第23話 祝言
正平八年(一三五三年)六月九日、夏霧がかかる早朝、男山を出陣した正儀と和田正武が率いる楠木軍は、南軍の先兵として南から京へ攻め入った。
騎馬に跨った正儀が声を張る。
「よいか、我らは四条河原を目指して突き進む。後から来られる二条総大将(教基)に道を作るのじゃ」
「おうっ」
篠崎親久や津熊義行らが気勢を上げた。そして、九条河原あたりで小勢の幕府方を撃破して一気に四条河原を占領した。
手筈通り楠木軍に呼応して丹波口から京へ進軍した山名時氏の山陰勢は、
南軍を迎え撃つ幕府だが、将軍、足利尊氏は、いまだ遠い鎌倉の地。京を預かっていたのは嫡子、足利
「ええい、またしても南軍の侵入を許すとは。父上(尊氏)に合わす顔がない。ここに兵はどの程度おるのか」
「まだ三千の兵しか集まっておりませぬ」
「くそ、諸将に使いを送るのじゃ」
「承知っ」
細川清氏が応じて諸将に使いを走らせ、兵の参集を急がせた。
細川顕氏が亡き後、清氏は義詮の
「あれだけ、諸将が京にいたはずなのに、何で三千なのじゃ」
諸将の節操のなさに、義詮は
そんな義詮に、清氏が進言する。
「坊門様(義詮)、先の御一統の二の舞を避けるため、帝(
「うむ、よい考えじゃ。さっそく手配せよ」
「承知致しました。それがしが
そう言うと、すぐさま清氏は馬を駆った。
南軍は楠木軍の進撃に続き、総大将の二条教基を男山に残し、
「
「はっ、幕府軍はさしたる抵抗はなく撤退を致しました。足利義詮は屋敷を抜けて鹿ヶ谷に入り兵を集めている
「そうか。ではここで山名と合流して足利義詮との決戦に挑むとしよう」
満足げに話す隆俊に、正儀は顔を上げる。
「恐れながら申し上げます。時をかければ我らが不利になります。ゆえ、我ら楠木党はこのまま鹿ヶ谷を突きます。山名へは伝令を送れば十分でございます。一刻を競いますゆえ、これにて御免」
そう言うと正儀は立ち上がり、隆俊に背を向けた。
「ま、待て河内。指図は麿が……」
隆俊の声が伝わる間もなく、がちゃがちゃと
正儀は、すぐに楠木軍を引きいて鹿ヶ谷へ向かう。
「きっと敵は浮き足だっておる。今が好機ぞ」
馬上から、足利義詮の本陣を突くように号令をかけた。
鹿ヶ谷の本陣は、佐々木
正儀が率いる楠木軍が義詮の本陣に近づくと、その
一方、丹波口から攻め上がった山名時氏は、四条河原で、総大将の二条|教基に代わって四条隆俊に迎えられる。時氏は、自分の息子ぐらいに若い隆俊の前で、片ひざ付いて到着を報告する。
「右京の幕府勢を平らげ、ただいま参上つかまつりました」
「山名殿、よう参られた。今、河内守(正儀)が山名殿の到着を待ち切れず、鹿ヶ谷に向かったところじゃ」
隆俊の言葉に、時氏は驚いて顔を上げる。
「何と……それで、御大将様は、ここで何をなされておられる」
「何をとは……山名殿を待っておったのじゃ」
「それがしを待って何となさる。早う、先陣の楠木殿に続かねば」
時氏は声を荒げた。
「待たれよ。戦の指図は麿が行う。そなたの軍は、麿の
「先を急ぎますゆえこれにて御免」
時氏は、隆俊の言葉が終わらないうちに、配下の諸将に命じて、軍勢を京の東、鹿ヶ谷に進めた。
「戦も知らぬ公家の若造が指図か。あのような者のもとで、楠木もよく働くものよ」
時氏は、馬上で吐き捨てるように言った。
山名軍は、楠木軍が佐々木六角
足利義詮の軍勢は、正儀が睨んだ通り、兵が十分に集まっておらず、兵の士気も上がっていなかった。
「何と、近江守(六角
勢いのある南軍に利があると悟った義詮は、近江の
そこに、ちょうど帝(後光厳天皇)の動座の手配を済ませ、細川清氏が
「これは何としたこと。者ども、引くな。敵に向かえ。逃げるは武士の名折れぞ」
そう言って、細川勢を引き連れて、楠木軍に向かった。
一方、近江の
「清氏はどうした」
すると、その動向を知っている者が後ろから進み出る。
「
「たわけが。なぜ引っ張って連れて来なんだ。軍議があると申して、清氏を急ぎ連れ戻してくるのじゃ」
義詮は
正儀は、撤退する幕府軍の中から、丸に
正儀は目を凝らしながら、隣に馬を並べた河野辺正友に問いかける。
「敵の一軍が向かってくるぞ。
「似ておりますが、あれは細川の
「ほう、
清氏は、細川一族の中で屈指の猛将であった。
最初、正儀は、思わぬ清氏の奮戦に手こずるが、徐々に細川軍を押し返した。しばらくすると、楠木軍の前から細川軍が、比叡山に向けて撤退を開始する。
「よし、あの者どもは足利義詮の元に参るであろう。跡を追って、義詮の本軍を攻撃するのじゃ」
正儀は、四条隆俊が率いる紀伊勢と、北畠
楠木軍が細川清氏と争っている間に、足利義詮の本軍は比叡山を越えていた。
義詮は、近江の
「ここまでくれば、ひと安心じゃ。
「はっ、ただちに」
近臣が頭を下げて、帝の元に走った。
一行は、苦労して
一行を護衛する武将の一人が、
その秀綱が駆け寄り、義詮の前で血相を変える。
「坊門様(義詮)、舟が一隻も見当たりませぬ」
「何、琵琶湖を渡ることができぬと申すか」
義詮は顔を引きつらせた。ここ
―― びゅん ――
突如、一本の矢が一人の兵の肩をかすめた。
「て、敵じゃ」
その声で一同が振り返ると、草むらから幾十もの矢がいっせいに放たれる。幕府軍に奇襲をかけたのは、在地の
秀綱の京極勢が、義詮を逃がすべく
「坊門様(義詮)、ここはそれがしに任せて、北へお逃げください」
「さあ、京極殿(秀綱)が防いでいる間に早く」
いつの間にか追いついた細川清氏に急かされて、義詮は、帝の
清氏の軍勢を追って、楠木軍も比叡山を越えて近江に入っていた。追撃の手を緩めようとはしない楠木軍に、義詮の幕府本軍は、徐々に追い詰められていく。
背後から楠木軍が迫る状況に清氏は、咄嗟に路を変える。
「街道ではなく山道に入れ。帝の
義詮自身も馬を捨て、徒歩で山の中に入った。しかし、道はだんだんと細くなり、帝の
清氏は帝の
「
清氏は、まだ少年の帝を背負って
足利義詮の一行を追う楠木軍の元に、黒衣の
「義詮の一行は、馬を降り、
「何、足で山の中に……」
片ひざ付いて報告する
「進軍を止めよ。追撃はここまでじゃ。諸将に伝えよ」
「承知つかまつった」
すぐに津熊義行が、正儀の
すると、すぐに和田勢を率いる和田正武が、馬を降りて兜を脱いだ正儀の前に現れる。
「三郎殿(正儀)、なぜ追撃を止めるのじゃ。もう少しで追いつきそうであったのに」
「新九郎(正武)殿、後ろを見られよ……」
せっつく正武に、正儀は指を差す。
「……四条様はおろか、北畠様の軍勢も、山名軍も我らに続いておらぬぞ。山の中では時もかかる。近江は佐々木党の本拠地。我らが孤立すれば敵の思う壺じゃ」
血気に
「くっ、ここまで追い詰めておきながら」
無念な顔つきで正武は兜を脱ぎ、頭を
そこに津田武信が現われて、正儀に注進する。
「
「なに、秀綱を……そうか、ご苦労であった」
またしても京極道誉かと思う。道誉の次男、京極秀宗は、
北朝の帝(後光厳天皇)と足利義詮を近江に追いやり、京は再び南朝のものとなった。
関白、二条良基ら多くの北朝の
南朝は、この度も
時を同じくして、南朝に降った足利
こうして南朝は、再び勢いを取り戻したのであった。
再び京を手中に収めた南軍であったが、先ゆきを占うがごとく、早くも不穏な事件が起きる。
京の
―― がらがら、どん ――
勢いよく町屋の戸が開け放たれる。
「我らは南軍じゃ。我が大将からの
「そうじゃ、命が惜しくば米を出せ」
組頭に続いて、
「ひゃあっ」
主人は怯え、震える手で奥を指し示した。
「おお、食い物がたくさんあるではないか。もらうぞ」
南軍の兵たちが中に押し入り、片隅で震える家族を無視して、米や芋とともに、鍋までも抱えた。
「お、お待ちください」
「うるせえ。命があるだけでもありがたく思え」
―― どがっ ――
兵に蹴り倒された町屋の主人が、勢いよく転がった。
この家ばかりではない。兵たちは次から次に町家を襲っていた。京の民衆は南軍を恐れるようになり、早く足利義詮が京へ戻ってくることを願った。
この事件は、すぐに東寺に駐留する正儀の耳にも入る。
「どこぞの兵が乱暴、狼藉を働いているようじゃ。我が軍ではあるまいのう」
「我らの兵は
津田武信が応じた。
「うむ、どこの兵か確かめて止めさせねば、我らは京の町中を敵にしてしまう」
正儀が
すると、一刻もせぬうちに舎弟、楠木
「兄者(正儀)、わかったぞ。盗賊まがいの兵は山名の陣に入って行ったということじゃ」
「何、山名か。面倒なことをしでかしてくれたものよ」
ふうぅと正儀がため息をついた。
「いかがなされます」
「わしが時氏殿と話してみよう」
そう言って、正儀が立ち上がった。
時氏とは京侵攻の折の軍議で、顔を合わせたという程度の仲であった。
武信を連れて正儀が山名の陣に入った。いかつい風貌の時氏が、ぎろっと睨むように正儀らに視線を動かす。
「これは河内守殿(正儀)、いかがされた」
「
「我が方の兵がか。それは証拠があるのか」
「盗賊紛いの兵が山名の陣に入っていくところ見た者がおります」
代わって武信が答えた。
すると時氏が、ふんと鼻で笑う。
「そのようなことでは証拠にならん。盗賊を捕まえて、ここに連れて来てからじゃ。そもそも、
「我が方の兵は男山に布陣させております。それと兵糧の蓄えもあり申す。山名殿は兵糧を十分お持ちですか」
正儀は時氏の痛いところを突いた。
「ふん、大きなお世話じゃ。されど、仮に我が兵がやったとて、それを責められようか。京に留まるには兵糧が必要じゃ。帰れと言うなら帰るがのう。あははは」
若い楠木党の棟梁を舐めてかかる時氏に、すかさず正儀が応じる。
「では、我が方の兵糧をお分け致す。それで、兵を抑えてくだされ」
「何じゃと。これは殊勝な……」
意外な申し出に、時氏は目を丸くする。
「……ううむ、まあ、もらえるものはもろうておこうか。ただし、兵が収まるかは知らんがのう」
「結構でござる。兵糧は後でこの陣にお運び致しましょう。ではよしなに」
正儀は一礼し、武信とともに陣を出ていった。
「楠木正儀……ううむ、あの
時氏は、かつて楠木
七月二十四日、京の報を受け、鎌倉から上洛の途にあった将軍、足利尊氏の軍勢が、
一方、尊氏の嫡子、足利
南軍に駆逐されて口惜しい義詮は、
「父上(尊氏)、
「まあ、そう気負わんでいい。昔から京は攻めるに易く、守るに難いところ。わしも楠木正成にはさんざんにやられた。そなたはその息子にやられたか。正成に似てなかなかやるではないか」
尊氏は、かつての幼い虎夜刃丸の顔を思い浮かべてにやついた。
「父上、笑っている場合ではありませぬ。嫡男の
「確か、そちと同じ歳じゃぞ。たいしたものよ」
この時、義詮と正儀はともに数えで二十四歳。義詮は、父が敵を
「なぜ父上が正儀の歳まで知っておるのです」
「そう、かりかりするな。すぐに京は取り戻せる。なぜだかわかるか」
「い、いえ……」
返答に困る義詮に、尊氏は口元を緩める。
「京の支配は一度の勝ち負けでは決まらん。京を支配しようと思えば、京の公家や
「父上が、それがしにそのような教えを説くのは初めてでございますな」
「んっ、そうであったか」
父、尊氏の言葉に、義詮は少し落ち着きを取り戻した。
尊氏と合流した義詮の幕府本軍は、美濃の
幕府軍の動きは、早くも京の南軍に伝わる。陣を敷く東山の寺には、総大将で大納言の二条教基を上座にして、補佐役の
「尊氏が動いたと聞くが、どうなっておるか」
すると、湯浅定仏が諸将の前に絵地図を広げる。
「はい、東から尊氏が、二万を超える軍を率いて近江に入った
「このままでは我らは挟まれる。何とかせねば……策はないのか」
軍議となれば、正儀が南軍全体の策を講ずるところである。だがこの時、赤松
南軍を指揮する四条隆俊は、正儀抜きでも出来るところを見せようと、実践経験が乏しいにもかかわらず口を開く。
「ここは、いったん男山まで撤退して、様子をみてはいかがであろうか」
「おお、それはよい案じゃ」
すぐに
しかし、
「いえ、それでは前回の二の舞。同じことになり申す」
しばらく思案してから、それではと、隆俊が再び口を開く。
「では、楠木は男山に、北畠中納言は比叡山に、山名殿は丹波に引いて、敵をいったん京に引き入れ、兵糧の補給口を断って、敵を飢えさせてはいかがじゃ」
「それはよい案じゃ」
またもや
「どこかで聞いた手でございますが、京の食料を買い占めるなど
今度は、山名時氏が否定した。
それでも諦めずに隆俊が続ける。
「では、こちらから全軍で近江に討って出てはいかがか」
「それもよい案じゃ」
またまた
「近江で戦うのと京で戦うのとでは何が違うのでございますか」
今度は
痺れを切らせた時氏が、立ち上って隆俊を見下す。
「大将たるもの、策の一つや二つは持っておくべきもの。策がないなら、山名は己で考えて戦をするまで。これ以上、話しても時の無駄でござる。これにて御免」
そう言って、時氏は陣を出て行った。
隆俊は万策尽きて配下の定仏に顔を向ける。
「湯浅入道、意見はないか」
「ここは、いったん引かれるべきかと存じます。
「それがしもそれがよろしかろうと存じます」
公家の北畠顕能までもが撤退に賛成する中、隆俊は正儀の顔を思い受かべ、苦々しそうな顔で唇を噛んだ。
軍議で撤退が決まると、隆俊は
山名の陣では、撤退の
「兵糧は棄ておいてはならんぞ。楠木からもろうた兵糧も持って帰るのじゃ」
「父上、南軍の二条様(教基)や四条様(隆俊)が撤収されましたぞ」
時氏が、
「総大将らが誰よりも先に撤退するとはな」
「あのような公家を将として仰がなければならんとは。南軍も人がおりませんな」
「じゃが、楠木は若いがなかなかの男じゃ。されど、公家の下で働いておっては、残念ながら器量が生きぬのう」
「まったくですな」
「では、我らも長居は無用じゃ。撤退しようぞ」
時氏は兵たちに前に立ち、全軍に撤退を命じた。
この南軍の動きに、正儀も摂津国
「兄者、六月九日に入洛して、今日が七月二十八日。
残念そうに言う舎弟の楠木
「こんなことを続けていては駄目じゃ。四条卿も
「それがしも、昔は兄者の考えがわかりませなんだが、今はようわかります。されど、武士を下にみる公家にわからせるのは、なかなかに難しい」
そこに津田武信がやってくる。
「殿、全軍、集まりましてございます」
「よし。赤松が来ぬうちに撤退じゃ。木津川沿いに大和を経て東条へ戻るぞ」
ただちに正儀の
南軍はひぐらしの声と共に京に現れ、その声とともに姿を消したのであった。
撤退の途に就いた楠木の兵たちは疲れていた。無理もない。この二年間、京へ進撃し、占領しては幕府に追い落とされるという、無益な戦の繰り返しであった。
退却する楠木軍の中に、一人、生気を失った男がいた。津田武信の配下、
(父上、わしは何のために戦っておるのであろう。わしが討死するまで続くのであろうか)
心の中で呟いた親久は、
(もう、戦は嫌じゃ……戦いとうない)
この世の無常を感じずにはいられなかった。
親久は
そのまま自分の館の前まで帰ると、その前で遊ぶ菊と、妻に抱かれた藤若丸の姿が目に入る。親久は少し遠くから、しばらくその様子に見入った。そして、おもむろに
「すまん……」
親久は小さく呟くと、館を背して行方をくらました。
楠木軍は、総大将の四条隆俊に遅れて河内国東条に帰還する。
龍泉寺城で兵を解散した正儀は、
帰還の挨拶をした正儀に、帝は口元を緩める。
「よく無事に戻った。そちには苦労をかけた」
帝に声をかけられ、正儀は恐縮する。
「
「親房の策には無理があったのか」
「それがし、北畠卿(親房)に直接、お考えを聞いておりませんので、
「足利を滅ぼしてもか」
「確かに将軍家があるかぎり、武士は将軍の元に集まります。されど、足利を滅ぼしても、武士は他の誰かに将軍の役を求めるでしょう」
難しい表情を浮かべながら答える正儀に、帝は静かに頷く。
「河内守(正儀)の考えは判った。今後も御所に来て、
「ははっ」
正儀は恐縮して頭を下げた。親房が
帝への拝謁を済ませた正儀は、
「河内守、ご苦労であった」
「かたじけのうございます」
頭を下げる正儀に、
「京より戻った北畠中納言(
驚いた正儀が、顔を向ける。
「例の件ででございましょうか」
「そうじゃ。北畠中納言も中宮様(北畠房子)
「そうでありましたか……」
正儀は言葉少なに応じた。同情でもなく、
途惑う正儀に、
「それと、父君の方の北畠卿のことじゃが……」
「今はどちらに」
「うむ、
「あの北畠卿が……」
気力みなぎる親房の顔を思い浮かべ、世の無常を感じた。
「あれだけ北畠卿にべったりであった
「河内守様(正儀)ではありませぬか」
はっと振り向くと、そこには伊賀局(篠塚徳子)が、侍女の
「こんなところでお会いできるとは……どうされたのです」
「
「う、うぅん……」
煮え切らない返事である。
「入りにくいのですね。私も同じです。では一緒に参りましょう」
「ちょっと待っ……」
伊賀局が、強引に正儀を引っ張って門を
屋敷のとば口に立った正儀は、息をぐっと吸い込んで、
庭への戸板を開け放った奥間には、布団の上で上体を起こし、
気位の高い親房が、寝所に自分たちを招いたことに、正儀は驚く。
「あの……お身体の具合がよくないと聞きました」
「うむ、隠居してから倒れてのう。それからは、ほれ、この通り、手足が上手く動かんのじゃ」
そう言って、ぎこちなく左手を上げてみせた。
「左様でございましたか」
「二人してわざわざ訪ねてくるとは、どのような用件じゃ。まさか、麿のこのような姿を見にきた訳でもあるまい」
強気の言葉は相変わらずであった。
「いえ、伊賀局殿とお会いしたのはこの屋敷の前。たまたまにございます」
そう言って、正儀は隣の伊賀局に目を配った。
「はい、私は
伊賀局はそう言うと、
「これはかたじけない。
通り一遍の返答に、伊賀局は
表面上は穏やかな対応だが、親房は見舞いの品に目もくれなかった。
自身の
「さて、河内守は何用じゃ」
「それがしは……」
咄嗟に理由を考える。
「……それがしは京の戦の様子を伝えに参りました」
「それならば我が子、
「い、いえ……」
再び、正儀は
その様子に、親房は
「では、麿から聞こう。そなたの兄、
「いえ、あの……」
刺すような親房の目に観念する。
「……わかっておいでですか」
正儀はゆっくりと顔を上げて応じた。兄、楠木
「そちは麿の策を恨んでおろうが、死を選んだのは
確かに親房の指摘の通りであった。
「ではなぜ」
「それを麿にたずねられても困る。
思い出したように、親房が口を開く。
「ただ……」
「ただ……何でございますか」
「武士の気概を見せられた。
「兄は……武士の気概を北畠様に見せつけたかったというのですか」
らしからぬ言葉に、正儀は驚いた。
「武士は公家の駒ではない、思い通りには動かぬ、ということを我ら公家に知らしめたということか……」
「それは武士の意地だと言われますか」
「いや、後の楠木一党のことを思うてであろう。正成も同じじゃ」
「では、楠木の跡を継ぐ者が、やり易いようにと思うて、父や兄は体を張った、というのですか」
自分で言いつつも、正儀は呆然としていた。
「先ほどから申すように、麿にはわからん。これ以上、詮索しても詮なきこと。後は己で考えることじゃ。麿はそろそろ横になりたい」
そう言うと、親房は肩で大きく息をした。
「北畠様、もう一つ、お聞きしてよろしいか」
「これで最後の質問にせよ」
「承知しました。我が兄の討死で、北畠様のお考えはお変わりになられたのでございましょうや。武士の扱いを変えようと思われたのでございましょうか」
食い入るような
「そなた、
そう言って親房は、顔だけ屋敷の庭に向ける。
「……麿が考えを変えたかどうかは自分でもわからぬ。ただ変わった者もおる」
「四条卿(
「そうじゃ。他にもな。麿の策に異を唱える者も増えた。そなたの兄のせいじゃ」
「そ、それは……」
思いがけない言葉に、正儀は戸惑った。
「どちらが善き世に導くか、麿はもう見届けることは出来そうにない。されど、そなたは生きて見届けよ。それが、そちを生かした兄の思いに応えることになろう」
顔を反らしたままで親房は応じた。
「は、はい」
「もう、よいか」
「お休みのところ、ありがとうございました。では失礼つかまつる」
そう言って、正儀はその場で深々と頭を下げた。
屋敷を後にした正儀の顔を、伊賀局が首を傾げて覗き込む。
「な、何でござるか」
「何だか、北畠卿にお会いする前とは表情が違いますね。先ほどのお話で、胸のつかえが取れましたか」
数日後の
「母上様、おかわりありませんか」
「これは
「母上を京へお戻しすることが叶わず、心苦しく思うております」
「京の戦のことでございますね。わらわも早う京へ帰りたいと思うておりましたが、少し考えを改めました」
「と申しますと」
「わらわの京へ戻りたいという思いが、
「それは考え過ぎというもの。河内守(正儀)が申しておりました。幕府を倒しても武士は次の幕府を求めるであろうと。武士がこのように考える限り、京に入ってもすぐまた奪い返されます。責任を求めるならば河内守(正儀)の言葉を無視した
「河内守はそう言われましたか」
「はい。河内守は、幕府を否定せずに和睦することを期待しているのでしょう」
「近頃、阿野中納言(
言葉を返す
「わかりませぬ。私は五歳で
「北畠卿があのようになったことは、
その言葉に帝は静かに頷いた。
「母上様、阿野大納言(
「まあ、
笑みを
急に正儀の縁談の話になり、驚いたのは、
「母上、奥向きに、誰かよき女房はおられませぬか」
「おりますよ。
「目の前とは……」
そう言いながら、帝は伊賀局に目を留めた。
「河内守はどうか知りませぬが、伊賀局は河内守のことを
「
「違うのですか」
すると、伊賀局は困った顔で沈黙する。
「ほう、そうであったか」
帝は納得顔で頷いた。
「伊賀局は、新田四天王の筆頭、篠塚伊賀守(重広)の娘です。河内守とであれば、ちょうど申し分なしかと」
「うむ、それでは河内守に問うてみましょう」
帝と
数日後、新たに再建された赤坂の楠木館に、中納言の阿野
「今日は、わざわざのお越し、恐縮でございます。いったい何事でございましょうや」
「今日は
「よっ、嫁でございますか」
正儀の気負いは一瞬で
「左様、そろそろ身を固めてもよい歳。
「帝がそれがしの嫁を心配していただいているのですか……何ともったいなきこと。恐れ入りまする」
恐縮して正儀は頭を下げた。
「で、河内守は、すでに決めている女房殿はおられるのか」
「特におりませぬが……いや、おるような……おらぬような……」
しどろもどろに正儀は答えた。
「何だか煮え切りませぬな。
「帝が自ら……されど、それがし、少々気になっている……」
窮する正儀に、
「
「えっ、い、伊賀局様ですか……」
「気に入りませぬか」
「い、いえ、とんでもない。喜んでお受けしとうございます」
一転して正儀が即答したことに、
「ははあ。さては、気になっている女房殿とは、伊賀局殿のことであったか。なるほどのう、これは傑作じゃ」
一方の正儀は、耳まで赤くしてうつむいた。
年が明け、正平九年(一三五四年)三月、正儀と、伊賀局こと篠塚徳子との婚儀が執り行われる。赤坂の楠木館に親族、一門衆、家臣と大勢の人が集まった。
主だったところでは、母、敗鏡尼(南江久子)と侍女の
さらには、八幡の戦いで討死した
そして、宮中で伊賀局に侍女として仕えた
「母上、嫁を紹介致しまする」
「篠塚
伊賀局こと徳子は深々と頭を下げた。
「帝自らが三郎のためにお選びいただいたとは、何と嬉しいことよ。しかも、
「母上様、もったいない御言葉です。これからは徳子とお呼びくださいませ」
笑みを浮かべた敗鏡尼がこくりと頷く。
「わかりました。
「まあ、母上様、さっそくお間違えです」
「まあ、わたくしとしたことが……ほほほ」
三人の間で屈託のない笑いが響いた。
徳子を連れて上座に戻った正儀は、舎弟の
「弟の四郎を紹介しよう。四郎、これに」
「伊賀局様、弟の四郎
そう言って徳子の杯に酒を注いだ。
「四郎殿、こちらこそお願い致します。ただ伊賀局はおよしください。もう
「では姉上とお呼びしましょう」
「本当の弟ができたようで、嬉しゅうございます」
父母に先立たれた徳子は、家族ができたことに心底、嬉しそうな表情を浮かべていた。
和やかな宴が続く中、突如、中納言の阿野
一同が驚き、居住まいを正そうとするのをみて、
「今日は無礼講じゃ。麿に構わずにやってくれ」
そう言って、
「帝と
「中納言様自らが、これを渡しに山を越えてやってこられたのですか」
正儀と徳子は目を丸くして驚くとともに恐縮した。
「二人の婚儀をどうしても見てみたくてな。麿がその役を買って出たまでのことじゃ」
驚く正儀と徳子に、
「これはかたじけのうござる」
「ありがとうございまする」
二人は
宴もたけなわ、和田正武が突然立ち上がる。
「どれ、三郎殿(正儀)と奥方のために、一つ、わしが舞を進ぜよう」
周りがどよめく。
「武骨な新九郎(正武)殿に舞などできようか」
「これは見物よ。もう生涯、見られぬぞ」
「うるさい」
茶化す周囲を一喝して、扇を片手に歌を口づさみ、
「新九郎殿、かたじけない」
正儀は、正武の気持ちが嬉しかった。
舞の後、おもむろに正儀が立ち上がる。
「皆、聞いてくれ。わしから一つ話がある。四郎、これに」
舎弟の
「この宴席を借りて、わしから四郎に渡したいものがある」
「なんじゃ、兄者、突然に」
「まあ、そこに座れ」
正儀が皆の顔を見渡す。
「皆も知っていよう。四郎が
「どうしたというのじゃ」
首を傾げる
「
「何、わしに正の名を……」
「そうじゃ。すでに
「
「おお、よい名じゃ」
「よかったな、四郎」
一門の正武や従弟の正近が寄ってきて、正澄の肩を叩いて喜んだ。
その頃、
勝子の侍女が現われて、下座から
「失礼致します。一の宮様(
その場に居た女房衆は眉をひそめる。そして、互いに顔を見合わせて、ひそひと小声で話した。
十二歳の
「そうですか。では、さっそくこちらへ御渡りいただくよう、一の宮様の御付きにお伝えくだされ」
勝子がそう応じると、女房衆らの顔色が変わる。
「
「一の宮様とは関わりを持たぬのがよいのではありませぬか。後ろ楯をなくしたとはいえ、本来は皇位を争うお立場」
女房たちが意見した。
「一の宮様に御歌を御教えする約束を致しました。いけませぬか。一の宮様も
勝子にとって、
しばらくして
三月二十二日、帝(後村上天皇)は、
正儀が四
そして、
正儀の心に、親房の死は重くのしかかる。兄、楠木
正儀は妻となった徳子を伴って、
正儀は、妻を
多聞丸の名は楠木正成の幼名でもあった。由来の多聞天とは
母、内藤
楠木館の広間で、正儀と徳子が、紀伊から到着した多聞丸を迎える。
「多聞丸、寂しい思いをさせてしもうた。そなたを迎えてやるのが遅くなってすまぬ。これは我が妻の徳子じゃ。お前を引き取ったからには、わしを父、徳子を母と思うがよい」
「多聞丸殿、これから仲よく致しましょう」
徳子の呼びかけにも、多聞丸は視線を合わせようとはせず、無言で頭を下げた。
「それにしても、しばらく見ぬうちに大きくなった。幾つになったのじゃ」
「九つ……です」
正儀の問いかけにも、多聞丸は目を合わせずに応じた。
「いかがした、多聞丸。元気がないようじゃのう」
「いえ、そのようなことはございませぬ」
とはいうものの、その言葉に覇気はなかった。さらに言葉をかけようとする正儀を、制するように、徳子がその
「今日は着いたばかりで疲れているのでしょう。多聞丸殿、早めに休まれるがよい」
徳子に
「慣れぬところに来たからでしょう。
徳子は正儀が心配しないよう気遣った。そして、はたと気がついたように正儀に向き合う。
「
「うむ、それならばすでに考えがある。ここに呼んでおるぞ」
しばらくすると津田武信が現れ、正儀と徳子の前に座る。
「殿(正儀)、お呼びでござるか」
「うむ、その
「それがしがでございますか。いや……まだ嫁ももろうておりませぬゆえ、子の扱いなどわかりませぬが」
とんでもないと言わんばかりに、武信は顔の前で手を振った。
「兄として接してくれればよいのじゃ。そなたの兄、津田
「そういえば、又二郎も入れて、よう三人で怒られましたな」
「それでよいのじゃ。それにお主なら戦の才もある。よき武将に導いてやってくれ」
正儀にとって、幼いときから寝食をともにした、この武信と河野辺正友の二人は、特別に気が置けない家臣であった。
武信が笑顔を見せる。
「そういう事なら、承知つかまつりました」
「多聞丸殿は、この城に入ってから、少し元気がありませぬ。気に留めておいてくださらぬか」
横から徳子が付け足した。
「左様でございますか……奥方様、では、それがしが様子をみて参りましょう」
そう言って、武信は奥の間から下がって行った。
館の縁側に座った多聞丸は、何をするでもなく、ぼんやりと外を眺めていた。
「多聞丸殿、ここにおられたか」
武信の問いかけにも、多聞丸は黙っていた。
「それがしは、多聞丸殿の
「そうか」
多聞丸は顔を合わすことなく言葉を返した。
「どうされました。元気がありませぬな。殿(正儀)も奥方(徳子)も心配されておられましたぞ」
多聞丸は武信を相手にするのが面倒なのか、くるっと背を向けた。
「なるほど、多聞丸殿は育った橋本の家を離れ、寂しいのでございますな」
すると多聞丸は、きっとした眼差しで振り向く。
「当麻」
「お、喋っていただけましたな」
「お前はうるさい……」
武信は笑顔のまま固まった。
「……当麻は知っておるのか。死んだ我が母上のこと。ここに来て皆に聞いてみたが、誰も母上の墓のことを知らん。なぜなのじゃ。なぜ母上は死んだのじゃ」
多聞丸の質問に武信はううむと唸った。多聞丸の母、内藤満子は死んではいないからである。
多聞丸が預けられていた橋本の分家では、周囲の者が気遣って、死んだことにしていたようである。
武信は、多聞丸が元気のない理由を理解すると、咄嗟に嘘が口を突く。
「多聞丸殿の母上の墓は
武信の苦し紛れの言い訳であった。
「敵方……それで皆は知らぬ振りをしたのであろうか」
「それがしにもわかりかねますが、おそらく……」
「そうであったか……」
多聞丸は顔を上げる。
「……当麻、よう言うてくれた。ありがとう」
「いえ……」
頬を緩める多聞丸に、武信は心の
十月二十八日、帝(後村上天皇)は河内国にある
すでにこの年の三月には、北朝の四
女も参拝できる天野山金剛寺は、女人禁制の高野山に対し、女人高野とも呼ばれている。そして楠木氏の
帝が河内国に動座した理由は二つ。一つは、正儀の活躍で南朝が摂津国の住吉郡までを支配下に置き、勢力圏が北に広がったこと。さらに一つは、河内の守護でもある正儀を頼りにしたためである。北畠親房亡き後、右大臣の
動座は、ひとえに正儀と
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