第20話 正平の一統
正平六年(一三五一年)十一月七日、京の町に木枯らしが吹く。
南朝の
内容は、北朝の帝(
続いて年号も、北朝の『観応二年』を廃し、南朝の『正平六年』を唯一とした。後に、世間ではこれを『
「
「神器……でございますか……
「それは
「お、お待ちくだされ。まだ
「御移りいただくのは後でも構いませぬ。まずは
「何も今でなくともよいのではありませんか。所詮は
来て早々に神器の引き渡しを命じる
「それはなりません。偽物とはいえ、先帝(後醍醐天皇)より持明院の皇統へ譲り渡され、京の
目を吊り上げた
この突然の
正儀は
正友が首を傾げる。
「殿(正儀)、この公家どもはいったい何でしょう」
「どうやら、京の公家たちが官位を求め、
正儀は馬を進めながら正友に答えた。
「されど、
「京の公家は、
「なるほど……殿、あの屋敷はひと際、賑わっておりますな」
正友が指さす先は、北畠親房の屋敷であった。
この時、北畠親房は屋敷の中で、京の
「これは北畠様、ご無沙汰しておりました」
「
「はい、関白を退いてからは、好きな歌詠みに没頭されておいでです」
「ところで、今日はいかなる御用でございましょうや」
「はい、
そう言って、使者は小降りの袋に入れた砂金を差し出した。
近習の手で砂金が親房の手に渡ると、使者が言葉を足す。
「
そう言って、深々と頭を下げた。
親房には、使者の目的が官位であることは、
「その
「いえ、決してそのような。今日は、
「
使者の顔が
「いや、あの、それは……」
「
「十八にございます」
「十八……まだまだお若いな。いま、慌てて右大臣に復職せずとも、この先、いくらでも機会はありましょう」
親房の言葉に、使者が慌てる。
「い、いえ、北畠様、
「御使者の勤めは、正確に主の
「だ、大事な
「
使者は泡を食う。近衛
「……い、いや、それは。近衛家の家督は内輪のことゆえ、北畠様が御指図されることでは……」
使者が言い終わらないうちに親房が遮る。
「近衛家は
「北畠様、少しお待ちください」
「まあ、麿一人で決まることではありませぬ。
そう言うと親房は、砂金は返さずに使者のみを追い返した。
十二月二十三日、北朝の三種の神器は
同月二十八日、
「
「
そのうちの一人、
「た、
「はっ、申し訳ございませぬ」
それまで機嫌のよかった親房の激昂に、三人の公家は肝を冷やした。そして、運び終えた三人は、そそくさと部屋から下がる。
「所詮、偽の神器であろう。そこまで怒鳴らなくとも」
「そうじゃ、そうじゃ」
公家たちはささやきながら、その部屋を後にした。
その日、
親房は
また、政敵ともいえる阿野
この一統によって願いが叶った帝は、年が明けて祈願成就の記念として、ここ『
【伝承では、このときの改名は『
正平七年(一三五二年)一月、東国に下った足利尊氏は、
「
「どうされました、
「今しがた、関東より知らせがあり、足利尊氏が
「そうか、尊氏が勝ったか。して
「鎌倉の
「ほほ、やはり弟の首はとれぬか。甘い奴よのう……」
親房は含み笑いを返す。
「……では、次の策に取り掛かるか」
「いよいよでございますな。ついに、我らの大願が成就するとき。ほほほ」
正儀は、
「楠木
「和田
昨年、正武は南朝から
「うむ、二人ともよう来た……」
南朝軍を束ねる
「……今日、そなたたちに来てもろうたは、大事な話があってのことじゃ。北畠卿からご説明いただこう」
親房は反り返り、正儀と正武の顔を下目遣いに
「久しぶりじゃのう。
「はっ。
「挨拶はよい。本題に入ろう。御一統により我らは
「
二人は声を揃えて承服した。
「そしてじゃ、入洛に際して、そなたたちは足利尊氏の留守を預かる嫡子、足利
正儀は驚いて顔を上げる。
「
「
顔を強張らせた正儀は、隣の正武を
「どういうことでございましょう」
「東国では
正儀も正武も同様に目を丸くした。
「それだけではないぞ。
「そ、それはまるで元弘の折、北条幕府を討った時と同じでございますな……
正武は目を輝かせ、感心して頷いた。それに対して、正儀の表情は険しい。
「恐れながら申し上げます。それは、
「
親房は、
「尊氏・義詮を討って、幕府を倒しても、それで事は収まりませぬ。武士には幕府が必要なのです。幕府を倒しても、いずれ第二、第三の尊氏が生まれます。もとより、諸国の武士が、幕府をなくす戦と知れば、彼らは尊氏・義詮の元に集まりましょう」
業を煮やして親房が立ち上がる。
「黙らぬか、
そう言うと立ち上がり、一人、広間を出て行った。
沈黙していた四条
「
「四条様……」
無念の思いで正儀は
「麿とて疑念がないわけではない。されど、ここまでは全て、北畠卿の描いた通りじゃ。麿はもう少し、北畠卿の策に乗ってみようと思う。
「四条様の言われる通りじゃ、三郎殿(正儀)。ここまできて、我らが従わず、北畠卿の策がうまくいかなくなっては、失敗の矛先は我らになるのじゃぞ。ここは、策に従おうぞ」
正武にも
ここは、
「頼もう。麿じゃ」
家の中へ向けて声を張ると、家主が出て来て頭を下げる。
「これは、中将様」
すると、
「いつもすまぬな。これは些少だが、とっておいてくれ」
「お気遣いありがとうございます」
家主は巾着を受け取ると、家族を連れ立って家を出ていった。
女は
「中将様」
そう声を発したのは、帝(後村上天皇)の中宮(皇后)である北畠房子であった。
「房子様」
「早う、お会いしとうございました」
房子の声に反応するかのように、
和田正武を連れ、正儀は
この城の本丸(主郭)に建つ陣屋に、楠木
正武が正儀の顔を
「三郎殿(正儀)、こうなったからにはやるしかあるまい。くよくよと考えている暇なぞないぞ」
「新九郎(正武)殿、わかっており申す。もはや最善を尽くすのみ。いかに戦うか策を考えましょう」
「兄者、策というと……」
「いかに味方の被害を少なく、敵を討伐するかじゃ」
対照的に正武は、自身あり
「何、気にすることはない。我らは、正成公の時代は砦に敵を引き付けて戦うのみであった。じゃが、
「新九郎殿、互角では駄目じゃ。必ず我らが勝たねばならん」
都育ちの
「京の街は、寺社仏閣、公家屋敷や武家屋敷、さらには庶民の長屋まで、所狭しと家屋が建っております。河内のような砦を築ける場所もなく、また、平野のように馬が駆ける
「そうじゃな、わしも京に出向いたとき、この目で見た。あそこで戦うとなると……」
正儀は目を閉じて、幼き頃に見た光景を思い出す。
一方、京を見たことのない正武は話に着いていけない。
「京とは、そのように家屋が多いのか」
「左様……それがしは幼きとき、大きな寺社は山のように、町屋は四方に広がる尾根のように、そして、その間を抜ける通りは谷合のように思うておりました。まるで、連々と成る河内の山々のごとく」
都で生まれた
「四郎(
一人、納得顔で、正儀は口元を緩めた。
いっせいに一同が視線を向ける。そして、身を乗り出して、正儀の策に耳を傾けた。
二月二十六日、
行列には、
親房は
大納言、四条
正儀は、橋本
この度は、楠木正近と美木多正忠も参陣している。
楠木正近は正儀の叔父、楠木七郎
一方、美木多正忠は正儀の叔父、美木多五郎正氏と和田
正儀のもうひとりの腹心の臣、津田武信は、
観心寺に到着した帝は、
左右には
南軍の総大将、大納言の四条
「
「はっ。我ら万全を期し、帝に御供つかまつります」
「
すかさず正儀らは、
「
「はっ。大変、光栄に存じます」
帝の
「
「はっ、我が弟と従弟たちにてございます。名乗りを上げさせていただきます」
「ほう、
「
「左様か」
正儀は後ろを振り向いて、
「はっ、それがし、亡き楠木
続いて正儀は従弟らに目配せをした。
「それがしは、楠木
「それがしは、美木多
正近と正忠は緊張しながら答えた。
「そうか、楠木
「はっ、叔父、正氏が討死した時、この正忠は、我が叔母の腹の中におりました。その正忠も、
正儀の補足に、帝は目を細める。
「そうであったのか。それでは父の顔も知らぬのじゃな。淋しいと思うたことはなかったか」
「はっ、父の顔を知らずとも、それがしには父の血が流れておりますゆえ、淋しいなどということはありませぬ」
「これは頼もしき若武者じゃ」
正忠の答えに声を上げたのは、満足そうな笑みを浮かべた
正忠の話で少し和んだ場の雰囲気を、それまで無言であった
「楠木
「はっ。ありがたき幸せ」
正儀は親房を
親房は、正儀を認めたから先陣を申し付けたのではない。先帝(後醍醐天皇)の
二月二十八日、帝(後村上天皇)の行列は河内から
ここで、伊勢から三千の兵を率いて京を目指す
住吉に入った正儀らを待ち構えていたのは、猿楽
元成は小波多座を率いるとともに、今でも時折、各地で得た情報を正儀にもたらしていた。その表と裏の仕事を継いだのが双子の息子たちである。兄の観世は、小波多座の座長見習いとして父、元成に代わって一座を切り盛りすることも多くなっていた。そして、弟の聞世は、楠木党に入って諜報の活動に
「これは元成殿、それに観世。このようなところでどうしたのじゃ。我らを待っておったのか」
「はい、三郎殿(正儀)、京への
観世が笑顔で答えた。
「叔母上(楠木
「はい、元気です。されど、最近、母は旅回りに同行することは少なくなりました」
「そうか……では、伊賀に戻れば叔母上によしなに伝えてくれ」
正儀の言葉に観世が頷いた。
元成があたりを見渡す。
「今日、聞世は
「聞世は先に京に入ってもろうた。そこから
頭に手を添えた正儀が、申し訳なさそうな顔をする。
元成は、そんな正儀に掌を見せるようにして微笑む。
「いえ、ちゃんと聞世が務めを果たしておるか、それが気掛かりだっただけのこと。それより、お耳に入れたいことがございます」
「耳に入れたいこと……わかり申した。では、神官に頼んで、どこぞの屋敷を使わせていただこう」
二人を連れ立って、正儀は神官の屋敷に入った。
「三郎殿、今朝、鎌倉から入った知らせです。さる二十六日、
正儀は息を呑む。
「何、殺されたのか」
「それがようわかりません。表向きは病気ということになっておるようですが、毒を盛られたのではないかという話もありまして。何せ二月二十六日は
「なるほど……」
一族の
関東の戦の経緯や、亡くなるまでの
「まさに、諸行無常じゃな……関東の報、痛み入り申す。このことは四条卿らに伝えましょう」
正儀は、世の
二人の話が終わると、これまで静かに座っていた観世が口を開く。
「私からも一つ知らせを。父に願い出て、一座を離れることにいたしました」
そう言って父、元成に目を配った。
観世の一途さを知る正儀は、首を傾げる。
「芸一筋であった観世がどうしたというのじゃ」
「芸一筋であるからこそです。猿楽を極めるために、小波多座以外も見ておきたいと思いまして。まずは上の兄、
「さらに、田楽も身に付けたいと思うております」
「なに、田楽までも……観世の向上心は人一倍じゃな。きっと観世なら、猿楽を越えた猿楽を確立することであろう。元成殿も楽しみじゃな」
話を向けられた元成は、頭を
「ありがとうございます。されど、こやつが
そう言って元成は、観世とともに、申し訳なさそうに頭を下げた。
「何ら気にすることはありませぬ。そのために聞世が我らのところにおるのじゃから。逆に今まで、よう我らの目となり耳となり尽くしてくだされた。改めて礼を申す。わしは観世が芸の道を極め、猿楽が大成する事を祈ろう」
正儀に応援された観世は、嬉しそうに口元を緩めた。
この後、正儀らは、住吉で行われた小波多座の興行を見物する。しばらくぶりに見る観世の猿楽は、想像を
伊勢から北畠親房の三男、
この大軍に驚いたのは、幕府の留守を預かる足利尊氏の嫡子、足利
尊氏が不在の将軍御所。落ち着かない様子で、部屋の中をうろうろ歩く義詮の前に、佐々木京極道誉が現れる。
「これは坊門様(義詮)、お呼びでございますか」
「
「はて、
焦る義詮に、道誉はゆっくりと座り、とぼけた振りをする。
「知らぬはずがなかろう。北畠親房と
「いえ、それは誤解です。確かにそれがし、北畠親房と今後の段取りについて話し合いました。ですが、
特に慌てることもなく、道誉が応じた。
「言い訳はよい。早う真相を確認してくるのじゃ」
「では、ただちにそれがしが北畠親房の元へ参りましょう」
切迫感のない道誉の言葉に、義詮は考え直す。
「いや、別に使者を立てよ。誰か良きものはおるか」
「それなれば、
「うむ、そうせよ。くれぐれも
「はっ、
わざと大げさな声と素振りで、道誉は義詮の
「やってくれたな、古狸め……」
打って変わって憮然とした表情で呟いた。
帝(後村上天皇)の
南軍を率いる正儀は、近臣である津田武信、篠崎親久、津熊義行らが集めた北河内の軍勢を
帝は、八幡宮の
「
上座には、
奏上役の
「
「め、滅相もございませぬ」
恐縮する
「これは
「これはお心遣い、ありがたく頂戴つかまつります」
「
その言葉を受けて、親房が帝に振り向く。
「
「さぞ幕府は、慌てていることでしょう。ほほほ」
「
親房はそう言うと、席を立って
翌日、
上座には親房とともに、南軍の総大将で、紀伊勢を率いる大納言の四条
「すでに東国では
「はい、父上様」
親房の
諸将の顔を見渡した親房が、正儀に視線を合わせる。
「
「いえ、それがしに不満など……」
そう答えるが、親房の言葉に、内心、少し動揺していた。
「ならばよい。では、楠木
「
正儀は、親房から視線を外して
総大将の四条
「
「はい、承知致しました」
「承知してございます」
「では、諸将の武運を祈ろうぞ」
「はっ」
一同は威勢よく席を立った。
「三郎殿(正儀)、また気持ちが萎えたか」
「いや、そのようなことはござらん。今は幕府との戦いだけを考えておる」
「ならよいのだが……この
「わかっており申す」
自分に言い聞かすように正儀は答えた。
正儀と正武が率いる楠木軍は、さっそく男山を発って京に進軍する。そして、手筈通り桂川を渡って、西から京へ突入していった。
将軍御所の足利
「坊門様(義詮)、大変でございます。南朝の軍勢が京へ攻め入って参りました」
「なにっ……」
書院で南朝へ送る約定を
「……ほ、本当か。昨日、
「今朝、近江に行くと申しておりましたが」
佐々木京極道誉は南軍の不穏な空気を察知したためか、手勢を率いて近江の所領に引き上げていた。
義詮は拳を握りしめて怒りを
「ぐっ、道誉め。こうなるかもしれんと見越して逃げおったな」
「とにかく早くここを退去致しましょう」
「判ったが、どこに向かうのじゃ」
真っ赤な顔で義詮が聞き返した。
「取りあえず、東寺に在京の諸将を集めるよう、伝令を放ったところです」
そこへ
「坊門様、お急ぎください。さ、早う」
義詮と頼春は
足利
頼春の郎党が声を上ずらせる。
「て、敵でございます」
「敵は誰ぞ」
「き、菊水の旗印、楠木です」
郎党の返事に義詮が顔を強張らせる。
すると、すかさず頼春が義詮の前に馬を進める。
「これはよい敵に会うた。これを蹴散らせば後世まで名を留めようぞ。者ども怯むな。突っ込め」
義詮の顔色を見てまずいと思った頼春は、咄嗟に兵を鼓舞して敵に挑ませた。
楠木の先陣が槍を持って襲い掛かる。すると、細川の兵たちも
楠木の兵は
それでも、
「坊門様をお守りせよ。ここに兵を集めよ」
その声に応じて駆け寄せたのが、頼春の従弟でもある顕氏である。
「坊門様、それがしの兵がお守り致す。どうかご安堵くだされ」
そう言うと幾人もの兵を義詮の周りに張り付かせて壁を作った。
(これはわしにとって好機かも知れん)
心の中で呟いた顕氏は、義詮の
「楠木がすでにここまで来ているということは、東寺も敵に奪われていることでしょう。ここは東に、近江へ撤退しましょう。それがしがお守り致します」
「されど、頼春を見捨てるわけにはいかぬ」
「何を仰せです。ここで坊門様にもしものことがあれば、頼春殿の奮戦が報われませぬ。さ、早う」
顕氏はそう言うと義詮が乗る馬の尻を、刀の峰(背)で叩いて東に走らせ、自らも配下に
もともと顕氏は、
細川の惣領は、将軍、足利尊氏に付き従ってきた従兄の頼春である。頼春が討死し、自身が次期将軍である足利義詮に認められれば、惣領は自らの
正儀が馬を駆って現れたのは、足利
先陣を率いた神宮寺
「殿(正儀)、足利義詮を取り逃した。申し訳ござらぬ」
「残念じゃが、深追いはせぬように命ぜられよ。戦列を延ばしてはなりませぬ。我らはここで固まって、幕府の残軍を壊滅いたす」
「承知」
「では、手筈通りに」
正儀が右手を上げて合図すると、二十間ばかり向こうで兵を指揮していた舎弟の楠木
「よいか、手筈通りじゃ。者ども、かかれ」
そこに、敵軍を引き付けた津田武信が、騎馬で通りを駆け抜けた。
「それ、幕府の者ども目掛けて射かけよ」
屋根の上、親久のかけ声で、雨あられのようにいっせいに矢が飛んだ。
山間合いに敵を誘い出して両脇から矢を射かけるという楠木党が得意とする戦術を、正儀は京の町中で再現した。
細川頼春らが、左右から矢を射かけられ立往生したところへ、今度は和田正武が率いる騎馬隊が襲い掛かった。頼春は正武の
「者ども、ひるむな。ここで引けば細川の名折れぞ」
兵を鼓舞して刀を振り回す頼春であったが、後ろから現われた津田武信の槍に突かれて絶命する。
結局、足利義詮が近江へ逃げたことが伝わると、各地で幕府軍は総崩れとなり、ついに正儀らは京を制圧する。南朝が京を取り戻した瞬間であった。
早馬が男山八幡の麓にある
「
三条坊門第は、足利直義が幕府の政務を執り、その後、足利義詮が執務を行った、言わば幕府の政庁とも言える場所であった。
「うむ、そうか。でかした。して、
「はい、七条大宮で、楠木
「楠木め、取り逃がしたか。ここぞというときに役に立たぬ奴じゃ」
親房は、正儀にはとことん厳しかった。
「義詮を取り逃がしたのは残念ではあるが、
後ろから現われたのは大納言の四条
親房は
「さて、四条卿。これからが我々の出番でございます。我らは露払いとして、先に京へ入り、
「その儀については、麿は御遠慮申そう。形ばかりとはいえ麿は南軍の総大将。
「さりながら、四条大納言様がおられぬと、どうも麿ばかりが目立って、仕方がありませぬ」
「では、隆俊を向かわせましょう」
隆俊とは、
「承知つかまつりました。隆俊殿も大人になって初めての京入り。さぞ喜ばれることでしょう」
親房は武骨な
入れ替わるように、
親房は、帝の
「これが南の帝の行列か。大そうな行列じゃのう」
「いやいや、南の帝はまだ男山におられるという噂じゃ」
「楠木が戻って守護
京の人々が行列を見て、口々に噂する。
「何でも、
「おお、北畠卿なら知っておるぞ。
「されど、その偉い学者が、なぜ南の帝を差し置いて、先に入洛されるのじゃ」
誰もその疑問に答えられる者はいなかった。
「じゃが、将軍が留守の間に、南軍も思い切ったことを」
「偉い学者か何か知らぬが、やっていることは泥棒猫じゃな」
「ほんにそうじゃ。このような者に、帝の座を追われる京の
「まったくじゃな」
人々の間では、親房と南軍は、すこぶる評判が悪かった。
北畠親房は北朝の太上大臣、
慌てたのは北朝の
「お、お待ちあれ、誰の許しがあって、
「これより先は、
「
「麿は関白である。そなたたちはここで何をしておるか」
騒ぎを聞きつけて現われたのは、北朝の関白、二条
「これは二条殿、関白とはどなたのことかな。今や御一統で、そなたは
すると良基は、苦渋に満ちた顔で
「麿は
「ここでお待ちしますゆえ、上皇と宮様(
良基を始めとする北朝の公卿たちに伝えると、
しばらくの後、北朝の蔵人が先達し、四人の
先の関白、二条良基らを後ろで控えさせた
「麿は
北朝の
後ろに控えていた良基が声を上げる。
「な、何を申されます」
「それ」
良基を無視して
北朝の
慌てて逃げようとする四
「何と無体な。お止めくだされ」
「
北朝の
「すでに
冷たく言い放った
男山八幡の麓にある
「近江に
「近江にはもともと京極道誉が
正儀の言葉に和田正武が腕を組む。
「
ちょうどその時、正武の言葉を遮るようにして、河野辺正友が血相を変えて陣に駆け込む。
「殿(正儀)、大変です。京から北畠中納言様(
「な、何っ……」
正儀は思わず立ち上がる。
「……何ということをしてくれたのじゃ。我らが京を取り戻すためには、京の、いや諸国の武士や民を味方に付けねばならんのに……これでは敵を作っているようなもの」
陣を飛び出した正儀は、馬を駆って
正儀は、
「大納言様、京の上皇様たちを拉致
「
「されど、これでは京の民や武士を敵にすることになります」
「うむ、わかっておる。さりながら、持明院の
そこに現れたのは、四
「これは楠木
同じほどに若い
「北畠中納言様(
「
「いえ、それがし、そのようなことを言っているのではございませぬ」
二人の間に険悪な雰囲気が漂った。
「
苦悶の表情で、正儀は口を閉じる。
「そちの気持ちはわからんではない。じゃが、いったん北畠卿の策にかけたのじゃ。最後まで
「……
「
「そ、それがしがでございますか……」
遠ざけられようとしている事を正儀は悟る。
「……されど、
「楠木軍の指揮は神宮寺
「されど……」
「これは総大将である麿の
「……承知……つかまつりました」
東条への出立の前に、正儀は、
正儀は寺の客間に通される。
「大納言様(
「そうであったか。麿も四
「それがしは、北畠中納言様(
「そなたの父、楠木正成の言葉であったな」
そう言って
「
今度は弟の
「うむ、
「そこで、
「そうであるか。そこまで差し迫っていると
「かたじけのうございます」
「何の、礼を言うのはこちらじゃ」
頭を下げる正儀に、
正儀の具申を受け、この後、
正儀は河野辺正友とともに、四
「三郎様(正儀)」
馬に乗ろうとしていた正儀が、呼び止める声に振り返る。
「これは伊賀局様(篠塚徳子)ではありませぬか」
「阿野中納言様(
伊賀局はそう言って、後ろの女房衆に目をやった。
「か、かたじけない。そこまで考えておりませなんだ」
「私も三郎様のお役に立つことができましたか」
「も、もちろんでございます。
「え、それは……」
伊賀局が顔を赤らめる。
対する正儀も、自らの言葉に狼狽する。
「い、いえ、何でもありませぬ。それでは出立します。よろしいか」
「はい」
行列に加わった伊賀局は、四
男山を出立して間もないところにある
最後の
そんな伊賀局を
いずれかの
「
正儀は頭を地面に擦り付け、沈痛な面持ちで誠心誠意、訴えた。伊賀局は両の掌を合わせ、心配そうな顔つきで、これを見守った。
それぞれの
「相わかった。そなたの言葉、信じるとしよう。楠木
光厳上皇の
翌日、正儀は四
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます