第17話 南大和の戦い
正平三年(一三四八年)二月五日、南河内の東条に、まだ春は訪れない。
龍泉寺城の正儀は、いまだ石川河原に布陣する
本丸(主郭)に建つ陣屋の広間では、正儀が後見役の橋本
助氏が苦々しい表情を見せる。
「
すると正武が、ふうぅと重い吐息を重ねる。
「四条様の軍勢は数こそ多いが見かけ倒しであろう。まして、湯浅
「うむ、寄せ集めゆえ吉野山が落ちた後、かなりの兵が逃げ出した。今や五千程度であろうか」
助氏の話に、正儀は広げた絵地図に目を落す。
「
「三郎殿(正儀)、そればかりか、
そう言って
帝(後村上天皇)が
そこに
「三郎殿(正儀)、我が手の者の知らせでは、大和に布陣する京極道誉が、
「なに、水越峠に……」
新たな報に、正儀は顔をしかめた。
一方、
「なるほど、
「されど、いずれにせよ、東条の北に
現実を突き付ける助氏の言葉に、諸将は溜め息をついた。
そんな一同を見回して、正儀が口を開く。
「敵は水越峠を越えられるを嫌がっておるのであろう。ならば、その水越峠を越えようではありませぬか」
若い正儀の提案に、正武は苦笑する。
「それができれば苦労はせぬが……」
「いや、策ならあり申す。聞いてくだされ」
まさかと驚く一同を前にして、正儀は自身の策を説いた。
皆が目を丸くする中、
「ううむ、面白いかも知れんな」
「確かに……このまま、四条軍が敗れれば、どのみち東条は危ない。ここは三郎殿(正儀)の策に乗ろうではないか」
正武に続き、助氏も口元を緩める。
「それがしも同意致す。さすがは正成殿の血筋よのう」
「かたじけない。では、又次郎(正友)、至急、河内の
「
正儀の
「元成殿、すまぬが小波多座の伝手で、四条様の元を離れた大和の
「三郎殿のお役に立てるなら、喜んでお引き受け致しましょう」
任せてくれと言わんばかりに、元成は胸に手を当てた。
「帝を御救いするためにも、この戦、必ず勝たねばならん。棟梁の三郎殿を盛り立て、一丸となってこの修羅場を乗り越えようぞ」
二月七日、まず、和田正武が和泉に戻って挙兵した。兵を率いた正武は、和泉国春木に駐留していた
当初、驚くばかりの幕府勢であったが、次第に態勢を整えて騎馬で反撃に転じる。幕府勢は和田勢を押し戻し、追撃を仕掛けた。
逃げる正武は馬上で笑みを浮かべる。
「よし、敵は思い通り、追いかけてきたぞ」
幕府勢が和田勢を追って春木の谷合いに入り込む。そこへ、潜んでいた和田の兵がいっせいに立ち上り、正面と側面から矢を射かけた。
不意を突かれた幕府勢は慌てふためき、先を走っていた騎馬兵は引き返そうと馬を反転させる。しかし、後ろから続く勢いづいた騎馬兵は、止まることができず、押し合いへし合いの大混乱に
この和泉国春木に於ける敗戦は、すぐに河内国の石川河原に布陣していた
「和田め、小勢でこしゃくなことを。大軍で押しつぶし、息の根を止めてくれるわ」
すぐに
翌、二月八日、今度は、龍泉寺城からは楠木軍が、
これまで守備に徹していた楠木軍の反撃に、幕府軍は不意を突かれて混乱に
石川河原の砦を本陣としていた
「しまった。楠木の狙いは、この石川河原であったか、すぐに軍を戻すよう、春木へ伝えよ」
和泉の和田攻めに向かわせた幕府軍に、戻るように早馬を送った。だが、急に大軍を呼び戻すことはできない。兵を
兵を
「敵を深追いしてはならん。春木の二の舞になるぞ」
本陣を出て兵を指揮していた
およそ二千の幕府軍は、龍泉寺城に逃げ帰ろうとする楠木軍を追う。
幕府軍の先陣は侍大将を討たれ、進軍が停滞したところに、津田武信らが率いる八百騎も反転して幕府軍に戦を仕掛けた。
そのような中、
「越州殿(
伝令が騎馬で駆け回り、やっと、幕府勢は石川河原に兵を引き上げた。
幕府軍が
「当麻(津田武信)も六郎(篠崎久親)もご苦労であった。これで敵もしばらく、東条攻めを
労う正儀の
「三郎様(正儀)、次は我らでございますな」
「うむ。又次郎(正友)、頼むぞ」
「
正友は口元を引き締めて頷いた。
一方、吉野山を焼き払った幕府本軍、総大将の
左翼の道誉は、金剛山の麓、風の森峠の西に布陣し、四条軍を北から牽制していた。道誉の目下の気掛かりは、金剛山を越えて西にある東条の楠木である。楠木勢が
日が暮れようとする頃、道誉は側近の
「
「
「
道誉は
定俊も心配を口にする。
「殿、水越峠の秀宗様は大丈夫でございましょうや。何分、初陣でございますゆえ」
「なあに、いくら楠木が粘ろうと、
楠木に感じる不気味さを払拭するように、道誉は定俊に語った。
二月十二日の夜。月あかりのもと、龍泉寺城の守りを橋本
城に集まった
「思った以上に、多くの
「はい、
「そうか、その笹田と申す者、連れて参れ。礼を申したい」
「承知」
すぐに正友が、その
目の前で片ひざ付いて頭を下げる男を、正儀が労う。
「その
「いえ、とんでもございませぬ、虎夜刃丸様。それがし、いつか楠木の方々に恩を返したいと思うておりました」
正儀の幼名を口にした男が顔を上げた。
「恩とは……いったいどういうことじゃ」
「それがしの名は笹田五郎
「お前の話は母から聞いておった……そういうことであったか」
母、久子の恩情が今、巡って正儀を助けようとしていた。
側近の正友が軍略を説明した後、正儀が
「段取りは今、説明した通りじゃ。わしら楠木の者が動いた後に、お前たちは動いてくれればよい。では手筈通り、潜伏してくれ」
「若殿(正儀)、任せてくだされ」
笹五郎が胸をどんと叩き、力強く応じた。
そして、
「では、我々も参りましょう」
正友に急かされた正儀は、武者震いで応じた。
正儀は、河野辺正友と聞世(服部成次)、さらに郎党十人ばかりを伴い、息をひそめて水越峠に近づいた。
峠の山道には柵が設けられ、向こうには数人が見張りに立っている。さらにその向こうには、陣幕が張られ、焚き火によって兵たちの影が写し出されていた。
身を伏せながら正友が正儀に顔を向ける。
「敵はおよそ五百といったところでしょうか」
「うむ。まだ起きている兵たちも多いようじゃ。しばらくここに潜み、兵たちが寝入るのを待とう」
数人の見張りを残し、兵たちが寝静まったところで、正儀は聞世に顔を向け、意味ありげに頷く。すると黒装束に身を包んだ聞世が、柵を越えて陣中に忍び込んだ。以前から聞世は、諜報の仕事を行うときは、
段取りが整うと、正儀は深く呼吸をしてから弓を引く。矢の先端には油を染み込ませた布が巻かれている。郎党が、その場で起こした火を近づけると矢先が燃え上がり、正儀の顔を明々と照らした。
そして、狙いを定めて火矢を放つ。矢は陣幕を突き抜け、京極の家紋、
夜中の炎は人の恐怖をあおる。まして寂しい山の中である。
「うわあ、何じゃ」
「皆を起こせ」
「火を消せ」
見張りの兵たちの声で、寝ていた兵たちも飛び起きる。そして、火を消すために右往左往と駆け回った。
しかし、新たな火矢が次々に陣中を襲う。火矢が飛んでくるたびに、聞世が撒いた油に引火して、あちらこちらから火の手があがった。
若き大将、京極
「何事か」
「て、敵襲にございます。柵の向こうに十人ばかりの人影が……」
その答えに、秀宗は胸を
「そうか……敵はたかだか十人か。よし、追い込んで討ち取るのじゃ」
秀宗の
この事態に正儀らは、柵を背にして一目散に逃げる。後ろからは京極の兵、二百あまりが迫った。
「よし、このあたりでよかろう」
敵が迫る中、正儀は声を上げて立ち止まった。
そこに、津熊義行と四十人ばかりの楠木の兵が現われる。
「今じゃ、出合え、出合え」
義行らが口々に叫ぶと、笹五郎が率いる
「者ども、掛かれ」
笹五郎の声で、
月あかりのもと、山の中で白兵戦が始まった。巧妙に木々に隠れて戦う
次々に柵に戻ってくる兵たちに驚いたのは、柵向こうで指揮をとる京極秀宗である。
「者ども、逃げるな。押し留まって、敵を討つのじゃ」
秀宗と近習たちは陣を立て直そうとした。しかし、騒然とする兵たちの声で、秀宗の声はかき消された。
いったん撤退をはじめた兵たちは、柵向こうの兵たちまでも巻き込んで敗走していく。その結果、立ち止まって兵を鼓舞していた秀宗と近習たちは、逆に、楠木の者たちに囲まれてしまう。
京極の兵たちを追ってきた正儀は、大混乱の京極勢の中に、大将の秀宗を見定める。
「その出で立ち、京極の大将とお見受け致す。御覚悟を」
ぎょっとして秀宗が声の方向をみた時には、すでに正儀と河野辺正友が
ぱちぱちと音を立てる柵の炎が、秀宗の顔を照らした。正儀は初めてその顔を凝視する。
(自分と同じ位の歳ではないか)
一瞬の迷いが正儀を苦境に落とす。秀宗が正儀に抱き付き、ぐるっと上下を入れ替えて、身体を押さえつけたからである。
「死ねっ」
刀を構えた秀宗が、正儀の上から声を張り上げた。目の前でぎらつく切っ先に、正儀は思わず目を
―― ずさっ ――
―― ううぅ ――
うめき声と共に、正儀の身体が重くなる。目を開けると、秀宗がのしかかっていた。
正儀は、何とか払いのけて立ち上がる。そこには、正友によって背中を突かれ、息絶え絶えの秀宗の姿があった。
「お……おのれ……」
そう言って、正儀を睨んだまま、秀宗は息絶えた。
生死の淵から生還した正儀は、肩で大きく息をしながら、横たわる京極|秀宗を見つめた。一歩間違えば、自分だったかもしれない。正儀はただ、その場に立ちすくんだ。
「三郎様(正儀)、
呆然自失の正儀に、正気を与えたのは河野辺正友であった。すでに京極勢は南大和に向かって逃げ出していた。
「あ、ああ……わかっておる。このまま、一気に峠を下り、南大和の京極本陣を襲うぞ。皆の者、ついて参れ」
「うおお……」
楠木の兵と笹五郎らの
金剛山の東の麓、風の森近くに布陣する京極軍が異変に気づく。
「何があった。敵が襲ってきたのか」
京極道誉が飛び起きて、嫡男の京極秀綱にたずねた。
「水越峠が敵に襲われた模様です。味方の兵が次々にこちらに逃げて来ております」
秀綱の言葉に道誉は仰天する。
「何、本当か。秀宗は無事か」
「消息はわかりませぬ。逃げ帰る兵を追って敵が追撃してきておるようです」
「敵……敵とは誰じゃ」
恐る恐る道誉は問い返した。
「菊水の旗印。楠木です」
聞く前から相手が楠木であることはわかっていた。一瞬なりとも楠木に感じた不気味さに、道誉は素直に従えばよかったと後悔する。
「とにかく敵の追撃を押し返せ。それと使いを出せ。
「はっ、
近くの郎党が
東の空がかすかに白くなり、水越峠からの敗走兵が増えるにつれ、だんだんと詳細が
「秀宗……くそ、楠木にこれだけの力があったのか……」
道誉は自問自答し、自らの判断を嘆いた。
その時である。金剛山とは反対側、風の森峠の方角から気勢が上がった。正儀が
夜が明け、あたりは明るくなる中、京極軍は背後から迫る楠木の
そこに
「何事じゃ」
「大軍です。南朝の本軍と思われます」
怒声を張り上げた道誉に、側近が応じた。
「
「残念ながら、いまだ」
「くっ、これまでか。撤退じゃ。南都(奈良)を目指して撤退じゃ」
歯ぎしりしながら、道誉は配下の諸将に
一方、公家大将の四条
その幕府本陣では、細川顕氏の郎党が、
「我が主、
細川の郎党は
「何、北畠軍が……進軍の動きはみられないとのことであったが……謀られたのか」
眉間に
(ううむ、ここで無理をしても、得るものは少ない……けちが付かぬうちに、勝ち戦を手土産に凱旋するか)
決心した
「正面から南朝本軍が兵を進めておる。目と鼻の先まで来ておるとのことじゃ。すでに京極軍は撤退した。このような中で援軍を送るのは難しい。我らはこれより南都(奈良)へ向かう。その
「はっ。承知致しました。さっそく」
細川の郎党は、
これも正儀の計略である。郎党は楠木の
しかし、南軍が迫るこの異常な状況に、百戦錬磨の
こうして幕府本軍は一矢も射ることなく、北へと撤退を開始した。
この動きに驚いたのは、本軍の東に布陣していた細川顕氏である。何が起きたのかわからないまま、自軍の危険を悟って、顕氏も全軍に撤退を命じる。この動きに、武田信武や細川頼春ら他の諸将も慌てて撤退をはじめた。
幕府軍が撤退した後、正儀は河野辺正友を伴い、奪った敵の馬で、南朝本軍の公家大将、大納言の四条
「
「三郎正儀……そうか、その
「私めの幼名をご存じなのですか」
驚いた正儀が顔を上げた。すると
「あの時の小さき
正儀には
「……麿は幼き頃のそなたを知っておる。
ここにも、笹五郎と同様に、十七年前の出来事を知る者が居た。
「そうでありましたか」
不思議な
「幾つになる」
「ははっ。十九になります。
その答えに
「そのほうの策略、見事であった。我らが手をこまねいていた
「ありがたきお言葉、痛み入ります」
そう言って正儀は頭を下げた。
「麿はそなたに謝らなければならん。そなたの兄、河内守(楠木
「……いえ……戦にはそれぞれの役割がございます。大納言様に謝っていただくなど、滅相もございませぬ」
「いや、麿が謝りたいのは、戦が始まる前のこと。河内守の献策を後押ししてやらなんだことじゃ。
あの時の兄、
「い、いえ、そのお言葉だけで十分にございます。兄も大納言様(四条
「そなた……」
「楠木殿、わしは
元弘以前、鎌倉幕府に抗った
「
「いや何の。それにしても昨夜から寝てないのであろう。少し、我が陣で休んでいけばよい」
「ありがとうございます。されど、東条はいまだ、北に
一礼した正儀は、河野辺正友を連れ立って陣を離れた。
馬を駆る正儀を見送りながら、
「大納言様、それがしは、河内守殿(
「うむ、正成の血筋は争えぬものよ。楠木正儀……朝廷にとって、楠木はますます大きな存在になるであろう」
二月も後半、正儀は仮の宮とした、
南大和から
しかし、いまだ河内の東条では、
正儀に心休まる日はなかった。
二月二十三日、この日は兄たちの四十九日であった。しかし、石川河原の
正儀は楠木家の
ささやかな法要が終わると、正儀は
「
「三郎殿(正儀)、
満子は少し元気を取り戻したようであった。それに引き換え、正儀の表情は優れない。
「
「いえ、多聞丸も御婆様(久子)も一緒ですから」
視線の先には多聞丸と
「でも、三郎殿ならば、きっと石川河原の敵を追い払い、我らを東条にお戻しいただけますよね。吉報をお待ちします」
満子は、なぜ自分たちが紀伊の橋本
多聞丸を連れて満子が本堂を離れている間に、正儀は
「先日、
正儀の説明に久子と
「厳しいことを申しますが、
「な、何を言われる……多聞丸はどうせよと言われるのじゃ。楠木家の嫡男ですぞ」
「心を鬼にして申せば、満子殿と一緒に
「そ、そんな……楠木に限って家督争いなど……」
数えで十九歳の正儀には、多聞丸と、まだ見ぬ我が子の争いなど、想像もできなかった。
困惑した正儀が隣の母、久子に目をやった。そこには、ただ黙って下を向く久子の姿があった。
伊賀局(篠塚徳子)もその一人である。昼は
そんな中、正儀は伊賀局に会うため、
「三郎様(正儀)、お待たせ致しました」
「
申し訳なさそうに言う正儀に、
「三郎様が謝ることではないではありませぬか」
「そうですか」
「そうです。吉野山は灰塵に帰しました。もう、我らはここに落ち着くしかありませぬ。北畠卿は、この
「この地に御所を……」
そう言って、正儀は何もない山間の里をぼんやりと見渡した。
その覇気のない表情を、
「何かございましたか」
「実は……」
正儀は
「……以上のような
すると、伊賀局は難しそうな顔をする。
「三郎様、御心中、
建武の
肩を落とす正儀に、伊賀局が提案する。
「まだ
「そ、それは……」
正儀は
日を改めて、正儀は、紀伊国橋本にある橋本
「三郎殿(正儀)、こちらへ」
「いえ、九郎殿(
家主の
「何かございましたか」
満子は何かを悟ったようであった。
「
意を決した正儀は、正直に北畠親房の
すると、満子の顔から笑顔が消える。
「そうですか……そのようなことがあったのですか。それで、私はここにかくまわれていたのですね……」
「
神妙な表情で正儀は手を突いた。
庭で無邪気に声を上げる多聞丸に、満子が目をやる。
「多聞丸は……多聞丸はどうなるのでございましょう」
問われても、正儀は答えることが出来なかった。見かねて久子が口を挟む。
「
気遣う久子に、満子は首を横に振る。
「三郎様、もし、多聞丸が楠木に残れば……多聞丸は楠木の跡目を継げるのでしょうか」
重い口を開こうとする正儀を、
「満子殿、三郎殿が跡目を継いだ今となっては……」
しかし、正儀は
「多聞丸が跡継ぎで間違いありませぬ。それがしの養子として、いずれ家督を多聞丸に譲りましょう」
「三郎殿っ」
そう言って
母、久子も心配する。
「三郎、本当にそれでよいのですか」
「家督を兄者(楠木
皆の心配を正儀は軽く受け流した。
「三郎様、私はこれで安心して
両手を突いた満子は、涙声で頼み込んだ。その両肩は震えていた。久子はそんな満子の上から覆い被さるように抱き締めて一緒に泣いた。
庭では、
内藤満子が摂津国の
正儀は目を
「
「三郎殿(正儀)、九郎殿(
満子も深々と頭を下げた。泣くでもなく、怒るでもなかった。その顔は、
多聞丸は
「満子殿、申し訳ない気持ちで一杯です。でも、そなただけを楠木から追い出すようなことはさせませぬ。私も楠木家を出ます」
久子の話は、満子は元より、正儀や
「満子殿に対し、楠木家が行ったことに対するけじめです。わたしは髪を落とし、
「
表情を失っていた満子が、顔に悲哀を浮かべて涙を流した。
久子は、そんな満子の手を握り、耳元に口を近づける。
「お腹の子を大事になさいませ」
一方、正儀の隣では、義行が
「
「津熊殿も」
義行の顔は辛そうだった。淡い恋心を隠していた。
満子は、郎党に
その後、宣言通り久子は、髪を降ろして
三月十八日、幕府方の河内
対する正儀は、美木多助氏を向かわせて、
翌月の四月二十六日、東条の北の守りが硬いと悟った
さらなる月を迎えても南河内の戦火は収まる気配はない。
五月十五日、幕府方の
しかし、正儀も単に手をこまねいているわけではなかった。翌日、一門の
この月の二十五日は父、楠木正成の十三回忌である。だが、
幕府は、なかなか攻略できない楠木に対し、別の手立てを講じる。
将軍御所の
広間の上座には征夷大将軍の足利尊氏が座り、左手前には副将軍の足利
二人の前で
「これよりそれがし、紀伊の南軍討伐に
その目は希望に
しかし、尊氏は意気込む
「そなたは東条には手を出すな。楠木の新たな棟梁となった虎夜刃丸……いや楠木三郎正儀は、
「正儀は
その言葉に尊氏は苦々しい顔を返す。
「
「……はっ、申し訳ありませぬ。将軍……」
希望に満ちた目は、一瞬で曇った。
「楠木の龍泉寺城が落ちぬのは、紀伊からの支援があるからじゃ。先日も紀伊の援軍を受けた楠木が、石川河原に進軍し、
尊氏は噛み砕くように言った。
「はい、承知しております」
「では、わしの
「ではさっそく。失礼つかまつります」
そう言って、
将軍、足利
「兄上、
「
「されど、血を分けた実の親子じゃ」
なぜ、これほどまでに兄が
「突如、目の前にあらわれて息子じゃと申しても、そのようには思えん。例えそうであったとしても、時として、血を分けた親子こそ始末に負えんこともある。わしは
「兄上、言葉が過ぎますぞ。
「憎んでおるのではない。もうよい。今更、
そう言うと、尊氏はすくっと立ちあがり部屋を出て行った。一方、残った
六月十八日、足利
三ヶ月後の九月二十八日、湯浅定仏の
意気揚々と
「
そう言われ、
「
執事の
これに
養父の
「兄上(尊氏)、これはどういったことじゃ」
「
単なる一門衆であれば尊氏の言い分は一理ある。
一方、
将軍御所に
一方で、養父の
このことは、実力とは関係なく、尊氏が自分を冷たくあしらっているという認識を植え付けるに十分であった。そして、次第に尊氏と、弟で嫡子の
実子、
九月末、尊氏は将軍御所に摂津の国人、池田九郎
「将軍、
「いや、そうではないのだ。手間を取らせてすまぬのう。
意外な質問に
「はあ、もう二年になります」
「そうであるか。今日、
「
思わぬことに、
「
そう言って、尊氏は
「内藤殿といえば、
「
楠木の名に
「何と、その女をそれがしの嫁に、とのことですか」
「左様。ただその女は
満子は父、
「男児を生んだと。それは
厳しい表情で
「まさにそのこと。わしは、その女と男児を、そなたの後室として、また養子として、そなたにどうかと思うておる」
驚くべきことを尊氏は淡々と言った。
あまりの展開に、
「その子は
「わしは楠木を
「されど、南朝がある限り、楠木は南朝の主軍として我らと戦わなければならんであろう。幕府はいずれ楠木家を
その理由に、さすがに
終始、沈黙していた執事の
「お主に白羽の矢を立てたのは、四十近くなっても子ができず、妻にも先立たれたからじゃ。このままでは池田の家にとっても由々しきことであろう。いずれどこからか養子をもらうのであれば、将軍の縁談を受けるのが池田の家のためになろう。楠木の血筋も残してやりたいが、池田の家も残してやりたいという将軍の思いやりぞ」
そう言って
「
そう言って尊氏は頭を下げた。
「しょ、将軍、頭をお上げください。されど、それがし一人では決められませぬ。身内とも話をしとうございます。
今、
「もちろんじゃ」
尊氏はにこやかに言葉を返すが、
「祝儀は領地一万石じゃ。よき返事をまっておるぞ」
「はっ、ははっ」
後日、摂津国
「将軍直々のお気遣い、かたじけのうございます。我が娘、満子ばかりでなく、美勝丸までも縁組いただき、池田殿に何と礼を申してよいか。きっと満子も喜んでおります」
執事の
まして満子には、自らの意志など主張する場はない。愛する夫、楠木
龍泉寺城の正儀の元に、
本丸の陣屋に入った
「三郎殿(正儀)、無作法、御許しあれ」
「小太郎殿(
「御心配をおかけ申した。傷も大夫よくはなりました。まだ
そう言って、
「小太郎殿、無理は禁物じゃ。身体がよくなるまで戦には出ぬ方がよい。しばらくはこの城に居て、それがしを助けていただけないか」
「助けるとは……」
「
楠木家の譜代の
「それがしはこのありさまゆえ、役に立てることがあれば何であれ力になりましょう」
年が明けた正平四年(一三四九年)春。
「話には聞いておりましたが、これほどまでとは……」
吉野山に着いて
「本当に……ここで暮らしていたのでしょうか……」
あまりの状況に、伊賀局も茫然と立ちつくすことしかできなかった。
しかし、そんな吉野山の痛々しい傷を
『みよし野は 見しにもあらず荒れにけり あだなる花はなほ残れども』
そして花びらを、歌の師でもあった
四月二十六日、正儀は、長野荘へ攻め入った幕府方の河内
退却していく
「当麻(武信)、これで何度目であろうな」
「そうですな、先月は
そう言って武信は溜息をついた。
正儀は
「
「であれば、いかがなされます。こちらから討って出ますか」
さすがに武信も、長く続く戦に痺れを切らせていた。
「いや、疲れて士気が落ちるのは向こうも同じであろう。今は我慢比べじゃ。それと気になる話も伝わってきておる」
「と、申しますと」
興味深そうに武信が正儀の顔を覗き込んだ。
「副将軍の足利
「なるほど、それは面白いですな。それを聞くと、
武信は正儀に笑みを返した。
その年の六月、京の四条河原で、四条大橋再建のための大規模な
田楽とは、もともとは田植え踊りなど豊作を祈る農民の
「将軍、大そうなものでございましょう。これを観るだけでも来た甲斐があったというもの」
道誉は、四条河原に造られた百間を越える三階建ての長い
「うむ。わしも楽しみにしておったが、弟(足利
「相変わらず、三条殿(足利
近くの
「あそこに
父、元成の耳打ちにも、観世はうわの空であった。猿楽ではあり得ない大規模な興行と、
観世がここに来た目的は、田楽名人と言われる本座の
舞台に上がった一忠と花夜叉が、笛や
『恨みは末も通らねば……』
曲が進み、佳境に入ろうというとき、一忠は突如、扇を取り出し、咳払いをしてからゆっくりと扇ぐ。
段取りにはない、この一忠の動作で、平常心を乱された花夜叉は
「あの動き……」
一忠の態度もさることながら、観世はその優美な動きに見入った。
演舞も終盤、猿の面をつけた稚児の曲芸が始まる。観客たちはおおいに盛り上がり、稚児が宙を舞ったところで観客は総立ちとなった。
まさにその時である。みしみしという音に人々の動きが固まった。続いて観世は、宙を舞う感覚に包まれる。
(何が起きている)
そう思った時には、すでにことが終わった後であった。
「父上(元成)、大丈夫でございますか」
「ああ、大丈夫じゃ……おい、観世、どこへ行く。おい……」
倒れた父を助け起こすと、観世はすぐに中央の
観世は周りの者を指図して素早く木切れを除いて、三人を助け出した。
道誉はその場に座り込み、大きく息をしながら観世に顔を向ける。
「助かった。礼を申すぞ。その
「
「その
「いえ……猿楽でございます」
隣の二条良基にも手を貸しながら、観世は答えた。
「何じゃ。猿楽師か」
「猿楽はお嫌いですか」
「猿楽は品というものがない」
その言葉が観世の胸に突き刺さる。
「いずれ……私めが、猿楽を田楽以上の芸能にしてみせましょう」
そう言うと、観世は立ち上がって一礼し、その場を後にした。
「猿楽を田楽以上に……か」
ふふっと口元を緩め、道誉は観世の後姿を目に焼き付けた。
この日の
この年は、正月から不吉なことが重なっていた。清水寺では、
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