、力を尽くす所存でござる」
頼之に続いて正儀も身を正し、再度、頭を下げた。
しかし、宴席は一気に静まり返る。あちらこちらから、ひそひそと声が聞こえる。
この状況に、頼之の舎弟、頼元が気を遣う。
「皆、どうした。楽しく飲もうではないか。さ、畠山殿、一献」
血気盛んな若武者である畠山基国は、頼元がさし出した銚子から、盃を
「いや、もう結構でござる。せっかくのめでたい席であったが、一気に酒が不味くなった」
十年前に南河内に侵攻して正儀と戦った関東執事、畠山国清の甥が、この基国である。国清は南河内侵攻の後、幕府に追われる身となり、南朝に降ろうとしたものの、正儀に断られて大和で横死していた。
基国は正儀を敵視していた。ただし、伯父、国清が横死した一件ではない。正儀が幕府から河内
畠山家は、もともと幕府側が立てた河内
正儀に悪感情を抱くのは基国だけではない。京極高秀は兄たちが正儀のため、南軍のために討死していた。父の京極道誉は、これを超越して正儀と気脈を通じたところがあったが、高秀は割り切れない思いを抱いていた。
その他の諸将にとっても、正儀は憎むべき相手である。楠木は、常に南朝の軍事力の代表であった。幕府の諸将が南軍と戦うと言えば、楠木と戦うということであった。その楠木のために、先の将軍、足利義詮は
招かれざる客の正儀にとって宴席は、まさに針の
突如として、高秀が立ち上がる。
「それがしは、これにて失礼つかまつる」
ぶすっとした態度で、正儀を
「京極殿、待たれよ」
接待役の頼元が立ち上がって止めるが、無視して立ち去ってしまう。すると、基国も立ち上がる。
「京極殿が帰られるなら、それがしも」
続いて、
「皆、待たれよ。せっかくの宴じゃ」
おろおろと頼元は諸将を引き留めるが、甲斐はなかった。
「頼元」
兄の頼之は、頼元に顔を向けて、ゆっくりと首を横に振った。
諸将が帰った宴席は、細川頼之・頼元兄弟と、正儀の三人だけとなる。
深く頼之が頭を下げる。
「楠木殿、申し訳ござらん。それがしの配慮が、逆に貴殿の
「いや、
「されど、諸将は楠木殿へ偉そうに言うことはできぬのです。皆、己の家名存続、栄達のためのご都合主義。日和見なのです。楠木殿は幕府に降って参ったが、全ては、和睦と朝廷合一のためでござろう。奴らに比べれば、楠木殿は一貫した志をお持ちじゃ」
苦々しい顔をして、頼之は胸のうちを吐露した。
「
正儀は、銚子を持って頼之に酒を進めた。
「楠木殿、何か、お考えがあるか」
ぐっと盃を飲み干した頼之から、正儀が返杯を受ける。
「
そう言って、正儀は杯の酒を喉に流し込んだ。
「ほほう、それはどのように」
「
堺浦や
「さすがは河内守殿。それは、よいお考えじゃ。
「されど、兄上、今日の諸将の態度を見ていると、
心配そうに、頼元が呟いた。
「うむ。
不安な表情をいっさい見せることなく、頼之は正儀の提案に同意した。
以心伝心、一を聞いて百を知る。皆まで言わなくとも、考えを理解してすぐに行動に移す人物が居ることは、四面楚歌の正儀にとって、これ以上もない心強い味方である。かつての楠木正成と
五月、幕府
氏綱をわざわざ関東から呼び寄せたのには理由があった。細川頼元が心配したとおり、畿内近郊の武将が、いろいろと理由を付けて、堺浦への出陣を渋ったためである。
一方、氏綱が素直に上洛したのにも理由があった。氏綱は
その氏綱は、将軍の足利義満と頼之に出陣の挨拶をするため、三条坊門の将軍御所に
「将軍、必ずや
氏綱は一族再興をかけて気負っていた。
将軍、義満が満足そうな笑みを浮かべる。
「うむ、頼もしき限りよ。期待しておるぞ」
「ははっ」
気負う氏綱に、将軍の
「宇都宮殿、
「承知致しております。管領殿、お任せ下され。ではこれより出陣致します」
五月二十三日、氏綱は
時を同じくして、正儀は摂津の
馬上から正儀が声を張る。
「よいか、
「父上、承知した」
「承知しました」
正儀の
さっそく正儀の楠木軍は、
正儀は、近臣の河野辺正友と菱江忠元を連れて城の中を見回る。
「宇都宮殿の戦が続いている間に、すぐに大工を集めて、仕上げるのじゃ」
「殿、承知致しました。ではさっそく」
腹心の臣、河野辺正友が、忠元の背中を目で追いながら正儀にたずねる。
「殿、この後、いかが致しますか」
「宇都宮殿が和泉に討ち入ったことで、和泉の豪族は慌てていることであろう。この機会を逃さず、和泉の豪族の取り込みを謀る。すぐに、
和泉は日和見な豪族たちが多く、幕府と南軍の間で、常に揺れ動いていた。正儀は、そんな和泉の
正儀らの跡を追うように、
「
そう言う正儀に、
「殿様(正儀)、それでは、お言葉に甘え、この者らは家に帰す事とします。されど、私はこのまま、この城に仕えたく存じます」
「なぜじゃ。御父上のことなら気にする必要はないぞ」
いまだに
「いえ、私がここに
平素はおとなしい
「……あと、私が
その言葉を聞いて喜んだのは、
「それは助かります。
勝手に忠元に決められてしまい、正儀は思わず苦笑いをする。
「では改めて、
正儀の言葉に、
武名を
「南軍の兵など恐るるにあらず。我ら
幕府
「紀伊橋本は、
「おお」
氏綱と郎党たちは勢いに乗り、紀伊を目指して進軍をはじめた。
「殿、これまでに、我が方に帰参すると申し出があったのは、
「そうか、又次郎(正友)、ご苦労であった」
「それと……」
正友が言い残した話を繋ぐ。
「何じゃ、どうかしたのか」
「美木多
和泉の豪族、美木多助氏はかつて、正儀の盟友であった。十年前までは楠木軍の一翼を担って正儀を援けた。しかし、畠山国清らによる南河内の制圧の折、正儀を裏切り、天野山金剛寺にあった
「不審な動き……まさか、今度は
「定かにはわかりかねますが、その疑いがあります。いつ、この城へ兵を向けてくるかわかりません。
(そこまで、このわしに、対峙しようというのか)
心の中で呟いた正儀は、そのまま、目を閉じて唸った。
そこへ、正儀の
「父上、細川
正信が書状を正儀に渡した。
そこには、堺浦を制圧した宇都宮氏綱が、当初の目的を越えて、南軍の和田正武を追って
「何と
書状を見た正儀は、わなわなと肩を震わせた。
しかし、正儀は南朝に
橋本党の惣領となった橋本
宇都宮氏綱の堺浦制圧の際は、橋本党を指揮して駆けようとするも間に合わず、紀伊橋本に入って、幕府軍の侵攻に備えていた。
紀伊で臨戦態勢を整えた
「慌てて敵を討つ必要はない。紀伊に誘い込んでから背後を和泉守(和田正武)と橋本本家(橋本正高)に攻めてもらう。挟み撃ちにすればよい」
「承知っ」
「では、者ども、出陣じゃ」
和泉の和田正武は、宇都宮軍にさしたる抵抗も見せずに退いていた。これで宇都宮氏綱は勢いに乗じ、
今まで、さしたる反撃を受けることもなく、慢心していた宇都宮軍は慌てた。氏綱は急ぎ兵を紀伊に進め、和田軍と
和田勢と橋本勢に囲まれた宇都宮軍は、大勢の死者を出して紀の川沿いを西に敗走した。そして、氏綱は兵たちと
しかし、幕府は、すぐには援軍を手当てできない。
六月の終り、
基国も、兵を進めて
ここは、紀伊の
「太郎殿、久しぶりでございます」
聞き覚えのある声に、
「聞世殿、そなたはまだ、叔父上(正儀)の元におるのか」
「それがしは、殿(正儀)に生涯を尽くす所存じゃ。幕府方であろうが
「そうか……それでは、
こくりと聞世が頷く。
「これは、殿が太郎殿へ宛てた書状です」
「罠であろう。これをわしに信じろというのか」
「なぜ殿が幕府に降ったか、御存知ですか」
「それは、御自身が押す
「あり
すると、
「叔父上の君臣和睦は昔からじゃ。さもあらんと思う。されど、この書状を信じることと、どのような繋がりがあると申すのじゃ」
「
「されど、現に
「殿は、豪族の寝返りを誘っておりますが、討とうとはされておられませぬ。
聞世の必死の説得に、
畠山基国の軍勢が紀伊に進軍してくると、正儀の助言に従い、
基国の軍勢は、正儀が言った通り、
畠山の援軍で、宇都宮氏綱は窮地を脱した。ところが、宇都宮家の再興を願った氏綱は病を発しており、そのまま、籠城した
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