第37話 歌合
文中三年(一三七四年)六月十四日、京の都は
あちこちの神社では
十七歳となった将軍、足利義満が、義母の
広大な
中央の一段高い席に腰を据えた義満の隣には、実母の北向禅尼ではなく、前将軍の正室、大方禅尼が当たり前のように座る。
「ここに入道殿が
つい、大方禅尼の口を衝いたのは、前年に亡くなっていた京極道誉のこと。生前、
舞台中央で挨拶する観世大夫を指差して、義満が照禅を呼び寄せる。
「あの者が、
「はい、道誉殿によると、河内守(正儀)の叔母の子ということにございます。されど、京はいまだ楠木を憎む公家や武家も多く、楠木との
「ほほほ、それは、仕方がないことじゃ。のう義満殿」
大方禅尼に口を挟まれるまでもなく、楠木へのわだかまりが簡単には払拭しないであろうことは、若い義満にも十分に理解できた。
『松に吹きくる 風も狂じて 須磨の高波 はげしき夜すがら
笛・
演目が進み、義満が食い入るように見るその先には、舞台の上で舞う十二歳の
「何と美しい少年じゃ……」
義満は、観世大夫の完成された
将軍の左右には、幕府
正儀が座るのを待って、義満が前のめりになる。
「
「はっ。
「左様か。それで、南主と
長慶天皇が
一瞬、正儀が口籠ると、すかさず頼之が代わる。
「南の帝(長慶天皇)と
「あ、いや、真偽のほどは……南主は
伏し目がちに正儀が応じた。やはり、南朝の恥態を
「では、南主が退位し、
噛んで含めるように、照禅が念を押した。
「御意。されど、南の帝(長慶天皇)の後立てとなっている北畠軍の力は
【本作では権限のない名目的な他国の国守と区別するため、北畠家の
細川の守護国でもある伊勢の話に、頼之が頷く。
「左様、北畠軍は上皇様(
「おそらくは幕府の威信を落とし、諸将の乱れを誘うのが目的」
正儀の解釈に、義満が興味深く頷く。
「左様か。武蔵守(頼之)、大軍を送ることができるか、一度検討してみよ」
「御意」
深謀遠慮とは言えないが、若い将軍を立てて、頼之は頭を下げた。
「河内守、他の南軍はどうじゃ」
「河内・和泉の豪族たちへ、幕府に帰参するよう説得を続けております。昨年九月には
「うむ、
「ははっ」
傍らの頼之や照禅の顔色を
山々の緑も濃くなった五月、橋本
だが突然、十数人の百姓たちがいきなり、
「百姓ではないな、何者だ」
良宗が叫ぶと、百姓たちは頬かむりをとって顔を
「わしじゃ、太郎(
その頬かむりの下から現われたのは、正儀の顔であった。
「お、叔父上……」
正儀の左右には聞世(服部成次)とともに篠崎正久が立っている。
「太郎兄者、このような形でお会いすることになり、申し訳けござらん」
義弟が、神妙な顔で頭を下げた。
橋本党の若い供廻りたちが応戦しようと刀を抜くが、良宗が両手を広げて間に入る。
「やめよ、やめよ、刀を収めよ」
「そうじゃ、この者どもはわしらに危害は加えぬ。安心しろ。この者と話がある。お前たちはしばらくここで待っておれ」
供廻りの者たちを良宗に預け、
「叔父上(正儀)の話はわかっております。されど、それがしは帝(長慶天皇)より、河内・和泉の守護を任じられている身の上」
「太郎、そう結論を急ぐな。しばらくぶりじゃ。そなたとゆっくり話がしたい」
ひょうひょうとした口調で言葉を返しながら、正儀は腰を据えた。そして、続いて腰を下ろす
「それにしても、兄者(楠木
そんな正儀の態度に、
「叔父上、
「助氏殿が、そう申されたか……」
「その折、
「そうか、聞いたか……」
二人の間に沈黙が生じた。
一方、後ろに座った聞世と正久は、驚いて顔を見合わせている。二人とも知らぬことであった。
【注記:
「されど、叔父上が我が母とそれがしの間を割いたことに変わりはありますまい。それを聞いたところで、それがしの叔父上に対する思いは変わりませぬ」
「うむ、それで構わぬ」
「それがしは助氏殿を恨みはせぬが、その祖父、助家が幕府に通じていなければ、父(
そう言うと、
「いや、兄者はいずれにせよ、討死したであろう。それは、兄者自身が討死を決意していたからじゃ。兄者は
「父は、自ら討死を望んでいたと言われるか」
「お前の父ばかりではない。次郎兄者(楠木正時)や従兄弟の
当時を思い出すように、正儀は目を閉じた。
「なぜ、そのような事を」
「自らの死を見せつけたい相手がおった……ということか」
意外な返答に、
「いったい誰に」
「わしはお亡くなりになる前の北畠
「父は
「いったい誰のための戦であったか。先帝(後村上天皇)の
「それで、負けると判った戦に出陣し、無理を強いた
「どう思うかはお前の勝手じゃ。されど、わしは兄者や父上の死を無駄にしたくないと思うた。是が非でも、君臣和睦を実現し、兄者や父上、そして先帝の墓前に報告したいと思うておる」
「それが叔父上の君臣和睦……」
その思いに、
二人の間に格子を通してじわじわと蝉の声が通り抜ける。
しばらくの沈黙の後、正儀が立ち上がる。
「太郎に会って語りたかったのはそれだけじゃ。では、わしは戻る」
「叔父上、それがしに幕府への帰参を求めぬのですか」
「わしが言いたいことはすでにお前には伝わったはず。後はそなたが考えることじゃ」
そう言うと、正儀は聞世とともに外に出て陽ざしを受ける。正久は義兄、
南朝側の河内・和泉の守護であった橋本
正儀は、強硬派の和田正武こそ、河内との
また、河内においても、
両国の年貢や、堺浦など交易の拠点も失い、南朝の財政はよりいっそう厳しいものとなる。畿内の他の領国といえば、伊勢半国と紀伊国、あとは吉野郡など山深い大和南部のみであった。
正儀と細川頼之の次なる狙いは紀伊国である。南朝の台所事情は、いまや紀伊の年貢にその大半を頼らざるを得ないからであった。紀伊の諸将が幕府に帰参すれば、さすがに強硬な帝(長慶天皇)といえども、和睦せざるを得ないであろうと考えてのことである。
早速、正儀は紀伊の南朝方、湯浅党の湯浅
同じころ、
この事態に、右大臣の北畠
冠に
「
一見、見当違いのようではあるが、正澄も
「はっ。それがしも昨日聞いたところです。おそらく我が兄、正儀が幕府に引き込んだのでしょう。身内の不祥事、まことに申し訳ありませぬ」
「まさか、そなたも我らを裏切るのではあるまいな」
頭を下げる正澄に、
「
見かねた正武が口を挟んだ。
「そなた、本当に兄と通じておらぬのじゃな」
「
ならばと
「河内・和泉の守護を早急に決めねばならん。
すると、正澄は神妙な顔つきで頭を上げる。
「それがし如きに守護など……この上もなきありがたき話なれど、楠木正成の血筋を重んじるのであれば、どうか、東条の
【注記:本作の東条は、佐備川流域の旧東条村一帯だけではなく、当時、指し示していたとの説もある東条川(千早川)流域の赤坂や水分までを含む西条川(石川上流)東側の広域としている】
しかし、
「それはならぬ。正勝は憎き正儀の嫡男じゃ」
「されど、それがしとて正儀が舎弟。
「いや、正勝の母は
かつて、一の宮の
そもそも、
甥の任官が無理だと悟った正澄は、話を受けるしかない。
「承知つかまつりました。慎んでお受け致します」
「うむ、殊勝な心掛けじゃ。
「名……でございますか」
「そうじゃ。正澄という名は、憎き正儀が付けた名であろう。
最初の
「我が
「は……ははっ」
橋本
兄が与えてくれた名を捨てることは、正澄には辛いことである。しかし、この場においては、その
正澄が退席しても、正武は
「小太郎殿……いえ、
「将来のことを考えてのことじゃ。正勝が守護となれば、伊予守は正勝を支える。楠木家は正勝の子の代となっても安泰じゃ。逆に伊予守が守護となった場合はどうなるか。伊予守にも子がおろう。伊予守が亡くなった後は、必ずや伊予守の子と正勝との間で争いが起こる。楠木は大国河内と和泉二か国の大名じゃ。あまり力を持たせ過ぎぬよう、今からでも火種は残しておくべきなのじゃ」
北畠親房譲りの
翌々日、楠木正澄は早くも
正儀は、幕府に伏した橋本
「ここが叔父上の新たな城ですか」
「うむ、いまだ、
正儀は久方ぶりの笑みを
「叔父上(正儀)は、それがしや美木多助氏殿に対しては積極的に幕府に帰参を求められました。なのに、持国丸、いや、小太郎(楠木正勝)に帰参を求めていないのはなぜにございますか」
「小太郎と相対するのは真に辛い事じゃ。小太郎や四郎(楠木正澄改め正顕)が一緒に
「……というと」
「わしは先帝(後村上天皇)の血脈をお助けするために、幕府に伏した。されど、常に、
「では、なぜ、それがしにその役目、求めませなんだ」
その問いに、正儀は
「もし、そなたが
正儀は、
「……小太郎には四郎がいてくれる。あやつなら、必ず、我が意を酌んで、
壮大な芝居に付き合わされていたのかと、
―― ひーひん、ぶるる、ひん ――
館の外に馬の
「うむ、来たようじゃな」
「叔父上、客人でござるか。
「うむ、もう直わかる」
そう言って、正儀は
しばらくすると、篠崎正久が客人を連れて、正儀らの前に現れる。
「父上、お連れしました。では、太郎兄者、それがしはこれで」
正久は、軽く
そこには、一人の侍が残された。
「そなたは……」
見覚えのある顔に、
「兄上、それがしが兄上とお呼びしてもよいのでしょうか」
「
血を分けた兄弟の、四半世紀を隔てた名乗りであった。
「こうして会うのは初めてであろう。ゆるりと話すがよい」
そう言うと、正儀は立ち上がって広間を出て行った。
その後姿を目で追った
「これまで、敵味方として
そう言う
「叔父上とは、懇意な仲であったのか……」
「いえ、それがしは、つい先日まで……いや、もしかすると今でも、楠木正儀を恨んでおりまする。されど、先日、あの者が
この年の初冬。
「かつてここが、焼け野原になっていたとはのう」
それは、
続いて一行は、後醍醐天皇の
寺を見下ろすように造られた
「もしや、
問いかけた男は
「いかにも
【注記:貴人の一人称として用いている「
親王は
「麿は、亡き
「そうであるか。そなたが
知っている名が出てきたことに、親王の表情が緩む。
「
正儀ら幕府軍が南朝の
「そのお話は後でゆるりと。ひとまず、我らが住まう
「何、
親王には全てが疑問であった。
「
「
そう言って、しみじみと頷いた。
後醍醐天皇の
『同じくは ともに見し世の人もがな 恋しさをだに 語りあわせむ』
見知った人が居なくなったと哀しみ、昔を
吉野山の
年が明ければ数えて二十六となる
「長きに渡る信濃での務め、
その言葉に
「もったいなき御言葉を
「信濃では、さぞかしたいへんな思いをされたものと存じます。これまでの宮様のご苦労、
「募る話もございますが、先に一つ、お教えください。なぜ、東宮様(
「ごもっともなことです。それは、麿からお答え致しましょう」
「そうであったか。天野はそのようなことに……あの楠木正成の息子が幕府に降ったと聞き、信じられぬ思いであった。なるほど、それで合点がいった。楠木は和睦を進めるために幕府に降ったというのじゃな」
「はい、その通りでございます。一旦、
「なるほど……」
「それ以降、我らと北畠卿はあらゆることで揉めておりました。そんな時、
今から十五年近く前、
「そなたたちが火を放った、ということではないのじゃな」
「滅相もございませぬ。誓ってそのような事はありませぬ」
いさかいは公家のみならず、南朝の武家をも巻き込んでいた。楠木一門においては、和田正武が帝を
続いて
「宮様(
「かたじけのうございます。こうして、
「かれこれ三十年以上も昔になりましょうか。宮様の教えは、今でもこの胸に、しかと残っております」
「そう、あれは
「
「いえ、期待に応えることができず、自らを恥じております」
「ところで、
残念そうに
すると、
「両方を止められないこと、母として申し訳なき限りです。先帝(後村上天皇)に何と言ってお詫びしてよいものか」
「
「先帝の
しおらしい
「そのように心を痛めておいででしたか……
そう言って、親王は
吉野山から
「
「うむ、ご苦労であった。して、そなたは」
「申し遅れました。
「そうか、貴公が花山院中納言……思い描いたとおりの男よのう」
その名に、
花山院家は学者であり、宮廷歌人の家柄である。実際に会うのは初めてであったが、歌人の長親とは遠く離れていても歌のやり取りをする仲であった。
『親のおやのためしをみつる我が身かな 君の君なる世につかうとて』
親王は一首詠んだ後に続ける。
「そなたが祖父の
長親の祖父の
「麿が送った歌で、宮様をお呼び立てすることになり、まことに申し訳なく存じます」
今の南朝を憂いた長親は、数首の歌に託して、
「いや、良いのじゃ。されど、まさか東宮(熙成親王)が、吉野山に出奔するまでになっていようとは……」
深刻な南朝の状況に、親王の表情は曇る。
「……東宮には既にお会いし、お話を伺った。この後、帝(長慶天皇)に拝謁し、お気持ちを確かめましょう」
「かたじけなくぞんじます。では早速、
ぎりっと口元を引き締めた長親に導かれ、
帝(長慶天皇)は燃え落ちた
帝の傍らには、関白左大臣の二条
平伏して帰還を報告する親王を気遣い、帝はその顔を上げさせる。
「
「まこと、宮様の御苦難には、ただただ頭が下がります」
神妙な表情で、二条
しかし、
「成果を上げることができぬままに、吉野(西吉野の
後醍醐天皇は、第十代
第四皇子の
第十一皇子の
第三皇子、
また、第一皇子であった
唯一、気を吐いたのが、九州へ向かった第八皇子、
「残念なことではあるが、関東も
「
そう言って、
帝はやや視線を落として沈黙し、
一方、右大臣の
「阿野大納言(
「左様でございますか」
親王は軽く聞き流しつつ、横目で皆の顔色を伺った。
場の空気を察して、花山院長親が話題を変える。
「
「おお、そうであった。
帝も和歌や
歌と聞いて、親王は微笑んで頷く。
「それでは
「おお、それはよい」
帝は
年が明け、文中四年(一三七五年)正月。
帝の
「これは一の宮様(
帝が目配せすると、意を汲んだ
「一の宮様は来月、
「ほお、それはめでたき事。喜んで引き受けましょう」
親王は口元をほころばせて快諾した。
「
「げにも。一の宮様にとって、これ以上の心強い御味方はありますまい」
帝は右大臣の
「後見……でございますか」
「光栄なことではございますが、
「信濃に戻られることをお考えか。そうか……それは残念じゃ」
帝は視線を落とし、落胆の表情を浮かべた。
「
答えを知っていたが、親王はあえてたずねた。
帝は昔を
「
「吉野山では、御院様にお会いしました。
すると、帝の顔に
「
阿野勝子は、煙たき
そんな帝の様子を見て取った
「ではどうでしょう。次の
親王は
これに、帝(長慶天皇)は即座に同意する。しかし、
それから
三月も終りの頃。三本の藤の木から垂れる花が、三条坊門の将軍御所を紫に染めていた。
この日、御所を訪ねて来たのは、北朝の先の関白、二条良基であった。良基は南朝の前関白である二条
案内された広間で良基が目にしたのは、わざわざ庭に向けて設けられた、一段高くなった上段の座である。にもかかわらず、広間と庭の間は、紙を貼った障子によって隔たれていた。良基はその様子に面食らった。
この部屋で良基を待ち受けていたのは、将軍の近臣、伊勢照禅(貞継)である。
「二条様におかれてはご機嫌麗しゅうございます。わざわざ足をお運びいただき、痛み入りまする」
「照禅殿、今日は面白い趣向があるというお話でありましたが、将軍殿(足利義満)はいかがされた」
「はい、すぐにお目通りに参ります。さ、こちらへ」
良基は照禅に上段の座を勧められる。腰を落ち着けるや否や、庭の方から笛や
「しょ、将軍殿、これは……」
驚くのも無理はなかった。義満は、紅の
「二条様、よく御越しいただきました。これより今、
義満はそう言って、
良基が声を上げる事さえ忘れていると、目の前の障子が閉まり、いったん義満を隠した。再び障子が空いた時には若女の面を着けた義満が、舞台の中央で、笛や
「な、何と……」
食い入るように、良基は義満の舞に見入った。田楽見物で目の
演舞が終り、義満が舞台の中央に座って礼をしても、良基は拍手を送る事さえ忘れ、ただ呆然としていた。
「二条様、いかがでございましたか」
義満の声に良基は我に返る。しかし、その声は舞台の上の義満が発したものではない。義満は、いつの間にか広間の端に座っていた。
「しょ、将軍殿、なぜそこに……では、あの者はいったい……」
良基の驚きように、義満は
「面を取るがよい」
「はっ」
能面の下から現れたのは、十三歳の鬼夜叉丸、観世大夫こと
「鬼夜叉と申します。以後、お見知りおきのほど、お頼み申します」
年若い鬼夜叉丸の色白で妖艶な美少年振りに、良基は息を呑んだ。
「い、いや、お見事であった」
少しずつ事態が呑み込めてきた良基は、ゆっくりと拍手を送った。
昨年の
「二条様、紹介しましょう。いま
義満の声に、舞台の袖から観世が現れる。そして、鬼夜叉丸の隣に座り、両手を突いて頭を垂れた。
観世も義満の目に適い、将軍御所に出入りできるようになっていた。そして、同じく御所に出入りしていた連歌師や絵師、仏師など当世一流の大家と交流を持つことで、一段と芸の幅を広げていた。
「二条様、お久さしゅうございます」
「はて……そなたと会うたことがあるか」
観世の問いかけに、良基は首をひねる。
「はい、今から二十六年前、四条河原の
「
「
良基は驚かされることばかりであった。
「二条様……」
呆気にとられる良基に、義満が声をかける。
「……二条様、鬼夜叉はもう直、元服を迎える歳。いつまでも鬼夜叉の名では、舞台にそぐいませぬ。何かよい名を
「そ、そうじゃな。鬼夜叉では
義満の願いに、良基はあたりを見渡した。すると、紫色に咲き誇った庭先の藤の花が目に飛び込む。
「うむ……藤若、ではどうじゃ」
「藤若でございますか。
「ははっ。ありがたき幸せに存じます」
義満の言葉に、鬼夜叉丸を改め藤若は頭を低くした。
「ふうむ……されど、天はよくぞこんな
溜息交じりに、所懐が良基の口を突いた。
この後、藤若は元服し、本名も
五月の京。ここは塩小路通りに面した渋川屋敷。管領細川頼之によって九州探題を解任された渋川義行の邸宅であり、
後任である今川了俊の活躍に気落ちした義行は、病に臥せるようになり、心配した叔母の禅尼が、度々顔を見せるようになっていた。
この日は、義行の見舞いに訪れた伊勢
侍女が
「そう言えば、照禅殿は
「左様、清盛公と我が祖、平頼宗は、天下之一物と呼ばれた
少し鼻を高くして、照禅が応じた。
「なるほどのう。伊勢氏と伊勢守は切っても切れぬ縁というわけですね。されど、今の世は、国守(伊勢守)というても名ばかり。守護でなければ、実利は得られませぬ」
年配の将軍
怪訝な顔を隠し、照禅は禅尼の言葉を繰り返す。
「実利……でございますか」
「伊勢の守護は、管領殿(細川頼之)が就かれた後、弟の満之殿に譲られました。この先も細川家が代々相続されるおつもりでしょう。残念なことです」
そう言って、大方禅尼は開け放たれた障子の間に広がる庭の緑に目を移した。
「大方様は、管領殿がお気に召しませぬか。主上(後円融天皇)への譲位のことも、九州探題のこともありました
「そのようなことは関係ありませぬ……ただ、管領殿は四国を丸ごと手中に収め、備後の守護にも就かれています。執事や管領が力を持ち過ぎると幕府が揺らぐ……将軍にとっての鬼門じゃ。伊勢一国くらいは照禅殿が守護になっても良ろしかろう」
そう言って禅尼は、にこりと笑顔を見せた。
「それがしに何をせよと言われますか」
「将軍のお傍にお仕えする者として、様々な声を義満殿にお伝えする。ただそれだけのこと。さすれば、伊勢家にとっても、きっと良いことがありましょうぞ」
「様々な声……」
「そう言えば、楠木は相変わらず、皆から嫌われておるようじゃな」
愛嬌のある大方禅尼の笑顔が、一瞬、冷たい笑みに変わった。
緑が眩しい六月の
久方ぶりの大掛かりな催に、帝(長慶天皇)や
吉野山からは
歌合の前に、宗良親王が穏やかな顔で両者の間を取り持つ。
「
この日を迎えるにあたり、中納言の
幾分か表情の硬い
その
しかし、女院の叔父である阿野
それでも淡々と会は始まる。
まず、左側に帝(長慶天皇)、
一方、右側には東宮(
そして、中央には判者の
まず帝の
『教へおきし あとにまかせむ玉敷の庭の夏ぐさ ことしげくとも』
強硬派の公卿たちから、おおっと感嘆の声が漏れた。
これを
「まことに持って、夏の風情が目に浮かびまする。『ことしげく』というお言葉の後に、蝉の鳴き声が聞こえて来るようです。初句も良いのですが、別のお言葉に置き換えても、また歌のよさが引き立つかと思われます」
「それでは右手からも、ご披露つかまつりたく存じます。では、東宮様、よろしいでしょうか」
公正に振る舞う宗良親王の呼び掛けに、
すると、実為が、こほんと小さく咳払いしてから口を開く。
「今日、ここにおられるのは東宮様にあらず。源
歌に長けた帝に対しての、ささやかな抵抗である。宗良親王の言う通り、この日の歌が後世にまで残るのなら、歌の優劣も後の世に伝わってしまう。
「東宮様、それは如何なものでしょう。春宮(東宮)御歌として、お名前を刻んでこその、今日の歌合ではありませぬか」
今日のことを歴史に刻みたい北畠顕能は気色ばんだ。
「右府(右大臣)様、東宮様は今日のめでたき日を、名も知られぬひとりの者として楽しみ、皆と親睦を図りたいと仰せです」
阿野実為が
「源
突如、帝が口を開いた。
「……
帝は、母とも姉とも慕う
これに、宗良親王も真意を汲み取って頷く。
「それでは源
『あかさりし 花のかたみと成にけり 青葉の山の峰の白雲』
詠み手から歌が披露されると、こちらの歌にも、負けじと和睦派の面々から、うぉぉと感嘆の声が上がった。
宗良親王は闘歌と言いつつ、折り合い処を探して批評し、双方の面目を保った。
緊張した
「初夏のよき日和の中、ここ
そう言うと、
『君をのみ たのむ吉野の宮人の 同じかざしは桜なりけり』
『古郷は 恋しくとてもみ吉野の 花のさかりをいかが見捨てむ』
一首は帝のもとで吉野の廷臣たちの団結を求める歌。もう一首は吉野山を見捨てることはできないという気持ちを詠んだ歌である。強硬派と和睦派の和合と、
七月、京の都は、
その義満の
「
「照禅殿、
そう言ってから義満に顔を戻す。
「……畠山らは、和睦が進むのが困るのです。奴らは
南朝攻略は正儀に任せると言っていた義満に、頼之は理解を求めた。
事実、畠山基国ら幕府の諸将は、頼之と正儀が進める南朝諸将の幕府帰順の動きを
「武蔵守(頼之)、されど、
不満顔の義満が照禅に目配せする。すると、意を汲んだ照禅が頼之に迫る。
「
そう言って、照禅は口元に不敵な笑みを浮かべた。
その表情に、頼之はしまったと心の中で呟く。照禅は諸将と通じている。その背後には
「武蔵守、畠山を紀伊攻めに向かわせよ。これは将軍の
義満の
「紀伊攻めの件、承知つかまつりました。されど、畠山殿らはそれがしのおよび腰の態度に対する不信から糾弾におよんだとのこと。それがしも汚名を晴らしとうございます。まずは、我が一族で紀伊へ出陣いたしましょう」
最もな意見に聞こえるが、畠山ら諸将を介入させないのが目的である。基国らが出陣して
「うむ、そうするがよかろう」
義満にとってはどうでもよい話であった。首を縦に振って快諾する義満に、照禅が慌てる。
「御所様(足利義満)、ここは……」
「御所様、ありがたきご配慮、痛み入ります。では、さっそく紀伊攻めの手配を致しますゆえ、それがしはこれにて御免」
言葉を被せて、そそくさと立ち去る頼之を、照禅は苦々しく見送った。
この後、頼之は、正儀に書状を送って紀伊攻めを知らせるとともに、一族の細川
河内の中央に位置する平尾城。紀伊を武力で攻略するとの幕府の方針変更に驚いた正儀は、すぐさま、重臣、河野辺正友、猶子の篠崎正久、津田正信らを集め、頼之の書状を見せた。
書状に目を通した正友が、むっとした顔を上座の正儀に向ける。
「これまで、幕府は調略によって、紀伊の諸将の帰参を待つということだったではござらぬか。管領殿(細川頼之)は、いったい何を考えておるのか」
「管領殿も苦渋の決断のようじゃ。これには、諸将を押さえるためにはやむを得なかったとある。真面目なだけに敵も多い」
正儀は、自身の有り様を頼之に写していた。
心配そうに、正久が口を開く。
「父上、それで、この後、いかに」
「兎に角、湯浅党じゃ。湯浅党を味方に付けぬ限り、紀伊は変わらぬ」
「されど、主だった湯浅の者共に書状を送って帰参を呼び掛けておりますが、誰からも返事はございませぬ」
そう言って、正信が口をぎゅっとつぐんだ。
四条隆俊の配下であった湯浅党は、幕府方となった正儀に、幾度となく戦いを挑み、互いに多くの死者を出した間柄であった。
焦りの色を隠しきれない正信に、正儀は静かに目を閉じて腕を組んだ。
八月十一日。幕府の紀伊攻めが迫る中、病床にあった先の九州探題、渋川義行が、二十八の若さで亡くなる。これに、叔母である
嫡男の千寿王を無くしてからは、兄の子である義行は、足利義満と共に、愛情を傾けた存在であった。
禅尼の悲しみは、管領、細川頼之ばかりか、盟友の正儀へも黒い影を落とすこととなる。
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