第17話 南大和の戦い

 正平三年(一三四八年)二月五日、南河内の東条に、まだ春は訪れない。

 龍泉寺城の正儀は、いまだ石川河原に布陣する高師泰こうのもろやすの幕府搦手からめて軍と、睨みあったままである。一方、吉野山を焼き払った高師直こうのもろなお率いる幕府本軍は、そのまま、吉野周辺に留まっていた。


 本丸(主郭)に建つ陣屋の広間では、正儀が後見役の橋本正茂まさもち、一門の和田正武、与力の美木多助氏らと策を講じていた。

 助氏が苦々しい表情を見せる。

高師直こうのもろなおの本軍が、吉野から動く気配を見せておる。宇智うちの四条大納言様(隆資たかすけ)の軍勢を叩くつもりであろう」

 すると正武が、ふうぅと重い吐息を重ねる。

「四条様の軍勢は数こそ多いが見かけ倒しであろう。まして、湯浅定仏じょうぶつ殿(宗藤むねふじ)も穴生あのうつかわされたままじゃし……とても高師直こうのもろなおには歯が立たん」

「うむ、寄せ集めゆえ吉野山が落ちた後、かなりの兵が逃げ出した。今や五千程度であろうか」

 助氏の話に、正儀は広げた絵地図に目を落す。

宇智うちが落ちれば、東条は南からも敵の侵入を許してしまう」

「三郎殿(正儀)、そればかりか、穴生あのうの帝(後村上天皇)まで危うくなる。南大和から、何とかして幕府軍を追い払う手立てを考えねばならん」

 そう言って正茂まさもちは腕を組んだ。

 帝(後村上天皇)が穴生あのうに動座したことで、南朝本軍が駐留する宇智うちは、背後の行宮あんぐうを護って、幕府本軍に正面から対峙する位置にあった。

 そこに河野辺かわのべ正友が、小波多こはた座の座長、竹生大夫ちくぶだゆうこと服部元成を連れ立って入ってくる。元成は挨拶も早々に、正儀の前に座り、おもむろに切り出す。

「三郎殿(正儀)、我が手の者の知らせでは、大和に布陣する京極道誉が、水越みずこし峠に一隊を差し向けた模様です」

「なに、水越峠に……」

 新たな報に、正儀は顔をしかめた。

 一方、正茂まさもちあごに手を当てながら軽く頷く。

「なるほど、高師直こうのもろなお宇智うちの四条軍と戦うにあたり、背後のうれいをなくしたいのじゃな。我らが水越峠から南大和へ入れば、ちょうど敵の背後をとることができる。それを見越して水越峠を押えたということか」

「されど、いずれにせよ、東条の北に高師泰こうのもろやすの軍勢がっては、我らは身動きがとれぬ」

 現実を突き付ける助氏の言葉に、諸将は溜め息をついた。

 そんな一同を見回して、正儀が口を開く。

「敵は水越峠を越えられるを嫌がっておるのであろう。ならば、その水越峠を越えようではありませぬか」

 若い正儀の提案に、正武は苦笑する。

「それができれば苦労はせぬが……」

「いや、策ならあり申す。聞いてくだされ」

 まさかと驚く一同を前にして、正儀は自身の策を説いた。

 皆が目を丸くする中、正茂まさもちが興味深く頷く。

「ううむ、面白いかも知れんな」

「確かに……このまま、四条軍が敗れれば、どのみち東条は危ない。ここは三郎殿(正儀)の策に乗ろうではないか」

 正武に続き、助氏も口元を緩める。

「それがしも同意致す。さすがは正成殿の血筋よのう」

「かたじけない。では、又次郎(正友)、至急、河内の野伏のぶせをあたって、傭兵ようへいを集められるだけ集めるのじゃ。幕府を南河内・南大和から追い払うことができれば、野伏のぶせどもに所領を与えると伝えよ」

かしこまってござる」

 正儀のめいに、正友はすぐさま座を外した。

「元成殿、すまぬが小波多座の伝手で、四条様の元を離れた大和の野伏のぶせを、今一度集めてくれ。それと、宇智うちの四条大納言様と越智おち伊賀守いがのかみ殿に書状を書くので届けてくれまいか」

「三郎殿のお役に立てるなら、喜んでお引き受け致しましょう」

 任せてくれと言わんばかりに、元成は胸に手を当てた。

「帝を御救いするためにも、この戦、必ず勝たねばならん。棟梁の三郎殿を盛り立て、一丸となってこの修羅場を乗り越えようぞ」

 正茂まさもちの言葉に、皆、決意を固くして頷いた。


 二月七日、まず、和田正武が和泉に戻って挙兵した。兵を率いた正武は、和泉国春木に駐留していた高師泰こうのもろやすの支軍を襲う。和田勢は得意の騎馬で幕府勢を蹂躙じゅうりんした。

 当初、驚くばかりの幕府勢であったが、次第に態勢を整えて騎馬で反撃に転じる。幕府勢は和田勢を押し戻し、追撃を仕掛けた。

 逃げる正武は馬上で笑みを浮かべる。

「よし、敵は思い通り、追いかけてきたぞ」

 幕府勢が和田勢を追って春木の谷合いに入り込む。そこへ、潜んでいた和田の兵がいっせいに立ち上り、正面と側面から矢を射かけた。

 不意を突かれた幕府勢は慌てふためき、先を走っていた騎馬兵は引き返そうと馬を反転させる。しかし、後ろから続く勢いづいた騎馬兵は、止まることができず、押し合いへし合いの大混乱におちいる。そこに和田の騎馬隊が襲い掛かった。


 この和泉国春木に於ける敗戦は、すぐに河内国の石川河原に布陣していた高師泰こうのもろやすに伝えられた。

「和田め、小勢でこしゃくなことを。大軍で押しつぶし、息の根を止めてくれるわ」

 すぐに師泰もろやすが大軍をいて和泉の春木に送った。


 翌、二月八日、今度は、龍泉寺城からは楠木軍が、高師泰こうのもろやすが陣を張る石川河原に討って出る。津田武信、篠崎久親らが八百騎を率いていた。

 これまで守備に徹していた楠木軍の反撃に、幕府軍は不意を突かれて混乱におちいる。楠木の騎馬は、四條畷しじょうなわてかたきを晴らすように、果敢に突入を見せた。

 石川河原の砦を本陣としていた高師泰こうのもろやすは、郎党の報告に床几しょうぎから立ち上がる。

「しまった。楠木の狙いは、この石川河原であったか、すぐに軍を戻すよう、春木へ伝えよ」

 和泉の和田攻めに向かわせた幕府軍に、戻るように早馬を送った。だが、急に大軍を呼び戻すことはできない。兵をかれたところに、不意打ちをくらい浮足立つ幕府軍を、楠木軍は散々に翻弄ほんろうした。しかし、徐々に落ち着きを取り戻した幕府軍は楠木軍を押し返す。

 兵をかれていたとはいえ、石川河原の幕府軍は五千を下らない。さすがに大軍の前では抗うことができず、楠木軍はじりじりと後退し、東条に向けて撤退を開始した。

「敵を深追いしてはならん。春木の二の舞になるぞ」

 本陣を出て兵を指揮していた師泰もろやすは、声を張り上げた。しかし、混乱する戦場いくさばで、下知げちは全ての兵たちには届かなかった。

 およそ二千の幕府軍は、龍泉寺城に逃げ帰ろうとする楠木軍を追う。佐備さびへの入り口である佐備谷口さびだにぐちに幕府軍が入ったところで、潜んでいた美木多助氏の軍勢が幕府軍に矢を射かけ、騎馬で突進した。和泉国の春木の戦を大規模にしたのが、この佐備谷口さびだにぐちでの戦いであった。

 幕府軍の先陣は侍大将を討たれ、進軍が停滞したところに、津田武信らが率いる八百騎も反転して幕府軍に戦を仕掛けた。

 そのような中、師泰もろやすが放った伝令が追い付き、声を張り上げる。

「越州殿(師泰もろやす)のお達しじゃ。深追いはならん。撤退せよ。楠木はどのような罠を仕掛けておるかわからんぞ。深追いはならん。撤退せよ。越州殿のお達しであるぞ」

 伝令が騎馬で駆け回り、やっと、幕府勢は石川河原に兵を引き上げた。


 幕府軍が佐備谷口さびだにぐちから撤退すると、津田武信らは兵を龍泉寺城へと引き上げた。本丸にある陣屋で、正儀と、後見役の橋本正茂まさもちらが出迎える。

「当麻(津田武信)も六郎(篠崎久親)もご苦労であった。これで敵もしばらく、東条攻めを躊躇ちゅうちょするであろう」

 労う正儀のかたわらから、河野辺正友が声を上げる。

「三郎様(正儀)、次は我らでございますな」

「うむ。又次郎(正友)、頼むぞ」

かしこまってござる」

 正友は口元を引き締めて頷いた。


 一方、吉野山を焼き払った幕府本軍、総大将の高師直こうのもろなおは、下市しもいちまで兵を動かしていた。ここで、左翼に佐々木京極道誉、右翼に細川顕氏、背後に武田信武らを配置して、公家大将、四条隆資たかすけが率いる宇智うちの南朝本軍と対峙した。

 左翼の道誉は、金剛山の麓、風の森峠の西に布陣し、四条軍を北から牽制していた。道誉の目下の気掛かりは、金剛山を越えて西にある東条の楠木である。楠木勢が水越みずこし峠を越えて南大和に討ち入ってくれば、京極軍は背後を突かれる状況にあった。そこで、道誉は次男の京極秀宗ひでむねに命じ、水越峠に柵を設けて楠木の侵攻を防ごうとしていた。

 日が暮れようとする頃、道誉は側近の箕浦みのうら定俊を呼び寄せる。

師泰もろやすはまだ東条を落せずにおるのか」

御意ぎょい

四條畷しじょうなわてで棟梁と舎弟が死んだというに、楠木は粘るのう。今や誰が率いているのかさえわからんというのに……」

 道誉は高師泰こうのもろやすの怠慢な動きに不満を抱くとともに、粘る楠木に不気味さを感じていた。

 定俊も心配を口にする。

「殿、水越峠の秀宗様は大丈夫でございましょうや。何分、初陣でございますゆえ」

「なあに、いくら楠木が粘ろうと、師泰もろやすが大軍をようして対峙しておるのじゃ。小勢の楠木が南大和に進軍することなど、できようはずもない。だからこそ、水越峠を秀宗に任せたのじゃ。峠を我らが封鎖したことが敵に知れれば、十分に目的を果たしたといえよう」

 楠木に感じる不気味さを払拭するように、道誉は定俊に語った。


 二月十二日の夜。月あかりのもと、龍泉寺城の守りを橋本正茂まさもちに任せ、正儀は河野辺正友、津熊義行、そして聞世もんぜ(服部成次)ほか五十人ばかりを率いて赤坂城へ入った。すでに城には大勢の野伏のぶせが集まり、その数は四百を超えていた。石川河原の高師泰こうのもろやすと対峙している以上、正規軍は東条に残さざるを得ない。よって、今、正儀が率いることができるのは、この野伏のぶせたちしか居なかった。

 城に集まった野伏のぶせたちを見渡し、正儀が正友に振り返る。

「思った以上に、多くの野伏のぶせが集まったな」

「はい、笹田ささだと申す野伏のぶせの頭領が、河内のあちらこちらからき集めたそうです」

「そうか、その笹田と申す者、連れて参れ。礼を申したい」

「承知」

 すぐに正友が、その野伏のぶせの頭領を連れてくる。

 目の前で片ひざ付いて頭を下げる男を、正儀が労う。

「そのほう、よくぞこれだけの野伏のぶせを集めてくれた。かたじけない」

「いえ、とんでもございませぬ、虎夜刃丸様。それがし、いつか楠木の方々に恩を返したいと思うておりました」

 正儀の幼名を口にした男が顔を上げた。野伏のぶせの頭領らしく、髭面ひげづら強面こわもて。だが、よく見ると優しい目をしている。しかし、正儀に見覚えはない。

「恩とは……いったいどういうことじゃ」

「それがしの名は笹田五郎宗明むねあき。周りから笹五郎ささごろうと呼ばれております。今から十七年も昔のことです。それがしは山賊の一味に誘われ、楠木の方々を捕えるために観心寺を襲撃しました。されど、思わぬ者たちの助太刀で返り討ちに合ったところを、奥方様の恩情でいのちを助けていただきました」

 長持ながもちに隠した虎夜刃丸を護良もりよし親王が救った話は、母、南江久子から、何度も聞かされた話である。その時、山賊の一味にもかかわらず、長持ながもちの中の虎夜刃丸をかばおうとしたのがこの笹五郎であった。

「お前の話は母から聞いておった……そういうことであったか」

 母、久子の恩情が今、巡って正儀を助けようとしていた。

 側近の正友が軍略を説明した後、正儀が野伏のぶせたちの中に進み出る。

「段取りは今、説明した通りじゃ。わしら楠木の者が動いた後に、お前たちは動いてくれればよい。では手筈通り、潜伏してくれ」

「若殿(正儀)、任せてくだされ」

 笹五郎が胸をどんと叩き、力強く応じた。

 そして、野伏のぶせたちを率い、敵に悟られぬよう松明たいまつともさず、月あかりだけを頼りに山に入った。

「では、我々も参りましょう」

 正友に急かされた正儀は、武者震いで応じた。


 正儀は、河野辺正友と聞世(服部成次)、さらに郎党十人ばかりを伴い、息をひそめて水越峠に近づいた。

 峠の山道には柵が設けられ、向こうには数人が見張りに立っている。さらにその向こうには、陣幕が張られ、焚き火によって兵たちの影が写し出されていた。

 身を伏せながら正友が正儀に顔を向ける。

「敵はおよそ五百といったところでしょうか」

「うむ。まだ起きている兵たちも多いようじゃ。しばらくここに潜み、兵たちが寝入るのを待とう」

 数人の見張りを残し、兵たちが寝静まったところで、正儀は聞世に顔を向け、意味ありげに頷く。すると黒装束に身を包んだ聞世が、柵を越えて陣中に忍び込んだ。以前から聞世は、諜報の仕事を行うときは、小波多こはた座の裏方が着るこの黒い衣を着ている。夜に溶け込み、動きやすいからであった。

 段取りが整うと、正儀は深く呼吸をしてから弓を引く。矢の先端には油を染み込ませた布が巻かれている。郎党が、その場で起こした火を近づけると矢先が燃え上がり、正儀の顔を明々と照らした。

 そして、狙いを定めて火矢を放つ。矢は陣幕を突き抜け、京極の家紋、平四つ目結ひらよつめゆいの印が炎に包まれる。あらかじめ聞世が油を染み込ませていたためであった。


 夜中の炎は人の恐怖をあおる。まして寂しい山の中である。

「うわあ、何じゃ」

「皆を起こせ」

「火を消せ」

 見張りの兵たちの声で、寝ていた兵たちも飛び起きる。そして、火を消すために右往左往と駆け回った。

 しかし、新たな火矢が次々に陣中を襲う。火矢が飛んでくるたびに、聞世が撒いた油に引火して、あちらこちらから火の手があがった。

 若き大将、京極秀宗ひでむねは何が起こったのかわからず、見張りの兵をつかまえる。

「何事か」

「て、敵襲にございます。柵の向こうに十人ばかりの人影が……」

 その答えに、秀宗は胸をろす。

「そうか……敵はたかだか十人か。よし、追い込んで討ち取るのじゃ」

 秀宗の下知げちで、京極勢は自ら柵を壊して討って出た。


 この事態に正儀らは、柵を背にして一目散に逃げる。後ろからは京極の兵、二百あまりが迫った。

「よし、このあたりでよかろう」

 敵が迫る中、正儀は声を上げて立ち止まった。

 そこに、津熊義行と四十人ばかりの楠木の兵が現われる。

「今じゃ、出合え、出合え」

 義行らが口々に叫ぶと、笹五郎が率いる野伏のぶせ四百が、奇声を上げて峠道の左右から現れた。

「者ども、掛かれ」

 笹五郎の声で、野伏のぶせたちがいっせいに京極の兵たちに襲い掛かる。

 月あかりのもと、山の中で白兵戦が始まった。巧妙に木々に隠れて戦う野伏のぶせに対して、京極の兵たちは、次々に討ち取られていく。罠にまった京極勢は浮足立ち、峠の陣へと逃げ帰った。


 次々に柵に戻ってくる兵たちに驚いたのは、柵向こうで指揮をとる京極秀宗である。

「者ども、逃げるな。押し留まって、敵を討つのじゃ」

 秀宗と近習たちは陣を立て直そうとした。しかし、騒然とする兵たちの声で、秀宗の声はかき消された。

 いったん撤退をはじめた兵たちは、柵向こうの兵たちまでも巻き込んで敗走していく。その結果、立ち止まって兵を鼓舞していた秀宗と近習たちは、逆に、楠木の者たちに囲まれてしまう。

 京極の兵たちを追ってきた正儀は、大混乱の京極勢の中に、大将の秀宗を見定める。

「その出で立ち、京極の大将とお見受け致す。御覚悟を」

 ぎょっとして秀宗が声の方向をみた時には、すでに正儀と河野辺正友が太刀たちを抜いて切り掛かっていた。秀宗もかろうじて刀を抜いて正儀の刀を受け止める。今度は秀宗が正儀に切り掛かろうとしたところで、正友の刃を背中に浴びて崩れ落ちた。すぐ様、正儀が秀宗を組み伏す。

 ぱちぱちと音を立てる柵の炎が、秀宗の顔を照らした。正儀は初めてその顔を凝視する。

(自分と同じ位の歳ではないか)

 一瞬の迷いが正儀を苦境に落とす。秀宗が正儀に抱き付き、ぐるっと上下を入れ替えて、身体を押さえつけたからである。

「死ねっ」

 刀を構えた秀宗が、正儀の上から声を張り上げた。目の前でぎらつく切っ先に、正儀は思わず目をつむる。

 ―― ずさっ ――

 ―― ううぅ ――

 うめき声と共に、正儀の身体が重くなる。目を開けると、秀宗がのしかかっていた。

 正儀は、何とか払いのけて立ち上がる。そこには、正友によって背中を突かれ、息絶え絶えの秀宗の姿があった。

「お……おのれ……」

 そう言って、正儀を睨んだまま、秀宗は息絶えた。


 生死の淵から生還した正儀は、肩で大きく息をしながら、横たわる京極|秀宗を見つめた。一歩間違えば、自分だったかもしれない。正儀はただ、その場に立ちすくんだ。

「三郎様(正儀)、下知げちを」

 呆然自失の正儀に、正気を与えたのは河野辺正友であった。すでに京極勢は南大和に向かって逃げ出していた。

「あ、ああ……わかっておる。このまま、一気に峠を下り、南大和の京極本陣を襲うぞ。皆の者、ついて参れ」

「うおお……」

 楠木の兵と笹五郎らの野伏のぶせは、気勢を上げて峠を東に下った。


 金剛山の東の麓、風の森近くに布陣する京極軍が異変に気づく。

「何があった。敵が襲ってきたのか」

 京極道誉が飛び起きて、嫡男の京極秀綱にたずねた。

「水越峠が敵に襲われた模様です。味方の兵が次々にこちらに逃げて来ております」

 秀綱の言葉に道誉は仰天する。

「何、本当か。秀宗は無事か」

「消息はわかりませぬ。逃げ帰る兵を追って敵が追撃してきておるようです」

「敵……敵とは誰じゃ」

 恐る恐る道誉は問い返した。

「菊水の旗印。楠木です」

 聞く前から相手が楠木であることはわかっていた。一瞬なりとも楠木に感じた不気味さに、道誉は素直に従えばよかったと後悔する。

「とにかく敵の追撃を押し返せ。それと使いを出せ。武蔵守むさしのかみ殿(高師直こうのもろなお)に知らせるのじゃ」

「はっ、かしこまってござる」

 近くの郎党がめいを受けて走った。

 東の空がかすかに白くなり、水越峠からの敗走兵が増えるにつれ、だんだんと詳細があらわになる。敵は五百。楠木の正規軍は少なく、身なりから察すると大半が野伏のぶせであること。楠木勢の中に大将とおぼしき者がいること。そして、道誉の三男、京極秀宗が討死したことであった。

「秀宗……くそ、楠木にこれだけの力があったのか……」

 道誉は自問自答し、自らの判断を嘆いた。

 その時である。金剛山とは反対側、風の森峠の方角から気勢が上がった。正儀が竹生大夫ちくぶだゆうこと服部元成に命じて集めさせた大和の野伏のぶせ五百である。

 夜が明け、あたりは明るくなる中、京極軍は背後から迫る楠木の野伏のぶせと、東から迫る大和の野伏のぶせを相手に、接近戦となった。この戦で道誉の嫡男、秀綱が負傷する。

 そこにひづめの音が近づいてくる。十騎や二十騎どころではない。自らも矢傷を負った道誉が南に顔を向けると、土煙が上がっているのが確認できた。

「何事じゃ」

「大軍です。南朝の本軍と思われます」

 怒声を張り上げた道誉に、側近が応じた。

師直もろなおはまだ助けに来ぬのか」

「残念ながら、いまだ」

「くっ、これまでか。撤退じゃ。南都(奈良)を目指して撤退じゃ」

 歯ぎしりしながら、道誉は配下の諸将に下知げちした。


 下市しもいちに布陣した幕府軍の総大将、高師直こうのもろなおは、南軍の思わぬ反撃に驚く。まずは京極軍を助けようと援軍を巨勢こせに送り、楠木軍の背後を突こうとした。だが、すでに京極軍は撤退した後で、巨勢こせに進んだ援軍が、正儀らの攻撃の対象となった。

 一方、公家大将の四条隆資たかすけが率いる南朝本軍は、正儀から京極軍が撤退したのと繋ぎを受けて、北へは向かわず、高師直こうのもろなおの本軍が布陣する下市に向けて進軍した。


 その幕府本陣では、細川顕氏の郎党が、師直もろなおの前で片ひざを付いていた。

「我が主、陸奥守むつのかみ(顕氏)より注進致します。伊勢の北畠軍が東から攻め上り、我が細川軍はこれを押えて交戦中でございます。敵の勢い凄まじく、我らは押されております。陸奥守むつのかみは本軍からの援軍を求めております。どうか、早く援軍をお送りください」

 細川の郎党は師直もろなおに必死に訴えた。

「何、北畠軍が……進軍の動きはみられないとのことであったが……謀られたのか」

 眉間にしわを寄せた師直もろなおが目線を落とし、手で顎を触り考え込む。すでに右翼の京極軍が撤退し、巨勢こせに送った援軍は、河内と大和の野伏のぶせ千余と交戦中と知らせが届いていた。そしてここに、東から押し寄せた南朝の北畠軍によって、左翼の細川軍が押されていると聞かされたからである。

(ううむ、ここで無理をしても、得るものは少ない……けちが付かぬうちに、勝ち戦を手土産に凱旋するか)

 決心した師直もろなおが顔を上げる。

「正面から南朝本軍が兵を進めておる。目と鼻の先まで来ておるとのことじゃ。すでに京極軍は撤退した。このような中で援軍を送るのは難しい。我らはこれより南都(奈良)へ向かう。そのほうは早急に自陣に戻り、陸奥守むつのかみ(顕氏)にも撤退するように告げるのじゃ。早う行け」

 師直もろなおは細川の使者を急かした。

「はっ。承知致しました。さっそく」

 細川の郎党は、師直もろなおに一礼して背中を向けると、口元に笑みを浮かべた。そして、急いで陣を出て姿を隠した。

 これも正儀の計略である。郎党は楠木の冠者かんじゃで、当の北畠顕能あきよしは、いまだに伊勢にあった。

 しかし、南軍が迫るこの異常な状況に、百戦錬磨の師直もろなおも、簡単に信じてしまった。


 こうして幕府本軍は一矢も射ることなく、北へと撤退を開始した。

 この動きに驚いたのは、本軍の東に布陣していた細川顕氏である。何が起きたのかわからないまま、自軍の危険を悟って、顕氏も全軍に撤退を命じる。この動きに、武田信武や細川頼春ら他の諸将も慌てて撤退をはじめた。

 四條畷しじょうなわての戦い以降、幕府軍は数々の南朝の拠点を蹂躙じゅうりんし、吉野山の行宮あんぐうまでを焼き払った。しかし、南朝を恐怖のどん底におとしいれた将軍家執事の高師直こうのもろなおは、こうしてあっけなく南大和から追い払われた。


 幕府軍が撤退した後、正儀は河野辺正友を伴い、奪った敵の馬で、南朝本軍の公家大将、大納言の四条隆資たかすけの元に駆け参じた。

 隆資たかすけそばには大和の豪族、伊賀守の越智おち家澄いえずみが控えていた。

 かたわらに正友を従えた正儀は、隆資たかすけらの前で片ひざ付いて頭を下げる。

河内守かわちのかみが舎弟、楠木三郎正儀にございます」

「三郎正儀……そうか、そのほう虎夜刃丸とらやしゃまるであるか」

「私めの幼名をご存じなのですか」

 驚いた正儀が顔を上げた。すると隆資たかすけは頬を緩める。

「あの時の小さきわらべがこのように立派な武者になるとは……」

 正儀には隆資たかすけの言っていることがわからなかった。

「……麿は幼き頃のそなたを知っておる。大塔宮おおとうのみや様(護良もりよし親王)の御供をして観心寺に立ち寄った際のことであった」

 ここにも、笹五郎と同様に、十七年前の出来事を知る者が居た。

「そうでありましたか」

 不思議なえにしを感じた。

「幾つになる」

「ははっ。十九になります。四條畷しじょうなわてで兄たちが討死したため、若輩者ですが、楠木の棟梁を継ぐこととなりました」

 その答えに隆資たかすけは感慨深げに頷いた。

「そのほうの策略、見事であった。我らが手をこまねいていた師直もろなおを一瞬で追い返すとは」

「ありがたきお言葉、痛み入ります」

 そう言って正儀は頭を下げた。

「麿はそなたに謝らなければならん。そなたの兄、河内守(楠木正行まさつら)を助けてやれなんだことじゃ」

「……いえ……戦にはそれぞれの役割がございます。大納言様に謝っていただくなど、滅相もございませぬ」

 准大臣じゅんだいじんの北畠親房とは対照的な態度に、正儀は驚いた。隆資たかすけも親房と同様に、名うての強硬派と聞こえていたからである。

「いや、麿が謝りたいのは、戦が始まる前のこと。河内守の献策を後押ししてやらなんだことじゃ。四條畷しじょうなわてで戦が始まってから、今日までずっと後悔しておった」

 あの時の兄、正行まさつらの悔しそうな顔が思い出され、正儀は急に目頭が熱くなるのを覚える。

「い、いえ、そのお言葉だけで十分にございます。兄も大納言様(四条隆資たかすけ)のお気持ちを嬉しく思うでしょう。どうか、後悔のお気持ちは、今日をもってお忘れください」

「そなた……」

 隆資たかすけは言葉を詰まらせた。

「楠木殿、わしは越智おち源太げんた家澄いえずみ)じゃ。そなたの父(楠木正成)とは、時に戦った仲ではあったが、こうして息子のそなたに助けられようとは思わなんだ」

 元弘以前、鎌倉幕府に抗った越智おち党は、幕命を受けた正成らと刃を交えたこともあった。

越智おち殿のことは、兄(楠木正行まさつら)より、頼りになる御仁と聞かされておりました。大和の野伏のぶせを集められたのも、それがしの願いを聞き入れて越智おちの館の方々に動いてもろうたおかげです」

「いや何の。それにしても昨夜から寝てないのであろう。少し、我が陣で休んでいけばよい」

「ありがとうございます。されど、東条はいまだ、北に高師泰こうのもろやすが布陣したまま。いつまた攻め込まれるやも知れません。お気持ちだけ頂戴し、我らは急ぎ、東条へ戻ります。それでは、これにて失礼つかまつる」

 一礼した正儀は、河野辺正友を連れ立って陣を離れた。


 馬を駆る正儀を見送りながら、越智おち家澄いえずみが四条隆資たかすけに語りかける。

「大納言様、それがしは、河内守殿(正行まさつら)が討死して、楠木はもうこれで終ったと思うておりました。されど、楠木正儀……あのような若者がまだ居ようとは、思うてもおりませなんだ」

「うむ、正成の血筋は争えぬものよ。楠木正儀……朝廷にとって、楠木はますます大きな存在になるであろう」

 隆資たかすけは安堵と不安、相反する感情が混ざった表情を浮かべた。


 二月も後半、正儀は仮の宮とした、穴生あのうほり信増のぶますの館に参じた。

 南大和から高師直こうのもろなおを追い払い、一息ついた南朝は、正儀を従六位下じゅろくいのげ左衛門少尉さえもんのしょうじょうに任じ、河内・和泉・摂津住吉郡の守護とした。正儀の力量を高く買った大納言の四条隆資たかすけが、准大臣じゅんだいじんの北畠親房ら他の公卿くぎょうを説き伏せたためである。

 しかし、いまだ河内の東条では、高師泰こうのもろやすが率いる幕府軍とのにらみ合いが続く。

 師泰もろやすの側にも河内を離れることができない事情があった。師泰もろやすは細川顕氏の後を受けて、幕府から河内国と和泉国の守護に任じられていたからである。石川河原の砦を東条に対する向城むかいじろとして修復をはじめ、楠木党を殲滅せんめつさせて、南河内の支配に本腰を入れようとしていた。

 正儀に心休まる日はなかった。


 二月二十三日、この日は兄たちの四十九日であった。しかし、石川河原の高師泰こうのもろやすと対峙する正儀に、大そうな法要を行う余裕はない。

 正儀は楠木家の氏寺うじでらである観心寺に母の南江久子、義姉ぎしの内藤満子みつこらを呼び寄せる。そして、中院ちゅういん院主、龍覚りゅうかくの読経に、久子や満子らとともに手を合わせた。

 ささやかな法要が終わると、正儀は中院ちゅういんにて義姉ぎしの満子と向かい合う。

義姉上あねうえ、お変わりなく」

「三郎殿(正儀)、此度こたびの御任官、まことにおめでとうございます。ご活躍は橋本の館にも伝わっておりますよ。きっと殿(楠木正行まさつら)も喜んでおられることでしょう」

 満子は少し元気を取り戻したようであった。それに引き換え、正儀の表情は優れない。

義姉上あねうえ(満子)、御不便をかけて申し訳けございませぬ」

「いえ、多聞丸も御婆様(久子)も一緒ですから」

 視線の先には多聞丸とたわむれる久子の姿があった。

「でも、三郎殿ならば、きっと石川河原の敵を追い払い、我らを東条にお戻しいただけますよね。吉報をお待ちします」

 義姉ぎし悪戯いたづらっぽく笑い、席を外した。正儀はその言葉を聞いて、ますます憂鬱ゆううつな思いを強くする。

 満子は、なぜ自分たちが紀伊の橋本正茂まさもちの館にかくまわれているか知らされていなかった。

 四條畷しじょうなわての戦での内藤右兵衛尉うひょうえのじょう満幸みつゆきの裏切りに激怒して、その娘にも罰を求める准大臣じゅんだいじん、北畠親房の怒りを収めるためであった。


 多聞丸を連れて満子が本堂を離れている間に、正儀は正茂まさもちかたわらに、久子を呼んで現状を打ち明ける。

「先日、穴生あのう行宮あんぐう参内さんだいしました。北畠卿にあおられ、朝廷では今や内藤殿の裏切りが四條畷しじょうなわての敗因と既成の事実となっております。このままでは、義姉上あねうえ(満子)はおろか、楠木家にもとがめがあるやもしれませぬ」

 正儀の説明に久子と正茂まさもちの顔が曇る。

「厳しいことを申しますが、能勢のせの内藤家へお戻しされてはいかがでございますか。満子殿にとっても楠木家にとっても、最善かと」

 正茂まさもちの意見に、正儀は興奮する。

「な、何を言われる……多聞丸はどうせよと言われるのじゃ。楠木家の嫡男ですぞ」

「心を鬼にして申せば、満子殿と一緒に能勢のせに行かれるのがよろしいかと存じます。どこの家でも家督争いというものはございます。将来、多聞丸殿と、三郎殿(正儀)の御子おこの間で家督争いが起きるやも知れませぬ。本人同士にその気がなくとも、周囲が担ぐものです。北畠卿のめいは、考え方によってはよい機会であったかも」

「そ、そんな……楠木に限って家督争いなど……」

 数えで十九歳の正儀には、多聞丸と、まだ見ぬ我が子の争いなど、想像もできなかった。

 困惑した正儀が隣の母、久子に目をやった。そこには、ただ黙って下を向く久子の姿があった。正茂まさもちの話を理解できるからこその沈黙だと正儀は思った。


 穴生あのうでは、吉野山から大挙して逃げてきた公家たちが、いまだ、あちらこちらの民家に別れて暮らしていた。

 伊賀局(篠塚徳子)もその一人である。昼は廉子かどこが腰を落ち着けた堀信増のぶますの家臣の館に通い、夜は近くの百姓屋に泊まる日々であった。

 そんな中、正儀は伊賀局に会うため、穴生あのうの里を訪れていた。

「三郎様(正儀)、お待たせ致しました」

御局おつぼね様、かたじけない。それがしが北畠卿(親房)に穴生あのうをお勧めしたばかりに、宮中の方々には御不便をおかけしております」

 申し訳なさそうに言う正儀に、つぼねがくすっと笑う。

「三郎様が謝ることではないではありませぬか」

「そうですか」

「そうです。吉野山は灰塵に帰しました。もう、我らはここに落ち着くしかありませぬ。北畠卿は、この穴生あのうに御所を建てようと支度したくをはじめられたと聞きました」

「この地に御所を……」

 そう言って、正儀は何もない山間の里をぼんやりと見渡した。

 その覇気のない表情を、つぼねは心配する。

「何かございましたか」

「実は……」

 正儀は義姉ぎし、内藤満子の件を、つまんで、伊賀局に打ち明ける。

「……以上のような仕儀しぎにございます。准三后じゅさんごう様(阿野廉子かどこ)から北畠卿(親房)に御口添えを願えないでしょうか」

 すると、伊賀局は難しそうな顔をする。

「三郎様、御心中、御察おさっし致します。准三后じゅさんごう様から御口添えできればよいのですが、生憎あいにく、北畠卿と准三后じゅさんごう様は難しい間柄あいだがらにございます。残念ながら御力にはなれぬでしょう」

 建武の御代みよの、隠岐派と大塔宮おおとうのみや派の対立は、形を変えて今も続いていた。宮中の人間関係にうとい正儀が、初めてそれに触れた瞬間であった。

 肩を落とす正儀に、伊賀局が提案する。

「まだ義姉上あねうえ様(内藤満子)にはお話しになられていないのですよね。正直にお話しされてはいかがでしょうか」

「そ、それは……」

 正儀は口籠くちごもった。決心が着かぬ正儀であったが、伊賀局に背中を押され、正直に満子に伝える事を決める。


 日を改めて、正儀は、紀伊国橋本にある橋本正茂まさもちの館を訪ねる。館では、母の南江久子と、義姉ぎしの内藤満子に出迎えられた。

「三郎殿(正儀)、こちらへ」

「いえ、九郎殿(正茂まさもち)、それがしはここで」

 家主の正茂まさもちから上座を勧められるも、正儀は下座で、久子と満子に向かい合って座った。ふと庭に目をやると、侍女のふくが多聞丸を遊ばせていた。正儀は険しい顔をして多聞丸を目で追った。

「何かございましたか」

 満子は何かを悟ったようであった。

義姉上あねうえ、申し訳ござらん。実は……」

 意を決した正儀は、正直に北畠親房のめいを伝えた。

 すると、満子の顔から笑顔が消える。

「そうですか……そのようなことがあったのですか。それで、私はここにかくまわれていたのですね……」

義姉上あねうえ様を御救いするには、能勢のせの御父上(内藤満幸みつゆき)の元に戻っていただくしかありませぬ。それがしに力がないばかりに……申し訳けございませぬ」

 神妙な表情で正儀は手を突いた。

 庭で無邪気に声を上げる多聞丸に、満子が目をやる。

「多聞丸は……多聞丸はどうなるのでございましょう」

 問われても、正儀は答えることが出来なかった。見かねて久子が口を挟む。

母子おやこ別れて暮らさせるのは忍びない。御父上の元へ連れて行かれるがよい」

 気遣う久子に、満子は首を横に振る。

「三郎様、もし、多聞丸が楠木に残れば……多聞丸は楠木の跡目を継げるのでしょうか」

 重い口を開こうとする正儀を、正茂まさもちが遮る。

「満子殿、三郎殿が跡目を継いだ今となっては……」

 しかし、正儀は正茂まさもちを制する。

「多聞丸が跡継ぎで間違いありませぬ。それがしの養子として、いずれ家督を多聞丸に譲りましょう」

「三郎殿っ」

 そう言って正茂まさもちが厳しい表情を向けた。

 母、久子も心配する。

「三郎、本当にそれでよいのですか」

「家督を兄者(楠木正行まさつら)に御返しするだけのことでございます」

 皆の心配を正儀は軽く受け流した。

「三郎様、私はこれで安心して能勢のせに戻れます。あの子を……多聞丸を、何卒なにとぞ、よしなにお願い申し上げます」

 両手を突いた満子は、涙声で頼み込んだ。その両肩は震えていた。久子はそんな満子の上から覆い被さるように抱き締めて一緒に泣いた。

 庭では、ふくと遊んでいた多聞丸が、館の中の母の様子に気づき、遊ぶのを止めて不思議そうに見つめていた。


 内藤満子が摂津国の能勢のせに戻る日がやってくる。正儀は津熊義行を伴って、紀伊国橋本の、橋本正茂まさもちの館に来ていた。目の前には、旅支度たびじたくを整えた満子と侍女のふくが居た。

 正儀は目をうるませて頭を下げる。

義姉上あねうえ……すまぬ」

「三郎殿(正儀)、九郎殿(正茂まさもち)、多聞丸を何卒なにとぞよしなにお願い申します」

 満子も深々と頭を下げた。泣くでもなく、怒るでもなかった。その顔は、翻弄ほんろうされる自らの人生を、受け入れたがごとくの表情であった。

 多聞丸は正茂まさもちの妻が外へ連れ出していた。東条が高師泰こうのもろやすの軍勢におびやかされる中、多聞丸はこのまま橋本家に預けられることになった。そして、いずれ状況が整えば正儀が引き取ることとした。

 かたわらに侍女のきよを伴った久子が、満子の前に歩み寄る。

「満子殿、申し訳ない気持ちで一杯です。でも、そなただけを楠木から追い出すようなことはさせませぬ。私も楠木家を出ます」

 久子の話は、満子は元より、正儀や正茂まさもちも初耳であった。

「満子殿に対し、楠木家が行ったことに対するけじめです。わたしは髪を落とし、いおりんで住もうと思います」

義母上ははうえ様……」

 表情を失っていた満子が、顔に悲哀を浮かべて涙を流した。

 久子は、そんな満子の手を握り、耳元に口を近づける。

「お腹の子を大事になさいませ」

 ささやく久子に、満子は驚いて顔を上げる。すると、久子は口元を緩め、ゆっくりと頷いた。

 一方、正儀の隣では、義行がふくに別れを告げていた。

ふく殿……御達者で」

「津熊殿も」

 義行の顔は辛そうだった。淡い恋心を隠していた。

 満子は、郎党にくつわを引かれた馬の背に乗る。そして、侍女のふくとともに、摂津国能勢のせの父の元へと戻って行った。

 その後、宣言通り久子は、髪を降ろして敗鏡尼はいきょうにと名乗り、生まれ故郷の甘南備かんなびいおりを結ぶ。敗鏡尼とは、水鏡に映った自らの顔を見て、いましめの念を込めて付けた号であった。

 

 三月十八日、幕府方の河内守護しゅごとして、石川の向城むかいじろに腰を落ち着けた高師泰こうのもろやすは、再び東条攻略のため、兵を差し向ける。

 対する正儀は、美木多助氏を向かわせて、佐備谷口さびだにぐちでこれを迎え撃った。徐々に勢力を盛り返した楠木の防衛線は強固で、高師泰こうのもろやすとて簡単に突破することは難しかった。

 翌月の四月二十六日、東条の北の守りが硬いと悟った師泰もろやすは、今度は龍泉寺城を南から落そうとする。河内南端の天野山あまのさん仁王山におうざんに向けて、和泉の幕府方諸将に出陣を命じた。そして、楠木の支城である仁王山におうざん城を攻撃する。対する正儀は、龍泉寺城から諸将を引き連れて出陣し、これと戦って何とか幕府勢を撃退した。

 さらなる月を迎えても南河内の戦火は収まる気配はない。

 五月十五日、幕府方の和泉いずみ豪族、淡輪たんのわ助重すけしげが、突如、槇尾山まきおさんの麓、橋本正高が支配する宮里みやざと城を襲って焼打ちにした。

 しかし、正儀も単に手をこまねいているわけではなかった。翌日、一門の安間あんま余一よいちが紀伊の援軍を率いて駆け付けると、石川河原に討って出る。そして、高師直こうのもろなお師泰もろやす兄弟の舎弟、高師茂こうのもろしげと戦って、これを破った。

 この月の二十五日は父、楠木正成の十三回忌である。だが、石川向いしかわむかい城の高師泰こうのもろやすと対峙する正儀に、大そうな法要を行うことは許されなかった。


 幕府は、なかなか攻略できない楠木に対し、別の手立てを講じる。

 将軍御所の鷹司東洞院たかつかさひがしとういんだいに一人の若者が出陣の挨拶に訪れていた。若者の名は足利直冬ただふゆ御年おんとし二十三歳で、正儀より三つ歳上である。

 広間の上座には征夷大将軍の足利尊氏が座り、左手前には副将軍の足利直義ただよしが座っていた。

 二人の前で直冬ただふゆが頭を下げる。

「これよりそれがし、紀伊の南軍討伐におもむきます。足利の名に恥じぬよう、必ずや敵を討ち果たす所存。そして紀伊討伐のあかつきには、楠木の龍泉寺城・赤坂城をも落してご覧に入れとうございます」

 その目は希望にあふれていた。

 しかし、尊氏は意気込む直冬ただふゆに釘を刺す。

「そなたは東条には手を出すな。楠木の新たな棟梁となった虎夜刃丸……いや楠木三郎正儀は、高師直こうのもろなおを撤退に追い込んだのじゃ。只者ではない」

「正儀は四條畷しじょうなわての戦の後、突如、世に現れてそれだけの働きをしたと聞きおよびます。それがしは遅かりし初陣ですが、この日のために鍛錬を怠ったことはありませぬ。正儀が楠木正成の血を受けた者であれば、それがしとて足利尊氏の血を受けた者。きっと父上の名に恥じぬ働きができるものと存じます」

 その言葉に尊氏は苦々しい顔を返す。

直冬ただふゆ、そなたの父はそこに控えし直義ただよしぞ。直義ただよしのもとに養子に入りしその時より、わしはそなたの父ではない。これからは将軍と呼ぶのじゃ」

「……はっ、申し訳ありませぬ。将軍……」

 希望に満ちた目は、一瞬で曇った。

 直冬ただふゆの幼名は新熊野丸いまくまのまる。尊氏が一夜の関係をもった女との間に生まれたとして、突如、その前に現れた子である。尊氏は新熊野丸いまくまのまるを実子と認知することはなかった。だが、これを不憫ふびんと思った舎弟の直義ただよしが養子として迎える。当時、直義ただよしには妻との間に子ができず、足利の血を引く直冬ただふゆを、己の跡継ぎにしようとしたからであった。

「楠木の龍泉寺城が落ちぬのは、紀伊からの支援があるからじゃ。先日も紀伊の援軍を受けた楠木が、石川河原に進軍し、高師茂こうのもろしげの嫡男、師義もろよしを討ち取った。紀伊の南軍を討って、龍泉寺城を孤立させることが重要じゃ。わかるな」

 尊氏は噛み砕くように言った。

「はい、承知しております」

「では、わしの下知げちに、一つ一つ結果を出していくことじゃ。そなたはこれより東寺とうじに入り、兵を整えて紀伊に向かうがよい」

「ではさっそく。失礼つかまつります」

 そう言って、直冬ただふゆは下がっていった。


 将軍、足利尊氏の傍かたわらで、終始、無言であった足利直義ただよしは、嫡養子、直冬ただふゆの姿が見えなくなるのを待って口を開く。

「兄上、直冬ただふゆに、もう少し優しい言葉をかけてやってはどうじゃ」

直義ただよし、前にも言うたが、わしは直冬ただふゆを息子とは思うておらん。わしの嫡男はあくまで義詮よしあきらじゃ。それを奴にわからせねばならん」

「されど、血を分けた実の親子じゃ」

 なぜ、これほどまでに兄が直冬ただふゆを拒むのか、直義ただよしにはわからなかった。

「突如、目の前にあらわれて息子じゃと申しても、そのようには思えん。例えそうであったとしても、時として、血を分けた親子こそ始末に負えんこともある。わしは直冬ただふゆをそなたの養子とすることにも反対であった。それを知らぬ間に、養子としてお主が引き取るから苦労が増えるのじゃ」

「兄上、言葉が過ぎますぞ。直冬ただふゆをそこまで憎まなくてもよろしかろう」

「憎んでおるのではない。もうよい。今更、詮無せんなきこと。紀伊討伐が失敗せぬよう、お主がよき参謀を選んで付けてやれ」

 そう言うと、尊氏はすくっと立ちあがり部屋を出て行った。一方、残った直義ただよしは、深い溜息を洩らした。


 六月十八日、足利直冬ただふゆは紀伊に向けて出陣する。そして、紀伊の南朝勢力と攻防戦を繰り返しながら紀伊各地を転戦した。


 三ヶ月後の九月二十八日、湯浅定仏の阿氐河あてがわ城(阿瀬川あせがわ城)など紀伊の城を次々と落とし、大きな戦功を打ち立てた足利直冬ただふゆが京に凱旋する。

 意気揚々と帰洛きらくした直冬ただふゆは、居並ぶ諸将を前にして将軍、足利尊氏に鼻高々に戦功を報告した。そして、諸将が向き合う席で、足利直義ただよしの横に座ろうとしたその時である。

直冬ただふゆ、お前の席はそこではない。師直もろなお案内あないせい」

 そう言われ、直冬ただふゆは呆然と周りを見渡した。

佐殿すけどのの席はこちらです。さ、どうぞ」

 執事の高師直こうのもろなおがそう言って手で示したのは、諸将の末席であった。佐殿すけどのとは官職の左兵衛佐さひょうえのすけの末字をとった直冬ただふゆの通称である。

 これに直冬ただふゆは、憮然として立ち尽くす。

 養父の直義ただよしも驚き、身を乗り出す。

「兄上(尊氏)、これはどういったことじゃ」

直義ただよし、そなたの子であろうが、今は初陣を済ませたばかりの若い一介の武将。将軍の跡継ぎでもないのに、歴戦の勇者の風上に座ろうとは何事ぞ。お主も、そのあたりはしかと教えねばならん」

 単なる一門衆であれば尊氏の言い分は一理ある。直義ただよしは苦々しい顔をして口を閉じるしかなかった。

 一方、直冬ただふゆはみじめであった。下手に将軍の血を引いていることが、余計に恥ずかしかった。直冬ただふゆの瞳には、高師直こうのもろなお、佐々木京極道誉、仁木にっき義長ら諸将の顔が、さげすんだ笑みを浮かべているように映った。

 将軍御所に直冬ただふゆの居場所はなかった。それは表向きの政務の面ばかりではない。特に尊氏の正室、赤橋登子なりこの視線は特別冷たかった。登子は直冬ただふゆとすれ違っても、まゆ一つ動かすことなく、存在自体を無視する。直冬ただふゆは、自然と将軍御所に足を運ぶことは少なくなっていった。

 一方で、養父の直義ただよしは元より、引付方ひきつけかた頭人とうにん桃井もものい直常ただつね伯耆守ほうきのかみの山名時氏ら実力派武将は、直冬ただふゆの能力を高く評価していた。

 このことは、実力とは関係なく、尊氏が自分を冷たくあしらっているという認識を植え付けるに十分であった。そして、次第に尊氏と、弟で嫡子の義詮よしあきらに対する憎悪へと変貌していく。


 実子、直冬ただふゆに厳しい態度を見せる将軍、足利尊氏であったが、別の顔も合わせ持つ。

 九月末、尊氏は将軍御所に摂津の国人、池田九郎教依のりよりを呼び寄せていた。

「将軍、此度こたびのお召し出し、何事でございましょうや。戦のめいでございますか」

 教依のりよりは、尊氏のそばに控えている執事の高師直こうのもろなおを、ちらっと見てからたずねた。

「いや、そうではないのだ。手間を取らせてすまぬのう。兵庫助ひょうごのすけ(池田教依のりより)は奥方に先立たれて、どれくらい経つ」

 意外な質問に教依のりよりは戸惑う。

「はあ、もう二年になります」

「そうであるか。今日、兵庫助ひょうごのすけに来てもろうたのは、そなたに後妻を紹介したくてな」

斯様かようなことでお気使いいただき、かたじけのうございます。されど、将軍自らが、それがしを呼んで縁談を紹介されるとは、何事かあるのでございましょうや」

 思わぬことに、教依のりよりはいぶかしがった。

兵庫助ひょうごのすけは、武勇だけでなく、頭も切れると見える。実は、紹介したい女子おなごとは、内藤右兵衛尉うひょうえのじょう満幸みつゆき)の娘じゃ」

 そう言って、尊氏は教依のりよりをじっと見据えた。

「内藤殿といえば、能勢のせでございますな。我ら池田の所領にも近うございます。ただ内藤殿は南軍におったため、これまで付き合いはあまりございませなんだが……」

右兵衛尉うひょうえのじょう満幸みつゆき)の娘は、南軍の楠木正行まさつらに嫁いだが、此度こたび満幸みつゆきが幕府に味方したため、その娘は楠木を追い出され、満幸みつゆきの元に戻っておる」

 楠木の名に教依のりよりは戸惑う。

「何と、その女をそれがしの嫁に、とのことですか」

「左様。ただその女は右兵衛尉うひょうえのじょうの元に戻ってきた時には、すでに腹の中に子がおってな。先日、男児が生まれたばかりじゃ」

 満子は父、満幸みつゆきのもとで生まれた子に、美勝丸みかつまると名付けていた。

「男児を生んだと。それは正行まさつらの子ではありませぬか。これは由々しきことと存じます。その子をどうされるのですか」

 厳しい表情で教依のりよりはたずねた。

「まさにそのこと。わしは、その女と男児を、そなたの後室として、また養子として、そなたにどうかと思うておる」

 驚くべきことを尊氏は淡々と言った。

 あまりの展開に、教依のりよりは息を呑んだ。

「その子はかたきの大将の子ではありませぬか。なぜに助けようとされますか」

「わしは楠木をかたきとは思うておらん。楠木正成殿は、わしが尊敬する御仁じゃ。敵味方として戦うことになったのは不本意であった。それは正成殿とて同じであったであろう」

 そばに控えた師直もろなおに目をやりながら、尊氏はさらに話を続ける。

「されど、南朝がある限り、楠木は南朝の主軍として我らと戦わなければならんであろう。幕府はいずれ楠木家を殲滅せんめつするやもしれん。わしの手で、正成殿の血筋を断つのは忍びない。楠木の血筋を残してやりたいと思うておる」

 その理由に、さすがに教依のりよりは唖然として言葉を失う。なぜ己が巻き込まれなければならないのか、という思いであった。

 終始、沈黙していた執事の師直もろなおが口を出す。

「お主に白羽の矢を立てたのは、四十近くなっても子ができず、妻にも先立たれたからじゃ。このままでは池田の家にとっても由々しきことであろう。いずれどこからか養子をもらうのであれば、将軍の縁談を受けるのが池田の家のためになろう。楠木の血筋も残してやりたいが、池田の家も残してやりたいという将軍の思いやりぞ」

 そう言って師直もろなお教依のりよりに睨みを利かせた。

兵庫助ひょうごのすけ、どうであろうか。この将軍の頼みを聞いてくれまいか」

 そう言って尊氏は頭を下げた。

「しょ、将軍、頭をお上げください。されど、それがし一人では決められませぬ。身内とも話をしとうございます。しばし、お返事を待っていただくことはできましょうや」

 今、教依のりよりにできる精一杯の返事であった。

「もちろんじゃ」

 尊氏はにこやかに言葉を返すが、師直もろなおは威圧するように補足する。

「祝儀は領地一万石じゃ。よき返事をまっておるぞ」

「はっ、ははっ」

 教依のりよりが抗うことは事実上、不可能なことであった。


 後日、摂津国能勢のせの内藤右兵衛尉うひょうえのじょう満幸みつゆきも将軍御所に呼ばれる。南朝から幕府にくら替えした満幸みつゆきの立場は弱いものであった。

「将軍直々のお気遣い、かたじけのうございます。我が娘、満子ばかりでなく、美勝丸までも縁組いただき、池田殿に何と礼を申してよいか。きっと満子も喜んでおります」

 執事の高師直こうのもろなおから将軍の意向を伝えられた内藤満幸みつゆきは、そのように答えるしかなかった。

 まして満子には、自らの意志など主張する場はない。愛する夫、楠木正行まさつらが亡くなり、追い討ちをかけるように、内藤の家に戻された。そして子を産み、今度は嫁に出されるのである。まことにあわれというしかなかった。


 龍泉寺城の正儀の元に、神宮寺じんぐうじ正房まさふさが参上した。正房まさふさ四條畷しじょうなわての戦で深傷ふかでを負い、神宮寺城に逃れた。しかし、そこも高師直こうのもろなおに落とされ、一族の元に逃れて療養していた。

 本丸の陣屋に入った正房まさふさは、申し訳なさそうな顔で断ってから、痛む足を投げ出すようにして、正儀の前に座る。

「三郎殿(正儀)、無作法、御許しあれ」

「小太郎殿(正房まさふさ)、気になさらずに。それで、足はどうですか」

「御心配をおかけ申した。傷も大夫よくはなりました。まだ戦場いくさばに出るのは難しいが……」

 そう言って、正房まさふさは傷む足を押えた。

「小太郎殿、無理は禁物じゃ。身体がよくなるまで戦には出ぬ方がよい。しばらくはこの城に居て、それがしを助けていただけないか」

「助けるとは……」

家宰かさいの代行じゃ」

 楠木家の譜代の家宰かさい、恩地左近満一とその嫡子、満重親子は、高師直こうのもろなおの軍勢と戦って討死していた。残った次男、恩地満信は年少のため、楠木を内から支える年長者が居なくなっていた。

「それがしはこのありさまゆえ、役に立てることがあれば何であれ力になりましょう」

 正房まさふさは快く正儀の求めに応じた。


 四條畷しじょうなわての戦いで大きな傷を負ったのは、人ばかりではない。将軍家の執事、高師直こうのもろなおの焼き討ちにあった吉野山は、まだその痕が痛々しく残っていた。

 年が明けた正平四年(一三四九年)春。准三后じゅさんごう、阿野廉子かどこは伊賀局(篠塚徳子)とたえを伴って、穴生あのうから吉野山に入った。廉子かどこの目的は、先帝(後醍醐天皇)が眠る塔尾陵とうのおのみささぎである。

「話には聞いておりましたが、これほどまでとは……」

 吉野山に着いて輿こしから下りた廉子かどこは、あたりを見渡して声を上げた。吉野山は、示現じげんの宮、七十二間の回廊、三十八の神楽かぐら屋、宝物蔵、竈殿へついでん、さらには隣接する蔵王堂ざおうどうまで、ことごとく灰塵に帰していた。

「本当に……ここで暮らしていたのでしょうか……」

 あまりの状況に、伊賀局も茫然と立ちつくすことしかできなかった。

 しかし、そんな吉野山の痛々しい傷をやすように、見事に咲いた桜が灰塵を包み込んでいた。

 廉子かどこは、目の前の桜の花を手折たおって歌を詠む。

『みよし野は 見しにもあらず荒れにけり あだなる花はなほ残れども』

 そして花びらを、歌の師でもあった宗良むねよし親王への手紙に添えるのであった。

 宗良むねよし親王は先帝の第四皇子で、帝(後村上天皇)の異母兄である。朝廷が吉野に移ってから、南朝勢力を拡大するために、東海に下向していた。今は、遠江国とおとうみのくに井伊谷いいだにから、信濃国の大川原おおかわらに拠点を移し、信濃宮しなののみやと呼ばれるようになっていた。


 四月二十六日、正儀は、長野荘へ攻め入った幕府方の河内守護しゅご高師泰こうのもろやすと戦い、これを何とか撃退していた。四條畷しじょうなわての戦いから一年以上経つというのに、いつ終わるとも知れない戦いが続いていた。

 退却していく高師泰こうのもろやすの軍勢を、具足ぐそく甲冑かっちゅう)姿の正儀が津田武信とともに目で追う。

「当麻(武信)、これで何度目であろうな」

「そうですな、先月は佐備谷口さびだにぐち、寺田、山田で、今月に入ってからも日野、高岡、そして今日は長野。まったく、敵も飽きることなくよくやる……」

 そう言って武信は溜息をついた。

 正儀は師泰もろやすの立場になって考えてみる。

師泰もろやすは、我らが内から崩れていくのを待っておるのやも知れぬな。兵を挙げても我らが出張って戦が始まれば、潮が引くように兵を引く。何度も何度も繰り返しじゃ。一族の諸将も早く自らの所領に帰りたいであろう。こちらが疲れて士気が落ちたところを大軍で攻め落す……そんなところか」

「であれば、いかがなされます。こちらから討って出ますか」

 さすがに武信も、長く続く戦に痺れを切らせていた。

「いや、疲れて士気が落ちるのは向こうも同じであろう。今は我慢比べじゃ。それと気になる話も伝わってきておる」

「と、申しますと」

 興味深そうに武信が正儀の顔を覗き込んだ。

「副将軍の足利直義ただよしと、執事、高師直こうのもろなおの確執じゃ。我が方に寝返った者の話では、紀伊討伐に出向いた直義ただよしの息子、足利直冬ただふゆの援軍要請を、師泰もろやすはにべもなく断ったという。背景に、副将軍と執事の仲違なかたがいがあるという噂じゃ。京に潜入している小波多座の治郎殿(服部元成)の話とも一致する」

「なるほど、それは面白いですな。それを聞くと、師泰もろやすと対峙するのも張り合いが出て参ります」

 武信は正儀に笑みを返した。


 その年の六月、京の四条河原で、四条大橋再建のための大規模な勧進かんじん田楽でんがくが行われる。

 田楽とは、もともとは田植え踊りなど豊作を祈る農民の歌舞かぶである。後に田楽法師が現れ、曲芸も組み入れて独自の芸能として発展していった。公家や武家の上流階層にも愛好者が多かったため、この頃、猿楽さるがくに比べて格式高く扱われていた。

 歌舞音曲かぶおんぎょくに通じた婆娑羅ばさら大名の佐々木京極道誉が、比叡山三塔さんとう貫主かんじゅ梶井宮かじいのみや院法親王、北朝の関白、二条良基よしもと、そして将軍、足利尊氏を連れ立って中央の桟敷さじき(客席)に陣取っていた。

「将軍、大そうなものでございましょう。これを観るだけでも来た甲斐があったというもの」

 道誉は、四条河原に造られた百間を越える三階建ての長い桟敷さじきを手で示した。

「うむ。わしも楽しみにしておったが、弟(足利直義ただよし)に、北条高時がごとく田楽狂いにはなるなと釘を刺された」

「相変わらず、三条殿(足利直義ただよし)はお堅い。元はといえば、三条殿が普請ふしんの金を出さなかったので、こうして田楽で金を集めておるのですぞ」

 高師直こうのもろなおに肩入れする道誉は、直義ただよしの話になると憮然とした。


 近くの桟敷さじきには、京に潜伏していた竹生大夫ちくぶだゆうこと服部元成と、その息子、観世大夫かんぜだゆうこと服部清次の姿があった。

「あそこにるのが将軍、その隣が京極入道、向こうには関白二条様じゃ。よく覚えておくがよい」

 父、元成の耳打ちにも、観世はうわの空であった。猿楽ではあり得ない大規模な興行と、皇胤こういん門跡もんせきや関白、将軍までもが観にくる格式の高さに驚き、沸々と悔しさが込み上げていたからである。この頃、人々は猿楽を田楽に比べて一段下に見ていた。

 観世がここに来た目的は、田楽名人と言われる本座の一忠いっちゅうを観るためである。最初の演目は、その一忠と新座の花夜叉の立合、つまり、二人が同時に演舞して勝ち負けを競うものであった。

 舞台に上がった一忠と花夜叉が、笛や太鼓たいこの音色に合わせて、同時に舞いはじめる。

『恨みは末も通らねば……』

 曲が進み、佳境に入ろうというとき、一忠は突如、扇を取り出し、咳払いをしてからゆっくりと扇ぐ。

 段取りにはない、この一忠の動作で、平常心を乱された花夜叉は台詞せりふを間違える。奏楽が終わり、花夜叉が真赤な顔をして小走りに舞台を下りると、一人、舞台に残った一忠は拍手喝采を浴びた。

「あの動き……」

 一忠の態度もさることながら、観世はその優美な動きに見入った。


 演舞も終盤、猿の面をつけた稚児の曲芸が始まる。観客たちはおおいに盛り上がり、稚児が宙を舞ったところで観客は総立ちとなった。

 まさにその時である。みしみしという音に人々の動きが固まった。続いて観世は、宙を舞う感覚に包まれる。

(何が起きている)

 そう思った時には、すでにことが終わった後であった。桟敷さじきが観客の重みに耐えかねて崩れたのだ。あたりは白い土煙が立ち上がり、土の臭いに覆われていた。

「父上(元成)、大丈夫でございますか」

「ああ、大丈夫じゃ……おい、観世、どこへ行く。おい……」

 倒れた父を助け起こすと、観世はすぐに中央の桟敷さじきに向かった。尊氏は近臣に抱き抱えられるように立ち上がると、すぐに現場から離れた。だが、梶井宮かじいのみやと二条良基、道誉は木切れの下敷きになっていた。

 観世は周りの者を指図して素早く木切れを除いて、三人を助け出した。梶井宮かじいのみやは腰を押さえてうずくまっていたが、二条良基と道誉はかすり傷程度であった。

 道誉はその場に座り込み、大きく息をしながら観世に顔を向ける。

「助かった。礼を申すぞ。そのほう、名は何という」

観世かんぜ大夫だゆうと申します」

「そのほうも、田楽師か」

「いえ……猿楽でございます」

 隣の二条良基にも手を貸しながら、観世は答えた。

「何じゃ。猿楽師か」

 さげすむような道誉の言葉に、観世が顔を向ける。

「猿楽はお嫌いですか」

「猿楽は品というものがない」

 その言葉が観世の胸に突き刺さる。

「いずれ……私めが、猿楽を田楽以上の芸能にしてみせましょう」

 そう言うと、観世は立ち上がって一礼し、その場を後にした。

「猿楽を田楽以上に……か」

 ふふっと口元を緩め、道誉は観世の後姿を目に焼き付けた。


 この日の勧進かんじん田楽でんがくは、桟敷さじきの半分以上が壊れ、百人あまりの死者が出るという大惨事であった。

 この年は、正月から不吉なことが重なっていた。清水寺では、坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろゆかりの将軍塚から不気味な音が聞こえ、伽藍がらんが炎上した。さらに男山八幡宮の宝殿も唸りを上げたという噂である。人々は、亡き護良もりよし親王ら恨みを持って亡くなった者が、大天狗となって世に騒乱の種を撒いていると噂した。

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