第18話 観応の擾乱
正平四年(一三四九年)六月も後半、長雨が上がった京の町は、地から沸き立つような湿気と暑さに覆われる。
楠木
将軍御所を訪れた足利
「近頃、
「また
舎弟の剣幕にも涼しい顔で尊氏は写経を続けた。
筆を持つ手を緩めない尊氏の前に、
「兄上がそのようなことだから図に乗る。兄上は
それでも尊氏は筆を置かない。
「お前が直接聞いたわけでもあるまい。惑わされるな。そのような話は面白おかしく尾ひれがつくものよ。特に
「まことであろうがなかろうが、そのような話が伝われば、困るのは兄上じゃぞ。
写経の邪魔をされ、だんだんと尊氏が不機嫌になる。
「わしにどうせよというのじゃ」
「それがしに任せていただきましょう。いや、心配にはおよびませぬ。
やっと筆を止めた尊氏が、ため息まじりに弟を見据える。
そこに
「
「では、どうする」
「執事を
従兄弟の上杉
「お前が言うようにうまくいくかな。お前は
尊氏は何かを言おうとしたが、一旦飲み込んで深い溜息をつく。
「……されど……まあよかろう。好きなようにやってみよ」
ここぞと言うときに、面倒事を放り投げるのは、尊氏の悪い癖である。
ともあれ、我が意を得た
足利
その数日後、佐々木京極道誉が
「いやあ、
精一杯、道誉は同情する素振りを見せた。しかし、なぜかこの男からは、楽し気な雰囲気が隠しきれない。
だが、そんな視線を意にも介さず、道誉は話を続ける。
「将軍(尊氏)も、いったい何を考えておるのか。いくら三条殿(
「いったい何が言いたいのじゃ。わしをからかいに来たのなら容赦はせぬぞ」
ぶすっとした態度で、
「まさか、そのようなこと。わしとて命は惜しいでのう、うわっはは」
大きな声で笑ったかと思うと、回りを確認してから急に小声になる。
「ひとつ忠告じゃが、
「御舎弟殿(
「真偽はわからぬが、上杉、
「まさか、そのようなこと……あるはずがない……」
「……いくら御舎弟殿といえども、将軍の許しもなくそのようなことをすれば、ただでは済まぬ。昨日もわしは将軍と話した。決して許すまいぞ」
「そこじゃ。貴殿は将軍と三条殿が組むことはあるまいと思うておるようじゃが、どうかな。そこはやはり御兄弟。わしは用心に越したことはないと申し上げたいのじゃ」
盃を置いて、
「なぜ、そこまで御注進くださる」
「三条殿がこれ以上、幕府を牛耳れば、式目(法律)ばかりで息が詰まる。わしは
ずいっと
「……尊氏殿に家臣殺しをさせたくないのでな。うわっはは」
耳打ちすると大きな声で笑い、立ち上がった。
「いや邪魔をした。それがしはこれで失礼する。見送りは無用じゃ」
そう言うと、道誉は笑いながら部屋を出ていった。
「用心のう……いざとなれば、河内から
視界から道誉が消えると、一人静かに呟いた。
一方、
「面白くなったわい。どちらに転んでもわしに損はない。あっはは」
高笑いしながら馬を進めた。
八月初めの東条は、すっかり残暑も払われ、夜は虫の
楠木館を燃やされた正儀は、赤坂城の本丸に建つ陣屋を自らの館としていた。ここに、楠木の
「殿(正儀)、
「やはり、そうなりましたか」
正儀は手元の軍忠状から顔を上げた。
落ち着いた反応に、
「どうゆうことでござる」
「
「なるほど、それで
その言葉に、正儀は少しだけ肩の力を抜いた。
河内につかぬ間の平穏が訪れる。兄、楠木
数日後、正儀は一人暮らしをする母、久子に招かれる。秋口の落ちついた緑の中を、母の
嫁の
「敗鏡尼様、敗鏡尼様、三郎様(正儀)がお見えでございます」
その声で敗鏡尼も
「三郎(正儀)殿、よう来てくれました」
「母上(敗鏡尼)、お達者で何よりでございます」
「
母はいつものように優しかった。しかし、二人の息子を同時に亡くし、急に老いたようでもある。
「狭い
一方、
「それがしをお呼びなされたのは、何か仔細がある
「ええ。三郎(正儀)、今日はゆっくりできますか。実はお前に会わせたい御仁がおるのです」
「それがしは構いませぬが……御仁とはどなたですか」
「どう話したらよいでしょうか……すぐに来られるでしょうから、少し待ってくだされ」
歯切れの悪い母の言葉に正儀は当惑する。
兎に角、
一刻もしないうちに、
「敗鏡尼様、連れて参りましたぞ」
そう言って年配の僧がとば口を
正儀に気付いた僧が、じっと顔を見据える。
「三郎殿でござりますか。やっと会えましたな。ほんにあの小さき
そう言って、僧は
すぐに敗鏡尼が二人を座敷に上げ、戸惑う正儀と向き合わせる。
「この御仁は
「中納言はお止めくだされ」
敗鏡尼の紹介に
正儀は驚いて目を丸くする。
「中納言の
「いかにも、その
「何でも先帝(後醍醐天皇)に御苦言申されて身を隠されたとか……」
再び
「ははは、その様なこともございましたな」
「して……」
「今日は是が非でも正儀殿にお会いしたく、敗鏡尼様に無理を言いました……のう」
そう言って、となりの若者に目配せした。
すると、その者が礼儀正しくお辞儀をする。
「それがし、四郎
「こ、これはいったい……」
正儀は、驚いて敗鏡尼に顔を向けた。
敗鏡尼は二人の姿に目を細めながら、
元弘の戦の後、先帝(後醍醐天皇)は討幕に功のあった諸将へ、官女の
「正成殿はお断りなされたのだが、先帝の手前、わしの面子を立てようと、お引き受けいただいたという次第で……ただ二人で過ごしたのはほんのひと時。滋子にも悪いことをしたと思うております」
そう言った後で、
「いや、敗鏡尼様にも申し訳ないことを致した」
その言葉に、敗鏡尼は微笑んで首を横に振った。
安堵した
「
ここで、やっと正儀が口を開く。
「して、四郎殿の母上は、今はどのように」
「一年前に亡くなったそうな」
代わって敗鏡尼が応じた。
それを聞いて、正儀は再び黙り込んだ。
場の空気を察して、
「母は、私が小さき頃より父(正成)の話をしてくれました。私にとって父の思い出は、母が話してくれたことが全てでした。母は私を……父、正成の子を産んだことが、生涯の自慢でした。伯父上(
「これまで、ご苦労があったことでしょう。申し訳ないことです」
目を
「今日は正儀殿にお願いがあって参りました。四郎は母も亡くなり、孤独な身の上。一応、拙僧は義理の伯父ということになりますが、何せ仏門の身。四郎も仏門に入るつもりがあればと思うたが、どうもその気はないようじゃ」
「どうか、私めを楠木の一門にお加えいただけないでしょうか」
「三郎、母からもお願い致します。四郎殿を三郎のところで」
敗鏡尼は
「母上、そのような……簡単なことではござらん」
憮然と正儀は言葉を返した。
少し考えてから、
「四郎殿、少し外を歩こう。ついて参られよ」
そう言って正儀は外へ出る。慌てて
緑の木々を押し分けながら、正儀は無言で山の中を歩いた。そして、見晴らしのよいところに
戸惑う
「四郎殿、あちらの方角は何かおわかりか」
「い、いえ、わかりませぬ」
「あの先が最初の赤坂城(下赤坂城)。我らの父が討幕の旗を掲げたところじゃ。ここからは見えぬが、あの山の向こうが楠木館。燃やされてしまったが」
続けて正儀が指を動かす。
「その右が桐山。今の赤坂城(上赤坂城)じゃ。そしてあの山が金剛山。その麓が千早城じゃ」
正儀は左から順に指を差した。そして、遠くを食い入るように見る
「なあ、四郎殿……いや四郎。河内はこのように山深い地。都とはだいぶ違うであろう」
「はい……」
「されど、楠木党はこの山深い地に根付いているのじゃ。楠木党になるということはこの地のために生きる事。そなたはこの地で何ができる」
答えを期待しているのではない。正儀自身への命題でもあった。
「わかりませぬ。これから考えます。きっとそれがしができることを見つけます……必ず」
力強い口調で
その答えに、正儀は自身を重ねる。
「そうじゃな、できることを二人で探そうか」
「兄上……とお呼びしてよろしいか」
固い表情で
「だめじゃ……ここは京ではないのじゃ。兄者と呼べ」
少しおどけて正儀が答えた。
「は、はい、兄者」
ようやく
「我が殿(正成)には五郎殿(正氏)と七郎(
憂いを
同じ頃、京では副将軍の足利
最初に仕掛けたのは
これを知った
しかし、
こうして、尊氏をも巻き込んで始まった
兵たちを押しのけて
「我は
さらに、語気を強める。
「……また、院に
腹の中に溜め込んだ鬱憤が、怒声となって響き渡った。だが、足利家の家臣としてはあり得ようはずもない行動である。
さすがに舎弟の
「兄者、三条殿(
すると、
「何ら問題はない。これは、将軍と若殿(足利
「どういうことじゃ、兄者」
怪訝な表情を浮かべる
一方、緊迫感に覆われた将軍御所。上座に座った足利尊氏の前で、舎弟の足利
「
目をつり上げた
「まあ、まずは、落ち着いてそこに座れ」
「お前の怒りはもっともじゃが、その前に、
後ろには伊豆守こと上杉
悪びれることなく
「これは我ら足利と幕府のための処置でござる。
「
低く太い声を響かせて
「兄上、断じて
「もちろんじゃ。家臣に脅されて二人を差し出し、
兄の覚悟がそこまでとは思っていなかった
そこへ、計ったかのように一人の僧が現われる。
後ろを振り向いた
「
その
「お二人の御覚悟を聞かせていただきました。されど、将軍も副将軍もここで死んでしまっては、この世は乱世に逆戻り。将軍様、
これに尊氏は頷き、
「
「兄上、それは……」
「
纏まらない考えを口にしようとした
「ちょうど鎌倉から
「さすがは将軍様。
妙案も浮かばない。さすがに兄弟そろって、ここで討死するわけにもいかない。
「ではさっそく」
そして、その仲介を受けて、
後日、足利
一方、
この後の幕府の動きも慌ただしい。
九月、足利
陸路、上洛を企てたが、播磨と摂津の守護である赤松円心(則村)が、早くに山陽道を押さえたため、諦めざるを得なくなる。
しかも、
十月に入ると、鎌倉から足利尊氏の嫡男、足利
一方、
翌十二月には、
さらに翌月、足利
早くから先帝(後醍醐天皇)のために
赤松家の家督は円心の嫡男、赤松
所は変わって
正平五年(一三五〇年)、年が明けて、花も散り、青葉が目立つようになったこの日、帝(後村上天皇)が朝から一人、気を揉んでいた。
そこへ、官女が走り寄って頭を下げる。
「元気な親王様でございます」
「おお、そうか、祝着じゃ。勝子も大事ないか」
問い掛けに、穏やかな表情を返す官女に、帝は安堵の小息をついた。
この年、帝の
勝子は大叔母の
宮中が慶事に高揚する中、一人の男が色を失っていた。
「何とかせねばならぬのう」
回廊を歩きながら、そう呟いたのは、
かつて親房も、自らの娘、
親房は、藤原
一方の阿野家はもとは中流の公家である。
その
そして、子たちが朝廷で力を発揮できる歳になると、
帝の世継ぎを巡って、
この年の十月、正儀は、休みなく走る馬を気にしつつ、大和国の
寺に到着した正儀は、供の者に馬を預けると、
「楠木殿、待っておりましたぞ。
声の主を探して正儀が振り返る。
「これは
言葉を返した相手は、南朝方の伊賀守、
鋭い目つきで正武が問いただす。
「伊賀守殿、ほんに、ここにおるのか……」
頷く
「……事の成りゆきによってはこの場で切って捨てようぞ」
「新九郎殿(正武)、まずは会うてからじゃ。我らも話を聞きとうて、駆け付けたのじゃ」
外の明るさに慣れた目は、
「こちらが楠木の棟梁、
「初めてお目にかかる。足利
敵を前にし、正儀は動揺を抑える。
「楠木三郎正儀でござる。若輩の身ゆえ後見役の橋本
「橋本
そう言って
正武も無言で会釈するが、鋭い眼光は終始、
「
張り詰めた空気の中で、
「わしから話そう……」
じれったそうに、
「……それがしが副将軍の立場を失ったことは御承知であろう。わしの
すでに従弟で家臣の
一同を見渡して、
「この二十八日のこと。将軍は
話に正儀が割り込む。
「
「
「なぜ、それがしでござるか」
「本来、わしが
じいっと正儀の顔を見つめていた
「わしが楠木殿にお会いしようと思うたのは、貴殿が正成殿の子だからじゃ。正成殿は信頼できる御仁であった。
その言葉に、隣から正武が激しく気を放つ。
「その正成殿、
「やらなければやられる。まことに
「して、正儀殿に
主題から外れた話を、
「その通りじゃ。わしは
「
目を吊り上げて正武が指摘した。正論である。
だが、
「わしは幕府がこの国には必要じゃと思うておる。公家ではこの世は収まらぬ。建武の御親政がそれを示したではないか。違いまするか。幕府を残すなら兄の尊氏は必要じゃ。されど、今の幕府は私利私欲に走る者に牛耳られておる。このままでは幕府も御親政と同じになってしまう。奸臣を取り除けば、またわしと兄とで幕府を立て直すことができる」
「幕府を立て直すと……
殺気立つ正武は、床に置いた刀をじわりと自分の方へ引き寄せた。
しかし、
「幕府を御認めいただければ、わしは、いや、幕府は
提案を、正儀は現実的な妥協点であると思った。しかし、皆の手前、口には出すことは
冷静に
「それでは
「副将軍を
正儀は驚いた。
「もちろん、わしとて黙って討たれるわけではない。
「
若いなりに正儀が精一杯、睨みを効かせた。
しかし、
「北畠卿はお好きか」
ふうっと溜息をついて、正儀は視線を外す。
「どうもいけませぬな。今のわしでは
正儀は、
「ではわしらはこれで。伊賀守(
そう言って
「
東条の北を抑えるべく造られた石川
背中から要望を浴びせた
「
「では、お返事はそこで」
正儀は一礼してからその場を離れた。
「さて、いかがしたものか」
「ふ、白々しいな、三郎殿(正儀)。もう決めておいででしょう。わしはあのように全て見通したつもりになっている
「かたじけない、新九郎(正武)殿」
申し訳なさそうに、正儀は頭を下げた。
「されど、
心配そうに
「九郎殿(
正儀の頭には一人の人物が浮かんでいた。
数日後、
「御局様、御客人でございます」
「私に……
「楠木
「まあ、三郎様が。少しだけお待ちいただくように伝えてください」
紅葉の映える庭に正儀の姿を見留めた伊賀局は、足取りを緩め、上品さを繕って姿を現す。
「これは楠木様、お達者でございましたか」
眺めていた紅葉から目線を外した正儀が、声の方へと振り向く。
「これは
「今日は四条大納言様(
「いや、
「え、私にですか……」
伊賀局は少し驚き、少しはにかんだ。
「そうです。
「私に会いに……え、頼る……」
期待した状況でないことに、
「私に頼み事ですか」
少しだけぶっきらぼうとなった返事にも気付かず、正儀が続ける。
「さる幕府の立場ある御仁が、
「そのような話を私にして大丈夫なのですか」
「はい、信用しております」
そう言われると、伊賀局も悪い気はしない。
「楠木様であれば、兵馬を司る公家大将の四条大納言様(
「やはりそう思いますか。されど、四条様は幕府に対して強硬派。四条様より朝議にお
「されど、楠木様は北畠卿を嫌っておられると」
口ごもる正儀の後を拾って
「いや、嫌いなどと……」
「隠したってわかります。
慌てて否定しても、伊賀局は見透かしていた。
「確かにそうかも知れませぬ。されど、この件で賭けはしたくありません。確実に朝議に
「そうですか……であれば、あのお方しかおられないでしょう」
自信ありげな伊賀局に、正儀は期待する。
「何方ですか」
「
「いや、されど……それがしは
「
国母(天皇の母)となった
正儀は、伊賀局の提案に熟考して頭を下げる。
「わかりました。
「頭をお上げください。
「では、それがしは
軽く礼をして立ち去っていく正儀の後ろ姿を、伊賀局は柔らかな表情で見送った。
翌日、楠木正儀は
「楠木様(正儀)、しばらく、こちらでお待ちください」
そう言って
下座に控え、正儀がしばらく待っていると、伊賀局が先達し、
上座に
「伊賀はそのまま居てくりゃれ。そなたの意見も聞きたい」
退席しようとする伊賀局を、
「そなたが楠木
「ははっ、
「
正儀は赤くなって恐縮する。
「いえ、それがしは、父や兄と比ぶるような者ではありませぬ」
「遠慮はいりませぬ。南大和では、憎き
「はっ。過分なお言葉を
その謙虚な素振りに、
「紹介が遅れました。この者は
紹介を受けて、
「楠木殿、よしなにな」
温和な顔立ちの貴公子であった。
頭を下げる正儀を見て、早速、
「
「はい、今日は包み隠さず、お話しとうございます。その御仁は足利尊氏の舎弟にして、先の副将軍であった足利
「何、
その名に、
予想外のことに
「確かに、
そう言って、
「
「何と……して、
「はい、望みは
これに、
「尊氏追討ではないのか」
「はい、
皆を刺激しないよう、
「楠木殿、
耳を傾けていた
「はい、それは少将様の仰せの通りです。されど、足利が幕府を開き早や十五年。確実に幕府の支配が諸国に広がっております。いつまでも討幕に固執しておっては、我らが京に戻って
真摯に応じる正儀に、
「
「確かに……楠木殿の仰せの通り。そう思っておる公家も少なからずやと思います。が、それは決して口に出してはならぬこと。少なくとも今日までそう思うておりました」
言い
「失礼の段、ご容赦ください」
「いや、楠木殿、責めておるのではない。自身を恥じておるのじゃ。して、仮に幕府を認めたとして、
「
「それでは、鎌倉の幕府の時と同じではないか」
つまらなそうに
「その通りでございます。されど、
正儀の見通しに
「なるほど、我らは持明院の皇統に対して自然と有利な立場というわけじゃな」
「御意」
「この話、伊賀はどのように思う」
突然、
しかし、彼女は自分の考えをしっかりと持ち合わせている。
「わたくし如きが意見を述べるのは
これに
「左様であるか。
「はっ。ありがたき幸せでございます」
この後、正儀は伊賀局に
十二月十三日、未だ白木の香り漂う
足利
口火を切ったのは討幕論者の
「自分の身が危うくなれば我が朝廷を頼るとは。どうせ偽りの帰参であろう。そのような者を味方に引き入れてもどうせ役には立たぬ。
「さりとて、我らは
穏健な二条
すかさず
「
すると、
なおも
「いかがでございましょう、四条様」
「麿も
「まったくじゃ。我が朝廷が頼りとするのが楠木の
伊勢国は守護が置かれず、伊勢
【本作では権限のない名目的な他国の国守と区別するため、北畠家の伊勢守は伊勢
「確かに楠木
同意を得ようとしていた
「先の鎮守府大将軍(北畠顕家)と楠木の
朝議があらぬ方向にいきそうになったところで、北畠親房がやっと口を開く。
「麿は
「
討幕論者、北畠親房の思いもよらぬ意見に、
「騙された振りをすればよろしかろう。まずは
和睦を願う左大臣の
「騙された振りと申しても、我らが違約したことになるではありませぬか」
「
したたかな親房に、
一段落したところで
「それでは、
呼びかけに
(それにしても楠木正儀、若く扱い易いと思うておったが……)
親房は、心の中で呟いた。そして、
この後、正儀の案内で、北畠親房自らが河内国の石川
十二月、金剛山からの山おろしに、木々が伊吹を止める中、楠木党に出陣の日がやってくる。
すでに近習の津田武信は、篠崎親久や津熊義行らを率いて北河内の父、津田
一方、楠木本城である赤坂城では、正儀が、一族に新たに加わった舎弟、楠木
「四郎(
「招致しました。されど、兄者(正儀)、それがしも楠木一門に加わったからには、
「なあに、急ぐことはない。
「御舎弟殿、焦る必要はありませぬ。殿(正儀)は小さき頃より、父上や兄上の戦を後ろで見聞きされて今があるのです。ここは殿の戦を見守りましょう」
「わかり申した。兄者、武運を祈っております」
素直な
「皆の者、これより和泉の和田新九郎(正武)殿と合流し男山八幡を目指さん。すでに津田荘では津田範長殿もお待ちかねじゃぞ。いざ、出陣じゃ」
正儀の
正平六年(一三五一年)一月七日、まだ冬将軍が居座り続ける中、足利
正儀ら南軍は男山の南に布陣し、
一方、足利尊氏の留守を預かる嫡男、足利
この報に、山陽道を西に向かっていた足利尊氏が率いる二万の軍勢は、急遽、京へ引き返す。軍勢の中には
さらに男山八幡からは
あまりのあっけなさに、正儀が率いる楠木本軍に出る幕はなかった。
尊氏が京を追われのを見届けた正儀は、急いで軍を河内に引き上げる。足利兄弟の争いに乗じて河内・和泉国を制圧するためである。
河内に戻った正儀は、南河内から将軍、尊氏に
これに呼応して、すぐに兵を動かしたのは、楠木軍の与力衆である美木多助氏である。助氏は、
はち切れんばかり膨らんだ桜のつぼみから、薄紅の花弁がぽつりぽつりと見え始める頃となる。ここは摂津国にほど近い、河内国
幕府の争い事に乗じて河内国を攻略する正儀のもとに、小具足姿の
砦に建つ粗末な陣屋で、正儀が聞世を迎える。
「ご苦労であった。
一旦、播磨国の書写山まで退いた尊氏であったが、
「はい、二月十七日に雀松原で両軍が激突。互いに多数の死者を出しながら翌日まで戦が続きました。当初から
「もともと山名は
まだ、若い正儀には、己が利のために戦う山名時氏のような
その苦々しそうな顔を見ながら、聞世が先へ話を進める。
「その後、尊氏は
「そうか。やはり、
敗北を喫した足利尊氏は、舎弟、足利
その中には、頭を丸めた
「何と見事な……負けてこそか」
勝ち
ふと正気を戻せば、前を行く尊氏の姿が見えない。
「おい、どんどん離されておるぞ。前も後ろも離れすぎじゃ」
「いや、これでよいのでござる」
馬に跨った
「そこの者、
「無礼者、名を名乗れ」
騎馬に乗ったまま声を投げ掛けてきた武士を、
「我は上杉
言い終わらないうち、馬上の
「ぐわっ」
うめき声を上げて馬から転げ落ちた
その半町ばかり後ろ。悲劇を目の当たりにしたのは舎弟の
洛陽の桜が見頃となった頃、敗軍の将として足利尊氏が京へ戻った。ひとまず、足利兄弟の従兄弟である上杉定朝の京屋敷に迎えられる。
一方、勝利を収めた足利
広間に通された細川顕氏が、極力、尊氏の面子を傷つけないよう、下座で平伏して言葉を選ぶ。
「
「うむ、で、小四郎(顕氏)、今日は何用じゃ」
何事もなかったかのようなもの言いに、顕氏は面喰らう。
「あ、あの……
「そうか……では、我が方に従いし者どもには、十分な恩賞を取らせるように申し付ける。それと、卑怯にも待ち伏せして
思いがけない尊氏の要求に、顕氏の思考が止まる。負けたのは尊氏であり、勝ったのは自分たちの方である。顕氏は頭の中で混乱を整理する。
「将軍、それでは和睦を
「これは将軍の
「あ、いや、そのようなことは……」
あまりにも堂々とした尊氏の態度に、顕氏は
「小四郎(顕氏)よ、しかと申し付けたぞ。よいな」
「は、はは」
圧倒された顕氏は、思わずひれ伏してしまった。
三月二日、足利兄弟の会談が行われる。
結局、尊氏の要求を突き付けられた
翌日、足利尊氏はこの結果でさらに強気になったのか、再び挨拶に訪れた細川顕氏を、降参人の如く扱い、門前払いしてしまう。
当事者の顕氏にとっては、将軍の威厳と
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