第38話 楠木討伐
天授元年(一三七五年)初秋、
船団を率いるのは細川
紀伊攻めを避けたいと思う正儀であったが、頼之の苦渋の決断に反論することもできず、仕方なく堺浦に出向いて
「総大将殿(
「これは
船から降りた
「紀伊の様子はいかがか」
「それじゃが、今しばらく、紀伊討伐をお待ちいただけぬか。湯浅党には、幕府への帰順を説いております」
「ん、和睦とは聞いておらんな。
「承知しております。されど、戦をせずに紀伊が平定できれば、総大将殿とても、手間が省けましょう」
「いまだ降るかどうかわからんのであろう。和睦を待って湯浅が降らねば、無駄に時を費やしたわしは、将軍より叱責を受ける」
そう言って、
「ならば、討伐までに湯浅が幕府に帰順すれば、戦は避けられましょうな」
「う、ううむ、そういうことになろうが、出陣までに
にやっと表情を緩めた
「そうじゃ、後で紀伊攻めの布陣を申し伝えるので、そなたから和泉の諸将に伝えていただきとう存ずる」
「和泉の諸将とは、新たに参じた者どもも含めてでござるか」
正儀は、甥の橋本
「当然でござる。新たに帰順した者たちこそ、幕府への忠節を示してもらう必要があろう」
そう言って、薄笑いを浮かべて立ち去る。
(もう、一刻の猶予もない)
正儀は、その後ろ姿を目で追いながら、眉間に深い皺を作った。
紀伊の湯浅党は藤原北家、秀郷流の大族であった。だが、惣領家の力は弱く、一族の有力者が寄合で物事を決めていた。
その宗隆に会うべく、正儀は聞世(服部成次)と嫡男の服部
湯浅宗隆は、正儀の求めに渋々応じ、紀伊国の
中は扉を閉ざすと薄暗い。正儀は目を慣らしながら、宗隆の前に座る。
「これは湯浅殿、このようなところまで、申し訳ござらぬ」
労いの言葉にも、宗隆は無愛想に応じる。
「楠木殿、このようなことは、これ限りにしていただきたい。知らぬ仲ではないので応じたが、すでに敵味方として戦をした
「申し訳けない」
宗隆が、詫びる正儀の隣に座った男に、ふと目を向ける。
「
目を丸くして、宗隆は声を上げた。
そこには、南朝の
驚く宗隆に、
「しばらく振りです」
「幕府に降ったと聞いておったが、おめおめと正儀殿に付いて参ったか」
自らの前に座ろうとする
「楠木殿、わしは幕府に降るつもりはない。今日は、わしの口からそなたに直接伝えるために来たのじゃ」
「湯浅殿、聞いてくれ。我らがここに来たのは、なぜ我らが幕府に参じたのか、その理由を知ってもらうためじゃ」
いきり立つ宗隆に、正儀は冷静に呼びかけた。
「理由じゃと」
「そうじゃ。このままでは滅びゆくであろう朝廷(南朝)と帝(長慶天皇)をお助けしたいのじゃ」
「幕府に降っておいて、朝廷を救いたいとはどういうことじゃ」
片眉を吊り上げ、宗隆は
「早かれ遅かれ、
不審な顔つきの宗隆へ、正儀は
南朝方の諸将を討伐せず、幕府に帰参させることこそが重要であった。それは、南北両朝の統一後に、南朝の帝を支える勢力を幕府の中に作り、両統
「ううむ」
話を聞いて宗隆は唸った。
その様子に、
「湯浅殿、それがしとて迷った。北畠右大臣(
「むう……」
宗隆は
「そなたたちのいうことはよくわかった。理にかなった話じゃ。されど、わし一人では決められぬ。一族に諮りたい」
「急いで下され。時はない。細川|業秀が兵を進めるまでに」
正儀は期待を込めて応じた。
紀伊は内大臣、四条隆俊の影響下にあったが、その隆俊が討死したことで、諸将の
幕府側の条件を受け、宗隆は郎党たちと
これを正儀は、希望を持って見送った。
九月、未だ湯浅宗隆からの返事を得ることができない中、総大将の細川
湯浅党の本拠地である紀伊国有田郡まで進んだ幕府軍は、長い隊列のまま、それぞれに宿営の陣を張る。正儀の楠木軍は、
直後に、早馬が
「父上、湯浅宗隆殿より書状が届きました」
津田正信が書状を持って
「父上、何と書かれております」
「うむ。湯浅一族は幕府に帰順する決心をしたようじゃ。これで戦は避けられる」
四条隆俊が討死して以降、紀伊の諸将に
気負いを払った正儀は、ふうっと息を吐き、肩の力を抜いた。そして、自ら馬を駆って総大将、細川
討伐軍が本営とする陣屋に入った正儀は、
「細川殿、湯浅一族が、幕府に帰参すると書状を届けて参った」
「まさか……本当か」
その一報に、
そこに、正儀が釘を刺す。
「これで、戦は避けられましょうな」
「うむ……まあ、仕方ないのう」
総大将の回答を得た正儀は安堵し、ひとまず自軍の宿営に戻った。
その日の夜のことである。有田郡湯浅荘にある湯浅氏の本城、湯浅城で火の手が上がる。
後方に配した正儀の宿営にも微かに怒声が届いた。
「いったい何があった」
寺の
「申し上げます。橋本
正儀は愕然とする。戦は避けられたはずであった。だが、現実は戦いが始まってしまった。
事は正儀の知らないところで起こっていた。討伐軍の総大将、細川
先陣を
一方、湯浅城には、湯浅一族に和睦を
自らが抜いた短刀に、宗隆は鬼の形相を写す。
「和睦は我らを油断させるための策であったのか。おのれ、橋本
湯浅一族と正儀の間を取り持った宗隆は、一族に対し面目を失った。もはや自分自身でけじめをつけるしかなかった。
翌二十五日の朝が明ける。橋本
「殿(
近臣の和田良宗の声に、
「宗隆殿……すまぬ……すまぬ……」
和睦を結ぶつもりで、少しの守備兵しか配置していなかった湯浅党は、突然襲ってきた圧倒的な幕府軍の前に、成す
亡骸を前に立ち上がった
天授二年(一三七六年)、年が明けて十五歳となった正儀の次男、如意丸は、赤坂の楠木館で元服し、楠木小次郎正元と名を改めた。
元服式が終わり、正元は母、徳子らの前で、両の拳を床に付き、頭を低くする。
「楠木の名に恥じぬよう、
「小次郎、これであなたも一人前です。期待しておりますよ」
そう言って、徳子は顔をほころばせ、
傍らに座る侍女の
「ほんに立派な小次郎様。この晴れ姿を殿様(正儀)にお見せしとうございましたな」
「
この日、徳子は努めて笑顔を絶やさなかった。
夜、徳子は
その手紙が平尾城の正儀の手元に届く。久方振りに見る徳子の文字に、正儀は
この年、桜の咲くころを待って、帝(長慶天皇)が、先帝(後村上天皇)の九回忌法要を行うべく吉野山に
幕府軍との戦や、帝と
だが、
吉野山に入った帝は、二十八年ぶりに
仲介役の
「
そう言って、七つ年下の弟が、兄である帝の前で、ゆっくりと頭を下げた。
「
方や、帝の
そして桜が満開となった三月十一日、吉野山の
親王は法要の実現に向けて奔走し、施主を、先帝の側近で先の
法要には、帝と
たくさんの僧侶たちによる
『四つの時 九かへりになりにけり 昨日の夢と驚かぬまに』
続いて
『幾春と散りて見すらん つらかりし花も昔の別ながらに』
これに、施主である
『慕えども 見し世の春は移りきて 徒なる花に残る面影』
法要が終わると、右大臣の北畠
「
「
当たり
「御子息、北畠
かつての
「これは、大納言殿(阿野
表面上の言葉とは裏腹に、互いの目は相手を厳しく牽制していた。そんな
「紀伊の湯浅城に幕府の細川
「直に、幕府方の守護は紀伊から居なくなるでしょう」
口元に笑みを浮かべ、
すると、
「麿のように、
ふふっと顕態が頬を上げる。
「先月には、東国の
特段、根拠のある話は出て来なかったが、知謀の
「また
「はい、来月、新しい
五百番
「今度は、どのような名が良いかのう。
親王は平静を装い、切り返した。
これに
苦悩の紀伊討伐から解放された正儀は、
五歳になった
「父上(正儀)、これを」
「殿様(正儀)、
「うむ、たくさん書いたのう。これなどは、なかなかのものじゃ」
南朝対策に奔走する正儀がこの館に顔を出すのは、月に一度であった。
顔に墨を飛び散らし、
「すまぬのう。わしが平尾城に移ってから、そなたにも
「よいのです。殿様(正儀)は、われらのことをお忘れになることもなく、こうして来ていただけますもの」
夏も盛りの七月、正儀は近習を連れて、幕府
頼之が、先に部屋で待っていた正儀の前に座る。
「河内守殿(正儀)、
しかし、頼之の計略で、大内と山名が幕府に帰参すると、
「そうですか、あの
人の世の無常を感じざるを得なかった。幕府に、並々ならぬ憎しみを抱いていた
「
「御所様(足利義満)にはそれがしから、死罪を免じ、そのまま
「それはよいお考えです」
正儀は胸を
できる事ならば、幼き日の虎夜刃丸に優しく接してくれた尊氏を、
「河内守殿……」
「は、何でございましょう」
「このところ、
湯浅党の攻略以降、正儀は
それに伴い正儀は、頼之から河内・和泉の領国経営にのみ、力を入れることが求められていた。領国経営とは言っても、横領する者の取り締まりなどである。正儀は、
「これも、それがしが板挟みにならぬようにと
正儀は頭を下げた。しかし、頼之は申し訳なさそうな顔で、正儀から視線を外した。
年が明け、天授三年(一三七七年)の正月。三条坊門の将軍御所は、色とりどりの
年賀の挨拶で朝から押し寄せた、たくさんの公家や守護大名が、広い控えの間を埋め尽くしている。
「新年おめでとうございます。御所様(義満)におかれては御機嫌麗しく、恐悦至極に存じます」
「うむ、基国も息災で何よりじゃ」
素っ気ない受け答えであった。延々と来訪者の挨拶を受ける義満も大変である。基国の番にもなると疲れ果て、特に話題を振ることもしなかった。
「いえ、それがし、最近、身体が動かなくなり、困っております」
「どうかしたのか」
意外な返答に、義満の瞳に微かに正気が戻った。すると、基国は待ってましたとばかりに頬を緩める。
「いえ、身体が鈍っておるのです。戦に出ることもめっきり少なくなりましたゆえ。されど、戦しか能のない男はやることがなくて困ります。いっそ、関東にお戻しいただけぬかと思うたりもしております」
そう言うと、基国は義満の
「畠山殿、何を仰せじゃ。若い御貴殿には、まだまだ働いてもらわなければなりませぬ。
先代、足利義詮の正室であった禅尼は、この年賀の場でも、しっかりと存在感を示していた。
「年も明け申したが、
勇ましい言葉に、大方禅尼が感心する。
「何とも頼もしき言葉じゃ。のう、
そう言って、傍らに控えた伊勢照禅(貞継)に目配せする。
「本当にそのようなことができまするか」
「お任せあれ」
芝居がかった照禅の問いかけに、基国は当然といった表情を見せた。
幕府内では頼之らの和睦派と、大方禅尼を後ろ盾とした強硬派の争いが日増しに酷くなっていた。
強硬派の基国は畿内の大国である河内国を虎視眈々と狙っていた。元々、幕府側においては畠山家の守護国である。しかし、河内国を手中に収めるためには、守護の正儀は当然として、後ろ楯の頼之も邪魔な存在であった。
また、照禅は将軍の近臣に甘んじている伊勢氏の地位を上げることを欲している。禅尼に煽られた照禅は、頼之と正儀への批判的な態度を隠さなくなっていた。
平清盛と同じ伊勢平氏(桓武平氏の一流)の系譜である照禅は、征夷大将軍を輩出する河内源氏(清和源氏の一流)と並び立つ、かつての名族の血を受け継いでいる。照禅に残された道は、幕府内部から権力を握ることである。源頼朝のもとで力を蓄え、執権政治を行った北条義時のごとく権力を得るには、幕府
「御所様、どうでしょう。
「なるほどのう。
照禅の誘い水に、大方禅尼が口裏を合わせた。
まだ若い義満であったが、頼之と強硬派との間に緊張があることは十分にわかっており、慎重に様子を観ていた。が、
「わかった照禅。
「はっ。承知つかまつりました」
「ありがたき幸せにございます」
薄く笑みを浮かべる大方禅尼の前で、照禅と基国は、義満に深く頭を下げた。
二月、幕府
平尾城の正儀の元には、細川頼之から河内討伐に至った経緯と、伊勢照禅(貞継)の進言を制せなかった事を詫びる書状が届いていた。
これを見て正儀は腹を
もう一人の
「父上、本当に我らは小太郎兄者(楠木正勝)らを攻めねばならんのですか」
「六郎(正信)、そうならないよう、父上はこうして皆を集めたのじゃ」
すかさず、義兄の正久が正儀を代弁した。
「うむ、二郎(正久)の申す通りじゃ。されど、事はそう簡単ではない。一に小太郎(楠木正勝)らと戦う事なく、二に千早城が落とされる事もなく、三に河内国を欲する畠山(畠山基国)に
指を折って、正儀は課題を明らかにした。
しからばと、正久が進言する。
「仁王山城の叔父上(楠木
「ううむ、四郎(正顕)が了承しても、小太郎(楠木正勝)や小次郎(楠木正元)が納得せぬであろう。それに、楠木がこうして双方に別れて河内国にいるからこそ都合のよいこともある」
正儀の言葉に、津熊義行は腑に落ちない表情を浮かべる。
「どういうことにございます」
「我らの大儀は君臣和睦、南北合一じゃ。
「されど、殿、この危機をどう乗り越えてよいものか、皆目、検討がつきませぬ」
家臣の筆頭、河野辺正友が諦め顔で
目を閉じて腕を組んだその姿を、正友らは
「よし」
くわっと正儀の目が開いた。一同は正儀の策を食い入るように聞いた。
二月中旬、畠山基国が兵を率いて河内国に進軍する。正儀は、基国が陣を布いた河内国
「越前守殿(基国)、遠路、ご苦労でございます」
「河内守殿(正儀)、
若く血気盛んな基国であったが、ここはやんわりと正儀に対した。
「お心遣いありがたく存ずる。されど、これはそれがしにとっても、契機にござる。越前守殿(基国)と
「い、いや……」
自ら先陣を申し出た正儀に、基国は慌てる。基国にとって、この度の戦は、河内を己のものとする一里塚である。先陣の正儀に
「……楠木殿を身内と戦わせるのは忍びない。先陣はそれがしが承ろう。楠木殿は逆に我が軍の背後から支えていただきとうござる」
「いや、されど、それは……」
納得しかねる表情を作って正儀は反論を試みる。が、最後は基国に押し切られる
次に正儀は、平尾城に戻って
畠山基国は、摂津を南下してきた大将の細川頼元、赤松光範ら諸将と合流し、赤坂を無視して一気に千早城に進軍する。この日は時折、千早城から兵が出て幕府軍を制する動きがあったものの、さしたる戦に発展することもなかった。
気をよくした基国は千早城を取り囲むが、堅固で険しい山城は、畠山勢に付け入る隙を与えなかった。
畠山基国が、大将の細川頼元を促して軍議を開く。そこには、ともに攻め手に加わった正儀の姿もあった。
陣幕の中、
「さて、どのように攻めるかじゃが……ここは千早をよく知る河内守殿の話を聞こう」
「千早城は我が父、正成が造った難攻不落の山城にござる。元弘の戦のことは、おのおの方もよく存じておられよう。鎌倉幕府はこの数のおよそ十倍の兵で取り囲み、それでも楠木軍五百は数カ月持ちこたえました」
「そのようなことはわかっている。どうやって攻めるのかを聞いておるのじゃ」
元来、楠木嫌いの基国は
「楠木の者しか知らぬ城内へと続く山道があります。ここから攻めればもしかすると……いや、されど、危険もあるゆえ……やはり、ここは取り囲んで長期戦で攻めるのが得策かと存ずる」
悩み顔を浮かべた正儀が、消極的な意見を口にした。
「そのように悠長なことはやっておれん。城内に続く山道があると申したな。そこを攻めようではないか」
「罠も多く仕掛けられておるので、よくわかった者でないと危のうござる。であれば、われら楠木勢が攻め込み、城内を崩してご覧に入れましょう」
「おお、河内守殿(正儀)、それはよい。身内との戦で辛かろうが、ここは楠木殿の領国じゃ。河内守殿(正儀)にお任せしよう」
すぐに頼元は正儀の意見に賛同した。
しかし、河内を我がものにしたい基国は慌てる。
「い、いや、楠木殿を身内との戦に巻き込まぬよう、我が畠山勢がその道を通って攻め込むことにしよう。河内守殿(正儀)は、それがしに、抜け道と罠を教えていただきたい」
正儀はためらう素振りを見せた後、折れて基国に役目を譲った。
畠山基国は精鋭三百を、城への抜け道に送り込んだ。しかし、千早城の楠木勢はあざ笑うかのように、その抜け道に兵を集中して、畠山勢に襲い掛かった。結局、畠山の精鋭は、千早城の防御を崩すことができず、多くの負傷者を出して撤退せざるを得なかった。
本陣に戻ってきた畠山の郎党が、片ひざ付いて味方の被害を報告した。すると、基国は、ぎろっと大きな眼を正儀に向ける。
「抜け道ではなかったじゃと……河内守殿(正儀)、我らをたぶらかしておるのではなかろうな。本当にこれが抜け道なのか」
対して、正儀も
「少なくとも、わしが知っていることは全てお話した。抜け道はその後に変えたのでありましょう。もともと危険の多い策じゃと申し上げたはず。それを押して兵を送ったのは畠山殿ではござらぬか」
正儀の態度に、基国もいきり立った。
すると、細川頼元が二人の間に割り込む。
「双方とも慎まれよ。いがみ合っている場合ではござらん。ここは城を囲み、河内守殿(正儀)が言われたように、兵糧攻めで様子をみたらいかがか」
頼元の提案に、基国は苦々しい顔を見せるも、反論は呑み込む。その結果、軍議は兵糧攻めで決した。
兵糧攻めに同意した畠山基国であったが、ただ千早城を取り囲んで手をこまねくのは
対して、南朝側の楠木は、正顕ら主力が千早城に入っていたため、わずかな留守居兵だけで、砦に籠って応戦するしかなかった。これに和泉と河内の
しかし、弱体化した南朝方の楠木・和田の兵力では、圧倒的な数の畠山軍に持ちこたえることはできない。正武は、楠木の兵を逃がすと、早々に砦を放棄して兵を引き揚げた。
南河内の城を幾つか落とした畠山基国は、再び、千早城攻めに戻る。憂さを晴らした基国は、陣幕に入るなり、正儀ら諸将を見下すように視線を向けた。
「千早城はまだ落ちぬのか。いつまでも取り囲むばかりでは脳がないのう」
そう言って、どがっと
「越前守殿(基国)、千早城は時をかけて兵糧攻めと決まったではないか」
「何事も、臨機応変な対応が必要じゃ」
ここで時がかかれば、せっかくの南河内の平定に味噌が付く。基国は、自らの
「では、最初にそれがしが進言した通り、千早城をよく知る我らが、抜け道を通って城内に攻め入りましょう。城の中でひと暴れしてから我らが手引き致しますゆえ、おのおの方はそれを受け、攻め入っていただきましょう」
「そうしてくださるか」
正儀の提案に、大将の細川頼元は安堵の表情を浮かべて快諾し、一方の基国は渋々と承知した。
千早城攻めに百人の選りすぐりを集めた正儀は、指揮を篠崎正久に託すとともに、津熊義行を
「二郎(正久)、全ては手筈通りじゃ。難しい役目じゃが任せたぞ」
「わかっております、父上(正儀)。それがしにお任せあれ」
一行は千早城と、その東側の山の
一行が崖下の草木を
「何者じゃ」
頭上から怒声が降り注いだ。早くも一行は、千早城の見張りに見つかってしまった。
「者ども、出会え、出会え」
見張りの声に続々と城の兵が集まってくる。一行に緊張が走った。
そこで正久は、予て用意していた菊水の旗を、城の見張りに見えるよう頭上に掲げる。
「わしじゃ。二郎正久じゃ」
すると、千早城の中から声をあがる。
「雲っ」
すかさず正久が応じる。
「海っ」
さらに応答が続く。
「空っ」
「谷っ」
正久が問いかけに全て応じると、千早城の兵たちから歓声が湧く。
「おお、味方じゃ。お味方じゃぞ」
「確かに、あれに見えるは二郎殿(正久)じゃ」
「津熊殿もおるぞ」
「さあ、皆を上に引き揚げるのじゃ」
城の者たちが垂らした縄によって、正久ら百人は崖上に無事、引き揚げられた。
「皆、久しぶりよのう。元気であったか」
「二郎殿もおかわりなく」
守備を指揮する
双方の兵が、久し振りの再会で歓喜に沸く中、楠木正勝が恩地
「二郎兄者、元気そうじゃな」
「小太郎(正勝)こそ、息災で何よりじゃ。母上(徳子)もか」
正勝は白い歯を見せて頷いた。
遅れて楠木正顕が現れ、正久の肩を軽く叩く。
「二郎、よく参った」
「叔父上(正顕)、お達者で何よりでございます。これは、父上(正儀)からの書状です……」
そう言って、襟元に隠していた書状を渡す。
「……兵の配置など、こちらの内情が
「そうか、それはありがたい」
さっそく正顕は書状に目を落とした。
一方、
「少ないが食い物じゃ」
「おお、これはありがたい」
食料を見た兵たちが喜びの声を上げた。
周りの兵たちが、
「三郎殿(義行)、そろそろはじめよう。でないと怪しまれる」
「おお、そうですな。では」
義行が手をあげると、同行の百人の兵がいっせいに気勢を上げて、刀や
次に、正久や義行ら十人が自らの
「叔父上、精鋭百の兵を残していきます。必ず、幕府軍を撤退させますので、それまで、どうか持ちこたえてください」
「うむ、兄者(正儀)によろしく伝えてくれ」
互いに目を見て、ゆっくりと頷く。そして、刀傷や矢傷を施した正久らは、千早城を駆け下って行った。
千早城の麓では、城攻めの
「楠木殿、微かに聞こえておった合戦の気配が消えたぞ。どうなっておる」
畠山基国が
「しくじったか……いや、もう少し様子を」
正儀も、
その正儀らの元に、畠山の兵が駆け込んでくる。
「河内守殿の者たちが千早城から戻って来ました」
「なにっ」
その兵の報告に、正儀は精一杯、驚いた表情を見せて立ち上がる。
兵に案内された正儀が、畠山基国・細川頼元らとともに駆け付けた先には、
「二郎(正久)、何があったのじゃ」
背中を支えるように正儀は手をかけた。
「父上(正儀)、罠が至るところに仕掛けられております。千早城の兵に見つかり、合戦におよびましたが……無念にございます」
「他の兵はどうしたのじゃ。易々とやられる者どもではない。楠木の精鋭じゃぞ」
気が動転したように、正儀は正久に詰め寄った。
「御味方は全滅。生き延びた者も
悔しそうに肩を震わせる正久に、正儀は責めるに責められず苦悩する己の様子を演じた。
「河内守殿、心中、お察し致します」
人の好い頼元は、素直に同情を示した。
しかし、基国はちっと舌を鳴らしてその場を立ち去る。戦が長引くことを嫌っていたからである。城攻めが長引けば長引くほどに、和田正武らを河内から追い払って南河内を平定した実績が薄らいでいく。それでも、正顕や正勝の息の根を止めることが確実であれば、そのまま千早城攻めを続ける選択肢もあった。しかし、正久の敗退を見せつけられたことで、城攻めの気持ちが萎えてしまったのだ。
そもそも、南軍楠木の殲滅を命じられたわけでもない。結局、幕府諸将は正儀を残し、京へと退却していった。これによって、正儀の計略は
幕府軍が去った南河内は、
京に戻った畠山基国は、将軍近臣の伊勢照禅(貞継)の取り次ぎで、足利義満に拝謁する。
「御所様(義満)におかれましては、ご機嫌麗しく、恐悦至極に存じまする」
深々と頭を下げる基国に、義満が
「越前守(基国)、
「はっ、お言葉、ありがたき幸せに存じまする。南軍の楠木・和田など、それがしにとっては赤子の手をひねるようなものでございました」
その言葉に、照禅はほほうと頷き、義満に代わってたずねる。
「
「千早城に敵を追い詰めた後は、
これに照禅は頬を緩める。
「では、河内守殿(正儀)の働きはいかがでした」
「それがしが叱責すると、河内守殿は慌てて千早城に手勢を送って攻め立てました。されど、己の身内に歯が立たず、すぐに撤退する羽目となりました。まったく役に立たない武将でございます」
基国は、自らの武功を声高に訴えるとともに、頼元や正儀のことは
「越前守(基国)の武勇、まったくもって頼もしき限りにございます。この際、河内
照禅の推挙にも、義満は眉ひとつ動かさず、基国に視線を合わす。
「して、三種の神器はいつ戻るのか」
「あ、いや……」
基国は言葉に詰まった。
「
事実、河内討伐で南軍の楠木・和田に大きな痛手はなかった。幕府軍が去った南河内では、早くも仁王山城に楠木正顕が入り、南河内の各砦には、南軍楠木の兵が戻っていた。そして、楠木正勝の姿は、再び、赤坂の楠木館にあった。
義満は、
「守護の仕置きは
「い、いえ、失礼つかまつりました」
照禅は赤面して頭を下げた。若い義満といえども、照禅と基国の考えていることなど百も承知である。基国もばつが悪そうに、平伏してから、肩を落として広間を下がっていった。
その後ろ姿が見えなくなると、義満が話を変える。
「そんなことよりも照禅。去る二月十八日の火事のことじゃ」
興味はすでに別のところにあった。照禅は気を取り直して応じる。
「はい、かつて
「うむ、その菊亭じゃが、その跡地、手に入らぬであろうか」
「はて、その跡地、いかがされますか」
「隣の室町御所の土地と合わせ、幕府に似合った御所を造営したい。あの地は京の中心で、
「なるほど……承知つかまつりました。では、さっそく
照禅は頭を下げて部屋から出て行った。
少しずつ義満は、自らの意思で歩みはじめていた。
八月、吉野山では
「その後、
簡潔に、
「はい、それはもう、たいへんなお嘆きで。近習の者たちも涙に暮れております」
去る七月十日に帝の第一皇子、
一方、
「それは御可哀想なこと……」
「
「中宮様は一の宮様の
帝と中宮の歌を、
『松陰を思ひやるこそ悲しけれ
『思はずよ 松は千とせの友ならで 絶ぬなげきの陰と見んとは』
ともに我が子を思いやる慈愛に
「何と、悲しい歌でございましょう」
「歌というのは不思議なものでございます。直接、話をするよりも、心根が伝わりまする。御院様も
親王の誘いに、
帝と
場の空気を察して、
「おお、そうじゃ。今日はこれを届けに参ったのでした」
思い出したように、
「これは……」
「歌集でございます。これまで詠んだ歌などを集めて作りました。
「まあ、それはよき事を」
「実は、ひとつお願いがあるのです。御院様のこれまでの詠歌をいただけないかと存じます」
「わらわの歌を……でございますか。どうしてでございますか」
「実は、
「わらわの歌も載せていただけるのですか。まあ、何と素敵なことでしょう。大納言殿(
「
「それを聞いて、安心して信濃に戻れます」
思わぬ親王の言葉に、
「何と。せっかくこれから歌集を作ろうというときに、なぜでございましょうや」
「息子、
「左様でございましたか……それは、さぞ、御心配でしょう」
堅い表情で
「宮様にそのようなご事情があろうとは……では、歌集の
「
歌に関しては、帝にさえ厳しい評を呈する親王だが、
そして、秋になると、
季節は変わり、この年の冬。初雪が舞う日のことである。橋本
雨山土丸城は尾根伝いに雨山城と土丸城が繋がり、両城が一体となった千早城にも匹敵する天然の要害である。雨山の山頂が本丸(主郭)、土丸山の山頂が三の丸となり、幾重にも
元は北朝方の
「兄上、それがしは
命じられたのは、
「そうか、
そう言って、
「兄上にそのように残念がっていただけるのは、それがしにとっては嬉しきことにございます」
「父上と母上の血を受け継いだ実の弟が居ようとは、思いもよらぬことであった。そなたとこうして会えたことは、我が人生で一番の出来事じゃ。この先、何があろうと……たとえ敵味方となることがあっても、兄弟の血の繋がりは変わるものではない」
真剣な眼差しで語る
「敵味方とは……」
弟の問いかけに、
「いや、たとえじゃ。どのようなことがあっても、兄弟の絆は絶やすまいぞ」
戸惑いを見せる教正に、
「ところで十郎(
「それは……ずっと恨んでおりました。されど、近頃は、その気持ちも、揺らいでおります」
「正直じゃな。わしも同じじゃ。近頃は、叔父上の胸のうちもわかるようになってきた。叔父上が家督を継いだのは二十歳にも満たぬ歳であった。その直後に北畠卿(親房)の
そう言って、
「兄上、頭をお上げください。言葉で許しても、気持ちは簡単には参りませぬ。長い間、恨んで参りましたから。されど、兄上のためにも努力してみようと思います」
「うむ、それでよい」
その返事に、
その
年が明け、天授四年(一三七八年)正月。久方振りに、正儀は戦のない平穏な日々を送っていた。河内の平尾城を本拠としながらも、時間を作っては
この日、正儀は、その母子の元から、平尾城に戻ってきたところであった。
帰って早々、河野辺正友が書院に顔を出す。
「殿(正儀)、少々、よろしいですかな」
ちょうど、正儀が部屋に入って腰を落としたところであった。
「又次郎(正友)、いかがした」
「妙心寺
申し訳なさそうな顔で正友が、上目遣いに正儀を
「またも訴えか。最近、多いのう」
「左様でございますな。昨年暮には高野山の僧侶から和泉国大泉荘の年貢米のことで訴えがありました。堺浦の商人どもからは勝手に
「ああ、そうじゃな。結局、
「殿は訴えを放置せず、必ず
「うむ、それだけ困っている者が多いということか。領民のためにはやむを得ん。領民あっての我らじゃからな。幸い、幕府より戦の
そう言って正儀は苦笑を返した。対して、正友は不思議そうな表情を浮かべる。
「そういえば、このところ戦がなくなりましたな」
「うむ、幕府も新たな将軍御所の造営で、戦どころではなくなっておるのであろう」
その言葉に、正友が思い出したようにひざを打つ。
「大そうな屋敷だそうですな。我ら畿内の守護へも
楠木党も、割り当てに応じて
「まあ、戦がないことは結構なことではないか」
そう言って、正儀は
三月十日、将軍、足利義満が、三条坊門第から新しい御所、室町第に移った。室町北小路の室町御所と隣の菊亭の跡地に造営していた新しい将軍御所のうち、菊亭部分の
この年は、京に進出して成功を収めた
隠居ではない。俗世とのしがらみを捨て、新たな高見を目指すためである。観世は法名である
六月、京の
観阿弥は息子の藤若大夫とともに、将軍、足利義満の招きに応じて
「おお、今年も賑わっておるな」
「御所様は、あちらに造った
将軍近臣の伊勢照禅(貞継)が手で示したその先には、幾つかの
「藤若をこれに」
義満の
「御所様にはご機嫌麗しゅう……」
「藤若、一緒に参れ」
観阿弥の挨拶を遮るように、義満が藤若を手招きする。そして、さっさと藤若を連れ立って
これには照禅ら、将軍の近臣たちが慌てる。
「御所様、藤若殿の席は別に設けてあります。皆の面前でもありますゆえ……」
義満の跡を追った照禅が耳打ちをした。その慌て振りに藤若は赤面して席を立とうとする。
「いや、構わぬ。藤若はここに居よ」
周囲の視線など、まったく気にすることなく、義満は藤若とともに
人々は、猿楽師を伴った義満の姿に驚くとともに、観阿弥・藤若親子の隆盛を感心する。しかしそればかりではない。将軍、義満から寵愛を受ける藤若に、嫉妬や
通りを挟んだ向かいの
「出自の知れぬ猿楽師の子を可愛がるとは……将軍の気が知れぬ」
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