第44話 家督相続
元中三年(一三八六年)正月、千早城の背後に迫る金剛山は、
前年に大きな痛手を負った楠木党は、実質、赤坂城から千早城に至る河内の山岳部に押し込められる。正儀は息子の正勝・正元とともに、幕府軍の急襲に備えるために、楠木館を空けて、楠木本城である赤坂城(上赤坂城)に居を移していた。そして、楠木
新年を迎えた正儀は、数え十五歳となった多聞丸に元服を執り行うこととする。赤坂城には楠木一族は元より、和田正頼・
続けて、正儀が書き物を手にして多聞丸にかざす。
「お前に正秀の名を与えよう。今日からそなたは、楠木九郎正秀と名乗るがよい」
「大殿(正儀)、ありがとうございます。父(橋本
そう言って、多聞丸改め楠木正秀は頭を下げた。
後ろに控えた
「お前には、楠木正成、楠木
そう正秀に語りかけながら、正儀は、兄の
思えば、正成、
無事に元服の儀が終わると、正儀は上座から一同をゆっくりと見渡す。
「皆、聞いてくれ。九郎(楠木正秀)が元服した今日をもって、わしは楠木の惣領を小太郎(楠木正勝)に譲り、又次郎(河野辺正友)と供に赤坂城を出る事とする」
そう言って正友と顔を見合わせ、互いに小さく頷いた。
十七年前、正儀が幕府に参じるにあたり、いったん家督を正勝に譲った。だが、正儀が南朝に帰参したことで、舎弟の正顕が朝廷から任じられていた河内・和泉両国の守護の地位、および正勝が持つ楠木の家督は、再び正儀の元にあった。
その正儀の決意に皆がざわつく。
「父上(正儀)、何もこの城を出ることはありますまい」
正勝が慌てて正儀を押し留めた。しかし、正儀は首を横に振る。
「わしは
「
正元も正儀の唐突な決断に困惑の表情を浮かべた。
「これまで戦で多くの
その言葉に、皆、亡くなった者の顔を思い浮かべ、口をつむぐ。
「……戦はここ一番のときに行うものじゃ。されど、これまでの強硬な
正勝が表情を柔らかくして頷く。
「承知しました。父上がお決めになった事じゃ。我らは従うのみでござる。赤坂・千早城はそれがしが守ります。御安堵くだされ」
嫡男、正勝の存在は、正儀にとって心強いものであった。
「それがしも、小太郎の兄者(正勝)の元で力を尽くします」
元服し立ての正秀も口元を引き締めた。
そんな正秀に、正儀は
その
「今日からその
「
噛みしめるように
楠木の
一方、母の
四月、楠木一門の棟梁となった楠木正勝は、朝廷(南朝)より
この日、正儀は参議として
「紀伊の年貢は滞り、河内も以前の半分にも満たぬありさまです。今はこの南大和の年貢と、北畠大納言の伊勢半国の年貢しかありませぬ」
二列で向かい合って座る
伊勢の南半国を支配するのは先の右大臣、北畠
この状況に、関白の二条
「ううむ、もはや幕府との和睦しか残されておらぬのか……」
「恐れながら申し上げます……」
末席から正儀が声を上げる。
「……これだけ衰退した今、我らから和睦を乞うては、全て幕府の言いなりにならざるを得ません。今は我慢の時かと存じます」
これに憤慨したのは、
「そなたは和睦を欲していたのであろう。変節したのか」
「滅相もございませぬ。それがしは今も変わらずに和睦を求めております。されど、今の我らには幕府に要求を飲ませるだけの力がありませぬ。さすれば、幕府の要求を一方的に飲まざるを得ません。和睦とは、互いに譲るところがあってこそ。一方的に相手の言い分を飲むのは和睦ではなく降参にございまする」
正儀の言葉に一同は頷き、
「
「まずは、大和、河内、紀伊で少しでも勢力の回復を図りつつ、時期をお待ちいただきとう存じます」
「時期……時期とは何ぞや」
「我らは北河内に畠山基国、和泉に山名氏清、そして紀伊に山名
「うむ、それは承知しておる。じゃが、そちの言うように、待てば状況が変わると申すのか」
「朝廷(南朝)との戦で得をしたのは、所領が増えた先の者ばかり。それがしが京に放った
それまで沈黙していた内大臣の阿野
「関白様、
得心した表情で
「なるほどのう、さすがは
「ははっ。ただそれまでしばらく時を要すかと存じます。我らはこれ以上、力を削がれないよう守りを固め、力の回復に務めなければなりませぬ。近隣の豪族に働きかけ、味方に引き入れたく存じます」
正儀の意見に、今度は右大臣の吉田
「
「はい、それには南軍にまだ力があるところを見せねばなりませぬ。挙兵して我らの存在を示します。ただし、我らの力では山名や畠山とまともにやり合っても勝てませぬ。討って出て、逆に敵が討って出てくれば、さっと兵を引き上げます。敵を倒すことが目的ではありませぬ。あくまで我らの存在を示せばよいのです」
「
「承知つかまつりました」
正儀は、軽く
さっそく正儀は参議として河内、紀伊、大和の諸将に出兵を
出陣した楠木軍の中には、元服したばかりの楠木正秀の姿もあった。正秀の騎馬の両側に、正勝と正元が馬を付ける。
「九郎(正秀)、お前にとっては初陣じゃ。無理をすることはない。わしや小次郎(正元)の後に着いてくればよい」
「そうじゃ。
正勝と正元の言葉に、正秀は
「承知っ。されど、それがしとて楠木の男。単に後ろに下がっていることはできませぬ。今日まで鍛錬してきたのです。機会があれば、それがしにお任せくだされ」
気負う正秀に、正勝は正元に目を見合わせて、苦笑いを浮かべる。
「判った。機会があれば、お前に任せよう」
「か、かたじけのうございます」
正勝の言葉に正秀は喜び勇んだ。そして、その後ろから馬で従う
大和五條に集結した南軍は、紀の川沿いに西に進み、桂木の幕府代官所を襲い、さらには紀伊国府に向けて進軍した。
突然の南軍の動きに驚いたのは、紀伊国府の守護館に居た幕府側の紀伊守護、山名
「南軍の数はどのくらいじゃ」
「はい、二百余騎ばかりかと」
「わずか二百じゃと……ううむ」
その数で仕掛けてくるとは、正気の沙汰と思えない。逆に、何か罠があるのではないかとさえ疑った。
重臣が、そんな
「殿、いかが致しましょうか」
「ううむ、すぐに討伐軍の
「承知致しました。それではさっそく……」
重臣はそう言うと
「ここは、我が領地、南軍が罠など仕掛けられるはずはないか……ふふ」
薄ら笑いで、
出陣の用意を整えた
「申し上げます。南軍は紀伊国府を目の前にして急に反転。大和へ向けて兵を引き上げました」
「何、引き上げただと。いったい何なのじゃ」
南軍を率いる楠木正勝は、南軍がいまだ健在であることを世の中に示すだけでよかった。
それから
楠木党は一年間、こうした動きを辛抱強く繰り返す。初陣を飾った正秀にとって、この軍事行動は、正勝や正頼から戦の
南軍のこうした動きは、尾ひれが付いて噂が広がる。京に伝わる時には、南軍が二千余騎で山名
結果、息を殺していた南朝寄りの豪族たちの中から、噂を聞き付けて、正勝らに呼応する者たちが現れた。
元中四年(一三八七年)七月、正儀は南軍の状況を
「
一つ一つ豪族の名前を上げて、正儀は帝を勇気づけた。
「
「はっ」
正儀は再び深く頭を下げた。
「
美木多助氏・
「書状を送っておりますが、返事はありませぬ。美木多の所領は和泉。しかも、山名氏清の居城からも遠くはありませぬ。我らに帰参すれば、滅ぼされるのは必定。和泉の所領を捨ててまで、こちらに帰参するのは難しいかと存じます」
正儀の説明に
「ところで
「はい。それがしは九州のてこ入れが急務と存じます。征西大将軍の
「昨年、幕府方の今川
正儀の説明に、
「げにも。宮様(
帝は大きく頷き、自ら口を開く。
「
「
続けざま、帝が直接、正儀にたずねる。
「
「ははっ、関東は幕府の中から
正儀の話に、納得顔で
「確か、幕府の小田孝朝が、
「
「なるほど、
帝の言葉に
後日、朝議で正儀の意見は決議された。南朝は
その数日後、
正儀は知らせを受けて、
「よくやった。
「父上(正儀)、わざわざお越しになり、申し訳ありませぬ」
「いやいや、そのままでよい。産後は無理をしてはならん」
起き上がろうとする
「伊賀(徳子)にも見せてやりたかったものじゃ」
そう言って、
亡き母の名に、一瞬、顔を曇らす
かつて、後村上天皇と交わした言葉が思い出された。正儀は、幼い
「どれ、爺様が抱いてやろう」
正儀が
「
「ううむ、抱けぬのか……では、明日はどうじゃ」
「父上、今日も明日も同じでございますよ」
「ううむ、致し方ないのう」
しぶしぶ手を引っ込める正儀に、
平和で穏やかな時が流れる中、
「父上、この平穏な日々はいつまで続くのでしょう。兄上(楠木正勝)はたびたび、兵を出していると聞きます。また戦になるのでしょうか」
「小太郎(正勝)が行っているのは戦をせぬための戦じゃ。必ずや南北合一を行って、そなたを京に連れていってやろう」
そう応じる正儀に、
「父上、私は
「そうじゃな……ほんに」
七月の終り、
「又次郎(正友)、もう、身体の方は大事ないのか」
正友は体調を崩して、ここしばらく寝込み、正儀の元に顔を出していなかった。
「風邪をこじらせただけにございます。ご心配をおかけしました」
「そうか、わしもお前ももう歳じゃ。無理はするな」
「承知しました」
そう言って、正友は笑いながら頷いた。嫡男の正国が、
「それはそうと大殿、菱江忠儀からの知らせにございます。
「何、
「七月二日に、自らの館で息を引き取ったとのことでございます、予てから身体を壊して
正儀と同じ時代を生きた武将が、また一人亡くなった。
そして、幕府と対立していた山名時氏、大内
しかし、
三回目の京への侵攻で、正儀は初めて
正儀は立ち上がり、縁に出て遠くに目をやる。
「
静かに目を
故人を
「ごほっ……うう、ごほ、ごほ……うう」
ただならぬ背後の
歩み寄って正友の背中を擦る。
「又次郎、どうした」
正友の掌に血痕が見られた。正友はしばらく苦しがった後、次第に落ち着きを取り戻す。
「大殿、もう、大丈夫でございます。心配をおかけしました」
「無理をするな。館に戻って、しばらく療養せよ」
只事ではないと悟った正儀は、郎党に正友を送らせた。
京、室町にある花の御所。征夷大将軍、足利義満の元に、幕府
「慈恩寺殿(足利
「
義満の前で照禅にたしなめられた
「これは申し訳ありませぬ。慈恩寺殿の冥福を祈りたいと存じます」
「照禅、
「承知致しました。
そう言って、照禅は軽く頭を下げた。
「御所様、
強硬な
「降参した
「も、申しわけございませぬ」
以前は、
「ところで、越前守(
義満が問いかけると、
「近頃、河内の楠木が、たびたび、出兵を繰り返し、幕府の領地を脅かしております。早めに討伐したく、お許しを得ようと参りました」
「楠木か……そのことは照禅からも聞いておる。じゃが、たかだか百や二百。兵を出しても、その地を維持するだけの力はなく、すぐに兵を引くありさまと聞いておるが」
義満は
「されど、楠木の挙兵に呼応して、南軍に走る者たちも出て来ております。これこそ、早いうちに後世への
「楠木正儀はもう老齢であろう。自ら出陣をしておるのか」
「いえ、すでに嫡男の小太郎正勝に家督を譲っておるようです。おそらく兵を率いているのは正勝ではないかと思われます」
「楠木正勝……か。歳は幾つじゃ」
「それは存じ上げませぬが……」
「正儀の年齢からして御所様と同じような歳かと存じます」
「よかろう、楠木討伐に出陣するがよい。正勝の将としての器を量ってやろう……」
義満は、これまでの楠木との
「……じゃが、
義満としては、千早攻めで失態が
対して
「承知しました。では、楠木を封じてご覧に入れまする」
「越前守(
六分の一衆と呼ばれる山名一族が、これ以上、
「御所様、承知致しました。討伐軍は畠山を中心と致しましょう」
内心は
八月、ここは
御殿の下には、正勝と舎弟の楠木正元、それに千早城の楠木
正勝は兵を後ろに座らせ、自らは正元ら一族とともに、具足(
帝が
「
「はっ。承知つかまつりました」
帝の引見が終わると、正勝は深々と頭を下げて立ち上がる。
「者ども、いざ、出陣じゃ」
「おお」
後ろに控える兵たちとともに、正勝は気勢を上げた。
「わしがお前たちを見送る側になろうとは……歳をとったものだ」
「では父上(正儀)、出立致します」
一礼をして、正勝は軍を大和五條へと進めた。
いったん五條に出た楠木正勝は、紀の川沿いに伊勢街道を西に進み、紀伊国府に向かう考えであった。しかし、事態が急変する。
南軍の元に、河内から早馬が駆け付けた。息を切らせた伝令が正勝の前で馬から飛び降りて、片ひざを付く。赤坂城に留守居役として残った菱江忠儀が差し向けた使いである。
「殿(正勝)、大変でございます。畠山軍が南河内に侵攻しました。その数およそ三千余騎」
「何じゃと」
正勝は驚きの声を上げた。舎弟の楠木正元が馬を寄せる。
「赤坂城や千早城の者たちは無事か」
「はい、いずれの方々も御無事です。畠山軍は
「どうする、兄者(正勝)」
正元に問われ、正勝は苦渋に満ちた表情を浮かべる。正勝には、楠木軍のみならず、
翌日、幕府の河内
その基国の元に、南軍の様子を
「報告致します。楠木を中心とする南軍三百は、昨日、
「うむ、ご苦労であった」
「我らはこのまま進軍する。五條を抜けて、
「殿、
「我らに南主を攻める意志はないが、楠木討伐の際に巻き添えをくらったとなると致し方のない事じゃ」
基国は薄ら笑いを浮かべながら答えた。
将軍、義満の意思とは別に、
基国は、細川頼之が幕府
畠山基国は
「敵襲じゃ」
「南軍が襲って来たぞ」
兵たちから声が上がった。
畠山の本軍を急襲したのは、南軍の橋本
「こしゃくな南軍め。討ち取れ」
基国の怒声で、兵たちが手に手に弓を持って反撃の矢を放つ。兵力で圧倒する畠山軍が襲い掛かると、南軍は多くの死傷者を出して大和五條に向けて敗走した。
「これは好都合じゃ。この先には
南帝(後亀山天皇)に兵を挙げるきっかけを得た基国は、
南軍の様子を
「殿、百姓を
「南……十津川か……よし、皆の者、我らは急ぎ南軍を追撃する。
基国は絶好の機会にほくそ
畠山軍が過ぎ去った
「
正儀の呼びかけで、帝が阿野
「危ないところであったな」
帝は大きく息を吐いて、安堵の表情を見せた。
正勝の南軍が護って十津川郷に向かったのは帝の
正儀は、馬を用意して帝や中宮(皇后)、皇子たちを背に載せ、自ら帝の馬の
一方、南軍の後を追った畠山基国は、馬上で首を傾げる。
「おかしい。なぜ南主(後亀山天皇)たちの
その時、軍勢の先頭から伝令を乗せた馬が引き返してくる。
「殿、この先にたくさんの
「何、ここで消えたじゃと……」
基国は、報告を聞いてあたりを見渡した。あたりは深い山である。たかが二、三百程度の兵が霧散して山の中に入っていったとすれば、探しようがなかった。
「くそ、逃げられたか」
基国は
後日、京の室町
将軍、足利義満は、自慢の庭で池の鯉に餌をやりながら、
「誰が、
義満は照禅の報告に、怒鳴り声を上げる。
「……
「そ、それは定かにはわかりかねますが、おそらくは成りゆきで畠山殿(基国)もそうなったのではないかと思います」
「ふうむ。それで南主の行方は」
義満の逆鱗に、照禅は額に浮き出た汗を手で
「後で知り得たことですが……南軍とともに南に向かったと思わせ、実は
「ううむ。南軍を指揮していたのは正儀の
「ただちに」
義満は、その場を下がっていく照禅の背から池の鯉に視線を戻し、餌を手にする。
「楠木正勝か……」
楠木家の跡継ぎの名に、にやりと口元を緩め、池の中に残りの餌を投げ入れた。
そして数か月後、南朝は畠山軍が撤退した
「兄者(正儀)、美木多助氏殿が亡くなった。病だったそうじゃ」
「助氏殿が……そうか……」
一時代をともに駆けた武将が、また一人亡くなったと知り、正儀は茫然とする。
助氏は楠木の与力として、正儀にとって心の通じ合う心強い武将であった。しかし、
「兄者、聞くところでは、助氏殿は、最後に兄者に従って朝廷(南朝)に帰参できなかった事を悔やんでおられたようじゃ。兄者と敵味方に分かれたままで死を迎えたくはなかったのであろう」
「助氏殿の本居は山名氏清の館のすぐ北。朝廷(南朝)に降れば、確実に滅ぼされる。自らの一族を守るためには致し方がない事じゃ」
「されど兄者は、いざというときには、山名を北から攻めるための大事な戦力とも考えておったのであろう。それも助氏殿が亡くなったことで
正儀は苦笑いを浮かべる。さすがに弟の正顕は、正儀のことをよく理解していた。
「ところで四郎、又次郎の具合はどうじゃ」
河野辺正友は、正儀の前で吐血してから、南河内の自身の館で養生していた。
すると正顕は難しい表情を正儀に見せる。
「それが、見るたびに痩せ細っておる。今日はそれもあって兄者を訪ねたのじゃ。一度、見舞ってやるがよい」
「そうか……わざわざ、すまなかった」
正友の様子に、正儀は元気なく応じた。
二人は特別な関係であった。まだ幼かった正儀が、東条を離れ津田範高の館に迎えられた時からの近習で、津田武信を加えた三人は固い絆で結ばれていた。武信が討死してからは、正儀は全てを正友に頼った。二人の仲は、弟の正顕でさえも嫉妬するほどあった。それだけに正顕は、正儀を気遣った。
後日、正儀は
「これは大殿(正儀)、お見苦しい姿を……」
起き上がろうとすれども、身体に力が入らないようであった。その様子から、もう幾ばくもない命と、正儀は悟る。
「いや、そのまま」
その言葉に、正友は申し訳なさそうに、そのまま横になった。
正儀は感情を抑えつつ、手にした
「珍しいものが手に入ってのう。これは
そう言って、卵が入った
「今朝、朝議が開かれた。わしは二条様(
枕元で正儀は残念そうに語った。これに正友は、寝たままに
「公家とは勝手な者たちにございますな。これまで大殿がたびたび作った和睦の機会を反古にしてきたのは、御自分たちだというに……されど、大殿は、それでも君臣和睦を貫くのでございましょうな」
「無論じゃ。常久殿(細川頼之)が幕政に戻れば、再び和睦の話が進むであろう。そのときまでの辛抱じゃ」
すると、正友が微かに首を左右に振る。
「大殿はあまりにも常久殿を信頼し過ぎです。常久殿とて、利なくば楠木を見限るでしょう。それがしは心配でござる」
「大丈夫。常久殿はきっと我らを助けられる。又次郎(正友)、君臣和睦の
もちろん、正儀も南北合一は簡単ではないことをよく解っている。まだ、ひと山ふた山越えなければならない。それでもそう答えたのは、正友の心の負担を除きたかったからである。
「大殿、それがしはそれまで持ちますまい。あの世で南北合一を見届けることに致します」
そう言って正友は笑みを浮かべた。
「いや、駄目じゃ。わしと一緒に京に入るのじゃ。これはわしの
正儀は涙をこらえて正友の手を握る。しかし正友は、ただただ微笑みを返すのみであった。
正友が亡くなったのは、それから
年が明け、元中五年(一三八八年)二月、将軍、足利義満は和泉守護の山名氏清を従えて高野山
一つめは、表向き中立を保つ高野山に対し、幕府に反抗しないよう釘を刺すこと。
二つめは、紀伊の豪族に対して将軍権威を見せつけること。将軍が紀伊を遊覧するほどに紀伊は幕府の治める地となった事を、地の豪族らに知らしめ、南軍に馳せ参じるかもしれない潜在的な南軍戦力を削ごうということである。
そして三つめは、山名を探ること。山名は一門で全国の六分の一に当る十一カ国の守護で、六分一衆と呼ばれた。和泉の山名氏清だけで、他に丹波、
義満は、乱世の
義満の
「
「紀伊への道中、この
「うむ、頼もしき限りじゃ。高野山への
「はっ。紀伊では、我が兄、
氏清は、義満に要らぬ疑いをかけられまいと注意し、よい印象を与えることに終始していた。
翌日、義満は、氏清を従えて紀伊に出立した。
将軍、足利義満が紀伊に入ったことは、
「義満は、今日にも紀伊に入るようじゃ。このまま、義満の好きにさせておいてよいものか。皆の意見を聞きたい」
強硬派が威勢を失った
右大臣の吉田
「義満の動きは、紀伊の豪族たちへ自らの力を見せるためでありましょう。せっかく
由々しきことと気色ばむ
「右大臣様の仰せは最もな事なれど、義満に対して兵を挙げるとなると、幕府に朝廷(南朝)討伐の口実を与えてしまうことになりませぬか。そうなると、山名や畠山だけでなく、諸国から集められた幕府の大軍が押し寄せて参りましょう。
この後、
関白、二条
「義満を討ち取る算段がつけば出陣を考えられるが、負ければ朝廷の立場はますます悪くなる。難しいのう」
「関白様、我らの今の兵力では山名兄弟には勝てませぬ。そうであろう、
内大臣の阿野
「
「それはどういう意味じゃ」
「それがしが見るところ、すでに幕府は、将軍や
この正儀の言葉に、関白の
「では
「
「そのようなことができるのか」
右大臣、
紀伊国に入った将軍、足利義満は、紀伊守護の山名
その後、一行は紀伊府中の守護館に入る。ここで
「御所様(義満)、これにて紀伊における幕府の権威は確実なものとなりました。それがしもこれで領国経営にいっそう励めまする」
「紀伊国は
「ははっ」
義満の言葉に
酒が入って一同がよい気分になった頃、義満が氏清を呼び寄せ、酒を勧めた。
「御所様、
義満の酒を
「かつての
そう言って義満が大笑いすると、氏清は顔を強張らせて閉口した。そんな氏清の態度を、義満は冷静に観察しながら話を続ける。
「されど、六分一衆と呼ばれるほどに山名が大きくなったのも、そなたたち兄弟の働きがあってこそじゃ。さぞ、惣領の
弾正とは亡き山名時氏の五男、山名
「惣領などと申しても……我らが苦労して手にした領国が、あやつのものになるわけではございませぬ」
「そうか、
そう言って笑いながら、義満は銚子を持って氏清の盃に酒を注いだ。
「まあ、何と言えばよいか……」
氏清が返答に困っていると、会話を聞きつけた兄の
「御所様、酒が不味くなりますゆえ無粋な話はそれまでとされて。さ、一献、参りましょう」
「そうじゃな、
そう言って義満は口元を緩めた。
義満は翌日以降も紀伊を遊覧し、二十日ばかり紀伊に滞在した。
三月十三日、将軍、足利義満の一行は、和泉守護、山名氏清の護衛で紀伊国の府中から、京に向けて出立しようとしていた。
紀伊守護の山名
「
「何、南軍が……」
将軍の面前で面子を
南朝方の公家武将、広橋
氏清は鼻で笑う。
「御所様(義満)、兄者(
「いや、万が一のことがあってはならん……御所様、
念には念を入れて、
「うむ、そうするとしよう。されど、南軍を恐れて将軍が迂回したなどと思われては恥じゃ。
「ははっ」
折角の紀伊見物の最後を汚された義満の声は、誰が聞いても不機嫌そうであった。
三月十六日、楠木正勝・正元の兄弟は、河内国平尾に楠木軍を招集する。義弟の正秀は元より、千早城の楠木
正秀は焦りを隠しきれない表情で、正勝に対する。
「小太郎兄上(正勝)、騎馬隊ばかり三百は集まりました。されど、足利義満は三千の兵を従えております。しかも、ここは
「九郎(正秀)よ、刃を交えるばかりが戦ではないぞ。戦わずして勝つのじゃ」
「戦わずしてどうやって将軍(義満)の首を取るのですか」
「首は取らぬ。こたびは朝廷(南朝)の威厳を保つのが目的じゃ」
そう言うと正勝は、納得がいかぬ正秀を残して兵たちの元に戻った。
将軍、足利義満の軍勢は
「来たぞ、義満の一行じゃ」
正元の声で正秀はあたりを見渡す。だが、軍勢の姿はどこにもない。
「小次郎兄上(正元)、将軍はいったい、どこに」
正秀の問に、正元が
「あそこじゃ。微かに土ぼこりが舞い、鳥たちが飛び立つのがわかろう」
それは南軍から一里も西を北上していた。
「あんなに西を……」
てっきり、一行の通り道で待ち伏せしているものと思っていた正秀は驚いて、目を白黒させた。
「足利義満は紀見峠ではなく
「されど、あのように遠くでは、戦はできませぬ。しかも、今から駆けても、敵に逃げられてしまいませぬか」
あせる正秀に、正元はただ笑みを浮かべるだけであった。
義満が北上したのを見定めて、正勝が馬に乗る。
「皆の者、出陣じゃ。幕府軍を追撃する」
続いて、楠木
驚いたのは将軍、足利義満に従い行軍する山名軍である。後方から報告に駆けあがった兵に山名氏清が問いただす。
「何事じゃ」
「一里ほど後方に、南軍と
「何じゃと……敵の数は」
「土煙でよくわかりませぬが、たいした数ではありませぬ。反転して討ち取りますか」
「ううむ……」
氏清は思案する。
「……いや、御所様(義満)が御一緒じゃ。万が一のことがあっては山名は
氏清は義満の
「何、南軍が……」
「恐れながら、御所様におかれては、馬に御乗換えいただき、急ぎこの場を通り過ぎられますようお願い致します」
氏清の奏上に義満は頷き、すぐに馬に乗り換える。そして、氏清の先導の元、急いで軍を進めた。
追撃する楠木正勝は、将軍一行が行軍を速めて楠木軍を振り切ろうとするのを見定める。そして、河内の国府あたりまで進軍すると、兵たちに向けて声を張る。
「止まるのじゃ。もうよい。深追いは止めよ」
正勝の
「よし、将軍、足利義満は我らの勢いに恐れをなして、逃げていったぞ。それ、小次郎(楠木正元)、
「承知、我らは将軍を追い払ったぞ。えいおう。えいおう」
「えいおう、えいおう」
正元の
楠木正秀は、一矢も射ることなく戦が終わったことに呆然とする。
「さ、若様も」
「あ、ああ……えいおう、えいおう」
正秀も
国府のあたりは人通りも多い。人々は突然現れた将軍の行軍と、跡を追い駆けてきた楠木軍に驚き、物陰に隠れて様子を
「あれは、菊水と
「初めに通り過ぎたのは、
「ということは、南軍が将軍の軍勢を敗走させたということか」
人々が言葉を交わした。
楠木正勝は、わざわざ人通りの多いところを選んで
雨山で南軍が兵を上げれば、必ずや将軍一行は
全ては正儀が正勝に授けた策である。ここまでは正儀の計算通りであった。
だが、この直後、予期できぬことが起きる。南朝方の桜井
しかし、護衛である山名氏清の兵は無傷のうえ、出迎えに出てきた畠山基国の軍勢も加わる。桜井党はいとも簡単に幕府勢に取り囲まれ、
せっかくの
正儀の良策も功を奏さず、意気消沈する楠木の人々を、更なる不幸が襲う。楠木正勝の妻、
「母上、母上」
九歳の金剛丸と十三歳の照子は、母、
楠木の菩提寺である
葬儀には、
葬儀の後の観心寺
「兄上(正勝)、少しよろしいですか」
「ああ、
正勝は無理をして、妹に笑顔を見せた。
「兄上、あまりに早く
刑部卿とは、
「照子を……」
「私が母代わりとなりましょう。そして一年の後に官女として
河内の南部においても攻勢を強める畠山に対して、若い娘を河内に留めるのは、正勝にとっても気掛かりなことであった。
ふうむと言って腕を組んだ正勝が、正儀に顔を向ける。
「父上(正儀)はどのように思われますか」
「そうじゃな、照子にとってはその
「母上も……」
「うむ、かつて女官であった伊賀は、宮中に強い想い入れがあった。昔、幼い
「左様にございましたなあ」
父の言葉に、正勝も照子を
「では
正勝の言葉に、正儀も胸を
ふと中院の外に目を配ると、開け放たれた障子の向こうから、新緑の頃を過ぎた濃い緑が目に飛び込む。初めて正儀が徳子と出会ったのも、ちょうどこの頃であった。
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