第19話 和睦交渉
正平六年(一三五一年)三月二日、ここは、西吉野とも呼ばれる
「
谷合にある屋敷の一間では、足利
多少
「これはこれは。
「はい、
「それは、
笑みまで浮かべる親房に、
「吉野の帝と京の帝。先々、どのような順で御即位いただくか決めなければ何も進みませぬ。まずは、
「はて、京の帝とは誰のことですか。天に二朝はございませぬ。三種の神器をいただく御方こそが唯一無二に正統でございます。その唯一の正統に対し、御即位の順など、必要はありますまい」
三種の神器とは、代々の天皇が受け継いできた
「そ、それでは、大覚寺と持明院の皇統が交互で皇位につかれるという、
「二階堂殿、何を考え違いされておられる。帝がお二人おられるなら、
たじろぐ行通に、親房が淡々と応じた。
その口元に微かな笑みを見てとった
「それがし、そのような
「もちろんでございます。
親房はすくっと立ち上がり、軽く一礼して奥に下がって行った。
「ふう、噂通りの御仁よ」
誰も居なくなった部屋で、
帰路についた二階堂
あらかじめ知らせを受けていた正儀は寺に出向き、中院の広間で
「二階堂殿、わざわざ河内へお立ち寄りいただき、かたじけない。帝(後村上天皇)のご機嫌はいかがでありましたか」
これに
「帝には会えませなんだ。北畠
「そ、そうでございますか……申し訳ござらん」
「なに、落胆はしておりませぬ。
「若輩のそれがしが……でございますか」
「楠木殿がどのように動くかで、この和議は決まると」
その言葉を正儀はいぶかしがる。
「いったい、それがしに何をせよと申される」
「帝の
正儀は驚き、困り顔を
すかさず、
「それは、北畠卿がおられる限り難しいかと存じます」
「いえ、北畠
全ては
「その間にそれがしに動けと申されるか」
正儀は、
口をひらく前に、
「棟梁は三郎殿です。それがしに気遣う必要はありませぬ」
その言葉に正儀はゆっくり頷いてから、
「
正儀のまっすぐで強い想いに、
二階堂
「先日、
屋敷に招き入れられた正儀は、挨拶もそこそこに切り出した。
これに、
「そ、そうなのですか。麿は何も聞かされておりませぬ。おそらく
「やはり……御使者は北畠
「それは、麿とて同じです」
確信を得てから本題に入る。
「
「
「麿から
「それはいったい何ですか」
「
和睦実現のため、もう一人、
客間に通されると、後ろに正友を控えさせ、屋敷の主に対して仰々しく頭を下げる。
「大納言様、
目の前に、討幕強硬派の四条
「久しぶりじゃな。
第一声は、拍子抜けするくらい気さくなものであった。
「はい、平穏な日々が続いております。
「そうじゃな、足利
訪ねたこと自体を喜んでくれる
「その和睦の交渉ですが、なかなか難しいという話を聞いております。北畠卿(親房)は両朝の
「なるほど、そなたの用向きはそれであるか。では、先にそなたの考えを教えてくれ」
「それがしは……それがしは、戦をなくしとう存じます。楠木の棟梁とは思えぬもの言いとお思いでしょう。されど、戦は田畑を荒し、多くの人を殺し、身寄りのない子を増やします。戦を止めるためにはどうすればよいか悩んでおります」
父や兄、従兄弟たちを奪った戦というものに対する正儀の正直な気持ちであった。
すると、
「早く幕府と和睦せよ、ということじゃな。されど、それは元弘の
怒っているのではない。正儀の思いがどれ程のものか、見極めようとしているかのようであった。
「父は兄
「どういうことじゃ」
「いくら敵を撃破しても新手の敵が押し寄せます。戦いは新たな憎しみを生み、更なる戦を呼び寄せます。戦では帝をお助けすることができぬのではないかと……帝を御救いするためには、幕府の協力も仰ぎ、朝廷と幕府がそれぞれの役割をもって合一するのが唯一の道ではないかと存じまする」
そう言ったあと正儀は、言い過ぎたかと、ばつが悪そうに目を伏せた。
「そなたの考えはようわかった。それができるのならば、麿とて否定するものではない。北畠卿もかつてそのようなことは言われていた」
「北畠卿も……ならばなぜ……」
これに、
「考えてもみよ。軍事を担う守護を下に置き、力を握った幕府が、はたして朝廷の意向に沿うであろうか。いずれ朝廷を邪魔な存在として滅ぼすであろう。先帝(後醍醐天皇)の血筋が子々孫々まで続くようにすることこそが忠義と思うておる。そのような幕府を許してしまえば、先帝に申し開きができぬ」
それは若い正儀でさえ理解するところであった。が、正儀の目には、今の状態が続くことの方が、滅びの道を歩んでいるように映っている。
「されど大納言様、先帝の
「何、
そう言って、
「いえ、言葉が過ぎました。お忘れください。本日は、それがしの話をお聞きいただき、ありがとうございました」
気まずそうに、正儀は会釈をして部屋を下がった。
一方、部屋に残った
三月の上旬、帝(後村上天皇)の一行は、
この日は、
一行には女房たちも徒歩で従い、
行列の前後には十数名の侍が護衛につく。その先頭は馬に乗った正儀。もちろん
山々を淡い色の山桜が彩り、川沿いに並んだ遅咲きの桜と、川面に映った桜とで、あたり一面が薄い
帝の
「
「ほんに綺麗であるな。
帝は
「この先に、宴の席を設けております。今日はごゆるりと御寛ぎください」
「うむ、
言葉通り、帝は上機嫌であった。
そこから少し遅れて国母、
「伊賀よ、
「ほんにそうでございますな。私も楠木様が護衛と聞いて驚きました。何でも、
伊賀局の答えに、
「楠木といえば、先の
「はい、今は吉野に戻り竜門の
「竜門……あのあたりは、戦に巻き込まれることはなかったのじゃな。
「はい、わたくしもそのように願うております」
伊賀局は、何事にも一途な日野俊子のこれからを思い、心の中で手を合わせた。
目的の地に着いた一行は、桜に囲まれて
阿野
赤い
「今日は無礼講。
帝の従兄でもある
「はっ。
帝を直視しないよう、正儀は顔を伏せたまま謝意を口にした。
これに、穏やかな表情で帝が頷く。
「
「ありがたき幸せに存じます。それがしは京へ行ってみとうございます。
「もちろんである。帰れるものであれば、今すぐにでも帰りたい」
無礼講とは言え、帝に質問を投げかけたこと自体に近臣の公家や女房たちは驚き、一斉に厳しい視線を注いだ。
すかさず、
「
「うむ、その件ならば、
「はい、麿も北畠卿の御考えは承知しております。幕府の存在を認めたままで、しかも、持明院の皇統も認めたままでの
「そうか、
幼きときから親房の薫陶を受けて育った帝は、先帝(後醍醐天皇)とは異なり、慎重に己を仕舞い込んでいた。
親房にとっては、自らの思いを強く口にする先帝(後醍醐天皇)は、
「
「と、申すと。
「はっ。戦を止めることにございます。戦が続く限り、民の不幸は続きます」
「
「左様にございます」
正儀に
「それは奇怪な。そなたの父(楠木正成)と兄(楠木
不思議そうに帝が問いかけた。
「それがしが知る父や兄は、戦が好きではありませなんだ。父、兄、そしてそれがしが願うは、
「何、
それは、新鮮な響きであった。
「はい、帝と幕府が和睦し、ともに手を
真っすぐに己を
「
「なぜでございましょうや。
思わず顔を上げる。正儀は、初めて帝を間近から拝顔した。
必死に訴える正儀から、帝は静かに目線を外す。
「
「
まだ言葉を続けようとする正儀の前に
「
「こ、これは、とんだ御無礼を」
正儀は我に返り、額を地面に擦り付ける。そして赤面したまま、警護の持ち場に戻った。
そこから少し離れたところに、この様子を心配そうに見つめる伊賀局の姿があった。
花見から数日後のことである。気を落して赤坂城に戻っていた正儀は、
阿野家の屋敷の一室で、
「大納言様、先般はたいへんな
青ざめた顔で正儀はひれ伏し、
「そうではない。そなたに、
恐る恐る正儀は顔を上げる。
「使い……でございますか。それはどのような」
「
「何と、
「この
「お、恐れながら、
そう言って、
「
「その結果、
「うむ、二条左大臣は賛意を示された。もちろん麿もじゃ。
それでも正儀は、一時は諦めかけた和睦の進展に安堵した。しかし、一つの気掛かりが首をもたげる。
「四条大納言様(
「四条卿は終始無言でおわせられた。何をお考えか麿にはわからなかった。されど最後に、
「四条様がそれがしを、でございますか」
正儀の頭には、
南朝は
会見の場所である醍醐寺に入った正儀は、回廊を歩きながら幼き日に会った足利尊氏を思い浮かべる。
「尊氏殿には会えぬのであろうか」
と、独り言のように呟いた
広間に通された南朝の一行は、
下に控えた正友が正儀に目を配る。
「殿(正儀)、来られたようですぞ」
座敷に現れたのは
滞りなく
翌日、
「
「楠木殿(正儀)、そなたであれば必ず約定を
再会に安堵する二人に、神宮寺
「
交渉はすでに始まっている。
しかし、
「もちろんです。それがしは公家の頑迷さを少なからず存じ上げております。
正儀は静かに
「
「楠木殿のお気持ち、わかりますぞ。やはり、御父上によう似ておられるのう」
そう言う
閑談を打ち切って、正儀は話を先に進める。
「和睦の条件を詰めなければなりませぬ。簡単には参りませぬが、決死の覚悟で臨んでおります。こちらに、我らの条件を書き綴っております」
そう言って、廟堂から託された書き物を
「確かに、簡単にはいかぬようじゃ。こちらも腰を据えてあたりたいと思う。ここに控えし二階堂入道に意向を伝えておりますので、話おうていただきたい」
「承知しました。こちらは、それがしと神宮寺
「相わかり申した。それではよしなに」
正儀らは、その日は再び宿舎の大覚寺に逗留し、翌日から二階堂
その頃、
親房は、外廊で左大臣の二条
「左府(左大臣)様、これはいったいどういうことでございますか。麿が
しかし
「
「その
「
意外な指摘に、親房は目を見開いたまま声を上擦らせる。
「な、何と、四条卿が……あのお方は和睦には反対の御立場。何を思って楠木を京へ送ったのか」
困惑を隠すように扇を開く親房に、
「いずれにせよ和睦の内容は朝議をもって決裁致します。折衝とは申せ、若い
「恐れながら、楠木も左大臣様も、麿の真意がわかっていないようじゃ。少しでもよい条件など、それでどうなるというのか。足利
「これをきっかけに幕府を滅ぼす手立てと……」
聞き返す
二条
和睦の目処が見えくると、正儀は京での交渉をいったん終えて河内に戻った。
すると今度は足利
その日の交渉が終わり、郎党に
「今日の折衝で、何とか和睦の条件も整えられそうじゃな」
「幕府はこれ以上折れますまい。されど、国司の権限を大きくして守護の権限を押えることができました。幕府が横領した直轄領を
初めての大仕事を、安堵の表情で正友が振り返った。
「そうじゃな。これで両統
「うむ。帝も喜ばれることであろう」
正儀も二人と同様に頬を緩めた。
翌日、交渉の出口が見えた二階堂
いよいよ和睦の条件が整い、足利
左大臣の
「
条件は、幕府の存続と南北両朝の
講和に前向きな
「阿野卿、両統
「
「左様、このような状況の中、
「二条左大臣様も阿野大納言殿も、何を弱気なことを申されます。
やっと口を開いたのは
「四条大納言殿(
終始無言であった
「麿は条件いかんにかかわらず和睦は反対じゃ。されど、朝議はさまざまな意見があってしかるべきもの。楠木には楠木の考えもあろう。その意見は表に出してやればよい。下の者の考えも汲んでやり、意見が出そろったところで、皆で決めればよいではありませぬか」
「反対と言いつつ、ずいぶん楠木に肩入れしているご様子。ならば他の者の意見も一様に聞いてやってはいかがか」
親房の問いかけに
取り
「では、北畠
「麿にとって、この講和は単に時間稼ぎ。幕府に対し、真剣に我らが検討している姿だけ見せればよろしかろう」
「はて、時間稼ぎとはどういうことでございますか」
「講和で幕府は滅びませぬ。麿には考えがあります」
親房の発言に、
「その話、聞かせていただきましょう」
正儀は、またも
「
期待を込めて
「な、なぜにございます。北畠卿(親房)が反対されましたか」
「北畠卿ばかりではない。
朝議の結果にふつふつと怒りが沸き立つ。特に
「や、やはり四条卿は討幕のお考えでございましたか。それがしを
「もともと討幕論者じゃからな。ただ初めは無言を貫いておられたが、北畠卿の話を聞いて腹を決めたようじゃ。四条様が和睦反対に賛意を示されて、朝議は決した」
公卿たちの掌で踊らされていただけだったのか。
振り絞るように、声を上げる。
「き、北畠卿の話とは」
「幕府から京を取り戻す策じゃ。詳細は言えぬが」
正儀は、頑強で現実を見ない親房を、腹立たしく思う。
「そのような
「麿もそう思うが、今となっては……ごほ」
突如、
「兄上様(
承知せざるを得なかった。正儀は咳き込む
阿野家の屋敷を出た正儀だが、収まらぬ怒りをどこにぶつけてよいかわからない。河内への帰り道、気付けば足は大納言、四条
しばらく前で思案する正儀であったが、思い切って門を
和睦案を蹴った
「
「突然の御無礼、お許しください。どうしても大納言様におたずねしたき儀があり、こうしてまかりこしました」
「わかっておるぞ。朝議のことであろう。そなたには悪いが、和議には反対の立場をとらせてもろうた」
「なぜでございます。今の我らの力では、すでに幕府に抗うことはできませぬ。帝(後村上天皇)を京へお戻しするためには、和睦しかないでありませぬか。それがしは納得致しかねます」
正儀は
「
「そ、それは存じておりますが……」
自分勝手に
「……な、ならばなぜ、四条様は、それがしを
これに
「正直に申そう。麿は
「なんと、大納言様は滅びることを前提の和睦拒否というのでありますか」
「いかにも。されど、思い直したのは、
「そ、そうで、ございましたか……」
やっと正儀は、
「そなたにとって帝とは今の
「されど、
静かに
「北畠卿には北畠卿のお考えがある。同じ和睦反対でも、麿と北畠卿は考えが異なる。卿は、あくまで幕府を葬ることを考えておいでじゃ。今の朝廷は北畠卿に抗うことは難しい。先般、足利
正儀は言い返す言葉が見つからなかった。
「……
和睦の決裂は、神宮寺
「何と、あそこまで講和の条件を詰めていたにもかかわらず、断ってくるとは……
「申し開きもございませぬ」
「なぜ、
幕府と
「わ、我らが聞かされておるのは、幕府の存続を認める和睦など認められない、というものですが……」
「それでは、
怒りを通り越し、
「そ、そのようなことは……今一度、話をさせて頂きたく……」
答えに
しかし、
「楠木殿は結果を知りながら、我らをたぶらかしたということか」
暴言に、これまで発言を控えていた若い正友が、こらえきれずに割り込む。
「我が殿に限り、断じて左様なことはございませぬ。不信の念を抱くべき相手は
「又次郎(正友)、止めておくのじゃ。言葉が過ぎる」
「
「河野辺、止めよ」
制する
「……幕府が
「又次郎っ」
「二階堂殿、申し訳けござらぬ。言葉が過ぎました。今のはお忘れくだされ。されど、楠木
座り直して頭を下げる
二人のやりとりに声を失っていた
「和睦は成らず……と
「
赤松円心(則村)が亡くなった後の赤松家の家督は、嫡男の赤松
宮司の屋敷で
「
ゆっくりと顔を上げた
「おお、こちらが
「そなたが赤松
親房が
【注記:『細々要記』には
一方の
その
「それがしは、
「うむ、その言葉、父もあの世で喜んでおろう」
堅い表情のまま、
親房は、そんな
「
「北畠様は、それがしに何をせよと申されるのか」
「
「何と、それがしに……どういうことでござるか」
「赤松殿は将軍(足利尊氏)からも信頼厚い守護大名。こうしてここに来られるのも、事前に尊氏殿に御相談のうえでありましょう」
「い、いや、そのようなことは」
「お隠しされずとも構いません、麿は全て承知したうえで、お話しております。尊氏殿には尊氏殿の考えがありましょう。さりながら、最後は赤松殿がどう思うかです」
親房は、意味深な事を言った後で、本題を語りはじめた。
七月、突然、播磨守護の赤松
さらには、これに呼応するがごとく、佐々木京極道誉も近江で兵を挙げた。
将軍御所に、二階堂
そこには、
「それがしに相談なく、これはいかなることか」
「
「どうしたというのは、こちらの言い分。何をされておる」
「見てわからぬか。近江に兵を挙げた道誉を、これより成敗しに出陣するところじゃ」
尊氏は側近に手伝わせて
「兄上自らが出陣するというのか」
「そうじゃ。
軽く嫌味を返す尊氏に、
「ならば、それがしに御命じになればよろしいこと」
「馬鹿を申せ、いちいち、
「それはおかしなもの言い。将軍たればこそ、それがしの顔色を気にすることなく、お命じくださればよい」
「
「何、坊門殿も出陣するのか……」
三条坊門第を居とした足利
「さ、わしは
将軍御所より足利
「よく参った、
武者姿の尊氏が迎えたのは意外にも細川顕氏である。三条坊門第を出た
「そなたが知らせてくれたとおり、
「滅相もございませぬ」
恐縮する顕氏に、尊氏が穏やかな表情を向ける。
「そなたは引き続き、
「承知致しました」
「されど、
「刃を向けたとは滅相な。それがしが戦ったのは、
その言葉に尊氏は眉を動かす。
「その
「あ、いや、それは……」
あわあわと顕氏は言葉を失った。
「まあよい。今は心強い味方じゃ。これで細川は、そなたと
尊氏は顕氏の従兄弟、細川頼春を引合いに出した。
兄の細川和氏引退後、細川家の実質的な惣領である頼春は一貫して尊氏に従っており、信頼される忠臣である。もともと、顕氏が足利
尊氏はそんな顕氏の心を読んでいた。
「頼春に劣らぬはたきを期待するぞ」
「はっ」
顕氏は掌に汗を滲ませ、
一方、将軍御所から自邸に戻った足利
部屋に入るや否や二階堂
「
「その
「近江征伐に行った将軍(足利尊氏)が京極勢を
「十分に考えられることじゃ。ううむ」
潮目が変わった。一言で理解するなら、そういうことであった。それは月の満ち欠けと同様、
「ここは、いったん京を離れるべきではありませぬか」
「実は、わしもそれを考えておった。いったん越前の
「越前であれば、後ろに
「うむ、さっそく用意をするとしよう」
ここは近江。幕府に対する反乱の兵を挙げた佐々木京極道誉の陣中に将軍、足利尊氏が現れる。
ざわつく諸将を尻目に、なに食わぬ顔で一番上座の
「将軍、
道誉の指摘にも、尊氏は残念がる様子はない。
「幼き時から聡い奴じゃったからな。さすがは
「で、どうされます」
尊氏は
「ふむ、京を留守にして越前に兵を出すわけにはいかぬ。南軍が動くであろうからな。ここは北畠親房の策に乗ろうではないか」
「北畠卿……大丈夫ですかな。相当な狸ではありませぬか」
「狸はここにもおるではないか」
そう言って、尊氏は道誉の顔を覗き込んだ。
「それがしと一緒にしてもろうては困る。こう見えても、将軍を一度たりとも裏切ったことはござらぬぞ」
「あっはは。そうであったかのう。まあ、わしとて北畠卿は信用しておらぬ。
「欲しいものとは……」
「うむ、いつかはせねばならぬと思うておったことじゃ」
聞き返す道誉に、尊氏はそう言って遠くに目をやった。
足利尊氏は近江から、足利
南朝の
「征夷大将軍、足利尊氏殿は、これまでの非礼を詫び、
「帝の御言葉です。奏上の旨はようわかった。
「ははっ、
これを受けて、さっそく
朝議の後、親房は
「足利尊氏、ついにかかったのう。ほほほ」
蚊帳の外の正儀は、
特に和泉国は、足利尊氏派の
しかし、
正儀は、七月二十五日に和田正武・美木多助氏、そして
「兄者、それではそれがしは美木多助氏殿と一緒に
「四郎、そなたは初陣から間がない。焦って功を急いではならんぞ。万事、助氏殿の差配に従うのじゃ」
「わかっております。兄者はここでよい知らせをお待ちください」
正儀の異母弟、楠木四郎
津田武信が笑みを正儀に向ける。
「四郎殿も、つい数か月前に初陣でしたが、頼もしくなりましたな」
「そうじゃな、色もすっかり黒うなって」
「それにしても、弓矢の腕前はなかなかでございます。とても都育ちとは思えませぬ」
「うむ、四郎は父の名に恥じぬようにと、幼き頃から毎日、弓馬の稽古に励んできたようじゃ」
「もう少し経験を積めば、一廉の武将となりましょう」
そういう武信の言葉に、正儀は少し顔を曇らせる。
「三郎様(正儀)、いかがなされました」
「四郎は京育ちゆえ、歌を詠み、
「三郎様、お気に召されるな。四郎殿はご自身の意志で河内に来られたのです。そのまま京に
「うむ……」
武信の言葉を受けて、正儀は無理に自責の念を飲み込んだ。
九月末、その
十月二十四日、紅葉がもっともその色合いを濃くする頃、和泉国を平定し、楠木本城に戻っていた正儀の元に、
「兄者、書状には何と」
書状に目を通す正儀に、舎弟の楠木
読み終えて、正儀は深く長い息を吐く。
「帝(後村上天皇)が足利尊氏の帰参を御認めになり、足利
「な、何と。今度は尊氏の側について、
怒りを
「これでは、我らの苦労が報われぬ。北畠卿(親房)は、幕府を認めぬと言われた。言うこととやることが異なるではないか」
「結局は、ご自分が取り
正友が吐き捨てるように言うと、武信も色を成して頷いた。
しかし、当の正儀は気色ばむどころか、色を失っていた。
「書状には、
「何っ、持明院の皇統を廃止……」
思いがけない和睦の条件に、
「我らでできなかったことを、北畠卿はやったということじゃ。これでは我らは文句を言えん」
正儀は、親房との実力の差を思い知った。
だが、武信が不服そうな顔を向ける。
「されど、幕府は残ります。北畠卿は討幕を望んでいるのではなかったのですか」
「北畠卿は、幕府の存在をなくすことを、必ずしも目的とはしておらぬようじゃ。これは四条卿(
正友が首を傾げる。
「それは、我らの理想とするところでもありますが……されど、守護の力をそのままに幕府が武士を統率することに、四条卿(隆質)は危惧していたのではありませぬか」
「確かにその通りじゃ。だが、四条卿も特に反意を示されてはおられぬ……ううむ、北畠卿はさらなる何かを考えておいでなのか……」
正儀は、親房に得体の知れぬ恐ろしさを感じた。
十一月四日、季節のうつろいは早い。色鮮やかだった紅葉が、はや、枯れ色に変わっていた。
帝(後村上天皇)より足利
一方、越前に逃れていた
今まさに、足利兄弟の
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