第21話 八幡の戦い
正平七年(一三五二年)三月初め、すでに南河内の桜は散っている。
男山から戻った正儀は、龍泉寺城の本丸(主郭)の陣屋を、北朝の四
正儀が龍泉寺城に戻ってから数日、慌ただしい日々が続く。寝る間も惜しんで、四
無理をしたつけは、睡魔となって跳ね返る。正儀は
「三郎様、三郎様……」
明け方のまどろみの中、誰かが名を呼ぶ。
「……三郎様、
無意識と意識の間に、聞世の名だけ刻まれる。
「聞世……」
「起こしてしまい、申し訳ございませぬ」
寝ぼけ
目をこすり凝視する。
「い、
「昨夕、使いが来て、
帰ると聞いて、正儀は急に寂しさを覚える。
「伊賀局様が
「大丈夫でございますよ。お世話であれば、女房衆を残して参ります。ご安堵、召されませ」
「はあ……」
引き留める理由が見つからず、正儀は口ごもった。
「そうそう、関東から聞世殿が戻られております。
「
「はい」
「か、かたじけない。頂戴つかまつる」
すると、伊賀局が笑顔を浮かべる。
「よかった。喜んでいただけて……では私は一度、本丸に戻って
「そうですか……郎党を付けましょう。道中、お気をつけてお戻りくだされ」
「ありがとうございます。楠木様もお達者で」
そう言って、伊賀局は下がっていった。
その後ろ姿を目で追った正儀は、気を取り直して立ち上がった。
正儀が広間に顔を出すと、すでに
「何じゃ、まだ食べておらなんだのか」
「殿を差し置いて、食べられましょうや。それに、まずは関東の報告を」
「そうであったな。ご苦労であった。で、どうじゃ」
そう言いながら上座に置かれた膳の前に座った。
「
「そうか、負けたか……」
特段驚く様子を見せず、正儀は腕を組む。
「……宮様(
「はい、何とか無事、信濃に御帰還あそばされました。また、
「して、鎌倉の新田
「御舎弟の
「そうであったか、鎌倉は足利尊氏に取り返されたのじゃな……」
正儀にとって、この結果は予想の範疇である。
「……
「では」
「うむ、鎌倉の件が日和見な諸将に伝われば、雪崩を打って幕府に走るであろう。さすれば、直に足利
「しからば、戦の
「されど、まずは腹を満たそう。腹が減っては戦はできぬからな」
正儀は聞世を
「それにしても、驚きました。本丸の陣屋に入ると、持明院の
さもあらんという表情を浮かべて、正儀は手にした椀に目を落とす。
「いろいろあったのじゃ」
「あらかた、伊賀局様よりお聞きしました。
「そうであったか……では、ありがたく頂戴しようぞ」
正儀はそう言いながら、
日が昇り、河野辺正友が龍泉寺城に出仕すると、正儀は二の丸にある陣屋の広間に呼びよせる。
「登城して早々にすまぬ」
正儀は手を差し出し、先に広間に座っていた聞世の隣に正友を座らせる。
「殿、いかがなされました」
「鎌倉が落とされた。直に
「男山に……されど殿、四条大納言様から持明院の方々の対応を仰せつかっているではありませぬか」
「帝(後村上天皇)が危ういのじゃ。そのようなことを言うておる場合ではない。龍泉寺城の差配は九郎殿(橋本
「わかり申した。ではさっそく
正儀は正友に言い終わると、聞世に顔を向ける。
「すまぬが聞世は、赤松の動きを探ってくれ」
「赤松の……」
「うむ、赤松
「承知しました。ではさっそく」
聞世は正友と顔を見合せてから、一緒に立ち上がった。
京の赤松屋敷では、剃髪頭の赤松
「氏範、鎌倉も将軍(足利尊氏)が取り戻した。坊門殿(足利
「兄者(
「そうじゃ。わしは播磨に戻り、白旗城の兵を率いて西から攻め上がるつもりじゃ」
「されど、我らは
「それが北畠親房の
親房の行動は赤松のみならず、多くの武将の反感を買っていた。
「では、若宮様をどのようになされるか」
「一緒に白旗城にお連れする。軍を上洛させ、我らが南軍と戦っている間は、南軍に呼応されることのないよう、見張りを付ける」
「幽閉ではないか。それはあまりに若宮様が御
「致し方なかろう。若宮様を南軍に連れ去られぬようにせねばならん。若宮様を御救いするには、それしかないのじゃ」
「……」
氏範は兄の言葉に黙り込むしかなかった。
その日の夜、京の赤松邸から数名の男たちが密かに抜け出した。男たちに囲まれて出てきたのは
手引きを主導するのは赤松
「若宮様、どうかご安心
「氏範、
【注記:貴人の一人称として用いている「
「何を言われます。それがしは若宮様をお助けしたい一心でございます。自ら定めを受け入れるとあらば、生きるも死ぬも、それがしにお任せくださらぬか」
すると、
しばらくすると何者かが、一行のゆく手を阻むように立ちはだかった。
「誰じゃ、兄者(赤松
氏範と近習たちに緊張が走った。
しかし、その者は親王の前で片ひざ付いて頭を下げる。
「
「何、楠木じゃと」
そう言うと、氏範は刀の
聞世は掌を前にかざして、氏範を制する。
「待たれよ。赤松
「何っ」
「されど、氏範殿もそれがしと同じ目的とお見受け致す。ここで戦うは互いのためになりませぬ。それがしが先導して
「男山に向かわぬのか」
「男山は直に
そう言って、聞世はにやりと笑った。
氏範は
「ふうぅ、承知した。そなたに任せよう」
楠木の者であれば、
三月九日、いったん近江に逃れていた足利
諸将を前にして、気負った義詮が立ち上がる。
「将軍(足利尊氏)の手を借りずとも、我らの力だけで、必ずや、南軍を京から駆逐するのじゃ」
拳を前に突き出して、諸将を鼓舞した。
京に駐留する南軍は、
そして、三月十五日、南軍を率いる
一方、指揮をとっていた
「御無事で何よりでございます」
何事もなかったように、正儀は
場の空気を察して、
「ほほほ、楠木
「父上、笑うて済ませてよいのですか」
息子の隆俊が父、
「されど、我らのことを思うてのことじゃ。よいではないか。頼もしい限りよ」
「大納言様(
正儀はそう言って頭を下げた。
「さて、
すると正儀は、後ろに控えた津熊義行から絵地図を受け取って床に広げる。
「幕府の一軍は、男山の北より、桂川、宇治川、木津川が集まるこのあたりから攻めてくるでしょう。そして、もう一軍は、男山の東に延びる木津川を渡り、南から攻め込んでくると思われます」
そう言うと男山八幡の北の桂川を指差す。
「まずは北からの敵に対し、ここ、赤井河原に第一の陣を張り、さらにこの
「なるほど、では第一の陣が要じゃな」
「
正儀の目配せに、正武も頷いた。
しかし、京から撤退してきた
「四条大納言様。ここは麿に……伊勢の兵に、お任せあれ」
「いや、北畠様(
「そうじゃ、京の戦振りを見ていても、我らにお任せいただく方がよいであろう」
正儀が
「その
疑いの眼差しを向ける正武を、総大将の
「
その頃、足利
「
「
顕氏は、若い義詮の信頼を得る機会と力が入っていた。
「では、
「はっ。男山を北と南から攻めとうございます。南は土岐頼康殿、それから細川
顕氏が名を上げた一族の細川頼之は、先の京の戦で討死した細川の惣領、細川頼春の嫡男である。父、頼春の討死を聞き、領国の讃岐から兵を率いて上洛していた。また、細川清氏は頼之の従兄で、領国阿波の兵を率いて上洛していた。
この機会に顕氏は、頼之・清氏ら、細川氏嫡流の若い当主たちを自らの配下に置いて、細川惣領の座を手中に収めようとしていた。
三月二十一日、世に名高い『八幡の戦い』の
京を発った幕府軍は、足利高経や佐々木京極道誉らが、男山の北から桂川を渡って赤井河原を守る
一方、幕府軍の大将、細川顕氏は、細川一門や土岐頼康らを率いて南から男山の攻略に取り掛かる。顕氏が男山の南、
「あれは、菊水の旗か。くっ、またしても楠木……」
楠木軍は、
かつて幕府側の河内
正儀は、細川顕氏が慎重な戦をとろうとしていることを悟ると、篠崎親久らに命じて、今度は猛然と押し出し、細川勢を
果敢に幕府軍の侵攻を防いでいた正儀のもとに、腹心の臣、津田武信が駆け付ける。
「三郎様(正儀)、北畠中納言様(
「何、もう突破されたか……」
その報に、正儀が目を丸くする
「……で、北畠中納言様(
「はい、淀川の
「
武信に
「大納言様(
「うむ、
「
献策する正儀の背後から男が入ってくる。
「それはならんぞ」
「これは
正儀は振り向き、頭を低くした。
後ろから入ってきた北畠親房が
「楠木
「されど、
「
「さりながら、今のこの状況を切り抜けることを考えねば……」
そう言いかけた正儀を、
「
自信ありげに
「大納言様(
「
否定的な正儀の意見に、親房は
構わず正儀が何か言おうと口を開いたところで、
「
「……
献言を胸にしまった正儀は、無念な顔つきで頭を下げて自陣へ戻った。
三月二十四日、幕府軍は南軍の第二の防衛線である
山の麓を焼き払った足利
「我らはここで、男山への兵糧を断つ」
顕氏は
翌日、正儀と和田正武は、配下の諸将を連れて男山山頂の
帝と
「これより我ら楠木党は、足利義詮が布陣した
「楠木
「
「そうじゃな。そうされよ」
「我が父や兄たちは、皆、たびたびの合戦に決死の覚悟で挑み、
そう言ってのける正忠に、
「五郎正忠、よう申した。さすがに武勇の誉れ高き一族じゃ。初陣の若者まで、このような心構えとは、見上げたものよ。必ず、よき知らせを持って帰ってくるがよい」
「ははっ」
楠木の軍勢三千は迂回して南の
だが、これに対して細川頼之、細川清氏、土岐頼康ら幕府の軍兵六千が、さっそく迎撃に討って出る。楠木軍は、細川の猛将、清氏らが率いる騎馬に
そのまま一気に楠木軍を突き崩そうと攻め込む幕府軍に対して、正儀は兵を集める。
「四郎(楠木
「承知」
武信によっておびき出された清氏の細川軍は、崖の上から楠木
すると今度は、従弟の細川頼之の軍勢が清氏の加勢に加わり、和田勢を駆逐する。二転三転の、双方ともに多大な被害を出す激戦となった。
楠木軍が本陣を敷いた荒坂山から、初陣の美木多正忠が戦の戦況を見守っていた。
「敵じゃ」
正忠の声に正儀が振り向く。
「どこじゃ。五郎(正忠)」
「あそこから敵が攻め上って来ております」
正忠が指さす山は、木々がかすかに揺れ、その揺れは少しづつ手前に近づいていた。どうやら十名程度の武士が山道を忍びながらこちらに向かって来ているようであった。
「それがしが参ります」
「ま、待て、五郎。
そう言って止めようとする正儀を尻目に、正忠は数名の郎党を引き連れて敵に向かった。正忠は、敵の近くまで潜んで迫り、敵の
「敵じゃ。者ども、続け」
正忠は郎党たちに声をかけると、槍の
「我こそは、美木多
「美木多
康貞は土岐の惣領、土岐頼康の弟で、悪五郎の異名を持つ、一族きっての剛の者である。
「何じゃ、まだこどもではないか」
康貞は若い正忠を見て吐き捨てた。
ぽつりぽつりと雨が降り出す中、両方の郎党たちが
―― びしゅっ ――
その時、正忠の郎党が放った矢が関左近の手に命中し刀を払った。すかさず正忠は目の前の足を刀で突く。すると、関左近はぎゃあと奇声を上げて、
「た、助かった……」
そう言って、正忠は大きく肩で息をした。思い出したように周りを見渡せば、味方の手勢が優勢に敵を追い詰めていた。
多勢に無勢の康貞は不利を悟り、
これを逃がしてなるものかと正忠が跡を追う。しかし、雨が本格的に降り出す中、敵の姿を見失なった。
それでも諦めずに康貞を探していた正忠は、山道に倒れている関左近を見つける。
「そなたの主人はどこに逃げた」
関左近が顔を背ける。
「知らぬ。知っておっても言おうものか。さ、我が首を
「くっ」
だが、人を殺めたことのない正忠は、首を
「五郎様(正忠)、さ、とどめを」
郎党に
―― びゅっ ――
返り血が顔を
「五郎様(正忠)、ここに滑り降りた跡がありますぞ」
郎党の声に、正忠は
関左近を背負って荒坂山を下っていた康貞は、折からの雨で足を滑らせていた。そして、転んだ拍子に関左近を投げ出し、康貞だけが山道の
正忠は自らも
「さ、刀を抜くがよい」
「小わっぱめ」
正忠の声に、康貞は刀を杖に何とか立ち上がった。
―― ぎん ――
しかし、歴戦の悪五郎は、簡単には討たせてくれない。
―― ずばっ ――
「ぐうっ」
逆に正忠は背中に
雨が降って地面がぬかるむ中、正忠はよろけながらも再び刀を構えた。互いに肩で大きく息をしながら、睨み合いが続く。
突如、康貞は苦痛の表情を浮かべて、その場に片ひざを付いた。腰の状態は思ったよりもひどい。座ったままで応戦しようと刀を振り回す康貞であったが、ついに正忠の刀が、その刀を払った。
「まさか、わしがこのようなこどもにやられようとは……おのれ」
康貞は鬼のような形相で睨みつけた。そのあまりの形相に正忠は一瞬たじろぐが、負けじと睨み返す。
「御免」
意を決して康貞の首をあげた。その首は、
荒坂山の戦は、楠木軍の奮戦で何とか幕府軍を追い払い決着した。
舎弟、楠木
「兄者(正儀)、何とか今日は勝つことができましたな」
「うむ……されど、こちらも思うた以上に被害が大きい。幕府は明日も新手を繰り出してくるであろう」
「どうされる」
正儀は、背中に
「この際、荒坂山に固執するのは止めよう。いったん負傷者を連れて男山に戻り、策を練り直そうぞ」
「承知した」
負傷者を思いやる兄の意を汲み、
正儀は和田勢を指揮する和田正武にも伝令を走らせ、雨の中、全軍を引き連れて男山に退却した。
男山の山頂の
「楠木
「はっ。お
正儀は総大将の大納言、四条
「この戦で、ここに控えし美木多五郎正忠が、土岐の惣領、頼康の弟で、悪五郎として名高い土岐康貞ら二人を討ち取り、首を
正儀が正忠の
「土岐悪五郎の名は麿も聴いたことがあるぞ。そのような剛の者を討ち取ったのか。さすがは武勇の家の者じゃ」
帝が思わず口を開く。
「初陣で敵の大将の一人を討ち取るなど、前代未聞の高名なり。美木多正忠にこれを
そう言うと、帝は、
「さ、これを」
「はっ、ありがたき幸せ」
正忠は両手で
「そなた、顔色が悪いのう。大丈夫か」
「大丈夫でございます。背中に
「そうか、今日はゆっくり休むがよい」
正忠が去った後、
「
「はい、荒坂山は思うたより、守りに
正儀の話を聞いて親房は正武にも目をやった。
「
「
正武の返事を聞き、親房は質問を変える。
「して、ここに戻って次の策はあるのか」
「いえ、これからでございます」
正儀が答えると、親房は顔をしかめて、ふうぅと息を吐いた。
「
「はっ。何なりと」
正儀はその場で平伏した。
「楠木
帝が自らの声で問うた。一同は息を呑んで正儀の答えを待った。
「恐れながら申し上げます。浅知恵のそれがしには、この戦の勝ち方がわかりませぬ。それがしの目にはこの戦、すでに勝機を失っているように見えております」
「それでは、男山に
「
「さりながら、
「父、正成が千早城に
「では、どうせよと申すのじゃ」
「
「
その時、帝が直接、四条
「
「はは、麿は楠木
そう言って
「そうじゃ、北畠卿の策は、ここまでうまくいっておるのじゃ。麿もそれを聞きたい」
「うむ、策ならありますが、それについては、この後、四条様、
親房はさほど慌てることもなく、意味ありげに言い放った。
「北畠
帝はそう言うと、立ち上がり、奥へ下がっていった。
その夜、
「足利
親房が意見を口にすると、
「北畠卿の言うことはもっともであるが、四方を敵に囲まれ、そちらに対峙する我らの兵も必要。楠木ですら義詮の本陣を叩くのは難しかった。相応の兵が必要じゃ。お考えはあるのか」
「男山の北の囲みを突破するべく我らの兵を集めまする。再度、囲みを突破して京へ向かうように見せかける。男山の北で派手に戦をすればよい」
「北畠卿、それでどうやって義詮を討つのでございますか」
「北側での戦の一方で、密かに一隊が男山を南に抜け出して義詮の
「さりとて、その一隊とやらの負担は重すぎる。全滅するではないか。誰がそのような役を受けようか」
「楠木(正儀)が適任であろう……」
親房は冷たく言い放つ。
「……菊水の旗は、幕府にとっては倍の兵にも映ろう。楠木は策を
それは妙案と
「無理がございますな。正成や
「死地に向かわせるとは、ひどい言いようでございますな。生きる算段を行うのは、
親房は微笑んで
「ここは楠木
「公家大将ともあろうお方が何を申します。せっかく京を取り戻したというのに。機会は二度と訪れないやも知れませぬぞ」
自らの迷いが正成・正行の命を奪ったと悔恨の情に
しかし、結局、議論は
三月二十八日、
足利
幕府に押し込められ、南軍の戦線がどんどんと縮小する中、正儀は、帝(後村上天皇)の呼び出しを受け、山頂の
「
「……実はそなたに、こちらの物を持って
正儀は驚いた頭を上げ、
「これは、まさか」
「そうじゃ、神器じゃ。そなたはこれを
「それがしに河内に戻れとは……いったい何事でございましょうや」
正儀には
「それは
口を開いたのは帝であった。正儀は頭を低くした。
「
「
「
図星を突かれ、正儀はどう言葉を返してよいかわからなかった。
「
「な、何を仰せです」
遺言ともとれるその言葉に、正儀は驚きを隠せなかった。
隣から
「すでに我が弟、
親房は、中宮(皇后)となった娘の北畠房子が先々、産むであろう皇子を、次の帝にしようと企てていた。しかし、帝は、親房の思いとは異なり阿野
「されど、それがしは、とても
「
帝の
「
安堵させようとする
「承知してくれるな」
「……う……う……」
帝の言葉に、正儀は涙をこぼして平伏する。
「……しょ、承知つかまつりしました。この
「では、表向きには明日、皆の前で
「……ははっ……」
翌日、改めて正儀は
正儀は、同行者を津田武信、津熊義行、さらに美木多正忠の四人とした。正忠を選んだのは、荒坂山の戦い以降、正忠が心を病んでいたからである。討ち取った土岐康貞の睨みつけた顔が頭から離れず、毎晩、夢にうなされていた。正儀は正忠を河内に連れて帰り養生させようと考えていた。
帝の密命を帯びていることは楠木党の者たちにも秘密にした。しかし、ただ一人、舎弟の楠木
「すまぬ、四郎(
「いや、兄者(正儀)、よう打ち明けてくれた。それがしは、兄者が、そのような大事を、わしにだけ打ち明けてくれたことが嬉しい……」
意外な返事である。
「……わしは、本当に楠木の者になれたのかと、時に思うことがあった。されど、こうして兄者がわしに打ち明けてくれたのは、わしが本当に楠木の者になれた証じゃ」
「四郎……」
「大丈夫じゃ兄者。みすみすやられる我らではない。きっとまた会える。母上によろしく伝えてくれ」
母上とは
「相わかった。四郎、そなたは今からこの男山の楠木軍を率いる楠木の棟梁ぞ。小七郎(楠木正近)とともに、楠木党を導き、何があっても生き延びよ」
「承知した、兄者。任せてくれ」
正儀は、知らぬ間に頼もしくなった
正儀は、雨の日を待って津田武信、津熊義行、美木多正忠と、三種の神器を担ぎ、夜陰に紛れて男山を脱出する。それぞれの神器は箱から出して、油紙と布に包んで正儀と武信、義行の三人が担いだ。
正儀ら四人は、途中で馬を調達し、木津川沿いを下って大和に抜けて
翌々日、正儀らが
「すぐに
「しょ、承知しました。すぐに呼んで参ります」
正儀が男山から戻ったとの知らせに驚いた阿野
「男山はどうなっています。
正儀は、帝の
「
その姿は、息子を心配する母の姿であった。
「それがしの力が足りないばかりに、
「
「親房め。己の理想のために、
不安を取り除こうと伊賀局が正儀にたずねる。
「この後は予断を許しませぬ。何事があろうと、楠木様は我らの味方でいてくれますか」
「何を仰せです。それがしは
「
「もったいなきお言葉。この楠木
正儀と
正儀は、
龍泉寺城の本丸には、持明院統の四
さっそく正儀は河内はもとより、和泉・大和・紀伊の豪族へ南軍支援の助力を求めた。そして正儀自らは、和泉国大鳥郡上条の武将、田代
和泉国は楠木一門の和田正武・橋本正高、さらに美木多助氏など南朝方の武将に加え、南朝へと
正儀は、大鳥にある田代の館に入り、基綱を前にする。
「田代殿、御会いいただきかたじけない。南軍に対する助力をお願いしとうて参った。四条大納言様(
「楠木殿、誤解されるな。以前、
南軍の評判は、著しく悪かった。
それでも正儀は頭を下げるしかない。
「わかっており申す……が、それがしは帝を御救いせねばならん。どうかご加勢くだされ」
「今は乱世。道義なく損得で動く世よ。帝でさえ南北に別れて争っておる。されど、お主らがやったことは、いつまた裏切られるかという疑念を我らに植え付けたに過ぎん。信用はならん」
「決してそのような……」
正儀の言葉を基綱が遮る。
「一つよいことを教えてやろう。和泉の
「……わかり申した……かたじけのうござる」
正儀は、龍泉寺城へ戻らざるを得なかった。手分けして当たった津田武信と津熊義行も在地の豪族から門前払いを喰らっていた。
一緒に龍泉寺城に戻った美木多正忠の様子は、相変わらずおかしいままである。怪我は回復したが、目はうつろで、すっかり黙り込むようになっていた。
正儀は、気分を変えてやろうと、正忠を連れ立って、母、
「三郎(正儀)ではありませぬか。五郎殿(正忠)までも。京の戦はどうされたのですか」
「兵を集めに男山を抜け出しました。されど、なかなか兵が集まりませぬ。今日は、報告がてら、母上に帰着の御挨拶にまかり越しました」
「そうですか」
伏し目がちに正忠が久子に対する。
「伯母上(久子)、御達者そうで何よりです」
「五郎殿(正忠)、久しぶりですね。母上(和田
「い、いえ……」
元気なく正忠は下を向いた。
龍泉寺城に戻った正儀は、正忠に母、良子に会ってくるよう申し付けていた。しかし、会おうとはしなかった。
「そうですか……初陣でしたね。いかがでした」
敗鏡尼の問いかけに、正忠は視線を落としたまま何も答えようとしない。正忠を一瞥して正儀が応じる。
「五郎は初陣で、いきなり土岐悪五郎という敵の大将首をとりました。帝(後村上天皇)は大そう喜ばれ、短刀を
「まあ、それは祝着。正氏殿(美木多正氏)の墓に報告せねばなりませぬね。五郎殿(美木多正忠)の口から武勇伝を教えてくだされ」
二、三度、大きく呼吸をして、正忠が口を開こうとする。
「……うう……」
正忠は、いきなり手で口を押え、表に出て行った。
「まあ、五郎殿、どうされました」
敗鏡尼が驚いて美木多正忠を目で追った。庵の外には嘔吐する正忠の姿があった。
正儀が外に出て、その背中をさする。
「気分が悪いのか……少し中で横になるがよい」
正忠の肩を支えて、
しばらく横になったあと、正忠が身体を起こす。
「三郎兄者(正儀)……」
幼い時から従兄の正儀を兄者と呼んでいた。
「気分はどうじゃ。わしはこれから龍泉寺城へ戻らねばならんが、お前はもう少し休んでから帰るがよい。なあ、母上」
「その通りです。三郎の言うとおりになさいませ。
敗鏡尼はそう言って、自らも
「いや、それがしは……」
「戦が怖いか」
正忠の言葉を遮って、正儀が唐突にたずねた。
戦と聞いて正忠は下を向く。
「……」
「討ち取った相手の顔を思い出すのであろう。お前は小さき頃から、優しい子であった。正直、
正儀の話に、その目が
「……無理をしておったのじゃな。お前の父(美木多正氏)や兄たち(美木多
「うっ、うっ……」
嗚咽を漏らし涙を流す正忠を、正儀は抱き寄せて背中をさすった。
「もうよいのじゃ。お前は何も心配することはない。お前は戦をする必要はないぞ」
正忠の気持ちがよくわかった。死をも恐れぬ勇猛な戦振りの父、正氏や、兄、
そんな正忠の呪縛を、正儀は解き放ってやることとする。
「大和の
正儀の決断は、正忠のためだけではなかった。叔母、良子のためにも、美木多の血脈を護らねばならないと思ったからである。
正忠が大粒の涙をぼろぼろとこぼす。敗鏡尼と
「なあに、五郎の一人や二人おらんでも楠木党はびくともせぬ。朝廷には、お前は傷が元で亡くなったことにでもしよう」
正儀も戦が嫌いであった。できれば、一緒に逃げ出したかった。しかし、楠木一門の棟梁としての責任から逃れることはできない。人一倍、戦が嫌いな正儀にとって、責任感が強いということは皮肉なことであった。正忠の背中に手を置いて、うらやましいと思う。この時をもって武将としての美木多正忠は亡くなった。
一人、
「
「兵はいくら集まった」
「龍泉寺城の留守居兵と、銭で
「少々、
正儀は津田武信とともに、兵を率いて河内と和泉の境に討って出た。そして
続いて、大和の
戦の最中でも正儀は迷っていた。帝の
四月も中旬を過ぎようとしていたが、男山に動きはなかった。幕府は男山を完全に包囲し、ただ兵糧が尽きるのを待っていた。男山の南軍に、もう挽回の機会はなかった。足利
男山の帝(後村上天皇)は迷っていた。ここで降参すれば、もう二度と京の地を踏むことはないかもしれない、との思いが決断を鈍らせていた。大納言の四条
兵糧攻めは、男山の公家や武士に厳しい現実を突き付けていた。ほとんど食べるものがなくなり、虫を捕まえたり、草の根を掘り起こして食べていた。
「楠木
正儀は、聞世(服部成次)に命じて、何度も兵糧を運び入れようとしていた。だが、幕府の包囲を突破して運び込むことは容易でなかった。
「臆病風に吹かれたのではありますまいか」
「げにも。父(楠木正成)にも似ず、兄(楠木
楠木の一門でさえ、正儀に厳しい言葉を向ける者もいた。
和田正武は正儀の舎弟、楠木
「いったい三郎殿(正儀)は何をしておるのじゃ。もう、兵糧はないぞ。兵らに食べさせるものがない」
「新九郎(正武)殿、きっと、兄者(正儀)には兄者の事情があるじゃ」
「いや、皆の期待に応えてこその棟梁じゃ。これでは、棟梁は失格じゃ」
その言いように、
「何と申される。たとえ新九郎殿とはいえ、その言葉は聞き捨てなりませぬ。兄者が皆のことを考えていないわけがなかろう。助けにきたくともこれないのじゃ。兄はそういう男じゃ。楠木・和田・橋本・
「……そなた、なかなか言うようになったのう」
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