第16話 吉野山炎上

 正平三年(一三四八年)一月六日、四條畷しじょうなわての戦いの翌日である。

 ここは南河内の龍泉寺城。明け方の、身体にちくちくと刺さるような寒さにもかかわらず、虎口門こぐちもんには津田武信、河野辺かわのべ正友らが集まっていた。

「又次郎(正友)、義行が戻ってきたじゃと」

 自身が吐いた白息しらいきを顔に受けながら、正儀が本丸(主郭)の陣屋から駆け付ける。

「三郎様(正儀)……」

 津熊義行がくしゃくしゃにした顔を上げた。

「義行、戦はどうなった。兄者たちは無事か」

「……うおおぉぉ……」

 唸るような声とともに、義行はその場に泣き崩れた。

「泣いておってはわからんではないか。説明してくれ」

「三郎様、それがしが聞いた話を致しまする……」

 代わって喋り出したのは、近習の正友である。

「……御味方は深野池ふこうのいけの東、野崎・四條で幕府軍と戦になりました。一時は総大将、高師直こうのもろなおの本陣近くまで迫れども、首をるには至らず。太郎様(楠木正行まさつら)と二郎様(楠木正時)は御自害……」

 これに正儀は、さあっと血の気が退くのを覚えた。

 その蒼い顔に向け、正友が一気に続ける。

「……最後まで付き従った三十人も後を追って自害。楠木将監しょうげん様(正家)と御嫡男の正種様は御討死。左近さこん殿(恩地満一)と神宮寺じんぐうじ将監しょうげん殿(神宮寺正房まさふさ)は深傷ふかでを負って、それぞれ、恩地城と神宮寺城に運ばれました」

 さらに武信が追い討ちをかける。

「さらに、賢秀けんしゅう殿(美木多正兄まさえ)は雑兵に紛れて一人、敵陣に乗り込みましたが、その後のことはわからないとのこと。おそらくは……それと、賢快けんかい殿(美木多正朝まさとも)は義行と一緒に東条に戻ろうとしていたらしいのですが……途中で敵の追手と戦い、無念の最期を遂げられたとのことです」

「そんな……」

 焦点を無くした目で、正儀はその場に力なく崩れ落ちる。

「……兄者たちが死んだと……明王みょうおう賢快けんかい)までも……味方は全滅じゃと……」

 不利は承知であった。だが、兄弟・従兄弟が皆死んで、楠木軍が全滅するとまでは思っていなかった。正儀は、底の無い沼に身体が沈んでいくような錯覚に陥っていた。

「三郎殿(正儀)。悲しんでいる暇はありませぬぞ」

 その声に向けて顔を上げると、後見役の橋本正茂まさもちが、毅然とした表情で立っていた。

「そうじゃ。四條で勝った高師直こうのもろなおはこちらに進軍してくるでしょう。師直もろなおが来なくても、西から高師泰こうのもろやすが来ます。しっかりなさいませ」

 武信の言う通りであった。楠木本軍が敗れた今、東条は風前のともしびである。確かに呆然としている暇はない。楠木党の命脈は、正儀の下知げちにかかっていた。

 まだ、涙さえ出る猶予も与えられない中で、正儀は肩を震わせる義行の手を取る。

「わしが……わしが、兄者や賢快けんかいらのかたきをとってやる」

 そう言って、苦渋に満ちた顔を上げた。


 鳴川なるかわ峠の東には、公家大将、四条隆資たかすけが率いる南朝本軍が布陣していた。隆資たかすけは生駒の山中に兵を送って楠木軍に合力しようとしたが、かつて、楠木正行まさつらが指摘した通り、それは難しいことであった。細く長く行軍した四条軍は、山中に潜んだ敵軍に行く手を阻まれ、ほとんど役に立たずに終わった。

「なぜじゃ、河内(正行まさつら)。なぜ死んだ。湊川みなとがわの父を追ったか」

 そう言って、隆資たかすけはゆっくりと天を仰いだ。

 陣幕の中では、大和の越智おち家澄いえずみや、紀伊の湯浅定仏じょうぶつ宗藤むねふじ)が、奥歯を噛んで隆資たかすけを囲んでいた。

「大納言様、この後、いかがなされますか」

 打つ手が見つからない定仏が、申し訳なさそうに指示を仰いだ。

「これより我らは、幕府軍を牽制しつつ、南へ退却する」

「戦わぬのですか」

 思わず定仏が隆資たかすけの顔を凝視する。かたわらの家澄いえずみも、その表情をうかがった。

「戦えるものか。一万の兵というのも見賭け倒し。河内守かわちのかみが居なくなった今、どうすることもできぬ」

 できることは、吉野山を守るために、高師直こうのもろなおの幕府軍と吉野山との間に、兵を動かすことのみであった。しかし、師直もろなおがこの後どのように進軍するか明確ではない。

 隆資たかすけは薄く目を閉じて思案する。

「このまま、楠木の本拠である東条を襲ってそのまま南進し、山を越えて五條に出てくるか……それとも、河内守を失った東条は無視して吉野山に直接襲いかかるか」

 これに、苦り切った表情で家澄いえずみも小さく頷く。

「そうですな。楠木軍が敗れた今、いずれも考えられますな」

「ううむ……おお、そうじゃ……」

 乾いた声とともに隆資たかすけが目を開く。

「……宇智うちじゃ。いずれの道を通っても宇智うちに陣を張ればなんとかなる。危険な賭けではあるが、これしかなかろう」

 宇智うちは、紀伊から伊勢へと続く伊勢街道と、大和から南下する奈良下ならしも街道が交わる交通の要所である。だが、より吉野山に近く、朝廷を危険にさらす可能性もあった。しかし、隆資たかすけは軍を南に進め宇智うちに布陣することを決める。そして、家澄いえずみに行軍の指揮を任せ、自身は配下数名を率いて吉野山へと馬を駆った。


 吉野山の行宮あんぐうには、楠木正行まさつらの無事を祈る弁内侍べんのないし(日野俊子)の姿があった。行宮あんぐうとしている金輪王寺きんりんのうじの回廊で、北河内の方を向き、祈るように手を合わせていた。

内侍ないし様」

 通り掛かった伊賀局いがのつぼね(篠塚徳子)が足を止めた。

「これは伊賀局殿……戦はどうなのでしょう」

「私も気掛かりなのですが……何も聞きおよんではおりませぬ」

 小さく首を横に振るつぼねに、弁内侍べんのないしは肩を落とす。

「そうですか……わらわは心配で、心配で」

「きっと大丈夫でございます。ともに神仏に祈りましょう」

 無理に頬を緩めた伊賀局が、固い表情の弁内侍べんのないしに微かな希望を与えた。

 ―― がちゃ、がちゃ ――

 よろいの擦れる音が、聴こえてくる。

内侍ないし様、武者が大勢やってきます。さ、こちらへ」

 慌てて伊賀局は弁内侍べんのないしの手を引いた。そして、経蔵きょうぞうの戸板を開けて中に入り、息を潜ませた。


 入れ替わるように、武者姿の男たちが慌ただしく回廊に現れる。吉野山に到着した大納言、四条隆資たかすけの一行であった。

「四条卿(隆資たかすけ)、一戦も交えずに御帰還か」

 傷口に塩をすり込むような言いように、隆資たかすけは立ち止まる。振り向くと、そこには准大臣じゅんだいじん北畠親房の姿があった。四條畷しじょうなわての敗戦を聞き、興良おきよし親王を和泉国いずみのくにに残したまま、急ぎ吉野山に戻ってきたところである。

「北畠卿(北畠親房)、楠木軍は全滅しましたぞ。河内守(正行まさつら)は自害したとのこと。やはり河内守の献策、退けるべきではなかった」

 顔いっぱいに隆資たかすけは無念な表情を浮かべた。

「今となってはせんなきこと。さりながら、こうも簡単に楠木が敗れるとは、思うてもおらなんだ。我が方の策が幕府に筒抜けになっていたのではあるまいか」

 いまだ、自身の策の失敗が信じられないかのように、親房は首をひねった。

「それより今は、幕府軍がこの吉野山に向かってくるかどうかじゃ。さ、御上おかみ(後村上天皇)の元へ急ぎましょう」

 隆資たかすけは親房をうながして、ともに廟堂びょうどうへ急いだ。


 経蔵きょうぞうの中で息を潜め、外の会話に耳を傾けていた官女二人は愕然とする。した正行まさつらの死に、弁内侍べんのないしの嗚咽が蔵の中に響いた。

 その震える背中に、伊賀局がそっと手を置く。

内侍ないし様、どうか、お気を確かにお持ちください。そして、行幸ぎょうこうの用意をお整えください。私は准三后じゅさんごう様(阿野廉子かどこ)に、急ぎ報告に参らなければなりませぬ」

行幸ぎょうこう……」

 内侍ないしは涙に濡れた瞳をつぼねに向けた。

「はい、ありていに言えば、お逃げになる支度したくです。楠木軍が全滅したとなると、高師直こうのもろなおめは、この吉野山へ進軍してくることでしょう。たぶん、北畠卿は御上おかみに御動座を献策されます。いつ出立してもよいよう、おそばの女房衆にお声かけください」

「そ、そなたには、そのようなことがわかるのか」

「間違っておるやもしれませぬ。されど、私が一軍の将であれば、吉野山に軍を進め、神器の受け渡しを求めるでしょう。さすれば、我らとしては、その前に御動座いただくしか手はありませぬ」

 つぼねの言葉に内侍ないししばし呆然とした後、気を取り直して口を開く。

「わ、わかりました。御局おつぼね殿を信じまする」

「ありがとうございまする」

 そう言って頭を下げた伊賀局は、阿野廉子かどこの元へと向かった。

 つぼねの言葉は内侍ないしにとって幸いであったかもしれない。真の悲嘆に暮れる前に、自らの使命に気付かされたからである。まだ立ち上がる気力が残っている自分に驚きつつ、弁内侍べんのないしは女房衆の元へと足を向けた。


 楠木正行まさつらを討ち取った幕府軍は、南進を止めようとしない。その先は東条。だが、総大将の高師直こうのもろなおは、もはや、主力が壊滅した楠木など眼中にない。頭の中は、いかに三種の神器を手に入れるかであった。

 師直もろなおは、河内国柏原かしわらから大和国やまとのくに桜井へ抜け、そのまま南進して吉野山を攻めようと策を講じる。

「南軍は宇智うちに布陣、伊勢からは北畠のせがれ(北畠顕能あきよし)が出陣する動きを見せておるという。なるほど……もし、我らが吉野山を攻めれば東西から挟み討ちか」

 誰に聞かせるわけでもなく呟いた後、師直もろなおは近習を呼び寄せる。

「堺浦の我が弟の元へ行け。和泉から楠木の東条を貫き、紀伊に出て宇智うちの南軍を西から攻めるように伝えるのじゃ。さすれば我らは吉野山攻めに際し西のうれいがなくなる。師泰もろやすにそう伝えるのじゃ」

「はっ、かしこまりました」

 郎党はただちに和泉国堺浦へ馬を駆った。


 一月十四日、凍てつく大気を震わせて大軍が動く。和泉で和田勢と睨みあっていた高師泰こうのもろやすの幕府搦手からめて八千騎は、堺浦の陣を引き払い、東に向かって進軍を開始した。

 師泰もろやすが動いたとの報は、ただちに龍泉寺城の正儀にもたらされる。本丸(主郭)に建つ陣屋の広間には、正儀のほか、後見役の橋本九郎正茂まさもちと、津田武信、河野辺かわのべ正友らが集まっていた。

 そこに、家臣の篠崎しのざき六郎久親ひさちかが蒼い顔をして入ってくる。

「三郎様(正儀)、堺浦を東に進軍した師泰もろやすの軍勢八千は、この東条の北、石川河原に布陣した模様」

「石川河原……やはり狙いはこの東条……」

 石川河原は東条の北端、ここからは目と鼻の先である。四條畷しじょうなわてで討死した大塚惟正これまさの出処にも近かった。

 その惟正これまさと共に、これまで楠木党を支えてきたのが橋本正茂まさもちである。

「引き続き敵の動きを見張るよう、斥候せっこうに申せ」

 呆然とする正儀に代わって、正茂まさもちが久親に命じた。

 正茂まさもちは、かつて湊川みなとがわの戦で、楠木正成のめいを受け、戦場を離れて河内に戻った一人である。

 当時、元服したばかりの楠木正行まさつらいくさ奉行として楠木を戦略面から支えた。河内目代もくだいで後見役の美木多正氏が討死してからは、正茂まさもちがその代わりも務めていた。

 この度の四條畷しじょうなわての戦では、正行まさつらがもしもの時のためと言い含めて東条に残した。すべては舎弟、正儀のためである。

「さて、三郎殿(正儀)。敵といかに戦いますか。三郎殿が決めねばなりませぬぞ」

 まだ数えて十九になったばかりの若者に、正茂まさもちは、いきなり棟梁としての試練を与えた。

「わ、わかっております……」

 そう言うものの、次の言葉が出なかった。

 兄、正行まさつらが正儀に残してくれた兵は、四條畷しじょうなわてから帰還した兵や、和泉の和田正武らを含めても千五百。八千対千五百では討って出ても勝ち目はない。また、千早城に退いて籠城ろうじょうしようとしても、千早には兵糧の蓄えはなかった。

「東条へ入って来られないように、佐備谷口さびだにぐちに兵を配置しましょう」

 見かねて、横から津田武信が口を挟んだ。

「いや、兵力に差があり過ぎる。佐備谷口さびだにぐちの守備を固めても突破されてしまうであろう」

 首を左右に振り、正茂まさもちは冷たく応じた。

 二人の会話に、正儀は一つの戦略を思いつく。

「ではいっそ、敵をこの東条に誘い込んではどうであろうか」

 突拍子もない意見に、一同が驚きの表情を浮かべる。

 河野辺正友は武信と顔を見合せ、皆を代弁する。

「いったい、どういうことですか」

「東条は四方を山で囲まれた窪地くぼちじゃ。中に入れてしまってふたを閉める。そのうえで……」

 頭に浮かんだ考えを、正儀は少しずつつむぎながら口にした。

 正茂まさもちが口元の力を抜いて大きく頷く。

「うむ、よう考えられた。それでよい」

 正儀は後見役の賛同を得て安堵する。

「されば九郎殿(正茂まさもち)、高師泰こうのもろやすの軍勢が石川河原に移動したとなると、和田や橋本は動けるであろうか」

「そうじゃな、橋本勢は幕府方の日根野ひねの時盛が、西の土丸つちまる山におるので動けんであろう……」

 一昨年おととし雨山あめやまに城を築いた橋本正高に対抗するように、その翌年、日根野ひねの時盛は隣接する土丸山に城を築いていた。

「……しかし、和田勢は大丈夫ではないか」

「ならば、新九郎(和田正武)殿にも東条に入ってもらい、金胎寺こんたいじ城、佐備谷口さびだにぐち城などにも兵を配置致しましょう」

 自信を取り戻した正儀に応じるように、正友が前に進み出る。

「三郎様、では、さっそく和田殿に動いていただきましょう。それがしが使いになります」

「うむ、又二郎(正友)、頼んだぞ。当麻(津田武信)は佐備さび甘南備かんなび赤坂あかさか水分すいぶんの百姓に触れを出し、すぐさま逃げるように伝えてくれ。その際、兵糧になりそうなものは全て持って逃げるように言うのじゃ。よいな」

かしこまってござる。では、ただちに」

 武信も頷き、すぐさま自らの役目に向かった。


 総大将の高師直こうのもろなおが率いる幕府軍は、楠木の各拠点を舐めるように攻め落としながら、南進していた。

 進軍の途上にあった神宮寺城(八尾)は、幕府軍に攻略される前に、郎党たちが深傷ふかでを負った神宮寺正房まさふさを抱えて城を放棄して撤退した。

 一方、恩地城(八尾)は動けない恩地左近満一に代わり、嫡男の恩地満重みつしげが守備する。

 だが、年若い満重がかなう相手ではない。果敢に討って出て師直もろなおの首を狙おうとしたが、圧倒的な敵の前にあえなく討死する。元服したばかりの十五歳。これが初陣であった。

「満重……」

 恩地城の陣屋の中、満重討死の報に満一は涙した。

 四條畷しじょうなわて深傷ふかでを負っていた満一は、動かせない身体を柱にもたらせ、短刀を手にする。

「満重、一人にはせぬぞ。わしもすぐにお前の元に参る……」

 さやから抜いた白刃を凝視する。

「……三郎様(正儀)、楠木を、楠木を頼みますぞ」

 そして満一は刃を首に当て、一気に引いた。


 楠木の支城を落としながら、高師直こうのもろなおは、河内の国府まで南進して陣を敷いた。そこは師直もろなおの舎弟、高師泰こうのもろやすが布陣する石川河原の一里ほど北である。

 その石川河原の師泰もろやすが、馬を駆って師直もろなおの元に現れた。

 国府の館に入った師泰もろやすが、師直もろなおの前でどかっと腰を据える。

「兄者(師直もろなお)、此度こたびのご活躍、祝着に存ずる。楠木も大したことはなかったということでござるな」

「うむ、これも楠木の小倅こせがれが、無鉄砲に進軍してきたおかげじゃ」

「てっきり、赤坂城や千早城に籠って、得意の籠城ろうじょう戦を仕掛けてくるかと思うておりましたが……それを、小勢で兄者に突撃してくるとは、とても正成の息子とは思えませぬな」

 師泰もろやす横柄おうへいに笑った。

「その正成も、湊川みなとがわでは無理な戦をして全滅した。これまでの戦振りからして正行まさつらは馬鹿ではあるまい。これも南の公卿くぎょうどもの犠牲者か……楠木も南を見限り、将軍の元に参ずればよかったものを」

 さすがに師直もろなおは、吉野方の事情を見抜いていた。

「いずれにしても、細川、山名とあれだけ手こずっていた楠木を、兄者がこうもあっさり討ち取れば、三条殿の面子は丸つぶれですな。わっはは」

 三条殿とは京の三条坊門に屋敷を持つ、副将軍の足利直義ただよしのことである。これまで、正行まさつらの前に敗北した細川顕氏、山名時氏は、いずれも直義ただよしの息のかかった武将であった。

「じゃが……」

「何じゃ。兄者」

「うむ、此度こたびの戦では、細川顕氏など三条殿に媚びる武将は、いずれも消極的な戦振りであった。何やら言い含められておったのかも知れぬ」

「まあ、そうだとしても、兄者の威信は上がった。これで三条殿も兄者に一目置いて、口をつぐむことでしょう」

 舎弟の意見に、師直もろなおはにやっと笑みを返す。

「真の手柄てがらはこれからよ。これより我ら本軍は、大和に入り吉野山を突いて神器を手に入れる。師泰もろやす、お前の搦手からめて軍は、これより東条に入って楠木の残軍を叩き、千早峠を越えて西より伊勢街道を吉野山へ進軍せよ」

「うむ、兄者、承知した」

「もし、楠木が千早へ逃げ込めば、兵を割いて釘付けにし、お前は吉野へ兵を動かすのじゃ。よいな」

 あくまで南大和の宇智うちに退いた南軍を、西から攻め立てさせるのが目的であった。

 そんな兄に向け、師泰もろやすはどんと胸を叩く。

「なあに、棟梁の居ない楠木なぞ、単なる野伏のぶせの集まりじゃ。心配にはおよびませぬ」

「うむ、では任せた。吉野山で会おうぞ」

 東条攻めを師泰もろやすに任せ、師直もろなおの軍勢は河内の国府から大和盆地へ向けて進軍した。


 高師泰こうのもろやすが率いる幕府の搦手からめて軍は、石川河原から龍泉寺城を目指して南進した。この地は山々に囲まれた小さな盆地。その北にある佐備谷口さびだにぐちが盆地への入口になる。

 軍勢は楠木の支城、佐備谷口さびだにぐち城から何の反撃を受ける事もなく、嶽山だけやまの北の佐備さびに雪崩れ込んだ。そして、たくさんの菊水や非理法権天ひりほうけんてん旗指物はたさしものがはためく龍泉寺城に引き寄せられ、その麓に軍勢を留めた。

 師泰もろやすが城を見上げる。

「どうやら、籠城ろうじょうを決め込んだようじゃな」

「殿、いかがされます」

 近臣の問いかけに、師泰もろやすがにやりと口元に笑みを含む。

「ふむ、それなら楠木の者どもが出てこれるようにしてやろう」

 めいを受けた兵たちは、宿営できそうな百姓家を除き、龍泉寺城と一体となった登り口の館や、麓の家々に火を掛けた。それだけではない。赤坂や水分すいぶんの地にも雪崩れ込み、楠木館や家々に火を掛けて回った。しかし、反撃はなかった。

「己の館を燃やされても、何の抵抗もできぬとは、見下げた奴らよ。棟梁の居なくなった楠木など、このようなものか。ならば、一気に攻め落してくれよう。者ども、明日は朝から城攻めぞ。今日はゆっくり休むがよい」

 見張りを残し、師泰もろやすは兵に休息を命じた。


 その日の夜のこと。嶽山だけやまの麓に布陣した幕府搦手からめて軍の陣営である。

「あ、あれを見よ」

 一人の見張りが強張った声を上げた。

 龍泉寺城に見えていた松明たいまつあかりがだんだんと増え、幕府勢が陣を張る嶽山だけやまの麓に向かって広がっていた。

「お、おい、後ろをみろ」

 別の兵からは怯えた声が上がった。

 東にある最初の赤坂城(下赤坂城)のあたりにも松明たいまつともり、同様に自分たちの方に迫っていた。

 兵たちの異変に気づいた高師泰こうのもろやすが、宿舎の百姓家から飛び出してくる。そして、周囲の山々に広がる松明たいまつの数に息を呑む。

「何じゃ、これは……楠木に謀られたか。者ども、気を抜くな。戦支度いくさじたくを整えよ」

 松明たいまつのあかりは、佐備谷口さびだにぐち城や金胎寺こんたいじ城など、東条の盆地を囲む楠木の支城にも広がる。幕府軍に迫る松明たいまつは、五千を超えていた。

 そのうち、楠木の騎馬隊が奇声を上げて、遠巻きに幕府軍を牽制した。幕府軍はどこから襲ってくるかわからぬ敵に、神経を研ぎ澄ます。しかし、直接、切り込んでくることはなかった。

小賢こざかしい真似を。こんなこけおどしを、恐れるとでも思ったか」

 師泰もろやすは、不敵にちっと舌を打ち鳴らした。

 結局その日、幕府の軍勢は、楠木軍の攻撃を受けることはなかった。しかし、兵らは一睡もできずに夜を明かした。


 龍泉寺城には、したり顔で幕府軍を見降ろす正儀の姿があった。

「楠木の兵力に驚いていることであろう」

 楠木軍は兵の不足を補うために、百姓たちに命じて幕府軍を囲うように松明たいまつともさせていた。さらに正儀は、楠木軍の一手をいて常夜軍とした。これを津田武信と篠崎久親らに率いさせ、幕府軍を奇襲させたのであった。

 だが、敵を討ち取ることが目的ではない。暗闇に紛れ、安全な間合いを保って奇声を上げ、矢を射かけながら縦横無尽に騎馬が走り回ればよかった。


 翌日、嶽山だけやまを囲む幕府軍は楠木の奇策を恐れたのか、城に攻め込むことはなく、慎重に城を取り囲むだけであった。

 正儀は夜がくると昨夜と同じく、幕府軍を松明たいまつで取り囲み、楠木の騎馬隊を縦横無尽に走らせた。今度は矢を射かけるだけでなく、隙をみて騎馬隊に切り込ませた。

 さらに、和泉から和田勢の援軍が龍泉寺城に入ると、和田正武に城を任せ、正儀は夜陰に紛れて楠木本城である赤坂城(上赤坂城)に移動する。そして、楠木と和田で二組を仕立て、昼夜交代しながら幕府の陣に攻め込み、幕府軍に休む暇を与えなかった。次の日も、また次の日も、同じことを繰り返した。

 昼に夜に、楠木の挑発を受ける幕府の兵たちは、寝ることもままならない。数日も過ぎると、疲労困憊で戦どころではなくなる。結局、師泰もろやすは、東条に攻め込んだ七日の後、石川河原まで搦手からめて軍を下げざるを得なかった。


 一方、幕府本軍は、大和盆地に入ったものの、まだ吉野山へは進軍せずにいる。総大将の高師直こうのもろなおは、二上山にじょうさんの麓、當麻寺たいまでらに留まっていた。吉野山を侵攻するに際し、ここで征夷大将軍、足利尊氏の許しを待っていたのである。

 本陣とした寺の食堂じきどうの中、佐々木京極道誉が憮然として師直もろなおに詰め寄る。

「執事殿(師直もろなお)、いつまでここで無駄に時を過ごすのじゃ」

「将軍からの御教書みぎょうしょが届かぬではな」

 師直もろなおは残念そうに息を吐いた。

「下手に将軍に許可など仰ぐからこうなる。さっさと吉野山へ攻め入ればよかったのじゃ」

「入道殿(道誉)、勝手なことを言うでないぞ。わしは出陣の折、将軍御兄弟からきつく言い含められておる。勝手に吉野山を攻めるなと。将軍のめいたる御教書みぎょうしょなく吉野山を討てば、次はわしが将軍から討たれるわ」

 きっと目を吊り上げた師直もろなおに、道誉が笑いで返す。

「いやいや、それはそれで面白い。いっそ、この軍でもって将軍御兄弟を討ち滅ぼされては。それがし、協力致しまするぞ」

「何を申す」

 嘘か誠かわからない、人を食ったような道誉の態度に、師直もろなお苛立いらだった。

「いや、戯言ざれごと戯言ざれごとじゃ」

戯言ざれごとにしても度が過ぎる」

 憮然とする師直もろなおに、道誉は急に真顔になる。

「三条殿(足利直義ただよし)が、執事殿の申し出に反対しておるのであろうな。将軍はも角、三条殿を何とかせねば、いつまで経っても執事殿は執権北条になれぬぞ」

 すると師直もろなおは、大きなまなこで、ぎろっと道誉を睨んだ。

「おっと、また口が過ぎた。戯言ざれごと戯言ざれごとじゃ。わっはは」

 心底楽しそうに笑いながら、道誉は床几しょうぎを立ち上がり、本陣を後にした。

「全く……戯言ざれごとか」

 道誉の後ろ姿が見えなくなると、師直もろなおは思案する風に腕を組んだ。


 幕府の搦手からめて軍を石川河原まで退けた正儀は、急ぎ吉野山の行宮あんぐう参内さんだいする。

 朝廷は、幕府軍が大和盆地に入ったことで騒然となっていた。一刻を争う事態に正儀は、面倒な宮中の取り次ぎを得ることなく、行宮あんぐうである金輪王寺きんりんのうじに忍び込んだ。以前の幽霊騒動で入り方はわかっていた。ここで、中庭から回廊を渡る公家を見つけては次々と声をかける。

「もし、それがしは楠木……あの……北畠卿への御取次を……」

 しかし、公家たちは蜂の巣をつついたような騒ぎで、正儀の問いかけを無視し、慌ただしく走り回っていた。

「もし、何方か。それがしは楠木三郎正儀と申す。何方か北畠卿への御取次を」

 中庭から公家たちに声をかける正儀を、准大臣じゅんだいじん、北畠親房ちかふさ本人が見つける。

「そのほう、楠木の者か。麿が北畠卿へ取り次いで進ぜよう。申してみよ」

 正儀は、親房の顔を知らない。

「楠木河内守かわちのかみ正行まさつら)が舎弟、三郎正儀と申しまする。兄たちが四條畷しじょうなわてで討死したため、それがしが楠木の惣領を継ぐことになりました。どうか、我が言葉を北畠卿にお伝えくだされ」

 目の前の人物が親房その人とは知らずに正儀は訴えた。

 親房が舐めるように正儀を見る。

「何、その方が楠木の棟梁じゃと……して用件は何じゃ」

「はい、大和の平田荘に点在していた幕府本軍ですが、飛鳥あすか橘寺たちばなでらに全軍を集結させている模様です。おそらく吉野山へ進軍を開始するのではないかと。一刻も早く主上しゅじょう(後村上天皇)の御動座を」

高師直こうのもろなおが動くとな……すでに御動座の支度したくは整っておるが、どこに動座するにせよ、幕府軍を避けて動くとなると……」

 ううむと、親房は悩み顔で閉じた扇を頭に付けた。

「東条では高師泰こうのもろやすが率いる幕府搦手からめての軍勢を、楠木軍が石川河原まで押し返しました。今は我らの軍勢と睨み合い、動きを封じております。ゆえに、今のうち、穴生あのうを目指すのがよろしかろうと思われます。穴生あのうであれば、ほり信増のぶます殿が御味方くださると言質げんちをいただいて参りました」

 穴生あのうとは大和国吉野郡の西部で、一帯は西吉野とも呼ばれる。後醍醐天皇が吉野山に入る前、一時、腰を落ち着けたのがほり信増のぶますの館であった。

 唐突な話に親房は戸惑う。二十歳にも満たぬ若者の言葉を信用せよというのも酷であった。

穴生あのうへ向かうには伊勢街道を通らねばならん。高師直こうのもろなおの幕府本軍が我らの動きを察知して真南に進軍すれば鉢合わせじゃ」

「はい、そこで、吉野の山には幾重にも旗を掲げ、ここに主上しゅじょうられるように見せかけていただきます。そのうえで、伊勢街道ではなく、吉野山から南の山道を下っていただくよう願い申しあげます。このあたりの道に詳しい修験者を外に控えさせております。この者の先達でお逃げいただきますよう」

「何、逃げるじゃと。御上おかみが臣下に追われて逃げるようなことがあってはならん。言葉を知らぬ者よのう。そもそも御上おかみの動座など、そのほうのような身分の者が軽々しく奏上するものではない……」

 大人しく聞いていた親房は、態度を一変させた。

「……されど、一応はそこもとの考えも北畠卿に伝えよう。待っておるがよい」

 そう言って背中を見せてその場を後にした。

 しかし、正儀に背を向けた後、なるほどと頷く。

「この山に旗を立てて、南へか……妙案じゃな」

 ただちに親房は、穴生あのうへの動座を帝へ進言した。


 正儀は、北畠親房への取り成しを片膝付いて行宮あんぐうの中庭で待ったが、親房からの使いは来なかった。

「三郎様、楠木三郎様ではありませぬか。このような場所になぜ」

 声をかけてきたのは伊賀局であった。

「これは御局おつぼね様。一刻ほど前、北畠卿へ穴生あのうへの御動座を進言に参った」

「北畠卿なら先ほど私に、急遽、穴生あのうへの動座を決めたので、准三后じゅさんごう様(阿野廉子かどこ)にもただちに出立するようお伝えせよ、と命ぜられたところです」

穴生あのうへ動座……そうか、よかった」

 そう呟くと、正儀はふうと小息を吐いてその場にへたり込んだ。

 そこに親房が、ごん大納言の洞院とういん実世さねよを連れ立って回廊を通りかかる。

「まだこのようなところにおったのか。武士は武士でやることがあるはずじゃ。早う東条へ戻るがよかろう」

 親房は、厳しい口調で正儀を叱責すると奥へと急いだ。

 呆然とした表情を浮かべ、正儀が伊賀局に振り返る。

「あのお方は……」

「まあ、知らなかったのですか。あのお方が、貴方様あなたさまが取次を求めていた北畠親房ちかふさ卿です」

「なに……たばかられたのか」

 正儀はぐっと唇をかみしめる。兄、正行まさつらの無念がわかったような気がした。

「御免」

 伊賀局に頭を下げた正儀は、外で待たせていた郎党を伴い、東条へ急いで戻った。


 一方、伊賀局は准三后じゅさんごうこと阿野廉子かどこのいる奥殿へ向かう。

「新たな荷物など用意する暇はありませぬぞ」

 大きな荷物を運び出そうとする女房らに声をかけてから、奥に進んだ。廉子かどこの前に進み出ると、ひざまづいて両手を突く。

准三后じゅさんごう様、高師直こうのもろなおめが迫っております。ただちに出立したいと存じまする。街道は使わず山を越えますゆえ身軽な装束に御着替え願います」

 そう言うと伊賀局は、侍女のたえに命じて、すその短い召し物を持って来させた。

「少々荷物を持っていきたい。先帝(後醍醐天皇)に頂戴した数々の品。ここに置いていくことはできませぬ。北畠卿(北畠親房)にお願いして、人足にんそくとなる兵を増やすように伝えてくりゃれ」

准三后じゅさんごう様、残念ながら御上おかみ(後村上天皇)と北畠卿はりませぬ。すでに兵を率いて出立した模様にございます」

 帝はあわただしく行宮あんぐうを出立したところであった。同行したのは、北畠親房と洞院とういん実世さねよら幾人かの公卿くぎょうと近習の公家たちで、近衛このえの兵が従った。

「残された者は数多あまた。それぞれ、てんでに穴生あのうを目指されます。我ら女房衆は、二条左大臣様(二条師基もろもと)らと一緒に、護衛の兵二十人ばかりで穴生あのうへ向かわなければなりませぬ。あらかじめ用意した荷物だけをお持ちいただき、早く御出立を」

 伊賀局の話を聞いて、廉子かどこ狼狽うろたえる。

「何と、我らを残してすでに出立したと。まさか、御上おかみがそのようなことを……」

「いえ、差配されたは北畠卿でございます」

「何……親房が」

「さ、早う」

 愕然とする廉子かどこであったが、伊賀局に急かされて立ち上がった。


 准三后じゅさんごう、阿野廉子かどこ輿こしは男たちに担がれ、女房らを従えて行宮あんぐうを発った。帝(後村上天皇)に同行できなかった弁内侍べんのないしら官女たちも徒歩で跡を追う。伊賀局は気丈にも、近衛の兵たちとともに輿こしの前を先達した。

 御殿を出た直後に、男が一行の前に立ちはだかる。まだ元服仕立てと思える若侍であった。

「伊賀局様でございますね」

「そのほうは」

「はっ、服部はっとり四郎成次なりつぐと申します」

「楠木三郎様(正儀)の手の者か」

「はい、三郎様とは母方の従兄弟となります。三郎様はそれがしのことを聞世もんぜと呼んでおられます」

「聞世殿……あ、猿楽舞の」

 聞世のことは正儀から聞いていた。

「それがしのことを御存知であれば話が早い。此度こたび、三郎様に命ぜられ、それがしが穴生あのう案内あない申し上げます」

「それは助かります。よしなにお願いします」

 歳若い聞世にも、伊賀局は丁寧に頭を下げた。

 輿こし御簾みす手繰たぐり、中から廉子かどこが顔を出す。

「楠木三郎とは何者か」

「楠木河内守様(正行まさつら)の御舎弟殿にございます」

正行まさつら様亡きあと、楠木の惣領をお継ぎになられました」

 片ひざ付いた聞世が、伊賀局の説明に補足した。

「そうですか。河内守に、まだ弟がおったのですね」

 楠木一族が全滅していないと知って、廉子かどこは安堵の表情を浮かべた。

 この後、聞世もんぜの案内で、一行は穴生あのうへ続く山道を進んだ。木々が生い茂り、とても人が通る道とは思えない。弁内侍べんのないしが伊賀局の隣に来て、不安げな表情を浮かべる。

御局おつぼね殿、この道でよいのでありましょうか。先に進んだという御上おかみ(後村上天皇)の一行が通った形跡がありませぬ」

「何でも聞世殿の話では、御上おかみは万が一のことを考えられて、大きく南に迂回されてから、穴生あのうに入られるそうにございます」

「そうですか……」

 この山道は自分たちだけと知らされて、弁内侍べんのないしはますます不安な表情となった。


 山道を下り、幾分か道が広くなったものの、今度は川に遮られる。山合の小さな川である。川幅は知れているが川面までが深かった。

 先頭を歩いていた聞世もんぜ(服部成次)は立ち止まり、困った表情を浮かべて川面を見つめる。

「橋が流されております。これでは川を渡ることはできませぬ」

 昨日までの雨で川の流れは早く、男でも、歩けば足をすくわれそうであった。

「伊賀局様、それがしは上流に渡れそうなところがないか、探して参ります。しばしこちらでお待ちを」

 そう言って山の中に入っていった。

 しかし、聞世の帰りは遅かった。同行の兵らは、帰りを待ち切れず、木を何本か倒して橋をかけられないかと相談をはじめる。橋を架けるにはそれなりの大木が必要である。しかし、木を切り倒す斧などは持ち合わせてはいない。一人の兵が、近くの木を押し倒そうと力任せに押してみるが、びくともしなかった。

 輿こしから降りて、この様子を見ていた准三后じゅさんごう、阿野廉子かどこは、しかめた顔を伊賀局に向ける。

「聞世とやらの帰りを待つしかありませぬか」

准三后じゅさんごう様、聞世殿がこれだけ遅いということは、渡れるところがこの近くにはないということかと存じます。やはりここは我らの力で何とかせねばなりませぬ。できることを考えましょう」

「さりとて、そなたに何か考えはあるのか」

 問われたつぼねはあたりを見渡し、侍女のたえを伴って山の中に入って行った。

 しばらくするとその方角から、バサバサと木を揺らす大きな音がした。何事かと一同が目を向けると伊賀局らが戻ってくる。

「ほどよい樫の木があります。これであれば数人の男手があれば倒せるかと存じます」

 一同は唖然とした表情で伊賀局を見た。川を渡せるほどの大木を、女手で押しても揺らせるはずはない。まして、つぼねの華奢な腕を見れば尚更である。

 弁内侍べんのないしが不思議そうな表情を浮かべる。

御局おつぼね様のどこに斯様かような力があるのでございますか」

「このあたりには根腐れして朽ちた木が幾つかあるようです。たぶん川の流れが変わったためでしょう。このような地形ではあり得ることです。根を掘って、白く綿のようなものがついていれば根腐れの証。朽ちた木なら、男手が数人もあれば、倒すことができるでしょう。男の方々は木を倒してくだされ。できれば樫の木がよいでしょう。橋を渡すには二本は必要です。あまり大きな木では倒れませぬ。一尺ほどの太さとしてください。木を倒したら枝を払い……」

 てきぱきと伊賀局は男たちに指示をした。

「は。承知つかまつりました。者ども、それ」

 近衛の兵たちはたえを連れて、つぼねが示した森に入っていった。

 廉子かどこが目を丸くして感心する。

「伊賀局、そなたはよくそのようなことを知っておったな」

「私は幼き時から、父や兄に連れられて、よく山に入りました。そこで、父からいろんなことを教わりましてございます」

「伊賀局の父は新田四天王の篠塚伊賀守(重広)であったな。さすがは武勇の誉れ高き家の娘じゃ。父に似て頼もしき限り」

 そう言うと、伊賀局に向けて満足そうに微笑んだ。

 篠塚氏は、源頼朝の時代、坂東武士の鑑と称された畠山重忠を祖先に持つ勇者の血筋であった。


 兵たちが木を倒したところで、聞世もんぜが項垂れて戻ってくる。そして、目の前の木を見て目を丸くした。

 そんな聞世に、弁内侍べんのないしが微笑む。

「伊賀局様(篠徳子)の差配でございます」

御局おつぼね様の……」

 その目は、ますます丸くなった。

 聞世もんぜも手伝って二本の木が川に渡される。しかし、橋が架かったとはいえ、とても輿こしを渡せるものではなかった。

准三后じゅさんごう様(阿野廉子かどこ)、申し訳なく存じますが、御輿みこしはここに棄てて参りたいと存じます。お疲れになれば、わたくしがおぶりましょう」

「大丈夫ですよ。わらわにも二本の足があります」

 不満を口にする事なく、廉子かどこは素直に従った。

「さ、私の手におつかまりください」

「では、伊賀局、頼んだぞ」

 伊賀局は廉子かどこの手を引いて、丸太の橋を渡り切る。そして一行は苦難の未、何とか無事に穴生あのうへ続く街道に出ることができた。


 先に穴生あのうに走った聞世が、堀信増のぶますの嫡男、堀信通のぶみちを連れて来ていた。

 緊張した表情の信通のぶみちが、阿野廉子かどこの前で片ひざを付く。

「これは准三后じゅさんごう様、よくぞ御無事で到着されました。この信通のぶみち、父、信増のぶますとともにいのちに代えても主上しゅじょう(後村上天皇)と准三后じゅさんごう様をお守りする決意ゆえ、御安心して穴生あのうへお入りください」

「堀殿(信通のぶみち)、頼もしゅう思いますぞ。御上おかみはすでに穴生あのうへお入りか」

「いえ、主上しゅじょうは、北畠卿(親房)が万が一のことを考えて、この穴生あのうから西に五里ばかり、紀伊国きいのくに花園に向かわれました。湯浅定仏じょうぶつ入道殿の阿氐河あてがわ城(阿瀬川あせがわ城)に入られるおつもりです。我が父も向かっております」

「そうですか、まだ、御上おかみには会えぬのですね」

 我が子に会う事が叶わず落胆する廉子かどこの様子に、伊賀局が前に進み出る。

准三后じゅさんごう様、まずは高師直こうのもろなお師泰もろやすめを、北へ追い払わなければなりませぬ。四条大納言様(隆資たかすけ)や楠木三郎様(正儀)が、後顧こうこうれいをなくして戦うためには、やむを得ない仕儀しぎかと存じます。必ずや殿方とのがたが敵を追い払われることでしょう。それまでのご辛抱でございます」

 その言葉に、廉子かどこは表情を和らげて頷く。そして、この聡く美しい伊賀局を、ますます頼りにした。


 一月二十八日、准三后じゅさんごう、阿野廉子かどこ穴生あのうへ到着した翌日のことである。

 やっと、征夷大将軍、足利尊氏が、行宮あんぐう侵攻の御教書みぎょうしょ高師直こうのもろなおに下した。許可を得た師直もろなおは、さっそく吉野山の侵攻に着手する。

 しかし、吉野山に登った先陣から、麓の師直もろなおの元へ、思わぬ一報が届いた。

 師直もろなおは顔を真っ赤にして目を吊り上げる。

「何、行宮あんぐうはもぬけの空じゃと……公家や女房衆はどうした。誰もおらんのか。寺はどうじゃ。坊主もおらんのか」

「は、はい、行宮あんぐうのいずれの御殿にも公家衆はおりませぬ。金輪王寺きんりんのうじを取り巻く寺々は、何事もなかったように坊主が朝の勤めを行っておりました」

「むうぅ、それで」

「ひ、一人捕まえて問うたところ、吉野山の帝(後村上天皇)は昨日のうちに動座されたようにございます」

 使いの兵は、師直もろなおの威圧に、恐る恐る答えた。

 その横で、にやにやと話を聞いていたのが京極道誉である。

御教書みぎょうしょが出るのが一足遅かったですな。まあ、これだけの大軍をようし、攻めるまで時をかけておれば、敵に逃げてくれと言っているようなもの。案外、三条殿(足利直義ただよし)はそのように考えておったのやもしれぬな。執事殿(高師直こうのもろなお)もとんだ割を喰ったものじゃ」

「三条殿ではない、此度こたびは将軍(足利尊氏)の御差配ござはいよ。将軍は本気で行宮あんぐうを攻める気はないのじゃ。将軍のお考えは、大軍をようして南朝を脅し、その一方で和睦を求めて南の帝の降参をお待ちしておった。北畠卿(親房)からは和睦の条件を整えるまでしばしの時が欲しいとのことであった。されど、逃げ支度じたくをしておったとはな。吉野の朝廷も南主(後村上天皇)も、とんだ笑いぐさになろうぞ」

 吐き捨てるように師直もろなおが道誉に返した。

「されば、お元とて、行宮あんぐうがもぬけの空であれば、世間の笑いぐさになろうぞ」

「ふん、それについては誰も笑えぬよう、きっちり始末してくれよう。南主が二度と吉野山に戻ってこれぬようにな」

 そう言い返すと、使いの兵に振り向く。

「山頂に戻って諸将に伝えるのじゃ。行宮あんぐうの建物全てに火を掛けろと。吉野山が二度と行宮あんぐうとなることができぬようにな」

「霊場に火を放つのですか……」

 兵は一瞬、たじろいだものの、じっと睨みつける師直もろなおの眼力に、慌てて頭を下げる。

「はっ……承知」

 使いの兵が山頂に戻っていくと、吉野山に火の手が上がる。行宮あんぐうとしていた金輪王寺きんりんのうじの金堂や伽藍がらんは業火に呑まれ、もうもうと煙を上げた。

 吉野山に立ち上る煙を仰ぎ見た師直もろなおは、京極道誉、細川顕氏らに、大和各地で南軍の帰討戦を指示した。


 赤坂の楠木館を失った楠木党は、楠木本城である赤坂城や西の龍泉寺城に籠って、石川河原に引いた高師泰こうのもろやすの八千余騎と、睨み合ったままであった。

 赤坂城の本丸にある陣屋の広間。上座に座る正儀の前に、絵地図が拡げられている。これを、後見役の橋本正茂まさもち、和泉から駆け付けた一門の和田正武、そして、与力の美木多助氏をはじめとする面々が囲んでいた。

「ただいま戻った斥候せっこうによると、吉野山に放たれた火は風にあおられ、行宮あんぐうは三日三晩燃え続けたとのこと。示現じげんの宮、七十二間の回廊、三十八の神楽かぐら屋、宝物蔵、竈殿へついでん、そして、かの蔵王堂ざおうどうまでもが、ことごとく灰塵に帰したそうにございます」

 近習の河野辺かわのべ正友が、あおい顔で諸将に報告した。

 驚く一同に対し、もう一人の近習、津田武信が追い討ちをかける。

「それだけではございませぬぞ。石川河原に布陣する舎弟の師泰もろやすめは、兵糧を求めて、叡福寺えいふくじに押し入りました。寺がこれを拒むと火を放ち、聖徳太子びょうをも焼いてしまったそうにございます」

「何、太子びょうもか……」

「何と罰当たりな兄弟よのう」

 高師泰こうのもろやすの悪行に唖然とする正儀に、正武が吐き捨てるように言葉を被せた。

 叡福寺えいふくじだけではない。師泰もろやすは、周囲の寺社に兵糧の供出を求め、拒否されると見せしめに寺社を焼打ちして回り、兵糧を奪っていた。

 後見役の正茂まさもちに向けて、正儀が首を傾げる。

「無理に押し入り兵糧を調達しているということは、師泰もろやすは長丁場を覚悟したということでは……」

「ううむ、そのようじゃな。されど、八千もの兵をいつまでも石川河原に留め置くことは難しいであろう。いずれ兵を動かしてくる」

 正茂まさもちの見立てに一同は頷いた。


 そこに、家臣の篠崎久親が下座に現れ、ひざまづく。

「三郎様(正儀)、北畠卿(親房)の使いとやらの山伏やまぶしが参っておりますが」

「何、北畠卿の……」

 その名に、和田正武が敏感に反応した。

 頷く橋本正茂まさもち一瞥いちべつし、正儀が口を開く。

「よし、ここへ通せ」

 すぐに久親が、山伏やまぶしを諸将が居並ぶ広間に通した。

 上座に正儀、左右両側に諸将が向い合わせに座る中、その山伏やまぶしが諸将に挟まれるように間に座る。

「それがしは真木定観まきじょうかんの次男、真木堯観まきぎょうかんと申す。北畠准大臣じゅんだいじん様(親房)より、楠木の若き棟梁に書状を渡すよう、預かって参りました」

 真木定観まきじょうかんは、先帝、後醍醐天皇の吉野山入りを支えた南大和の土豪である。その息子の堯観ぎょうかんが差し出した書状を、武信が受取り正儀へと繋いだ。

「三郎(正儀)殿、北畠卿は何と」

 じれれったい素振りで、正武が身を乗り出した。

「帝は御無事じゃと。吉野から紀伊に入られたそうじゃ。四条卿(隆資たかすけ)の元から湯浅入道殿(定仏)がつかわされ、いったん入道殿の阿氐河あてがわ城(阿瀬川あせがわ城)に身を寄せられた。そして、入道殿の護衛で穴生あのうに向かわれているとのこと。我らには、護衛の兵を率いて、穴生あのうに来るようにとのお達しじゃ」

「何、このような状況でか」

 驚く正茂まさもちに正儀は無言で頷いた。

 堯観ぎょうかんが補足する。

槇尾山まきおさんの四郎左衛門尉さえもんのじょう殿にも同様の書状を送っております」

 四郎左衛門尉さえもんのじょうこと橋本正高は、湊川みなとがわで自害した橋本正員まさかずの嫡男で、この場に同席する正茂まさもちの甥であった。

 その正茂まさもちが唸る。

「ううむ、この城から兵をくのは難しいであろう。三郎殿(正儀)、津田左衛門尉さえもんのじょう殿(津田範高)から兵を出してもろうてはどうであろうか」

「それがしは異存ござらん。では、さっそく津田の父上の元に使いを送りましょう。六郎(篠崎久親)、頼めるか」

「承知致しました。ではさっそく」

 久親はすぐに立ち上がって広間を下がっていった。

「正儀殿、穴生あのうへはわしも一緒に参ろう。御相手は北畠卿じゃ。そのほうが何かとよかろう」

 そう言って、正茂まさもちは少し苦笑いを浮かべた。

「はい、それがしからもお願い致します。では、ここは我らが戻るまで、新九郎(正武)殿にお任せしたい」

「判った。三郎殿、任せられい」

 和田正武が胸をどんと叩き、躊躇ためらうことなく引き受けた。

「では堯観ぎょうかん殿、先に戻って、楠木正儀がすぐに参上すると、北畠卿にお伝えあれ」

「承知つかまつった。では、それがしはこれで」

 あわただしく堯観ぎょうかんは立ち上がった。


 翌日、正儀と後見役の橋本正茂まさもちは、四條畷しじょうなわてから生きて戻った津熊三郎義行を従者に付けて、穴生あのう行在所あんざいしょに出向いた。行在所あんざいしょはこの地の土豪、堀信増のぶますが自らの屋敷を帝(後村上天皇)に提供したものである。

 正儀と正茂まさもちは、屋敷の庭に座り顔を伏せた。

 奥の座敷には御簾みすが垂らされ、その向こうに帝が鎮座する。手前の外縁には准大臣じゅんだいじんの北畠親房とごん大納言の洞院とういん実世さねよが座っていた。

「楠木三郎正儀、橋本九郎正茂まさもち、大儀である。顔を上げよ」

 実世さねようながされ、二人は伏し目がちに顔を上げた。

御上おかみの護衛に兵百を率いて参られたこと、まことに殊勝である。御上おかみもお喜びであるぞ」

「ははっ」

 二人は声を合わせて応じた。

 殿上の親房が、正儀にじっと目をやる。

「楠木正儀、その方が惣領を継いだそうじゃな」

「はっ。兄たちの意志を引き継ぎ、主上しゅじょうに尽くす所存にございます」

「まだ若いのう。歳は幾つじゃ」

「はっ。十九にございます」

 すると親房は、ふっと息を吐き、渋い表情を返す。

「楠木党は我らにとって軍事の要。若いそなたではちと荷が重うないか」

「ほんにのう。麿もそのように思うぞ。楠木のみならず和田、橋本など一門の惣領として差配するのがこの若者とは……」

 疑念を浮かべる親房に、示し合わせたように実世さねよも同調した。

「恐れながら……」

 正茂まさもちが声を上げる。

「……御心配の旨、重々承知しております。されど、ご懸念にはおよびませぬ。正行まさつら殿・正時殿が討死した今、亡き正成殿の血は、この三郎正儀殿を置いて他にはありませぬ。正成殿の血筋であればこそ、我ら橋本・和田など親戚筋は、心を一つにして楠木を支えることができまする。どうか、お任せあれ」

「ふうむ、そこまで申すなら仕方がない。ならば、存分な働きを期待するぞ……」

 不満顔を残したまま、親房が承知する。

「……ところで、此度こたび四條畷しじょうなわての敗因じゃ。河内守(正行まさつら)の無茶な戦振りにも原因はあるが……」

「む、無茶……」

 その言葉に正儀が驚き、顔を上げようとした。しかし、隣の正茂まさもちに手を差し出されて制せられる。

 親房は正儀の反応をしっかりと見ていたが、何事もないように話を続ける。

「内藤右兵衛尉うひょうえのじょう満幸みつゆき)ら、武家方(幕府方)に寝返った者たちがあった。右兵衛尉うひょうえのじょうは河内守のしゅうとではなかったか。これは由々しきことぞ。我らの手のうちは河内守からその妻(満子みつこ)、妻からその父に、そして、右兵衛尉うひょうえのじょうから幕府へ伝わったものと考えるのが道理じゃ」

「何と、そうであったのか。我らが負けたのはそうゆうことであったか」

 大げさに実世さねよが相槌を打った。

 顔を伏せた正儀は、怒りで肩を震わせる。親房が、無謀な戦略の責任を、帝の前で兄、正行まさつら義姉ぎしの満子に転嫁しようとしていると思ったからである。

 ただ、内藤満幸みつゆきからは、確かに情報が洩れる可能性は否定できなかった。思えば高師直こうのもろなおの戦は、まるで正行まさつらの算段を知った上でのようでもあった。しかし、夫、正行まさつらが討死し、最も悲しんでいる満子が、そのような情報を満幸みつゆきに流すはずもない。

詭弁きべんだ)

 心の中で叫んだ。帝の前でなければ、確実に反論していた。

「楠木正儀」

「はっ」

 名を呼ばれ、正儀は我に返る。

満幸みつゆきの件、楠木の棟梁としてどのように始末する所存か」

 正儀には親房が問う意味がわからなかった。

 始末と言っても、満幸みつゆきはすでに幕府方であり、攻めるにしても、拠点は東条から離れた北摂ほくせつ能勢のせである。たとえ近くであっても高師泰こうのもろやすと対峙している正儀にはどうすることもできなかった。

 真意がわからず黙っている正儀に、実世さねよが口を挟む。

「どうも北畠卿のお言葉が理解できていないようじゃ。北畠卿は、手のうちを漏らした河内守の妻を処罰せよと申しておる」

義姉上あねうえを処罰せよと……」

 驚きのあまり、正儀は思わず声を上げた。

「そうじゃ、当然であろう。死をもって償わなければならぬのではないか」

 実世さねよ忖度そんたくに、親房は苦笑いを浮かべる。だが、制しないところをみると、近いことを考えているとみるほかない。

「いえ、義姉上あねうえはそのようなことをするような御方ではありませぬ」

 反論するが、実世さねよはそれを許さない。

「根拠のない申し開きは控えよ、御上おかみの御前であるぞ」

(どちらが根拠のない言い分であろうか)

 正儀は目の前の公家に向けて、心の中で吐き捨てた。

 しかし、今はとにかく義姉ぎし、満子のいのちを救わねばならない。

義姉上あねうえはすでに兄、正行まさつらとの間に嫡男を儲け、母として楠木家を守っております。そのような者が、自分で自分の首を絞めるようなことをするでしょうか。どうぞ、義姉あねに掛かりし嫌疑をお晴らしいただきたく存じます」

 意見は正論である。だからこそ、親房の顔は険しくなる。

「そなたは人の心が読めるのか。都合よくそなたが解釈しているだけであろう。すでに御上おかみにおかれても、このことは御承知の上のこと。忠節深き楠木の棟梁が、勅命ちょくめいに反するつもりか」

「されど……」

 反論しようとする正儀を制し、隣の正茂まさもちが口を開く。

「処罰の対象は楠木の家の者。処罰の内容は楠木一党にて決めとうございます。どうか、この件、我らにお任せあれ」

「うむ、まあ、そうじゃな、楠木一族を差し置いて、我らが処罰の内容までを決めるわけにはいかぬ。そなたたちに任せることとしよう。されど、御上おかみは厳しい処罰をお望みじゃ。よいな、楠木正儀」

 厳しい口調で親房は命じた。正儀は、わなわなと震えながらも、頭を下げたまま、その姿勢を押し通した。

「もう下がってよいぞ」

 黙り込んだ正儀は、塵を払われるように実世さねよに退席を命じられた。


 正儀が項垂うなだれて堀信増のぶますの館を出ると、馬留うまどめで心配そうに津熊三郎義行が待っている。

「いかがでございましたか」

 その問いかけにも、正儀は下を向いて、肩を震わせたままでいた。

 橋本正茂まさもちが正儀の前に回り込んで、両肩に手を置く。

「三郎殿(正儀)の無念さはようわかる。わしとて同じ思いじゃ。されど今は、とにかく満子殿のいのちを救うことを考えようぞ。生きてさえいれば、いずれ北畠卿も考えを改められるであろう。そうじゃ、観心寺に寄って、御母堂様に相談されてはどうじゃ」

 しかし、観心寺には夫、楠木正行まさつらを亡くして悲しみに暮れているであろう満子も居る。いったいどのような顔で義姉ぎしや母に会えばよいのか、正儀にはわからなかった。


 穴生あのうからの帰り、正儀は正茂まさもちを先に赤坂に帰し、義行だけを連れて観心寺を訪ねた。母、久子は中院ちゅういんで暮らしていた。

 正儀が久子と向き合うのは、四條畷しじょうなわての戦い以降、初めてである。

「母上、風邪をひいておったと聞きましたが、お加減はいかがですか」

「三郎(正儀)、気遣い痛み入ります。太郎(楠木正行まさつら)と二郎(正時)が討死して、お前がどのようにしているのかと心配しておりました」

「皆が助けてくれておりますので何とか……母上こそ、お気を落されませぬように」

 末子の精一杯の言葉に、久子は頷く。

「まだ、石川河原には幕府軍が布陣していると聞きますが、このようなところに来て大丈夫なのですか」

「北畠卿の呼び出しで、穴生あのうに行った帰りなのです。楠木の新たな棟梁として帝に拝謁して参りました」

「そうですか。帝が御無事で何よりです。吉野山が燃えたとの報に触れ、心配しておりました。それにしても三郎が帝に拝謁とは……父上にも聞かせてやりたかったものです」

 その目は少しうるんでいた。息子二人を同時に亡くし、少し涙もろくなったようである。

 正儀が来たと聞いて、義姉ぎしの満子が顔を出した。

「三郎様(正儀)、よう来てくだされた。今日は寒うございますので、白湯さゆを持って参りました。身体を温めてくだされ」

 満子の侍女、ふく白湯さゆの入った椀を正儀と津熊義行の前に置いた。歳若い義行は、ふくから渡された椀を緊張しながら受け取っていた。

「ありがとう、義姉上あねうえ

「母上様の話し相手になってくださいね。私は多聞丸と一緒に向こうにおりますので。何かあったらお呼びくだされ」

 夫が亡くなっておよそ一月。未だ、ぎこちない笑みを浮かべ、満子は奥に下がっていった。

 満子が見えなくなるのを待って、正儀はふくに顔を向ける。

ふく殿、義姉上あねうえは、いかがでござる」

「はい、四條での戦の直後は口数が少なくなり、食も細くなっておりました。されど、多聞丸様のことを思い、今は気丈に振る舞っておられます。私には逆にそれが痛々しくて……」

 袖で涙をぬぐうふくに、一同は沈黙した。

 ふうぅと息を吐いた正儀が、後ろに控えた義行に振り返る。

「義行、悪いが、母と二人で話がしたい。少し座を外してくれぬか」

「はあ……どこで待っておりましょうか」

 義行は戸惑った表情を返した。

「津熊様は、私めと一緒にくりやにでもどうぞ」

 そう言って、ふくは義行を伴って部屋から出て行った。


 改めて正儀は久子に向かって居住まいを正す。

「実は今日、義姉上あねうえのことでここに来たのです」

 正儀は母に、穴生あのうでの出来事を包み隠さず話した。

 わっと久子が両手で顔を覆う。

「何と無体な。満子がそのようなことをするはずはありません」

「それがしとて同じ思いです。北畠卿は己の責任を転嫁しようとしているとしか思えぬ」

 がっと床を叩いて怒りをぶつけた。

「三郎、我らの力ではどうすることもできぬのですか」

「帝を前にして大臣に盾突くことは詮なきこと。正茂まさもち殿にさとされました。今は義姉上あねうえを御救いする手立てを考えるべきじゃと」

 無力な自分を蔑むかのように唇を噛んだ。

万里小路までのこうじ卿(万里小路までのこうじ藤房ふじふさ)がられたなら、きっとたしなめていただけたでしょうに……残念です。こうなってしまっては、満子をどこかに預けて、時をかけるしかありませぬ。時が経ち、北畠卿のお考えが変わるのを待つのです」

「なるほど……されど、預けるといっても誰に預けたものか」

 たずねられた久子は小首を傾げ思案する。

「やはり、頼りになるのは一族です。赤坂には九郎殿(正茂まさもち)が後見としておられるではありませぬか。九郎殿の館で預かってもらうのがよいでしょう。それに、太郎(正行まさつら)のこともあります。しばらくは河内から離れ、多聞丸と暮らせば、満子とて気も晴れるやも知れませぬ」

 母に言われると何やら不思議と安心する。

「そうかも知れませぬな」

「しばらくの間、私も一緒に参りましょう。幕府との戦いも続き、ここも安全とはいえないでしょう。満子には、北畠卿の話を伏せて、私から話してみます。さすれば、満子とて不審に思う事もないでしょう」

「何やら安堵しました。母上に話してよかった。さっそく赤坂へ戻り、正茂まさもち殿へ話をしてみます。それでは御免」

 平常心を取り戻した正儀は、義行を連れて急ぎ赤坂城へと戻った。


 早速、正儀が橋本正茂まさもちに相談すると、和泉ではなく紀伊を提案される。紀伊国伊都郡いとぐん橋本は橋本党の出処しゅっきょであり、現在の本貫、和泉国日根郡ひねぐん橋本に比べ、幕府方の脅威にさらされる恐れは低かった。正茂まさもちはこの地にある古い橋本館に自らの妻子も移し、ここで満子らを受け入れることとする。

 数日後、久子は、満子と数えで三歳の多聞丸、そして侍女のきよふくを連れて紀伊橋本に移っていった。

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