第10話 君臣和睦

 建武三年(一三三六年)の正月。この日は、金剛山から赤坂に向かって吹き降ろす風に、時折、小雪が混じっていた。ごうごうと音を立てるその風は、知らず知らずに、みなの心に不安を駆りたてていく。

「母上……父上は勝ったのであろうか」

 年が明けて虎夜刃丸は数えの七歳。風の音に耐えきれず、つい、不安が口をついた。

「きっと、大丈夫ですよ」

 心配する末っ子に、久子が繕い物をしながら応じた。

 一見、普段と変わらぬ母だが、今日は何度も誤って針を指に刺し、痛いと言っては繕いの手が止まっていた。

 いまだ、京の様子は赤坂へは伝わっていない。正成のみならず、初陣へと送り出した正行まさつらの安否が気掛かりであった。

 そこにばたばたと、次兄の持王丸が、家宰かさいの恩地左近(満俊)を伴って現れる。

「京からの早馬じゃ。足利尊氏が新田義貞殿を破って京に入ったと」

「え、父上は……」

 驚いて虎夜刃丸が立ち上がった。

 心配する弟に、持王丸がゆっくりと頷く。

「御無事じゃ。洛外らくがいにおられる」

 その言葉に、隣の母とともに、ほっと息をいた。

 しかし、戦の結果がよくわからない。

「では、父上は負けたのか」

 息を呑む虎夜刃丸に、今度は左近が首を横に振る。

「殿の戦はこれからにございます」

「これから……」

 幼い虎夜刃丸には、まだ、その意味はわからなかった。


 正月も十一日、京を占領した足利尊氏は、内裏だいりからほど近い賀茂の河原近くに陣を張り、朝廷からの勅使ちょくしを待っていた。だが、それはいっこうに現れない。

 まず、しびれを切らせたのは、舎弟の直義ただよしである。

「朝廷は、我らが頭を下げて参内さんだいするのを待つつもりか」

 白い息を吐きながら、ぴりぴりと気を散らした。

「それでことが収まるのなら、それでもよいではないか。何れにせよ、主上しゅじょう(後醍醐天皇)に弁明せねばならん」

 この期に及んで帝を立てる尊氏に、直義ただよしが苛立ちを見せる。

「兄者、弁明は後じゃ。我らが先に頭を下げては、征夷大将軍は叶わぬ。是が非でも、朝廷が頭を下げて、我らの元に勅使を送ってくるようにせねば」

 直義ただよしは渋る尊氏を説き伏せ、朝廷が勅使ちょくしを送ってくるよう仕向けるため、一軍を率いて陣を出ていった。


 内裏だいりを囲った直義ただよしであったが、半刻もせぬうちに血相を変えて戻ってくる。

「大変じゃ、兄者。内裏だいりはもぬけの空じゃ。主上しゅじょう(後醍醐天皇)はおろか、公卿くぎょうや女房衆(官女たち)もらぬ」

「誰もらぬとはどういうことじゃ」

「それが、下働きの者を捕まえて問いただしたところ、帝は公卿くぎょうらを伴って比叡山に動座したそうじゃ」

「何、我らは、主上しゅじょうも、敵将も……誰もらん京に入ったということであったか」

 尊氏は天を見上げた。これでは、この戦を足利と新田の私戦として朝廷に認めさせることは不可能であった。


 さらに尊氏は、次なる試練に見舞われる。

 禁制きんぜい(狼藉禁止の命令書)を無視して兵が寺社に押し入り、食料を略奪する事例が続けざまに報告され、尊氏を苛立たせた。

 これに、執事の高師直こうのもろなおが、渋い顔で説明に現れる。

御館おやかた様、原因は兵糧が調達できぬことです」

「どういうことじゃ」

洛中らくちゅうのあちらこちらの米蔵を当たりましたが、中身は朝廷に買い上げられて洛外らくがいに運び出されておりました。さらに洛外らくがいに通ずる全ての街道と水路は、楠木が関所を設けて食い物が入って参りませぬ」

 楠木と聞いて、尊氏ははっと気がつく。

「しまった。宇治を焼き払ったのも、そういう事か」

 怪訝けげんな表情で師直もろなおが首を傾げる。

「どういうことにございますか」

「正成は、我らが入洛するのを前提に策を立てておったのじゃ。まずは、宇治で我らの兵糧調達を阻止しておき、洛中らくちゅうの兵糧をあらかじめ買い占めた。そして、外からも兵糧が入らぬように関所を設けた」

「は、はあ……」

「さらに主上しゅじょう公卿くぎょう、つまりは朝廷そのものを比叡山に移した。急にこれだけの対応はできまい。あらかじめ巧妙に練られた策じゃ。我らは楠木の策にまって、まんまと洛中らくちゅうに誘い入れられた」

「な、なるほど」

 話を聞いて師直もろなおは、改めて正成の知略に畏怖いふの念を抱く。と同時に、排除しなければならない敵として認識した。


 正月十四日、足利尊氏が京を占領してから三日後のことである。ついに、北畠顕家あきいえ率いる奥州の強者つわものどもが、怒涛の勢いで近江の瀬田せたに雪崩れ込んだ。。

 近江には、奥州軍に抗ずるためにと、足利軍から分かれた佐々木道誉どうよが陣を布いていた。また、足利の勇将、細川定禅じょうぜんが、山科やましなに布陣した千種ちぐさ忠顕を駆逐して三井寺(園城寺)まで出張っていた。

 しかし、顕家は瀬田せたに布陣していた伯耆守ほうきのかみ、名和長年と合流し、手はじめに三井寺の定禅じょうぜんを攻撃する。そして、あっという間にこれを追い落とし、洛外の山科やましなへと兵馬を進めた。

 近江で奥州軍を迎え撃つはずであった佐々木道誉は、結局、自軍を動かすことはなく、ただこれを見送るのみであった。


 春先の山科やましなに、突然、小雪が舞い始めた。北国から最後の雪風を連れて来着した奥州軍を、宇治から陣を動かした楠木正成が迎える。

鎮守府ちんじゅふ将軍様(北畠顕家)、それに、大納言様(北畠親房)までも。遠路、お疲れさまでございました」

 馬から下りる北畠親子に、正成が深く頭を下げた。

 奥州統治は、父、親房の深謀遠慮な計略の上に、若い顕家の行動力が成しえたものであった。

「楠木か。今はどのような状況か」

 才気煥発さいきかんぱつな十九歳の顕家に、正成はあらましを説明した。

 その隣では、長征の疲れを溜め込んだ親房が、生気なき目を正成に向ける。

「そうか、結城ゆうき判官はんがん親光ちかみつ)が死んだか。無駄死にじゃな」

 結城ゆうき親光の父は、この奥州軍で主力を成す結城ゆうき宗広。にも関わらず、言の葉をはばかることはなかった。

 学者でもある親房は、三木一草さんぼくいっそうと呼ばれる面々を卑下していた。慣例を破って身分を問わず重用ちょうようする帝(後醍醐天皇)の施策は、世の中の秩序を乱すと思っていたからである。

 かねてより、親房は旧来の秩序の中から新たな世を創る必要性を説き、その推進者は、自らが氏長者うじちょうじゃを勤める村上源氏を於て他にないとの考えであった。

「足利尊氏に入洛を赦してしまいましたが、これも策のうち。此度こたびの策に付いて御説明致します」

 朝廷のいくさ奉行のように振る舞う正成のさまに、親房は不快な表情で顕家に目をやる。

 だが、その顕家は、正成に向けて大きく頷く。

「よし、河内守かわちのかみ(正成)、聞こう」

 息子は父より、よほど柔軟であった。


 その日から楠木正成は、北畠顕家、新田義貞、名和長年らの諸将と、洛外らくがいから果敢に洛中らくちゅうに討って出る。特に顕家が率いる奥州の騎馬兵は宮方みやかたに絶大な力を与えた。

 しかし足利尊氏は、兵糧も底を尽きかけている不利な状況にもかかわらず、宮方の軍勢を押し戻す。足利軍は、新田義貞の懐刀ふところがたなである執事の船田義昌を討死させるほどの奮戦を見せた。

 対する楠木軍は、内裏だいりの北東にある一乗寺いちじょうじに布陣して、果敢に足利軍を牽制した。


 足利と戦った楠木正季まさすえが、悔しそうな顔つきで自陣に戻る。

「ううむ、坂東ばんどう武者の騎馬が厄介じゃ。我らが騎馬は少数、とても太刀たち打ちできぬ」

「ならば、あれを使おう」

 何かをひらめいた正成は、美木多正氏も呼び寄せて、弟たちに策を授けた。


 再び、歩兵を率いて正季まさすえと正氏が出陣する。

「父上、大丈夫でございましょうか」

「太郎、まあ、見ているがよい」

 そう言って、正成は隣で心配する嫡男、楠木正行まさつらの肩を叩いた。


 二人の弟が指揮する歩兵は、手に手に身の丈を越えるほどの大きな楯を持っていた。

 その兵たちに向けて、正氏が怒声を張る。

「足利の騎馬がくるぞ。盾を持った兵を前に押し出せ」

「よし、盾を繋げるのじゃ」

 続く正季まさすえ下知げちで、兵たちは盾と盾とを繋げて壁を造る。盾は木をめ込めば繋がるように工夫されていた。横に順々に繋げていけば簡単に城壁のようなへいが構築できる。この盾は、あらかじめ河内で作って宇治に持ち込み、砦を造るときに使ったものであった。

「よし、敵の騎馬に。矢を放て」

 正氏のかけ声で、後ろの兵に肩車をされた二列目の兵が、足利の騎馬武者を目掛けて散々に矢を射かけた。

 東国の騎馬武者たちは、突如出現した城壁に驚き、手綱たづなを引いて馬を止める。そこへ矢を射かけられ、多くの武者が騎馬から崩れ落ちた。この盾は、足利の騎馬武者を止めるのに、おおいに役立った。


 楠木正成に触発されたのか、新田義貞も奇策を持って足利に立ち向かった。

 新田の兵たちは少数に分かれて足利軍に潜入する。そして、大将の尊氏に近づくと、頃合いを見計って新田のもん、丸にひときの旗を掲げた。

 すると、足利方は大混乱におちいり、足利尊氏はかろうじて窮地を脱出するという辛酸をなめた。


 朝廷方が足利相手に攻勢をかける中、楠木正成は新田義貞や北畠顕家ら宮方の諸将に使いを送った。

 奥州軍の陣には、伝言を託された恩地満一が入る。

「申し上げます。我が主、河内守(正成)からの言伝ことづてにございます。戦況は宮方有利にも見えますが、いずれも御味方の被害が思ったより大きく、これ以上、攻め続ければ、我らの被害も甚大でございます」

 これに、北畠顕家も頷く。

「まさにそうじゃ。では、河内守(正成)はどうせよという」

「ここは、いったん兵を洛外らくがいにお引きいただければと存じます。さすれば、我が殿には策があります」

「策とはどのようなものか」

 若く好奇心旺盛の顕家は、満一の話を身を乗り出して聞いた。

 顕家のみならず、新田義貞や名和長年なども、正成の策に同意し、その日のうちに洛中らくちゅうから兵を引き上げた。


 二月初め、梅の花が舞う楠木館に、小波多こはた座の竹生大夫ちくぶだゆうこと服部元成と、妻の楠木晶子あきこが、こどもらを伴ってやってくる。

義姉上あねうえ、お喜びくだされ。兄上(正成)が足利尊氏を京から追い払いました」

 館のかまちを跨ぐなり、晶子が大声を上げた。

 すると、奥からは虎夜刃丸が飛び出してくる。

「父上は勝ったのか」

「そうですよ、虎夜刃丸殿。勝ったのですよ」

 晶子のうれしそうな表情に、虎夜刃丸は飛び上がって喜んだ。

 虎夜刃丸が、晶子と元成らを広間に連れて行く間に、久子、持王丸、恩地左近らがぞくぞくと集まる。

「皆、御無事でしょうか」

「兄上も太郎殿も、満一殿も、みんな無事です」

 答える晶子の笑顔に、久子の不安げな表情が和らいだ。

 一同が安堵したところで、左近が元成にひざを詰める。

「それで、戦はどのように勝ったのでござるか」

「はい、楠木軍への繋ぎとして同行させた一座の者の話では、義兄上あにうえは、僧侶に扮した配下を三十人ほど仕立て、京のあちらこちらに立たせたそうにございます……」

 息継ぎもせず、元成が続ける。

「……そして、洛中らくちゅうで北畠様(顕家)、新田殿(義貞)、そして義兄上あにうえ(正成)が亡くなったと触れ回らせました。供養のために亡骸なきがらを探しているというていで」

「父上(楠木正成)は、赤坂城の時と同じように、死んだと見せかけたのか」

 なるほどと持王丸は腕を組んで感心した。

 しかし、虎夜刃丸には、それがどんな意味を持っているのか、まだ理解できていない。息を呑んで話の続きを待った。

「比叡山に陣を動かした義兄上あにうえは、次の日、山の東の住人らを西に連れてきて、夜、松明たいまつを持たせて東に歩かせました」

「兵が東に逃げて行くように見せかけたのですね」

「その通りです、義姉上あねうえ。足利軍は、朝廷側の大将たちが亡くなったために、兵たちが逃げ出したと思ったようです。すると、朝廷の軍勢を追撃すべく、足利は、兵たちが去った方向に大軍を差し向けました」

 軍勢を指揮して追討に向かったのは足利直義ただよしであった。敗軍を追討すれば、比叡山に逃げた公卿くぎょうたちは震えあがり、朝廷は和睦を求めてくるであろうと考えてのことである。しかし、帝(後醍醐天皇)の近くに軍を出すことを尊氏に反対されると思い、直義ただよしは独断で兵を率いた。

 虎夜刃丸が待ち切れずに身を乗り出す。

「それで、どうなったの」

「はい、足利の大軍が釣られて内裏だいりの北を空けたことで、義兄上あにうえは、再び洛中らくちゅう一乗寺いちじょうじに陣を戻しました。そして、北畠様や新田殿とともに、賀茂河原で足利尊氏の本軍と戦いました」

「それで、賊軍は負けたということですね」

 安堵の表情で久子が問い返した。

「はい、義兄上あにうえは、楠木正成ここにありと、ことさら自分の名を五郎殿(正氏)や七郎殿(正季まさすえ)らに連呼させたそうにございます」

 得意満面の元成に、感心した左近が大きく頷く。

「なるほど、死んだはずの殿が生きていたとなれば、足利方に動揺が走るということですな。それで、足利方は」

「叡山を東に向かった足利の軍勢も、騙されたとわかって慌てて引き返してきましたが、時すでに遅し。足利の本軍からは敗走する兵が出はじめ、最後は丹波口から逃げていきました」

 勝ち戦に、久子と侍女のきよは手を取り合った。

 一同が浮かれる中、虎夜刃丸には気掛かりがあった。

「それで、尊氏殿は……」

 恐る恐る元成にたずねた。皆が逆賊と呼ぶ尊氏のことを密かに気に掛けていた。一節切ひとよぎりを吹いてくれた人懐ひとなつっこい顔が忘れなかったからである。

「それが、残念ながら取り逃がしました」

「生きているのか。忌々いまいましい尊氏め」

 吐き捨てるように、持王丸が口にした。

 しかし、虎夜刃丸は小さく安堵する。が、幼いながらもその場の空気を察し、心のうちを皆に悟られないようにした。


 足利の残党狩りを行う楠木軍は、いまだ一乗寺の陣を解いていなかった。

 本陣とした食堂じきどうの中、楠木正行まさつらは、上座に腰を下ろす父、楠木正成の顔をしげしげと見る。

「父上の策が、次々に的を射て、怖いくらいです」

「太郎(正行まさつら)よ、わしはただ時流じりゅうを見ておるだけじゃ。これに逆らわずに策を立てる。それが上手くいく秘訣じゃ。時流じりゅうが負けを示しておれば、いくらわしでも策は立てられぬ」

 正行まさつらは首を傾げる。

時流じりゅうを見るとは……」

「世の動きをよく見澄みすますことじゃ。目の前の敵将は何を考えておるか。焦っておらぬか。敵兵に不満は生じておらぬか。兵糧は足りておるか。京の人々はどう考えておるか……世情を集め、今の戦局の流れを考えてみる。そこに、少しの力を与えて戦局を変えるのじゃ。もともと何かのきっかけがあれば必然にそうなるべきことは多い。それをつかむことじゃ」

 敬畏けいいする父の言葉は重いものであった。

「それがしにもできますでしょうか」

「それはわからん。世情を集めることはできても、それを読み解くには力が必要じゃ。その力は持って生まれた才と日々の心掛けが半々じゃ」

 父の言葉に、正行まさつらは顔を強張らせる。

「もし、それがしに、その才がなければ……」

「読み解く力がなくば、才ある者、何事にも目ざとい者を探し、手元に置くことじゃ。じゃが、信頼足りうる者でなければならん」

「信頼できて目ざとい者……」

 なぜか正行まさつらは、いつも不思議な出来事に導かれる末弟、虎夜刃丸の顔を思い浮かべた。


 京を追われた足利尊氏は、丹波国たんばのくに曽地そちの土豪、内藤入道道勝みちかつに迎え入れられていた。ひとまず尊氏は、この地で散り散りとなった軍の立て直しを図ることとする。まずは、道勝の館で主だった諸将を集めて軍議を開いた。

 飾り気のない板間で、舎弟の足利直義ただよし項垂うなだれる。

「すまなかった。兄者にはからずに比叡山に軍を進めたわしの失態であった」

 直義ただよしは、足利家の執事、高師直こうのもろなおらの厳しい視線にさらされていた。

「今更、お前を責めても元に戻るわけではない。時流じりゅうは我らになかったのじゃ。これから先のことを考えようぞ」

 尊氏も楠木正成同様に時流じりゅうを読むのが上手かった。ただし、情報を集めて分析する正成と異なり、尊氏のそれは直感的なもので、神がかっていた。

御館おやかた様、これからいかに。いま一度、京に攻め込みますか」

 師直もろなおに問われた尊氏は、迷わず首を横に振る。

「京には向かわぬ。兵庫に出て円心入道(赤松円心)と合流しよう。そこで我が軍を立て直す。入道殿に使いを送ろう」

 この後、尊氏はこの地の磯宮いそのみや八幡神社で必勝を祈願し、丹波から摂津国せっつのくに兵庫ひょうごに向けて進軍した。


 足利尊氏が敗走したことで、帝(後醍醐天皇)は比叡山を下り、内裏だいりに戻った。そこに、北畠顕家あきいえ・新田義貞・名和長年らとともに、楠木正成が召し出される。

 殿上てんじょうには左大臣の近衛このえ経忠つねただをはじめ、右大臣の洞院とういん公賢きんかた、その息子でごん中納言の洞院とういん実世さねよ左兵衛督さひょうえのかみで尊氏追討の責任者であるごん中納言、四条隆資たかすけ、参議の坊門清忠らが居並んだ。

 しかし、顕家に伴って奥州から勝手に京に舞い戻ったごん大納言、北畠親房の姿はない。帝から出仕を求められなかったからである。

 小具足こぐそく姿の正成たち諸将は、廟堂びょうどうの端の縁側に座る。唯一、従二位じゅにいである顕家のみが公卿くぎょうの席に座っていた。

 御簾みすを上げて顔をさらした帝が、正成らに語りかける。

「そなたたちの活躍で、逆賊を京から追い払うことができた。あっぱれであった」

「ははっ、お誉めの言葉をたまわり、恐悦に存じます」

 縁側からは、官位の高い新田義貞が代表して応じた。

 殿上てんじょうでは、坊門清忠が半開きの扇で口を隠しながら笑みを浮かべる。

「ほほほ、御上おかみを比叡山に御動座いただき、京の兵糧を買い集めるとの河内守(正成)の献策を聞いた時は、どうなる事かと思いました。されど、北畠中将が奥州の軍を率いて駆け付けてくれたお陰で命拾いしました」

 これに、洞院とういん実世さねよが続く。

「まずは兵たちも疲れておることであろう。休ませてやるがよい」

 実世さねよは、足利討伐で鎌倉に兵を率いて中山道なかせんどうを進んだ。が、東海道での新田義貞の敗戦を聞き、慌てて京へ戻ってきたところであった。

洞院とういん中納言様(実世さねよ)、まずは、勝利の酒宴でございましょう」

 上機嫌な清忠は、今度は口を隠さずに笑った。

 公卿くぎょうたちの、勝ち戦に浮かれた状況に、正成は危機感が募る。

「恐れながらが申し上げます。兵を休ませたいはやまやまなれど、今は休息をとっているときにあらず。足利を討伐するのであれば、今を持って他にはありませぬ。尊氏に味方する者は多く、放っておけば直に軍勢を立て直すことでしょう」

「ふっ、やはり、武士は戦が好きよのう」

 せっかくの労いの言葉を無視された実世さねよは、ふてくされたかのように言葉を吐き捨てた。洞院とういん家は、摂関家せっかんけに次ぐ清華家せいがけの家格を有する名門である。己の出自に強く自負を抱く公卿くぎょうであった。

 しかし、実世さねよの発言には、義貞や長年らも顔をしかめる。

 武士だけではない。顕家が冷たい視線を投げてから、床に手を突く。

「申し上げます。麿は河内守(正成)の申し出は的を射ておると思うております。軍勢に余力があれば、ただちに追討すべきと存じます。ただ、我が奥州軍に限っては、休む間もなく奥州から馳せ参じ、馬も兵も、束の間の休養が必要でございます」

 顕家の奏上を聞いた義貞も両手をつく。

「我が軍勢も、竹之下たけのした、箱根から引き返し、大渡おおわたり、山崎の戦と休む間もなく戦っております。そのうえ、京の賊軍残党を放っておくわけにも参りませぬ」

「されど……」

 主力を率いる二人に、正成が説得を試みようと口を開いた。

 しかし、四条隆資たかすけが割って入る。

「河内守の申すことは最もなことじゃ。されど、鎮守府ちんじゅふ将軍(北畠顕家)らの申し分も動かしがたい事実。ならば、京の賊軍残党は伯耆守ほうきのかみ(名和長年)に任せ、まずは河内守が先発を。少し休養をとってから鎮守府将軍や新田左衛門佐さえもんのすけ(新田義貞)が後発として出陣してはどうじゃ」

 縁側に座る一同は、隆資たかすけの折衷案を受け入れる。正成も従わざるを得ない。反意を胸の奥にしまい、その場に両手をついた。


 足利尊氏は摂津国兵庫にて、播磨国佐用荘さようのしょうから出てきた赤松円心に迎えられた。

 尊氏は、舎弟の足利直義ただよし、執事の高師直こうのもろなおを伴って、赤松が陣を敷く寺に入り、上座を空けて待つ円心の前に座る。

「入道殿(円心)、よう来てくだされた」

「足利殿、戦は時の運もございますれば、決して気を落とす事なく、ここで再起を御図りくだされ」

 円心は利害で動いていた。たとえ自らがほうじた護良もりよし親王を弑逆しいぎゃくした直義ただよしを目の前にしようと、眉ひとつ動かさずに我慢した。己を冷遇した朝廷と、播磨守はりまのかみとして播磨を手中に収めようとする新田義貞に対抗するためには、尊氏の元に参じるしか選択肢はなかった。

 しかしこれには、護良もりよし親王の近臣であった三男、赤松則祐そくゆうとの間で、親子の葛藤があったことは、言うまでもない。

「入道殿、かたじけない。されど、新田義貞との私戦になるはずであったこの戦は、この足利が朝敵として覆せないありさまとなってしもうた」

「将が弱気になっては勝てるものも勝てませぬぞ。されど、確かに、足利殿が朝敵となれば、御味方する諸将に戸惑いが生じましょう。ならば、足利殿も朝廷の御旗みはたのもとで、朝敵と戦ってはいかがか」

 その申し出に、尊氏は一瞬思考が固まる。

「朝廷の御旗みはたとはいったい、どういうことにござる」

主上しゅじょう(後醍醐天皇)が隠岐から帰って帝に復されるまで帝であった持明院の君(光厳こうごん上皇)とて、まぎれもない正統にございました。主上しゅじょうが自らの皇子(恒良つねよし親王)を東宮とうぐう(皇太子)と定められたことで、持明院の皇統は、いま途絶えようとされておられます。今後、皇統を立てる事を御約束され、持明院の君に朝敵討伐を仰げば、喜んで御院宣ごいんぜんは下されることでございましょう。さすれば、諸将も自信を持って、足利殿の元で戦えます」

「なるほど……入道殿、よいことをお教えいただいた。確かに妙案じゃ。なあ兄者(尊氏)」

 円心の申し出に、舎弟の直義ただよしは、我が意を得たりと言わんばかりに喜んだ。

 しかし、朝敵とされた当の尊氏は戸惑いの表情を浮かべていた。尊氏にとっての帝とは、やはり畏敬いけいの念を抱く今上きんじょうの帝(後醍醐天皇)であった。

 そんな尊氏の心情に直義ただよしが気づく。

「兄者、今は目の前の窮地を脱する手立てを講じる時じゃ。兄者は、家臣や与力として馳せ参じてくれた多くの者のいのちを預かっておるのじゃぞ」

「ううむ……そうじゃな。入道殿、その通りに致そう。師直もろなお、薬師丸を呼んで参れ」

 さすがに直義ただよしは、尊氏の性格をよく熟知しており、兄を動かすすべも知っていた。

 尊氏は、小姓こしょうの薬師丸を先のごん中納言、持明院統じみょういんとうの日野資明すけあきらの元につかわすこととする。薬師丸を使者としたのは、昔、日野家にも仕えていたことがあったからである。

「さて、今後にございますが、いったん我が白旗城へ引いて、籠城ろうじょう戦に持ち込まれてはいかがか。足利殿の大軍を迎え入れても籠城ろうじょうできる備えは整っておりますぞ。千早城にも劣るものではござらん」

「いや、円心殿。今、わしが籠城ろうじょうすれば、我が方に味方しようとしておる諸将の士気にも影響が出よう。相手が勝ち戦でおごっている今が反撃の機会じゃ。まさか、十日ばかりで、再び京へ進軍するとは、朝廷も思うておらぬであろう」

 今度は打って変わり、尊氏は自信あり気に一同を見渡した。

 すると、待ってましたとばかりに、執事の高師直こうのもろなおが進み出る。

「続々と山陽道の諸将が我らの元に進軍しております。それに、周防すおうの大内長弘ながひろと、長門ながと厚東武実ことうたけざね、九州の大友氏泰うじやすが、それぞれ船団で来援しております」

 尊氏の強気の策を補完するように援軍の状況を説明した。特に海からの戦略を図れる船団の加勢は頼もしかった。


 二月十日、二万の軍勢に立て直した足利尊氏は、兵庫を出立して京への進軍を開始する。舎弟、足利直義ただよしを先陣にして、摂津国の打出浜うちではままで兵を進めた。

 早くも桜の花弁がぽつぽつと開く街道に、突如、季節外れの菊の花、菊水の旗がひるがえる。

「く、楠木じゃ」

 突如として目に前に現れたのは楠木軍三千騎であった。京で散々に楠木正成の計略に翻弄ほんろうされた足利の兵は震え上がる。

 楠木の兵は足利の先陣目掛けて、いっせいに矢を放ち、直義ただよしの足を止めた。

「なぜここに楠木が……迂闊うかつに追撃しては、楠木の罠におちいるやも知れぬ。進軍を止めて、様子をみるのじゃ」

 声を張り上げた直義ただよしは、力攻めを避けて睨みあった。


 一方、足利直義ただよしの進軍を押し留めた楠木正成は、舎弟、楠木正季まさすえと美木多正氏、嫡男の楠木正行まさつらを集める。

 手の甲で冷や汗をぬぐった正氏が、小息を吐く。

「足利は我らに何かあると勘繰かんぐって、進軍を止めたようじゃな」

「このまま、足利が力づくで押してくれば、危ないところであった」

 正成もほっと胸をなでろした。

「これも、父上の頭の中では、想定の内でございましたか」

 質問を投げ掛ける正行まさつらに、正成は苦笑いを返す。

「こうなる事を描いて動いておるが、最後は賭けじゃ。何事も理屈通りにはならんものじゃからな」

「では父上、この後はいかに」

「うむ、此度こたびは我らだけでは勝てぬ。奥州軍と新田軍を待つだけじゃ。鎮守府将軍(北畠顕家)と新田義貞殿には督促とくそくの使いを送った。後は、いつ御味方が到着するかじゃ」

 そう言って正成が険しい表情で足利軍に目をやる。

 その顔に、正行まさつらは息を呑んだ。


 翌日、いらだちを募らせる足利の陣中である。

斥候せっこうによると、淀の北から軍勢が来ております。びしと、ひときとのこと」

 高師直こうのもろなおの低い声に、足利尊氏が両の拳に、ぎゅっと力を入れる。

 びしもんは北畠、丸にひともんは新田の旗印である。

「楠木正成はこれを待っていたのか……やはり、やりにくい相手よ。坂東ばんどう武者の新田の方がよほどくみし易い。よし、新田軍へ向けて兵を進めよ」

 足利本軍は打出浜うちではまの楠木軍を避けて、北に進軍して、豊島河原てしまがわら瀬川せがわ)で新田軍を迎え撃つ。そこに北畠顕家の奥州軍が加わって、互角の戦いが繰り広げられた。


「押せ、押すのじゃ」

 戦場いくさばに、高師直こうのもろなおの舎弟、師泰もろやすの怒声が響く。

 尊氏は目の前の戦を指揮しながらも、正成のことを気にしていた。

「南に気を付けるのじゃ。楠木の動きを見張れ」

 楠木軍に注意を払うよう伝令に命じて諸将の元に送り出した。

 その直後、思わぬところから、うおぉと奇声が上がった。

「お、御館おやかた様、菊水の旗があそこに……」

 呆然として師直もろなおが、指を差しながら立ち尽くした。

 南から攻め上って来るはずの楠木軍が、回り込んで北から襲い掛かってきたのである。

 戦況を変えたのはまたもや正成であった。がら空きの背面を突かれた足利軍二万は後ろから崩れ、正面から猛攻をかける新田軍、奥州軍の攻撃に耐えきれなくなる。互角で戦っていた足利軍から離脱する諸将が出てくると、もはや尊氏に勝ち目はなかった。

「く、これまでか……」

 尊氏はがっくりと肩を落とす。ついに、足利軍の敗走が始まった。


 勝った宮方であったが、楠木正成は焦っていた。追撃する気配を見せない新田義貞に業を煮やし、恩地満一を連れて自ら新田の陣に馬を乗り付ける。

左衛門佐さえもんのすけ殿(義貞)、時を置かず追撃なされませ。今、尊氏にとどめを刺さなければ、必ずや、朝廷にとって禍根となりましょう」

 戦場いくさばの中で義貞を見つけるなり、正成は大声を張った。

「河内守殿(正成)、貴殿が言わんとされていることは承知しておる。じゃが、こうして兵庫に出陣したのも、我らとしてはぎりぎりのこと。箱根・竹之下たけのしたから駆け続けてきた兵たちの疲労は頂点に達し、此度こたびの出陣も、北畠様(顕家)と、互いに追撃はせぬと話し合うてここに来ておる」

「されど、ここで足利尊氏を取り逃がすことは、野に虎を放つようなもの」

 馬を降りて食い下がる正成に、義貞は首を横に振る。

「我らが追っても、足利軍が西に逃げれば、際限なく我らは追い続けなければならん。兵は休むことができぬのじゃ。されど、我らとて無策ではござらん。西に向けて敗走する賊軍を迎え撃つよう、すでに周防国すおうのくに吉川きっかわ実経さねつねらに繋ぎを送っておる」

「足利が陸路を西に敗走されるとお思いか。大内や大友がおるのじゃ。きっと、播磨国あたりで船に乗って西国へ下ることでしょう。今、我らの追撃は何れにせよ、そこまでなのですぞ」

 拳に力を入れて正成が詰め寄った。

 すると義貞は、はたと気が付いたように一瞬、目を見開いたものの、すぐに平常心を取り戻す。

「播磨国で船に乗るかも知れぬが、違うかも知れぬ。世の中、理屈通りには動かぬものじゃ。海路、西国に向かうのであれば、伊予国いよのくに土居どい得能とくのうの水軍に期待をしようではないか」

 義貞は、これ以上は正成と言い争う素振りを見せなかった。

 新田軍が追撃しなければ、小軍の楠木だけで追うことは不可能である。正成は諦めざるを得なかった。


 足利尊氏は、摂津国せっつのくに兵庫ひょうごから播磨国はりまのくに室津むろづまで陸路を敗走した。そしてこの地の見性寺に陣を張った。

 執事の高師直こうのもろなおほぞを噛む。

「またしても、楠木正成に……」

「兄者、ここは入道殿(赤松円心)が申されるよう、播磨の白旗城に籠り、九州、山陽道から参じる諸将を待ってはどうじゃ」

 舎弟、足利直義ただよしの進言に、尊氏は首を横に振る。

「播磨の城では、このまま朝廷の大軍が進軍して取り囲むであろう」

 尊氏は、正成の意見と同様に、宮方が時を置かずに西に進軍するであろうと読んでいた。千早城の籠城ろうじょうと違い、朝敵として白旗城に籠れば援軍は先細り、いずれ降伏は免れないと思ったからであった。

 腕組みをして唸る尊氏の様子に、船を降りて、陸路で足利軍に従っていた大内長弘が進み出る。

「どうせなら、九州の大宰府だざいふを目指しませぬか。大宰府を押える少弐しょうに殿(少弐しょうに頼尚よりひさ)は、足利殿に同心されておられます。いったん九州におもむき、そこから筑紫つくしや山陽道の諸将を糾合きゅうごうしながら京を目指されてはいかがか」

「なるほど……うむ、まだ、持明院の君の御院宣ごいんぜんたまわっておらぬしな……」

 尊氏は、光厳上皇の後ろ楯が得られるまでは慎重であった。

 長弘の言葉に赤松円心も大きく頷く。

「ちょうど大内殿、厚東ことう殿、大友殿の船団もそろっておるので、よき考えと存ずる。それがしは白旗城で、少しでも朝廷軍の征西を遅らせて見せましょう」

「白旗城に……よし、必ず九州の地で軍勢を立て直し、捲土重来けんどちょうらいを果たそうぞ」

 苦戦を承知で、白旗城に籠るという円心の言葉は頼もしかった。

 そんな円心に、尊氏が歩み寄って膝を付く。

「円心殿、厳しい戦となろうが、それまで持ちこたえてくだされ」

 そう言って円心の手をしっかりと握った。


 足利尊氏を追い落とした楠木正成は、嫡男の正行まさつら、舎弟の正季まさすえとともに手勢を率いて京に向かった。

 一方、美木多正氏は、南河内や和泉の諸将を率いて、河内の楠木本城(上赤坂城)に戻る。早馬で正氏らの帰還を知った城では、女こどもたちが握り飯と水を用意して、総出で兵たちを迎えた。

 馬を降りた正氏を、妻の良子よしこと息子の満仁王丸まにおうまる・明王丸、そして愛娘の倫子ともこが囲う。

貴方様あなたさま(正氏)、御味方の大勝利、おめでとうございます」

「父上(正氏)、おめでとうございます」

「おお、お前たちにも心配をかけたな。敵を追い払ってやったぞ」

 土ぼこりでくすんだ顔に笑みをたたえた正氏は、倫子ともこを抱き上げてから、もう一方の手で満仁王丸・明王丸の頭をでた。

 虎夜刃丸も久子らと一緒に、握り飯を載せた盆を持って出迎えていた。

義姉上あねうえ(久子)、ただいま戻りました」

「五郎殿(正氏)、大勝利、おめでとうございました」

「叔父上、おめでとうございます」

「うむ、勝ったぞ」

 そう言って、正氏は虎夜刃丸の頭をぐしゃっと掴むように撫でた。

 難敵足利を駆逐したことは、皆を満面の笑みにさせた。父と兄も無事と聞いて笑顔する虎夜刃丸だが、内心、尊氏の命が救われたことにも、小さな胸をなでおろしていた。

「おお、これは若様、かたじけのうござる」

 見知った兵は、顔をくしゃくしゃにしながら、虎夜刃丸が手に持つ盆から、握り飯を取ってうまそうに頬張った。


 河内目代もくだいの美木多正氏は、小具足こぐそく姿の諸将を、本丸(主郭)に建つ陣屋の広間に入れた。集められたのは一門衆の和田正遠まさとおや橋本正員まさかず、さらに与力衆の八木法達ほうたつらである。なお、恩地満一や神宮寺じんぐうじ正師まさもろ、それに北河内の与力、津田範高らは、正成に従って京におもむいており、ここにはいなかった。

「皆、御苦労であった。兄、正成に成り代わり礼を申す」

 上座に座った正氏が頭を低くすると、諸将もいっせいに頭を下げた。

 義兄の和田正遠まさとおが残念そうな顔を見せる。

「勝ったとはいえ、足利尊氏を取り逃がしたことは痛恨の極み」

「うむ、まったく……じゃが、さすがは足利。新田だけでは危なかった」

 その強さに、正氏は舌を巻いた。

 一門の橋本正員まさかずは不安げな表情を浮かべる。

「もし、尊氏が西国で軍勢を立て直し、奥州軍がらんときに上洛してきたら、防ぎようがない」

「うむ、それだけに、今のうちに追討軍を送らねばならんのじゃが……」

「されど、三郎殿(正成)の説得にも応じず、新田は京へ引き返してしもうた。新田は本当に頼りになるのであろうか」

 心配する正氏の後に続けて、正遠まさとおが疑問を呈した。

 柱の陰から、虎夜刃丸が大人たちの様子をうかがっていた。理解できたことは、皆が尊氏を恐れているということであった。

「足利め」

 その隣では、持王丸が憎しみを膨らませていた。


 二月十四日、足利勢は、播磨国室津むろづを出て九州へ向かう軍船の上に居た。船団が補給のために、備後国びんごのくに鞆の浦とものうらに向かって進んでいたときのことである。

「あれは何だ、船がこちらに近づいてくるぞ」

 足利一門の細川顕氏あきうじが指差す方角から、一隻の軍船がこちらに向けて近づいていた。顕氏らが、近づく船を凝視すると、足利のふたもんの旗が掲げられた。

「あれは御味方じゃ。船を止めよ」

 執事の弟、高師泰こうのもろやすが、船頭ふながしらに向けて声を張った。しかし、すぐに足利直義ただよしが制する。

「いや、待て。もしや楠木の計略ではあるまいか」

「御舎弟殿(直義ただよし)、それは考え過ぎでござろう」

 慎重な意見の直義ただよしに、豪の者として名を馳せる師泰もろやすは、あきれた表情を浮かべた。

「忘れたのか。我らは楠木に散々に騙され、痛い目に会うてきておるのじゃぞ。用心に越したことはないではないか」

 師泰もろやすを無視して、直義ただよしは他の家臣たちを見回した。

「そ、そうでござるな」

 顕氏らは慌てて胴丸どうまるや兜を身に付けた。


 別の船に乗っていた足利尊氏も、自分たちに近付いてくる軍船に気づいていた。執事の高師直こうのもろなおかたわらに置いた尊氏は、手をかざし、目を細めて仰視する。

「船の上でふたきの旗を振っている者がおるのう……おお、あれは薬師丸じゃ。そうか、薬師丸が追いかけてきたのか」

 小姓こしょうの薬師丸は、持明院の光厳上皇に院宣いんぜんを仰ぐため、密かに京に入っていた。そして、先のごん中納言、持明院統の日野資明すけあきらを通じて上皇との接触に成功する。即刻その足で、勅使ちょくしを伴って、休む間もなく軍船で跡を追い駆けてきたところであった。


 潮風香る鞆の浦とものうらの沖で船団を停泊させた足利尊氏は、この地の小松寺を借りて、持明院統の勅使ちょくしを迎える。

 小松寺は平清盛の嫡男で、小松殿と呼ばれた平重盛が建立こんりゅうした寺であった。

 勅使ちょくしは、醍醐寺の僧、賢俊けんしゅん。日野資明すけあきらの弟である。その賢俊けんしゅんを上座に据えた尊氏は、自らの後ろに足利直義ただよし高師直こうのもろなお、さらに薬師丸を控えさせた。

 光厳上皇の院宣いんぜん賢俊けんしゅんが読み上げる。

「源(新田)義貞にくみし者どもが、武力でもって奪った大覚寺統の皇位は、決して認められるものにあらず。これを誅伐ちゅうばつし、天下泰平てんかたいへいたらん日を一日も早かれと、なんじの忠誠を待たん」

 これに尊氏はかしこまる。

「ははっ。この尊氏、君命に従い賊を討伐する所存にございます」

 院宣いんぜんを下し終えると、賢俊けんしゅんは薬師丸に案内されて広間を下がった。

 後ろ姿が見えなくなると、直義ただよし師直もろなお破顔はがんの笑みを見せる。

「兄者、これで我らも宮方じゃ」

御館おやかた様、おめでとうござる」

 しかし、喜ぶ二人とは反対に、尊氏は複雑な表情を見せた。

「兄者、いかがした」

「うむ、朝敵の汚名を晴らせたことには安堵はしたが……」

主上しゅじょう(後醍醐天皇)を裏切った事への後ろめたさか」

 見透かしたように言う直義ただよしに、尊氏は言葉を返さずに、寺の庭に目をやった。

「相変わらずじゃな。兄者は」

 直義ただよしは、ふっと息を吐いた。


 その頃、京の内裏だいりでは勝利を祝い、北畠顕家、新田義貞ら諸将をねぎらう宴を開いていた。

 祝盃に先立ち、帝(後醍醐天皇)は新田義貞を手元に呼び寄せる。

「義貞こそ武家において第一の功をあげし者じゃ。これをそちにたまわろう」

 三方さんぼうに載った褒美の刀が、義貞の前に運ばれた。

「はは、ありがたき幸せに存じます。尊氏めを追い払うことができたのも、主上しゅじょうの御威光があればこそ。この義貞、主上しゅじょうのお力を背に勝つことができました」

 殊勝な義貞に、帝は口元を少し緩め、満足そうに頷いた。

 酒宴の席になると、坊門清忠が瓶子へいし(酒器)を持って、御機嫌な様子で北畠顕家の盃に酒を注ぐ。

「武家の功第一が新田ならば、公家の功第一は北畠様(顕家)でござりましょう」

 隠岐派の千種ちぐさ忠顕が失脚し、足利討伐では奥州軍が存在感を示した。機を見るに敏な清忠は、北畠親子へ近づこうとしていた。だが、満面の笑みの清忠とは対照的に、顕家は冷めた面持おももちで、軽く会釈してから上品に酒を口に運んだ。


 そしてもう一人、冷めた面持ちで末席に控えていたのが楠木正成である。嬉しそうに公家どもと酒を酌み交わす義貞をうつろな目で見ながら、足利尊氏の出方を考えていた。

(尊氏は必ず兵を立て直し、大軍をようして上洛を果たすであろう。そのとき、我らはいかに応ずるか……)

 そう、心の中で自問していた。

「酒が進んでおらんようじゃの」

 後ろから声をかけてきたのは北畠親房であった。

 嫡男、顕家とともに奥州から京に戻ったが、帰洛きらくめいなく戻った親房に、朝議への召し出しはなかった。だが、この酒宴は公儀ではなかったため、親房は顔を出すことができた。

 居住まいを正した正成が、前に座った親房の盃に酒を注ぐ。

「これは北畠大納言様、此度こたびの鎮守府将軍(顕家)の戦振り、この正成、感服つかまつりました。奥州勢が来なければ、この戦、危なかったと存じます」

 息子の顕家は、京から足利尊氏を追い払ったこうを求めて、『大』将軍の名乗りを許されていた。これは過去に鎮守府将軍であった尊氏に対する、この親子の強烈な自負からである。

「奥州はちと遠すぎてな。御上おかみをお助けするのも時が掛かった。されど、何かあるたびに奥州を頼られても困るものよ。畿内の武士たちにもう少し器量があればのう……おお、河内守(正成)も畿内の武士であったな。戯言ざれごとじゃ。お忘れあれ」

 親房の嫌味に目くじらを立てる正成ではない。しかし、足利尊氏と異なり大軍を動員できない自らの毛並みに、一理あるとも考える。

「北畠様、尊氏をどうみられますか」

「ん、いったい何が聞きたい」

 問いかけに、親房は正成の顔を真っすぐ見据えた。

「我らは足利尊氏を西国に追い払いました。されど、その逃げる尊氏に従う武士はおおございました」

 すると、聡い親房がにやりと口元を緩める。

「武士には武士の棟梁が必要と思うておるのか。確かに源頼朝は武士をよくたばねた。されど、その結果、帝の力は失墜した。所詮、両立は難しい」

 そう言って親房が正成の盃に酒を注いだ。恐縮して一礼した正成が、これを一気に飲み干す。

「されど、乱世に武家の力は必要ではありませぬか」

 正成が酒を注ぎ返すと、親房も一気に酒を飲みほす。

「古代大和やまとにも戦はたくさんあった。さりながら、武人は居ても武士は居なかった。朝廷が直接兵を集め、直接、軍団を抱えていたからじゃ。されど、平和な世となり軍団は縮小された……」

 親房の話を、正成は黙って聞く。

「……地方で大規模な乱が起こった時、軍団を持たない朝廷は、武力を持った地方の豪族の力を借りた。そして、朝廷から乞われて力を持つようになった清和源氏せいわげんじ桓武平氏かんむへいし、それに藤原秀郷ふじわらのひでさとらの家系が軍事の担い手になった。これが武士の起こりじゃ。判るか、河内」

「はっ」

「古代の我が国のように、今も朝廷が直接に軍団を抱えたままであれば、この世はどうなっておったであろうか」

 言わんとすることは理解できた。しかし正成は、それは現状を無視した親房らしい学者の理想だと思った。

「足利尊氏は鎌倉の御家人たちにとっては希望であろうが、御親政にとっては邪魔な存在よ。努々ゆめゆめ、余計なことは考えぬことじゃ」

 そう言って席を立つ親房に、正成は無言で会釈を返した。


 数日後、楠木正成と嫡男の正行まさつらが、河内の楠木館に戻ってくる。虎夜刃丸は持王丸・久子とともに、広間で二人を迎えた。

 久子と持王丸の挨拶に続き、虎夜刃丸も床に両手を付く。

「父上、兄上、御味方の大勝利、おめでとうございます」

「うむ、殊勝な挨拶ができるようになったのじゃな。虎夜刃丸も息災で何よりじゃ」

「虎夜刃丸、少し見ぬうちに立派になったな」

 二人は、虎夜刃丸のしっかりとした態度に目を細めた。


 その夜、楠木館では皆を集めて酒宴が催された。

 宴の後、正成は縁に出て腰を下ろし、冷たい夜風にあたって酔いを覚ました。

 はらはらと散りゆく花弁に目を留める正成に、虎夜刃丸が背中から歩み寄る。

「父上、いつまで館におれますか」

「五日後に京へ戻らねばならん。足利尊氏の動向も気になるからな」

 尊氏の名に、虎夜刃丸は顔を曇らせて隣に座る。

「五郎叔父(正氏)は、また尊氏殿と戦になると言うておった。どうしても戦わねばならぬのですか」

「そうか、そんな話をしておったか。虎夜刃丸は足利尊氏とは戦いたくないか」

大塔宮おおとうのみや様(護良もりよし親王)も、尊氏殿も、みんなよい人であった。父上は戦いたくなくとも戦わねばならぬ時もあると言われた。でも、わしにはわからん。戦いたくない時は、戦わなければよいのではないか。わしは戦がきらいじゃ」

 愛息の純真な答えは、正成にとって辛いものであった。

「わしとて尊氏殿と戦いたくない。されど、尊氏殿は幕府を開き、武士の世を目指しておる。これを放置するわけにもいかぬ」

「父上、我らも武士ではありませぬか。なぜ武士同士で戦うのじゃ。帝の元で、皆、仲よくすればよいではありませぬか」

 その言い分に、正成は苦笑する。それは正成自身も自問自答していることであった。

「皆、仲よく……君臣和睦くんしんわぼくか」

「くんしんわぼく……」

「うむ、君臣和睦くんしんわぼくじゃ。帝と尊氏殿が仲直りをすることじゃ。虎夜刃丸の言う通りじゃな……よし、今一度、尊氏殿と戦わぬ道を模索してみよう」

 決意を固めた正成は、まっすぐ自分の顔を見つめる虎夜刃丸に、ゆっくりと頷いてみせた。


 二月二十九日、朝廷は凶事を断ち切るため、元号を建武けんむから延元えんげんに改元した。

 延元えんげん元年三月二日、新たな除目じもくによって新田義貞は正四位下しょうしいのげ左近衛中将さこんえのちゅうじょうに任じられた。また、楠木正成は名和長年とともに正五位下しょうごいのげに任じられた。

 除目じもくの披露があった後、正成はその場に居残り、殿上てんじょうに座るごん中納言の四条隆資たかすけごん中納言の洞院とういん実世さねよ、そして参議である坊門ぼうもん清忠らを前にして、下座から問いかける。

「四条様(隆資たかすけ)、鎮守府大将軍(北畠顕家)が陸奥むつにお帰りになると聞きました」

「いかにも。いつまでも陸奥むつ将軍府を留守にしておくわけにもいくまい。それに奥州の大軍を京に留め置いては、兵糧の問題や乱暴狼藉の不安も生じる」

「恐れながら申し上げます。足利尊氏は近いうちに、必ずや大軍をようして再び上洛することでしょう。これを防ぐには奥州軍の力が必要でございます。今しばらく、北畠卿の陸奥むつへの下向をお延ばしいただくことはできませぬか」

 申し出に、坊門清忠が顔をしかめる。

「河内守(正成)は心配性じゃのう。そうかも知れぬというだけで物事を決めておっては、兵の数などいくらあっても足りぬではないか。北畠卿(顕家)の帰任はすでに決まったことじゃ」

 だが、公卿らの返答は折り込み済みである。正成は、虎夜刃丸の顔を思い浮かべると、息を飲み込み、本題に入る。

「では、足利と戦わずともよい道を御探りいただけぬかと存じます」

「どういうことじゃ」

 不思議そうな顔で隆資たかすけがたずねた。

君臣和睦くんしんわぼくにございます。尊氏との和睦の道をお考えください」

「何、尊氏と和睦せよとな。可笑おかしなことを言う」

 武士にも理解のある隆資たかすけだが、護良もりよし親王を死に至らしめた足利と和睦するなど、毛頭考えられないことであった。

「それがしは、京、そして豊島河原てしまがわらと、足利と戦って参りました。不思議なことに諸将は勝ったはずのわれらではなく、敗軍の尊氏に付き従って落ちていきました。人の心はすでに尊氏に傾いております。人心を敵に回して勝てないのは道理でございましょう。尊氏は必ずや九州を平定し、大軍をようして京へ攻め上って参ります。されど、そうなってからでは、もはや防ぐすべがございませぬ。どうか帝(後醍醐天皇)へ和睦の奏上をお願い申し上げます」

 勝ち戦の余韻を引きずる公卿たちが苦笑いするなか、隆資たかすけは困惑の表情を浮かべる。

「河内守、今更、和睦などできようはずもない。いったい、どうやって和睦を成すのじゃ。それは朝廷が尊氏にくっする以外の何物でもない」

「いえ、朝廷がくっすることなく和睦はできまする。此度こたびの戦を足利と新田殿の私事の争いとし、朝廷は清和源氏の嫡流を争そう騒動に巻き込まれただけとすれば、それも可能かと存じます」

 その提案に一同は息を呑んだ。

 目を見開いた隆資たかすけが正成を凝視する。

「そ、それは新田中将(義貞)を切り捨てよという事か」

御意ぎょい

 公卿くぎょうたちは、我が耳を疑うかのように、呆然と正成を見つめた。

 これに、洞院とういん実世さねよが声を荒げる。

「新田中将に何の罪があるというのか」

「元より新田殿に罪などあろうはずもございませぬ。されど、足利尊氏と和睦するためには、義貞殿に人柱になっていただくしか、他に方法はございませぬ。最悪、遠国えんごくに流罪となるようなことがあっても、命まで取られることはありますまい。義貞殿には御謹慎いただき、御嫡男の義顕よしあき殿が家督をお継ぎになればよろしいかと存じます」

 正成は冷静かつ冷徹であった。

 あきれ果てた実世さねよが、正成に詰め寄る。

「そ、そのようなこと……義貞一人に罪を被せて、御上おかみ(後醍醐天皇)と朝廷を守れというのか」

「一人ではございませぬ。足利と刃を交えしそれがしも、嫡男に家督を譲り、朝廷の職を辞して謹慎致します。それがしと義貞殿が引くことで、この騒乱が治まるのなら安いものでございます。九州にる尊氏の説得は、それがしが勅使ちょくしとなって下向も致しましょう。どうか、主上しゅじょうに御奏上願いたく……」

 その覚悟に公卿くぎょうたちは驚き、互いの顔を見て、ひそひそと話した。

「そちの覚悟はよく判った。麿から御上おかみに、河内守の胸懐きょうかいを伝えよう……」

 隆資たかすけの言葉に正成は、期待を込めて顔を上げた。だが、隆資たかすけあわれむような目を向けている。

「……されど、伝えるだけじゃ。そちの申し出は、この戦を任された左兵衛督さひょうえのかみである、この麿が承服しかねる。足利と戦って我らが負けると決まっているわけではない」

「されど、勝てる見込みも立ちませぬ」

「いいや、ここで新田中将を裏切ることは、新田の者だけにあらず、多くの者を裏切ることになる。それはひいては御上おかみの威厳に傷を付けることになるのじゃ。河内守もそれを承知で申しておるのであろうが、すでに時機をいっした」

 隆資たかすけの言う事も正論であった。もはやこれ以上、公卿くぎょうらを説得することは不可能であった。

 ここに万里小路までのこうじ藤房が居ないことが、正成には残念でならなかった。居れば必ず味方になってくれたであろう。行方をくらませたことが今更ながら悔やまれた。


 三月二日、朝廷で除目じもくがあったしくも同じ日、九州へ落ちた足利尊氏は、博多湾の多々良浜たたらはまで、宮方の菊池掃部助かもんのすけ武敏たけとし阿蘇あそ大宮司だいぐうじ惟直これなおらが率いる騎馬勢と対峙していた。

 春霞はるがすみが空をふたする中、足利家の執事、高師直こうのもろなおが額に手をあて、目を細めて宮方の軍勢を見渡す。

御館おやかた様、敵はおよそ二万。対する我らは地元の少弐しょうに殿(頼尚よりひさ)、宗像むなかた殿(氏範うじのり)の軍勢を加えてもおよそ五千騎」

「圧倒的な差があるのう。楠木正成の気持ちがわかるようじゃ」

御館おやかた様、何を呑気なことを。ここで負ければ後がありませんぞ」

「ここで負ければ腹を切るだけじゃ。勝つか負けるかは天命。天がこの先、わしを必要とするならば、この戦、勝たせてくれるであろう」

 戦における尊氏は、いつも生に対する執着心が希薄だった。


 先陣同士の矢合わせで、合戦が始まる。寡兵かへいの足利軍であったが、その気迫は凄まじく、宮方の菊池武敏らと互角に渡り合った。だが、戦が長引くと兵力の差はいかんともしがたかった。

 戦況を注視していた師直もろなおが、尊氏に振り返る。

御館おやかた様、左翼が崩されました。ここも危のうございます」

 時が経つにつれて足利軍の敗戦は濃厚となっていった。

「もはやこれまでか……」

 一人尊氏は、腹を切る事を覚悟した。

 そこに郎党が駆け寄る。

左馬頭さまのかみ様より、伝言にござる」

「何、直義ただよしからか」

「はっ、左馬頭さまのかみ様は死しても敵の進行を食い止めるゆえ、御館おやかた様は退却して再起を図るようにと仰せです。そして、これを御館おやかた様に渡すよう預かって参りました」

 郎党が涙をこぼしながら差し出したのは、直垂ひたたれの片袖であった。

「形見のつもりか」

 その片袖を、尊氏はぎゅっとつかんだ。

 その時である。足利方は、その背後から宮方に向けて吹き起った突風に包み込まれた。春の風向は変わりやすい。薄目を開けた尊氏が風下の菊池勢に目を向けると、敵兵たちが正面からの風を受けて目を開けられない状況におちいっていた。

「天は我を見捨てておらなんだ。今じゃ。全軍で菊池を突け」

 尊氏自ら馬に乗って先陣を駆った。

 足利軍の一点にきりを通すような攻撃に、宮方の軍勢は浮足立つ。まず、松浦まつうら是興これおきが離脱した。宮方は総大将を置かない諸将の連合軍である。勝っていた時はよかったが、危うくなると諸将の判断で離脱する軍勢が生じた。結果、宮方は総崩れとなった。


 山も野も新緑に置き換わった三月三十日、帝(後醍醐天皇)から足利討伐を命ぜられていた左近衛中将さこんえのちゅうじょう、新田義貞が、二万の兵を率いて西国へ出陣した。

 すでに豊島河原てしまがわらの戦から一月ひとつき半以上経っていた。これほどまでに出陣が送れたのは、義貞が病にせていたためである。しかし、あまりの遅れに人々は、帝から賜嫁しかされた美女、勾当内侍こうとうのないしとの別れを惜しみ、出陣を遅らせたのだと口悪く噂した。

 しかし、自らの名代として、すでに大舘おおだち氏明うじあき江田えだ行義ゆきよしの五千騎を足利討伐に先発させていた。


 播磨に入った義貞の元に、その大舘おおだちの郎党が駆けつけて片ひざを付く。

「申し上げます。我ら先陣はいまだ白旗城を落とすことがかなわず。御館おやかた様には、先に西国へ進軍いただきたいとのことでございます」

 先陣を率いた氏明うじあき行義ゆきよしは、三月六日には播磨国の書写山しょしゃざんに到着していた。そして、そこに東進してきた赤松円心と合戦におよんだ。劣勢となった赤松円心は白旗山に敗走し、大舘おおだち江田えだの軍勢は、これを追って白旗山を取り囲み、城攻めを行っていた。

 目論見もくろみが外れた義貞は眉間に手を当てる。

「そうか、白旗城はそんなにも手強いか」

「兄者、白旗城は大舘おおだちらに任せ、我らはこのまま進軍しようぞ」

 舎弟の脇屋わきや義助よしすけが、仕方ないといった顔つきで義貞をうながした。

「いや、元はといえば、わしが命じた事。二人に任せて我らだけで進軍するのは薄情というもの。本軍で白旗城を一気に攻め落としてから西国に向かおう。重広、全軍に触れて参れ」

「はっ、承知つかまつった」

 重臣の篠塚重広は頷き、後方へと消えていった。

 義貞には、白旗城の円心を討伐しなければならない理由があった。播磨守はりまのかみ守護しゅごでもある義貞にとって、今後の領国経営のためには白旗城と円心が邪魔な存在だからである。


 新田本軍が白旗城を囲むと、すぐに円心は次男の赤松貞範さだのりを使者としてつかわした。

 その貞範が平身低頭で訴える。

「我ら赤松党がこうして抗うのも、帝に播磨国の守護を召し上げられたため。朝廷が守護に任じてくれるのであれば、我らは抗う意味はなくなります。守護職しゅごしょくに復せばこの城を明け渡し、播磨守である新田殿の家臣となって足利追討に加わりましょう。どうか、国守である新田殿から御口添えをたまわりとう存じます」

 貞範の申し出に、義貞は損得併せて考える。頭を下げたとはいえ、円心を赦すことは、今後の播磨経営に懸念を残すことになる。しかし、今は一刻も早く征西に向かわなければならない。義貞は考えた挙げ句、その懸念を先へ送ることとする。

「あいわかった。我が軍門に下ろうという者を討っては、末代までの恥となろう。赤松殿の願いは、この義貞が叶えようぞ」

 さっそく義貞は、京の朝廷へ使者を送り、自らが持つ播磨の守護職を、円心に与えることを願い出た。


 十日後、帝(後醍醐天皇)から、赤松円心の播磨守護しゅごへの復職の綸旨りんじが下された。新田義貞は、さっそく朝廷の勅使ちょくしを篠塚重広に護衛させて白旗城に向かわせた。

「求めに応じて朝廷の勅使ちょくしをお連れした。ここを通されよ」

 山を登った重広らは、白旗城に入ろうと櫓門やぐらもんの前で声を張り上げた。

 しかし、城に通じる門は固く閉ざされ、開く気配はなかった。もう一度、重広が声を張り上げると、門の上に造られたやぐらに人が立った。次男の赤松貞範を連れた円心自身である。

勅使ちょくしとは何のことか」

「円心入道殿への播磨守護しゅごを任じる綸旨りんじに決まっておろう」

 怪訝けげんな表情で重広が応じた。

「すでに播磨守護は大将軍より頂戴した。すぐに掌を返すような帝の綸旨りんじが何の役に立つ」

 豹変した円心の態度に、重広は面食らい、勅使ちょくしは狼狽えた。

「大将軍じゃと……」

「足利尊氏殿に決まっておろう。帰って義貞に伝えるがよい。西国に下りたければ、この白旗城を落としてみよと。凡庸ぼんような将には無理であろうが。わっはは」

 その悪態に、重広はぎりっと歯ぎしりをその場に残して新田の本軍に戻った。


 仔細を聞いた新田義貞は、思わず立ち上がって怒りをたぎらせる。

「おのれ、円心め。必ずやこの城を攻め落し、その首、討ち取ってくれよう」

 青筋を立てた義貞は、舎弟の脇屋義助と篠塚重広に、白旗城への総攻撃を命じた。


 一方、白旗城の陣屋の中。赤松円心は次男の貞範から押し寄せる新田軍の様子をうかがっていた。

「よし、義貞め。まんまと引っ掛かったな」

 一人、円心はほくそんだ。

 全てたくらみ通りであった。大舘おおだち氏明うじあき江田えだ行義ゆきよしが率いる新田の先陣に戦を仕掛け、白旗城に引き付けた時から、すでに円心の駆け引きは始まっていた。

 足利尊氏に軍を立て直す猶予を与えるためには、新田軍に白旗城を素通りされないようにしなければならない。綸旨りんじの話を持ちかけて時を稼いだのも、義貞を怒らせて白旗城へ引き付けたのも、全てはそのためであった。


 そうとも知らぬ新田義貞は、白旗城の総攻めに掛かる。だが、城の守りは想像以上に固い。円心は、播磨守護を召し上げられて本国佐用荘さようのしょうに戻った時から、楠木正成の千早城張りに、白旗城の備えを造り上げていた。

 一日、二日で落とせると思った赤松の城は、堅牢な地形と、十分な水と兵糧で、一月ひとつき以上も持ちこたえる。その間、新田軍は味方の犠牲が増えるばかり。

 仕方なく義貞は、白旗城に釘付けになった新田本軍に代わり、舎弟の脇屋義助に、江田えだ行義ゆきよし大井田おおいだ氏経うじつねらの軍勢を付けて西国に進ませた。

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