第41話 河内平尾の戦い

 弘和二年(一三八二年)うるう一月中旬、京の室町にある花の御所では、梅の花に取って代わり、桃の花が咲きはじめていた。

 この日、幕府管領かんれい斯波しば義将よしゆきが、将軍、足利義満の元に出仕する。そのかたわらには、いつものように政所まんどころ執事、伊勢照禅(貞継)の姿もあった。

 義満に雨山土丸あめやまつちまる城の様子を問われた義将よしゆきが、神妙な顔つきで応じる。

「雨山城ですが、陸奥守むつのかみ(山名氏清)が奪還した後、山名の兵を留めて守りを固めております。一方、南軍を率いていたと思われる楠木正勝、和田正頼は、東条に逃げ帰ったあと、楠木本城(上赤坂城)に籠ったと知らせを受けております」

「ううむ、正勝は河内守かわちのかみ(正儀)の嫡男であったな。息子が挙兵した時、河内守はどうしておったのか」

陸奥守むつのかみからは、特段の話は聞いておりませぬ。おそらく平尾城にて、目をつむり、耳を塞いでおったのでございましょう」

 義将よしゆきは正儀への悪意を隠そうともしなかった。

 雨山土丸城を襲った山名氏清は、正儀が和睦の仲介に動こうとしたこと、さらには、正儀ごと討ち取ろうとしたことなど、義将よしゆきにいっさい報告していない。正儀といえども幕臣である。許しもなく討ち取っては、山名の立場が危うくなるからであった。

 管領かんれい義将よしゆきは、幕府安寧のためには、雨山土丸城を急襲した楠木・和田の勢力を見過ごすことはできなかった。また、反細川頼之として担がれた義将よしゆきは、諸将の手前、頼之との違いを鮮明に打ち出さざるを得ない。

「御所様、このまま奴らを放置すれば、いずれまた不意を突いて城を奪いにくるでしょう。東条を攻略し、奴らの息の根を止めねばなりませぬ」

「ううむ、じゃが、東条となると、河内守(正儀)が黙っておるまい。何とかして止めようとするであろう」

 慎重な義満に向けて、それまで沈黙していた照禅が口を挟む。

「御所様(義満)、ここは河内守の腹積もりを計るよい機会かと存じまする。もともと幕府に参じたのも、楠木の策であったやも知れませぬ」

「されど、父上(足利義詮よしあきら)の遺言もある。河内守とはあまり、事を構えたくないものであるが……」

 東条攻めについて、義満は消極的であった。

 しかし義将よしゆきは、細川頼之の盟友でもあった正儀を、ここで何としても排除しておきたい。

「御所様、ここまで南方みなみかたとの揉めごとが片付かぬのも、先の管領かんれい殿(細川頼之)が河内守殿の意見を聞き入れ過ぎたからではありますまいか。そもそも楠木は尊氏公の頃からの足利の仇敵かたき。このままでは、この先、きっと将軍家に災いをもたらします」

 ここぞとばかりに、義将よしゆきあおった。

 一方、義満は、南朝との和睦には、正儀の力が必要だと考えていた。しかし、そのことのみを考えて、義将よしゆきの意見を退けることはできない。雨山土丸城の奪還を狙う南軍を放置することは、将軍の威信を傷付け、幕府の力を低下させることに繋がるからである。

「では、東条へ兵を送ってみるがよい。河内守がどのように出るか、見てやろう」

「はっ、承知致しました。されど、もし、河内守が兵を挙げた場合は、討伐しても構いませぬか」

「ううむ、致し方あるまい」

 結局、義満はしぶしぶながら、義将よしゆきの進言を認めた。

 さっそく翌日には、管領めいで和泉国府の守護館に早馬を送り、山名氏清に東条への出兵を下知げちした。


 平尾城にも、京に潜伏していた聞世(服部成次)の嫡男、服部成儀なりのりによって、幕府の様子が伝わっていた。

 館の中は急に騒がしくなる。正儀は、直垂ひたたれ姿の聞世を伴って、広間に急ぐ。

「ううむ、困ったことになったな」

「殿(正儀)、いかがなされますか」

 二人は話しながら広間に入り、腰を落とした。

「まずは、本城(上赤坂城)の小太郎(楠木正勝)や仁王山城の四郎(楠木正顕まさあき)に使いを送ろう。それぞれ城を退いて、千早城に入るようにとな」

「承知致しました。すぐに使いを送りましょう」

 聞世が返事を返す間にも、猶子ゆうしの篠崎正久や津田正信、それに河野辺正友や津熊義行をはじめとする家臣たちが続々と広間に集まった。

管領かんれい殿へも使いを送り、東条攻めを再考いただこう。又次郎(河野辺正友)、わしの代官として上洛してくれ」

「承知致しました」

 頷く正友に対して、その隣で津熊義行が顔をしかめる。

「されど、このにおよんで、管領かんれい殿が考えを変えるとは思われませぬ」

「わかっておる。少しでも時を稼ぐのじゃ。山名の陣へも使いを出す。管領かんれい殿とわしの間で話し合いが持たれていると伝えよ。出陣を少しでも先延ばしさせて、千早城の備えを急がせるのじゃ」

「わかり申した。されば、山名へはそれがしが使いになりましょう」

 難しい役目を、義行は進んで申し出た。

 次に正儀は、新たに家臣とした大夫判官たいふのほうがん、和田良宗に目を向ける。

判官はんがんは多聞丸と女こどもを連れて、千早城へ向かうのじゃ」

「この城を出て……でございますか。平尾城も戦に巻き込まれるということにございますか」

「成りゆきによっては致し方なしじゃ」

 正儀の答えに、一同はどよめいた。聞世が正儀の顔をうかがう。

「殿、それは、幕府との戦も辞さぬということにございますか」

「そうじゃ。二郎(篠崎正久)、六郎(津田正信)、一族にも声をかけて急いで兵を集めよ」

「承知」

 二人は声を合わせた。皆はおのおのの務めに向けて、立ち上がった。その中でも、聞世は一際ひときわ、難しい表情を浮かべて広間を後にした。


 河野辺正友は供を連れて、翌日には幕府管領かんれい斯波しば義将よしゆきの京屋敷を訪れる。

「楠木河内守(正儀)の名代として参った河野辺駿河守するがのかみ正友と申す。至急、管領かんれい殿にお会いしたい。御取次をお願い申す」

 正友は、屋敷の門番に取次を依頼して門の外で待った。

 しばらくして、義将よしゆきの近臣が現われる。

管領かんれい殿は先客があり、ここでしばらくお待ちいただきたいとのことでございます。何かお預かりするものあれば、先に管領かんれい殿にお渡し致します」

「何、ここで待てと……」

 供の郎党が目を吊り上げて、身を乗り出した。しかし、正友はこれを制して、ふところに手を入れる。

「では、これを」

 正儀から預かった書状を門番に手渡した。

「仔細は、それがしの口からお伝え致します。何卒なにとぞ、よしなに」

「承知致しました。今しばらくお待ちを」

 近臣は正友を屋敷の中に入れることなく、北風が吹く外で待たせた。守護大名の名代を、屋敷の中に通さず、門の外で待たせるというのは、あり得ない仕打ちであった。


 斯波しば義将よしゆきは屋敷の中にいた。来客とは嘘である。正儀からの書状に目を通した義将よしゆきは、ちっと舌打ちする。

管領かんれいめいに逆らい東条攻めを中止させようとは。やはり正儀めは南朝と通じておったか。楠木正儀に油断するなと氏清に伝えよ」

 義将よしゆきに命じられ、近臣が問い返す。

「あの、駿河守するがのかみ殿(正友)を門の外で待たせております。早々に立ち退かれるように言いましょうか」

「ふん、ほっておけ。そのうち、帰るであろう」

「本当によろしいのでございましょうか。河内守様の名代と言われておりましたが……」

「構わん。明日からは敵方じゃ。いのちを取られなかっただけでも、儲けものとわしに感謝することであろうよ」

 傲岸不遜ごうがんふそんに、義将よしゆきは鼻で笑った。


 一方、聞世(服部成次)は、正儀に無断で京に入り、ある男の元を訪ねていた。いつもの黒装束姿で男の仕事場に忍び込み、一人、舞台に立つ男の背後から歩み寄った。

「聞世か」

「ああそうじゃ。久し振りじゃ」

 振り返ることなく、名を言い当てたのは観阿弥である。幾つになっても双子ゆえの不思議な気脈は通じていた。

 観阿弥は振り向いて、聞世に向き合う。

「何にしに来たのじゃ」

「楠木の窮地じゃ。頼む。助けてくれぬか」

「楠木の窮地……」

「そうじゃ。幕府軍が楠木討伐に動く。至急、将軍(足利義満)に会うて、東条攻めを思い留まらせてくれ。頼む」

 聞世は頭を下げた。

「幕府で三郎殿(正儀)の御立場が悪くなっていることは聞いておったが……されど、わしは服部清次の名を捨てた、ただの猿楽師じゃ。もう楠木の力にはなれぬ」

 観阿弥は冷たく言い放った。

「観世(観阿弥)よ。お前は殿を……楠木を……そしてわしをも見捨てるつもりか」

「見捨てるとは……わしは猿楽の跡を継ぎ、お前は武士として楠木に仕えた。その時から、互いに交わりのない世界は覚悟していたはずじゃ。そもそも、三郎殿が望んでいることなのか」

 聞世は、観阿弥の顔から視線を外す。

「いや……されど、もう他に手がないのじゃ。将軍の覚えめでたい観世と、寵愛を受ける藤若大夫ふじわかだゆう(観世元清)であれば、もしやと思うた。討伐をなくせないまでも、将軍に、殿との話し合いの場を設けてもらうよう、働きかけることくらいはできよう」

 それでも、観阿弥は首を横に振る。

「御所様(義満)は、一度口にしたことは決して撤回はせぬ。機嫌を損なわせば、観世座は二度と京で申楽さるがく能ができなくなる」

 観阿弥の冷たい態度に、聞世がぎっと睨みつける。

「お前が京で成功したのは、お前の才と努力、京極入道(道誉)の援助、そして将軍の後ろ盾があったからじゃ。じゃが、陰に隠れて殿の力もあったのじゃぞ。お前が京に出て来てからも、楠木との繋がりが露見すればやりにくいであろうと、家臣たちに観世との血の繋がりを口外せぬよう命ぜられた。京極入道の勧めでも、お前の大和音曲やまとおんぎょくを観ることもなかった将軍に、頭を下げて足を運ぶよう頼んだのも殿(正儀)じゃ」

 聞世の言葉に、観阿弥も驚く。

「そ、そうであったのか……されど、だからと言って、わしが三郎殿にできることはない。悪いが、もう帰ってくれ」

「くっ……そうか」

 観阿弥は、その場に立ち尽くす聞世を残し、舞台の袖へ消えて行った。


 まだ宵の口である。観阿弥に断られた聞世(服部成次)は、花の御所に向かって急いだ。その手には観阿弥の元からくすねてきた衣と頭巾ずきんがあった。浅葱色あさぎいろ生地きじで仕立てた牡丹ぼたん唐草からくさ模様の狩衣かりぎぬに着替えると、観阿弥に成りきって、花の御所の中門をくぐろうとした。

 篝火かがりびで暖を取っていた門番が、聞世を留める。

斯様かような刻限にいかがされた」

「御所様(足利義満)の急なお呼び出しに、急ぎ参上致しました」

 緊張しつつも、表面上は平静を保って答えた。

「そうか、そなたも大変じゃな」

 門番は怪しむことなく御所の中へと通した。

 聞世は胸をろし、中に入った。そして次々とすれ違う人々に頭を下げながら、奥へと進んだ。

(何とか将軍の側近を探さねば……)

 前から歩いてくる若い小姓こしょうを呼び止める。

「もし、御所様に呼ばれて参ったのですが、どちらにうかがえばよいでしょうか」

政所まんどころ様(伊勢照禅)ではなく、御所様に……それならばなぜ、このようなところにられる。御所様に呼ばれておるのであれば、いつも西殿にしどのでお会いしておるではないか」

 屋敷内の要領がつかめない聞世は、小姓こしょうの言葉に焦る。

「いっ、いえ、御所様が来られないものですから、執事様であれば、何か御存知かと……」

 咄嗟に言い訳が口を付いた。

 そこに、手燭てしょくを持った侍女に導かれ、大方禅尼おおかたぜんに(渋川幸子ゆきこ)が現れる。

「いかがされましたか」

 問い掛ける禅尼の隣には、運悪く、その政所まんどころ執事がいた。照禅は聞世を見て、眉をひそめる。

「いったい、このようなところで何をしておる」

「あ、あの……御所様に呼ばれまして、西殿にしどのでお待ちしましたが、来られないので、執事様を探しておりました」

「義満殿に呼ばれたとな。このようなときにか」

 取り繕う聞世を、大方禅尼が不審がった。

 しかし、あまりにも瓜二つな聞世の顔に、照禅は観阿弥と信じ込んで語りかける。

「わしには心当たりはないのう。お忘れであるかも知れぬ。そのほうは御所様に御出ましいただくように、部屋付きの小姓こしょうに話を通すのじゃ」

 そう言って、目の前の小姓こしょうを急かした。

 一方、得心のいかない大方禅尼は、聞世の顔に視線を合わす。

西殿にしどのにはわらわも参ろう。観阿弥、わらわと一緒ににくるがよい」

 そう言って禅尼が、手燭てしょくを持った侍女を促した。

 楠木をうとんじる禅尼が一緒では、たとえ義満の前で話ができたとしても、結果は火を見るよりも明らかであった。この場から逃走したいが、観阿弥に迷惑をかけることもできない。聞世は焦った。

 その時、花の御所の四足門しそくもんの方が騒がしくなる。どたばたと慌ただしく走る小姓こしょうたちの姿が目に留まった。

 一人の小姓こしょうが照禅の元に駆け寄り、聞世の顔を見て血相を変える。

「こっ、ここにも観阿弥殿が……執事様(照禅)、門前にもう一人、観阿弥殿が来られています。いったいどういうことか……」

 照禅がぱちくりと、二、三度まばたきする。

「もう一人の観阿弥が……どういうことじゃ、観阿弥」

「さ、さあ……わたくしにはさっぱり……」

 詰問されても、聞世は押し通すしかなかった。

「とにかく、そのほうは、わしと一緒にくるがよい」

 あわてた照禅が、大方禅尼に軽く頭を下げてから、聞世を連れ立ち、本物の観阿弥の元へ向かおうとする。

「もはやこれまで。失礼つかまつる」

 突然、聞世が回廊から庭に飛び降りてへいに向かって走り出す。そして、勢いをつけて塀を飛び越えて、花の御所の外に逃走した。

 回廊の上であっけにとられる禅尼らの前に、入れ替わるようにして、本物の観阿弥が現われる。

「執事様、大方様までも……もう一人の私めが現われたとか」

 たずねる観阿弥を、照禅が舐めるように見る。

「そ、そなた、本当に観阿弥か……では、先ほどの者はいったい……それにしても……」

 不思議そうに照禅が、聞世が飛び越えた塀を見つめた。

 庭から門番が駆け付ける。

「執事様、塀の外に、これが……」

 そう言って、脱ぎ捨てられていた観阿弥の服を手で掲げた。

 これを見た観阿弥は、聞世が無事に逃げおおしたことを理解し、心の中で安堵する。

「ところで、そなたは、何をしに参ったのじゃ」

「御所様にお願いの議があって参りましたところこの騒動。今はそれどころではございませぬゆえ、私めは後日としたいと存じます」

 一刻前、観阿弥は聞世と会った後、自身の衣がなくなっていることに気づいた。聞世の考えを悟り、思い留まらせるために、跡を追って花の御所に参上したという次第である。

 観阿弥は、大方禅尼の質問をはぐらかし、急いでその場を後にした。


 翌日、津熊義行が正儀の名代として和泉国の守護館に入る。

 山名氏清は、紀伊の南軍への備えとして、雨山土丸城に二千からなる守備兵を残していた。そして自身は、出雲・但馬たじまから呼び寄せた山名一族の軍勢と合流するために、館で出陣の支度したくを急いでいた。

 城の広間、小具足こぐそく姿の氏清の前に通された義行は、正儀の書状を渡して頭を低くする。

「我が主、河内守(正儀)の代官、河野辺駿河守するがのかみ(正友)が、管領かんれい殿(斯波しば義将よしゆき)の元に向かい、東条攻めについて話し合いが持たれております。その結論が出るまで、御出陣はしばし、お待ちいただきとう存じます」

 氏清は正儀の書状に目を通すと、眉間にしわを寄せる。

「わしは管領かんれい殿の、いや、将軍(足利義満)の下知げちを受けて東条へ出陣するのじゃ。将軍のめいがないのに、なぜ河内守(正儀)ごときの書状で出陣を取りやめねばならん」

 そう言って書状を丸めて投げ捨てた。義行は顔を上げて転がる書状に目をやった後、再び氏清に目線を戻す。

「いえ、出陣を取りやめるのではなく、代官の駿河守と管領かんれい様との話し合いの結論が出るまで、しばしの間でございます。どうか、どうか、お願い申し上げます」

 今はもう、例え悪鬼あっきであってもすがるしかない。義行は神妙な顔で頭を下げた。

 しかし、その正友は、再三取次を頼めど、ついに管領かんれいに会う事は叶わず、肩を落として河内への帰路に着いていた。

 氏清は義行の言葉を鼻で笑う。

「ふん、同じことじゃ。管領かんれい殿のめいが下っておらぬのに、出陣を延したとなると、わしがおとがめを受けよう。すでに出雲・但馬たじまの兵も呼び寄せた。そうじゃ。出陣は明後日とそのほうの主人に伝えるがよい。出迎えは不要じゃ。平尾城は我らが赤坂へ向かうその途上じゃからな。我らの方から平尾へ伺うとしよう。ただし、そのときには、敵として相見えることになりそうじゃがな。あはは」

 義行に対して氏清は豪快に笑ってみせた。すでに正儀を幕府方の武将とは思っていないようであった。


 うるう一月二十四日、寒風吹きすさぶ中、山名氏清が和泉から東条の赤坂を目指して河内との国境くにざかいを超える。出雲や但馬たじまから呼び寄せた山名一族の軍勢、五千余騎を従えていた。

 もう、正儀に奥の手はない。幕府軍による東条への侵攻を止めるためには、平尾城から討って出るしかなかった。

 ついに正儀は、幕府軍に対して非理法権天ひりほうけんてんの旗を掲げた。楠木軍五百騎は、幕府軍の東進を阻むため、平尾城を出て南に進軍する。そして、氏清が率いる幕府軍五千余騎と河内平尾の平地ひらちで対峙した。

 ここで、正儀は氏清の元へ津田正信を使いに送る。正儀は最後の最後まで、君臣和睦の道を模索していた。

 取り合われない可能性もあったが、氏清は正信を自陣に入れる。楠木の知略を警戒し、慎重に事を図ろうとしているかのようであった。

 氏清に会った正信が、正儀の言葉を伝える。

「それがしは楠木河内守(正儀)の猶子ゆうしで津田六郎正信と申す。陸奥守むつのかみ殿(氏清)、我が父、河内守は、今しばらく時をいただきたいと申しております。南の朝廷は、もはや戦う力は残っておりませぬ。あと少しで、あと少しで和睦を受け入れられるでしょう」

「そう言って、どのくらいの時を費やしたのだ。そうするうちに、第二の橋本正督まさただが出て来て南主(長慶天皇)の力になるであろう。それは楠木正儀ということじゃ」

「滅相もございません。ここで引いてくださるのであれば、我らとて抗うつもりはありませぬ。河内守は南の帝と幕府の君臣和睦を願い、ただただ戦のなき世を目指しているのでございます」

 正信は、正儀が苦労して君臣和睦を成し遂げようとしていることを語った。

「武士が戦のなき世を説くとは片腹痛い。武士は戦で手柄てがらを上げ、所領を得てこそなんぼじゃ。すでに楠木は武士ではなくなったか」

「いえ、武士であればこそ、河内国を預かる守護であればこそでございます。この乱世を終わらせねばならぬと考えているのでございます」

 しつこく食い下がる正信に対し、氏清はうんざりといった表情を浮かべる。

「乱世を終わらせるには南方みなみかたを滅ぼす以外に道はない。乱世たらんとしているのは楠木、そのほうたちではないのか。もうよい。帰って河内守に伝えよ。今をもって、我が敵はそのほうたちじゃ。既に管領殿の内意は受けておる。これより、楠木正儀を討伐する。我が軍勢を止められるものなら止めてみよ」

「む、無念でござる。しかと、その言葉、河内守にお伝え申す」

 そう言って奥歯を噛みしめた正信は、馬に飛び乗って楠木の陣に戻っていった。

「馬鹿な奴じゃ。今更、南方みなみかたに戻って何とする」

 土ぼこりを立てて小さくなっていく正信を見ながら、氏清は呟いた。


 楠木軍に戻った津田正信より、山名氏清の伝言を聞いた正儀は、もはやこれまでと、皆の前に立って大きく息を吸う。

「これより我らは山名軍の侵攻を止める。山名に向かって討って出るぞ」

「承知。者ども、いざ」

「おお」

 篠崎正久が気勢を上げると、郎党たちが木霊こだまのように応じた。

 正儀は城から討って出る。ただ籠城しても、山名軍の進軍を留めることは出来ないからであった。

 楠木軍は、猶子ゆうしの篠崎正久と津田正信、京から戻った聞世(服部成次)と嫡男の成儀なりのり、河野辺正友と嫡男の正国、津熊義行、菱江忠儀ら正儀を慕う家臣、さらに呼びかけに応じて参集した一族の楠木正安や安間あんま了意りょういらである。あとは野伏のぶせの棟梁、笹五郎ささごろうこと笹田五郎宗明が寄こした野伏のぶせたちからなる五百騎のみであった。

 対する山名軍は、当世最強と言われる山陰勢を主体とする五千余騎で、まともにぶつかっては勝てる見込みはなかった。楠木軍の得意とする戦は、用意周到に策と罠を仕掛けて敵を翻弄ほんろうするところに、その本領がある。しかし、急遽、出撃せざるを得なかったこの度の戦に、その備えはなかった。

 正儀は勝つことははなから諦めていた。痛手を与え、東条への進軍を思い留まらせるだけでよかった。正儀は楠木軍を三手に分けて、篠崎正久に野伏のぶせ百人を指揮させて、待ち伏せをさせた。

 一方、津田正信は、二百の騎馬隊を率いる。

「では父上、参ります。者ども、我に続け」

 騎馬の上から正儀に一瞥いちべつした正信は、馬を走らせた。そして、騎馬隊を率いて、きりをもむように敵に切り込んだ。矢合わせもせず、最初から槍を片手に決死の覚悟で突入する楠木軍に、山名の先陣は動揺し、崩れて後退した。

「何をしている。みっともない。それでも山名の兵か。楠木の兵など押し返せ」

 氏清に鼓舞された山名の先兵は、態勢を整え、正信が率いる楠木軍に矢を射かけ、さらに騎馬隊が押し出して応戦した。結果、この最初の突撃で、楠木軍はおよそ三十騎が討ち取られる。

「者ども、撤退じゃ」

「引け、引くのじゃ」

 この状況に正信は撤退を命じ、これを兵らが復唱して伝令した。ただちに楠木軍は反転し、必死に馬を駆った。急いで逃げれば、それだけ相手も必死で追いかける。気がつけば山名の隊列は間延びしていた。

 ―― びびゅん ――

 突如、その山名の隊列目掛けて一本の飛矢ひしが軌跡を描き、一人の山名兵が馬から崩れ落ちた。

「者ども、続けて矢を放て」

 矢を放ち終えた篠崎正久が振り返り、大声で命じた。すると、野伏のぶせたちがいっせいに立ち上がり、矢を放つ。山名の騎馬武者たちは、雨の様な矢の餌食となった。

 遅れて馬を走らせた本軍の氏清は、味方の騎馬兵が次々に倒れる状況をの当たりにする。

「くそ、楠木の策にまったな。敵の動きに釣られるな。数で楠木を押し包むのじゃ」

 腰から雲切くもきりの白刃を抜いた氏清が、数を頼りに楠木軍の殲滅に掛かった。山名軍の五千余騎は三方に分かれる。一方は正面から、後の二方は左右の側面から楠木軍を包囲した。

「よし、全軍で迎え撃て」

 すでに正儀には、戦って勝つしか道は残されていない。しかし、その腰には、氏清の雲切くもきりを受け止める竜の尾たつのおはなかった。

 騎馬同士の接近戦となり、正儀自身も敵兵の刃を槍で払うという肉弾戦となった。しかし、多勢に無勢である。こうなると楠木軍に勝ち目はない。正儀を守る周りの騎馬兵たちも次々に討ち取られた。

 正儀に向けて、背後から敵の薙刀なぎなたが振り下ろされる。

「危ない」

 誰かが叫び、敵の騎馬と正儀の間に馬を入れた。次の瞬間、敵兵と刺し違えて男が落馬する。そこには、薙刀なぎなたを脇腹に喰らった津熊三郎義行の姿があった。

 正儀はすぐに馬から飛び下りて、義行を抱き抱える。

「三郎(義行)、死んではならん」

 叫ぶ正儀に対して、義行が最後の力を振り絞って口を開く。

「殿……お、お逃げください。逃げて、君臣和睦を……」

「三郎、三郎っ」

 声を荒げる正儀であったが、楠木の郎党たちによって、瀕死の義行からはがされるように抱えられ、その場を離れた。

「楠木正安殿、御討死」

安間あんま了意りょうい殿、御討死」

 撤退する正儀の元に次々と悲報が届く。正儀は色を失った。


 聞世(服部成次)と息子の服部成儀なりのりは、透っ波すっぱの一軍を率いて別行動をとっていた。

十三じゅうぞう成儀なりのり)、お前はこれより殿(正儀)の元に戻り、殿をお護りせよ」

「父上(聞世)はいかがされます」

「わしは配下の透っ波すっぱを率いて、敵将、山名氏清の首をとる。戦の勝敗はもはや見えておる。が、万が一つにこの戦を勝利に導くためにはそれしかない」

 成儀なりのりは父の覚悟を悟る。

「ならば、それがしもお供致します」

「駄目じゃ。わしがいのちを落とすようなことがあれば、誰が透っ波すっぱを率いて殿(正儀)をお護りするのじゃ。お前は生き延びて、楠木のために尽くすのじゃ。よいな、それが父の願いじゃ」

「父上……」

 父、聞世の死を悟った成儀なりのりは、ぼろぼろと大粒の涙を落としながら、口を真一文字にして頷いた。

 涙をぬぐって正儀の元へ向かう息子、成儀なりのりを見送ってから、聞世は立ち上がる。

「さあ、我らも参るぞ。目指すは山名氏清の首一つ。いざ」

 聞世と透っ波すっぱらは、ばらばらになって、山名氏清の近くまで忍ぶように迫る。そして、申し合わせたように、突如として声を上げ、側面から攻め込んだ。

 しかし、聞世とその一隊が、生きて再び正儀の元に戻ることはなかった。


 楠木軍はあちらこちらで苦戦する。篠崎正久は野伏のぶせを指揮して側面から山名軍の先陣を攪乱していた。が、この状況に、銭で雇われた野伏のぶせたちは、楠木の者たちを残して四散する。正久は絶体絶命の状況におちいっていた。河野辺正友とその嫡男の正国も、さらに菱江忠儀ただのりも、敵に囲まれ万事休すの状態である。そして、正儀自身も敵の騎馬に囲まれて覚悟を決める。

 もはやこれまで、と思われたときであった。楠木軍の背後から新手の一軍が押し寄せる。

「父上を助けよ」

 声を上げたのは正儀の嫡男、楠木正勝である。非理法権天ひりほうけんてんの旗を掲げたその軍勢は、楠木正勝・正元兄弟と、和田正頼・正平まさひらの親子が率いる南軍であった。

 正勝は、山名の後続軍に矢を射かけて分断させる。そして、正頼が率いる和田の騎馬隊が果敢に突入して山名の兵をき乱した。結果、新手の楠木勢に動揺した山名軍は攻撃の手を緩める。

 しかし、今の楠木にとって形成を逆転できるような相手ではない。山名軍が落ち着きを取り戻す前が千載一遇の機会であった。

 正勝が馬を駆って正儀の前に現れる。

「父上、千早へ、千早にお引きください」

「小太郎か……よし、千早じゃ。千早へ向かうぞ。全軍に触れて参れ。千早城へ引き上げるのじゃ」

 郎党たちへの《めい》で、平尾の楠木軍が撤退を開始する。

 すると、正勝ら千早城の楠木軍も、正儀らの盾となりつつ、自らも退却を始めた。しかし、ここでも悲劇が起きる。殿しんがりを引き受けた正儀の従弟、楠木正近の一隊が、山名軍に追いつかれる。

「こうなれば、我らはここに残り、敵の先頭を切り崩す。大殿(正儀)を戦場いくさばから逃がすのじゃ。者ども、かかれ」

 正近は郎党たちに下知げちして果敢に山名軍の先陣に挑ませた。そして、自らも槍を振り回して敵兵と刃を交える。だが、数人の歩兵に囲まれると、薙刀なぎなたで馬の足を払われて馬ごと倒れた。

「何のっ」

 正近はそう言って、手にした槍を杖代わりにして立ち上がった。だが、後ろから一太刀ひとたち浴びてひざを折る。

「くそっ」

 怒声を上げる正近だが、雑兵たちの太刀たちを四方から浴び、息絶えた。

 しかし、正近の死は無駄ではなかった。正近の奮戦で正儀らは敵を振り切ることに成功する。

 圧勝した山名氏清であったが、少なからず山名軍も損害を被っていた。この状況に氏清は、東条への追撃を見送る。正儀の態度を見極めよという将軍、足利義満のめいは既に目的を達し、かつ、楠木軍に大打撃を与えられたからであった。

 一方の正儀は、当初の目標とした、氏清の進軍を阻むということは果たした。しかし、その代償は大きかった。楠木軍は、この戦で楠木一族六人、兵百四十余人を失った。


 生き残った一族郎党とともに、正儀は楠木正勝に先導されて千早城に向かった。山路やまじを歩き、千早城にたどり着いた時には、すでにどっぷりと日が暮れていた。

 虎口門こぐちもんの上に造られたやぐらで軍勢を出迎えたのは、正勝の傳役もりやくで、楠木の家宰でもある三代目左近さこんこと恩地満信である。

「開門じゃ。殿(正勝)と大殿(正儀)の御帰還じゃ」

 松明たいまつを左右に大きく振り、城内に向かって大声を響かせた。

 すでに斥候せっこうが戦の結果と、正儀が同行している事を知らせていた。東条の者や、和田良宗と多聞丸ら平尾城から逃れた者たちが、城の中で正儀を待ち受ける。

 その中央には、胸の前で両掌を握る徳子の姿があった。篝火かがりびがその顔を赤々と照らす。濡れた瞳が、炎に照らされ、揺れていた。

 正儀は徳子に目を留めると、馬を降り、ゆっくりと歩み寄る。

 一方の徳子は、感情をぐっと胸の奥に仕舞い込んだかのごとく、涙をこらえ、口元に小さな笑みを浮かべる。

「大殿、お帰りなさいませ」

「うむ……いま、戻ったぞ」

 二人の間をいていた十三年という長い年月が取り払われた瞬間であった。後ろに控えた侍女のたえは、大粒の涙をこぼし、ただ、二人の再会を見守るだけであった。

 舎弟の楠木正顕が、徳子の横に立つ。

「兄者(正儀)、よくぞ御無事で」

「すまぬ、四郎(楠木正顕)。小七郎(楠木正近)が……聞世(服部成次)が……津熊三郎(義行)が……大切な一族郎党、多くの者を討たれてしもうた……すまぬ」

 正儀は力なくこうべを垂れた。

 沈痛な面持ちで正顕は正儀を見返す。

「そうか……されど、兄者(正儀)が立たなければ、もっと多くの一族郎党が討たれたやも知れぬ。自分を責めないでくれ」

 傷ついた正儀の肩を正顕が支える。

「兄者(正儀)、会うて欲しい者がおる」

「ああ、わかっておる」

 連れられて館に入り、奥へと進んだ。そこには、老境の男が病の床にしていた。和泉守、和田正武である。

「思慮深い三郎殿(正儀)が、いのしし武者が如き戦振りじゃったとな。何としたことかのう」

「新九郎(正武)殿にそのように言われると返す言葉がない……」

 項垂うなだれる正儀の言葉に、正武は口元を緩め、頭を小さく左右に動かした。

 正儀・正顕の後に続いて、楠木正勝・正元の兄弟、和田正頼・正平まさひら親子が部屋に入り、病床の正武をぐるり囲うように座った。

「三郎殿(正儀)、わしは間違ったのであろうか。あの時、わしは武力を持ってそなたを排し、帝(長慶天皇)の即位を助けた。この果てしない動乱の一因はわしなのであろうか」

「新九郎殿、いつになく弱気じゃのう」

 そう言って、正儀は正武の息子、正頼の顔をみた。

「父は、病で床に伏せるようになってから、気弱になり、御仏にすがるようになりました。朝夕に般若心経はんにゃしんぎょうを唱え、三郎殿と自分のどちらが正しかったのか、如意輪観音にょいりんかんのんにたずねるのです」

 正頼の話に、正儀は正武の顔に目を落す。

「それで、観音様はどのように答えましたか」

 正武はゆっくりと首を横に振る。

「それが、何も答えてくれないのじゃ」

「そうであろう。御仏とてわからぬことはある。わしは終生、自らの考えが正しいと思うておる。そなたもそれでよいではないか。わしは死ぬまで、どのような立場になろうと君臣和睦、南北合一を貫くつもりじゃ」

 その瞳は昔のままに澄んでいた。

「三郎殿は強いのう。やはり大楠公の息子よ」

 正武は正儀の表情を見て、安堵の表情を浮かべた。


 翌朝、正儀が千早城の館の中で目覚めると、徳子がかたわらで正儀の顔を見つめていた。

「起こしてしまいましたか。何やらうなされておられたので……」

 正儀は、徳子に手を添えられて、ゆっくりと上体を起こす。

「戦の夢を見ておった。一族郎党を多数失ったことは、わしの心から消えることはないであろう」

 暗い表情で自責の念を口にした。

 対称的に、館の外からはわらべの賑やかな声がする。

「外に出られてみますか」

 徳子は正儀を館の縁側へとうながした。

 そこで正儀の目に写ったのは、侍女のたえたわむれる女児の姿である。女児は正儀の姿に気がつくと、たえの隣で行儀よく頭を下げた。

 縁に腰かけていた楠木正勝が、正儀に気づいて振り向く。

「父上、娘の照子です。父上の孫ですよ」

 目元が徳子に似ている。正儀は思わず目を細め、口元を緩める。

「そうか、照姫か。よい名じゃ」

 そう言って、庭に降りて照子の元に歩み寄った。そして、同じ目線にしゃがみ込む。

「照姫は幾つじゃ」

「七つにございます」

 恥ずかしそうに答えた。

 照子の後から、女が幼児の手をいて歩み寄る。すると、正勝が、二人を正儀の前に立たせた。

「これは我妻の文子ふみこと、嫡男の金剛丸です」

「父上様、初めてお目にかかります。文子ふみこと申します。これより、末永くよしなにお頼み申します」

 文子ふみこは金剛丸の肩に手を添えて、頭を低く下げた。

「うむ、聞いております。紀刑部卿きのけいぶきょう姫御前ひめごぜだそうじゃな」

 金剛丸は母、文子ふみこの元を離れたくて仕方ないようで、手を放すと駆け出した。

「幾つじゃ」

 金剛丸を目で追いながら、正儀は文子ふみこにたずねた。

「年が明け、三つになりました」

「そうか、三つか」

 元気に駆ける自分の孫を見て、正儀は久しぶりの家族の温かみにやされる。

 いつの間にか、金剛丸を見つめる正儀の背後に、徳子、正勝、正元、そして弟の正顕が立っていた。さらに、正儀に付き従った猶子ゆうしの篠崎正久、津田正信も集まる。かつて一緒に暮らした家族が、この日、再び一緒になったのである。


 一方、勝利を収めた山名氏清の動向である。一瞬の隙に楠木軍に逃げられた氏清は軍勢を率いて、北に進軍し、平尾城を取り囲んだ。

 山名軍が到着した時には、城は三十人ばかりの守備兵を残すばかりとなっていた。女たちも含め、城の者たちは、多聞丸や和田良宗らとともに、いち早く金剛山に向かって逃げていた。

 守備兵三十人は、城に籠城ろうじょうし、菊水の旗をなびかせて多数の兵が要るように見せかけた。

 城を見上げた氏清が、鼻で笑う。

「ふん、楠木は東条に逃げたのじゃ。ここに多数の兵を籠城ろうじょうさせる余裕などあろうものか。楠木の張ったりじゃ。者ども、おくせず進んで攻め落とせ」

 続々と城に攻め込む山名勢に、守備兵たちは逃げるしかなかった。山名の兵は難なく平尾城を占領し勝鬨かちどきをあげた。

 城の外で勝鬨かちどきを聞いた氏清は、近臣を呼び寄せる。

「城に火を放て」

「殿、占領せぬのですか」

 近臣は首を傾げた。

「ここは正儀の居城。奪還を目指されては面倒じゃ」

 そう言って、氏清がぎろりと目を向けた。すると、近臣は縮こまり、めいを伝えるために、その場から下がっていった。

 山名の兵によって平尾城に火が放たれる。白い煙が渦を巻くように高く舞い上がった。煙は、平尾より北が、楠木の支配でなくなったことを世間に知らしめた。


 平尾城が焼かれたことは、すぐに千早城の正儀らの耳にも届いた。

 館のくりやに繋がる板間。平尾城から来た女たちは、この知らせにすすり泣いた。そんな女たちの前で、徳子が立ち上がる。

「皆、悲しむことはありませぬ。館は再び造れます。城は再び取り返せばよいのです」

 動じることなく、徳子は一同を元気づけた。

 広間に向かっていた正儀は、そんな徳子の後ろ姿を目にして立ち止まる。自分がいない間、こうやって徳子が楠木家を支えてくれていたのだと悟り、改めて妻に感謝した。

 その思いに応じるべく、正儀は皆を広間に集めて決意を示す。

「皆、聞いてくれ。楠木の城が落とされたのはこれが初めてではない。下赤坂の城も、龍泉寺城も何れも二度も落城した。楠木館も二度も焼け落ちた。されど、その度に我らは城を奪い返し、館も再建して参った。楠木はこの河内に深く根を下ろしておる。山名ごときに引き抜かれることのない太い根じゃ。河内を再び我らの地とする事をともに誓おうではないか」

「そうじゃ。兄者の言う通りじゃ」

 正儀のかけ声に、楠木正顕が呼応し、男どもは気勢を上げた。


 正儀が山名氏清と戦って負けたという報は、南朝をも駆け巡った。帝(長慶天皇)が住む学晶山栄山寺の行宮あんぐうも、東宮とうぐう熙成ひろなり親王)が暮らす吉野山も、この知らせに騒然とする。

 この事態に、大納言の阿野実為さねためは、右大臣の吉田宗房むねふさに、密かに下市の寺に呼び出された。

 吉野山から、参議の六条時熙ときひろを伴って、寺に入った実為さねためは、食堂じきどうへと足を進める。中で二人を待っていたのは、宗房むねふさと、関白左大臣の二条教頼のりよりであった。

 実為さねためらが座ると、右大臣の宗房むねふさが、困惑した表情で口を開く。

「昨日、楠木正儀が山名氏清と戦って負けたという報がもたらされました」

「存じております。こちらにも一報が入りました」

 頷きながら、実為さねためが言葉を返した。

「幕府に身を投じたはずの正儀がなぜ山名と戦うのじゃ。親しかった貴公らであれば、の者の考え、わかるのではないか」

「おそらくは一族を、ひいては朝廷(南朝)を護らんがため」

 釈然としない宗房むねふさに、時熙ときひろが応じた。

 すると、憮然とした表情で、関白の教頼のりよりが首を傾げる。

「我らを護る……そのために幕府を裏切ったというのか」

「いえ、正儀は、幕府を裏切って我らの側に立ったのではありませぬ。幕府に居ても、終始一貫して我らの側であったのだと思いまする」

 時熙ときひろの応えに、教頼のりより怪訝けげんな表情を浮かべる。

「どういうことじゃ」

 すると、実為さねためが話を引き取る。

の者は、どこぞの節操のない日和見な武士とは違いまする。楠木が幕府に降ったのも、はなから我が朝廷のことを思うてのこと。今上きんじょうの帝(長慶天皇)が即位され、北畠卿(顕能あきよし)や亡き四条卿(隆俊)が朝廷で幅を利かせました。正儀は、もはや、この朝廷(南朝)から南北合一が成されないと悟ったのです。東宮とうぐう様(熙成ひろなり親王)のことを我らに託し、幕府の側から南北合一を推し図らんと幕府に降りました」

「なるほど……やはり、そうであったか」

 深く息を吐きながら、宗房むねふさは頷いた。

 しかし、帝(長慶天皇)によって関白の地位を得た教頼のりよりは、厳しい態度を崩さない。

「楠木正儀は、天野行宮あんぐうを幕府軍の先陣として攻めた。許しがたき悪行じゃ」

「あれは、東宮とうぐう様への践祚せんそを実現せんがため。正儀に、行宮あんぐうを本気で攻めるつもりなどありませなんだ」

 横に首を振って、時熙ときひろは訴えた。

 少し目線を上げた実為さねためが、宙を見るようにして、当時のことに思いを馳せる。

「左様……あの時、御上おかみ(長慶天皇)は、いったん譲位を決められました。されど、四条卿(隆俊)のめいを受けた和泉守(和田正武)が、東宮とうぐう様と我らの自由を奪い、主上しゅじょうとともに、賀名生あのうに連れてきたのです」

「そのことは、先の関白(兄、二条教基のりもと)より聞いておる。されど、もし、御上おかみが動座せず、幕府の求めをはねつけていたらどうなっていたか。結局、の者は、御上おかみがおわす行宮あんぐうに攻め入ったのではないか……現に四条内府ないふ(内大臣)は討たれたのじゃぞ」

 疑いの目で、教頼のりよりは応じた。

「それは、四条卿が一矢いっしむくわんと、残って夜討ちをかけられたからです。四条卿があのように切り込んでいかれるとは、誰も思いませなんだ」

「左様にございます。正儀は常に我らのことを考えておりました。南に兵を配さず我らの逃げ口を作っておりました。天野行宮あんぐうに残られた嘉喜門院かきもんいん様(阿野勝子)らを朝廷(南朝)にお戻しするのも、正儀の尽力があればこそです」

 時熙ときひろ実為さねための反論に、教頼のりよりは苦々しそうに、視線を外して口をつぐんだ。

 穏健な言葉遣いの宗房むねふさが、ゆっくりと頷く。

「なるほど、左様でありましたか……」

「南北合一まであと少しでございました。あの後、北畠卿(顕能あきよし)が橋本正督まさただを再び帰順させることがなければ、きっと正儀の大願は、果たされておったことでしょう」

 やるかたない表情で、時熙ときひろは下を向いた。

「このことで、和睦を進めていた幕府管領かんれいの細川頼之が失脚しました。後釜は御承知の通り、われらに対して強硬な態度の斯波しば義将よしゆきです……」

 軽く目を閉じ、実為さねためは正儀の心情を推し量る。

「……残念ながら正儀も手詰まりとなったのでありましょう。己の妻子が責められるとなり、ついに、表立って幕府へ反旗をひるがえしたのかと。己のみ生き長らえても仕方なしと……」

「なるほど……して、表だって幕府を裏切った正儀は、この後、どうするつもりであろう」

「右府様(右大臣/吉田宗房むねふさ)、それはこちらで考えてやるのが、これまで苦労した正儀に対する報いではありませぬか」

 実為さねためは、暗に正儀の南朝復帰を求めた。

「うむ、そうじゃな……」

 宗房むねふさはそう言って、隣の関白をうかがった。

 難しい顔を崩さない教頼のりよりだが、表だって反意を口にすることもない。帝の後ろ盾であった強硬派の北畠顕能が倒れたことで、時流が強硬派にないと感じ取っていたからである。

 教頼のりよりの態度を見極めた宗房むねふさは、小さく頷き、実為さねために顔を戻す。

「後は御上おかみ御心みこころであるが、いまや四条内府ないふ(内大臣)も亡くなられ、北畠准后じゅごう様も病に伏せておる。その北畠卿が頼りにされた橋本大輔だいぶ正督まさただ)は討死し、和田和泉守いずみのかみ(正武)も病じゃという」

御意ぎょい、もはや御上おかみの周りから、強硬派の傑物けつぶつらは取り除かれたも同然。御上おかみとしても、昔のような主張はできぬでありましょう」

 言いにくい言葉を、実為さねためが引き継いだ。

 だが、関白の教頼のりよりは、相変わらず、難しい顔を崩さない。

「はたして、御上おかみは楠木を許すであろうか……」

「そのときは、東宮とうぐう様(熙成ひろなり親王)へ御譲位いただき、我らが新たな御上おかみを御支えするしかございませぬ」

 毅然とした時熙ときひろの意見に、皆、沈黙し、互いの顔に目を遣った。


 摂津国正覚寺しょうかくじ村の交野かたの秀則は、河内平尾の戦で、楠木方にも、幕府方にも加わっていなかった。

 楠木大敗の知らせが館に届くと、秀則は娘のたつ三虎丸みとらまるを呼び寄せる。

「この二十四日のことじゃ。東条へ進軍した山名氏清の軍勢に対して、楠木の殿(正儀)はこれを防ごうと出陣。ついには戦となった。楠木軍は、一族六人、家人けにん百四十余人が討死するという大敗であったらしい」

 秀則の話を聞いて、たつは動揺する。

「殿様(正儀)は、御無事でしょうか」

「殿(正儀)が討ち取られておれば、もっと騒ぎになるはずじゃ。ひとまずは無事と考えるべきであろう」

 たつは心配そうな表情を浮かべる三虎丸みとらまるに顔を向け、安堵させるように頷いた。

「もう、これで、楠木の殿(正儀)は幕府を敵に回した。交野かたのの家を守るため、今後は楠木から使いが来ても追い返す」

「いくら楠木と縁を切ろうと、三虎丸みとらまるは楠木正儀の子でございます」

 厳しい言葉に、十一歳の三虎丸みとらまるが反発した。しかし、秀則は静かに首を横に振る。

三虎丸みとらまる、そなたの父は、今日をもって楠木正儀ではない。楠木正儀とは幕府に弓引く逆賊じゃ。そなたの父はすでに死んだものとして忘れるのじゃ。よいな」

 たつ三虎丸みとらまるにとって、あまりにも無情な言葉であった。だが、母子ははこだけで千早城に向かうこともできない。運命に抗うすべもない二人は、正儀と決別するしかなかった。


 関白左大臣の二条教頼のりより、右大臣の吉田宗房むねふさが大和五條の行宮あんぐうで帝(長慶天皇)に拝謁する。

 帝は傍らには、大納言の葉室はむろ光資はるすけを置いていた。これまでの強気の策がことごとく失敗に終わった帝は、失意のどん底にあった。後ろ盾の北畠顕能あきよしも倒れた今、帝を支える公卿は、この光資はるすけだけとも言えた。

 宗房むねふさが神妙な顔で口を開く。

御上おかみ、楠木正儀が幕府軍に対して反旗をひるがえし一戦交えました。一族一門のみならず、我が朝廷(南朝)のことを思うた義挙にございます。これを機に、の者に帰参を呼びかけてはいかがかと存じます」

 南朝の凋落ちょうらくですっかり気弱になっていた帝だが、正儀の名を聞いたとたん、険しい顔になる。

「その議はまかりならん。ちんは決して正儀を許すことはない。あの者は、裏切り者ぞ」

「さりながら、楠木は幕府に降ったとはいえ、常に朝廷(南朝)と幕府の和睦の道を探っておりました。忠臣ではありますまいか」

 宗房むねふさは正儀の功績を一つ一つ説明してみせた。しかし、帝は首を縦には振らない。

「二条関白も右府うふ(右大臣)と同じ考えであるのか」

 そう言って、教頼のりよりに視線を向けた。

 すると、終始、口を閉じたままの教頼のりよりが、ばつが悪そうに視線を落とした。

 その関白の態度を見定めて、宗房むねふさは意を決する。

御上おかみ、楠木の帰参は我らの総意でございます。我ら公卿くぎょうの総意を無視されては、まつりごとは成り立ちませぬ」

ちんの考えは変わらぬ。どうしても気に入らぬというなら、そちたちは行宮あんぐうを出て、吉野山へ向かうがよかろう」

 これに宗房むねふさが、教頼のりよりに目配せしてから話を切り出す。

「では、致し方ございませぬ。この先は、東宮とうぐう様(熙成ひろなり親王)を執柄しっぺいに立て、まつりごとを取り決めていただこうかと存じまする。御上おかみには、必ず結果を奏上させていただきまする」

 執柄しっぺいとは摂政せっしょうや関白の異名である。帝の同意が無ければ成れるものではないが、宗房むねふさが言うところの意味は、特に名称にこだわったものではない。公卿たちの合意で、朝廷のまつりごと熙成ひろなり親王に委ねるという意味である。

「なっ、何と。お言葉を慎みなされよ。例え右府うふ様(右大臣)とは言え、許されませぬぞ」

 顔を強張らせた光資はるすけが、そう言いながら、恐る恐る帝に顔を向けた。

「もうよい、民部卿(葉室はむろ光資はるすけ)。ちんが何を言うても無駄のようじゃ。勝手にするがよい」

 そう言うと、帝は立ち上がり、側近の蔵人くろうどを引き連れて奥へと隠れた。光資はるすけも、慌てて帝の後を追った。

 この日をもって、朝廷の実権は弟の熙成ひろなり親王に移る。

 すると、さっそく吉野山の東宮とうぐう御所より、千早城の正儀に、南朝への帰参を求める使者が遣わされた。


 うるう二月十八日(一三八二年)、正儀は、楠木正顕、楠木正勝、和田正頼に連れられ、千早峠を越えて吉野山に入った。そして、実質的な執柄しっぺいとなって朝廷の実権を得た東宮とうぐう熙成ひろなり親王の元へ参内さんだいした。

 正儀は御座所ござしょで、大納言の阿野実為さねため、参議の六条時熙ときひろに迎えられ、熙成ひろなり親王に拝謁する。

 傍らに、春宮権大夫とうぐうのごんのだいぶ花山院かざんいん師兼もろかねの姿もあった。

 春宮大夫とうぐうのだいぶとは、皇太子の家政を司る役所、春宮坊とうぐうぼうの長であり、言わば幕府でいうところの将軍執事のようなものである。執柄しっぺいとなった熙成ひろなり親王の元で、その存在感は俄然、増していた。

 その要職にある師兼もろかねは、新葉和歌集の撰定せんていに尽力した花山院かざんいん長親の弟で、高名な歌詠みでもある。出奔して行方をくらませた長親に代わり、花山院かざんいん家の家長となっていた。

 二間続きの下間に座って頭を下げる正儀に、師兼もろかねが声をかける。

「東宮様はお待ちかねであった。楠木殿、さ、こちらに」

 その声を待って、正儀は上間に進み、あらためて頭を下げる。

「宮様、おなつかしき御尊顔ごそんがんを拝し、この正儀、恐悦至極にございまする。それがしの力不足で、このような仕儀しぎとなり、不徳の致すところでございます」

 幕府を追われ、たくさんの一族郎党を討死させてしまった正儀は、その言葉通り、恥辱ちじょくを背負って、この場に来ていた。

「久しいのう、正儀。そちが幕府に降ったのも、この朝廷を思うておればこそ。阿野大納言(実為さねため)を通じて、なんじの心が痛いほどにも伝わって参ったぞ」

「もったいなきお言葉。それだけで、この正儀、報われた思いでございます」

「正儀には元の通り、左兵衛督さひょうえのかみとして、また河内・和泉の守護として、我らを助けてくれぬであろうか」

 満身創痍まんしんそういの正儀を気遣い、自ら帰参を求める熙成ひろなり親王に、正儀は胸を熱くする。

「承知つかまつりました。いのちに代えましても東宮とうぐう様の思いを実現させて御覧に入れまする」

 十三年ぶりに南朝に復帰した瞬間であった。

 師兼もろかね熙成ひろなり親王を残して御座所ござしょから出た正儀は、大納言、阿野実為さねための顔をうかがう。

「栄山寺の帝(長慶天皇)のご様子はいかがでありましょう」

「北畠卿(顕能あきよし)が病になってから、御上おかみはすっかり弱気です。ですが、かたくなに、楠木殿にはお会いになろうとはされませぬ。意地なのでしょう。お気に召されるな」

「げにも。大納言様の申される通りじゃ。気になされるな」

 そう言って時熙ときひろも頷いた。

「お心遣い、かたじけのうございます。されど、たとえそれがしが帝に憎まれようと、それがしの覚悟は決まっております」

 拳をぎゅっと握り、正儀は決意を新たにした。


 幕府は、反旗をひるがえした正儀に代え、新たな河内守護しゅごに畠山基国を任じた。

 基国は、正儀が幕府に降る以前、かつて幕府方の河内守護しゅごであった畠山国清の甥にあたる。国清は先の将軍、足利義詮によって追討されたが、畠山の惣領は弟の畠山義深よしとおの血統に移り、基国はその嫡男であった。

 これに驚いたのが、幕府軍を率いて正儀を平尾から千早へ追い払った、和泉守護の山名氏清である。

 氏清は、兄で紀伊守護の山名義理よしただを、和泉の守護館に招いていた。正儀との戦で援軍を寄越した義理よしただへの礼も兼ね、今後の河内支配について相談していた。その矢先、畠山の河内守護しゅごへの就任の話が伝わった。当然のごとく、氏清は顔を真っ赤にして激怒する。

「楠木正儀を平尾から追い払ったのはわしではないか。どこから畠山が出てくるのじゃ」

 氏清は下座からいきり立った。客として上座に腰を据えた義理よしただは、ううむと片手であごでる。

「おそらく将軍(足利義満)が山名を恐れてのことであろう。山陰から丹波、山城やましろ、和泉、紀伊と、いずれも我が一族の支配するところとなった。河内は大国じゃ。これ以上、山名を太らせることを恐れたのであろう」

 義理よしただは冷静だった。しかし、氏清の怒りは収まらない。

「されど、戦って手柄てがらを立てたのはわしらぞ」

「では、いっそ、南方みなみかたに帰参し、幕府に対して挙兵するか」

 兄の言葉に、氏清は憮然とする。

「落ち目の南方みなみかたに帰参して、何の得になる」

「であろう。まあ、今は辛抱せよ。今は大人しく力を蓄えるのじゃ。いずれ山名が天下に号令できる時が来よう。我らも将軍家と同様に八幡太郎(源義家)の血筋じゃ。最も足利ではなく新田の血筋ではあるがな」

 義理よしただは不敵な笑みを浮かべた。


 初夏になると、正儀らは金剛山の千早城を出て赤坂に戻った。

 新たに幕府から河内守護しゅごを命じられた畠山基国は、かつて、伯父の国清も居城とた石川河原の石川向いしかわむかい城に入っていた。東条の楠木党に睨みを効かせるのが目的であるが、長きに渡り楠木一族のものであった河内東条の支配は、そう簡単ではなかった。

 楠木正勝・正元の兄弟が兵を率いて石川に出没すると、土豪らが楠木に加勢して、石川向いしかわむかい城の基国を脅かした。

 この結果、基国は河内中部の若江まで撤退し、この地で、河内支配のための拠点作りに取り掛かるのであった。


 八月。千早城にかくまっていた和田正武の病は、回復の兆しを見せなかった。正武は、自らの死を悟っていた。千早を訪れ、病床を見舞った正儀に、正武が語りかける。

「討幕一辺倒だったわしが、居城を追われるはめになり、こうして千早城にかくまわれた。このような姿をそなたに見せることになろうとは、口惜しい限りじゃ」

 口とは裏腹に穏やかな顔つきであった。

「そうじゃな。わしも見ることになろうとは思わなんだ」

 冗談混じりに、正儀は言葉を返した。正武の元気な姿を、今一度、記憶に留めたいと思ったからであった。

「わしは後悔しておる。やはり三郎殿(正儀)とたもとを分かつべきではなかった。帝は京に戻れず、わしは和泉を奪われた。楠木にも迷惑をかけた。もし、三郎殿(正儀)の言う通りにすれば、帝は京にお戻りになり、そなたは河内・和泉・摂津住吉の守護として、わしは和泉の守護代として、平穏に暮らす事もできたやも知れん」

 その目はうるんでいた。正儀は、これを見て見ぬ振りを通し、言葉を返す。

「前にも言うたが、そんなことは誰にもわからん。新九郎(正武)殿がわしに同意してくれるのであれば、これからどうやって、君臣和睦、南北合一を進めるか、それを一緒に考えようではないか」

 すると、正武は口元を緩めて頷いた。

 しかし、それからほどなくして、正武は息を引き取った。

 かつての楠木軍の強さは、知謀の正儀と、武勇の正武がいてからこそである。その正武の死に、一門の者は不安の色を隠しきれないでいた。


 翌、弘和三年(一三八三年)三月二十七日、一時は大宰府を占領し九州を支配下に置いた征西将軍宮せいせいしょうぐんのみやこと懐良かねよし親王が薨去こうきょする。

 この二年前の六月、幕府が九州探題たんだいとして派遣した今川了俊りょうしゅん貞世さだよ)によって、菊池武朝たけともの拠点である隈部くまべ城と、良成よしなり親王(後征西将軍宮ごせいせいしょうぐんのみや)が籠る染土そめつち城は攻め落とされ、九州の南朝勢力は宇土うど城へと敗走していた。

 懐良かねよし親王は、九州の南朝勢力が衰えていく中で、筑後国ちくごのくに矢部の山中に追いやられる。そして、この地で病気のためにひっそりと息を引き取ったのである。

 南朝の強硬派の一翼を担っていた懐良かねよし親王と和田正武の死は、帝(長慶天皇)の気力を奪うには十分の出来事であった。


 同じ頃、正儀が南朝に帰参したことで、京で微妙な立場になりつつある者が居た。正儀の従弟、観阿弥である。

 正儀は観阿弥との血の繋がりをあえて言わないようにしていたため、幕府でそのことを知る者は、将軍、足利義満と、政所まんどころ執事の伊勢照禅(貞継)、そして、大方禅尼おおかたぜんにといった限られた者たちだけであった。

 その禅尼は先の幕府管領かんれい、細川頼之にくみした正儀を毛嫌いしていた。加えて、観阿弥と同じ顔を持つ聞世(服部成次)が花の御所に侵入した一件以降、不信の目を観阿弥にも向けていた。

 花の御所の奥座敷。義母である大方禅尼の元に、足利義満がご機嫌伺いにやってきていた。

 禅尼は征夷大将軍に臆することなく苦言を呈する。

「義満殿、裏切り者の楠木の血を引く観阿弥を、いつまでも御所の中に招き入れるのは、いかがなものでございましょうや」

「楠木……そういえば、観阿弥は正儀の従弟というておりましたな」

 義満は観阿弥の出自など、まったく無頓着であった。

「今更ながら、以前、御所に忍び込んだ観阿弥の偽物。あれはどう見ても観阿弥その者の顔でした。もしや、観阿弥自身が楠木が放った冠者ではありますまいか」

 大方禅尼は不審感をあおった。

 しかし、義満は気にする素振りを見せない。

「母上、観阿弥の大和音曲やまとおんぎょくは寝食を惜しんで、芸一筋に打ち込んだ者にしかできぬものでございます。その場で両方を見た者もおるのです。観阿弥が冠者などということはあり得ませぬ。それに、観阿弥の出入りを禁ずれば、藤若大夫(観世元清)はどうなりますか。まさか、藤若大夫をも疑っておられるのか」

「藤若大夫とて観阿弥の息子。楠木の血は流れておりますよ」

「それがしには、楠木の血が問題とは思えませぬ。観阿弥の偽物が忍び込むことが問題でございましょう。ならば、観阿弥のみ御所への出入りを禁止すればよいではありませぬか」

 義満は、観阿弥は兎も角、藤若大夫を手放したくはない。珍しく憮然とした表情を禅尼に返した。

 平素の義満は、実母の北向禅尼きたむきぜんに(紀良子)が嫉妬して家出するくらいに、義母の大方禅尼を立てていた。しかし、今日は全く引く素振りを見せない。

 一方、大方禅尼は、憮然とした義満を前にして、この先の、観阿弥と藤若大夫への対応を思案していた。

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