第18話 観応の擾乱

 正平四年(一三四九年)六月も後半、長雨が上がった京の町は、地から沸き立つような湿気と暑さに覆われる。

 楠木正行まさつらを討ち取り、発言力を強めた将軍家の執事、高師直こうのもろなおは、ますます幕府の中で重きを置く。すると、その師直もろなおを担いで権益を得ようとする武功優先の者たちと、副将軍の足利直義ただよしを頂点とする一門の守旧派が、目に見えて対立を深めた。それは担がれた当人同士の争いでもあった。


 将軍御所を訪れた足利直義ただよしが、書院に兄、足利尊氏の姿を見留める。すると、ついと怒りを表に出す。

「近頃、師直もろなおの振る舞いは度を越しておる」

「また師直もろなおの話か。どうしたというのじゃ。奴には奴なりに慎ましいところもあるがのう」

 舎弟の剣幕にも涼しい顔で尊氏は写経を続けた。

 筆を持つ手を緩めない尊氏の前に、直義ただよしがどかっと座る。

「兄上がそのようなことだから図に乗る。兄上は婆娑羅ばさらに甘うござる。吉野山の伽藍がらんを焼き払ったかと思えば、今度は……知っておるか。師直もろなおは『王だの院が必要なら木や金で像を作り、生きているそれは流してしまえ』と言うたそうじゃ。まったくおそれを知らぬ者よ」

 師直もろなおへ批判の矛先ほこさきを向けようとしない兄に、これでどうじゃと詰め寄った。

 それでも尊氏は筆を置かない。

「お前が直接聞いたわけでもあるまい。惑わされるな。そのような話は面白おかしく尾ひれがつくものよ。特に師直もろなお憎しと思う奴は多いでのう」

「まことであろうがなかろうが、そのような話が伝われば、困るのは兄上じゃぞ。師直もろなおは将軍家の執事。執事の行いは、いずれ兄上にも災いをもたらす」

 写経の邪魔をされ、だんだんと尊氏が不機嫌になる。

「わしにどうせよというのじゃ」

「それがしに任せていただきましょう。いや、心配にはおよびませぬ。師直もろなおに、ちと灸をすえるだけじゃ」

 やっと筆を止めた尊氏が、ため息まじりに弟を見据える。

 そこに直義ただよしが、間髪いれずに迫る。

師直もろなおは執事に加え引付方ひきつけかた頭人とうにん。舎弟の師泰もろやす侍所さむらいどころ頭人とうにん。下の弟、重茂しげもちは関東執事。さらに、こう一族の守護国は十を超える。これでは師直もろなおが図に乗るのは致し方ない。放っておけば、何れ執権北条の如きものになろうぞ」

「では、どうする」

「執事を罷免ひめんして上杉憲顕のりあきげ替える。なあに、交互にやらせればよい。要は力を分けることじゃ」

 従兄弟の上杉憲顕のりあきは、高重茂こうのしげもちと共に関東執事の座にあった。

「お前が言うようにうまくいくかな。お前はまつりごとには聡いが、人は決め事だけでは動かせん……」

 尊氏は何かを言おうとしたが、一旦飲み込んで深い溜息をつく。

「……されど……まあよかろう。好きなようにやってみよ」

 ここぞと言うときに、面倒事を放り投げるのは、尊氏の悪い癖である。

 ともあれ、我が意を得た直義ただよしは、にやりと口元を緩め、軽く礼を返すと、そそくさと部屋を出て行った。


 足利直義ただよしの動きは早かった。兄の気が変わっては振り出しに戻ってしまう。上杉憲顕のりあきの上洛を待たず、翌、うるう六月には高師直こうのもろなおの執事職を罷免ひめんする。そして、若い高師世こうのもろよを形ばかり据えた。彼は高師泰こうのもろやすの息子で、師直もろなおからすれば甥である。一時的にせよ、こう一族の反発をかわすためであった。


 その数日後、佐々木京極道誉が高師直こうのもろなおの屋敷を訪ね、昼間から酒を喰らう師直もろなおの話し相手になっていた。

「いやあ、此度こたびはまことに残念じゃ。四條畷しじょうなわてでご活躍の貴殿を、まさか執事職から罷免ひめんするとはのう」

 精一杯、道誉は同情する素振りを見せた。しかし、なぜかこの男からは、楽し気な雰囲気が隠しきれない。

 師直もろなおはそれがしゃくさわり、殺気に満ちたまなこを返した。

 だが、そんな視線を意にも介さず、道誉は話を続ける。

「将軍(尊氏)も、いったい何を考えておるのか。いくら三条殿(直義ただよし)が仕掛けたとしても、将軍が認めなければこうはなるまい」

「いったい何が言いたいのじゃ。わしをからかいに来たのなら容赦はせぬぞ」

 ぶすっとした態度で、師直もろなおは盃の酒を喉に流し込んだ。

「まさか、そのようなこと。わしとて命は惜しいでのう、うわっはは」

 大きな声で笑ったかと思うと、回りを確認してから急に小声になる。

「ひとつ忠告じゃが、政所まんどころに行くときは、気を付けられよ。闇討ちしようとしておるものがおるらしい」

「御舎弟殿(直義ただよし)がめいじたというのか」

「真偽はわからぬが、上杉、桃井もものい吉良きら、細川(顕氏)らにも、密かに兵を集めるよう命じておるとも聞く」

「まさか、そのようなこと……あるはずがない……」

 師直もろなおは鼻で笑い、道誉から視線を外す。

「……いくら御舎弟殿といえども、将軍の許しもなくそのようなことをすれば、ただでは済まぬ。昨日もわしは将軍と話した。決して許すまいぞ」

「そこじゃ。貴殿は将軍と三条殿が組むことはあるまいと思うておるようじゃが、どうかな。そこはやはり御兄弟。わしは用心に越したことはないと申し上げたいのじゃ」

 盃を置いて、師直もろなお怪訝けげんな表情を向ける。

「なぜ、そこまで御注進くださる」

「三条殿がこれ以上、幕府を牛耳れば、式目(法律)ばかりで息が詰まる。わしは婆娑羅ばさら面白可笑おもしろおかしゅう生きるには、そなたの方が都合よい。それと……」

 ずいっと師直もろなおの近くに身を乗り出す。

「……尊氏殿に家臣殺しをさせたくないのでな。うわっはは」

 耳打ちすると大きな声で笑い、立ち上がった。

「いや邪魔をした。それがしはこれで失礼する。見送りは無用じゃ」

 そう言うと、道誉は笑いながら部屋を出ていった。

 師直もろなおは大きなまなこでじっとその背中を追う。

「用心のう……いざとなれば、河内から師泰もろやすを呼び戻すか」

 視界から道誉が消えると、一人静かに呟いた。


 一方、師直もろなおの屋敷を後にした道誉は、馬上で揺られながら顔をにやつかせる。

「面白くなったわい。どちらに転んでもわしに損はない。あっはは」

 高笑いしながら馬を進めた。


 八月初めの東条は、すっかり残暑も払われ、夜は虫ので癒される。

 楠木館を燃やされた正儀は、赤坂城の本丸に建つ陣屋を自らの館としていた。ここに、楠木の家宰かさいを代行する神宮寺じんぐうじ正房まさふさが登城する。

「殿(正儀)、斥候せっこうより、知らせが参った。高師泰こうのもろやすが石川河原から撤退を開始しましたぞ」

「やはり、そうなりましたか」

 正儀は手元の軍忠状から顔を上げた。

 落ち着いた反応に、正房まさふさが首を傾げる。

「どうゆうことでござる」

小波多こはた座の治郎殿(服部元成)が知らせてきた。京では、副将軍の直義ただよしと、執事を罷免ひめんされた師直もろなおが争っておる。諸将を自陣に引き入れようと、それぞれ密かに書状を送っていたそうじゃ」

「なるほど、それで師直もろなおが、舎弟の師泰もろやすを京へ呼び戻したわけですな。まあ、これで我らも一息つけます。殿、これまで、よう耐えられましたな」

 その言葉に、正儀は少しだけ肩の力を抜いた。


 河内につかぬ間の平穏が訪れる。兄、楠木正行まさつら・正時が討死してからすでに一年七カ月が経っていた。正儀は、この間の出来事が、いまだ現実のこととは思えなかった。


 数日後、正儀は一人暮らしをする母、久子に招かれる。秋口の落ちついた緑の中を、母のいおりに向かって坂を上った。

 嫁の満子みつこを実家に戻したことへのけじめとして久子は髪を落とし、敗鏡尼はいきょうにと名乗った。水鏡に映った苦悶の表情を戒めとした号である。出家した敗鏡尼は、出自の甘南備かんなび村でいおりみ、一人暮らしをしていた。そのいおりは、皆から楠妣庵なんぴあんと呼ばれた。

 いおりが見えるところまでくると、侍女のきよが落ち着きなく出入りする姿が目に入った。いかにも正儀を待ちわびている様子である。その姿に、正儀は自然と笑みがこぼれた。

 きよの実家も、ここからほど近い。敗鏡尼の世話をするため、毎日のように、いおりに来ていた。

「敗鏡尼様、敗鏡尼様、三郎様(正儀)がお見えでございます」

 きよの大きな声が響き渡った。満面の笑みを浮かべている。

 その声で敗鏡尼もいおりの外に出てくる。

「三郎(正儀)殿、よう来てくれました」

「母上(敗鏡尼)、お達者で何よりでございます」

此度こたびの御働き、まことに御立派でした。父上(楠木正成)も、太郎(正行まさつら)、二郎(正時)も、さぞ喜んでいることでしょう」

 母はいつものように優しかった。しかし、二人の息子を同時に亡くし、急に老いたようでもある。

「狭いいおりですが、上がってくつろいでくだされ」

 うながされ、正儀は中に入った。

 一方、きよくりやに立ち、何やらせわしなく働いた。

「それがしをお呼びなされたのは、何か仔細があるよしかと……」

「ええ。三郎(正儀)、今日はゆっくりできますか。実はお前に会わせたい御仁がおるのです」

「それがしは構いませぬが……御仁とはどなたですか」

「どう話したらよいでしょうか……すぐに来られるでしょうから、少し待ってくだされ」

 歯切れの悪い母の言葉に正儀は当惑する。

 兎に角、きよが用意してくれた昼餉ひるげに箸をつけながら、その人物を待った。


 一刻もしないうちに、いおりに二人の男がやってくる。

「敗鏡尼様、連れて参りましたぞ」

 そう言って年配の僧がとば口をくぐる。その後に続いて、まだ元服を済ませたばかりかと思われる歳若い男も入ってきた。

 正儀に気付いた僧が、じっと顔を見据える。

「三郎殿でござりますか。やっと会えましたな。ほんにあの小さき御子おこがのう」

 そう言って、僧は愁眉しゅうびを開いた。

 すぐに敗鏡尼が二人を座敷に上げ、戸惑う正儀と向き合わせる。

「この御仁は授翁じゅおう宗弼そうひつ様です。俗世を捨てられる前の名は中納言の万里小路までのこうじ藤房ふじふさ様じゃ」

「中納言はお止めくだされ」

 敗鏡尼の紹介に宗弼そうひつは頭をいた。授翁じゅおうは道号、宗弼そうひつは法名である。

 正儀は驚いて目を丸くする。

「中納言の万里小路までのこうじ様といえば、それがしが幼い時、鴨の河原で落書を読んでいただいた、あの万里小路までのこうじ様ですか」

「いかにも、その万里小路までのこうじ藤房でございます。されど昔の名でしてな。今は授翁じゅおう宗弼そうひつと申します」

「何でも先帝(後醍醐天皇)に御苦言申されて身を隠されたとか……」

 再び宗弼そうひつが頭をかく。

「ははは、その様なこともございましたな」

「して……」

「今日は是が非でも正儀殿にお会いしたく、敗鏡尼様に無理を言いました……のう」

 そう言って、となりの若者に目配せした。

 すると、その者が礼儀正しくお辞儀をする。

「それがし、四郎朝成ともしげでございます。兄上、お会いしとうございました」

「こ、これはいったい……」

 正儀は、驚いて敗鏡尼に顔を向けた。

 敗鏡尼は二人の姿に目を細めながら、宗弼そうひついおりを訪ねてきた一月ひとつき前のことから話し始めた。

 元弘の戦の後、先帝(後醍醐天皇)は討幕に功のあった諸将へ、官女の賜嫁しかを取り持とうとした。そして藤房に、楠木正成へ見目麗みめうるわしき姫を選ぶようにと申し付けた。そこで親族の娘、滋子しげこを、父、万里小路までのこうじ宣房のぶふさ猶子ゆうしにして楠木正成に嫁がせようとした。

「正成殿はお断りなされたのだが、先帝の手前、わしの面子を立てようと、お引き受けいただいたという次第で……ただ二人で過ごしたのはほんのひと時。滋子にも悪いことをしたと思うております」

 そう言った後で、宗弼そうひつははたと気づいたかのように敗鏡尼に顔を向ける。

「いや、敗鏡尼様にも申し訳ないことを致した」

 その言葉に、敗鏡尼は微笑んで首を横に振った。

 安堵した宗弼そうひつが話を続ける。

通名とおりなは四郎、いみなは正成殿の下の一字を頂戴して朝成ともしげ。拙僧が名付けました。楠木一門の通字とおりじは『正』ですが、一門にお目通しが叶わない中、はばかられましたのでな」

 ここで、やっと正儀が口を開く。

「して、四郎殿の母上は、今はどのように」

「一年前に亡くなったそうな」

 代わって敗鏡尼が応じた。

 それを聞いて、正儀は再び黙り込んだ。

 場の空気を察して、朝成ともしげが気遣いを見せる。

「母は、私が小さき頃より父(正成)の話をしてくれました。私にとって父の思い出は、母が話してくれたことが全てでした。母は私を……父、正成の子を産んだことが、生涯の自慢でした。伯父上(宗弼そうひつ)、決して母は不幸ではなかったと思うております」

「これまで、ご苦労があったことでしょう。申し訳ないことです」

 目をうるませた敗鏡尼が、朝成ともしげに優しく語りかけた。一方、くりやで聞き耳を立てていたきよは、ううぅと泣き声を漏らした。

 しばしの沈黙の後、宗弼そうひつが口を開く。

「今日は正儀殿にお願いがあって参りました。四郎は母も亡くなり、孤独な身の上。一応、拙僧は義理の伯父ということになりますが、何せ仏門の身。四郎も仏門に入るつもりがあればと思うたが、どうもその気はないようじゃ」

 宗弼そうひつの話を受け、朝成ともしげがその場に手をついて突っ伏す。

「どうか、私めを楠木の一門にお加えいただけないでしょうか」

「三郎、母からもお願い致します。四郎殿を三郎のところで」

 敗鏡尼ははなから成りゆきをわかっていたようである。

「母上、そのような……簡単なことではござらん」

 憮然と正儀は言葉を返した。

 少し考えてから、朝成ともしげに向き直す。確かに、父の面影が見てとれる。

「四郎殿、少し外を歩こう。ついて参られよ」

 そう言って正儀は外へ出る。慌てて朝成ともしげも外へ向かった。


 緑の木々を押し分けながら、正儀は無言で山の中を歩いた。そして、見晴らしのよいところに朝成ともしげを連れ立つ。

 戸惑う朝成ともしげを横目に、正儀が指を差す。

「四郎殿、あちらの方角は何かおわかりか」

「い、いえ、わかりませぬ」

「あの先が最初の赤坂城(下赤坂城)。我らの父が討幕の旗を掲げたところじゃ。ここからは見えぬが、あの山の向こうが楠木館。燃やされてしまったが」

 朝成ともしげは正儀が示す方向に、じっと目を凝らした。

 続けて正儀が指を動かす。

「その右が桐山。今の赤坂城(上赤坂城)じゃ。そしてあの山が金剛山。その麓が千早城じゃ」

 正儀は左から順に指を差した。そして、遠くを食い入るように見る朝成ともしげの横顔に目を向ける。

「なあ、四郎殿……いや四郎。河内はこのように山深い地。都とはだいぶ違うであろう」

「はい……」

「されど、楠木党はこの山深い地に根付いているのじゃ。楠木党になるということはこの地のために生きる事。そなたはこの地で何ができる」

 答えを期待しているのではない。正儀自身への命題でもあった。

「わかりませぬ。これから考えます。きっとそれがしができることを見つけます……必ず」

 力強い口調で朝成ともしげは応じた。

 その答えに、正儀は自身を重ねる。

「そうじゃな、できることを二人で探そうか」

「兄上……とお呼びしてよろしいか」

 固い表情で朝成ともしげが正儀を見つめた。

「だめじゃ……ここは京ではないのじゃ。兄者と呼べ」

 少しおどけて正儀が答えた。

「は、はい、兄者」

 ようやく朝成ともしげは、緊張の糸をほどいた。


 いおりの外で二人を待っていた敗鏡尼と授翁じゅおう宗弼そうひつは、楽し気に戻ってくる二人の姿に、ほっと息を付いた。

「我が殿(正成)には五郎殿(正氏)と七郎(正季まさすえ)殿が、太郎(正行まさつら)には二郎(正時)と三郎(正儀)が付いておりました。比べて、一人で楠木を背負わなければならなくなった三郎を、不憫ふびんと思うておりましたが、これで母として安堵致しました」

 憂いをぬぐった敗鏡尼の言葉に、宗弼そうひつは頷き、感無量と言った様子で遠くの空に目を向ける。この短いひと時から、正成譲りの優しさと度量の大きさを、正儀に感じ取っていた。


 同じ頃、京では副将軍の足利直義ただよしと、執事を罷免ひめんされた高師直こうのもろなおの対立が頂点に達していた。

 最初に仕掛けたのは直義ただよしの方であった。まず、側近の上杉重能しげよし(上杉憲顕の弟)と畠山直宗ただむね師直もろなおの暗殺を試みた。これが失敗に終わると、北朝の光厳こうごん上皇に、師直もろなお追討の院宣いんぜん奏請そうせいしたのである。

 これを知った師直もろなおは激怒し、思いきった手を打つ。河内から大軍を率いて戻った舎弟、師泰もろやすを連れて、直義ただよしの三条坊門だいを襲撃した。

 直義ただよしは近臣、畠山直宗ただむねの知らせで、師直もろなおらが屋敷に到着する前に、からくも脱出する。そして、上杉重能しげよしとともに、兄、足利尊氏が住まう将軍御所に逃げ込んだ。

 しかし、師直もろなお師泰もろやす兄弟は、将軍御所であることを意にも介さずに大軍で取り囲む。御所の周囲は、よろいの擦れる音や兵たちの怒声、馬のいななきによって、まるで戦場いくさばのありさまとなった。軍勢の中には、つい最近まで直義ただよしに従っていた山名時氏の顔まであった。

 こうして、尊氏をも巻き込んで始まった直義ただよし師直もろなおの争いは、時の北朝の元号から『観応かんのう擾乱じょうらん』と呼ばれる騒動に発展する。


 兵たちを押しのけて叛徒はんとの大将が進み出る。

「我はこう武蔵守師直もろなお此度こたびのことは幕府に巣くう奸臣を取り除かんと、おもんぱかっての義挙にござる。それがしを騙し討ちしようとした上杉重能しげよし、畠山直宗ただむねを御引き渡し願おう。将軍家を讒言ざんげんによっておとしめた罪深き二人は万死に値する……」

 さらに、語気を強める。

「……また、院に師直もろなお追討を奏請そうせいされたと聞く三条殿(直義ただよし)からもお話を聞く必要があり申す。この場に出てこられて釈明なされよ」

 腹の中に溜め込んだ鬱憤が、怒声となって響き渡った。だが、足利家の家臣としてはあり得ようはずもない行動である。

 さすがに舎弟の師泰もろやすも気をもむ。

「兄者、三条殿(直義ただよし)ばかりか、御所をも取り囲み、将軍(足利尊氏)までも脅して大丈夫か」

 すると、師直もろなおは弟に振り向いて口元を緩める。

「何ら問題はない。これは、将軍と若殿(足利義詮よしあきら)の世を確かにするための行動じゃ」

「どういうことじゃ、兄者」

 怪訝な表情を浮かべる師泰もろやすに、師直もろなおは返事をせず、側近に裏門を固めるよう命じる。

 師泰もろやすは釈然としない顔で兄を見つめた。


 一方、緊迫感に覆われた将軍御所。上座に座った足利尊氏の前で、舎弟の足利直義ただよしが、爪を噛みながらうろつく。

此度こたび師直もろなおの所業は正気の沙汰とは思えん。あろうことか御所を取り囲んで、将軍までも脅すとは言語道断。こうなれば、兄上から諸将に師直もろなお討伐を下知げちしていただくのみ」

 目をつり上げた直義ただよしが、尊氏に説いた。

「まあ、まずは、落ち着いてそこに座れ」

 うながされて、やっと直義ただよしは兄の前に腰を下ろした。

「お前の怒りはもっともじゃが、その前に、師直もろなお追討の院宣いんぜんとはどういうことじゃ。お前が奏上したのか。それとも後ろに控えし伊豆守たちが勝手にやったはかりごとか」

 後ろには伊豆守こと上杉重能しげよしと、大蔵少輔しょうゆう、畠山直宗ただむねこうべを垂れて控えていた。

 悪びれることなく直義ただよしが応じる。

「これは我ら足利と幕府のための処置でござる。まつりごとはこの直義ただよしに任されたこと。政所まんどころの者たちとも話おうて決めた。問題はござらん」

師直もろなお追討がまつりごとか。わしはそのようなことをお前に頼んだ覚えはないぞ。以前、申したな。灸をすえるのが目的と。お前の灸とはいのちをとることか。政所まんどころの者たちとて、呆れておろうぞ」

 低く太い声を響かせて直義ただよしを叱責した。事実、師直もろなおに計略を洩らしたのは政所まんどころ粟飯原あいはら清胤きよたねであった。

 直義ただよしは兄の迫力に戸惑いの表情を浮かべるも、すぐにこれを隠す。

「兄上、断じて重能しげよし直宗ただむね師直もろなおに差し出すようなことがあってはなりませんぞ」

「もちろんじゃ。家臣に脅されて二人を差し出し、いのちを長らえようものなら末代までの笑いもの。師直もろなおくっするつもりはない。こうなれば討って出ようぞ。お前が死んでしまってはわしも生きていく意味がない。兄弟そろって討死しようぞ。誰か、具足を持てい」

 兄の覚悟がそこまでとは思っていなかった直義ただよしは、きょをつかれて、ううぅと唸った。


 そこへ、計ったかのように一人の僧が現われる。

 後ろを振り向いた直義ただよしが表情を変える。

疎石そせき様ではありませぬか。お越しであったのか……」

 夢窓むそう疎石そせきは尊氏・直義ただよし兄弟が師事する臨済宗の禅僧であった。建武の御代みよには先帝(後醍醐天皇)から国師号を贈られた高僧である。吉野で先帝が崩御ほうぎょすると、菩提をとむらうため、天龍寺の建立こんりゅうを尊氏・直義ただよしに強く勧めた。

 その疎石そせきが、落ち着き払った表情で、直義ただよしの隣に座る。

「お二人の御覚悟を聞かせていただきました。されど、将軍も副将軍もここで死んでしまっては、この世は乱世に逆戻り。将軍様、師直もろなお殿のところに、どうか拙僧を仲介の使者としてお送りください。御所を守る兵は少なく、師直もろなお殿が攻めてくれば、一刻も持ちますまい。無益な戦いにならないよう拙僧が使いになりましょう」

 これに尊氏は頷き、直義ただよし意気地いくじくじかれる。

 疎石そせきはさらに続ける。

此度こたび仕儀しぎ、やはり、後ろの御二人の責任は重うございましょう。上杉殿、畠山殿は自ら役を辞して出家されては如何か。何とか拙僧が命だけはお助けするよう口利きしてみましょう」

 疎石そせきの言葉に顔を強張らせる重能しげよしたちだが、無視して尊氏は大きく頷いた。

「兄上、それは……」

直義ただよし、頭を冷やせ。お前も少しの間、まつりごとの表に出ないようにすれば、師直もろなおも納得するであろう」

 纏まらない考えを口にしようとした直義ただよしを尊氏が制した。そして、疎石そせきに目配せしてさらに話を続ける。

「ちょうど鎌倉から義詮よしあきらを呼び寄せようと思うておったところじゃ。奴にもまつりごとを学ばさなければならん。義詮よしあきらを表に立ててお前がまつりごとを見てやればよい。さすれば師直もろなおも承服するであろう。もちろん師直もろなおにも処分を下す……それでどうであろう。疎石そせき様」

「さすがは将軍様。直義ただよし殿もそれでよろしいな」

 妙案も浮かばない。さすがに兄弟そろって、ここで討死するわけにもいかない。直義ただよしは不服ながらも首を縦に振った。

「ではさっそく」

 疎石そせきは、尊氏に意味ありげに頷いて座を立った。

 そして、その仲介を受けて、師直もろなおはあっさりと兵を引き上げるのであった。


 後日、足利直義ただよしは副将軍の立場を退く。そして、上杉重能しげよしと畠山直宗ただむね蟄居謹慎ちっきょきんしんの処分となった。

 一方、高師直こうのもろなおはさしたる処罰もないどころか執事に返り咲く。これには、さすがに直義ただよしも謀られたと後悔するが、後の祭りであった。


 この後の幕府の動きも慌ただしい。


 九月、足利直義ただよしが養子とした足利直冬ただふゆが、養父へ下された処罰に反発し、備後で兵を集める。直冬ただふゆは中国探題たんだい(長門探題)に任じられ、備後国に赴任していた。

 陸路、上洛を企てたが、播磨と摂津の守護である赤松円心(則村)が、早くに山陽道を押さえたため、諦めざるを得なくなる。

 しかも、直冬ただふゆ鞆の浦とものうら大可島城たいがしまじょうに留まっていたところ、師直もろなおの意を汲んだ備後の国人たちの襲撃を受ける。その結果、直冬ただふゆは船で九州に逃れざるを得なくなる。


 十月に入ると、鎌倉から足利尊氏の嫡男、足利義詮よしあきらが上洛した。しくも正儀と同じ歳である。入洛した義詮よしあきらは、それまで直義ただよしが幕府の政務を執っていた三条坊門第に入った。

 一方、執政所しっせいどころを明け渡した直義は、一先ず細川顕氏の屋敷に身を寄せて、翌月に出家する。


 翌十二月には、直義ただよしと一緒に罷免ひめんされた上杉重能しげよしと畠山直宗ただむねの身の上にわざわいが起きる。二人は一足早く出家して越前に送られていた。だが、師直もろなおの手が回っていのちを落としたのである。


 さらに翌月、足利直冬ただふゆの上洛を阻んだ赤松円心(則村)が、遺言も残さずに急逝する。

 早くから先帝(後醍醐天皇)のために護良もりよし親王を押し立て、六波羅ろくはら探題たんだいの攻略に多大な貢献を行った。だが、朝廷による不遇な扱いから、今度は先帝に反旗をひるがえすという数奇な生涯を送った。

 赤松家の家督は円心の嫡男、赤松範資のりすけが継ぎ、播磨国と摂津国の守護となった。


 所は変わって穴生あのうの朝廷である。

 正平五年(一三五〇年)、年が明けて、花も散り、青葉が目立つようになったこの日、帝(後村上天皇)が朝から一人、気を揉んでいた。

 そこへ、官女が走り寄って頭を下げる。

「元気な親王様でございます」

「おお、そうか、祝着じゃ。勝子も大事ないか」

 問い掛けに、穏やかな表情を返す官女に、帝は安堵の小息をついた。

 この年、帝の女御にょうご(側室)、阿野勝子かつこが男児を産んだ。勝子は中納言、阿野実村さねむらの娘、つまりは准三后じゅさんごう、阿野廉子かどこ大姪おおめいである。左大臣、二条師基もろもとの養女となったうえで、帝に輿こし入れしていた。

 勝子は大叔母の廉子かどこに似て美しかった。彼女を溺愛する帝は、生まれた男児を熙成ひろなり親王と名付け、将来の東宮とうぐう(皇太子)にと周囲に漏らす。藤原摂関家せっかんけの出である中宮ちゅうぐう(皇后)との間に子はなく、その中宮もすでに亡くなっていたからである。


 宮中が慶事に高揚する中、一人の男が色を失っていた。

「何とかせねばならぬのう」

 回廊を歩きながら、そう呟いたのは、准大臣じゅんだいじんの北畠親房である。

 かつて親房も、自らの娘、顕子あきこを帝の女御にょうごとして嫁がせた。七年前には願い通り寛成ゆたなり親王を生んだ。しかし、病がちであった顕子に代わるように、帝の寵愛は、若くて見目麗みめうるわしき勝子に移る。そして、顕子自身も亡くなった。

 寛成ゆたなり親王を世継ぎとして後押しすべき顕子が亡くなったことは、親房には無情なことであった。寵愛を一身に受ける勝子が熙成ひろなり親王を生んだことで、寛成ゆたなり親王の東宮とうぐう宣下せんげは絶望的と悟った。それは、廉子かどこが先帝(後醍醐天皇)の寵愛を一身に受け、自らの子を皇位につけた先例を、の当たりにしていたからである。

 親房は、藤原摂関家せっかんけに成り代わり、北畠家をその地位に上げることを望んでいた。その出自は、天慶の御代みよに皇位についた村上天皇の血を引く村上源氏。親房は、帝の血を引き、すべての源氏の上に立つ源氏長者にもなった北畠家こそ、摂関家せっかんけとなることが道理だと思っていた。それは野望というより信念である。今後、藤原摂関家せっかんけと同様に力を奮えるようにしていくには、是が非でも親房の娘が生んだ皇子を皇位につけ、帝の外戚となる必要があった。

 一方の阿野家はもとは中流の公家である。廉子かどこが先帝の寵愛を受けたことで一族が栄達し、兄の阿野実廉さねかど従三位じゅさんみ参議、宮内卿くないきょうとなった。

 その実廉さねかどが早くに亡くなると、廉子かどこは阿野家の地位低下をおそれ、先帝(後醍醐天皇)に願い出て、一族の阿野季継すえつぐを後釜に据えた。亡くなった実廉さねかどの子が跡継ぎになれるまでの中繋ぎである。

 そして、子たちが朝廷で力を発揮できる歳になると、廉子かどこは阿野実村さねむらを中納言に、その弟、阿野実為さねため右近衛少将うこんえのしょうしょうとする。さらには実村さねむらの娘、勝子を帝(後村上天皇)の女御にょうごとするよう働きかけ実現させていた。その勝子が生んだ熙成ひろなり親王が次の帝となれば、阿野家は盤石となる。

 帝の世継ぎを巡って、廉子かどこと静かに争う親房は一計を案じ、顕子の妹、北畠房子ふさこを帝に嫁がせる。しかも、すでに中宮(皇后)も亡くなっていたため、房子を中宮とすることに成功する。これは、親房が南朝の指導者として、公卿くぎょうたちの支持を得ていたからであった。これで房子が男児を産めば、勝子が生んだ熙成ひろなり親王を押しのけ、皇位を継がせることを可能とした。


 この年の十月、正儀は、休みなく走る馬を気にしつつ、大和国の壷阪寺つぼさかでらを目指していた。後見役の橋本正茂まさもちと、新たに和泉の守護代となった和田正武、それにわずかな手勢を従えた一行は、土ぼこりを巻き上げて河内国から大和国へと入った。

 寺に到着した正儀は、供の者に馬を預けると、正茂まさもち・正武ととも山門さんもんくぐって奥へ急いだ。

「楠木殿、待っておりましたぞ。目代もくだい殿(正茂まさもち)、守護代殿(正武)もご一緒か」

 声の主を探して正儀が振り返る。

「これは伊賀守いがのかみ殿」

 言葉を返した相手は、南朝方の伊賀守、越智おち源太げんた家澄いえずみであった。越智おち党は壷阪寺つぼさかでら近くの高取たかとり城を本拠に、大和国に威勢を張っていた。

 鋭い目つきで正武が問いただす。

「伊賀守殿、ほんに、ここにおるのか……」

 頷く家澄いえずみに、喋る暇も与えず続ける。

「……事の成りゆきによってはこの場で切って捨てようぞ」

「新九郎殿(正武)、まずは会うてからじゃ。我らも話を聞きとうて、駆け付けたのじゃ」

 年嵩としかさ正茂まさもちが、憤る正武をいさめた。


 越智おち家澄いえずみは三人を奥の禮堂れいどうに案内した。

 外の明るさに慣れた目は、たかどのの中では暗さに負けて人を見分けることは難しい。目を凝らすその先には頭巾ずきんを被った男が居た。

 家澄いえずみが三人を紹介する。

「こちらが楠木の棟梁、左衛門尉さえもんのじょう正儀殿です。その隣は河内目代もくだいの橋本正茂まさもち殿、さらに隣は和田党をたばねる和泉の守護代、和田正武殿です」

「初めてお目にかかる。足利直義ただよしにござる。今は仏門に入り、慧源えげんと名乗っております」

 禮堂れいどうの暗さにも目がなれ、正儀にもはっきりと直義ただよしの顔が見えた。彼ら南朝武将にとって生涯のかたき、足利兄弟の直義ただよしがそこに居た。

 敵を前にし、正儀は動揺を抑える。

「楠木三郎正儀でござる。若輩の身ゆえ後見役の橋本正茂まさもち殿、それに、和泉を任せる和田正武殿にも同座願った」

「橋本左衛門尉さえもんのじょうにござる」

 そう言って正茂まさもちは軽く会釈した。

 正武も無言で会釈するが、鋭い眼光は終始、直義ただよしを捕えて離さなかった。

 家澄いえずみが場の空気を察する。

直義ただよし殿とは建武の御代みよからの馴染みでのう。一緒に和歌をたしなんだこともある。此度こたび、京を出奔されてわしを頼って来られた。敵の立場なのじゃがな、ははは」

 張り詰めた空気の中で、家澄いえずみは頭をかいた。

「わしから話そう……」

 じれったそうに、直義ただよしが話を切り出す。

「……それがしが副将軍の立場を失ったことは御承知であろう。わしの嫡養子ちゃくようし直冬ただふゆがこれに異を唱え、再び九州で兵を挙げたのが六月じゃ。将軍(足利尊氏)は高師泰こうのもろやすを討伐に送ったが、途中で我が方の桃井もものい勢が師泰もろやすを出雲に追いやった」

 すでに従弟で家臣の聞世もんぜ(服部成次)から仔細を聞いて知っていた。しかし正儀は、黙って頷いた。

 一同を見渡して、直義ただよしが続ける。

「この二十八日のこと。将軍は高師直こうのもろなおとともに、自ら直冬ただふゆ討伐のために西国へ下向した。わしはその隙をみて京から出てきたのじゃ。一緒に出家した上杉重能しげよしと畠山直宗ただむねはすでに高師直こうのもろなおの手の者によって殺された。次はわしの番であった」

 直義ただよしは、話をしながらも神経を研ぎ澄まし、正儀の一挙手一投足を見遣っているようであった。

 話に正儀が割り込む。

慧源えげん殿(直義ただよし)、して、此度こたびの用向きは何でござろう」

不躾ぶしつけ仕儀しぎ、お許しくだされ。楠木殿に穴生あのう主上しゅじょう(後村上天皇)への御取次をお願いしとうござる」

「なぜ、それがしでござるか」

 いぶかしがる正儀に、家澄いえずみが苦笑いする。

「本来、わしが穴生あのうへの取次をすればよいのじゃが、わしは四条大納言様(隆資たかすけ)しか伝手がない。貴殿も存じておる通り、四条大納言様は強硬派じゃ。慧源えげん殿(直義ただよし)の命が危うくなるやもしれぬ。それで、わしが楠木殿に会うてはどうかと勧めた」

 じいっと正儀の顔を見つめていた直義ただよしが頷く。

「わしが楠木殿にお会いしようと思うたのは、貴殿が正成殿の子だからじゃ。正成殿は信頼できる御仁であった。湊川みなとがわでは、敵も味方もその死を惜しまぬ者はおらなんだ。聞けば正行まさつら殿も同様であったと聞く。その御舎弟殿であればと思うた次第じゃ」

 その言葉に、隣から正武が激しく気を放つ。

「その正成殿、正行まさつら殿をはじめ、我が親兄弟を討ったのは誰ぞ。お主らではないか。他人事のように言うてもろうては困る」

「やらなければやられる。まことに不遜ふそんではあるが、それが戦というものよ」

 毅然きぜんとして直義ただよしが正武に視線を返した。

「して、正儀殿に穴生あのうへの取次をせよと言われるか」

 主題から外れた話を、正茂まさもちが落ち着いて引き戻した。

「その通りじゃ。わしは穴生あのう主上しゅじょう(後村上天皇)から師直もろなお討伐の綸旨りんじがほしい。そのために穴生あのう主上しゅじょうに帰参する所存」

師直もろなお討伐じゃと。尊氏討伐ではないのか。師直もろなおが死んでも尊氏が生きておれば幕府は続く。いったいわしらに何の利がある」

 目を吊り上げて正武が指摘した。正論である。

 だが、直義ただよしは真面目な男であった。自分が正しいと思うことなら、相手が敵であろうと自分が信じる道理を説く。

「わしは幕府がこの国には必要じゃと思うておる。公家ではこの世は収まらぬ。建武の御親政がそれを示したではないか。違いまするか。幕府を残すなら兄の尊氏は必要じゃ。されど、今の幕府は私利私欲に走る者に牛耳られておる。このままでは幕府も御親政と同じになってしまう。奸臣を取り除けば、またわしと兄とで幕府を立て直すことができる」

「幕府を立て直すと……阿呆あほうなことを言う。そのようなことを敵の我らに言うて、生きてこの寺から出られると思うておいでか」

 殺気立つ正武は、床に置いた刀をじわりと自分の方へ引き寄せた。

 しかし、直義ただよしは少しもおくせず続ける。

「幕府を御認めいただければ、わしは、いや、幕府は穴生あのう主上しゅじょう(後村上天皇)を京へお戻し致し、京の帝と交互に御即位いただこうと思う。これは国のため、民のためですぞ」

 提案を、正儀は現実的な妥協点であると思った。しかし、皆の手前、口には出すことははばかられた。

 冷静に正茂まさもちが分析する。

「それでは穴生あのう公卿くぎょうたちは呑みますまい。幼き頃から北畠卿(北畠親房)の薫陶を受けて育った帝におかれても同じであろう」

「副将軍を罷免ひめんされたが、わしにはまだ、桃井もものい、上杉をはじめ、吉良きら、細川(顕氏)らの諸将、さらに一門筆頭の斯波しば(足利高経)がついておる。されど、穴生あのうの朝廷には誰がおるのじゃ。貴殿らしか頼れる軍勢はいないのではないか。その貴殿らも四條畷しじょうなわてで失った力を取り戻せてはおるまい。京が恋しい公卿くぎょうも多いであろう。そして、誰よりも計算高い北畠卿(親房)は必ず乗ってくる。きっと我らと一緒になって師直もろなおどころか将軍をも討ち果たそうとするであろう。今は乱世、一度の勝敗で勝馬に乗ろうと南の朝廷に駆け付ける諸将も出てくる。その勢いをもって、最後にこの直義ただよしにも牙を向けることであろう」

 正儀は驚いた。直義ただよしという男はそこまで見通せているのかと。底知れぬ恐ろしさを感じるとともに、なぜか親しみも感じた。直義ただよしの真面目さからかもしれなかった。隣では、さすがの正武もあっけにとられていた。

「もちろん、わしとて黙って討たれるわけではない。師直もろなおを討った後は北畠卿との知恵比べじゃ。されど、まずは北畠卿と手を握る必要がある。そのためには、吉野方を兵馬で支える楠木の棟梁から話をしていただくのが一番じゃ。いかがかな、正儀殿」

師直もろなおは兄たちのかたき。されど、貴殿とて父のかたき師直もろなおを討った後は、北畠卿の策に従い、おいのちを頂戴つかまつりますぞ」

 若いなりに正儀が精一杯、睨みを効かせた。

 しかし、直義ただよしはにやっと笑う。

「北畠卿はお好きか」

 ふうっと溜息をついて、正儀は視線を外す。

「どうもいけませぬな。今のわしでは慧源えげん殿(直義ただよし)の前では赤子のようじゃ。正茂まさもち殿、正武殿とよう相談してお返事つかまつる」

 正儀は、正茂まさもちと正武に目配せして一緒に座を立つ。

「ではわしらはこれで。伊賀守(家澄いえずみ)殿、この後、よしなにお頼み申します」

 そう言って直義ただよしに背を向けた。

向城むかいじろの畠山国清を味方に付けた。楠木殿が兵を上げぬとお約束くだされば、それがしは国清の元に身を寄せたい」

 東条の北を抑えるべく造られた石川向城むかいじろには、高師泰こうのもろやすの後を受け、新たに幕府方の河内守護しゅごとなった畠山国清が入城していた。

 背中から要望を浴びせた直義ただよしに、正儀がふり向く。

穴生あのうの裁定が下るまで、我らは手出しできませぬ。どうぞご随意ずいに」

「では、お返事はそこで」

 正儀は一礼してからその場を離れた。


 禮堂れいどうを出た正儀は、まぶしい日の光を手で遮りながら、橋本正茂まさもちと和田正武に助言を求める。

「さて、いかがしたものか」

「ふ、白々しいな、三郎殿(正儀)。もう決めておいででしょう。わしはあのように全て見通したつもりになっているやからは好かん。じゃが、三郎殿は感じるものがあった……そうであろう。一門の棟梁は三郎殿じゃ。好きになされよ。決めたからにはわしとて自分の思いはしまって、ことが上手うまくいくよう尽くそう」

「かたじけない、新九郎(正武)殿」

 申し訳なさそうに、正儀は頭を下げた。

「されど、穴生あのうへの取次というても、誰に話をするかじゃ。相手を間違えるとうまくいきませぬぞ。やはり北畠卿か」

 心配そうに正茂まさもちが視線を合わせた。

 四條畷しじょうなわての戦い以来、親房に対する正儀の不信感は大きかった。

「九郎殿(正茂まさもち)、少し待ってくだされ。相談したい御方がおられる」

 正儀の頭には一人の人物が浮かんでいた。


 数日後、穴生あのうに新しく建てられた行宮あんぐう近くの屋敷である。ここに宮中の女房たちが詰めていた。

 伊賀局いがのつぼね(篠塚徳子)の元に侍女のたえがやってくる。

「御局様、御客人でございます」

「私に……何方どなたでしょう」

「楠木左衛門尉さえもんのじょう様(正儀)が御局おつぼね様にお会いしたいと、お庭の方でお待ちです」

「まあ、三郎様が。少しだけお待ちいただくように伝えてください」

 たえが下がるのを見届けてから、伊賀局は慌てて手鏡を取り出して髪を整え、口に紅を差した。そして、小走りで庭に向かった。


 紅葉の映える庭に正儀の姿を見留めた伊賀局は、足取りを緩め、上品さを繕って姿を現す。

「これは楠木様、お達者でございましたか」

 眺めていた紅葉から目線を外した正儀が、声の方へと振り向く。

「これは御局おつぼね様、急にお呼び立てをして申しわけござらん」

「今日は四条大納言様(隆資たかすけ)に御用ですか」

「いや、御局おつぼね様にお会いしとうて参りました」

「え、私にですか……」

 伊賀局は少し驚き、少しはにかんだ。

「そうです。御局おつぼね様しか頼るお方はおりません」

「私に会いに……え、頼る……」

 期待した状況でないことに、つぼねの笑顔が固まる。

「私に頼み事ですか」

 少しだけぶっきらぼうとなった返事にも気付かず、正儀が続ける。

「さる幕府の立場ある御仁が、主上しゅじょう(後村上天皇)に帰参したいとわしを頼って参った。取次を頼まれておりますが、誰に話せばよいか、思案しております」

「そのような話を私にして大丈夫なのですか」

「はい、信用しております」

 そう言われると、伊賀局も悪い気はしない。

「楠木様であれば、兵馬を司る公家大将の四条大納言様(隆資たかすけ)、あるいは北畠准大臣じゅんだいじん様(親房)かと」

「やはりそう思いますか。されど、四条様は幕府に対して強硬派。四条様より朝議におはかりいただくことは難しいでしょう。北畠准大臣じゅんだいじん様は同じ強硬派ではありますが、計算高いお方ゆえ、もしかすると話を聞いていただけるやも知れません。されど……」

「されど、楠木様は北畠卿を嫌っておられると」

 口ごもる正儀の後を拾ってつぼねが続けた。

「いや、嫌いなどと……」

「隠したってわかります。四條畷しじょうなわてで兄上様たちが亡くなったことにこだわっておられる……それに義姉上あねうえ様(満子)のこともあったばかりですし」

 慌てて否定しても、伊賀局は見透かしていた。

「確かにそうかも知れませぬ。されど、この件で賭けはしたくありません。確実に朝議にはかっていただくための手立てを探さなければならないのです」

「そうですか……であれば、あのお方しかおられないでしょう」

 自信ありげな伊賀局に、正儀は期待する。

「何方ですか」

准三后じゅさんごう様(阿野廉子かどこ)です」

「いや、されど……それがしは公卿くぎょうの何方かがよいと思うておりました」

准三后じゅさんごう様は、朝廷で大きな力をお持ちです。そして、北畠准大臣じゅんだいじん様や四条大納言様らの強硬派とも距離を保っておられます」

 国母(天皇の母)となった廉子かどこは、息子である帝を通じて朝廷に大きな影響力を持つようになっていた。

 正儀は、伊賀局の提案に熟考して頭を下げる。

「わかりました。准三后じゅさんごう様への取次をよしなにお頼み申します」

「頭をお上げください。准三后じゅさんごう様より御内諾いただければ、改めてご連絡を差し上げましょう」

「では、それがしは穴生あのうの別邸に逗留しますゆえ、よしなに」

 軽く礼をして立ち去っていく正儀の後ろ姿を、伊賀局は柔らかな表情で見送った。


 翌日、楠木正儀は准三后じゅさんごう、阿野廉子かどこが待つ御殿に参殿さんでんする。そして、伊賀局の侍女、たえに案内されて広間に入った。

「楠木様(正儀)、しばらく、こちらでお待ちください」

 そう言ってたえは下がった。

 下座に控え、正儀がしばらく待っていると、伊賀局が先達し、廉子かどこが現われる。さらに続いて一人の公家が入ってきた。亡くなった兄、楠木正行まさつらよりは少し上のようである。

 上座に廉子かどこが座り、その公家は廉子かどこより少し下座で、正儀を横から見られる位置に座った。

「伊賀はそのまま居てくりゃれ。そなたの意見も聞きたい」

 退席しようとする伊賀局を、廉子かどこが引き留めた。

「そなたが楠木左衛門尉さえもんのじょう(正儀)であるか」

「ははっ、左衛門尉さえもんのじょう正儀にございます。此度こたび准三后じゅさんごう様にお目通りが叶い、恐悦至極に存じたてまつります」

左衛門尉さえもんのじょう(正儀)、そなたのことは、この伊賀より、よう聞いております。若いのに知略優れる武将とか。やはり楠木の血筋よのう」

 正儀は赤くなって恐縮する。

「いえ、それがしは、父や兄と比ぶるような者ではありませぬ」

「遠慮はいりませぬ。南大和では、憎き高師直こうのもろなおを見事に追い返したではありませぬか。大儀です」

「はっ。過分なお言葉をたまわり、恐悦に存じます」

 める廉子かどこに、深く平伏した。

 その謙虚な素振りに、廉子かどこは少し微笑み、隣の公家に目をやる。

「紹介が遅れました。この者は右近衛少将うこんえのしょうしょう、阿野実為さねため殿じゃ。わらわの甥で、側近として、わたくしの近くに居てもろうております。よしなに頼みます」

 実為さねためは、中納言、阿野実村さねむらの歳の離れた弟であった。

 紹介を受けて、実為さねためも軽く会釈する。

「楠木殿、よしなにな」

 温和な顔立ちの貴公子であった。

 頭を下げる正儀を見て、早速、廉子かどこが本題に入る。

左衛門尉さえもんのじょう(正儀)、伊賀よりあらましは聞いております。幕府から我ら朝廷に降ろうという御仁とは誰なのですか。わたくしが力を貸してやれるかどうかは、誰かを知らねば答えることはできませぬ」

「はい、今日は包み隠さず、お話しとうございます。その御仁は足利尊氏の舎弟にして、先の副将軍であった足利直義ただよしでございます」

「何、直義ただよしじゃと……」

 その名に、廉子かどこは二の句が継げなくなる。

 予想外のことに実為さねためも驚きを禁じ得ない。

「確かに、高師直こうのもろなおくっして副将軍をかれ、蟄居ちっきょしたとも聞いておりましたが。まさか、直義ただよしが……」

 そう言って、廉子かどこと顔を見合わせた。

直義ただよしは、桃井もものい、上杉をはじめ、吉良きら、細川(顕氏)、斯波しば(足利高経)の諸将を率いて、我らに帰参致すとのこと」

「何と……して、直義ただよしの望みは」

 廉子かどこが先を急かした。

「はい、望みは高師直こうのもろなお師泰もろやす兄弟に対する追討の綸旨りんじです」

 これに、廉子かどこの表情が曇る。

「尊氏追討ではないのか」

「はい、こう兄弟を討ったあかつきには、直義ただよしが主導して幕府を率い、我らが帝を京へお戻ししたいとのこと。尊氏を討ってしまえば、将軍殺しの汚名を被ることとなり、幕府を掌握するのが難しいのだと思われます」

 皆を刺激しないよう、直義ただよしの言葉を歪曲した。

「楠木殿、直義ただよしは幕府を掌握するために、我らを利用しようということではないのですか。いずれにせよ幕府が存続するのなら、先帝の御意思ごいしに反することになります」

 耳を傾けていた実為さねためが疑問を呈した。

「はい、それは少将様の仰せの通りです。されど、足利が幕府を開き早や十五年。確実に幕府の支配が諸国に広がっております。いつまでも討幕に固執しておっては、我らが京に戻ってまつりごとを司る機会を永遠に失います。現実の中から策を考えることも大事。幼き頃、父、正成に言われた言葉です」

 真摯に応じる正儀に、廉子かどこは頷く。

左衛門尉さえもんのじょう(正儀)の申すことも一理あろう。のう、少将」

「確かに……楠木殿の仰せの通り。そう思っておる公家も少なからずやと思います。が、それは決して口に出してはならぬこと。少なくとも今日までそう思うておりました」

 言いにくそうに実為さねためが応じた。

「失礼の段、ご容赦ください」

「いや、楠木殿、責めておるのではない。自身を恥じておるのじゃ。して、仮に幕府を認めたとして、直義ただよしは、我らが主上しゅじょうと、持明院の皇統との折り合いをどうするのじゃ」

 実為さねためは、皆が一番気にしていることをたずねた。

直義ただよしは、両統迭立てつりつを考えているようにございます」

「それでは、鎌倉の幕府の時と同じではないか」

 つまらなそうに廉子かどこは目線を落とした。

「その通りでございます。されど、直義ただよしが帰参し、幕府を掌握すれば、直義ただよしは帝に負い目を感じることと存じます。さらに、諸国の武士は、我らが帝の元に帰参した幕府とみるでしょう」

 正儀の見通しに実為さねためはゆっくりと頷く。

「なるほど、我らは持明院の皇統に対して自然と有利な立場というわけじゃな」

「御意」

「この話、伊賀はどのように思う」

 突然、廉子かどこに話を振られ、伊賀局は少し驚いた表情で正儀を一瞥いちべつした。

 しかし、彼女は自分の考えをしっかりと持ち合わせている。

「わたくし如きが意見を述べるのははばかられますが、楠木様のご意見はもっともなことかと思います。穴生あのうに朝廷がある限り、諸国の武士を御味方につけるのは難しいかと存じます。まずは京へ戻り、そこで御上おかみの御力を少しずつ取り戻すことがよいのではないでしょうか」

 これに廉子かどこが頷く。

「左様であるか。左衛門尉さえもんのじょう(正儀)、よい話を聞かせていただきました。わらわから二条左大臣殿(師基もろもと)、阿野中納言殿(実村さねむら)にお話し、朝議におはかりいただくようお願いしましょう」

「はっ。ありがたき幸せでございます」

 この後、正儀は伊賀局にうながされ、ともに座を下がった。


 十二月十三日、未だ白木の香り漂う穴生あのう廟堂びょうどうに、左大臣の二条師基もろもと准大臣じゅんだいじんの北畠親房、大納言の四条隆資たかすけごん大納言の洞院とういん実世さねよ、中納言の阿野実村さねむら公卿くぎょうたちが集まった。もちろん正儀は朝議に出られる身分ではない。

 足利直義ただよしの南朝帰参の申し出は阿野実村さねむらから奏上された。

 口火を切ったのは討幕論者の洞院とういん実世さねよである。

「自分の身が危うくなれば我が朝廷を頼るとは。どうせ偽りの帰参であろう。そのような者を味方に引き入れてもどうせ役には立たぬ。直義ただよしを捕らえ、首を取ってこそ我らの気勢も上がるというもの」

「さりとて、我らは四條畷しじょうなわての負け戦で吉野山も焼かれ、御味方は裏切り、国人どもは大勢、幕府方に走ってしもうた。勢いを得るには悪い話とも思えぬ」

 穏健な二条師基もろもと実世さねよと視線を合わすことなく言葉を返した。

 すかさず実世さねよが切り返す。

直義ただよしは幕府存続を願うております。皇位は持明院と我らで交互という。これでは鎌倉の幕府と同じではありませぬか。何のために先帝(後醍醐天皇)が鎌倉を滅ぼしたのか。先帝の恩顧に応えんがため、臣下のとるべき道は一つと存じます」

 すると、師基もろもとは黙り込んだ。

 なおも実世さねよは勢いを得ようと討幕論者の四条隆資たかすけうながす。

「いかがでございましょう、四条様」

「麿も洞院とういん卿に同意じゃ。幕府存続も、持明院と交互の皇統もあり得ん。ただ……兵馬を預かる者としては、今の軍勢では心もとないのは確かじゃ」

「まったくじゃ。我が朝廷が頼りとするのが楠木の子倅こせがれというのでは、あまりにも貧相じゃ。されど、北畠右衛門督うえもんのかみ殿(顕能あきよし)が伊勢で着々と力を蓄えておられる。今に楠木など頼りにせずともよいようになる」

 伊勢国は守護が置かれず、伊勢国守こくしゅ伊勢守いせのかみ:国司の長官)である北畠顕能あきよしが統治していた。既に南朝においても名目だけになりつつある国司職であるが、ここ伊勢では実権を伴っていた。

【本作では権限のない名目的な他国の国守と区別するため、北畠家の伊勢守は伊勢国守こくしゅと記載する】

 実世さねよの軽口に、隆資たかすけは眉間に皺を寄せる。

「確かに楠木左衛門尉さえもんのじょう(正儀)はまだ若い。されど、高師泰こうのもろやすを石川河原に釘付けにし、高師直こうのもろなおを大和から追いやった。さらには、直義ただよしとの和議といい、よう働くではないか。やはり正成、正行まさつらの血筋よのう。先の鎮守府ちんじゅふ大将軍(北畠顕家)も若かったが、北畠卿(親房)の血を受け継ぎ、良将であったではないか」

 同意を得ようとしていた隆資たかすけの思わぬ反論に、実世さねよは憮然とする。

「先の鎮守府大将軍(北畠顕家)と楠木の子倅こせがれごときを同列に扱うなど、四条様ともあろうお方が。准大臣じゅんだいじん様(北畠親房)も、さぞ、ご気分を害されたことでしょう」

 朝議があらぬ方向にいきそうになったところで、北畠親房がやっと口を開く。

「麿は直義ただよしの帰参を許してもよいと思う」

准大臣じゅんだいじん様っ」

 討幕論者、北畠親房の思いもよらぬ意見に、実世さねよが驚いて声を上げる。しかし、それを無視して親房は話を続ける。

「騙された振りをすればよろしかろう。まずは師直もろなお、そして尊氏を討って幕府の勢力を削ぎ、御上おかみ(後村上天皇)を京へお戻しする。直義ただよしは後々、討てばよろしかろう。御一同、いかがであろうか」

 和睦を願う左大臣の師基もろもとは大きく頷き賛意を示した。しかし、実世さねよは不満顔を親房に向ける。

「騙された振りと申しても、我らが違約したことになるではありませぬか」

直義ただよしが求めているのは我が朝廷への帰参と師直もろなお討伐の綸旨りんじじゃ。他のことは知らぬ。それのみに綸旨りんじを下し、後は時をかければよろしかろう。御上おかみに誓紙を求めることなどあり得んからのう」

 したたかな親房に、実世さねよは不満顔で黙り込んだ。しかし、もう一方の強行派である隆資たかすけは頷いた。

 一段落したところで師基もろもとが話がまとめる。

「それでは、御上おかみにお出ましいただき御裁断を仰ごう」

 呼びかけに公卿くぎょうたちは頷いた。

(それにしても楠木正儀、若く扱い易いと思うておったが……)

 親房は、心の中で呟いた。そして、四條畷しじょうなわての戦の前に、正行まさつらと激論におよんだ時のことを思い出していた。


 この後、正儀の案内で、北畠親房自らが河内国の石川向城むかいじろに出向き、逗留していた直義ただよしと話し合いを持って帰参を許した。


 十二月、金剛山からの山おろしに、木々が伊吹を止める中、楠木党に出陣の日がやってくる。

 すでに近習の津田武信は、篠崎親久や津熊義行らを率いて北河内の父、津田範高のりたかの館に入っていた。津田家の長兄、津田範長のりながとともに、北河内の南軍を取りまとめるためである。

 一方、楠木本城である赤坂城では、正儀が、一族に新たに加わった舎弟、楠木朝成ともしげに見送られていた。

「四郎(朝成ともしげ)、留守をよろしく頼むぞ」

「招致しました。されど、兄者(正儀)、それがしも楠木一門に加わったからには、戦場いくさばにお供しとうございました」

「なあに、急ぐことはない。戦場いくさばで弓矢を交えることばかりが戦ではない。兵や兵糧を工面し、敵を探り、後ろを固め、我らがうれいなく合戦に出られるようにするのも戦のうちじゃ。小太郎殿(神宮寺正房まさふさ)によう習うがよい。それと、この度は足利直義ただよし殿の戦じゃ。我らは後詰め。楠木党が力を尽くすいくさではない」

 家宰かさいを代行する神宮寺正房まさふさが言い添える。

「御舎弟殿、焦る必要はありませぬ。殿(正儀)は小さき頃より、父上や兄上の戦を後ろで見聞きされて今があるのです。ここは殿の戦を見守りましょう」

「わかり申した。兄者、武運を祈っております」

 素直な朝成ともしげの言葉を受けて、正儀は兵たちに振り返る。

「皆の者、これより和泉の和田新九郎(正武)殿と合流し男山八幡を目指さん。すでに津田荘では津田範長殿もお待ちかねじゃぞ。いざ、出陣じゃ」

 正儀の下知げちで、楠木党二百余騎が気勢を上げて出陣した。


 正平六年(一三五一年)一月七日、まだ冬将軍が居座り続ける中、足利直義ただよしは、畠山国清、細川顕氏らを率いて男山八幡に陣を敷いた。さらに伊勢からは石塔いしどう頼房よりふさ、越中からは桃井もものい直常ただつねと、足利一門の軍勢が続々とはせ参じ、十五日には京へ攻め入った。

 正儀ら南軍は男山の南に布陣し、直義ただよしの求めに応じて、和田正武の軍勢を割いて、桃井もものい勢らと共に攻め上がらせた。

 一方、足利尊氏の留守を預かる嫡男、足利義詮よしあきらは、直義ただよしの軍勢が拡大するにつけ、兵の離反が相次ぎ、反撃する体制を整える間もなかった。北朝の帝(崇光すこう天皇)と上皇たち(光厳こうごん光明こうみょう上皇)を直義ただよし派に押さえられると、慌てて桂川を渡って西へ向けて撤退した。

 この報に、山陽道を西に向かっていた足利尊氏が率いる二万の軍勢は、急遽、京へ引き返す。軍勢の中には高師直こうのもろなおや、元は直義ただよし派だった山名時氏らの姿もあった。そして、京から落ちてきた義詮よしあきらの軍勢を糾合きゅうごうすると京に戻り、直義ただよし方の桃井もものい直常ただつねら七千余と合戦になる。

 さらに男山八幡からは直義ただよし自らも出撃し、尊氏らの背後を攻めて挟み撃ちにした。この結果、尊氏は不利を悟って丹波へと撤退する。しかし、直義ただよしは追撃の手を弛めることなく、丹波から摂津へ逃げる尊氏勢を追って進軍した。


 あまりのあっけなさに、正儀が率いる楠木本軍に出る幕はなかった。

 尊氏が京を追われのを見届けた正儀は、急いで軍を河内に引き上げる。足利兄弟の争いに乗じて河内・和泉国を制圧するためである。

 河内に戻った正儀は、南河内から将軍、尊氏にくみする国人たちの一掃に乗り出した。

 これに呼応して、すぐに兵を動かしたのは、楠木軍の与力衆である美木多助氏である。助氏は、高師泰こうのもろやすの和泉侵攻によって幕府の手に落ちていた和泉国大饗おあい城を攻めてこれを奪還した。


 はち切れんばかり膨らんだ桜のつぼみから、薄紅の花弁がぽつりぽつりと見え始める頃となる。ここは摂津国にほど近い、河内国瓜破野うりわりのの砦。かつて楠木正成の時代にも陣を張ったこの場所に、楠木軍が布陣していた。

 幕府の争い事に乗じて河内国を攻略する正儀のもとに、小具足姿の聞世もんぜ(服部成次)が現われる。戦の間、戦況把握のため、透っ波すっぱ数人を率いて足利直義ただよし軍に同行していた。

 砦に建つ粗末な陣屋で、正儀が聞世を迎える。

「ご苦労であった。慧源えげん殿(直義ただよし)が打出浜うちではまで将軍(足利尊氏)と決戦になったそうじゃな」

 一旦、播磨国の書写山まで退いた尊氏であったが、石見いわみから引き返した高師泰こうのもろやすらを加えて態勢を立て直す。そして、細川顕氏らと刃を交えながら兵庫まで押し出していた。

「はい、二月十七日に雀松原で両軍が激突。互いに多数の死者を出しながら翌日まで戦が続きました。当初から慧源えげん殿の軍勢が押しておりましたが、山名時氏の寝返りが勝敗を決しました。高師直こうのもろなお師泰もろやす兄弟を負傷させるなど、慧源えげん殿の圧勝でございました」

「もともと山名は慧源えげん殿を支えておったはずじゃ。将軍有利とみるや将軍のもとに走り、此度こたび慧源えげん殿か……」

 まだ、若い正儀には、己が利のために戦う山名時氏のような梟将きょうしょうは理解できなかった。

 その苦々しそうな顔を見ながら、聞世が先へ話を進める。

「その後、尊氏はこう兄弟を伴って、何とか兵庫の陣まで逃れました。されど、味方の離反を受け、ついに尊氏は慧源えげん殿に和を求めました。条件はこう兄弟の出家と執事など役の罷免ひめんです」

「そうか。やはり、慧源えげん殿は、将軍の身は守ろうというのじゃな」

 直義ただよしには直義ただよしなりの一途さがあることを、正儀は改めて感じ取った。


 敗北を喫した足利尊氏は、舎弟、足利直義ただよしが送った目付役の武士達に先導され、千騎足らずの兵で京を目指した。

 その中には、頭を丸めた師直もろなお師泰もろやす兄弟が馬に揺られて付き従っていた。刀を取り上げられ、具足ぐそく甲冑かっちゅう)をまとう事も許されず、白い法衣ほうえ姿のその様は、まるで罪人であった。

 師直もろなおの馬が、摂津国の武庫川に差し掛かる。その土手には、早くも一本の桜が花衣をまとい、水面に薄紅を映していた。

「何と見事な……負けてこそか」

 勝ちおごっていれば、見過ごしていたかもしれない。師直もろなおは思わず苦笑いを浮かべた。

 ふと正気を戻せば、前を行く尊氏の姿が見えない。

「おい、どんどん離されておるぞ。前も後ろも離れすぎじゃ」

 師直もろなおは、直義ただよしからつかわされた目付めつけに、普段と変わることなく文句を言った。

「いや、これでよいのでござる」

 馬に跨った目付めつけの背後から、数騎の騎馬武者が近づいてくる。

「そこの者、高師直こうのもろなおじゃな」

「無礼者、名を名乗れ」

 騎馬に乗ったまま声を投げ掛けてきた武士を、師直もろなおが一喝した。

「我は上杉能憲よしのり。養父、上杉重能しげよしの恨みを今、果たさん。思い知るがよい」

 言い終わらないうち、馬上の師直もろなおを、手に持つ薙刀なぎなたで突き倒した。

「ぐわっ」

 うめき声を上げて馬から転げ落ちた師直もろなおを、能憲よしのりの郎党たちが囲んで止めを刺した。

 その半町ばかり後ろ。悲劇を目の当たりにしたのは舎弟の高師泰こうのもろやすであった。とっさに馬を駆って逃げようとするが、兄同様に上杉の郎党に囲まれる。幕府最大の実力者であったこう兄弟の、あっけない最期であった。 


 洛陽の桜が見頃となった頃、敗軍の将として足利尊氏が京へ戻った。ひとまず、足利兄弟の従兄弟である上杉定朝の京屋敷に迎えられる。

 一方、勝利を収めた足利直義ただよしは、細川顕氏の館に帰還する。そして、公式な会談に先立ち兄の懇願を探るべく、密かに顕氏を遣わした。尊氏を罰する意図はない。兄の面子も立ててやろうと考えてのことである。

 広間に通された細川顕氏が、極力、尊氏の面子を傷つけないよう、下座で平伏して言葉を選ぶ。

此度こたびのこと、将軍におかれましては、まことに遺憾なことと存じます」

「うむ、で、小四郎(顕氏)、今日は何用じゃ」

 何事もなかったかのようなもの言いに、顕氏は面喰らう。

「あ、あの……慧源えげん殿(直義ただよし)より、此度こたびの戦の処理について、将軍の御意向ごいこうをうかがってくるようにとのことでございましたので」

「そうか……では、我が方に従いし者どもには、十分な恩賞を取らせるように申し付ける。それと、卑怯にも待ち伏せしてこう兄弟を討った上杉能憲よしのりを死罪とせよ」

 思いがけない尊氏の要求に、顕氏の思考が止まる。負けたのは尊氏であり、勝ったのは自分たちの方である。顕氏は頭の中で混乱を整理する。

「将軍、それでは和睦をたがえることになりますゆえ……」

「これは将軍のめいぞ。聞けぬと言うのか」

「あ、いや、そのようなことは……」

 あまりにも堂々とした尊氏の態度に、顕氏は畏縮いしゅくする。負けた者と勝った者の立場が完全に逆転していた。

「小四郎(顕氏)よ、しかと申し付けたぞ。よいな」

「は、はは」

 圧倒された顕氏は、思わずひれ伏してしまった。


 三月二日、足利兄弟の会談が行われる。

 結局、尊氏の要求を突き付けられた直義ただよしは、上杉能憲よしのりの死罪を流罪に減じさせるが、尊氏にくみした諸将にも恩賞を与える羽目となった。


 翌日、足利尊氏はこの結果でさらに強気になったのか、再び挨拶に訪れた細川顕氏を、降参人の如く扱い、門前払いしてしまう。

 当事者の顕氏にとっては、将軍の威厳と畏怖いふを、改めて感じざるを得ない出来事であった。

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