第17話 南大和の戦い
正平三年(一三四八年)二月五日、
石川の河原に布陣する
一方、吉野山を焼き払った
楠木本城である赤坂城。その本丸(主郭)に建つ陣屋の広間で、正儀が後見役の橋本
「
すると正武が、ふうぅと重い吐息を重ねる。
「四条様の軍勢は数こそ多いが見かけ倒しじゃ。まして、湯浅
「うむ、寄せ集めゆえ吉野山が落ちた後、かなりの兵が逃げ出した。今や五千程度であろうか」
助氏の話を聞き、正儀は食い入るように広げた絵地図に目を落す。
「
「三郎殿(正儀)、そればかりか
苦々しそうに
帝(後村上天皇)が
そこに、近習の
焦りの色を露にした聞世が、皆の前に座る。
「三郎様(正儀)、我が手の者の知らせでは、大和に布陣する京極道誉が、
「なに、水越峠に……なぜ……」
敵の新たな動きに、正儀は頭を掻きむしった。
しかし、年長の
「
「されど、東条の北に
現実を突き付ける助氏の言葉に、諸将は重い溜め息をついた。経験豊富な
沈黙が支配する中、満を持して正儀が口を開く。
「敵は水越峠を越えられるを嫌がっておるのであろう。ならば、その水越峠を越えようではないか」
若い棟梁の突拍子もない話に、戦馴れした正武が苦笑する。
「それができれば苦労はせぬが……」
「いや、策ならあり申す。聞いてくだされ」
まさかと驚く一同を前に、正儀はしっかりと自身の考えを口にした。
皆が顔を見合わせる中、
「なるほど、面白いかも知れんな」
「ううむ、確かにこのまま四条軍が敗れれば、どのみち東条は危ない……ここは三郎殿(正儀)の策に乗ろうではないか」
正武に続き、助氏も口元を緩める。
「それがしも同意致す。さすがは正成殿の血筋よのう」
「かたじけない。では、又次郎(正友)、至急、河内をあたって、
「
正儀の
「聞世、すまぬが小波多座の伝手で、四条様の元を離れた大和の
「承知。すぐに父(服部元成)に頼んでみましょう」
任せてくれと言わんばかりに、聞世は胸に手を当てた。
二月七日、まずは和田正武が和泉に戻って挙兵する。兵を率いた正武は、南軍の宮里城や槇尾山城を落とすために春木に駐留していた
当初、不意を突かれて驚くばかりの幕府軍であったが、次第に態勢を整えて騎馬で反撃に転じる。すると和田勢を押し戻し、追撃を仕掛けた。
逃げる正武が馬上で笑みを浮かべる。
「よし、敵は思い通り、追いかけてきたぞ」
幕府勢が和田勢を追って春木谷に入り込む。
―― びゅぅぅ ――
谷の両側に潜んでいた一軍がいっせいに雪崩れ込み、正面と側面から矢を射かけた。槇尾山から出撃した橋本正高の軍勢であった。
不意を突かれた幕府勢は慌てふためき、先を走っていた騎馬兵は引き返そうと馬を反転させる。しかし、後ろから続く勢いづいた騎馬兵は、止まることができず、押し合いへし合いの大混乱に
この和泉国春木谷に於ける敗戦は、すぐに河内国の石川河原に布陣していた
「何、和田と橋本が……小勢でこしゃくなことを。大軍で押しつぶし、息の根を止めてくれるわ」
すぐに
翌、二月八日、今度は、龍泉寺城からは楠木軍が、
これまで守備に徹していた楠木軍の反撃に、幕府軍は不意を突かれて混乱に
石川河原の砦を本陣としていた
「しまった。楠木の狙いはここであったか。すぐに軍を戻すよう、春木へ伝えよ」
和泉の和田攻めに向かわせた幕府軍に戻るように早馬を送った。だが、急に大軍を呼び戻すことはできない。兵を
しかし、徐々に落ち着きを取り戻した幕府軍は楠木軍を押し返す。兵を
「敵を深追いしてはならん。春木の二の舞になるぞ」
本陣を出て兵を指揮していた
およそ二千の幕府軍は、龍泉寺城に逃げ帰ろうとする楠木軍を追う。
幕府軍の先陣は侍大将を討たれ、進軍が停滞したところに、津田武信らが率いる八百騎も反転して幕府軍に戦を仕掛けた。
そのような中、
「越州殿(
伝令が騎馬で駆け回り、やっと、幕府勢は石川河原に撤退した。
幕府軍が
この一報を赤坂城で受けた正儀は、
「これで敵もしばらく、東条攻めを
「では三郎様(正儀)、次は我らでございますな」
「うむ。又次郎(正友)、頼むぞ」
「承知、目にものを見せてやりましょう」
いつもは冷静な正友でさえ、高揚を隠せないでいた。
南大和に兵を留め置く幕府本軍、総大将の
右翼の道誉は、金剛山の
辺りを黄金色に染めて日が暮れようとする頃、道誉は側近の
「
「
「
道誉は
それは道誉だけではない。
「殿、水越峠の秀宗様は大丈夫でございましょうや。何分、初陣でございますゆえ」
「なあに、いくら楠木が粘ろうと、
自身の不安を払拭するように、道誉は定俊の
二月十二日の夜、月あかりが足下を照らす。赤坂城の守りを後見役の橋本
そこには既に大勢の
神社に集まった男たちを見て、正儀が感心しきり頷く。
「思った以上に、多くの
「はい、
後ろに立った河野辺正友が疑問に応じた。
「そうか、その笹田と申す者、連れて参れ。礼を申したい」
「承知」
と言って、すぐに正友が
目の前で片ひざ付いて頭を下げる男に、つっと正儀が歩み寄る。
「その
「いえ、とんでもございませぬ、虎夜刃丸様。それがし、いつの日か楠木の方々に恩を返したいと思うておりました」
正儀の幼名を口にして、男が顔を上げた。
「恩とは……いったい……」
「それがしの名は笹田五郎
「お前の話は母から聞いておった……そういうことであったか」
母、久子の恩情が今、巡って正儀を助けようとしていた。
御社の前に
「南軍の命運はこの一戦に掛かっておる。じゃが、決してお前たちだけを危ない目に会わすつもりはない。わしが先頭に立つ。わしら楠木が動いた後、お前たちは動いてくれればよい」
ここで負ければ後はない。兵を動かすには時として大将が命を張らねばならない。血統で兵を動かせる足利とは異なる。父や兄たちもそうやって兵を鼓舞してきた。
若き棟梁の意気込みは、日銭で雇われた者たちの心をも揺さぶる。
「若殿(正儀)、任せてくだされ」
笹五郎が胸をどんと叩き、力強く応じた。
そして、
「では、我々も参りましょう」
正友に急かされると、正儀はぶるっと武者震いで応じた。
月の光に
水越峠には柵が設けられ、その脇には数人の見張りが立っている。向こうには陣幕が張られ、焚き火によって兵たちの影が写し出されていた。
身を伏せた正友が正儀に顔を向ける。
「敵はおよそ五百といったところでしょうか」
「うむ。まだ起きている兵たちも多いようじゃ。しばらくここに潜み、兵たちが寝入るのを待とう」
互いにぼそぼそと、口に息を含みながら言葉を交わした。
数人の見張りを残し、兵たちが寝静まったところで、正儀は聞世に向け、意味ありげに頷く。
すると黒衣に身を包んだ聞世が、見張りが手薄なところを探し、柵を乗り越えて陣中に忍び込んだ。忍び事を行うときは、決まって
聞世の段取りが整うと、正儀は深く呼吸をしてから弓を引いた。矢先には油を染み込ませた布が巻かれている。郎党が、その場で起こした火を近づけると矢先が燃え上がり、正儀の顔をめらめらと照らした。
炎に顔をあおられながら、じいっと狙いを定めて
夜の炎は人々の恐怖をあおる。まして寂しい山の中である。
「うわあ、何じゃ」
「皆を起こせ」
「火を消せ」
見張りの声で、寝ていた兵たちも飛び起きる。そして、火を消すために右往左往と駆け回った。
しかし、新たな火矢が次々に陣中を襲う。矢が飛んでくるたびに、聞世が撒いていた油に引火して、あちらこちらから火の手があがった。
若き大将、京極
「何事か」
「て、敵襲にございます。柵の向こうに十人ばかりの人影が……」
これに秀宗は胸を
「そうか……敵はたかだか十人か。よし、追い込んで討ち取るのじゃ」
秀宗の
この事態に正儀らは、柵を背にして一目散に逃げるしかない。後ろからは京極の兵、二百あまりが怒声を発して追い駆けてきていた。
「よし、この辺りでよかろう」
危機迫る中、正儀は声を上げて立ち止まった。
するとそこに、津熊義行と百人ほどの楠木の兵が峠道に現れる。
「今じゃ、出合え、出合え」
義行らが口々に叫ぶと、さらに笹五郎が率いる
「者ども、掛かれ」
笹五郎の声で、
月光に白む木々と深い闇。巧妙に森に隠れて戦う
「敵襲じゃ」
「逃げろ、逃げろ」
声を上げて柵に戻ってくる兵たちに驚いたのは、柵向こうで指揮をとっていた京極秀宗である。
「者ども、逃げるな。押し留まって、敵を討つのじゃ」
秀宗と近習たちは陣を立て直そうとした。しかし、騒然とする兵たちの声で、秀宗の声はかき消される。
いったん撤退をはじめた兵たちは、柵向こうの兵たちまでも巻き込んで敗走していく。結果、立ち止まって兵を鼓舞していた秀宗と近習たちは、逆に楠木勢に囲まれることとなった。
「狙い通り、柵を壊す手間が省けましたな」
ほくそ笑む河野辺正友ととも柵の中に入った正儀は、大混乱の中に敵将の秀宗を見定める。
「その出で立ち、大将の佐々木
ぎょっとして秀宗が声の方をみた時には、すでに正儀と正友が
すぐ様、正儀が秀宗を組み伏す。ぱちぱちと音を立てる柵の炎が、秀宗の顔を照らした。
正儀は初めてその顔を凝視する。
(自分と同じ位の歳ではないか)
一瞬の迷いが正儀を苦境に落とす。秀宗が正儀に抱き付き、ぐるっと上下を入れ替えて、身体を押さえつけたからであった。
「楠木の棟梁じゃと。願ってもなき相手、死ねっ」
刀を構えた秀宗が、正儀の上から声を張り上げた。
目の前でぎらつく切っ先に、正儀は思わず目を
―― ずさっ ――
―― ううぅ ――
うめき声と共に、正儀の身体が重くなる。目を開けると、秀宗が力なく、のしかかっていた。
正儀は、何とか払いのけて立ち上がる。そこには、正友によって背中を突かれ、息絶え絶えの秀宗の姿があった。
「お……おのれ……」
そう言って、正儀を睨んだまま、秀宗は息絶えた。
生死の淵から生還した正儀は、肩で大きく息をしながら、横たわる秀宗を見つめた。一歩間違えば、自分だったかもしれない。正儀はただ、その場に立ちすくんだ。
「三郎様(正儀)、
呆然自失の正儀に正気を与えたのは河野辺正友であった。すでに京極勢は南大和に向かって逃げ出している。
「あ、ああ……わかっておる。このまま一気に峠を駆け降りるぞ。皆の者、ついて参れ」
「うおお……」
楠木の兵と笹五郎らの
こちらは、金剛山の東の麓、
「父上、一大事でございます」
「な、何があった」
嫡男、京極秀綱の声に、道誉が飛び起きて陣幕を捲った。
「水越峠が敵に襲われた模様。味方の兵が次々に山を下っているとのこと」
秀綱の言葉に道誉は目をむく。
「何、本当か。秀宗は無事か」
「消息はわかりませぬ。逃げる兵を追って敵が峠を越えて追撃してきておるようです」
「敵……敵とは誰じゃ」
恐る恐る道誉は問い返した。
「菊水の旗印。楠木です」
聞く前から相手が楠木であることはわかっていた。一瞬なりとも楠木に感じた不気味さに、道誉は素直に従えばよかったと後悔する。
「くそ、秀宗を助けよ。急ぎ出陣する。
水越峠から続く山道を大和側へ出たところに広がる平地が名柄。道誉の陣より風の森峠を越えて一里ほど北である。
佐々木京極軍は慌ただしく支度を整え出陣した。
東の空がかすかに白くなるころ、少しずつ水越峠の状況が風の森に伝わる。敵は五百。楠木の郎党は少なく、身なりから察すると多くが
「秀宗……くそ、楠木にこれだけの力があったのか……」
道誉は自問自答し、自らの判断を嘆いた。
その時である。
―― びゅっ ――
矢が道誉の耳をかすめた。
「なにっ」
―― ううぉぉ ――
風の森の木々の合間を縫って、
夜が明け、あたりが明るくなる中、京極軍は峠道の左右から散々に矢を射掛けられ、道誉と嫡男秀綱が負傷するほどの手痛い敗北を喫する。そして、命からがら平田荘(飛鳥)へ向けて敗走した。
幕府本軍の総大将、
その幕府本陣の中では、左翼を担う細川顕氏の郎党が、
「我が主、
細川の郎党は頭を低くして、
「何、伊勢の軍も……進軍の動きはみられないとのことであったが……誤報であったというのか」
眉間に
すでに右翼の京極軍が撤退し、ここに来て、左翼の細川軍は東から押し寄せた伊勢の北畠軍によって押されているという。そして、目の前には南朝本軍。昨日まで圧倒的優位な状況だっただけに、まるで狐につつまれたような気分であった。
脳裏に、自分を快く思っていない足利
(ここでけちがつけば折角の手柄が台無しじゃ。今のうちに勝ち戦を手土産に凱旋するか)
南朝本軍を破っても、南帝(後村上天皇)はさらに南に動座することは目に見えている。そもそも、短期決戦用の大軍を、これ以上留め置くことも難しかった。
腹が決まった
「正面から南朝本軍が兵を進めておる。目と鼻の先まで来ておるとのことじゃ。すでに京極軍は撤退した。このような中で援軍を送るのは難しい。我らはこれより平田荘(飛鳥)へ戻る。その
「はっ。承知致しました。さっそく」
細川の郎党は
深めに被った兜の下には
帰路に着いた幕府本軍は平田荘(飛鳥)に向かうため、
率いる
「御注進、
「何じゃとっ。何れの者か」
馬上の
「旗印から楠木と越智、後は
「楠木……どうして楠木がここに……」
さすがに
水越峠を越えて大和に入った正儀は、敗走する京極軍を追って東に進軍していた。そこで
―― びゅっ、びゅっ ――
正儀らは矢を放って幕府勢を足止めした。
「くそ、たかだか千騎じゃ。蹴散らせ」
目を吊り上げた
しかし、正儀たちはまともに迎え撃つことはせず、兵を左右に雲散させる。そして、別の場所で軍勢を立て直して、再び幕府軍に矢を射掛けた。味方が来るまでの時間稼ぎである。
すると、ついには南朝本軍が
帰路にあった幕府軍の士気は低い。これも勘案した
幕府本軍が撤退した後、正儀は河野辺正友を伴い、南朝本軍の大納言、四条
その脇には大和の源氏、
「
「楠木三郎……そうか、その
「わ、私めの幼名をご存じなのですか」
思わぬ言葉に正儀が顔を上げた。
すると
「あの時の小さき
ここにも笹五郎と同様に、十七年前の出来事を知る者が居た。正儀は不思議な
「幾つになる」
「ははっ。十九になります。
これに
「そのほうの策略、見事であった。我らが手をこまねいていた
「ありがたきお言葉、痛み入ります」
少し頬を赤らめて頭を下げた。
まだ少年のように純真な正儀に、
「麿はそなたに謝らなければならん。そなたの兄、河内守(楠木
「……いえ……戦にはそれぞれの役割がございます。大納言様に謝っていただくなど、滅相もございませぬ」
「いや、麿が謝りたいのは、戦が始まる前のこと。河内守の献策を後押ししてやらなんだことじゃ。
あの時の兄
「い、いえ、そのお言葉だけで十分にございます。兄も大納言様のお気持ちを嬉しく思うでしょう。どうか、後悔の念は今日をもってお忘れください」
「そなた……」
そこに、隣の男が進み出る。
「楠木殿、わしは
「いえ、こちらの方こそ、
「いや何の。それにしても昨夜から寝てないのであろう。少し、我が陣で休んでいけばよい」
「ありがとうございます。されど、東条はいまだ、北に
一礼した正儀は河野辺正友を連れ立って陣を離れた。それは陣中に吹き込んだ春風の様でもあった。
去り行く正儀を見送りながら、
「河内守殿(
「うむ、
この
しかし、幕府本軍が南大和から撤退しても、官位官職を与えられても、正儀に心休まる日は来なかった。
短期で終わると思われた楠木残党の掃討戦は、南北両朝の守護対守護の腰を据えた争いに、その様態を変えていくのであった。
二月二十三日、桜のつぼみがほころび、淡い紅の一片が顔を覗かせるようになっていた。
この日は兄たちの四十九日。しかし、石川河原の
ささやかな法要が終わると、正儀は
「三郎殿(正儀)、
満子は少し元気を取り戻したようであった。
それに引き換え、正儀の表情は冴えない。
「
「いえ、多聞丸も御婆様(久子)も一緒ですから」
視線の先には孫と
「でも、三郎殿ならば、きっと石川河原の敵を追い払い、我らを東条にお戻しいただけますよね。吉報をお待ちします」
正儀はその言葉を聞いて、ますます
多聞丸を連れて満子が席を離れている間に、正儀は
「先日、
内藤
沈んだ正儀の声に、二人の表情も曇る。
「厳しいことを申しますが、
冷静な
「な、何を言われる……多聞丸はどうせよと言われるのじゃ。楠木家の嫡男ですぞ」
「心を鬼にして申せば、満子殿と一緒に
「そ、そんな……楠木に限って家督争いなど……」
数えで十九の正儀には、まだ見ぬ我が子と多聞丸の争いなど、想像もできなかった。
困惑した正儀が母、久子に目をやる。そこには、ただ黙って下を向く久子の姿があった。
「三郎様(正儀)、お待たせ致しました」
この日、突然訪ねてきた正儀に、つい、心をはずませる。
「
申し訳なさそうな正儀に、
「三郎様が謝ることではないではありませぬか」
「そうですか」
「そうです。吉野山は灰塵に帰しました。もう、我らはここに落ち着くしかありませぬ。北畠卿は、この
「この地に御所を……」
そう言って、正儀は何もない山間の里をぼんやりと見渡した。
その覇気のない表情に、
「何かございましたか」
「実は……」
正儀は
「……以上のような
すると、
「三郎様、御心中、お察し致します。
建武の
「まだ
「そ、それは……」
反論を試みようとした正儀であったが、次の言葉が出てこない。二十歳にも満たぬ若者に、人の機微を察した妙案など浮かぶはずもない。結局、伊賀局に背中を押され、正直に満子に伝える事を決める。
日を改めて正儀は、再び、紀伊国橋本にある橋本
「三郎殿(正儀)、こちらへ」
「いえ、九郎殿(
家主の
さすがに満子も何かを悟ったようである。
「何かございましたか」
「
意を決した正儀は、正直に北畠親房の
すると、満子の顔から、すうっと表情が消える。
「そうですか……そのようなことがあったのですか。それで、私はここにかくまわれていたのですね……」
「
神妙な顔で正儀は手を突いた。あとは無言である。
対照的に庭で無邪気に声を上げる多聞丸に、満子が目をやる。
「あの子は……多聞丸はどうなるのでございましょう」
問われても、正儀は答えることが出来なかった。
「
見かねて久子が口を挟んだ。
気遣う久子に、満子は首を横に振る。
「三郎殿、もし、多聞丸が楠木に残れば……多聞丸は楠木の跡目を継げるのでしょうか」
重い口を開こうとする正儀を、
「満子殿、三郎殿が跡目を継いだ今となっては……」
しかし、正儀は意を決し、
「多聞丸が跡継ぎで間違いありませぬ。それがしの養子として、いずれ家督を多聞丸に譲りましょう」
「三郎殿っ」
そう言って
母、久子もぎょっとして目を合わせる。
「三郎、本当にそれでよいのですか」
「家督を兄者(楠木
皆の心配を軽く受け流した。当然のことを言ったまでである。若い正儀は、それ以上、深く考えることができなかった。
「三郎殿、私はこれで安心して
両手を突いた満子は、涙声で頼み込んだ。その両肩は震えている。久子はそんな満子の背中から覆い被さるように抱き締めて一緒に泣いた。
庭では多聞丸が館の中の母の様子に気づき、遊ぶのを止めて心配そうに見つめていた。
桜の花もすっかり散り、まぶしい若葉に置き換わった頃であった。満子が摂津国
「
正儀は目を
「三郎殿(正儀)、九郎殿(
満子も深々と頭を下げる。泣くでもなく、怒るでもなかった。その顔は、
多聞丸は
「満子殿、申し訳ない気持ちで一杯です。でも、そなただけを楠木から追い出すようなことはさせませぬ。私も楠木家を出ます」
久子の話は、満子はもとより、正儀や
「満子殿に対し、楠木家が行ったことに対するけじめです。私は髪を落とし、
「
表情を失っていた満子が、堰を切ったように、ぼろぼろと涙を流した。
久子は、そんな嫁の手を握り、耳元に口を近づける。
「お腹の子を大事になさいませ」
子を生んだ者にしかわからぬことであった。
一方、正儀の隣では、義行が
「
「津熊様も」
義行にとっても辛い日である。それは、まだ恋とも言えぬ、儚く淡いものであった。
満子は郎党に
その後、宣言通り久子は髪を降ろして
三月十八日、幕府方の河内
対する正儀は、美木多助氏を向かわせて、
翌月の四月二十六日、東条の北の守りが硬いと悟った
さらなる月を迎えても南河内の戦火は収まる気配はない。
五月十五日、幕府方の
しかし、正儀も単に手をこまねいているわけではない。翌日、一門の
この月の二十五日は父、楠木正成の十三回忌。だが、
幕府は、なかなか攻略できない東条に対し、別の手立てを講じる。
長雨が終わった京の都。湿気に被われた
上座には征夷大将軍の足利尊氏。左手前には副将軍の足利
その二人の前で若者が頭を下げる。
「これより紀伊の南軍討伐に
その目は希望に
「そなたは東条には手を出すな。楠木の新たな棟梁となった虎夜刃丸……いや楠木三郎は、
意気込む
しかし、この若者に臆する風はない。
「奴は
その言葉に尊氏の
「
「はっ、申し訳ありませぬ。将軍……」
希望に満ちた目は、一瞬で曇った。
「東条が落ちぬのは、紀伊の支援があるからじゃ。先日も紀伊の援軍を受けた楠木が、石川河原に進軍し、
尊氏は噛んで含むように言った。
「はい、承知しております」
「では、わしの
「ではさっそく……失礼つかまつります」
足利
「兄上、もう少し優しい言葉をかけてやってはどうじゃ」
「
「
「突如、目の前にあらわれて息子じゃと申されても、そのようには思えん。例えそうであったとしても、時として、血を分けた親子こそ始末に負えんこともある。わしは
「兄上、言葉が過ぎますぞ。
「憎んでおるのではない。もうよい。今更、
そう言うと、尊氏はすくっと立ちあがり部屋を出て行った。一方、残った
六月十八日、
三ヶ月後の九月二十八日、湯浅定仏の
意気揚々と将軍御所に入った
「
そう言われ、
「
執事の
これに
養父の
「兄上(尊氏)、これはどういったことじゃ」
「
単なる一門衆であれば尊氏の言い分は一理ある。
当の
事実、将軍御所に
自然と
一方で、養父の
このことは、実力とは関係なく、尊氏が自分を冷たくあしらっているという認識を植え付けるに十分であった。
実子の
九月末、尊氏は将軍御所に摂津の国人、池田九郎
「将軍、
「いや、そうではないのだ。手間を取らせてすまぬのう。
意外な問いに
「はあ、もう二年になります」
「そうであるか。今日、
「
思わぬことに、
「
そう言って、尊氏は
「内藤殿といえば、
「
敵方である楠木の名に
「何と、その女をそれがしの嫁に、というのですか」
「左様。ただその女は
満子は父、
「男児を生んだと。それは
厳しい表情で
「まさにそのこと。わしは、その女と男児を、そなたの後室として、また養子として、そなたにどうかと思うておる」
驚くべきことを尊氏は淡々と言った。
あまりの展開に、
「その子は
「わしは楠木を
「されど、吉野(
その身勝手な理由に、さすがに
終始、沈黙していた執事の
「お主に白羽の矢を立てたのは、四十近くなっても子がおらず、妻にも先立たれたからじゃ。このままでは池田の家にとっても由々しきことであろう。いずれどこからか養子をもらうのであれば、将軍の縁談を受けるのが池田の家のためになろう。楠木の血筋も残してやりたいが、池田の家も残してやりたいという将軍の思いやりぞ」
そう言って
「
そう言って尊氏は頭を下げた。
「しょ、将軍、頭をお上げください。されど、それがし一人では決められませぬ。身内とも話をしとうございます。
今、
「もちろんじゃ」
尊氏はにこやかに言葉を返すが、
「祝儀は領地一万石じゃ。されど、断れば池田の領地は減ることにもなるやも知れぬ。いや、賢明なそなたのこと。まさかそのようなことにはならぬであろう。よき返事をまっておるぞ」
「はっ、ははっ」
しかし、真に
楠木本城である赤坂城の正儀の元に、
本丸の陣屋に入った
「三郎殿(正儀)、無作法、御許しあれ」
「小太郎殿(
「御心配をおかけ申した。傷も大夫よくはなりました。まだ
そう言って傷む足を押えた。
「小太郎殿、無理は禁物じゃ。身体がよくなるまで戦には出ぬ方がよい。しばらくはこの城に居て、それがしを助けていただけないか」
「助けるとは……」
「
楠木家譜代の
「それがしはこのありさまゆえ、役に立てることがあれば何であれ力になりましょう」
この度の幕府軍の南河内、南大和の侵行で深い傷を負ったのは人ばかりではなかった。
年が明けた正平四年(一三四九年)春。
「話には聞いておりましたが、これほどまでとは……」
吉野山に着いて
吉野山は、
「本当に……ここで暮らしていたのでしょうか……」
あまりの状況に、伊賀局も茫然と立ちつくすことしかできなかった。
しかし、そんな吉野山の痛々しい傷を
『みよし野は 見しにもあらず荒れにけり あだなる花はなほ残れども』
そして花びらを、歌の師でもあった
親王は先帝の第四皇子で、帝(後村上天皇)の異母兄である。朝廷が吉野に移ってから、南朝勢力を拡大するために、東海に下向していた。今は、
四月二十六日、正儀は、河内の長野荘へ攻め入った幕府方の河内
退却していく
「当麻(武信)、これで何度目であろうな」
「そうですな、先月は
そう言って武信は溜息をついた。
正儀は
「敵は、我らが内から崩れていくのを待っておるのやも知れぬな。兵を挙げても我らが出張って戦が始まれば、潮が引くように兵を引き上げる。何度も何度も繰り返しじゃ。一族の諸将も早く自らの所領に帰りたいであろう。こちらが疲れて士気が落ちたところを大軍で攻め落す……そんなところか」
「であれば、いかがなされます。こちらから討って出ますか」
さすがに武信も、長く続く戦に、疲労の色を濃くしていた。
「いや、疲れて士気が落ちるのは向こうも同じであろう。今は我慢比べじゃ。それと気になる話も伝わってきておる」
「と申しますと」
興味深そうに武信が正儀に顔を向けた。
「副将軍の足利
「なるほど、それは面白いですな。それを聞くと、
津田武信は幼いときから向こう気が強い。冷静な
その年の六月、京の四条河原で、四条大橋再建のための大規模な
田楽とは、もともとは田植え踊りなど豊作を祈る農民の
ここに
「将軍、大そうなものでございましょう。これを観るだけでも来た甲斐があったというもの」
道誉は、四条河原に造られた百間を越える三階建ての長い
「うむ。わしも楽しみにしておったが、弟(足利
「相変わらず、三条殿(足利
道誉は、
近くの
「あそこに
父、元成の耳打ちにも、観世はうわの空であった。猿楽ではあり得ない大規模な興行と、
観世がここに来た目的は、田楽名人と言われる本座の
最初の演目は、その一忠と新座の花夜叉の立合、つまり、二人が同時に演舞して勝ち負けを競うものであった。
舞台に上がった一忠と花夜叉が、笛や
『恨みは末も通らねば……』
曲が進み、佳境に入ろうというとき、一忠は突如、扇を取り出し、咳払いをしてからゆっくりと扇ぐ。
段取りにはない、この一忠の動作で平常心を乱された花夜叉は
「これが京の田楽……」
一忠の態度もさることながら、観世は、猿楽とは異なる腰鼓や太鼓の音曲、踊り手たちの編成、華美な装束などに見入った。
演舞も終盤、猿の面をつけた稚児の曲芸が始まる。観客たちはおおいに盛り上がり、稚児が宙を舞ったところで観客は総立ちとなった。
まさにその時である。みしみしという音に人々の動きが固まった。続いて観世は、宙を舞う感覚に包まれる。
(何が起きている)
そう思った時には、すでにことが終わった後であった。
「ち、父上(元成)、大丈夫でございますか」
「あ、ああ、大丈夫じゃ……おい、観世、どこへ行く。おい……」
倒れた父を助け起こすと、観世はすぐに中央の
観世は周りの者を指図して素早く木切れを除いて、三人を始め観客を助け出した。
道誉はその場に座り込み、大きく息をしながら観世に顔を向ける。
「助かった。礼を申すぞ。その
「
「その
「いえ……猿楽でございます」
隣の二条良基にも手を貸しながら、観世は答えた。
「何じゃ。猿楽師か」
「猿楽はお嫌いですか」
「猿楽は品というものがない」
その言葉が観世の胸に突き刺さる。
「いずれ……いずれ、私めが、猿楽を田楽以上の芸能にしてみせましょう」
そう言うと、観世は立ち上がって一礼し、その場を後にした。
「猿楽を田楽以上に……か」
ふふっと口元を緩め、道誉は観世の後姿を目に焼き付けた。
この日の
そもそもこの年は、正月から不吉なことが重なっている。清水寺では、
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