第47話 南北朝の合一
元中九年(一三九二年)五月初め、初夏の風が京の町へ、新緑の
そんな京の町に、楠木正元と楠木正秀の姿があった。二人は十数名の手勢と一緒に、京の外れにある荒れ果てた空き寺の
二人の前で服部
絵地図を指差しながら、
「明日、将軍(足利義満)は、清水寺に
「うむ、ご苦労じゃった。今度こそは我らの手で、父上(正儀)と兄者(正勝)の
力のこもった正元の言葉に、正秀と
千早落城の際、服部
いったん、
楠木党は、棟梁の正勝と多くの将や兵を失い、千早城を追われた。楠木に、もはや軍と呼べるほどの兵を動かす力は、なくなってしまった。
一門の長老、楠木
しかし、正元は幕府を許すことができなかった。正秀と
一度は義満が紀州の
そこで、今度は京に潜伏して暗殺の機会を
楠木正顕は甥である楠木正勝の嫡男、金剛丸を、
その照子が正顕の屋敷を訪れていた。正顕は、
「金剛丸、照子。そなたらの父(正勝)が亡くなってから
大叔父、正顕の話に、二人は目を落として頷く。
照子は姉として、金剛丸のゆく末を気遣っていた。弟の背中に手を添えて頭を下げる。
「大叔父様(正顕)、金剛丸は棟梁、正勝の子です。どうか、大叔父上様の元で立派な武将にしていただけないかと存じます」
「うむ、元よりそのつもりじゃ。小次郎(正元)が出奔した今、わしには、お前たちの面倒をみる務めがある。兄者(正儀)の孫なのじゃからな。今日からわしがそなたたちの父となろう」
そう言って正顕は、照子と金剛丸を自らの
同じ
関白の二条
どんよりとした曇り空。薄暗い
「幕府は和睦を欲した
「
「こういうことになるのであれば、山名に
「関白様(
反論する
その二人に向けて、
「いずれにせよ、最大の懸念は幕府が我らを討たんと兵を送ってくるのか、和睦を求めてくるのかじゃ」
「和睦を求めてきたとしても、我らが呑める和睦の条件であるかということもございます。このようなときにこそ、我らに
残念そうに
五月十八日、征夷大将軍の足利義満は、護衛の兵を従え、馬に乗って音羽山清水寺へ
寺での参拝を済ませ、室町にある花の御所への帰路のことである。通りは、将軍の行列を一目見ようと京の
その見物人に紛れて楠木正秀の姿があった。目立たない
「小次郎兄上(楠木正元)、来ました。真ん中が義満です」
義満が影武者でないか確認するため、正元が正秀を偵察に向かわせていたのであった。正秀は池田
「どんなさまか」
「赤い
「そうか」
正秀の返事に、正元は口を真一文字に引き締めて頷いた。
その時である。正秀はみぞおちに激痛が走り、意識が遠退く。正元が当て身を食らわしたからであった。
「父上(正儀)と兄者(楠木正勝)の
意識の
「では、参りましょう」
馬上の義満を正元が見定める。
「いざ、参らん」
その声に、楠木党十数人は大路に飛び出し、一行の側面から義満に槍を向けた。
「何奴っ。将軍の行列と知っての狼藉か」
一足早く異変に気づき、正元らの前に立ちはだかったのは、将軍近習の赤松
「くそっ」
「御舎弟殿(正元)、危ない」
楠木の郎党が、正元を
「おい、しっかりせよ」
正元は、次々に討ち取られる楠木の郎党たちに気を遣りつつも、自分に向かってくる敵の刃を
「小次郎様(正元)、これでは将軍に近づくことさえ叶いませぬ。それがしが血路を切り開きますゆえ、どうかここはお逃げくだされ」
矢面に立った
「
声を張り上げ、
しかし、正元の回りに集まってくる幕府の兵の数は次第に増え、正元と
「ぐわっ」
正元に背を向け、将軍の
「じゅ、
止めを刺される
そのとき、馬上の義満が赤松顕範に向けて声を上げる。
「切るな。生け
「ははっ」
四方から繰り出された
将軍近習の顕則が、
「その
無念そうに正元は顕則を見返す。
「我は楠木
「何、楠木じゃと……」
気を失って
血相を変えた正秀が、逆に
「将軍を襲った侍たちはどうなったのじゃ」
「え、あ……皆、切られたようですが……賊の
「連れて行かれたと……」
「ええ、何でも楠木の一族とか。楠木は平穏を脅かす朝敵ゆえ、きっと打ち首にされることでしょう」
京の
楠木正元は縄を打たれ、花の御所まで引き回された。義満は狼藉者が楠木と聞いて興味を持ち、自ら立ち会う事にする。
「その
無念な顔つきで、正元は
「それがしは楠木
「そうか、正勝の弟か……なぜ
落胆した表情を見せて、義満は正元を非難した。
「千早城が落ち、兵も散ってしもうた。これが、今、それがしが動かせる軍勢じゃ。楠木は
「そなたの父は考えが異なったようじゃが。正儀は常に
「父、正儀もまた一途な者でござった。いかなる状況であろうが君臣和睦、南北合一のために動き、時には幕府にさえ降った。それがしは、幕府に降った父を
その言葉に義満はにやりと笑う。
「
「いや、簡単にはわかりますまい」
正元が笑い飛ばした。
その態度を気に留めることもなく、義満は真面目な顔で正元の目を見る。
「どうじゃ、
そこで義満は、大名の惣領家に距離を置く分家筋から武将を集めていた。将軍近習で
将軍が楠木正元を欲したのは、楠木が
義満の突然の申し出に、
「御所様(義満)、なりませぬ。楠木の者など、もっての他でございます。いつまた御所様の
しかし、義満はいっこうに気にする素振りを見せない。
「我が足利と楠木は、元弘の事変以来、因縁浅からぬ仲じゃ。我が祖父、足利尊氏と楠木正成は互いに尊信し、最後まで敵として相対することを拒んだと聞く。我が父(足利
そう言って義満は笑い、その様子に正元も表情をやわらげる。
「その儀はご容赦くだされ。ここでそれがしが死なねば、楠木の名折れにござる。足利と楠木は、互いに引き合うものがあったにせよ、決して交わることのない空と海にござる。遠慮なく、この首を討たれよ」
「ううむ……」
さっぱりした表情の正元に、義満は残念そうに目を閉じた。
翌十九日、楠木正元は京の千本松原に引っ立てられた。刑場には、楠木正成の孫が処刑されると聞きつけ、京の
「ほう、あの白い装束の者が楠木正成の孫か」
「楠木も、数人で将軍を襲うまでになるとは、落ちたものよ」
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
見物人たちの中に、楠木正秀の姿があった。
(小次郎兄上(正元)、必ずお助けします)
心の中でそう呟いた正秀は、刀の
刑場の正元は、そんな正秀の視線を感じ取り、
「我こそは楠木正成が孫、楠木
突然の大声に、両脇の兵が慌てて正元の両手を
それは、正秀ただ一人に向けられた申し送りである。楠木の因縁に
その言葉を聞いた正秀は、嗚咽しながらその場に座り込む。もはや正秀は、正元の最期を見届けることしかできなかった。
両脇の兵に腕を
「父上(正儀)、母上(徳子)……」
そう呟いた時、刀が振り下ろされた。
最後まで、正秀は顔を伏せなかった。楠木一門のため、見届けなければならないと、自分に言い聞かせていた。正元の最期の姿は正秀の脳裏に深く刻まれた。
六月二十五日、病床にあった
義満にとっては、この母を越えることが真の大将軍になるための一里塚であった。義満は義母の死に、涙を流すことはなかった。
九月、正儀の知略と楠木の兵力を失い、手足をもがれた南朝に、将軍、足利義満は最後の仕上げとばかりに、和睦の交渉を開始した。
義満にしてみれば、抗う手立てを失った南朝に対し、高圧的に和睦を迫るだけでよかった。そのため、武力で山名を討伐し、和泉国と紀伊国の守護となった大内義弘を使者として
それでも義満は、表面上は帝(後亀山天皇)に対する
花の御所では、
その貞行が頼元に向けて、疑問の表情を浮かべる。
「
「これまで、
応じる頼元に、義満が頬を緩める。
「
「両統
驚きながら貞行は言葉を返した。
譲歩の真意がわからない貞行に、義満は苦笑いを浮かべる。
「まずは、三種の神器を取り戻すことが肝要じゃ。今はただそのことだけに力を注げばよい。和睦の約定を果たすのはその後じゃ。されど、我らが約定を果たせるかは、そのときの状況にもよる。いくら我らが約定を果たそうとしても、そのときの状況がそれを許さないこともあるであろう。それは致し方がないことではないか。幸い今は、南主(後亀山天皇)の後立てとなる楠木はおらぬ。知恵者の正儀も、約定を守れと迫る軍兵もおらぬという事じゃ」
約定は方便と言わんばかりの口振りであった。
まさにこれが、和睦交渉の前に正儀を討ち、千早城を落とし、楠木軍を壊滅させた理由である。貞行は、義満の底知れぬ
感心する貞行に、
「いまだ、伊勢で勢力を誇る北畠(顕泰)が、南主(後亀山天皇)と疎遠であったことは幸いでござった」
南朝の
「
貞行は、北畠が支配する伊勢の地がどうなるのか気掛かりであった。それは、伊勢国が貞行の祖先、伊勢平氏が治めた地であり、北朝の伊勢守でもある貞行にとっても、手に入れなければならない因縁の地であったからである。
ふうむと、義満は
「あくまで幕府に抗うというなら、滅ぼすまでじゃ。されど北畠は、今更に南主(後亀山天皇)の後立てとなることはあるまい。大人しく幕府の軍門に降るのであれば、そのまま伊勢を任せてもよい」
将軍の言葉は意外であった。期待していた貞行は肩を落とす。
本来、北畠は先代の
北朝の使者として、にわか少将に任じられた大内義弘は、正使の吉田
吉田
南朝右大臣の吉田
後日、再び
「
しかし、
「大内少将、大儀である」
「はは、我が大内は、かつては後醍醐の帝や後村上の帝にも御仕えした家でございます。南の朝廷に対する思いは他の大名とは比べるまでもございませぬ。
義弘の父、大内
「和睦の内容に御納得いただけますれば、まずは
和睦の条件は、すでに内大臣の阿野
「幕府が約定を守るのであれば、
「本当でございますか」
思わず声を漏らした義弘は、隣の
すると、
「無念ではあるが……我が朝廷は治める国を失った。
「ははっ」
義弘と
正儀の舎弟、楠木正顕は、内大臣の阿野
「ついに
「生前、兄(正儀)は、和睦が相成った後のことを心配しておりました。両統の
「もちろん
帝の胸中を察しつつも、正顕は無念の表情を浮かべる。
「今思えば、幾度もあった和睦の機会を
「その和睦の機会にことごとく反意を示したのが北畠であるが、伊勢の北畠大納言(顕泰)が、幕府との和睦の話を聞きつけ、使いを送ってきた」
「またしても、和睦に反対する
「そうじゃ。いずれ幕府は約定を反故にするであろうと
帝の苦悩の決断を知った正顕は、神妙な表情で目を伏せた。
楠木正顕は、内大臣の阿野
下座から、正顕が姪の
「
「叔父上様(正顕)、わざわざのお運び、痛み入りまする」
「どうじゃ、照子も息災か」
「お蔭を持ちまして、無事に過ごしております。これも、大叔父上様(正顕)が娘として私を迎えてくれたお陰です」
父、正勝を失って哀しみ暮れていた照子に、少し明るさが戻っていた。
「叔父上様(正顕)、照子は宮中では
「ほう、わしの伊予守から。よいのか、小太郎(楠木正勝)のでなくても」
「叔父上様、照子は今では叔父上様の娘ではありませぬか。それに、亡き兄上(正勝)の任国は河内。
そう言って、
正儀と正勝とを失い、さらに正元までが非業の死を遂げたことで、
「母上様」
その声に、正顕が縁側に目をやると、一人の幼子がいた。部屋に入って
「これは宮様。お元気でおわしましたか」
正顕の問いかけに、
「伊予守(正顕)、久しいのう」
五歳児に似つかわしくない言葉に、
「宮様は京の都をご存知ですか。多くの人が住み、たくさんの御殿や寺院があります」
これに、
「ご存知ありませぬか。毎日が祭りのごとく、それはそれは賑やかなところでございます。母上様や伊予局殿と一緒に、京の都に参りましょう。この伊予守が、先達してご案内つかまつります」
しかし、またしても
「京の都より
庄助とは、
正顕と
十月二十五日、帝(後亀山天皇)の
大覚寺の
「これはこれは、吉田右大臣様、阿野内大臣様、よくお越しくださいました。ささ、どうぞこちらへ」
しかし、南朝が右大臣と内大臣を送ったにもかかわらず、北朝は中納言の日野
和睦の交渉は、両統の
「さて、神器であるが、これは
譲国の儀とは、先代帝から次代帝への譲位の儀式であり、譲国の儀を行うということは、少なくともこれまでは、南朝の帝を正式な帝として認めることであった。
「内大臣様(
慌てて反論しようとする
同意した約定を、
一つ、南朝帝から北朝帝へ、譲国の儀をもって神器を引渡す。
一つ、以後の皇位は両統
一つ、
一つ、長講堂領を持明院統(北朝)の領地とする。
四つの決め事が確認され、双方で誓紙を
「和睦が整ったからには、さっそく南の帝に都へ
「一万も……」
目を見開いて
一万騎もの兵を送るのは、帝(後亀山天皇)と
京で和睦に
二人の報告に、帝はゆっくりと頷く。
「うむ、御苦労であった。我らがこれほどまでに
「もったいなきお言葉にございます。我らが、もっと早くに
申し訳なさそうに、
帝を含め一同は、これまでの長き道のりを思い出し、語り合った。思えば南北合一の機会は、これまでにもたびたびあった。その機会を活かすことができなかったのは、常に南朝の側であった。そこには、後醍醐天皇の
頃合いを見計らい、関白の
「
「なぜじゃ。
驚く帝に対して、右大臣の
「いえ、和睦が後醍醐の帝の
「左様にございます。それに、上皇様(長慶上皇)への意地もございます」
「
「そ、そのようなことは……」
慌てる
「されど、
朝廷を支える三人が一度に辞任することに、帝は心細さを訴えた。
「では、
「関白様、誰かが残るとしても麿というわけには参りませぬ。後醍醐の帝の
そう言って
「いや、
どちらかといえば、正儀に厳しい目を向けていた
「うむ、
もはや
「不肖この
十月二十八日、帝(後亀山天皇)の一行が
幕府から
幕府の盛大な出迎えに比べ、南朝の行列自体は
帝に従う皇族は、
馬に乗って随行する武家はわずか三十人ばかり。楠木党は正儀の弟である楠木正顕が率い、その子の楠木
南朝は、たったそれだけの人たちである。
それでも行列は、威風堂々と、その日の宿である大和国の興福寺に入った。
京の室町
「南主(後亀山天皇)はどうじゃ」
「無事、
「そうか、初代(足利尊氏)・先代(足利義詮)の申し送りであった南北合一。やっとじゃ。やっとこの時を迎えることができる」
義満は顔を上げ、万感胸に迫る思いを吐露した。
「常久殿(細川頼之)にも南北合一、見せてやりとうございましたな」
そう言って、貞行は目を閉じた。しかし、義満は首を横に振る。
「それは無理じゃ。常久の死と引き換えの合一なのじゃ」
「そ、それは……どういうことでございますか」
「常久が讃岐から
「では、もし、常久殿が生きておればどうなったと」
義満は、貞行の顔から庭の木々へと視線を移す。すでに緑は、黄色や紅色の色葉にとって変わられていた。
「常久が生きておれば、何としても千早城攻めを思い留まらせ、楠木正勝を生かしたであろう。楠木の力を温存させたままの合一などありえん」
「では常久殿は、幕府に戻り、自らの役割を務められた後、都合よく亡くなったと……そうであれば、まったく御所様の天運は開かれておりまするな」
感心する貞行に、義満は冷たい視線を送る。
「十郎(貞行)よ、天運は待っておっても開かれぬ。天運は作るものぞ」
冷たい視線を受け、貞行は背中を凍らせた。
顔を強張らせる貞行を尻目に、義満が話を続ける。
「年が明け、しばらくすれば、南北合一も一段落しよう。さすれば、
「何と……なぜにございますか」
「合一が成れば、常久の
平然と答える義満に、貞行は返す言葉を持ち合わせていなかった。
大宮通りは、南朝の行列を見ようと、朝から大勢の公家や武士、
「この
「お出迎えの軍勢であろう」
「では、南の帝(後亀山天皇)はこの次か」
京の
先導の赤松の大軍勢が通り過ぎた後、楠木正顕を先頭に南朝の行列が現れた。先頭の正顕は、元弘の
「えっ……」
南朝の行列を見た人々は言葉を失う。
「これだけか……」
行列は総勢でも百余名であった。
「あの
「何と
「
「あの
きらびやかな行列を想像していた京の人々はざわついた。
「きっと御苦労をされてきたのであろう」
「
南朝の
京の人々の声は馬上の楠木四郎
『四郎、顔を上げよ』
その声に、正顕は思わずあたりを見回す。
「兄者……」
正顕は息を呑んだ。いつの間にか隣には、馬に乗った正儀が、
『泣くな。今日は帝(後亀山天皇)のめでたい
「すまぬ……兄者は帝を守るため、楠木の力の温存を描いておったのであろう。それが、小太郎(楠木正勝)も小次郎(楠木正元)も失い、このようなありさまで都に戻ることになってしもうた」
そう言って、後から従うわずかな一族に目をやった。
『四郎。我らは負けて京に戻るのではない。民の平和、世の混乱を収めるために戻るのじゃ。堂々と胸を張って進めばよいのじゃ』
「兄者……」
『四郎よ。そなたはわしの名代なのじゃぞ。立派に務めを果すのじゃ』
正顕は頷き、後ろに続く一族に振り返る。
「皆、顔を上げよ。我らが楠木党じゃというところを、堂々と
一族に声をかけた正顕が、もう一度、兄に向き直す。だが、もうそこには正儀の姿はなかった。正顕は兄の思いを胸に、堂々と顔を上げた。
群衆の中に、その楠木正顕に視線を送る僧がいた。新葉和歌集の
長親は
楠木九郎正秀は、一人険しい顔で行列に従っていた。義兄、楠木正元の刑死を見届けた後、
そんな正秀が、群衆の中から向けられる見守るような視線に気づく。馬上から視線の主を探すと、そこには見知った顔があった。叔父、池田十郎
だが、
伏し目がちに
(されど、お前たちはよくやった。乱世を終わらせたのじゃ)
そう聞こえたような気がした。
「叔父上……」
正儀の
「父上(正儀)、京に戻って参りましたぞ」
そして、
「叔父上(正顕)も、九郎(正秀)も、金剛丸(楠木正盛)と照子も、そして
目を閉じた正信には、兄弟たちの微笑む顔が見えていた。
楠木
「父上(正儀)、母上(徳子)、京に入りました……」
そう言って、
「……お二人にお見せしとうございました……いえ、きっと、この行列と一緒に来られておられますよね」
すると、その
楠木
その正盛が、馬を照子に近づける。
「姉上(照子)、足は大丈夫にございますか」
「ええ、大丈夫ですよ」
弟の気遣いに、照子は馬上に向けて微笑みを返した。
「姉上(照子)、それがしはどうしても父上が死んだとは思えぬのです。先ほど京の人々の中に、父上を見たような気がしたのですが……」
不思議がる正盛に、思わず照子もあたりを見回した。自身も父、楠木正勝の視線を感じていたからである。
「きっと、御父上は、御母上と一緒に、天から我らのことを見ておるのでしょう。さ、大叔父上様(正顕)の元へ戻りなさい。いつまでも女房の横に馬を付けていては変ですよ」
「承知」
姉に
群衆に身を隠すようにして、ただ、
父の観阿弥が亡くなってからは、二世観阿弥と名乗って舞台に立っていた。父と同様に楠木との
この二世観阿弥が、義満に
この日、南朝の帝(後亀山天皇)は
南帝(後亀山天皇)の
神妙な顔をして、正長が母、
「母上、南の帝(後亀山天皇)が、京へ
気持ちは痛いほど
「お前の口惜しさはよくわかります。されど、
「わかっております。されど、南北合一が相成った限りは、それがしも、御一門の末席に加わりとうございます」
正長の言葉に
「南北合一が成ったからといっても、楠木の御一門は大手を振って歩けるわけではありませぬ。きっと、幕府の中には楠木をよく思わぬ者が多いでしょう。お前が御一門となれば、しなくともよい苦労をせねばなりますまい」
「いえ、苦労は
決意に満ちた正長の表情に、
「わかりました。お前がそうしたければ好きになされませ。すでに御爺様はこの世に
母、
「母上、申し訳ございませぬ。それがしは真に楠木の者となれるよう、年が明ければ、楠木の方々が学問を学んだという観心寺で修行を行い、御一門の方々を訪ねてみようと存じます」
「わかりました。母はここでお前の願いが
息子の決意に、
寺の
日野
「南の君(後亀山天皇)におかれては、
畏まった
「日野殿、譲国の儀の前に、北の君(後小松天皇)とお会いすることが肝要と存じますが」
「いや……無論にございますが、譲国の儀となりますれば、何かと
慌てて
「
「日野中納言(
「はっ、はは」
南帝の言葉に、
六条
照子らは
「これらが神器でございます。どうか、ご確認を」
「恐れ多いことにございますが、これも努め。拝見つかまつります」
照子が神器の一つ、
「私如きが神器を知る
「伊予局殿(照子)、さ、神器をそちらの方へ」
伊予局は少し微笑みを浮かべて神器を差し出す。
「どうぞ、御納めください」
「……」
伊予局の透き通るような瞳に、若い公家は思わず見入った。神器を差し出す伊予局の手が公家の手に触れる。
「これは、失礼を致しました」
「い、いや……」
若い公家は気を取り直して神器を受け取ると、伊予局から視線を外した。
神器の接収が終わると、
「神器は確かに頂戴つかまつりました。では、我らはこれにて……」
そう言いかけたところで、先程の若い公家が口を開く。
「南の君におかれては、神器を手放される事、御心中を御察し致します」
「おか……い、いや……」
その若い公家は
「ゆえあって、名乗りを上げることはできませぬが、南の君にお会いできてよかった」
若い公家は堂々とした態度で、照子が手渡した神器を持って立ち上がった。
これに
その若い公家に釣られ、
北朝の一行は、大覚寺の庭に待たせていた
「恐れ多くも
「いや
その若者は、北朝の帝(後小松天皇)であった。
北帝は、幼い頃に
若い北帝は堅苦しい
「
若い北帝にも、
北帝は
「あの女官、伊予局と申したか……」
「確かそのように……何かございましたか」
「いや……何でもない」
北帝は
一方、大覚寺
長い沈黙の後、南帝が口を開く。
「ついに……終わった……」
「
そう、
「その
南帝の言葉に、
「
目を閉じて、南帝は正儀に語りかけた。
同日、三種の神器は京の
北朝は、神器を
そして、南朝が使った元号、元中を廃し、北朝の明徳に統一した。南北合体、
楠木正儀の生涯は、この南北朝の動乱とともにあった。父の楠木正成、兄の楠木
動乱の発端に、図らずも加担することになった父、正成の断腸の思い。それを自らの力で止められなかった兄、
思えば、鎌倉幕府を終らせるために天が
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