第12話 南北朝の分裂
足利討伐の責任者、
「
その報告に、皆が沈黙した。
参議の坊門清忠が不思議そうな表情で首を傾げる。
「戦上手の河内守が、こうもあっけなく破れるとは……足利を止める手立てを思いつかなかったのであろうか」
これに、
「
「い、いえ、このような大敗を喫するならば、それを押して、
清忠は、冷や汗を扇で隠しながら弁明した。
「控えよ、坊門
「……今更言うても
「
勅命に、清忠はすぐに飛び付いた。
続いて
「さりながら、足利を京へ入れた後、どのように尊氏を討つべきか。河内守を頼ることはもうできぬのじゃな。無二の武士をなくしたものよ」
誰も、
「比叡山への動座の後は、新田
帝(後醍醐天皇)が比叡山の
一方、足利を京に入れた朝廷だが、兵糧攻めのために、
結果、足利軍は早々に兵糧を確保して朝廷に対抗する。逆に宮方は、足利討伐の策が定まらず、いたずらに時を過ごした。
河内国の赤坂。鮮やかな山々の緑とは対照的に、楠木館は全ての色を失っていた。
庭先で、虎夜刃丸が
「こんなもの」
庭の植え込みの中に
館に入った虎夜刃丸を、母の久子が手で招く。
「よいところに来ました」
そこには、楠木
一同は心なしか浮かない顔をしている。父が亡くなったということばかりではないようである。
母に
「虎夜刃丸、そなたに父上の遺言を伝えます」
「いごん……」
数え七歳の虎夜刃丸には意味がわからない。つっと兄、
「遺言とは、父上が虎に残した
「そうです。父上は亡くなる前、虎夜刃丸をこちらの津田
久子が説明するが、やはり、虎夜刃丸には理解できず、もう一度、長兄の顔を見る。
「
虎夜刃丸は、突如、床が消えて落ちて行くような感覚に襲われた。
怯えた表情で母に助けを求める。
「嫌じゃ……わしが悪い子じゃから館を出されるのですか……ならば、一生懸命よい子になりますゆえ、館を出さないでくだされ」
幼子の必死な姿は、皆の表情を曇らせた。
苦悶の表情を浮かべた久子は、虎夜刃丸ににじり寄って両手で抱き寄せる。
「違うのじゃ、虎夜刃丸。そなたはこの母にとって、自慢のよい子じゃ……」
しかし、その手を
「……されど、楠木の血を絶やさないため、必要な事なのです」
だが、幼子にそのような事情などわかろう筈はない。虎夜刃丸は涙を
まだ
「少しよいか、虎夜刃丸」
そう言って部屋に入ってきたのは、叔父の美木多正氏であった。
「津田殿は帰られた。今日のところは挨拶だけじゃ……」
しかし、その声が届いていないかのように、泣き続けている。
「……辛いであろう。お前の気持ちはわしが一番わかる」
「五郎叔父になぜわかるっ」
やっと虎夜刃丸が口を開いた。
「わかるぞ。わしも幼き時に、この楠木の
虎夜刃丸が、ひっくひっくと息をしゃくって顔を上げる。
「五郎叔父も……辛くなかったの」
「もちろん辛い。されど、この歳になってわかる事もある。武家は家名を残す事こそが大事なのじゃ。この先は乱世となろう。皆がひとところに
「さすれば……」
「将来、楠木の名を受け継ぐであろう者たちも、この世から一緒に消えてしまうことになる。それは祖先に対して申し訳ないことじゃ。左様なことになれば何と詫びればよいか……」
真面目な顔で正氏が、虎夜刃丸の頭に手をやる。
「……いま、幼いお前にわかれとは言わん。されど、大人になった時、きっと父の気持ちがわかるであろう。わしが言いたいのはそれだけじゃ」
そう言うと正氏は立ち上がり、奥の間を出ていった。
幼い虎夜刃丸には、そんな大人の事情はわからない。しかし、ただ一つ、父がそれを望んだということだけは理解できた。
六月五日、日増しに緑の色を濃くする比叡山に、足利軍が攻め上がった。
対するは、参議を
「麿はこのようなことではまだ終われぬ。
三百余騎を引いて比叡山の西、
「者ども、賊軍を切って切って、切り倒すのじゃ」
勇ましく兵を鼓舞するが、所詮、忠顕は戦を知らない。
建武の新政で、我が世の春と栄華を誇った
六月十三日、その
「男山さえ奪うことができれば、足利勢を押さえられる。よいか、目指すは男山八幡じゃ」
しかし、足利尊氏はこの動きに、執事で戦上手の
男山を巡って両軍の間で激しい合戦となった。
大将の
「何としてでも男山に取り付くのじゃ」
「おおっ」
互いに譲らぬ激しい戦を制したのは、意外にも四条軍の方であった。
六月も終わりの三十日。いまだ
業を煮やした、
夏盛りにも関わらず、
「恐れ多くも
「新田中将、大義じゃ。そちの勝利を信じておるぞ。
「はっ、必ずや
長年も頭を低くして、神妙に答えた。
「
すると、
「それがしとて武士の端くれ。
「
帝は長年をじっと見つめて語りかけた。長年はその恩情に打ち震えた。
うちに覚悟を秘めた名和長年は、比叡山を下って
「引いてはならんぞ。
少軍にもかかわらず、長年は兵を鼓舞して突進していった。
しかし長年は、敵兵の矢を受けて動きが止まったところを、松浦党の草野
これで、建武の新政で
一方、新田義貞は軍を率い、足利尊氏が布陣する
最初、新田軍は、不意を付かれて慌てふためく足利の兵をたくさん討ち取った。しかし、徐々に足利の諸将が東寺に駆け付けると、新田軍を押し戻した。
ぎりっと奥歯を噛んだ義貞が、単騎で足利勢の前に進み出る。
「我こそは、賊軍が
じりじりと照りつける日差しに、汗がつうっと義貞の首を伝う。
「……ともに八幡太郎(
馬に跨ったまま、義貞は足利勢に向けて挑発した。続々と数を増やす足利軍に対し、勝ち目がないと悟った義貞の、一か八かの賭けであった。
本陣の中、取次の兵からこのことを伝え聞いた足利尊氏は、自身の立場を顧みず、すぐに立ちあがる。
「よし、わしの馬を引けい。新田と足利、どちらが清和源氏の棟梁として
尊氏の純真無垢な言動に驚いたのは周囲である。
「将軍、なりませぬ。皆、将軍を止めるのじゃ」
足利一門の細川
そうこうしている間に、頼春の従弟、細川
「殿、敵は大軍です。ここはひとまずお引きくだされ」
「いや、今しばらく尊氏めを待ってからじゃ」
「なりませぬっ。きっと尊氏は出て来ませぬ。このまま、ここに留まれば、多くの兵を失いますぞ」
重広の大声に、義貞は言葉を詰まらせる。兵を無駄に死なせると
退却する義貞を細川
ところは変わって河内の赤坂。楠木館は、僧侶の
とうとう、虎夜刃丸がこの地を離れる日がやってくる。養父となる津田
そして、もう一人、少年が座っている。名は
「奥方様(久子)、若殿(楠木
館の広間で、範高が別れの挨拶を
虎夜刃丸は
「母上様、兄上様、叔父上様、では、行って参ります」
浮かない表情である。この
長兄の
「虎、津田荘は同じ河内の中じゃ。会おうと思えばいつでも会える。お前が津田殿の館に行っても我らは兄弟のままじゃ」
「遊びに来い。待っておるぞ。剣術の稽古は、やはり俺が教えてやらねばな」
次兄の持王丸が威勢のよい言葉を加えた。しかし、持王丸とて虎夜刃丸が居なくなる寂しさに胸を痛めていた。
「これを持っていきなさい」
久子が差し出したのは
しかし、虎夜刃丸は目を背ける。
「それは捨てたのです」
「でも、この笛はあなたのお気に入りだったではないですか。笛に何の
久子は捨てられた
「わしが持っていてもよいのですか」
「殿の
母の言葉に、虎夜刃丸は伏し目がちに手を出して
「さあ、参りましょうか」
範高に
館の外で、範高は虎夜刃丸を抱き上げて先に馬に載せ、自分はその後ろから抱えるようにして馬に跨る。同様に、
「では、みなさま方、これにて御免」
馬の脇腹に
津田範高に連れられて、虎夜刃丸と
館に入った二人は、範高の家族に迎えられる。人当たりのよさそうな母と、男子だけで五人の子ども達である。
嫡男は
二人は順番に挨拶を受け、最後の一人となる。
「
範高の末子で、虎夜刃丸より一つ歳下である。
歳も似通った幼子同士。三人が打ち解け合うのも早かった
東寺に敷いた足利の本陣。
「兄者、畿内の武士どもが先帝(後醍醐天皇)の元へ兵糧を運び入れておる。何とかせねばならん。とりわけ楠木の動きが気になる」
比叡山の帝(後醍醐天皇)を先帝と呼んだのには理由があった。すでにこの時、持明院統の
弟の意図を察した尊氏が、軍忠状から顔を上げる。
「楠木は一族揃って討死した。嫡男はまだこどもであろう。今はそっとしておいてやればよい」
「その嫡男の後ろ盾として、叔父が一族を
悠長な尊氏に、
「では具体的にどうするのじゃ」
「まずは守護じゃ。いつまでも名ばかりの守護では世間に示しが着かぬ……」
直義は、楠木家を気遣って煮え切らない兄に、不満を抱いていた。
「……
「……お前に任せる」
尊氏は
秋に入ると、虎夜刃丸が預けられていた津田範高の館が慌ただしくなった。
館の広間に座る
「父上、何事でございましょうや」
「うむ、細川顕氏という者が、足利尊氏より河内・和泉の守護に任じられたという。両国の諸将に万事、細川に従うようにと命じてきた」
すべらすように、範高が書状を前に差し出した。
範長はその書状を拾い上げ、目を通した後、困り顔を上げる。
「父上(津田範高)はいかがされるのですか」
「当然、わしは従うつもりなどないが、この津田荘は京からも近い。表立って反旗を
頷く息子の顔を見ながら範高が続ける。
「……じゃが問題は虎夜刃丸殿じゃ。正成殿の子をかくまっていると知られれば、どのような
「確かに、面倒なことになりますな」
「くれぐれも、虎夜刃丸殿を我が子としていることは内密にな」
「承知致しました。それがしから家中の者に伝えましょう」
範長は暗い顔で書状を父に返した。
その様子を柱の影から虎夜刃丸が覗いていた。漠然と、自分の立場を理解した瞬間である。自らの存在が津田家の厄介事になっていることに、居たたまれなかった。
心に波紋を広げる虎夜刃丸の後ろ姿に、
河内・和泉両国の守護に任じられた細川顕氏は、さっそく比叡山の帝(後醍醐天皇)を支える畿内の武士の切り崩しに乗り出した。
これに対して楠木党は、美木多正氏が若き棟梁、楠木
一門としては、楠木正成の従弟、大塚
与力としては、八木
まずは正氏が、皆の前で頭を下げる。
「我らは先の
「皆の衆、若輩の身なれど、父、正成の跡を継ぎ、力を尽くし、賊から河内を護る所存じゃ。よしなに頼む」
まだ、数えの十四歳の
「若殿(
進んで出陣を申し出たのは、討死した和田
「
棟梁の
だが、与力の一人、八尾
「されど、顔を出しておらぬ
「和泉の国人どもでは、当初から足利に従う上条の田代(基綱)は言うにおよばず、
同じ和泉の豪族、八木
「足利に付きたい者は付けばよい。比叡山の帝(後醍醐天皇)に忠義を尽くす者だけで、この地を踏みにじる
正氏の決意に、諸将がうおぉっと唸る様に気勢を上げた。
十月五日、宮方の八尾
これに対して宮方は、ただちに城の奪還を目指し、和田
河内の中心にある八尾城が足利方の手に落ちたことで、南河内や和泉の宮方諸将と、比叡山の朝廷との間にくさびが打ち込まれた格好となった。
その比叡山では、鮮やかな紅葉に包まれる頃となっても、新田義貞ら宮方武将たちが、足利軍と小競り合いを繰り返していた。
「足利は琵琶湖の西岸を押さえ、
「つまり、船では兵糧を運び入れることはできぬということか」
その父である右大臣、
「左様、あちらこちらの湊も佐々木党に抑えられております」
「では、河内国の正成の舎弟に命じて、軍を仕立て、南から兵糧を運び入れられぬか」
「河内では八尾城を巡って宮方の諸将と足利方の間で激戦となったようですが、残念ながら宮方は駆逐されたとか。楠木は完全に南河内に押し込められてございます」
息子、
ふうっと息を吐いた坊門清忠が、諦め顔で一同を見渡す。
「こうなってはもはや致し方ありませぬ。ここは、足利尊氏と和睦するのがよろしいのではありますまいか」
これに
抗戦を主張する
「和睦じゃと。何を持って和睦とするのじゃ。すでに尊氏は持明院の君(光厳上皇)の元で我らと抗っておるのじゃぞ。
「持明院の
清忠は、足利が新帝(光明天皇)を
「何、新田中将を見捨てよと申されるか。それはかつて……」
「
かつての正成の献策を真似て、責任を義貞一人に擦り付けようとしていた。だが、その実態はほど遠いものである。正成はあくまで新田家の存続を図るのが前提であった。だが、清忠の献策では、比叡山に逆賊として取り残される新田軍が、足利軍に取り囲まれて全滅するのは目に見えていた。しかも、これだけ劣勢になってからの和睦では、宮方の条件など尊氏が……特に、舎弟の
清忠の進言が道理に
「忍びないことではあるが、こうなってしまっては是非もない。坊門
帝の苦渋の決断に
しかし、その
このことで、帝(後醍醐天皇)は新田の処遇を思案し、義貞を
「新田中将は、
義貞は、自らが切り捨てられようとしたことも、全て腹の中に飲み込んで、
一方、男山に布陣する
十月十日、
一切を仕切ったのは、足利尊氏の舎弟、
去る八月十五日、持明院統の
すると、庭の
「
面子を
「坊門様(清忠)、それを言える御立場か。新田が北陸下向で
「そ、それは……」
強い口調で追及する
翌々日、
そして、先帝(後醍醐天皇)には太上天皇(上皇)の称号が贈られ、
この
尊氏と
その五日後の十一月七日。足利尊氏は、舎弟の
すでに元号は建武から延元に改元されていたが、足利軍が京に再入洛した直後の六月十五日、持明院の君(光厳上皇)の
この建武式目は、鎌倉幕府の根幹であった
足利尊氏は、二条高倉(押小路高倉)に造った新たな屋敷に
白木の薫り漂う広間で、尊氏が弟を前に感慨深げな表情を浮かべる。
「やっと我ら祖先の悲願を達した。先帝(後醍醐天皇)には恐れ多きことなれど、これで太平の世を迎えられる」
「兄者、長い道のりでございましたな。あとは征夷大将軍としての
「うむ。わしに大将軍の
「もちろんじゃとも」
兄弟は手を取り合う。二人は、これで全てが終わったと思った。だが、先帝の人並みならぬ胆力を見誤っていた。
失意のどん底にいるはずの先帝(後醍醐天皇)であったが、その気力はいささかも失われることはない。
十二月二十一日、北風が身を刺すほどほどの寒い夜のことであった。先帝は建武式目を
高野山は
早馬を送って高野山からの受け入れの返答を待ったが、紀伊に入る頃になっても返事を得ることはできなかった。そのため、ひとまず、その東の
【注記:本来は
先帝(後醍醐天皇)が
堀
庭に伏した正氏は、奏上役の呼び掛けに、寒さと緊張で顔を強張らせながら口を開く。
「楠木正成が舎弟、美木多
すると、奏上役を無視して、先帝が直接、話しかける。
「
「はい、兄をはじめ一門衆の多くが亡くなり、深い悲しみの最中にござります。我ら力は大きく削がれ、今や大軍を動かす力は楠木党にはなくなりました。されど、正成が嫡男、
うむと満足そうに先帝が頷く。
「
「はっ、恐縮に存じまする」
終始、正氏は頭を低くして応じた。
「
問いかけに、正氏は恐る恐る顔を上げる。初めて見る先帝の
正氏は我に戻って口を開く。
「はっ。それであれば、吉野山、
「
「
先帝は長く整えられた
「うむ。では、
「ははっ」
すぐさま正氏は、
十二月二十八日、先帝(後醍醐天皇)は、美木多正氏が率いる楠木党や、僧兵・修験者およそ三百人に警護されて、大和国の吉野山に入る。そして、
すぐさま、楠木党の若き棟梁、楠木太郎
楠木正成の嫡男が警備に付いたと知った先帝は、すぐに
後見役の正氏を隣に付けた
「先の
低く平服して言上した。
「楠木
先帝は
命じられて、
「うむ、よい面構えじゃ。
「は、ありがたきお言葉、痛み入りまする。父、正成も、その御言葉を聞き、報われる思いでございましょう」
「うむ」
歳若いが、しっかりとした受け答えに、先帝は目を細めた。
「ここ
「はっはっは。さすがは正成の嫡男だけのことはある。若いが立派なもの言いじゃ。
死地へと向かわせてしまった正成を想いながら、先帝は感慨深げに頷いた。
吉野山の
親房は
急進的な先帝と漸進的な親房とは、決して考えを一つにする仲ではなかった。これまでも、先帝は親房を
延元二年(一三三七年)正月。京の朝廷は延元改元を無効として元号を建武に戻していたが、ここ吉野では延元を使い続けていた。
「出仕ご苦労であった。皆に申し渡したき儀がある……」
「……
親房の話が終わると、集まった公家や武士たちからは、歓喜のどよめきが沸き上がる。
ここに、京と吉野に二人の帝と二つの朝廷が存在するという
先の帝(後醍醐天皇)が吉野で朝廷を打ち立てたという話は、すぐに京の朝廷の知るところとなる。
京の
二条高倉に屋敷を構えた足利尊氏の元に、舎弟、足利
「兄者、先帝(後醍醐天皇)が吉野に朝廷を開いたことはまことに由々しきことじゃ。このまま放置しておいては禍根を残す」
「おお、
どがっと前に座った
淡白な兄の様子に、
「兄者、今さら神器の
「うむ……」
結論を急ぐ
「先帝の吉野入りを楠木の一族が支えたという。さらに吉野方は河内・和泉の両国の守護を、楠木正成の嫡男としたと触れ回っておる。やはり楠木を何とかせねば、収まりが着かぬ」
楠木家に恩情ある処置を考えていた尊氏は、
「兄者、ここで至情は無用じゃ。細川
間髪置かずに
「致し方ない。東条(
「承知した、兄者」
口元に薄く笑いを浮かべた
三月十日、足利方の河内・和泉両国の守護である細川顕氏が、両国の吉野方武士の牽制に動く。これに対し、若い楠木
「こしゃくな吉野方め。歯向かう者どもは容赦をするな」
細川顕氏の
対して、吉野方を指揮する
「敵将に絞って矢を射かけるのじゃ」
吉野方の兵たちは、他の者には目もくれず、馬上でひと際目立つ、
少し離れたところに居た、足利方の大将、顕氏があわてて駆けつける。
「た、
落馬したのは顕氏の末弟、十九歳の細川
「……しっかりせよ、
「あ、兄者……」
慌てて顕氏が
まさに窮鼠猫を噛む。敵将の一人を射止めた吉野方は、これで流れを作って足利軍を押し返し、細川顕氏を敗走させた。
虎夜刃丸が
その広間では、範高に向けて、嫡男の津田範長が安堵の表情を見せる。
「ひとまず、宮方(吉野方)が足利方に勝利し、めでたきことです」
しかし、範高の表情は硬い。
「喜んではおられん。
思いも
「では赤坂の楠木本城を攻め落とすということですか……」
範長以上に驚いたのは、戸板の後ろで聞き耳を立てていた虎夜刃丸と
「津田の父上、赤坂を御救いくだされ」
「範高様、津田党の兵で足利軍を止めてくだされ」
幼い二人の訴えに、範高は辛そうな顔で目を閉じた。
嫡男の範長が、範高に代わる。
「虎夜刃丸殿、そなたの気持ちはわかるが、津田党は兵を出せぬ。北河内はもはや足利方の支配下。津田が兵を出せば、すぐに滅ぼされる立場じゃ。それに、津田の兵くらいでは焼け石に水なのじゃ」
「でも、赤坂には母上が……」
虎夜刃丸は声を枯らして訴えた。
「わしは虎夜刃丸殿の父上より、そなたを託された。残念じゃが、わしの役目は赤坂を助けることではなく、そなたを護る事なのじゃ」
そう言って範高は立ち上がって広間を出て行った。
後に残った範長が、幼い二人に頭を下げる。
「すまぬ。父も辛いのじゃ。わかってやってくれ」
虎夜刃丸と
津田範高が心配した通り、細川顕氏は末弟、
これに対し吉野方は、美木多正氏のもとで、橋本
一方、和泉国においては、足利方の
量空は
対して
七月、足利方と吉野方の散発的な戦が続く中、楠木の
夏の陽射しが燦々と館に降り注ぎ、周囲には青々とした野山が広がっている。しかし、館の中には、立つことさえもままならない老いた左近の姿があった。
戸板の間から野山の息吹きを目に写した左近は、自身の老いた身体を蔑むかのように溜め息を漏らした。
「父上、お加減は如何ですか」
嫡男の満一が、戦の合間を縫って父を見舞った。
「満一か……わしはもうだめじゃ。このまま、死ぬであろう……」
「何を弱気な事を。父上らしゅうございませんな」
つとめて普段と変わりなく、満一は父、左近に微笑んでみせる。
「いや……もうよいのじゃ。わしは歳じゃ……されど、足利に再三攻められておる楠木が心配でならん……満一、左近の名はお前が継げ。この後は、お前が恩地左近として楠木家をお守りせよ」
「父上……お任せあれ。それがしの
涙がこぼれそうになるのをぐっとこらえ、父の前で誓った。
この一月後、老臣、恩地左近は楠木家のゆく末を
晩秋十月、細川顕氏は数か月にも及ぶ
楠木本城(上赤坂城)本丸(主郭)の陣屋では、
「
厳しい表情で、正氏が皆を急かした。
「
妻の良子は身重であった。膨らんだお腹にそっと手を当てた正氏は、良子の顔を見て、無言で力強く頷いた。
「五郎殿(正氏)、太郎(
「母上、わかっております。さ、急いで」
息子に急かされて、久子らは山深い千早城に向かった。
楠木
まず正氏は、敵将、細川顕氏を牽制するために、北の
和泉国では、足利方の
これに対して、
南河内の一大決戦である赤坂合戦および天野合戦は、
足利方の
「我らは天野山を貫いて、西から楠木の本城を目指す。邪魔立てする者は血祭りに上げよ」
都筑の軍勢は、大塚
一方、南河内では、北の
戦は数日に渡る。長引くほどに、数に劣る吉野方は不利であった。
河内の戦では、楠木の本軍がじりじりと足利方に押し込まれた。美木多正氏は東条の入口である
楠木本城で指揮を執る楠木
「
「何、正安と正忠がか……」
絵地図に目を落としていた正氏が、郎党の知らせに驚いて立ち上がった。すると、
「五郎叔父(正氏)、それがしも兵を率いて出陣します。名ばかりとはいえ、それがしは大将。城に
「たわけ者、今のお前が
叔父の厳しい言葉に、
「……太郎、お前の気持ちはわかるが、今のお前にできることは、生き延びることじゃ。少しずつ経験を積んで
「父上も……」
「もちろんじゃ。
正氏にたしなめられた
龍泉寺城を落した足利方の大将、細川顕氏は、ついに楠木
「我らが土地を自由にさせてなるものか。左近は大将(
正氏は、左近の名を継いだ恩地満一に命じて本城の守備を固めると、自らが兵を率いて討って出る。そして、果敢に騎馬を操り、足利方と熾烈な戦いを繰り広げた。
和泉国で繰り広げられる
この余波をもろに受けたのは、自らも山を越えて
「何、
「……そ、それでは本城を落としても、難攻不落の千早城を落とすには
ちっと舌打ちして、顕氏は山向こうを睨みつけた。
秋雲の如く足速い足利軍の動きが止まったことで、楠木
「若殿と
新たな
すると、久子や良子らが、慌てて陣屋の外に駆け出てくる。そこには、たくさんの負傷した兵たちが横たわっていた。
「母上、叔母上、ここじゃ。五郎叔父が……」
楠木本城から撤退してきた
そこには脚を負傷した正氏が、運び込まれた戸板の上に横たわっていた。
「それがしが不甲斐ないばかりに、兵を率いた五郎叔父(正氏)がこのようなことに……申し訳ござらん」
脚の傷は深く、酷く出血していたため、その顔は青ざめていた。
臨月の良子が正氏の手を握って励ます。
「
「良子か……そなたに会えてよかった……よき子を産めよ」
正氏は弱々しくも、口元に笑みを作って答えた。
すぐに三人の子、満仁王丸・明王丸・
「父上っ」
「おお、
「父上、死んではなりませぬ」
「父上っ」
「満仁王丸、明王丸……立派な武将に成れ……お前たちは太郎殿(
涙を
「太郎……太郎はどこじゃ……」
「五郎叔父、ここにおりまするぞ」
「く、楠木の……楠木の若き力を育てよ。それまでは、ただ逃げておればよい……ここぞというその日まで……」
遺言ともいえる言葉を残し、正氏は息を引き取る。
良子と三人の子たちは正氏にすがり付き、声を枯らして名を呼び続けた。久子も持王丸とともに涙を流してこれを見守った。
大きな後ろ楯をなくした
北河内の津田荘で過ごしていた虎夜刃丸にも、早馬で美木多正氏の悲報が伝えられた。津田範高は取るものも取り敢えず、虎夜刃丸を抱えて馬に乗る。そして、二人の郎党とともに、夜通し馬を走らせて、千早城に入った。
虎夜刃丸が本丸の陣屋に入ると、
「五郎叔父、五郎叔父、五郎叔父っ」
陣屋に駆け込んだ虎夜刃丸が、顔をくしゃくしゃにして、横たわる正氏を揺さぶった。
河内の
遺体にすがって泣く虎夜刃丸の姿は、再び一同の涙を誘った。
翌日、身内だけで読経を唱え、美木多正氏の亡骸を千早城の裏手に埋葬した。
虎夜刃丸は明王丸と並んで墓に手を合わせる。墓と言っても墓標となる丸石を二つ重ねただけのものであった。
皆の前に広がる枯色が、心の色も枯れさせる。
突然、墓に手を合わせていた持王丸が、
「兄者、わしも早く元服し、武将となって兄者を支えるぞ。我らで楠木を立て直そう」
弟に悟られたかと、
それを見て、
「多聞の兄者(
「わしもじゃ。多聞の兄者」
すると、虎夜刃丸も立ち上がり、恐る恐る
「わしもじゃ……でも、わしは津田の家に入った……それでも、わしも楠木の者でよいのか」
「お前も立派な楠木の男じゃ。虎を必要とするときは必ずやってくる。そのとき、わしが津田の父上にお願いして、必ずや呼び戻そうぞ」
その言葉に虎夜刃丸は安堵の表情を見せ、うんっと大きく頷いた。
早く武将となって、
河内国はその大半が、足利方の守護、細川顕氏の支配するところとなった。楠木党はわずか、赤坂から千早のあたりにのみ、押し込められてしまった。しかし楠木
延元三年(一三三八年)が明ける。この年、吉野の朝廷を次々と不幸が襲う。
三月二十一日、参議の
帝(後醍醐天皇)の後を追って吉野山へ入ってから、一年と少し後のことである。虎夜刃丸らにとっては、楠木正成を死地へ追いやった張本人であった。しかし、帝にとっては忠実な近臣であり続けた。言うまでもなく、帝の悲しみは大きかった。
次なる不幸は、吉野の朝廷にとって希望の星であった
前年八月に、万をも超える大軍を
休む間もななく一月には鎌倉を出立し、激烈な戦を行いながら伊勢から伊賀を経て二月には大和に入る。
しかし、大和街道で上洛を阻まれた顕家は、河内・和泉へと転戦し、在地の国人たちを従えて北へ進撃。足利方と一進一退の攻防を繰り広げた。
だが、河内・和泉守護の細川顕氏と、足利家執事の
五月二十二日、雪辱を誓った顕家は、
一方、
前年には、拠点とした越前の
この時、
味方を募るために
そして、この年の
吉野の帝(後醍醐天皇)のために、最後まで忠義を貫き通したが、その忠義は報われることはなかった。
新田義貞が
その
これで、帝の
八月十一日、足利尊氏が京の帝(光明天皇)から征夷大将軍に任じられる。
すでに
九月に入ると、吉野の帝(後醍醐天皇)は挽回を図るため、自らの皇子を各地に差し向ける。かつて、
第四皇子の
さらに帝は、越前国の
吉野朝廷の延元三年は、こうして暮れていった。
翌、延元四年(一三三九年)、今度は不幸が、吉野の帝(後醍醐天皇)自身に、病となって襲い掛かった。
七月も終わりの頃、午後に現れた入道雲が炎昼の情景を一変させる。夕立が、
病に犯された帝は熱にうなされ、過去の記憶と夢が交差する。
「……いまだ、
激しい雨音は、かつて隠岐の島から漕ぎ出た舟の上へと帝を誘った。
「お、
阿野
「
「おお……
薄目を開けた帝の
前年、親王は関東支配のために、
正気を取り戻した帝が、言葉を絞り出す。
「
「何を弱気なことを仰せになられます」
「いや、よいのじゃ……このようなときに
「
八月十五日、吉野山に沸き立った山霧が、幾重にも重なる山稜を際立たせた。
この日、吉野の帝(後醍醐天皇)は、いよいよ最期の時を迎える。
「
朝敵
混迷
南北朝時代と、虎夜刃丸こと楠木正儀の人生は、まだ始まったばかりであった。
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