第22話 賀名生一揆
正平七年(一三五二年)五月十一日、梅雨が明けた男山は、足元からの湿気を含んだ熱気によって、不快な空気に包まれていた。
なかなか和睦に応じない南軍に対し、ついに、足利
対する男山の南軍は、慌てて麓に兵を集め、幕府勢の侵撃を迎え討った。
幕府軍の猛攻が続く中、
「四条様、大変でございまする」
「
「我が方の
和泉の
ただ、助重にしてみれば、そもそも幕府と戦う理由は稀薄である。凱旋の行列に加わった流れで戦っているに過ぎなかった。
「幕府方のあまりの激しさに、北畠中納言(
「何、湯浅の中からも……男山が落ちるのは、もはや時の問題か」
二人の報告に公家たちの顔色が変わる。いつもは強硬な
「こうなってしまえば、降参を受け入れるよう、奏上されては……」
「
帝(後村上天皇)の従兄でもある
「もう、我らに残された道はただ一つじゃ。一か八か、
その沈黙を正儀の舎弟、
「承知つかまつりました。我が楠木軍が先達して血路を切り開きまする」
「左様、先陣は、我らにお任せあれ」
正武もそう言って胸を叩いた。
二人の進言に、
「よし、決まりじゃ。では、麿が
「
「たわけたことを申すな。御大将は
正武が止めるものの、
「麿たちも敵兵の中に突っ込むというのか……」
「当たり前じゃ。さ、皆、早う
「阿野卿(
「四条様、承知しました。では」
南軍の一世一代の大脱出が始まる。
帝(後村上天皇)を伴って総大将の四条
「
最後に、
帝は馬に乗ることができた。それは、建武の
帝が跨る馬の背には、大きさの異なる三つの空箱が
夕刻、帝は公家と武士に守られて男山を下った。
先達の楠木軍は、比較的手薄な男山の南を、数十騎の馬とともに駆けおりる。しかし、その先には、足利
幕府の諸将は油断していた。男山の南軍が降参するのは、もはや時の問題と思っていたからである。それが、一点集中で幕府の囲みを突破しようと挑んできた。しかも、義詮の本陣目掛けて南軍の主力が突き進んできたのである。幕府軍は混乱に
先達の楠木軍は、和田正武の騎馬隊が敵を蹴散らす。そこに、楠木
だが、不利な状況に変わりはない。
「
楠木党を指揮する
幕府軍は、北に配した山名勢を南に呼び寄せるも間に合わない。南軍は一目散に、義詮が居る
すると義詮は、慌てて
楠木が率いる南軍は、主の居なくなった幕府本陣を蹴散らして、さらに南へと駆け抜けた。
難を逃れた義詮は、思い出したかのように、大将の細川顕氏に追撃を命じる。細川、赤松、土岐らが南軍の跡を追った。
そこに立ち塞がったのは、南軍の総大将である大納言、四条
「ここからは
「者ども、引くな。
一本の矢が
「うう……」
南軍は進軍を留めることなく、木津川沿いに大和に向かって遮二無二、駆け続けた。そして
「
楠木
「ああ……ご無事じゃ」
安堵も束の間、
「お、
しかし、
「
帝の声が響いた。矢を受けて倒れているのは、帝の従兄でもある
「麿、亡き後は……我が弟、
「そうか、わかったぞ。
帝の言葉に、
その様子に
かろうじて南軍は、帝を男山から逃がすことができた。しかし、その代償は大きかった。八幡を下って
大納言の四条
楠木党も重臣、神宮寺
これら、合戦で亡くなった者たちは、
南軍は帝を護りながら、木津川沿いに南へ向かった。あらかじめ正儀と大和の
焦燥感に駆られた公家たちは、帝(後村上天皇)の騎馬を先に進めた。こうして奈良の
南軍の決死の脱出劇は、聞世(服部成次)によって東条の正儀にも伝えられる。
五月十二日、
舎弟、楠木
「四郎、よう無事で……」
「兄者、
「何を言う。辛い役目をお前に与えてしもうた。兄を許してくれ」
正儀は、泣き崩れる
そんな二人の対面を、和田正武が言葉を発することなく見守っていた。
楠木党に迎えられ、一息付いた南軍であったが、正儀を見る目は厳しかった。
正儀は、神官らに囲まれて社に入った帝の元に駆け寄り、
「楠木
「四条大納言様、阿野大納言様、ともに討ち死にされたぞ」
正儀は、苦渋に満ちた表情を浮かべて
「ははっ、面目次第もございませぬ」
ひれ伏して肩を震わせる正儀を見かね、帝が声をかける。
「楠木
「ははっ」
正儀は少し身体を起こし、上目遣いの顔を見せた。
「
「うむ、また生きてそなたに会えるとは思わなんだぞ」
帝の顔は、精根使い果たし、
「四条様と阿野様をお救いすることが叶いませなんだ。申し訳ありませぬ」
「それは
「
二人にしかわからぬ話であった。
翌日、帝は正儀が率いる楠木党の護衛で
南軍は武士だけでなく多くの公家も討死した。迎える
中でも、帝の中宮である北畠房子は、愛する
五月十八日、河内国の龍泉寺城に戻っていた正儀の元に、難しい客人が現われる。男山を脱出した
龍泉寺城の本丸(主郭)は、持明院の四
「みなさま方、御無事で何よりでございます。楠木勢とは離れ離れになったと聞き、心配致しておりました」
この言葉に
「心配じゃと。心配であれば、なぜ男山に援軍をよこさなかったのじゃ」
「その義に関しては申し訳なく存じます。南軍の評判すこぶる悪く、味方を探しあぐねておりました」
「だとしても、兵糧は手配できたであろう」
「兵糧は何度も男山に持ち込もうとしておりました。されど、敵の囲みに隙がなく、申し訳ありませぬ」
その隣で、四条隆俊が正儀を睨みつける。
「
「四条大納言様の御討死は、それがしにとって生涯の悔いにございます」
正儀は
「援軍が見つからなければ、そなただけでも男山に駆け付ければよかったのじゃ。兵糧のことにしても、援軍のことにしても、そちの話は言い訳ばかり。そちが我が父を見殺しにしたのじゃ。麿はそちのことを生涯、許さん」
隆俊は、正儀がその
だが、
「ここに、
正儀は返答に
「隠すでない。京の我が父君(
しかし、
「そちには任せておけぬ。持明院の方々(四
しかし正儀は、幕府や京の朝廷がその気になりさえすれば、先例があろうがなかろうが、何とでもするであろうと考えていた。ここが新興武士である正儀と、
「
「その四条卿はすでにこの世にはおらぬわ」
「では、
抗う正儀に、
「その義にはおよばぬ。麿が父の跡を継ぐのじゃ。麿が成り代わり命じよう。持明院の方々を今すぐ、我らに引き渡すのじゃ」
正儀は肩を落とし、ゆっくりと頭を下げる。南朝の組織の中では、隆俊らの
一方、京の朝廷は、四
困っていたのは幕府の足利
北朝における
良基と道誉を座敷に迎えた
「これは二条様、それに京極入道殿まで。
「河内から戻った
「それは、残念なこと」
「まるで他人事のようなお言葉ですが、
そう言って、良基は疑いの眼差しを向けた。
「なんと、麿を疑っておるのですか。親子とはいえ、今や縁を切っておりますゆえ」
「さりとて、その切れた縁を通じて、
険悪な雰囲気が漂う二人の間に、道誉が割って入る。
「まあ、関白様(二条良基)。もうそのあたりでよろしかろう。
道誉の説明に、良基が続ける。
「南軍に連れ去られた四
「何やら二条様は麿に疑いを持たれておるようですが。その麿の言葉を、お信じいただけるのですか」
「麿は、
良基は駆け引きで応じた。
すると
「わかりました。では麿の考えをお伝えしましょう。
「それは麿とて存じております。御出家前でございました。されど、
「はい、そこで、帝を決める前に
「……親王の祖母でおわします
「
「
良基は苦い表情を浮かべる。
「されど、
「げにも。
「ふうむ……まあ、考えようですな」
良基は釈然としないながらも、
「話は決まりましたかな。では、それがしが、
「いえ、
公家のしきたりに道誉が溜息をつく。
「ふう、堅苦しいですな」
「そういうものです。御慣れくだされ」
この後、嫌がる
南軍を退け、何とか体面を保った京の幕府であったが、実情は厳しい状況にある。北朝四
さらに、征夷大将軍の足利尊氏は関東に下向したまま。新たに将軍家執事を任命された仁木
一先ず、足利
八幡の戦いにも出陣した細川一門の細川清氏が、京にある従弟の細川頼之の屋敷を訪れる。
「弥九郎(頼之)、どう思う」
「落ち着け。来て早々にいったい何だ」
どがっと腰を下ろし、話の先を急ごうとする清氏を頼之が制した。
「
清氏は憮然と言い放った。その清氏の父、細川
頼之は冷静に応じる。
「八幡合戦で顕氏が大将に任ぜられた件か」
「それだけではないぞ。戦で焼けた寺院の修復も、我らは顕氏を通じて
清氏は、床を手で叩き、
「うむ、顕氏は我が父が将軍(足利尊氏)側近として仕えている間に、副将軍(足利
「そもそも、細川の惣領は我が父、和氏が隠居の際、お前の父、頼春が受けたもの。次の惣領はお主かわしがなるのが妥当であろう」
包み隠さず、開け広げに自分の名を入れる清氏が、頼之には可笑しかった。その態度に、清氏が憮然とする。
「笑っている場合か。お主が動かないならわしが動くぞ」
「動くとは」
「知れたことよ。奴を討つまでのことよ」
「待て待て、弥八(清氏)。冷静になれ。顕氏は、今や坊門様のお気に入りじゃ。討てばお前が誅殺される」
頼之は直情的な清氏を押し留めた。
「ではどうする」
「そうだな、わしであれば、まずは坊門様に伝わるよう、顕氏に不審な動きがあると噂を流す。これまでも将軍と副将軍の間を世渡りしてきた男じゃ。坊門様は信じないまでも、警戒されるであろう」
「なるほど。そこを討つか」
「いや、自ら手を下せば、噂の出所を疑われる。ことを荒立てずにやるのがよかろう」
「なるほど。では毒でも盛るか」
「ううむ、まあ、そんなところか」
頼之の答えに、清氏は腕を組んで頷く。
「うむ、ではさっそく手筈を相談しようぞ」
「何を言っておる。本当にやる奴があるか。わしを巻き込むな」
「女々しいやつよ」
清氏はふんと言って立ち上がった。
「おい、本気か。馬鹿な真似は止めておけ」
「弥九郎(頼之)が動かぬなら、
そう言って清氏は部屋を出て行った。
そして
「あやつ、本当にやりおったのか……」
細川頼之は顕氏の死を、従兄の細川清氏の仕業と確信した。改めて清氏の行動力に驚くとともに、一抹の不安を感じた。短気で真っ直ぐな清氏は、誰にも負けぬ行動力とは裏腹に、協調性はみられない。頼之は、幼い頃から親しく育った清氏を憂慮した。
幕府のほころびは他にも生じていた。
八月末、正儀と和田正武は、
八幡の戦いで親房は、早々に味方を募ると言って男山を離れて伊勢に留まった。そして、帝(後村上天皇)が
親房は、正儀・正武が
「山名時氏が我らに帰参した」
幕府の勇将、山名時氏・
「幕府との間で何があったのでございましょうや」
「うむ、八幡合戦の論功行賞で京極道誉と揉めたことがきっかけのようじゃ」
親房の話を要約すると、次のようなものである。
時氏の嫡男、山名
道誉はこれを逆手にとって、『山名に
「山名の家は新田の支流じゃ。我らに加勢するのは道理じゃ」
したり顔の親房が、口元を扇で隠した。
正儀は親房の考えがわからない。
「して、我らを召し出したのは、いかなる
「山名時氏は出雲で兵を挙げた。すでに山陰を制圧する勢いじゃ。その
正儀は、内心またかと
親房にとって武士は駒である。策が失敗しても、また代わりの駒を見つけてきて、何度でもやり直せばよいとの考えが透けて見えた。
「和田
親房は楠木の惣領である正儀の名を、わざと正武の下に続けた。煙たがっていることは明白である。だが、楠木の軍事力に頼らざるを得ないという事情もあった。
「
正儀の意見に親房は眉間にしわを寄せる。
「何を申す。そなたたちはかしこくも帝の軍勢じゃ。己の都合を優先し、私心を欲すれば、それは野合の衆と同じである。将たるもの、自らの家名を立てようなどと卑しい心では勤まらん。兵が足りなければ新たな兵を募るがよい。将が足りなければ兵から将を取り立てればよい。兵糧が足りなければ隣国から調達すればよい。わかったな、それがそちの役目ぞ」
正儀は無言のまま、顔を上げなかった。
「
「
命じられた正武は応じるしかなかった。それは正儀のためでもあった。
十一月、正儀と和田正武は、かつて足利
幕府の足利
同月、北畠親房の屋敷で慶事がある。
臨月を迎えた帝(後村上天皇)の中宮(皇后)、北畠房子は、父、親房の
親房は、落ち着きなく控えの間で、うろうろと歩き回っていた。そこに侍女が小走りに現れる。
「お生まれになられました」
「で、どっちじゃ」
「玉のような
「そうか、
親房に笑みがこぼれた。すぐに奥の間に向かい、娘の房子の手を取る。
「房子、ようやったぞ。
出産を終えたばかりの房子の顔には笑みはなく、父、親房からも目を
「中宮であるお前が生んだこの子は、将来の帝じゃ。いかに
親房は次の帝の外戚となることで、
正平八年(一三五三年)一月、正儀は数え二十四歳となる。
舎弟、楠木
五月に入ると、南軍は活発な軍事行動に出る。これに京の人々は、近いうち京が再び
正儀と和田正武が率いる楠木軍は、京極秀綱・高秀の兄弟に続き、摂津の渡辺橋あたりで赤松
そして、
さらに幕府から南朝に転じた山名時氏の取り成しで、足利
しかし、
翌六月、矢継ぎ早に策を
「いよいよ機は熟しました。出雲の山名時氏は
慢心する親房に対して、関白の二条
「先の八幡合戦では、多くの
八幡合戦で息子の
「左大臣様、
意外な申し出に、二条
「
「武士の
「されど、降参したばかりの足利
「いえ、
「さすがは
同席の、
よって、征夷大将軍の前段階として捉える者が多い。南朝ではさすがに武士を征夷大将軍に任じることはできない。だが、
親房は居並ぶ
「われら南軍の総大将は、二条大納言殿にお願いしたい。それと四条中納言殿には副将として、紀伊の兵を率いて上洛され、二条様を御支えいただきたい」
「は、承知いたしました」
温和に応じた二条教基は、関白、二条
親房に推薦された隆俊は、半身、前に
「おのおの方、麿は討死した父の意志を継ぎ、京を奪還する覚悟にございます。どうか、麿にお任せあれ」
若い隆俊は、父、
後日、親房の策は、帝の
摂津に布陣する正儀の元には、舎弟の楠木
「帝(後村上天皇)の
正儀は
「兄者、京の奪回には、まだ時が早うござらぬか。もっと時をかけて、摂津や大和の支配を確実にしておかねば、また我らは、足元から崩される」
「御舎弟殿(
武信が頷いた。それに対しては、正武が首を横に振る。
「帝の
正儀は深く息を吐きながら頷く。
「和泉守(正武)の言われる通りじゃ。帝から
「はっ」
「ははっ」
さっそく二人は陣から出て行った。
正武が、苦悶の表情を浮かべる正儀の肩を叩く。
「幕府を討てば全てが終わる。それまでの辛抱じゃ」
しかし正儀は、たとえ幕府を討ったとしても、それで世の中は治まらないことはわかっていた。幕府が武士を統率して、そのうえで朝廷と役割を受け持つことが必要だと考えていた。それは父(楠木正成)の考えでもあった。
六月、正儀が率いる楠木軍は、三千騎を引き連れて摂津から男山に進軍した。これに歩調を合わせるように、山名時氏・
公家武将たちが出陣して閑散となった
房子は父、北畠親房に命じられ、愛する
この日も、そんな房子を心配して、帝が奥に渡ってくる。侍女たちはその姿に、それぞれ仕事の手を止めて頭を下げた。
帝は前部屋の一人の侍女の前で立ち止まる。
「中宮の具合はいかがじゃ」
「相も変わらず、塞ぎ込まれておられます。食も細く、皆、心配しております」
侍女は頭を低くしたまま答えた。
「
「いえ、そのようなことは。ただ……」
「ただ……とは」
その侍女は少し頭を上げて、伏し目がちに答える。
「はい、酷く塞ぎ込むようになったのは、八幡合戦の後からです」
要は出産の前からというのである。侍女の話を聞いて、帝は房子の部屋に入った。
房子の
「
「は、はい……」
帝の問いかけにも黙り込む房子に、古参の侍女が代わる。
「……今日は、
「左様であるか……
帝は、前部屋の侍女の話と違うことに、少し戸惑いながらも房子を気遣う。その気遣いに、房子は
その様子に、古参の侍女が慌てる。
「まあ、中宮様……
「……いえ……」
か細い声が房子の口を付いて出た。
「うむ、何か
「……ち、違うのでございます」
「中宮様っ」
房子を留めようとするその侍女に構うことなく、房子は続ける。
「わらわが……わらわが涙したのは……自らの所業に、さいなまれているためにございます」
「どうしたというのじゃ。何を言っておるのかわからんではないか」
前にも増して涙を流す房子に、帝は戸惑った。
古参の侍女が引きつった顔で、房子の側に寄り添う。
「中宮様、お加減が悪くなられたのですね。さ、奥に戻りましょう」
無理に寝所に連れて行こうとする侍女を振り払い、房子が続ける。
「いえ、これ以上、隠すことはできませぬ。本当のことを申します」
「本当のこと……とは」
おろおろする侍女を横目で見ながら、帝がたずねた。
「
房子の言葉に、古参の侍女は総てが終わったかのように、力なく
このことは、すぐに北畠房子の父、北畠親房にも知らされる。事情が呑み込めない親房は、古参の侍女を捕えて、ことの真相について口を割らせた。
中宮として帝へ
親房は顔を真っ赤にし、身体を震わせる。
「何ということをしてくれたのじゃ」
いつもは沈着冷静な男であったが、この時ばかりは、冷静さの
「
古参の侍女は震え上がった。親房の激しい怒りは、すぐに近習から配下の武士に伝えられた。
夜が空け、村の者が徐々に事件のあった庄屋の家の前に集まる。
「おお、幼い子までが……可哀想に」
「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時……」
「何とむごいことを……鬼じゃ」
家の者たちの無念を嘆いて泣く者、念仏を上げる者、帝や朝廷の残忍さに憤る者で、家の前は騒然としていた。
「幼子までがなぜ首を跳ねられねばならん」
「そうじゃ。納得いかぬ」
「帝に文句を言おうぞ」
怒りに狂う
村人らは
「帝は我らの御味方じゃと思うておったが、こんなことなら幕府の方がましじゃ」
「そうじゃ、帝は京にもおるぞ」
「
「兵らは京へ出陣して留守じゃ。今なら我らでも帝を追い出せるぞ」
男女を問わず村人は、手に刀や
これに驚いたのは
京の
陣を張った麓の寺の中。
「殿(正儀)、北畠卿は何と言ってこられたのですか」
「うむ、
「何と。これから京へ突入しようと、丹波や大和の軍と計った矢先でございますぞ。それを土一揆のために
「ううむ、確かに、土一揆で戻って来いとはな……いったい何が起きているのじゃ」
正儀は、親房が差し向けた使者にたずねた。
「一揆は二千を越え、
「何と動座まで……そもそも、なぜ土一揆がおきたのじゃ」
「それは……いえ……それがしはただ、河内守様(正儀)に書状をお渡すよう、申し付けられただけにございます」
使者は何かを知っている素振りだが、申し訳なさそうに口を閉じた。
「そうか……ううむ」
使者を前にして、正儀は腕を組んだ。隣で正友が厳しい表情を浮かべる。
「殿(正儀)、どうされますか。和泉守殿の軍勢はそのままとしても、我ら楠木の本軍だけでも、引き返しますか」
正友の意見に対して、津田武信が首を横に振る。
「いや、それは難しゅうござる。すでに丹波と伊勢・大和の軍勢の入洛の手筈を整えております。ここで楠木本軍が出兵できないとなると、お味方は苦しい戦いになるのは必定」
正儀は悩んだ挙句に腹を
「楠木本軍の半分を
「承知つかまつりました」
使者は頭を下げて、ただちにその場を後にした。
「兵割りは当麻(津田武信)に任せる。すぐに四郎を呼んで参れ」
「はっ。承知」
正友は、すくっと立ち上がると、陣を出て行った。
翌日の男山。正儀は
使者から書状を受け取った正儀は、舎弟、楠木
「兄者(正儀)、今度は何と書いてあるのじゃ」
読み終えた正儀は、
「一揆は収まった。もう戻らなくてよいとのことじゃ」
「何ですと……まったく人騒がせな。いったい
「それはこの書状に細かく書いてある」
正儀はそう言って、
土一揆が起こった時、
「
一刻にもおよぶ
書状から顔を上げた楠木
「兄者(正儀)、我らは仰ぐべき人物を誤ったのか」
親房は、公家らしからぬ戦略眼を持った紛れもない英才である。かつて足利尊氏を九州へ追い払うことができたのも、吉野が南朝たりえたのも、切れ味鋭い親房の戦略眼のお陰と言えた。若い正儀にしてみれば、その実力は一目も二目も置かなければならない存在である。しかし、多くの武士の犠牲の上に、その政略はあった。この男に兵馬の策が委ねられ、兄たち(楠木
「名馬も老いれば駄馬……か」
正儀は小さく呟いた。そして、冷静さを取り戻そうと無言で目を閉じた。
土一揆が収まり、
帝の前で、親房は苦々しい表情を浮かべて
「
そう言う親房に、帝は無言のまま目を
「また、その……房子のことですが、娘とはいえ、必ずや厳しい処罰を致しましょう。また
親房の言葉を遮るように、帝が深い息を吐く。
「中宮(北畠房子)のことはもうよい。事情は聴いた。あれは可哀想な女であった」
「
恐縮して答える親房に、帝は冷たい視線を送る。
「厳しき処罰をせねばならぬのは、北畠
「な、何をおっしゃいます」
驚く親房に、帝は言葉を続ける。
「
「いえ、それは、
いつもの冷静な親房なら、深慮して答えるところである。しかし、自分のせいにされるのは、
「いや、
「何と仰せられます。今は我が軍が京を奪回するべく大事な時ですぞ。その時期に麿を
「そうじゃ。この大事なときに、このようなことで河内守(正儀)を呼び戻すことなどあってはならんのじゃ」
親房は、帝が本気で自分を
「さ、さりながら、麿はこれから京へ向かい、策をもって指揮をとらねばなりませぬ」
「戦は河内守(正儀)がおれば、その
「楠木など、まだ、右も左もわからぬ若造でございます」
親房は事態を見誤っていた。すでに宮中には、親房に対する不満が渦巻いていた。
帝は抗う北畠親房に
「
昔を
「……されど、もうよいのじゃ。もう終わりにしようぞ」
そう言うと帝は立ち上がり、奥へ退いた。近習らも下がり、部屋には、親房が一人寂しく取り残された。
この後、親房は
この事件の陰で、哀れであったのは十一歳の第一皇子、
逆に、第二皇子の
ある日、勝子は、そんな
「一の宮様(
「何でございましょう」
親王は勝子に背中を向けたまま、書物に目を落し続けた。
「源氏物語でございますね」
背中越しに勝子が覗き込むと、親王は慌てて書物を閉じる。源氏物語は親王の愛読書であった。誰からも相手にされない淋しさを、親王は書物で紛らわしていた。
「し、失礼でございましょう」
『さびしさは まだなれざりし昔にて 松のあらしにすむ心かな』
勝子は唐突に
歌の意味は『寂しく感じたのは今は昔、今では松吹く嵐の音にも心が落ち着く』である。
「一の宮様は歌を詠まれますか」
「歌……でございますか……少々」
勝子の問いかけに、戸惑いながらも答えた。
「我が子(
勝子は二条流の歌詠みでもあった。高名な歌詠み、
「
「誰でも最初は上手に詠むことはできませぬ。ご興味があれば、わらわが歌を教えましょう。いかがでございますか」
優しい言葉に、親王は顔を上げる。
「なぜ
「いえ、ともに
そう言って勝子は微笑んだ。その明るく優しい声に、
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