第 9 話 建武の乱

 建武二年(一三三五年)八月も終りの頃。幾度めかの大風が暑気と湿気を追い払い、雲を天高くに吹き飛ばした。気付けば、枯色のすすきが、狐の尾にも似た花穂かすいを、重そうに支えている。


 ここは楠木本城(上赤坂城)がある桐山の麓、赤坂と呼ばれる地に建つ楠木館である。

 戸を開け放った奥の間に、秋風が涼を運ぶ。中では、数え六歳の虎夜刃丸とらやしゃまるが、母、久子に読み書きを教わっていた。

 久子が虎夜刃丸の右手を後ろから支え、筆を走らせる。

「ほら、このようにすればよいのです。今度は一人で書いてみなされ」

「う、うん……」

 気乗りしない様子で、虎夜刃丸は右手で筆を持ち、母の字を真似た。しかし、筆跡ふであとは虫が這ったよう。文字というにははばかられた。

「母上、こっちの手で書いてもいい」

 言うや否や、筆を左手に持ち替えて、器用に筆を走らせる。

「ふうぅ、やっぱり、筆も左でしか持てぬのですね」

 息子の左利きを直そうとした久子が、溜息をついた。

 そんなに難しいものかと、自分でも利き手を替えて筆を走らせてみる。

「うぅん、なかなか難しいものですね。虎夜……あれ、虎夜刃丸……」

 ちょっと気を緩めた隙に、目の前から姿は消えていた。

「……こ、これ、待ちなさい。虎夜刃丸」

 慌てて久子が立ち上がる。

 縁側に出ると、ゆく手を塞がれて立ち往生する虎夜刃丸と、鉢合わせした恩地左近(満俊)の姿があった。

「奥方様、ちょうどよいところに。今、呼びに行こうとしたところです。さ、若様も」

 母子は、左近に追い立てられるようにして、広間に向かった。


 その広間には、上座に美木多正氏が腰を据えている。そして、その前には見知った二人の顔があった。

「お邪魔しております」

義姉上あねうえ、失礼しております」

 小波多こはた座の竹生大夫ちくぶだゆうこと服部元成と、その妻で楠木正成の妹、晶子あきこであった。

「あにじゃ」

「あにじゃ」

 晶子は数え三歳となる双子の息子を連れていた。

「やった、観世丸かんぜまる聞世丸もんぜまるじゃ。ちょっと待っておれ。遊び道具を持って来よう」

 そう言うと、虎夜刃丸は機嫌よく広間から出ていった。

 一方、久子は、正氏の傍らに座り、義理の妹に笑みを見せる。

「よく来られました。晶子殿も猿楽の興行に同行されるようになったのですね」

「はあ。されど、東国の戦の影響で、畿内も騒然としており、興行どころではなくなりました」

 下目遣いに、晶子が青い吐息を洩らした。

 すると、正氏が目代もくだいとしての真面目な顔を見せる。

「で、治郎(元成)、その東国の話は聞こえて来ておるか」

「はい、東国に向かった足利尊氏殿の元には、佐々木道誉どうよ殿をはじめ次々と諸将が集まりました。三河国矢矧やはぎで御舎弟殿(足利直義ただよし)と合流するときには、万を超える軍勢になっていたそうにございます」

 腕を組んだ正氏がううむと唸る。

「やはり、清和源氏の棟梁、足利尊氏の威名は絶大じゃな」

 朝廷は尊氏を征夷大将軍には任じなかった。だが、尊氏が京を出立した翌日に、形だけ整えるように征東将軍を任じていた。

「八月九日に、遠江とおとうみの橋本に討って出てきた北条軍を撃破すると、足利殿は勢いづいて、佐夜中山さよのなかやま、箱根、相模川で次々に北条軍を撃ち破りました。ついには八月十九日、鎌倉に攻め上がり、北条を駆逐して、再び鎌倉府を奪還したと聞いております」

 元成の話に、一同は息を呑んだ。

 久子は、尊氏一人が動いただけで、こうまで戦況が変わってしまうものかと、心底、感心した。

 続く元成の話では、北条軍を指揮した諏訪すわ頼重よりしげは、鎌倉の勝長寿院しょうちょうじゅいんで自害して果てたという。しかし、頭目とうもくとして担がれた北条時行と、叔父の北条泰家やすいえは、辛くも鎌倉を脱出したとのことであった。

 久子はほっと胸をで下ろす。

「とにかく東国の反乱も無事に収まり、京の殿(楠木正成)も一安心でございますね」

「だといいのじゃがな……」

 正氏は厳しい顔を崩さなかった


 そこに、竹で作ったとんぼや駒を抱えて虎夜刃丸が戻ってくる。

「えぇ……」

 目線の先には、晶子の脇で寝息をたてる観世と聞世の姿があった。

 いかにも残念そうな息子の顔に、久子が頬を緩める。

「旅の疲れでしょう。そっと寝かせてあげましょう」

「ごめんなさいね、虎夜刃丸殿。起きたらまた遊んでやってくだされ」

 申し訳なさそうに言葉を足す晶子だが、口元は可笑しそうに笑みを浮かべていた。

「う、うん」

 虎夜刃丸は尖らした唇を戻しながら、はっと思い出したように、元成に顔を向ける。

「そうじゃ、大塔宮おおとうのみや様(護良もりよし親王)はどこにられるのじゃ」

「それが、残念ながらわかりませぬ。このところ、宮様のお話はめっきり聞こえて来なくなりました」

 こども相手にも元成は困った表情を見せた。これに虎夜刃丸は、がっかりと小さな肩を落とした。


 足利尊氏は、北条討伐が終わっても京に戻らず、鎌倉府に留まっていた。そして、帝(後醍醐天皇)の勅許ちょっきょを待たずして、自らの裁量で武功を立てた者へ、足利一門の所領や北条方にくみした者の所領を恩賞として与えた。これは、源頼朝の真似というより、祖先、八幡太郎こと源義家みなもとのよしいえの故事に習ったものである。

 朝廷は尊氏のこの動きに困惑し、鎌倉へ勅使ちょくしを送った。


 紅葉前の深沈な緑に囲まれた鎌倉府庁。その広間で、下座に座った足利尊氏が、神妙に平伏している。さらに後ろには、舎弟の足利直義ただよしと、執事の高師直こうのもろなおも控えていた。

「賊軍の反乱を鎮めたるは喜ばしき限り。軍功については朝廷で取り仕切るゆえ、武蔵守(尊氏)は一刻も早く帰洛きらくされるよう」

 上座に迎えられた朝廷の勅使ちょくしは、勅書ちょくしょを読み上げた後、尊氏に改めて帰洛きらくうながした。

「承知つかまつりました。賊軍を討伐した今、この鎌倉に留まるわれはありませぬ。諸将の支度したくが整い次第、帰洛きらく致しますゆえ、主上しゅじょう(後醍醐天皇)におかれましては御安堵されますよう、よしなにお伝えくだされ」

 尊氏は、そう言って勅使ちょくしを喜ばせた。


 勅使ちょくしが広間を出ると、残った直義ただよし師直もろなおが尊氏に詰め寄る。

「兄者、まさか、本当に京に戻るのではあるまいな」

 怪訝けげんな表情で、直義ただよしが問い正した。

 尊氏は無表情に立ち上がると、先ほどまで勅使ちょくしが座っていた上座に腰を下ろす。

主上しゅじょうめいじゃ。支度したくが整えば帰洛きらくする」

 当たり前のように答える尊氏に、二人は驚きの表情を浮かべる。

「兄者、今、京に戻っては、朝廷に取り込まれる。ここに残って、源頼朝公のごとく、全国の武士に号令を出すのじゃ。兄者が武士を統率すれば、いずれ帝も、兄者を征夷大将軍として認めざるを得ないであろう」

「それがしも、御舎弟殿と同じ意見でござる」

 師直もろなお直義ただよしを後押しするが、頑として尊氏は首を縦には振らない。

主上しゅじょうの意に反して征夷大将軍と成っても詮無せんなきことじゃ。わしは帝に望まれて征夷大将軍に成り、帝のために、全国の武士に下知げちしたいと思うておる」

「兄者、あの帝が、望んで兄者を征夷大将軍にすることなど、あり得んことじゃ」

「そんな事はない。帝は、いや朝廷は、わしを必要としておる。東国下向の際には、必ず京に戻ると楠木殿にも約束した」

 説得に応じない尊氏に、直義ただよしは、ぎりっと奥歯を噛んで意を決する。

「朝廷に兄者の戻る場所はない。もう遅いのじゃ」

「どういうことじゃ」

「わしは北条時行に鎌倉を追われた際、淵辺ふちべ(義博)に命じて大塔宮おおとうのみや様(護良もりよし親王)をたてまつった。このことが明るみに出れば足利は討伐を受ける」

 一瞬、尊氏は直義ただよしが何を言っているのかわからなかった。頭の中で弟の言葉を咀嚼そしゃくする。

直義ただよしっ、それはまことか……宮様を三河の寺に移したというのは嘘であったというのか」

 思わず、がっと立ち上がり、尊氏は弟を詰問した。

 ばつが悪そうに直義ただよしが頷くと、崩れるように座り込み、片手で自らの顔を押さえた。

 師直もろなおはすでに聞いていたのか、慌てる素振りはない。成りゆきを見守るように、ただ、静かに二人に顔を向けていた。

「何と浅はかなことをしてくれたのじゃ」

「足利の、いや兄者のためを思うてしたことじゃ」

「お前がやったことは、この足利家を朝敵におとしめただけじゃ」

「それでも構わぬではないか。我らの思いを遂げるためには、いずれ朝敵も覚悟せねばならん」

 兄の怒りにも、弟は不遜ふそんに言い放った。

「そのようなことはない。帝と和を結び、帝の元で幕府を開く道を考えるべきであったのじゃ。少しの間…今少し時をおけば、武士のたばねが必要なことは、いずれ帝もおわかりになる」

「時をおけば実現するというものではない」

 直義ただよしの言いぐさに、尊氏が再び立ち上がる。

「もうよい。わしは寺に入り、宮様(護良もりよし親王)の菩提を供らう」

「お、御館おやかた様、お待ちを……」

 引き留める師直もろなおを振り払い、尊氏は大股で出て行った。


 翌日になっても足利尊氏の怒りは収まらず、近習を通じて、直義ただよしに隠居の意思が伝えられた。

 計算高い直義ただよしにとって、常にその計算を狂わせるのが兄であった。

「こうなってしまえば致し方なし。これより、わしが兄者に成り代わって足利を取り仕切る。師直もろなお、お前はどうする。兄者とともに寺に籠るか」

「それがしは足利家の執事にござる。もし、御舎弟殿(足利直義ただよし)が足利の棟梁に成るのなら、棟梁に従うまでのこと」

 普段から尊氏べったりであった師直もろなおの返事に、直義ただよしは気をよくする。

「よし、まずは我らが言い分を帝(後醍醐天皇)に訴えよう」

 勅使ちょくしの跡を追うように、直義ただよしは使者に奏状を持たせて京へ送った。


 内裏だいり勅使ちょくしが戻り、公卿たちを喜ばせた直後のどんでん返しであった。

 足利の奏状を受け取ると、参議、坊門清忠が疑心暗鬼のまま、新田義貞を内裏だいりに召し出した。

 御殿の一間で、千種ちぐさ忠顕・一条行房とともに、清忠が奇妙な表情を浮かべて、義貞を謁見えっけんする。

左衛門佐さえもんのすけ殿(義貞)、さっそくじゃが、足利より、貴殿を訴える奏状が届いておる」

「な、何と……」

 目を剝く義貞を前に、清忠が奏状の内容を伝える。

 一つ、新田の鎌倉攻めは足利の六波羅ろくはら討伐に乗じたもの。

 一つ、新田の鎌倉討伐の成功は足利千寿王の加勢あってこそのもの。

 一つ、此度こたびの北条残党追討の間、新田はただ京で讒訴ざんそいそしんでいた。

 奏状は、これらのことから君側の奸として、義貞を誅伐ちゅうばつすることを朝廷に求めていた。

 とんだとばっちり、いや、暴言といえる足利の奏状に、義貞は身体を震わせる。

「足利は、それがしに濡れ衣を被せようとしております。尊氏の狙いは、幕府を開いて日の本を己のものとせんがため。ゆえに、武力を持つ新田を朝敵として討伐し、朝廷が抗う力を取り除こうとしておるのです」

 その抗弁に、清忠はさもあらんと頷き、傍らの忠顕に視線を向けた。

「では、新田殿からも、足利の奏状に対する反駁はんばくの奏状を出されればよろしかろう」

 清忠の意図を汲んだ忠顕が、予めの段取りを伝えた。


 怒り心頭の新田義貞は、その日のうちに内裏だいりに書状を持参する。

 一つ、足利の六波羅攻めは名越高家の討死を機に朝廷に寝返ったにすぎない。

 一つ、足利の六波羅制圧は五月七日。新田の蜂起は五月八日。六波羅征圧を知り得るはずもなく、千寿王参陣も取るに足らない。

 一つ、六波羅を占領して勝手に奉行所を開き、護良もりよし親王の配下を捕え死罪とした。

 一つ、足利は鎌倉将軍宮かまくらしょうぐんのみや成良なりよし親王をないがしろにした。

 一つ、此度こたびの北条残党討伐で、足利は帝の勅許ちょっきょを得ずに恩賞を与えた。

 これを一つ一つ読み上げて、義貞は反論を行った。

「これらのことより、討たれるべきは足利であることは明白でございます。さらに、最も許せないのは、北条謀反むほんの混乱に便乗して、大塔宮おおとうのみや様(護良もりよし親王)を弑逆しいぎゃくしたことにございます」

「何、大塔宮おおとうのみや様が弑逆しいぎゃくされたじゃと……まことか」

 坊門清忠にとって初めて聞く話であった。

「つい先ほど、関東より知らせが届きました。受けた者はそれがしだけではありませぬ。御疑いなら、どうぞご確認いただければと存じます」

 義貞の話に、清忠は顔を蒼くし、千種ちぐさ忠顕と一条行房は言葉を失った。責任の一端は彼らにもあった。


 南河内の楠木館では、虎夜刃丸が関東の様子、特に護良もりよし親王の安否に気を揉んでいた。そこへ突然、楠木正成が多聞丸や恩地満一らを連れて京から戻ってくる。

 館に到着するや否や、小具足こぐそくを身に付けたままで、舎弟の美木多正氏、満一の父で家宰かさいの恩地左近ら親しい者たちを広間に集める。さらに久子はもちろん、子どもらまでも呼び寄せた。

 虎夜刃丸は、父からいつもと異なる気が漂っていることに気づく。多聞丸と満一も沈痛な面持ちで一言も発することなく座っていた。

 重苦しい空気に耐え切れず、久子が問う。

「殿、急なお戻りでございますが、いったい何が……」

大塔宮おおとうのみや様(護良もりよし親王)が関東で薨御こうぎょされた。足利尊氏の舎弟、直義ただよしが、鎌倉を追われた際に弑逆しいぎゃくしたとのことじゃ」

 その言葉に一同は息を呑んだ。

「しいぎゃく……」

いのちを奪われたのじゃ」

 兄、多聞丸の説明に、虎夜刃丸は耳を疑った。

 皆が言葉を失う中、虎夜刃丸が立ち上る。

「父上は……父上は、宮様の命まで取られることはないと、話しておられたではありませぬか」

「すまぬ、虎夜刃丸。尊氏殿ならばきっとそのようなことはないと信じておった。じゃが、舎弟の直義ただよしを甘くみていた。無念じゃ」

 厳しい表情を崩さず、正成は両の拳を握りしめる。怒りをどこにぶつけてよいか、わからないようであった。

 涙を浮かべる虎夜刃丸を、久子が手繰たぐり寄せて両腕で抱きしめた。

 言葉を失っていた正氏がやっと口を開く。

「どのようなお最期で……」

「鎌倉に送られた大塔宮おおとうのみや様は、土壁に覆われた寺の座敷に押し込められ、昼夜、監視のもとにおかれていたようじゃ。北条残党が鎌倉に攻め入った時、直義ただよしは、武芸に秀でた宮様に逃げられる事を恐れた。そこで、淵辺ふちべ何某なにがしという者に命じて首を取ったと聞いた。宮様は丸腰でも最後まで戦い、淵辺の刃先が折れたほどであったという」

 母に抱かれて泣き続けていた虎夜刃丸は、父の話に我慢できなくなる。その手を振りほどき、裸足のまま縁側から外へと飛び出した。

「虎、待て、待つのじゃ」

 すかさず、多聞丸も庭へと飛び降りる。そして、虎夜刃丸に追いついて、背中から抱きしめる。

「虎夜刃丸……」

「多聞兄者……なぜ宮様が死なねばならんのじゃ」

「うむ……きっと、父上がかたきをとってくれようぞ」

 そう言ってなぐさめる多聞丸に、顔をくしゃくしゃにした虎夜刃丸が振り向く。

かたき……」

「そうじゃ、かたきの足利を討つ。直義ただよしと尊氏の首をとってやるのじゃ」

 虎夜刃丸は兄の言葉にはっとする。

「尊氏殿とも戦うのか……」

 大きく頷く多聞丸に、虎夜刃丸は涙がいっそうあふれた。


 一方、広間では、引き続き正成が皆に向かって話を続けている。

「朝廷が面と向かって足利と戦えば、国中を巻き込む大戦おおいくさになる。わしは何とかこれを避けたいと思うておる。じゃが、ここに至っては、悠長な事も言っておられぬ。五郎(正氏)は、いつ、戦が起きてもよいように、兵と兵糧を集めるようにせよ。仔細は道々、考えてきた。後で話をする」

「承知した」

 兄、正成の目を見据えたまま、正氏はゆっくりと頷いた。

 そのかたわらに座る久子は、虎夜刃丸の様子に心を痛めつつ、自らの器量だけではどうすることもできない男たちの現実に、困惑の表情を浮かべた。


 京の内裏だいりでは、帝(後醍醐天皇)によって、先のごん中納言、四条隆資たかすけが召し出されていた。

 隆資たかすけは自らがほうじた護良もりよし親王が東宮とうぐう(皇太子)とならなかったことを遺憾として職を辞していた。その後、親王の側近であった息子の四条隆貞が、朝廷によって誅殺されたことで、深い悲しみの中にあった。

 内裏だいり奥殿おくでんにある障子越しに薄明りが差し込む一間。その一段上がった玉座に帝が座り、脇に蔵人頭くろうどのとう、一条行房が控えていた。

御上おかみにおかれましてはご機嫌うるわしゅう存じます」

「急に呼び立てをしてすまなかった」

此度こたびは、何事でございましょうや」

「うむ……」

 下座から無表情で聞き返す隆資たかすけに、帝が少し躊躇ためらいを見せる。

「……実は鎌倉で、護良もりよしが足利の手で命を奪われた」

「な、何と……」

 驚く隆資たかすけに、かたわらに控えていた行房が仔細を説明した。

 隆資たかすけは話を聞き終えると、その場で一縷いちるの涙をこぼす。それは、護良もりよし親王の側近として先に横死した我が子、隆貞に代わって流す無念の涙でもあった。

ちん護良もりよしのためにも、足利討伐を行わねばならん。そこでじゃ、隆資たかすけには、朝廷に戻って来てもらい、足利討伐の指揮をとってもらえぬであろうか。さすれば、護良もりよしの供養にもなろう」

「それがしに、足利討伐の指揮を……」

 言葉を詰まらせた隆資たかすけは、うつむき、少し思案してから顔を上げる。

「お引き受けさせていただきとう存じます。が、ひとつ、御上おかみにお願いの儀がございます」

「何じゃ、申してみよ」

 うながされた隆資たかすけであったが、傍らに座る行房を無言で一瞥いちべつする。

「行房、ちん隆資たかすけと二人で話をしたい。少し席を外すがよかろう」

「しょ、承知致しました」

 行房は一瞬、怪訝けげんな表情を隆資たかすけに見せてから、部屋を下がった。


 朝廷は新田義貞、名和長年、結城ゆうき親光ちかみつ、菊池武重、そして楠木正成ら主だった武士を内裏だいりに集める。

 ぴりぴりとした冷気が張り付める清涼殿せいりょうでんの一間に、参議の千種ちぐさ忠顕や坊門清忠ら公卿くぎょうのほか、ごん中納言に復した四条隆資たかすけの顔があった。足利追討の指揮は、左兵衛督さひょうえのかみに任じられた、この隆資たかすけに委ねられている。

 正成ら武士も、垂纓冠すいえいかんを被った束帯そくたい姿で、公卿くぎょうらの下に座った。

「足利尊氏の謀反むほんは明白。こうなれば、いかに逆賊足利を討伐するかじゃ。そのほうたちの意見を聞こう」

 清忠は、自らの責任から逃れるかのように、ことさら声高に足利討伐を主張した。

「足利は我が新田の所領まで、恩賞として従った武士どもへ与えているよし。それがしに朝廷の御旗みはたたまわれば、主上しゅじょう(後醍醐天皇)の御威光の下に、きっと尊氏・直義ただよし兄弟の首をあげてご覧に入れましょう」

 頼もしげな義貞の言葉に、公卿くぎょうや武将たちは満足げに頷いた。

 しかし、正成一人、表情を異にする。

「討伐ですが、ここで足利と戦うことは、日の本を二分する大戦おおいくさになりましょう。今一度、足利尊氏を京へ呼び戻すよう、勅使ちょくしを送ってはいかがでしょうか」

 意外な提案に、義貞は怪訝けげんな顔を向ける。

河内守かわちのかみ殿(正成)、今更、何を言うのじゃ。今、足利を討伐せねば、鎌倉の将軍府は足利の幕府となってしまおうぞ」

「そうじゃ。河内守殿はおくされたか」

 口調を合わせるように、結城ゆうき親光ちかみつも詰め寄った。

「それがしが得た知らせでは、大塔宮おおとうのみや様(護良もりよし親王)を弑逆しいぎゃくしたのは舎弟の直義ただよし。尊氏はこれを悔いて、寺に籠って菩提を弔っていると聞きます。今であれば、直接、尊氏を呼び戻せるのではないかと存じます」

 そう言って正成は、足利討伐の総指揮を任された隆資たかすけに目を向けた。

 だが、その隆資たかすけは、哀れむような表情で首を横に振る。

「正成、今更、詮無せんなきことよ。御上おかみも足利を討伐せよと仰せじゃ。こうなってしまっては足利討伐を留めることは誰にもできぬ。戦をせぬことではなく、いかに勝つかを考えようぞ」

 左兵衛督さひょうえのかみとして、正成の意見を封じた。


 十一月八日、帝(後醍醐天皇)は新田義貞率いる討伐軍を鎌倉へ送る綸旨りんじを発した。

 これに応じて四条隆資たかすけが、楠木正成、名和長年、結城ゆうき親光ちかみつ、さらには千種ちぐさ忠顕の、いわゆる三木一草さんぼくいっそうに京の守りを命じた。建武の乱の始まりである。

 綸旨りんじの十日後には、尊良たかよし親王をほうじた義貞が、公家大将の二条為冬ためふゆとともに京から鎌倉へ向けて出陣した。

 尊良たかよし親王は、楠木正成が赤坂城で挙兵した時に最初にほうじた帝の第一皇子である。赤坂城を脱出した後、幕府に捕縛ほばくされて土佐に配流はいるとなった。だが、土佐から九州へと逃れ、討幕の旗印として在地の武士たちに担がれた後、京へ帰洛きらくしていた。

 親王の母は、歌聖かせいうやまわれた藤原定家さだいえ(ていか)を祖先に持つ高名な女流歌人、二条為子ためこ。帝との間に第四皇子の宗良むねよし親王も儲けていた。

 公家大将の二条為冬は為子の弟で、尊良たかよし親王の叔父ということで選ばれた。為冬もまた、宮廷の温和な歌人であり、およそ討伐軍の大将としては似つかわしくなかった。


 新田義貞が京を発った四日後のことである。陸奥むつ将軍府を統治する陸奥守むつのかみ、北畠顕家あきいえが、鎮守府ちんじゅふ将軍に任ぜられ、足利討伐の綸旨りんじを受ける。

 先の北条時行の反乱で出陣の支度したくを進めていた顕家は、即座に奥州軍を率いて多賀城を進発した。

 朝廷は、京から東征する新田義貞と、奥州から進軍する北畠顕家とで、鎌倉の足利尊氏を挟み撃ちにしようとしていた。

 その奥州軍には顕家の父で、ごん大納言、北畠親房の姿もある。息子、顕家が率いる奥州軍が尊氏を討つことで、廟堂に復帰することを目論もくろんでいた。

 しかし、当の尊氏は、帝(後醍醐天皇)に恭順の意を示すため、もとどりを切って、薬師丸ら近習とともに、鎌倉の浄光明寺じょうこうみょうじに籠ったきりであった。


 十一月二十五日、兄、足利尊氏に代わって旗頭はたがしらとなった直義ただよしは、西から迫る朝廷の討伐軍を迎え撃つ。

 まずは執事、高師直こうのもろなおの舎弟で、猛将の高師泰こうのもろやすを三河国矢作やはぎ川に送った。だが、新田義貞に撃破され、討伐軍に目と鼻の先まで迫られる。

 朝敵となった足利軍の士気の低下は目を覆うばかりであった。その責任は当然、この戦に火を着けた直義ただよし自身が背負わなければならない。

 本陣とした寺の食堂じきどう。外から戻った師直もろなおが、いぶかしげな表情で直義ただよしの前に座る。

「御舎弟殿(直義ただよし)、御館おやかた様は我らの説得に応じず、出家すると仰せじゃ。如何されるおつもりか」

「ふん、出家したくばするがよい。わしが棟梁になって足利を率いる。者ども、参ろうぞ」

 詰め寄る師直もろなおにいらだちを覚えた直義ただよしは、ばっと立ち上がると、細川顕氏あきうじ・上杉重能しげよしら一門衆を引き連れて食堂じきどうを出て行った。

 一方の師直もろなおは、苦虫にがむしを噛みつぶしたような顔を見せ、くそっと手で敷板を叩いてから跡を追った。


 十二月五日、強い北風が吹くこの日、足利軍を率いて出陣した足利直義ただよしは、駿河国するがのくに手越河原てごしがわらで討伐軍を迎撃する。が、勢いある新田勢を止めることは叶わず、死を覚悟するほどの辛酸を舐めて敗走した。


 対する朝廷の討伐軍は、足利軍を追撃し、三島にある伊豆の国府を押えて陣を敷いた。

 国庁とする館の中。上座には眉目秀麗びもくしゅうれいの宮将軍、尊良たかよし親王が、その隣には窮屈そうに大鎧おおよろいまとう公家大将の二条為冬が座る。次席には新田義貞とその舎弟、脇屋わきや義助よしすけの姿があった。

 そして、皆に囲まれるようにして、新田家の執事、船田義昌に伴われた一人の男が、神妙にかしこまる。婆娑羅ばさら入道こと佐々木道誉であった。

 つい先ほどまで足利軍に同行していたはずの道誉に、義貞が冷たい視線を送る。

判官はんがん殿(道誉)、何しに参られた。足利の使いか」

左衛門佐さえもんのすけ殿(義貞)、何をしにではござらん。帝(後醍醐天皇)より、足利討伐の綸旨りんじが下ったのであれば、綸旨りんじに従い朝廷の軍に参じるのは当たり前ではござらぬか」

「貴殿は、足利方に真っ先に加わった足利の与力ではないか」

 義貞の罵倒にも道誉はまったく動じる素振りはない。

「それは、朝廷より征東将軍に任じられた足利尊氏に従ったまでのことでござる。これも当然のこと……」

 悪びれず、道誉は尊良たかよし親王に視線を合わす。

「……宮様、それがしはいつも帝の御意ぎょいで働いております。どうか、御信頼いただきますよう」

 その口上こうじょうに、親王が為冬に向けて軽く頷く。

 すると、意を汲んだ為冬が、道誉を手前に呼び寄せる。

「佐々木判官はんがん、そのほうの参陣を認めよう。期待しておるぞ」

「ははっ。この入道、死力を尽くしたいと存じます」

 大げさな身振りで頭を下げる道誉に、義貞は苦々しそうに、ふんと小さく鼻を鳴らした。


 佐々木道誉が朝廷側に走ったとの知らせは、足利直義ただよしに従っていた与力武将たちを動揺させる。これを受け、足利直義ただよしは、本陣を敷いた寺の中で、重臣たちと軍議を開いた。

「くそっ」

 気を荒立てる直義ただよしに、執事の高師直こうのもろなおが詰め寄る。

「御舎弟殿(直義ただよし)、道誉のせいで続く武将も出て参りますぞ。これでは戦になりませぬ」

「うぐぐ、道誉め。よくも裏切りおって……ちっ、兵を引くしかないか」

 その時であった。尊氏・直義ただよし兄弟の母方の従弟、上杉重能しげよしが、青くなって本陣に駆け込む。

「御舎弟殿、東に土煙が上がっております。何者かの軍勢が東から攻め寄せておりますぞ」

「何じゃと。もしや奥州軍ではあるまいな」

 直義が思わず腰を浮かせた。

 陣中に緊張が走る。陸奥むつ将軍府の北畠顕家に、足利討伐の綸旨りんじが下ったことは、一同の耳にも入っていた。

「御舎弟殿、いくら何でも奥州から駆け付けるには、ちと早すぎましょう。御味方かも知れませぬぞ」

 師直もろなお直義ただよしらを促して食堂じきどうを出ると、寺の裏山に入り、近づく軍勢を遠目に凝視した。

 重能しげよしも、額に手をかざして目を細める。

「あ、あれは、ふたきの旗印じゃ」

ふたき……そうか、兄者じゃ」

 ふと、直義ただよしに幼き日々が甦る。

 誰かと喧嘩をしても、道に迷っても、必ず兄が助けてくれた。兄の顔を見ると、もう大丈夫と安堵する自分が、いつもそこにいた。二人の関係は、あの頃と何も変わっていなかった。


 足利尊氏の出陣の効果は大きかった。道々で参陣する武将を吸収し、舎弟直義ただよしの元に駆け付けるまでには大軍となっていた。

 このことを知った討伐軍は、二手に分かれて進軍することを決する。

 一手は新田義貞が率いる本軍で、箱根峠から足利軍の正面を突いて鎌倉を目指す。もう一手は、宮将軍、尊良たかよし親王をほうじた公家大将の二条為冬が、足柄峠あしがらとうげに迂回して、尊氏不在の鎌倉に入るというものである。為冬は義貞の舎弟、脇屋義助を参謀に、塩冶えんや高貞、大友おおとも貞載さだのり、さらには足利軍から転じた佐々木道誉らの軍勢を従えていた。


 十二月十一日、足柄峠へ向かった宮将軍、尊良たかよし親王の軍勢の前に立ちはだかったのは、足利尊氏自らが率いる足利の本軍である。足利側も軍勢を二手に分けて進軍させていたのであった。

 ついに、両軍は竹之下たけのしたで激突する。

 搦手からめてとして進軍していた尊良たかよし親王の軍勢は、自軍よりはるかに多い足利本軍の出現に慌てふためいていた。戦経験がない二条為冬は、焦りの色を隠しきれない。それが兵たちにも伝染し、じりじりと兵が押し込まれていった。

 そんな中でも、脇屋義助は一歩も引かずに尊氏軍と刃を交わす。しかし、正面の敵軍に気を取られる脇屋勢の背後が騒がしくなった。

 後方より上がってきた兵を、義助がつかまえる。

「何事か」

「さ、佐々木道誉が裏切りました。佐々木京極軍が後ろから我らに矢を射かけております」

 ぎょっと義助が後ろに目をやると、佐々木京極きょうごく家の平四つ目結ひらよつめゆいの旗印が、土煙を巻き上げて味方の軍勢に襲いかかっていた。

 これを見た朝廷方の塩冶えんや高貞、大友貞載らも、次々と裏切って足利方に付く。すると、討伐軍は一気に崩れ、敗走が始まった。


 公家大将の二条為冬は、尊良たかよし親王をかばいながら義助に合流する。

「ここは麿が時を稼ぐゆえ、宮様(尊良たかよし親王)をお護りして、早く伊豆国府へ向かわれよ」

「二条様……」

「宮様を頼むぞ、兵庫助ひょうごのすけ(義助)」

 己の不安を見せぬよう、為冬は精一杯の笑顔を作り、義助の肩を叩いた。

 戦などしたことのない歌人の為冬であった。だが、甥である尊良たかよし親王を逃すため、自らが盾になる道を選んだ。

 為冬は、馴れぬ薙刀なぎなたを手に足利軍と戦う。しかし、勢いに乗じる足利軍に囲まれて、ついには自刃するのであった。


 一方、箱根では、新田義貞の軍勢が、家臣の篠塚しのづか重広しげひろや、九州の菊池武重らの活躍で、足利直義ただよし軍を押し込み、あと少しで決着が付きそうな状況であった。

 そこへ、血相を変えた新田家の執事、船田義昌が駆けつけて、自らの馬を義貞の馬に寄せる。

御館おやかた様(義貞)、大変でございます。竹之下たけのしたで宮様(尊良たかよし親王)の軍勢が足利の本軍と合戦になりましてございます。搦手からめて勢は佐々木道誉らの裏切りにも合い、二条左中将様(為冬)が御討死。御舎弟殿(脇屋義助)は、宮様を御護りして国府へ敗走しておるよし

「ぐぬぬ、やはり道誉か」

 勝利目前の義貞であった。だが、尊良たかよし親王を護らなければならない。無念の表情で、全軍に伊豆国府へ引き返すように下知げちした。


 新田義貞は、いったん伊豆国府で体制を整え、鎌倉に戻る足利軍を追って鎌倉へ討ち入ろうと考えていた。義貞には勝算があった。奥州から鎌倉に、北畠顕家が向かっていたからである。

 しかし、足利尊氏の非常識さに、義貞の思惑は外れる。

 尊氏は鎌倉へは引かず、兵糧もままならない中で、朝廷の軍勢を追撃するため、そのまま西に進みはじめたのである。

 思わぬ足利軍の追撃に、義貞は軍勢を立て直すことが叶わず、尊良たかよし親王を伴って京へ向けて敗走するしかなかった。


 数日後、木枯らし舞う暮六刻くれむつどきの京の町。ここは、四条猪熊いのくま坊門ぼうもんに構える楠木の京屋敷である。

 燭台しょくだいとも荏胡麻えごまあかりのもと、楠木正成が書状に目を落していた。

 その光に煽られた影が正成の顔を険しく見せる中、楠木正季まさすえがそろり伺う。

「で、三郎兄者、何と書いてある」

「足利軍が朝廷の追討軍を破ったそうじゃ。尊氏は新田殿(義貞)を追って京へ進軍しておる」

「何と。それをわざわざ兄者に知らせてきたのか。早馬で……」

 それは足利尊氏からの密書であった。

「尊氏は、此度こたびの戦は帝(後醍醐天皇)に対する謀反むほんではなく、足利と新田の私闘にしようとしておるようじゃ。そして新田を討った後、帝に恭順の意を伝えたい申してきておる」

「恭順の意とは信じられぬが」

 いぶかしがる正季まさすえに、顔を上げた正成が、ゆっくりと頷く。

「うむ、恭順というより、新田討伐を正当化して、帝と和を結び、征夷大将軍を迫るつもりであろう」

「ではやはり、北条の世が足利の世に変わるだけじゃな。して、兄者に何を求めてきておるのじゃ」

「尊氏はわしに、新田討伐に加わるように誘ってきておる。四国を丸ごとくれるそうじゃ」

 そう言って、書状を正季まさすえの前にそっとほおった。

 正季まさすえはこれを拾い上げて目を落す。

「ははは、気前がよいのう。それだけ三郎兄者のことが怖いということか……で、兄者はそれでも断ると」

「当たり前じゃ……大塔宮おおとうのみや様(護良もりよし親王)にも近い楠木は、赤松と同じで、朝廷でも立場が悪かろうと思うて誘っておるのであろう」

「とすると、赤松円心殿にも密書は送られているということか」

「そうであろうな」

「円心殿はどうされるかな。大塔宮おおとうのみや様を弑逆しいぎゃくした足利じゃ。宮様の側近であった則祐そくゆう殿は反対するであろう」

 書状に目を落したまま、正季まさすえは呟いた。

「されど、円心殿はどうかな。むしろ、足利より朝廷を憎んでおろう。我らは円心殿をも敵にせねばならんかもしれん」

 燭台しょくだいの炎に照らされた正成の顔には、うれいがゆらゆらと揺れていた。


 河内国、赤坂の楠木館が慌ただしくなった。京の楠木正成より、河内目代もくだいの美木多正氏の元へ、出陣のめいが下ったからである。

 さっそく正氏は河内・和泉の武士たちへ出陣を下知げちするとともに、兵糧や武具の手配を進めた。久子ら女たちもその手伝いで忙しく動き回った。

 あと半月、年が明ければ、数えで七歳になる虎夜刃丸も、兄の持王丸、従兄の満仁王丸まにおうまる・明王丸らと一緒に戦の支度したくを手伝った。

 薄暗い兵庫へいこから外へ薙刀なぎなたを運び終えた虎夜刃丸が、昼の光に細めた目を持王丸に向ける。

「父上は誰と戦うのじゃ」

「誰って……」

 一瞬、持王丸が言葉に詰まる。

「……足利尊氏に決まっておろう……お前、誰と戦うのかも知らずに戦の用意をしておったのか」

 あきれる兄を前にして、虎夜刃丸は下を向いた。

 知らないわけではない。状況が変わっていないか祈るような気持ちであった。虎夜刃丸にとって、護良もりよし親王と足利尊氏は特別な存在だからである。

 いつぞやの父の言葉を思い出す。

(虎夜刃丸も大人になれば、戦いたくもない相手と戦わざるを得ない事も出てくるであろう)

 本当に父は尊氏と戦わなければならぬのか。幼子は小さな心を痛めた。


 そのころ、朝廷にも討伐軍の敗戦が伝わっていた。

「まさか数に勝る討伐軍が足利に敗れるとは」

 内裏だいりの中では公家たちが、迫り来る足利軍におろおろと狼狽えていた。

 左兵衛督さひょうえのかみを任じられた四条隆資たかすけは、さっそく楠木正成、名和長年、結城ゆうき親光ちかみつら武士を内裏だいりに呼び寄せる。

 御殿の前の庭には、小具足こぐそく侍烏帽子さむらいえぼし姿の正成ら武士が控えた。殿上てんじょうには左大臣の鷹司たかつかさ冬教ふゆのりごん中納言の四条隆資たかすけ、参議、坊門清忠と千種ちぐさ忠顕ほか公卿くぎょうが並ぶ。そして御簾みすの向こうには帝(後醍醐天皇)が座った。

 千種ちぐさ忠顕が、目の前の武将たちを見渡した後、口火を切る。

「こうなれば、早々に新田に援軍を送り、討伐軍を立て直すべきと存じます」

 これに、即座に正成が反応する。

「恐れながら申し上げます。足利軍は敗走する新田殿を追いかけて西に進軍しております。されど、さらにその背後から、鎮守府将軍(北畠顕家)が率いる奥州軍が追いかけております。今、援軍を送って敗走する討伐軍を立て直すより、奥州軍を待って、一気に足利軍を叩くべきかと存じます」

 自分の意見を軽くいなされ、忠顕はむっとしてにらみ返す。

「河内守(正成)、それでは、京に逃げ帰る討伐軍を追って、足利軍も京に入ってくるではないか」

「それもやむを得ないかと存じます。いま、敗走する討伐軍からは逃げる兵が続出している状況でしょう。拙速せっそくに援軍を差し向けても、勢いに乗る足利軍との差は明確。一度、この流れを断ち切るには、足利軍を追って勢いがある奥州軍の力が必要です」

「せ、拙速せっそく……六波羅へも攻め込んだ麿の意見を拙速せっそくと申すかっ……」

 正成の説明に、若い忠顕は激昂する。

「……大塔宮おおとうのみや様(護良もりよし親王)の謀反むほんくみした赤松は去ったというのに、こうして楠木はのうのうと内裏だいりに出仕しておる。麿に戦を知らぬ者と愚弄ぐろうするなら、そちこそ恥を知らぬ者じゃ」

 威厳を傷つけられた忠顕は、感情のままに罵声を浴びせた。

「これはとんだ御無礼を」

 そう言って正成は頭を下げる。思わぬ難癖にも、正成は身分・官位の差から我慢せざるを得なかった。


「その、大塔宮おおとうのみや様のことで少々よろしいかな……」

 突然、足利討伐の責任者、四条隆資たかすけが口を挟んだ。

「……麿は思うところあり職を辞しておりました。されど、思いもよらぬ御上おかみおぼしで、意を決して朝廷に復し、左兵衛督さひょうえのかみを引き受けました。これはひとえに、弑逆しいぎゃくされた大塔宮おおとうのみや様の御無念を晴らさんがため」

 その語りに一同がざわつく。隆資たかすけにとっては、護良もりよし親王の一件でいのちを落とした息子、四条隆貞の仇討かたきうちの意味もあった。

「四条中納言様、いったい何を言わんとされておられるのか」

 話を折られ、忠顕は苛立いらだった。だが、無視して隆資たかすけが話を続ける。

大塔宮おおとうのみや様は、足利討伐と皇位簒奪さんだつの罪に問われて捕縛ほばくされ、鎌倉の足利直義ただよしの元に送られました。されど、足利討伐は今となっては先見の明ともいえましょう。あとは皇位簒奪さんだつということじゃが、はたして、確かな証拠はあったのであろうか」

「証拠は宮様の北条残党への挙兵と上洛をうなが令旨りょうじです」

 独り言のように呟く隆資たかすけに、忠顕は、そんなことも知らぬのか、といった態度で言い返した。

「その令旨りょうじ、足利から手に入れたように聞いておるが、いかがか。大塔宮おおとうのみや様を弑逆しいぎゃくするくらいの足利であれば、宮様を罠にかけるために、足利が偽令旨りょうじを作ったとも考えられる。詮議もせぬまま、誰が令旨りょうじを本物と扱ったのか」

 そう言って隆資たかすけが忠顕をぎろりと睨んだ。

 すると、忠顕が視線を外す。

「そ、それは、その折の状況で……」

「さらにおかしなことがございます。その証拠の令旨りょうじ、麿はさるお方からお借りして、大塔宮おおとうのみや様の筆跡と見比べました。じゃが、異なっておりました。宮様の側近で祐筆ゆうひつも務めたことのある麿の息子(四条隆貞)の字とも異なります」

「他の方にも祐筆ゆうひつはできましょう。それは、宮様の令旨りょうじでない証拠にはなりますまい」

「されど、当家の祐筆ゆうひつが、この令旨りょうじと同じ筆跡の書状を探し出しました。さる公卿くぎょう祐筆ゆうひつでありました。なぜ大塔宮おおとうのみや様の令旨りょうじが、その者によって書かれておるのか。さる公卿くぎょうとは……千種ちぐさ様、おわかりでございますな」

 追及に、忠顕の顔が青ざめる。

 事情を知る坊門清忠は終始、下を向いて、自分には関係のないことと、素知らぬ態度を通していた。

 御簾みす向こうの帝は、伝奏役の蔵人くろうどを通じて、意を左大臣の鷹司たかつかさ冬教に耳打ちさせた。

「四条中納言、もうよいでしょう。さて、千種ちぐさ卿、そなたに疑いが向けられた今、この朝議からは席を外すがよかろう」

「うっ……」

 冬教に退出を命じられた千種ちぐさ忠顕は、蒼白な顔を強張らせ、うなだれて席を立った。

 それは、この場の者たちには突然の出来事に見えた。だが、すでに帝と四条隆資たかすけとの間で話し合われていたことである。隆資たかすけが朝廷に戻るための条件でもあった。

 護良もりよし親王が東宮とうぐう(皇太子)に成れなかった事も、捕縛ほばくの憂き目にあったことも、隠岐派の陰謀であることははなからわかっていた。この度、事を荒立てたのは、忠顕を内裏だいりから追い出すのに、絶好の機会というだけのことであった。


「河内守(正成)、話が折れてすまなかった。足利討伐の続きを聞こうぞ」

 何事もなかったかのように四条隆資たかすけが、話の続きをうながした。

 楠木正成は御殿の上の争いに少し戸惑ったものの、背後の事情を察して話を元に戻す。

「では、あらためまして……」

 振り出しに戻って丁寧に戦略を説明した。面子や常識にとらわれない、正成らしい奇策であった。

 公卿くぎょうたちは、その戦略に面喰らう。名和長年ら武将たちも、互いに目配せしながら、どう判断したものかと悩んでいるふうであった。

 千種忠顕の更迭こうてつでは火の粉を被ることもなく、ひとまず安堵の表情を浮かべた坊門清忠だが、続く正成の話には露骨に嫌な顔を見せる。

「何とたわけた策じゃ。河内守は主上を、この都を、何と心得ておるのか」

 しかし、御簾みすの向こうの帝は沈黙したままである。

 ちらっと御簾みすに目をやって、隆資たかすけは腹をくくる。

「麿も河内守(正成)の策は正気の沙汰とは思えぬ。さりながら、その狂気が、元弘の折、鎌倉の幕府を滅ぼしたのじゃ。河内守(正成)の策は、堂々とした合戦を重んじる坂東ばんどう武者には思いもよらぬことであろう。だからこそよいともいえる」

「されど、四条様……」

左兵衛督さひょうえのかみとして、足利討伐の指揮を任されたのは、麿じゃ」

 食い下がろうとする清忠を無視して、隆資たかすけは決した。


 朝議で決すると、楠木正成は戦支度いくさじたくで南河内の楠木館に戻った。京に留まっていた多聞丸も一緒である。戦に巻き込まれないようにと、傅役もりやくの恩地満一ともども、河内に留めるためであった。

「殿、お待ちしておりました」

「父上、多聞兄者、お帰りなさい」

「お帰りなさいませ」

 早馬で知らせを受けていた久子が、緊張した面持ちで、虎夜刃丸と持王丸を連れて館の外で迎えた。

 馬から下りた正成が、口を真一文字にして久子に歩み寄る。

「うむ、すでに聞いておろうが、五郎に続き、明日、後発隊を率いて出陣する。慌ただしくてすまぬな」

 舎弟の美木多正氏は、正成と入れ替わるように、すでに先発隊を率いて楠木本城(上赤坂城)を出立していた。

「承知しております。和泉の和田正遠まさとお殿、橋本正員まさかず殿らも、明日、こちらに向かうと知らせが来ております」

「そうか」

 久子に応じながら、虎夜刃丸と持王丸、そして一緒に戻った多聞丸らとともに館に入った。

 広間では家宰かさいの恩地左近と居残った家臣たちが、頭を低くして主を迎える。

 正成は小具足こぐそく姿のまま、上座に腰を降ろすと、ゆっくりと皆の顔に目をやった。

 すると、その時を待っていたかのように、多聞丸が思いつめた様子で正成の前に進み出る。

「父上、お願いの儀があります」

 あらたまった息子の態度に、正成は一瞬、小首を傾げ、久子に目をやってから、再び多聞丸を見据える。

「いったい何じゃ」

「明日の出陣、私めも連れて行っていただきとうございます。それがしに初陣をお許しください」

 一瞬、驚いた正成だが、すぐに険しい表情を返す。

「駄目じゃ。戦の相手は足利ぞ。生き死にをかけた厳しいものになるであろう。お前が初陣を飾るような戦ではない」

「前から考えておったのです。それがしもこの正月がくれば十四歳。初陣を飾っても、おかしくない歳です」

「駄目じゃ。まだ早い」

 父の態度はかたくなであった。

 母はそれだけ、今度の戦が厳しいものだと理解した。

 子どもながら、虎夜刃丸も空気を察する。

「父上、今度の戦は負けるのですか」

 幼子ゆえの明け透けな言葉に、正成は困り顔を浮かべる。

「楠木は負ける戦はせぬ。勝てるように策は考えておる。されど、相手は足利じゃ。簡単にはいかぬ」

 重苦しい雰囲気の中、久子が顔を上げる。

「勝つ見込みがあるのならば……いえ、勝てないまでも負けぬのであれば、多聞丸を連れて行ってやっていただけませぬか」

「お前まで何を言うのじゃ」

「足利殿との戦は厳しいものとなりましょう。なればこそ、今のうちに殿の戦振りを多聞丸に見せてやりとうございます」

 母としての心情は複雑であった。最悪のことも頭をよぎる。しかし……だからこそ、武家の女として、多聞丸に父の戦を見せておかなければと思った。

「母上、ありがとうございます」

 多聞丸は申し訳なさそうに頭を下げると、改めて正成に向き直す。

「父上、再度、お願い申し上げます」

 正成は難しい顔を崩さず考え込んだ。

 すると、持王丸と虎夜刃丸も前に進み出る。

「父上、わしからもお願い申す」

「お願いじゃ。多聞兄者を連れていってくだされ」

 頭によぎるうれいを外に出すかのように、正成が大きく息を吐く。

「まずは元服が先じゃ。時はない。すぐにこの場に用意せい」

「あ、ありがとうございます」

 多聞丸は、ほっと胸を撫で下ろし、頭を下げた。

 虎夜刃丸は持王丸と手を取り合って、自分のことのように喜ぶ。

 そして久子も、不安を心の奥に隠し、ひたすら笑顔をつくろった。


 恩地満一ら家臣たちと、きよら侍女たちが慌ただしく元服の支度したくに走った。そして、広間に用意が整うと、ただちに元服式が執り行われる。

 虎夜刃丸は、久子と持王丸、家臣の満一らと一緒に、多聞丸の儀式を見守った。

 菊水の紋が染め抜かれた濃いあい直垂ひたたれに袖を通した多聞丸が、皆の前で畏まる。この日のために、久子が用意していたものであった。

 満一の父で家宰かさいの恩地左近が進み出て、多聞丸の頭に侍烏帽子さむらいえぼしを被せる。

「それがしが烏帽子親えぼしおやなどとは……たいへん光栄ですが、若様に申し訳けなく……」

 突然のことで、名のある人物はおろか、楠木正季まさすえや美木多正氏さえも居なかった。自分が烏帽子親えぼしおやとなったことに、左近はひどく恐縮していた。

「いや、左近。幼き頃よりわしを見守ってくれたそなたに烏帽子親えぼしおやになってもらえたことは、生涯の自慢になろうぞ」

「若様……」

 思いやりのある多聞丸の言葉に、老いた左近は、その乾いた目をうるませた。

 正成が、いみなしるした書き物を掲げて皆に見せる。

「多聞丸、今日からそなたは楠木太郎正行まさつらと名乗るがよい」

正行まさつら……父上、ありがとう存じます。立派な武将となるよう精進しょうじん致します。一同、御引き立てのほど、よしなにお願い申す」

 多聞丸改め太郎正行まさつらは、高揚した顔で皆に頭を下げた。

 久子は目頭を押さえる。

「太郎、おめでとう。立派な姿です」

「多聞兄者、おめでとう」

「いや、今から太郎兄者じゃ。おめでとうございます」

 虎夜刃丸と持王丸も、その顔に笑みをたたえて兄の元服を祝った。

「皆、ありがとう。初陣で手柄てがらを立てて参ります」

 決意を口にする息子に、父は厳しい顔を向ける。

「お前は手柄てがらなど立てなくてよい。この初陣で重要なことは、後ろから戦の差配をよく見ておくことじゃ」

 正成は、正行まさつらはやる気持ちをぴしゃりと押さえた。


 先発隊を率いて出陣した美木多正氏が宇治に到着した。

 迎えるは、末弟の楠木正季まさすえである。

「五郎兄者(正氏)、待ちかねたぞ。三郎兄者(正成)より、ここに大急ぎで砦を築くように命ぜられた」

 正季まさすえの話に、正氏はぐるっとあたりを見渡した。宇治川の向こうに平等院が建つ平地ひらちである。手前には、申し訳程度の低い丘があった。

「こんなところに砦じゃと。まったく兄者の考えることは……」

 あきれ返る正氏に、正季まさすえも同調する。

「まったくじゃ。三郎兄者の頭の中はどうなっておるのであろうのう」

「ふふ」

「ははは」

 二人は顔を見合わせ、声を上げて笑った。


 翌日、楠木正成が率いる楠木の後発隊が、楠木本城(上赤坂城)から出立した。従うは嫡男の正行まさつら傅役もりやくである恩地満一の他に、和泉の一門、和田正遠まさとお、橋本正員まさかずらの面々である。

 龍泉寺城の館の前には、手を振って楠木軍を見送る虎夜刃丸の姿があった。母の久子、兄の持王丸、家宰かさいの恩地左近も一緒である。

 隣に立つ持王丸に、虎夜刃丸が不安げな表情を向ける。

「持王兄者、父上は勝てるのであろうか」

「もちろんじゃ。父上が負けるわけがなかろう」

 そう言って、虎夜刃丸の肩を軽く叩いた。能天気な素振りは、幼い弟を気遣ってのことであった。


 足利軍に対する京の守りは、東の瀬田せたに名和長年を配置。結城ゆうき親光ちかみつは洛中に陣を敷いて京の東口を固める。さらに護良もりよし親王の一件で職を辞して剃髪した千種ちぐさ忠顕が、名誉挽回にとばかり、自ら志願して山科やましなに陣を張った。

 正成は、足利軍が守備の堅い京の東を避けて、南から洛中らくちゅうに侵攻するであろうと予見していた。そのため、宇治川を挟んで北岸に陣を布き、川を渡ろうとする足利軍を食い止めることにしていた。


 朝廷方に緊張が走る中、足利軍に追われた討伐軍が名和長年が陣を張る瀬田せたに到着する。

 新田義貞は、ここで一息ついて軍の体制を整えた。そして、瀬田せたは長年に任せ、京の西を守るため、宇治川の北岸に沿って、男山八幡と川を挟んで対峙する大渡おおわたりに向かう。さらに、その北にある山崎の守りを舎弟の脇屋義助に命じた。


 建武三年(一三三六年)正月一日、冬雲に覆われた灰色の宇治に足利軍が現れる。足利尊氏は宇治でいったん兵馬を休め、宇治橋を渡って京に入ろうとしていた。

 しかし、到着した尊氏は、馬上で息を呑む。

「な、何じゃ、これは……」

 南岸は、見る影もない焼け野原。宇治の象徴である平等院も焼け落ち、わずかに鳳凰堂ほうおうどうのみが、ぽつんと取り残されていた。

 馬を並べる足利直義ただよしも、呆然とあたりを見渡す。

「これでは、寝所はおろか、兵糧や武具も調達できぬぞ」

「われらをここに留め置かないようにするためであろう。こんなことを躊躇ちゅうちょなくやる者といえば……」

 尊氏はほぞを噛んだ。

 自ら馬を駆って物見ものみに出ていた執事の高師直こうのもろなおが、宇治川から戻ってくる。

御館おやかた様、宇治橋が落されておりますぞ。それと宇治川の北岸には砦が築かれ、菊水と非理法権天ひりほうけんてんの旗が無数に舞っております」

「そうか……やはり、楠木が守るところに出くわしたか」

 尊氏は楠木との戦いを避けたいと思っていた。それは楠木軍が手強いだけでなく、正成と敵対したくないからである。

「兄者、考えている暇はなかろう。相手が誰であろうが、邪魔立てする奴は討つだけじゃ」

 直義ただよしは、馬を尊氏に寄せて鼓舞した。

 宇治川南岸を焼野にしたのは、足利軍をここに留めないようにするための正成の策である。ただ、それは予想だにしない広がりをみせてしまう。火は折からの風にあおられて平等院にまで類焼し、鳳凰堂のみ残して燃え落ちたのであった。


 北風が小休止すると同時に戦が始まる。先に仕掛けたのは足利軍であった。

「皆の者、川の中を進め」

 高師直こうのもろなおの弟、高師泰こうのもろやす下知げちするが、一月の水は身が凍るような冷たさである。兵たちは互いに顔を見合わせて躊躇ちゅうちょする。

 と、師泰もろやすが激怒して刀を抜く。

「何をしておる。我がめいに従わぬ奴は、この場で切って捨てるぞ」

 あまりの迫力に、兵馬がいっせいに川を渡りはじめた。

「うわ」

 川中を先駆けした騎馬兵が、馬ごともんどり打つ。続く兵馬も次々によろけ、川中で足利軍が立ち往生した。

「どうした、いったい何が起こっておる」

 南岸から、この様子を見ていた足利直義ただよしが叫んだ。

「申し上げます。川中には綱が張ってあり、兵馬のゆく手を阻んでおります」

 先発した兵が戻って、足利尊氏と直義ただよしに報告した。川には無数の杭が打たれ、あちらこちらに綱が張られていた。

 これに対し、足利の兵たちは馬を降りて、宇治川をそろり渡りはじめる。そして、何とか宇治川の北岸にたどり着くと、楠木の砦に攻め掛かった。


 その砦は、宇治川沿いの少し高くなった丘の上に造られていた。河内で作ってから運び入れたへいを四方に張り巡らせ、その中にやぐらを立てていた。

 足利の兵は、宇治川を渡った者から順次、この砦に向けて矢を射かける。しかし、急ごしらえの塀は存外に堅牢で、付け入る隙はなかった。

 砦の中からは、楠木正成、正季まさすえ、美木多正氏の三兄弟と、初陣の正行まさつらが、敵の様子をうかがう。

「相手は少数じゃ。よく狙えよ。よし、今じゃ」

 正季まさすえ下知げちで矢が放たれると、足利の兵たちは次々に倒れていく。川の中には、いまだ多くの兵たちが綱に足をられて右往左往していた。このため楠木軍は、少しずつ川中を抜けて砦に取り付く敵に、効率よく矢を放てばよかった。

 やぐらの上に登った正行まさつらが、敵兵の動きを確認する。

「父上、敵が川下から宇治川を渡っております」

 その声に正氏が進み出る。

「よし、わしが行こう。そんなことではここを突破できぬという事を、思い知らせてやる」

 そう言うと正氏は馬を駆り、兵を率いて川下に走った。

 やっとの思いで川を渡った足利の兵たちであったが、正氏が率いる楠木の兵に切り込まれ、川中に押し戻された。


 再び吹き始めた北風を頬に受けながら、しばらく両軍の戦いを見守っていた足利尊氏は、舎弟の足利直義ただよしと執事の高師直こうのもろなおに振り返る。

「楠木正成、やはり簡単には通してくれぬか。師直もろなお上野介こうずけのすけを呼んで参れ」

 尊氏は師直もろなおに、上野介こうずけのすけこと畠山はたけやま高国を呼びに行かせた。

「兄者、いかがするつもりじゃ」

 その場を離れる師直もろなおを目で追いながら、直義ただよしがたずねた。

「楠木に睨みを利かせるために上野介こうずけのすけをここに残す。そして、我ら本軍は西に進み、新田の陣を叩いて入洛する」

「なぜじゃ。兵の数は圧倒的に我らが勝る。千早と違い、落とせない砦でもあるまい」

「いや、ここでもたもたしておれば、楠木軍とともに、上洛してくる奥州軍をも相手にせねばならなくなる」

「なるほど……」

 直義ただよしは、顎をさわりながら頷いた。

「それに、戦の出口も探らねばならん。このまま楠木と北畠(奥州軍)を相手にここで戦えば、我らは主上しゅじょう(後醍醐天皇)を相手に戦っていることになる。勝ったところで、どのように決着させるのじゃ。此度こたびの戦は、あくまで、主上しゅじょうの元での足利と新田の私戦にせねばならん」

 尊氏は、いまだ朝敵になる事を恐れていた。


 翌朝、楠木正行まさつらやぐらに登って足利軍の様子をうかがっていた。

 一月の風は冷たい。やぐらの上は尚更である。正行まさつらは、かじかんだ手に白い息を吐きながら敵の動きを監視した。

 しばらくして足利軍が動いた。

「敵が西へ移動しております」

 大声でやぐらの上から父、楠木正成に伝えた。

 正成は宇治川の対岸に目を向ける。

「うむ、やはり、そうきたか」

「奥州軍の到着まで、この砦を攻め続けてくれることを期待しましたが、さすがは足利尊氏でございますな」

 楠木正季まさすえは感心して呟いた。

 すぐさま、正成は恩地満一を呼び寄せる。

「足利の狙いは新田じゃ。義貞殿に知らせよ」

「承知つかまつりました」

 満一は足利軍よりも早く、新田の陣まで馬を走らせた。


 正月九日、男山の北、大渡おおわたりで足利尊氏の本軍と新田義貞の本軍が衝突する。義貞は楠木正成と同様に、淀の橋を落し、冷たい川の中に杭を打ち、縄を張って足利軍の進軍を阻んだ。

 一方、淀川を挟んで北の山崎に布陣した舎弟の脇屋義助は、西から進軍してきた細川定禅じょうぜんと衝突する。足利の家臣で土佐守護の定禅じょうぜんは、任国の土佐から四国の兵を引き連れて、京を目指して進軍していた。

 これに加勢するのが、朝廷に不満を持って播磨国佐用荘さようのしょうに戻っていた赤松円心である。嫡男の範資のりすけを出陣させて、四国から到着した定禅じょうぜんの軍に加えた。

 大渡おおわたりの義貞と、山崎の義助は、足利軍をよく防いだ。しかし、山崎を攻める細川定禅じょうぜんと赤松範資のりすけの勢いはすさまじく、東国から着いたばかりで戦う羽目になった義助の軍勢を押しはじめた。そして、ついに朝廷側のの防衛線を破って京へ突入する。

 一方、大渡おおわたりで尊氏と対峙していた義貞は、山崎の戦況が伝わると、挟み撃ちを恐れて、あっけなく兵を引いた。


 正月十一日、新田の防衛線を破った足利尊氏が京に入る。朝廷方の諸将は多少あらがう素振りを見せるも、すぐに洛外らくがいへと撤退した。

 足利軍は悠々と洛中らくちゅうを進軍する。

「新田の屋敷を焼き払え」

「手向かう者は容赦をするな」

 高師直こうのもろなお師泰もろやす兄弟の、ふてぶてしい怒声が響き渡った。

 尊氏は、加茂の河原近くに陣を敷く。

「ここで、主上しゅじょう(後醍醐天皇)の勅使ちょくしを待つことにしよう」

「あとは兄者(足利尊氏)が和睦の条件として、征夷大将軍を要求するだけじゃ。これで幕府が開ける。我らの願いがやっと叶った」

 感慨深げに直義ただよしが応じた。

 尊氏らは、京さえ押さえれば、帝は必ず和を乞うてくると信じて疑わなかった。


 朝廷側の主だった武将は、兵を率いて洛外らくがいにあった。洛中らくちゅうに残されたわずかな武士は、次々に足利尊氏に降参を申し出る。その中に、三木一草さんぼくいっそうの一角、結城ゆうき親光ちかみつの姿もあった。

「武蔵守殿(尊氏)にお伝えあれ。もはや勝敗は決し申した。それがしは降参し、足利殿の軍門に下る所存にござる。どうか、足利殿に御取り次ぎを」

 郎党を連れた親光ちかみつは、足利の陣に参じ、悲壮な表情で声を張った。

 降参の申し出は、陣中の尊氏・直義ただよし兄弟の元に伝えられる。

「そうか、結城殿が参じてくれたか。これで我が意を主上しゅじょう(後醍醐天皇)へ伝え易くなる」

 尊氏は、帝のお気に入りである三木一草、結城ゆうき親光ちかみつの投降を素直に喜んだ。

 しかし、直義ただよしは異なる。

「兄者、待たれよ。帝に親しい結城が、真っ先に我らの元に参じるというのは少々せん。まずは、結城にも近い肥前守ひぜんのかみに真意を探らせてみよう」

 寛大でお人好しの尊氏に対し、直義ただよしは慎重かつ疑り深い。だが、尊氏も特段、否定する理由もなく、仕置きは直義ただよしに任せることとした。


 大友おおとも肥前守ひぜんのかみ貞載さだのりは、先の足利討伐では討伐軍の一翼であった。新田義貞の揮下で東海道を下り、足利軍と対峙した。しかし、竹之下たけのしたの合戦で佐々木道誉の裏切りを目の当たりにすると、塩冶えんや高貞ら諸将とともに尊氏に寝返り、京まで付き従っていた。

 未だ、兜に具足ぐそくを纏ったままの姿でひざまづき、平身低頭で尊氏を待つ親光ちかみつの元に、貞載が現れた。

 顔をよく知る貞載は、表情をやわらげて親光ちかみつを迎える。

「結城殿、よくぞ、足利殿の元に参じられた」

 親光ちかみつ怪訝けげんな表情を貞載に見せる。

「尊氏殿は……」

「いろいろと忙しいようで、御舎弟殿より、それがしが応対を仰せつかった」

「来られぬのか……」

 直接、尊氏に会えないことが、如何にも残念といった顔であった。

竹之下たけのしたで足利殿に加わったことで、裏切り者と肩身が狭かった。じゃが、結城殿に加わってもらえば、わしも助かる……」

 そう言って貞載は笑みをたたえる。

「……戦も終わった。さ、兜をお脱ぎあれ」

 貞載が近付いて手を差し伸べた時であった。

 親光ちかみつが突然、抜刀して貞載に襲い掛かる。

「朝敵め。大友の裏切り、許すまじ」

 ―― ざぐっ ――

「う、うぅ……」

 貞載は首を切られ、その場にひざを付いた。

 それを合図に、親光ちかみつに同行した郎党十七名が、いっせいに周りの武士に切り掛かり、足利の陣中で大立ち回りが始まった。

「何事か」

 騒ぎを聞き付け、尊氏・直義ただよし兄弟が駆け付けるも、すでに親光ちかみつらは、壮絶に戦い、討ち取られた後であった。

 しかし、尊氏の声に反応したのか、突っ伏していた親光ちかみつが、いき絶え絶えに、血で赤く染まった顔を上げる。

「……朝敵尊氏と刺し違えられなかったのが……一生の不覚じゃ」

 そう言うと、睨み付けたまま絶命した。

 今更ながら尊氏は、自身が朝敵として扱われていることに、呆然自失に立ちすくんだ。

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