第25話 樟葉道心
正平十四年(一三五九年)、正儀は数え三十歳となる。
この年の四月、南朝の帝(後村上天皇)の尊母である、
正儀は妻の徳子と連れ立ち、
二人が部屋に入ってきたことに気づくと、
「
「どうか、
すると
「
「
「ありがとう河内守。そなたの父は先帝(後醍醐天皇)が最も頼りにしていた武将です。
「もったいなきお言葉。
正儀は身を正して頭を下げた。
重ねて徳子も気遣う。
「お身体にさわります。
「伊賀局(徳子)、わらわは大丈夫じゃ。もう少し河内守と話をさせてたもれ」
徳子は頷き、
「河内守、そなたは幕府と和睦を進めるべきと考えておるのか」
「
「されど……」
「されど、
そう言うと、正儀は申し訳なさそうに目を伏せた。
「それが
決意に満ちた目で、正儀は顔を上げる。
「必ずや、帝を京へお戻し致します」
その言葉に、
それから半月後の四月二十九日。
五年前には
阿野
その妹は、帝(後村上天皇)の
房子は中宮になった後も、
これに親房は激怒し、密会の場所を提供した
帝の怒りは当然としても、帝以上に怒りを見せたのが、
ただ、
「これは四条大納言様、わざわざ、痛み入りまする」
「いえ、北畠様、こちらこそご無沙汰を。あれからどのようにされておられました」
上座から隆俊が同情の眼差しを向けた。
「
「伊勢半国を手中に収められたとか。さすがは
「麿が動かせる兵は、今や万を越えております」
隆俊は目を丸くする。
「それだけの兵であれば、楠木を頼らなくてもよいですな」
「楠木がいかがされましたか」
これに、隆俊は苦々しい表情を浮かべる。
「楠木は、
「では、二の宮様(
「何と恐ろしき事か。そのようなことになっては、父上(四条
「それは麿とて同じことでございます。父、親房が作ろうとしていた帝の世は、断じてそのようなものではございませぬ。四条様、ここは手を
興味深そうに耳を傾ける隆俊を確認して、
「……それは、一の宮様(
「一の宮様を我らでお支えし、次の帝にお据え
「なるほど、よき案でございますな」
隆俊は笑みを返した。
「そのために、ひとつお願いがございます」
「わかっておりまする。まずは北畠様を
「四条様、ぜひよしなに」
「幸いにも、二条
この後、隆俊は幕府に対して強硬な態度をくずさない幾人かの
中納言、北畠
小さな、こじんまりとした一間で、
「一の宮様(
「
【注記:貴人の一人称として用いている「
「はい、四条様とともに、我らの力で
「
そんな
「宮様の御祖父にあたる先帝(後醍醐天皇)は、北条の幕府に捕えられても、隠岐の島に流されても、お心が折れることがありませなんだ。京へ戻る日のことだけをお考えて過ごされ、ついには幕府を倒して京へお戻りになられました。宮様にも先帝の
「……」
「我らも宮様の運が開けますよう、力を尽くす所存にございます。どうか、麿たちを信用いただきとう存じます」
黙り込む親王を、四条隆俊も励ました。
南朝が
「河内守(正儀)、久しいのう」
「これは、中納言様ではありませぬか」
深々と頭を下げる正儀の前に立ったのは、
「
「はっ、こちらこそ、よしなにお頼み申します」
「今日は河内守も朝議へ御参加か」
朝議へ出られるのは参議以上、または
「いえ、それがしは……今日は阿野中納言様に呼ばれて、御用を
「左様か。それは失礼をした。早く参議に成られませ。ともに
その言葉に、正儀は頭を下げて
正儀はその足で金堂の中で
「中納言様、遅くなりました」
一礼をして中に入り、入り口を背にして座った。
「河内守、実は北畠卿が
「はい、今しがた、そこでお会いしました」
「そうか……北畠卿はこちらに参っておったのか」
「はい。挨拶を交わしただけですが……北畠卿は、それがしに何やら思うところがあるような気が致しました」
「北畠卿には、何か狙いがあるのであろうな。何といっても北畠
「しばらく、様子をみられてはいかがかと」
「そうじゃな。それまでは互いに気をつけることにしようぞ」
「はっ、承知いたしました」
正儀は頷きながら、この先のことを思案した。
赤坂の楠木館へ戻った正儀が、ふと館の庭先に目をやる。そこには、津田武信が縁側に腰をかけ、ぼんやりとしていた。
「当麻(武信)、今戻ったぞ」
「あ、殿、これは失礼つかまつった。気づきませなんだ」
武信は尻の埃を払いながら立ち上がった。
「どうした、何かあったか」
「あ、いや……」
「何じゃ、申してみよ」
「は、はい……殿にこのような話をするのはためらわれるのですが……」
武信はいったん目を伏せてから、再び正儀に視線を合わす。
「……篠崎六郎(
「六郎か……行方をくらませてから五年、いや六年が経とうか……」
正儀は懐かしむように目を閉じた。南軍が二度目に京を追い落とされた際、篠崎久親は自身の家に戻ることなく、行方をくらませていた。
「はい、六郎には妻子がおりまして……それがしは気になって、ときどき様子を見に行っておりました……」
ぽつりぽつりと、武信が語りはじめた。
北河内の
それから六年の歳月が経つ。当初、母子は親族の助けを借りて暮らしていた。だが、次第にその助けもなくなり、妻が女手ひとつで
十日ばかり前のこと、その妻が亡くなった。
「
「幼い子から、お
言葉少なに応じる僧侶に、幼い二人は頭を下げる。
「この御恩、生涯忘れませぬ」
「いや……拙僧に、恩など感じてくれるな」
僧侶は終止、笠を被ったまま、伏し目がちであった。
「せめてお名前をお教えください」
「拙僧は……拙僧は
少し
「寂しくなったら、この
そう言って旅の僧侶は去っていった。
その数日後のこと。久親の妻の死を知らない武信が、様子を
話し終えた津田武信は、一つの疑念を抱えていた。
「その
「気になることがあるのか」
「はい、
「何、同じものをか」
正儀は、身を乗り出す。
「はい、木でできた御札の端が欠けておりました。確かに同じもの」
「どこで見たのじゃ」
「それは、六郎(久親)が常に身につけていたものです」
武信の話に、正儀は
「なるほど、するとその
「はい、そうとしか思えませぬ」
「子らのことを思い、時折、見守っていたのであろう」
話を聞いた正儀は、深く息を吐く。
「ううむ、わしにも責任がある。我らは我らの都合で戦をしておるが、そのしわ寄せは常に弱い者にいく」
「殿に責任など……殿が好き好んで戦をしていないのは、この当麻が誰よりもようわかっております」
「されど、不幸なこどもは確実に増えておる。その子らはそちの館におるのであろう。わしは二人に会って謝りたい。ここに連れて参れ」
「されど……」
「いや、構わん。連れて参るのじゃ」
「はっ……承知つかまつりました」
棟梁に余計な気遣いをさせてしまったことに、武信は少し後悔をした。
次の日の楠木館。さっそく正儀は篠崎久親の二人の子と対面する。
「藤若丸にございます」
弟が名乗るのを見届けてから、姉の
「
母親の
「わしは楠木の棟梁、楠木三郎(正儀)じゃ。そしてこっちは、我が妻、徳子じゃ」
「御父上が去り、そして御母上が亡くなったそうですね。さぞかし辛かったでありましょう」
すでに話を聞いていた徳子は、慈愛に満ちた瞳で二人を見つめた。
「そなたたちに辛い思いをさせたのは、わしが戦をしたからかも知れん。許してくれ」
そう言って正儀は
「なぜ殿様が頭を下げられるのですか」
「そなたたちの父、六郎は、わしの元で戦に出ていたのじゃ。六郎が居なくなったのも、戦で世の
「殿様、私にはよくわかりません。されど、殿様に詫びていただいたので、私には十分でございます」
「わたしも十分でございます」
徳子は、賢く礼儀正しい
「殿、二人をこの城に置いてやってはいかがでしょう。津田殿とて、いつまでも自分の館に置いてやるわけにもいかぬでしょう」
「そうじゃな、藤若丸は
嫡男の持国丸は五歳となり、正儀は
「藤若丸殿、我らには持国丸というそなたより歳下の子がおります。遊び相手になってもらえまいか」
徳子はにこやかな顔で藤若丸に呼びかけた。藤若丸は戸惑った表情で、いったん姉の
「はい、」
元気な藤若丸の返事を聞いて、正儀と徳子も安堵する。
「
「いえ、奥方様、私は髪を降ろし尼になりとうございます」
意外な申し出に、正儀と徳子は驚いて顔を見合わせた。
「なぜ尼になると申すのじゃ」
「母が亡くなる時、約束しました」
一同は、母親が娘のこれからをおもんぱかり、そう言い残したのだろうと思った。
「そうか、尼にのう。じゃが、この館も人手不足でな。藤若丸をこの館に迎えるとなると、藤若丸の面倒をみる者がおらん。どうじゃ、藤若丸の面倒を観ながら、ここで働いてくれぬか。出家は藤若丸が大きくなってからでもできよう」
機転を利かせた正儀の話に、
話が
「
「はい、承知致しました。では、こちらへ」
笑顔を
赤坂の楠木館で暮らすようになってから、
「菊子は熱心ですね」
「夢が覚めないようにでございます」
問いかけに応じた菊子に、不思議そうな顔で敗鏡尼が首を傾げる。
「夢……」
「私は本当は尼となるはずでした。それが思いがけず、藤若丸とともに殿様(正儀)の元に置いていただけることになりました。何だか夢のようです。こうしてお勤めするのは、殿様と観音様に感謝し、この夢がいつまでも醒めないようにと願っているのでございます」
いじらしい胸のうちを知り、敗鏡尼が優しそうに微笑む。
「そうですか。では、私たちも一緒に、菊子の夢が醒めないよう祈りましょう」
敗鏡尼は、
「観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色……」
三人の
この年の十一月六日。征夷大将軍、足利
畠山氏は足利の一門衆である。もともと国清は足利
京に到着した国清は、
「畠山
「うむ、よう来た国清。
「それがしが来たからには、南軍など敵ではありませぬ」
「うむ、頼もしい限りじゃ。されど、
意外なと言わんばかりに、国清が眉をひそめる。
「将軍、それでは手緩うございませぬか」
「いや、御一統は父上の
義詮は、父、尊氏が亡くなり、自分が征夷大将軍に成ったことに気負っていた。将軍の威厳を高めるために、父、尊氏でさえ成し得なかった南北朝の合一を、自らが実現したいと願った。
執事の清氏が足利義詮に代わって説明する。
「まずは大軍を
「は、承知つかまつった」
不満顔を奥にしまった国清が、ゆっくりと頭を下げた。
しかし、一つの懸念が義詮の頭をよぎる。
「国清よ、河内といえば楠木じゃ。楠木が最大の難敵。これをいかに攻めるかじゃ」
「確かに、南河内は楠木の本拠。幾重にも罠が仕掛けられていることでしょう。数をもって攻めれば制圧は可能と存ずるが、御味方の被害も覚悟せねばなりませぬ」
国清の表情が少し曇った。すると、横に控えていた執事の清氏が、にやりと笑みをこぼす。
「河内守殿(国清)、それがしに策がござる」
「ほう、それはどのような」
興味深そうに、国清が身を乗り出した。
「それは……」
自身あり気に、清氏が自策を披露した。
黙って清氏の策を聞いた国清が、掌で顎を撫でる。
「ううむ、他の武将ならいざ知らず、楠木に通用するであろうか……」
「すでに下調べは済んでおります」
清氏はそう言うと、すかさず義詮の顔を
「御所様(義詮)、それがしにお任せくださりませぬか」
「ううむ、それほどまでに自信があると言うのであれば、清氏、そちに任せようぞ」
そう言って、義詮はじわりと頷いた。
関東執事の畠山国清が、大軍を率いて上洛したことは、すぐに天野山金剛寺にいる公家たちにも伝わっていた。将軍家執事の細川清氏が、積極的に軍勢の上洛を、南朝側に流したためである。
「阿野様、お聞きになりましたか。
「すでに聞きおよんでおります。大軍を前に、
「……されど、このままでは後に続くものが出てくるであろう。これでは戦う前から勝敗が見えておる」
「さぞかし
そう言って、
「さっそく楠木河内守(正儀)を
自分に言い聞かせるように
阿野
帝(後村上天皇)は、
「
正儀は、
「
「……そして、関東から大軍を
「ほう、幕府の内情は、そのように酷いのか」
「
「なるほど、河内守がそのように申すのであれば、そうなのであろう。
正儀に対する帝の信頼は、日増しに厚くなっていた。しかし、正儀にとって、ここからが本題である。
「はっ。されど、金剛寺は我が地より幾分か離れており、西に対して手薄にございます。さすれば、
正儀の提案に対して、強硬派の四条隆俊が疑念の表情を浮かべる。
「先ほど勝てると申した舌の根の乾かぬうちに、負ける時のことを見越して、観心寺に移れとは何事であるか」
「四条様、河内守が申しておるのは、楠木軍が背後の
すかさず、
「
すると中納言の
「
「恐れ多きことながら、
「
さすがに、帝の決心に反対できる
和田正武を伴って赤坂の楠木館に戻った正儀は、すぐに楠木党の諸将を集めた。
広間で、顔を付き合わすようにして諸将が左右に座ったところで、正儀が上座に腰を降ろす。
「各々方、公卿の御方々による朝議で、観心寺へ帝の御動座を奉り、幕府軍に備えることが決まった。四条大納言様は紀伊
「兄者、紀伊に兵を送っている場合ではないぞ。矢面に立つはこの東条。あちらこちらの砦はずいぶんと傷んでおる。観心寺をお守りする南の
「それに、龍泉寺城も石垣や土塁が崩れており修復が必要じゃ」
舎弟の楠木
「されど、龍門にも人を送らねばならん。これだけの砦と城を修復するとなると、人手と時が心配じゃな」
絵地図から顔を上げた正武が、正儀を促すように呟いた。
「ううむ……又次郎(河野辺正友)、それぞれの砦、どのくらい掛かる」
「しかと算段せねばわかりかねますが、おそらく
思案して河野辺正友が答えたが、正儀はううむと唸り、腕を組む。
「いや、もっと正しく知りたい」
「では、この場に弥太郎を呼んで、問うてみましょう」
正友が口にした弥太郎とは、兵糧や
すぐに忠元が前に現われる。正友から用件を聞くと、
「まず、紀伊の龍門には、
しっかりした答に、正儀は満足そうに目を細める。
「うむ、では今からすぐに取り掛かってくれ」
「はっ、承知つかまつりました」
忠元は、すくっと立ち上がって座を外した。
和田正武が、その後ろ姿を目で追いながら口を開く。
「東条の備えを固めれば、敵はいったん和泉に入ってから東の観心寺を目指す可能性もある。そのときは、
当然のように言い放つ正武に、美木多助氏が顔をしかめる。
「正儀殿、和睦の道はないものか」
その言葉に正武は目を
「この
「我が領地は北和泉。正武殿の領地と異なり幕府方に接する地ゆえ、日々侵食され、日増しに勢力が衰えておる。戦となれば我が領地が
「
「待たれよ。いまそのような議論をしているときではない」
二人の間に正儀が割って入った。
「三郎殿(正儀)は和睦に反対でござるか。三郎殿こそ、無益な戦にこれまで反対をしておったはずでござろう」
助氏は助けを求めた。正儀は内心、助氏に同調していた。しかし、帝(後村上天皇)の地位が保証されなくては、正儀とて和睦は受け入れ難い。
「わしは助氏殿の考えを否定せぬが、今すぐ強硬な公家衆を説得し、帝の
これに助氏は落胆し、一方の正武は当然という表情を浮かべた。
「それは、我が美木多を
「助氏殿、敵が和泉に進軍したなら、必ず我らが支援致す。今は辛抱くだされ」
正儀の意志が変わらぬのをみてとると、助氏は口をつむぎ、拳をぎゅっと握り締めた。
助氏の美木多家は楠木家との血縁はなく、楠木に与力するようになったのは、助氏の父、助康が棟梁になってからである。それに比べて正武の和田家は、楠木家に養子に入った正儀の祖父、楠木
これまでも助氏は、同じ和泉を地盤とする和泉の守護代、和田正武の配下として扱われることを嫌い、正儀の直下で働いた。和睦への理解も高かっただけに、正儀の同意を得られなかった助氏は、
【注記:
【注記:本作の東条は、佐備川流域の旧東条村一帯だけではなく、当時、指し示していたとの説もある東条川(千早川)流域の赤坂や水分までを含む西条川(石川上流)東側の広域としている】
決戦を覚悟した正儀は、
小高い場所にある
「お婆様、戦が始まります。すぐに出立の
突然の訪問に、敗鏡尼(南江久子)と侍女の
「多聞丸、このあたりも
「わかりませぬが、幕府の大軍が大挙して向かってくるそうにございます。叔父上(正儀)は、お婆様を連れて、ひとまず紀伊の橋本九郎殿(
「そ、そうですか……」
敗鏡尼は呆気にとられつつも、
十二月十九日、将軍、足利義詮が出陣し東寺に陣を張る。幕府の大軍に、南朝では帝(後村上天皇)を見捨て、京へ戻る公家が続出していた。
この日、和泉国
「美木多
馬上の助氏が声の主に振り向くと、
助氏は身構える。
「何者じゃ」
「御無礼つかまつります。我が主よりこの書状をお渡しするように仰せつかっておりまする」
そう言って、書状を前に差し出した。馬から飛び降りた助氏が男の前に立つ。
「主とは……」
書状を受け取った助氏は、その場で開いて目を落とす。そして、書状から顔を上げた時には、すでに男は視界から消えていた。
四日後の十二月二十三日、帝(後村上天皇)は正儀が率いる楠木党に守護されて観心寺に入った。そして、この寺の別院、
正儀は帝の前で恐縮する。
「
「河内守(正儀)、そなたが恐縮することはない。これも幕府を追い払うためには必要なことであろう」
「はっ。もったいなきお言葉、痛み入ります」
そこに徳子が、
「誰かと思うたら、
気さくに帝が言葉をかけた。徳子は恐縮して平伏する。
「
「
「これはもち米で作った
「ほう、もち米の
「この地の民が、帝がこの観心寺に滞在されると聞きおよび、それはそれは喜びまして。白玉が好物と話したところ、この土地で食される
正儀が経緯を説明した。
「そうか、ここに来て楽しみができたのう。河内守よりその者どもへ礼を申してくれ」
「はっ。きっと喜びまする」
帝は正儀と接するようになって、前にも増して、民の暮らし振りを気に掛けるようになっていた。正儀は、その帝の心遣いが心底、嬉しかった。
帝(後村上天皇)が観心寺に動座したその日、将軍、足利義詮は東寺から二万の大軍を引きいて摂津に進軍し、大覚寺に陣を張った。
本陣とした
「清氏、その方の手筈はいかがじゃ」
「万事、抜かりなく整いましてございます」
「うむ。南の朝廷は、この大軍に、さぞ驚いておることであろう」
「はい、南主(後村上天皇)が退いた天野山の
義詮が口元を緩める。
「そうか。ではそろそろ頃合いかのう。和睦の書状を南の帝へ届けよ」
「はっ。
清氏は仲介役の僧侶を使者に立て、観心寺の
和睦の書状を受け取った観心寺の
「和睦の条件はどのようになっておるのか」
大納言、四条隆俊が
「ここには善処とあるだけで、それは我らが和睦の話し合いに応じたうえで示されるものと存じまする」
「片方では刀を持ち、片方では和睦を説く。これが幕府のやり方よ。条件も我らが期待できるようなものであろうはずがない」
「いや、お待ちを。話しをしてからでも遅くはないでありましょう」
「こうして議論をするのでさえ、敵の術中に入っているのではありませぬか。この間にも、多くの公家や武士が、天野山から抜けて京に舞い戻っておりまする。ここは相手に付け入る隙を与えることなく、すぐに使者を追い返すべきでありましょう」
「ほんに、もっともじゃ」
大納言の
正平十五年(一三六〇年)、年が明けても将軍、足利義詮は、和睦を諦めず、両統
大覚寺の幕府本陣でこの知らせを聞いた義詮は、将軍の威厳を
「ぐぐっ、
この事態に、執事の細川清氏が進み出て、次の手立てを説く。
「こうなればやむを得ませぬ。軍勢を河内へ差し向け、南軍を
「そのようじゃな。男山に留めおいた国清(畠山国清)に、河内へ進軍するように伝えよ」
「はっ、承知しました」
「して、その
「はい、それはもう」
清氏は自信ありげににやついた。
義詮の
正儀は、幕府軍が南河内に進軍する前に、何とか防御の
紀ノ川沿いの
しかし、正儀はこれで幕府軍を防げるとは思っていない。いざとなれば、帝を金剛山にお連れして、
すでに正儀は、男山から南進する畠山国清が率いる関東の軍勢を牽制するべく、従弟の楠木正近に三百騎を付けて
「幕府軍は二万。とても我らが戦える相手ではない。ただちに東条にとって返すのじゃ」
正近の
国清が率いる関東勢二万は、正近を追うように一気に龍泉寺城から一里ほど北の地、
龍泉寺城に籠って守りを固めた正儀は、
二月十三日、ついに関東執事の畠山国清が率いる関東の軍勢が、龍泉寺城の攻略を開始する。関東の兵は、我先にと
「よし、
砦から麓の様子を眺めていた舎弟、楠木
「兄者、畠山の者どもは、ここが楠木の城であることを忘れているようじゃ」
正儀も口元を緩めて頷く。
「まったくじゃな。又次郎(河野辺正友)、十分引き付けるのじゃぞ」
「承知しております」
少し離れたところには、津田武信も正儀の合図を待っていた。
「よし、今じゃ」
正儀は右手を上げて
津熊義行が雑兵に混ざって、複数の丸太を
最初の攻撃で痛手を被ったことに、大将の畠山国清は、ぎりぎりと歯ぎしりする。
「くっ、しまった。功を急ぎ過ぎたか。正儀になっても、楠木はやはり楠木のままか」
龍泉寺城にどんな仕掛けがあるのかわからないと見てとった国清は、攻撃を中断させて、睨みあう。
「ここは、細川殿の策とやらを待つとしよう」
国清は、城攻めを止めて、将軍家執事、細川清氏からの知らせを待った。
三月十七日、正儀にとって思わぬことが起きる。
龍泉寺城の本丸(主郭)。津熊義行を連れて兵たちの様子をみて回っていた正儀の元へ、
「殿(正儀)、
「何、天野山に向かっただと。金剛寺に帝がおられぬことは幕府とて知っておるであろう……いったいなぜじゃ」
正儀は自問した。
「それより、幕府の先鋒ですが……」
「先鋒がどうしたのじゃ」
正儀に
「それが……
「何、助氏殿が……」
さすがの正儀も、驚きを隠せなかった。正儀にとって美木多助氏の裏切りは、他の豪族のそれとは大きく異なる。助氏は、これまでも数々の戦で、正儀の先陣を務めていた。正儀は助氏を一門同様に接し、信頼を置いていた。
「まさか……助氏殿が、あのようなことで幕府の調略に落ちるとは……」
戦評議での助氏の態度が思い出された。
しかし、悩んでいる暇はない。これによって計画は、変更を余儀なくされる。正儀は、幕府軍が天野山に向かっている間に、やるべきことを頭に巡らせる。
「義行、すぐに諸将を集めよ。それと当麻(津田武信)には、
「使いものにならない
「そうじゃ。さ、早う」
義行は不思議そうな顔をして下がっていった。
この後、露払いとして美木多助氏が先導する幕府軍は、各地に設けられた楠木の砦を避けて天野山金剛寺に乱入する。そして、帝が執務に使っていた
将軍家の執事、細川清氏によって進められた南軍の調略は、他にも着々と成果を上げる。河内の
さらに正儀を驚かせたのは、大和の有力豪族である
「何と、
次々に起こる味方の離反に、正儀は天を仰いだ。
四月三日、幕府軍の大将、畠山国清の動きとは別に、先の執事であった
紀ノ川沿いの龍門山の砦を、笹五郎の
大将の隆俊は、龍門の砦に
窮地に
「楠が倒れて社が傾くとはなんと不吉な」
「楠といえば、河内守殿(正儀)をおいて他にあるまい」
「諸将が幕府に降参する中、河内守殿が倒れれば、誰が
神官らはささやき、これから起こる事に身震いした。
この不吉な予言が現実のものとなるかのように、南朝をさらに窮地に追い込む事件が起きる。
四月二十五日、南軍に身を投じて以降、京への侵攻でも活躍した赤松
北畠親房が失脚した後、北畠の血を引く
将軍家執事、細川清氏の狙いは、天野山の
この事態に、
この事態に、
「
正儀と和田正武は、
楠木・和田の兵を率いて
「二条様、我らが来たからには御安堵召されませ。ただちに赤松を追い払ってご覧に入れまする」
「
実際、
「赤松はあそこぞ。者ども、矢を射かけよ」
正澄のかけ声で赤松討伐が始まった。楠木党が反乱軍の制圧に乗り出すと、吉野十八郷の郷士らは、
「くそ、頼りにならぬ奴らよ。宮様(
そう言って、氏範はわずか数十騎で応戦した。
「者ども、宮様を
氏範は、
一人
その頃、正儀が籠る龍泉寺城は不気味に沈黙していた。
幕府に寝返った美木多助氏を
「
国清は配下の武将たちに命じた。助氏より龍泉寺城の守りの固さについて聞かされたからである。
いたずらに十日ばかりが過ぎていった。
四月二十九日、将軍家執事の細川清氏は、なかなか進展がない
国清が布陣する
赤松円心の孫の一人、赤松
「関東執事殿(国清)、何をやっておられる。手をこまねいているばかりでは、城は落ちませぬぞ」
「そなたたちは楠木と戦ったことがないからそのような軽口が叩けるのじゃ。我らは最初の攻めで多くの兵を失った。いかに楠木を城の外に引っ張り出すか、思案が必要じゃ」
生意気な若僧めと、国清は目を
すると頼康が小首を傾げる。
「楠木正儀の戦振りは正成と同じなのか。楠木党は騎馬を使った戦をするとも聞いておったが」
「昔ながらの悪党戦術と、東国武将の戦術。どちらもやるから手強いのじゃ」
国清が苦々しい表情を浮かべて吐き捨てた。
「まあ、いずれにせよ早く城を落とさねば。幕府の威厳、いや足利将軍家の威厳に関わる。我らがいっせいに、三方から攻め上がり、楠木を一気に攻め落とそうではないか」
執事である清氏の提案に、国清もしぶしぶ頷いた。
戦評定が終わり、諸将が陣幕の外に出ると、
「殿(頼康)、あの城ですが、どうも様子が変じゃ。空に飛ぶ
「何、それは本当か」
頼康は、自らも手をかざして
二人の話に、後ろから清氏が割って入る。
「人が
「そのようなこと、数人もおればできまする」
老武者は落ち着いて答えた。
清氏と頼康、そして
細川勢は清氏自らが兵を率いて山を登った。幕府の執事たる者が先陣に立つことなど、本来、あろうはずもないことである。しかし、元来、猛将の類の清氏は、自陣で結果を待つよりも前線に立つことに喜びを覚えた。
「先駆けは、この細川清氏なり」
清氏は、誰よりも先に
「そこは城ではござらぬぞ」
追い抜きざまにそう言うと、塀を乗り越えて城の中へ飛び込んだ。
「先駆けはこの赤松
「ちっ」
清氏は舌打ちして、自らも塀を乗り越えて城へ入った。それを切っかけに、幕府の兵たちが次々に城へ突入した。
土岐の老武者が言うとおり、城の中はもぬけの殻で、すでに楠木の兵たちは、夜陰に紛れ、本城である赤坂城に撤収していた。後はわずかに、聞世(服部成次)が数人の配下を指図して、火を炊き、旗を
龍泉寺城のことをよく知る美木多助氏の裏切りで、正儀は急遽、この城を捨てる決断をしたのであった。
龍泉寺城に籠っていた聞世(服部成次)らは、幕府の兵が
楠木の拠点である東条の多くは、ついに幕府軍のものとなった。
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