第13話 伊賀局と弁内侍

 正平しょうへい元年(一三四六年)五月、湊川みなとがわの戦いから十年の歳月が流れた。吉野の朝廷は、京の人々から南朝と呼ばれるようになっていた。対して、京の朝廷は必然的に北朝である。何れも正統を主張する二つの朝廷に、いまだ歩み寄る気配は見られなかった。


 風薫る頃の木々は、単調な夏の深緑とは違い、様々な色を纏っている。一見、見分けがつきにくい樹木でさえ、この時期ならば一目瞭然であった。

 黄緑や浅緑を纏った木々が生い茂る南河内の山々を背に、三人の若者が馬を進めている。

 先頭は、浅葱あさぎ色の直垂ひたたれ侍烏帽子さむらいえぼしを被り、腰には太刀と、袋に納めた一節切ひとよぎりを差している。

「ここまでくればもうすぐじゃ。やはり故郷はよいのう」

 そう言って身体いっぱいに息を吸い込んだのは、数えて十七歳となった虎夜刃丸とらやしゃまる。今は元服して楠木三郎正儀まさのりと名乗っている。背も兄達に追いついた。涼やかな瞳と優しそうな口元は、兄弟の中では父、楠木正成に一番似ているかもしれない。

 正儀まさのりは津田左衛門尉さえもんのじょう範高のりたか猶子ゆうしとして預けられ、北河内の津田荘つだのしょうで育った。決死の覚悟で湊川みなとがわに臨んだ父が、家名存続のために一計を案じたからである。万が一のため、すえの虎夜刃丸だけを赤坂の地から遠ざけていたのであった。

 正儀の後にぴたりと馬を付ける二人は、何れも心許せる近習である。

 その一人が正儀の隣に馬をせり上げる。

「三郎様、赤坂とは如何なるところでございますか」

「うむ、そうじゃな、津田荘は都へゆき交う人々で賑やかであったが、の地は人も少ない山深いところよ。ただ、山の斜面にたくさんの小さな田が棚のように並んでおってな、田植えの頃ともなれば、田に引いた水が空を映し、それは見事な景色となるじゃ」

「三郎様、久方ぶりの故郷。楽しみでございますな」

 後ろから、もう一人の近習がほくほく顔で言葉を返した。

 正儀は、津田範高の屋敷で二人の近習を持った。その二人を連れ立って、養い親の範高の元を離れ、故郷へ向かっていた。これまでも亡き父の法要などでときどき戻っている。しかし、この度の帰郷はこれまでとは違っていた。


 三人が向かっているのは水分すいぶんの南、赤坂に建つ楠木館である。背後の桐山きりやまには楠木本城である赤坂城(上赤坂城)。そして西の小高い丘は、元弘の変で正成が挙兵した折の最初の赤坂城(下赤坂城)である。

 この辺りは水銀やしゅ(赤色顔料)の原料となる辰砂しんしゃが採れ、その土の色より、昔から赤坂と呼ばれていた。

 その赤坂の地より半里西、小振りな嶽山だけやまを中心に、北を佐備さび、南を甘南備かんなびと言い、西への守りとして山頂に嶽山だけやま城、通称、龍泉寺りゅうせんじ城が造られている。

 この赤坂や嶽山だけやまの辺りから、北の大塚(大ヶ塚だいがつか)や平石ひらいわの辺りまでが楠木党の本拠で、一纏めにして東条と呼ばれる。

 この東条は、延元二年に幕府方(北朝側)の河内守護、細川顕氏あきうじに侵攻され、龍泉寺城を落とされていた。だが、後に幕府勢の隙をついて、楠木党が奪い返していた。

【注記:本作の東条は現代の旧東条村地区(佐備、龍泉、甘南備)に限定されるのではなく、東条川(千早川)流域、つまり、東と南は金剛山地に詰められ、西は西条川(石川上流)まで、北はその西城川に東条川が落合う辺りまでの広域を示していたとの説に基づいている】


 楠木館の前で馬を降りた正儀に、ざっざっと草履の音を立てて男が歩み寄る。

「おお、虎夜刃とらやしゃ、よう来た。会うたびに大きくなっておるようじゃ」

 声の主は次兄の持王丸じおうまる改め、楠木二郎正時まさときであった。正儀より四つ大きい二十一歳である。

「二郎兄者、ただいま戻りました。されど、その虎夜刃はお止めくだされ。わしには父が残してくれた三郎正儀の名があるのですぞ」

 膨れっ面で、正儀が釘を刺した。

「わっはっは、虎夜刃は虎夜刃じゃ。虎夜刃丸を虎夜刃丸と言って何が悪い。されど、まあ、よかろう。今度からは三郎と呼ぶことにしよう」

 兄弟の会話に、二人の近習は互いを目をやってにやついた。

「うぉっほん、お前たち、何が可笑しいのじゃ」

 正儀のぶすっとした顔に、二人は、その場をしのぐように、あわてて正時の前に進み出る。

「津田範高が五男、当麻とうま武信たけのぶと申します。以後、お見知りおきのほど、よしなにお頼み申し上げます」

 最初に挨拶した津田当麻武信は、範高の末子、三輪丸みわまるの元服後の名乗りであった。

「二郎様、ご無沙汰をしております。又次郎にございます」

「おお、吉祥丸きちじょうまるか。達者であったか」

 吉祥丸きちじょうまるは、正儀が範高の館に向かう時につかわされた正儀最初の近習であった。今は元服して河野辺かわのべ又次郎正友まさともと名乗っている。

「二人とも、三郎とともによう来てくれた。さ、館の中に入れ。皆、待ちかねておったぞ」

 急かす正時に引きずられるようにして、三人は館の中に入った。


 広間では、長兄の楠木太郎正行まさつらを上座に、下座には一族、家臣たちが左右に分かれて座り、正儀の帰りを待っていた。此度こたび、正儀を赤坂に呼び寄せたのは、この正行まさつらである。

「三郎、よう戻った。待っておったぞ」

 正行まさつらは二十四歳。南朝から帯刀舎人たてわきとねりとともに河内守かわちのかみの官職を与えられ、父、正成の後を継いで河内かわち和泉いずみ二か国の守護しゅごに任じられていた。

 前に座った正儀が、床に両の拳を突いて頭を下げる。

「太郎兄者、ただいま戻りましてございます」

 続けて、後ろに控えた津田武信と河野辺正友も、それぞれ名乗りを上げて平伏した。

「うむ、ご苦労であった。楠木も郎党が増え、兵をまとめる者が追いつかぬ始末じゃ。これからは三郎にも一軍の将として働いてもらわねばならん。範高殿には無理を言って、こうして三郎を返してもろうた。その恩情に報いるためにも、心して働いてくれ」

 棟梁としての凛々りりしい兄の振る舞いに、正儀は思わずかしこまる。

「はっ。この三郎正儀、楠木家を再興し、吉野の朝廷を京にお戻しすべく、身をにして働きとうございます」

「うむ、期待しておるぞ……」

 末弟の緊張した顔に、正行まさつらはふふっと口元を弛める。

「……では、新たに家臣の列に加わった後ろの二人のために、当家の者を紹介しよう。まずは左手からじゃ」

 正行まさつらの目配せを受けたのは、左手かみに座る次兄正時である。しかし、

「わしはもう顔合わせは済んだ。飛ばして従兄弟たちじゃ」

 正時が次に送ると、隣の入道頭が声を上げる。

「それがしは常陸ひたちから戻った西阿(楠木正家)じゃ。よしなにお願い申す」

 その顔には、正儀の従兄弟としては似つかわしくない小皺こじわが刻まれていた。皆から楠木将監しょうげんと呼ばれるこの男は、正成の長姉ちょうしが嫁いだ和田正遠まさとおの息子である。従兄弟の中では一番の年長者で、正行まさつらより一回り以上も歳上であった。

 常陸国ひたちのくに那珂郡なかぐんの代官として下向するにあたり、正成の猶子ゆうしとなり、和田高家から楠木正家へと名を改める。瓜連うりづら城を拠点に足利方の佐竹氏らと争うが、奮戦むなしく城を失う。その後も武家方と争うが、勢力を回復させることは叶わず、河内に戻っていた。

 続いてその隣に座る、兄の正行まさつらより少し歳上の男が声を張る。

「わしは弟の和田新九郎正武じゃ。今朝、和泉からやってきた。よう、名を覚えておいてくだされ」

 一門の和田党は、楠木家とは濃いえにしにあり、一門衆の筆頭ともいえた。正成の義兄、和田正遠まさとお湊川みなとがわで亡くなった後、息子たちの世代となる。常陸国ひたちのくにおもむいた楠木正家(和田高家)や討死した和田正興まさおきら兄たちに代わって、弟の正武まさたけが和田党に与えられた和泉国南郡みなみぐんの領地を護っていた。

「次はわしか。わしは美木多みきた正兄まさえ。虎(正儀)とは義理とは言えど従兄弟の間柄あいだがらじゃ。薙刀なぎなたを持たせば、我が右に出るものはおらぬぞ。はっはっは」

「同じく弟の正朝まさともじゃ。薙刀ならじきにわしが追い抜いてみせよう。虎、見ておいてくれ」

 遠慮なく正儀を虎と呼ぶ、この威勢のよい兄弟は、美木多みきた正氏の子、満仁王丸まにおうまる明王丸みょうおうまるの元服後の名乗りである。楠木三兄弟と一緒に育った正兄まさえは正儀の三歳上、正朝まさともは同じ歳であった。


 美木多みきた兄弟の挨拶をおかしそうに見ていた正行まさつらが、今度は右の列に視線を動かす。

「次に、当家を支える者たちじゃ」

 うながされ、右手の上に座る男が、落ち着いた所作で頭を下げる。

「橋本九郎正茂まさもちと申す。以後、御見知りおき下され」

 叔父の美木多正氏亡き後、正行まさつらを補佐するため、本貫の和泉を離れてここに来ていた。正行まさつらより二回り近くも年長の正茂まさもちは、河内の目代もくだい国守こくしゅの代理)も勤めていた。

 次に、その正茂まさもちと同世代の、どことなく目鼻立ちが正成・正季まさすえ兄弟を彷彿とさせる男が居住まいを正す。

「さて、わしの番じゃな。わしは大塚掃部助かもんのすけ惟正これまさと申す。よしなに」

 正成の叔母が、河内国石川を本貫ほんがんとする大塚家に嫁いで生んだのが、石川二郎とも呼ばれる惟正これまさである。和田正遠亡き後の和泉いずみ守護代に任じられていた。幕府方の和泉いずみ守護代、都筑つづき量空りょうくうとは、和泉国の覇権を賭けて幾度も激しく戦い、今日こんにちがあった。

 正行まさつらは河内・和泉国の守護であり、両国の武士をたばねる立場だが、それは吉野方(南朝)に限ってのことである。幕府方(北朝)の守護、細川顕氏あきうじに従う武士の方が圧倒的に多かった。特に湊川みなとがわの後、叔父の美木多正氏が討死したときには、若い正行まさつらに従う武士は、いったん数えるほどになった。それを、この正茂まさもち惟正これまさが奮励し、少しずつ勢力を回復させたのである。楠木家の領国である河内国と和泉国は、まさにこの二人によって支えられていた。

 続いて、正儀より二十くらい歳上の武士の順番となる。

「わしは神宮寺じんぐうじ小太郎正房まさふさ。以後、神宮寺将監しょうげんと呼んでくだされ」

 知的な雰囲気をかもし出す正房まさふさも楠木一門の家柄いえがらであり、湊川みなとがわの戦いで討死した神宮寺太郎正師まさもろの嫡男であった。

 最後に、その隣の男が頭を下げる。

「楠木の家宰かさい(執事)をしております恩地おんち左近さこん満一みついちと申します。わからぬことがあれば、何なりと聞いてくだされ」

 先代家宰かさい満俊みつとしの嫡男である満一は、父から受け継いだ左近の名で楠木家を取り仕切っていた。

 名乗りが途切れたところで正行まさつらが一同を見渡す。

「これで皆、紹介は終わったな。今日ここには来ておらぬが、他にもたくさんの者たちがおる。楠木が軍として動かせるのは、ここ河内と隣国和泉の一門衆と与力衆じゃ。追々、左近(満一)から聞くがよい」

「ははっ」

 津田武信と河野辺正友は、神妙に、声を合わせて頭を下げた。


 楠木正行まさつらが河内国と同様に頼みとする隣国和泉では、和田党、橋本党、美木多みきた党が力を持って正行まさつらを支えていた。

 和田正武の和田党と共に、一門の中で大きな力を持つ橋本党は、正成の時代に紀伊国伊都郡いとぐん橋本から、和泉国日根郡ひねぐんの南部(橋本)に本貫を移した豪族である。湊川みなとがわの戦で棟梁の橋本正員まさかずが討死した後、嫡男の橋本四郎正高が後を継いでいた。正行まさつらの指南役である橋本正茂まさもちは、亡くなった正員まさかずの舎弟で分家筋である。

 楠木一門の中でも和田と橋本の二家は別格で、楠木正行まさつらを棟梁と仰ぎながらも、湊川みなとがわの戦の後は自立して、直接、吉野の朝廷のめいを受けて動くこともあった。

 一方、与力の中で力を持っていたのは、和泉国大鳥郡おおとりぐん美木多荘みきたのしょうを拠点とする美木多みきた氏。藤原ふじわらの鎌足かまたり中臣なかとみの鎌足かまたり)を輩出した古代豪族、中臣なかとみ氏の嫡流、大中臣おおなかとみ氏の末裔である。先の天野合戦で活躍した岸和田きしわだ治氏はるうじらも擁する大族で、この美木多氏の庶流から楠木家に猶子ゆうしとして迎えられたのが、正儀ら兄弟の叔父、美木多正氏であった。鎌倉幕府の御家人でもあった棟梁の美木多助家すけいえは、初め、千早城攻めに加わって所領を失う羽目になる。その後、同族の正氏を頼って所領と官職を回復させていた。湊川みなとがわの戦の後は、立場を明確にしない助家に取って代わるように嫡男の助康すけやすが家督を継いだ。それからは、吉野方として楠木党の与力となっていた。が、その助康もすでにこの世になく、まだ歳若い嫡男の助氏すけうじが家督を継ぎ、楠木を軍事面から支えていた。

【注記:大中臣おおなかとみ氏系の「美木多みきた」は本来「和田みきた」と書くが、本作では楠木一門の「和田わだ」との混同を避けるために「美木多みきた」と書く】


 皆の挨拶が終わった頃合いを見計らって、下座に正儀ら兄弟の母、久子がすうっと顔を出す。

殿方とのがたたちのお話は終わりましたか」

 一同のもてなしのため、久子は侍女たちと一緒に、朝からくりやに立っていた。

 微笑む久子の隣に、若い女がつつましく控える。

「三郎殿、御無沙汰しております」

 物柔らかに語りかけたのは正行まさつらの妻、満子みつこである。

 正行まさつらは前年に、内藤右兵衛尉うひょうえのじょう満幸みつゆきの娘をめとっていた。満幸みつゆきは、能勢のせ三惣領さんそうりょうといわれる野間荘のまのしょうの国人である。

 久子の前で、正儀は改めて頭を低くする。

「母上、それに義姉上あねうえ。ただいま戻りました」

「三郎も達者で何よりです。よく戻ってきました」

 そう言って、久子は少し目をうるませた。

「三郎殿、母上様は、朝から大そうお待ちかねでございましたよ」

 嫁の言葉に久子は、これっと手首を振って苦笑いする。

 続けて近習の二人が頭を低くして挨拶すると、久子が安堵の表情を返す。

吉祥丸きちじょうまる殿、いえ、又次郎殿も息災で何よりです。御母上にも使いを送っております。この後、すぐに戻り、顔を見せてやるがよい」

 照れくさそうに頭に手をやる河野辺正友に目を細めながら、久子はもう一人にも視線を向ける。

当麻とうま殿、三郎が世話をかけます。津田殿(範高)は……御父上はお達者ですか」

 久子の問いかけに津田武信たけのぶも、はい、と笑顔で応じた。

義姉上あねうえ、多聞丸は」

 母と近習たちの話が続く中、正儀が満子にせっつく。

 正行まさつらと満子の間には、三月みつき前に嫡男、多聞丸が生まれていた。多聞丸は、正成、正行まさつらと、楠木の跡継ぎが名乗ってきた特別な幼名である。

「ええ、奥にりますよ。今はよい子にして寝ております。顔を見てやってくだされ」

 甥に合うのはこの度が初めてである。正儀は多聞丸に会うのを楽しみに帰って来ていた。


 義姉ぎしの満子に連れられて、正儀は奥の寝所に入る。と、赤子の面倒をみていた侍女のふくが正儀に気づき頭を下げた。能勢のせの内藤家から楠木家に一緒に入った、満子が気を許せる侍女であった。

「おお、よく寝ておるな。うむ、可愛い顔をしておる」

 正儀は耳元でささやいてから、多聞丸の頬にそっと指を当てた。このときは、この子が楠木の跡目を立派に継ぐであろうと信じて疑わなかった。


 それから一年、楠木正儀は近習の津田武信・河野辺正友とともに、兄たちを手伝って楠木党の強化を図りつつも、赤坂で平穏な日々を過ごした。


 翌、正平二年(一三四七年)五月、長雨が幾重にも連なる山々の陵線をにじませる。ここは吉野山に建つ金輪王寺きんりんのうじ。南朝に接収され、行宮あんぐう(仮宮)となっていた。

 大覚寺統の血統は、七年前に崩御ほうぎょした先帝、後醍醐天皇の後、阿野廉子かどこの子、義良のりよし親王が後村上ごむらかみ天皇となって受け継いでいた。

 先帝が理想とした天皇親政の御代みよである延喜えんぎ天暦てんりゃくは、醍醐天皇と村上天皇の時代であった。先帝はこの醍醐天皇にあやかり、通常は死後に贈られるおくりな(追号)を、生前自らが後醍醐ごだいごと定めていた。そして、後を受けた今上の帝も、この村上天皇にあやかり、生前からおくりな(追号)を後村上と決めていた。

 京の朝廷とは比べるまでもない小さな廟堂びょうどうの中。御簾みす向こうの帝を前に、公卿くぎょうたちが集まり朝議の結果を奏上していた。

 天皇親政である吉野の朝廷では関白かんぱくを置いていない。居並ぶ公卿くぎょうは、左大臣の二条師基もろもとを筆頭に、准大臣じゅんだいじん北畠きたばたけ親房ちかふさ大納言だいなごんの四条隆資たかすけごん大納言だいなごん洞院とういん実世さねよ中納言ちゅうなごんの阿野実村さねむららの公卿くぎょうと、頭中将とうのちゅうじょう中院なかのいん具忠ともただという面々であった。この頭中将とうのちゅうじょうとは、伝奏役の蔵人頭くろうどのとう近衛中将このえのちゅうじょうを兼ね合わせた役である。

 左大臣の二条師基もろもとが、帝の前でうやうやしく一礼する。

「申し上げます。御上おかみ(後村上天皇)の御威光はあまねく広がり、我が朝廷の威勢は盛り返しつつございます。仔細は北畠卿より」

 そう言って、准大臣じゅんだいじんの北畠親房に目配せした。


 吉野の知恵袋ともいえる北畠親房は、九年前、関東支配のために常陸国ひたちのくにに下向した。だが、支配に失敗して吉野山に戻り、すでに四年が経っている。

 建武の新政における親房は、必ずしも恵まれたものではない。急進的な先帝(後醍醐天皇)と漸進的な親房は、元来、反りが合うものではなかった。しかし、それだけではない。その明晰めいせき狡猾こうかつな頭脳が煙たがられた節もある。親房は京から遠く離れた奥州経営を託され、嫡男の北畠顕家あきいえとともに赴任した。その時にほうじた皇子が、今上きんじょうの帝となる義良のりよし親王である。

 その後、吉野に逃れて朝廷を開いた先帝の元で、またも遠国えんごくの地に赴任する羽目になる。再び義良のりよし親王をほうじ、関東支配のために、伊勢国いせのくに大湊おおみなとから船団を組んで出港した。しかし、暴風雨で親王の船とは離れ離れになり、親房だけが常陸国ひたちのくにに到着する。一方、義良のりよし親王の船は伊勢に押し戻され、仕方なく吉野山へと帰った。

 常陸国ひたちのくにに入った親房は、現地の南朝勢力を糾合きゅうごうして幕府方の武士と争った。吉野山に戻り新帝(後村上天皇)に即位した義良のりよし親王の代わりに、亡き護良もりよし親王の子、大塔若宮おおとうのわかみやこと興良おきよし親王をほうじ、不屈の精神で南朝の勢力拡大に努めた。だが、拠点の関城せきじょうを落されて、失意を胸に吉野に戻る。

 しかし、先帝が崩御ほうぎょし、支柱を失った吉野の公卿くぎょうたちは、親房の指導力を頼った。そして何よりも、幼少のみぎりからほうじて養育した新帝が、親房の力を求めた。その結果、親房は吉野山の行宮あんぐうを実質、取り仕切るまでに権力を掌握していた。


 その北畠親房が、帝(後村上天皇)の前で、仰々しくかしこまる。

「伊勢では我が子、顕能あきよしが、大和では越智おち十市とおちが、紀伊では四条卿の元で湯浅らが味方を募り、そして河内・和泉においては楠木と一門の和田、橋本らが勢いを取り戻しております」

 北畠顕能あきよしは親房の三男で、伊勢守いせのかみに任じられて伊勢国に下向した。守護職が置かれていない同国では、国司が軍事も掌握し、直接、力を奮っていた。

 親房の報告に若い帝は、御簾みす越しに、そうかと嬉しそうな声をあげる。

「では、幕府を討って、京の都へ還幸かんこうできる日も、そう遠くはないな」

「御意。ただ、これまで楠木は、河内と和泉という要国の守護職にあるにもかかわらず、要諦ようていが整わぬと、長く出陣を渋って参りました。河内守(正行まさつら)には、少し強く、討幕の挙兵をうながさなければならないかと存じます」

 親房の話に、洞院とういん実世さねよが言葉を重ねる。

「河内守は正成の子ではありますが、戦といえば小競り合い程度。これまで戦らしい戦をしておりませぬ。一族の多くが討死したため、戦に臆病になっているのやも知れませぬな。我らがきっかけを与えてやることも肝要かと存じます」

 そのもの言いに、同席の四条隆資たかすけと阿野実村さねむらは眉をしかめた。

 しかし帝に、気にする素振りはみられない。

「楠木のことは、そのほうらに任せよう。良きに計らうがよい」

「はっ。承知つかまつりました」

 御簾みす向こうからの玉声に、親房と実世さねようやうやしくこうべを垂れた。


 廟堂びょうどうを後にした中納言、阿野実村さねむらは、雨の中、帝(後村上天皇)の母、准三后じゅさんごう、阿野廉子かどこの御殿を訪ねた。准三后じゅさんごうとは皇后こうごう皇太后こうたいごう太皇太后たいこうたいごうじゅんじた称号であり、処遇のことである。

 実村さねむらは亡くなった元弘の御代みよ宮内卿くないきょう、阿野実廉さねかどの息子であり、廉子かどこにとっては甥(兄の子)、帝にとっては従兄にあたった。廉子かどこ同様に目鼻立ちが整った公家である。

 部屋に入ると、廉子かどこは若い侍女に髪をとかれていた。

「や、これは失礼致しました」

 慌てて、部屋から下がろうとする実村さねむらを、廉子かどこが呼び止める。

「構いませぬ。廟堂びょうどうはいかがでありましたか」

 声をかけられ、実村さねむらは改めて座り直す。

「はい、それが……」

 実村さねむらが侍女を一瞥いちべつして口籠くちごもると、その侍女は気を利かせて頭を下げる。

准三后じゅさんごう様(廉子かどこ)、私はこれにて失礼つかまつります」

「構いませぬ。伊賀局いがのつぼねは髪ときを続けるように。中納言殿(実村さねむら)、この者は構いませぬから、続けてください」

かしこまりました」

 少しためらいを残したまま、実村さねむらは軽く頭を下げた。

 伊賀局と呼ばれる女は、准三后じゅさんごう付きの侍女である。廉子かどこは、器量好しでしっかり者であるこの娘を可愛がっていた。そして、若くして部屋持ちのつぼねとして遇し、伊賀局と呼ばせていた。

「それで、いかがでしたか」

「はい、北畠卿(親房)は、大和は元より伊勢、紀伊、そして河内・和泉において、朝廷(南朝)にくみする武将が増えたとお話されました。近々、討幕の兵を挙げる御積もりのようです」

「では、わらわが京へ戻れる日も近うありますな」

 こどものように、廉子かどこは目を輝かせた。

「ただ挙兵に際し、楠木河内守かわちのかみ正行まさつら)が及び腰とお嘆きで。洞院とういん卿(実世さねよ)は、河内守を、父、正成と違って戦知らずとけなしてございました」

「左様か、楠木がな……宮中の女たちは才覚ある若武者じゃと話しておったが……のう、伊賀局」

「はい、河内守様は、官女たちの間では、それは人気でございます。若くて美男、弓馬の腕前も随一とのこと。そして、田舎育ちでありながら、参内さんだいの礼儀もしっかりなされておられるとか」

「左様、麿からみても、立派な武士もののふに見えまする」

 実村さねむらも、一片の疑いも持たず頷いた。

 廉子かどこは、つぼねの手を止めさせて、実村さねむらに向き直す。

「これまで戦に消極的だったのは、何か考えがあってのことやも知れませぬな。中納言殿、一度、河内守を呼んで、仔細を聞かれるよう、北畠卿にお話してみてはいかがか」

「はい、承知致しました」

 この後も、実村さねむらは京や諸国の世情を話し、しばらくしてから廉子かどこの部屋を退出した。


 准三后じゅさんごうの御殿を後にした阿野実村さねむらは、回廊を渡る北畠親房の姿を目に留める。

「これは准大臣じゅんだいじん様(親房)、ちょうどよいところで……」

 実村さねむらは、廉子かどこ言付ことづけを親房に話した。

「これは、ありがたいご助言をいただき、恐れ入りまする。しかとたまわりましたと、准三后じゅさんごう様にお伝えくだされ」

 宮中随一の実力者である親房だが、中納言の実村さねむらに頭を下げて丁寧に返答した。

 そして親房は、帰る実村さねむらの後ろ姿を目で追いながら顔をしかめる。

「女狐め、要らぬ口出しを……」

 親房は、吐き捨てるように呟いた。


 一方、持明院統の血統である朝廷(北朝)を押し立てる京の幕府。征夷大将軍の足利尊氏が、所用を済ませて将軍御所に戻ってくる。この頃、尊氏は二条高倉だいから鷹司たかつかさ東洞院ひがしとういんだいに居をあらためていた。

 増築後の白木の香り漂う執務所の中で、将軍を待ち受けていたのは、弟で副将軍の足利直義ただよしであった。

 尊氏は、難しそうに眉根まゆねを寄せる直義ただよしを前に、涼しい顔で上座に腰を据える。

「何じゃ、直義ただよし

「兄上、探しましたぞ。いったいどこへおいででございましたか」

「天竜寺で先帝の菩提をとむらっておったのじゃ」

「また、天竜寺へ……」

 天竜寺は、後醍醐天皇の菩提をとむらうために、大覚寺の離宮、亀山殿の跡に、五年の歳月をかけて建立こんりゅうした寺院である。寺の建立こんりゅうを勧めたのは、臨済宗の僧侶、夢窓むそう礎石そせき。建武の新政の頃から、尊氏・直義ただよし兄弟が師事していた。

「兄上は、まさか、先帝のたたりを信じておるのではありますまいな」

「わしはたたりを信じておるわけではない……」

 尊氏は憮然とした表情を見せる。

「……わしにとってあのお方は特別なのじゃ。わしはあのお方の前に出ると、蛇に睨まれたかえるであった。恭敬きょうけいの念を抱いたと言ってもよい。だからこそ、先帝に謝りたいのじゃ。たとえ、わしが正しかったとしてもな」

 心ならずも反旗をひるがえして幕府を開いたことに、尊氏は自責の念を持ち続けていた。

「天竜寺の建立こんりゅうは、直義ただよしとて同意したことではないか。お前も、都合を付けて天竜寺に手を合わせにいくがよい」

 またかと、直義ただよしはうんざりとした表情を浮かべる。

「天竜寺の建立こんりゅうに同意したのは、何も先帝をとむらうためだけではない。とむらう寺を我らが建立こんりゅうすることで、幕府の威厳を高め、吉野方の武家を味方に付けることができるのじゃ」

 弟の話に、尊氏は目を閉じて深く息を吐く。直義ただよしの実直で、ややもすれば冷淡な性格には、敬意とともに哀切あいせつをも感じていたからである。

「それより兄上、その先帝の、いや吉野の朝廷のことであるが、いつまでこのまま放置しておくのか。先帝の七回忌が済んで二年が経とうとしておる。そろそろ、幕府の威厳を示さねばならん」

「そう焦らなくとも、畿内は戦もない平穏な日々が続いているではないか」

「何も、戦は畿内だけで起きているのではないぞ。北畠親房が常陸ひたちを諦めたのは幸いであったが……陸奥むつでは居良いやよし親王、遠江とおとうみでは宗良むねよし親王、九州では懐良かねよし親王を旗印に、大覚寺統(南朝)は武力で勢力を延ばしておる。吉野に朝廷がある限り、これらの動きは収まらぬ」

 直義ただよしの理路整然とした意見に、尊氏はいらつく。

「では、いったい、どうせよというのじゃ。吉野山へ攻め入り、南主(後村上天皇)に刃を向けよと申すのか」

 尊氏の投げやりな言い方に、直義ただよしも激昂する。

「誰もそのようなことは言っておらぬ。ただ京の朝廷を仰いで幕府を開いておきながら、吉野の朝廷をそのままとしておくのは、征夷大将軍として虫がよすぎるというのじゃ」

 尊氏と直義ただよしは同じ母から生まれた二歳ふたつ違いの兄弟である。幼いころから仲がよく、それだけにお互い遠慮がなかった。

 この後も二人は、延々と噛み合わぬ話を続けた。


 河内国赤坂にある楠木館の庭には、笛や太鼓たいこ囃子はやしに釣られ、近くのわらべや百姓たちが集まっていた。彼らの笑い声の先には、火男ひょっとこ阿亀おかめの面を着け、滑稽な踊りを見せる二人組の姿があった。突如、横から猿面の男が見事に宙を切る。すると一同から、おおっと感嘆の声が上がった。

 皆を楽しませているのは、猿楽の小波多こはた座。一座の者たちが行っているのは、興業の前に行う人集めのための余興である。一行は、和泉での興業に向かう途中、ここに立ち寄っていた。


 座長の竹生大夫ちくぶだゆうこと服部元成は、一座の者たちを庭に残し、館の広間に迎え入れられていた。

 元成の隣にはその妻で、正儀らの叔母である晶子あきこが笑顔を見せて座っている。

「太郎殿(正行まさつら)、義姉上あねうえ様(久子)、お久し振りでございます。二郎殿(正時)も、三郎殿(正儀)も、お達者そうで」

「元成殿も、叔母上(晶子)も御元気そうで何よりじゃ」

 上座に座って応じる正行まさつらは、楠木の当主がすっかりさまになっていた。

 正儀ら兄弟の母、久子は、晶子の後ろに控える目元涼やかな双子の兄弟に目を細める。

「まあ、観世かんぜ聞世もんぜも大きくなって」

「母上、もう観世丸、聞世丸ではありませぬ。二人は十五歳。元服を済ませたのですぞ」

 二人より三つ年長の正儀が、小生意気に指摘した。

「伯母上(久子)、わたしは観世丸改め、服部三郎清次きよつぐとなりました。よしなにお願い申します……」

 そう言ってすぐに、身体を正儀に向けてねじる。

「……されど三郎兄者(正儀)、一座では観世大夫かんぜだゆうの名で出ておりますので、伯母上の言われたこともあながち間違ってはおりませぬ」

「わたしは聞世丸改め、服部四郎成次なりつぐとなりました。わたしも、皆から聞世大夫もんぜだゆうと呼ばれております」

 観世と聞世の答えに、正儀は、ほうと目を丸くして納得する。

 双子の兄弟は、今や小波多座の花形であった。

 正時が、その二人を見比べながら感心する。

「しかし、いつ見てもそっくりじゃな」

「でもね、同じように育てても、違ってくるものなのですよ」

 呆れる正時に、二人の母である晶子は可笑しそうに口元を緩めた。

 父の元成は、二人を一瞥いちべつして苦笑いする。

「観世は芸の道一筋じゃ。方や聞世の軽業は観世以上じゃが、一座の裏の顔に興味があるようで……」

「裏の顔……」

 怪訝けげんな表情を浮かべて正儀は呟いた。

 すると、長兄の正行まさつらが、うむと顔を向ける。

「三郎、我らがこうしてあるのも、元成殿をはじめ一座の者たちが、我らの目となり耳となって敵方を探ってくれておるからじゃ。時には危ない橋も渡っていただいておる」

「太郎殿、そのことなのですが……」

 ここぞとばかりに晶子が切り出す。

「……ひとつ頼みがございます。この聞世を召し抱えていただけませぬか」

「太郎兄者(正行まさつら)、お願い致します」

 晶子の言葉に続けて、聞世が頭を下げた。

 うぅんっと目をしばめかす正行まさつらに、元成が説明する。

「こやつは芸事よりも武士に成りたいと言うのです。ちょうど小波多座も観世らのお陰で人気が出ましてな、興行のために楠木の仕事も十分にできなくなっているところです。であればいっそ、一座から透っ波すっぱ(忍)の素質のあるものを何人か聞世に付けて、丸ごと召し抱えていただけないかと」

「それは、願ったりじゃが……聞世、それで本当によいのか」

「はい。それがしにとっては、一座でやっていた事を、楠木党に入ってやるだけです。どうか、お願いします」

 神妙な顔で、聞世が頭を下げた。

「よし、決まりじゃ」

 間髪置かず、勝手に正時が許すと、あははっと、誰とはなく笑いが漏れた。

 これにつられて、正行まさつらもふっと口元を弛める。

「まあ、よかろう。では叔母上、聞世を預かります。では改めて服部四郎成次、以後、よしなにな」

「太郎兄者、ありがとうございます」

「これ。今日からそなたは楠木の家臣じゃ。太郎殿のことは殿、二郎殿や三郎殿は、二郎様、三郎様じゃ」

 晶子の小言に肩をすくめた聞世は、改めて居住まいを正す。

「殿、服部四郎成次めにございます。以後、よしなにお願い申し上げます」

 この日をもって、聞世こと服部成次は、楠木党の一員となった。


 六月、万緑の木々が、幾分か暑気を和らげる南河内の街道に、天野山あまのさん金剛寺を出立した数人の若い女たちの姿があった。虫の垂れ衣むしのたれぎぬが付いた市女笠いちめがさを被る彼女らは、女房と呼ばれる吉野行宮あんぐうの官女たちである。帝(後村上天皇)の使いで金剛寺に写経を奉納した帰り道。警護の侍たち数人に先達されて吉野山に向かっていた。

 女房らの筆頭は日野俊子としこ。元弘の変に先立ち、鎌倉幕府によって処刑された蔵人くろうど、日野俊基の娘である。宮中で弁内侍べんのないしという役を得ていた俊子は、吉野は元より、京へも知られた美女である。

 一行の中には侍女を従えた伊賀局いがのつぼねの姿もあった。准三后じゅさんごう、阿野廉子かどこの写経も合わせて奉納したためである。その伊賀局に従う女はたえといい、身の回りの世話を焼くため、つぼねの実家から一緒に宮中に入った、一つ歳下の娘であった。


 女房が数人も集まれば、他愛のない雑談に花が咲く。ついつい、足取りが遅くなりがちであった。

内侍ないし様、夏の日入りは遅いとはいえ、急ぎましょう。暗くならないうちに五條に入り、栄山寺えいざんじに一夜の宿を借りねばなりませぬ」

 しっかり者の伊賀局が弁内侍べんのないしら女房たちをかした。

 その時である。

「ぎゃっ」

 一行の先達をしていた警護の一人が、突然、仰向けになって倒れ、うめき声を上げた。

「きゃああ」

 これを見て、女房らが悲鳴を上げた。倒れた武士の肩には、矢が突き刺さっていた。

 一行はあっという間に、怪しげな男たち十人ばかりに囲まれる。いかにも野伏のぶせか山賊といった身なりであった。

「この山賊風情がっ」

 他の侍たちが一斉に刀を抜いた瞬間、一人が掌を射抜かれてその場に崩れ落ちた。

「きゃああ」

 再び女房たちから悲鳴が上がった。

「手向かう者は容赦せぬ。男に用はない。大人しく立ち去るがよい」

 かしらおぼしき男が居丈高いたけだかに声を上げた。

 しかし、気丈夫な伊賀局は、侍女のたえとともに、弁内侍べんのないしの前に立ち、短刀を抜いて身構える。

「そのほうたち、無礼であろう。我らは吉野の朝廷の者じゃ。これにおられるは、帝に御仕えする弁内侍べんのないし様であるぞ。早々にここを立ち去るがよい」

 まだ、十七歳のうら若き娘である。だが、そのりんとした立ち振る舞いは、さすが阿野廉子かどこから目をかけられるだけのことはあった。

「あはは。我らはその弁内侍べんのないし様に用がある。幕府の執事様の元に連れていけば、銭百ぴきが手に入るでのう」

「執事とは……高師直こうのもろなおか」

「そういうことだ。観念するがよい。ところで、お主もなかなかの玉よのう。高く売れるぞ。はっはは」

 師直もろなおの悪い噂は伊賀局も聞いていた。美女を片っ端からさらって手籠めにしているという噂である。

「皆の者、女は全て生けりじゃ。かかれ」

 頭目の声で、山賊たちはいっせいに女たちに襲い掛かった。

 伊賀局はたえに目配せすると、短刀を逆手に持って身構える。二人はつかを胸に、切っ先を山賊に向けて、切り込む間合いをはかった。

「ぎゃあ」

 一人の山賊が前のめりに崩れる。その背には矢が立っていた。

「何だっ」

 山賊のかしらの前に飛び出してきたのは、騎馬武者であった。あっという間に二十騎の武者が山賊の周りを取り囲む。

 その中から一騎が進み出る。楠木正行まさつらである。続いて正儀と津田武信も隣に馬を進めた。

 武信が吐き捨てる。

「女を襲うとは卑怯な奴じゃ」

「ま、待て。わしらは幕府の執事、こう武蔵守むさしのかみ様のめいで、そこの女をお迎えに来ただけじゃ。お主ら、わしを討てばこう様を敵に回すことになるぞ」

 山賊のかしらの言葉に、正儀が思わず吹き出す。

「何がこう様じゃ。お前ら、ここをどこじゃと思うておるのだ。ここは河内、楠木の領地じゃぞ」

「その通りじゃ。わしは棟梁の楠木河内守かわちのかみじゃ。高師直こうのもろなおは元来、我らが敵ぞ。皆の者、この者どもを取り押さえよ」

「く、楠木の棟梁……」

 かしらの顔はみるみる青ざめていく。仲間たちも楠木と聞いて、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 だが、すぐに正儀が馬を走らせ、一人の山賊のゆく手を塞ぐ。

「当麻(武信)、そっちにも行ったぞ」

「お任せを……おっと、お前たち、どこへ行くのじゃ」

 山の中に逃げ込もうとした山賊は、武信が馬を入れて遮った。

 ―― びゅん ――

 騒ぎの隙をみて、逃げようとするかしらの耳をかすめ、矢が地面に突き刺さる。かしらが振り向くと、馬上の正行まさつらが素早く次の矢を射る動作に入っていた。

「今のはわざとじゃ。今一度逃げれば命はないぞ」

 へたへたと座り込む山賊のかしらは、武信たちに縄を打たれた。一味の者たちも、あちらこちらで楠木の郎党たちに取り押さえられた。


 正行まさつらと正儀は馬を降り、弁内侍べんのないしと伊賀局の元に駆け寄って、片ひざを突く。

「お怪我はございませなんだか」

 正行まさつらが声をかけると、弁内侍べんのないしは強張った顔で頷く。

貴方様あなたさまが……楠木河内守様……」

「左様、楠木正行まさつらでござる。そしてこの者は、それがしの末弟にございます」

 兄にうながされ、正儀も会釈する。

「三郎正儀にございます。何卒なにとぞ、よしなに」

 かたわらの伊賀局はよほど気負っていたのか、やっと懐刀かいとうさやに納め、大きく息を吐く。

「あ、危ないところをありがとうございました。こちらは帝(後村上天皇)にお仕えする弁内侍べんのないし様でございます」

「あなたが弁内侍べんのないし様ですか。お名前はかねがね。ご無事でよかった」

 そう言って、正行まさつら弁内侍べんのないしに向かって微笑んだ。すると弁内侍べんのないしは顔を真っ赤にしてうつ向く。

 その隣で正儀も伊賀局に向かって微笑む。

「ところで、あなた様は……何とも驚くほどに肝が座っておいででございましたな」

 ぶっきらぼうなもの言いに、伊賀局は一瞬、眉をゆがめる。が、すぐに気を取り直し、作り笑顔を正行まさつらに向ける。

「私は、准三后じゅさんごう様(廉子かどこ)お付きの女房で、伊賀局と申します。危なきところをありがとうございました」

 つぼねの名前に、正行まさつらは首を傾げる。

「伊賀局殿というと……篠塚しのづか伊賀守いがのかみ殿の御息女であるか」

「左様にございます」

 問いかけに、伊賀局は息を整えながら頷いた。

 伊賀守いがのかみとは、本来は伊賀の国守(国司の長官)である。後醍醐天皇は国司職の権限を復活させて守護職の権限を縮小する構想を描いていた。しかし、乱世となって頓挫し、一部の国守を除いては権限は限られ、名目として与えられていた。

 正儀は武信と顔を見合せ、互いに首を傾げると、兄たちの会話に割って入る。

「兄者、篠塚伊賀守いがのかみ殿とは」

「うむ、一騎当千の武者とはまさに伊賀守殿のこと。ただの一人で敵陣に討ち入って、十六貫の鉄棒を振り回し、二十人をあっという間に平らげたという。されど、その伊賀守殿も武運つたなく、脇屋わきや義助よしすけ殿に従って四国に渡られた後、亡くなられた。もう、四年になるかのう」

「我が父のことを存じおいていただき、ありがとうございます」

 在りし日の父を偲ぶように、伊賀局は憂いを帯びた表情で頭を下げた。

 つぼねは、新田義貞の家臣で新田四天王の筆頭と呼ばれた篠塚重広しげひろの娘、徳子とくこである。

 先帝(後醍醐天皇)が南朝を打ち立てた折り、京から遠い吉野山では官女にも事欠くありさまであった。そこで、公家だけでなく、南朝方の有力武将にも、見目麗みめうるわしい娘がいれば、宮中へ出仕させるよう求めた。これに応じた一人が重広である。

「娘が宮中に入っておると聞いておったが、伊賀守殿(重広)のような剛な武者の娘が、斯様かような美しき姫御前ひめごぜであったとは驚きじゃ」

 正行まさつらの言葉に、伊賀局は気をよくして笑顔をたたえた。

 しかし、正儀は女心がわからない。

「いや、兄者。やはり、その剛力な伊賀守殿の御血筋。先ほどの隙のない構え。おそらく山賊が近づけば一人や二人はいのちを落としたことでしょう。まさに勇婦とは御局おつぼね様のこと」

 余計な言葉に、伊賀局は笑顔を引きひきつらせながら、正儀を睨む。

 しかし正儀は、彼女の態度が理解できず、きょとんとした表情を返した。悪気があるわけではない。むしろめ言葉と思っていた。注意深く観察した結果を口に出しただけである。

 そんな二人に苦笑くしょうしつつ、正行まさつら弁内侍べんのないしに気を配る。

高師直こうのもろなおばかりではありませぬ。金目当てで女をさらう野伏のぶせが増えておるようじゃ。宮中の女房様にはいささか厳しい世の中。吉野までお送り致そう」

「め、滅相もございませぬ。お忙しい河内守様に、そのような事はさせられませぬ」

 正行まさつらの申し出に、弁内侍べんのないしが慌てて首を横に振った。

「遠慮は御無用でござる。この三郎(正儀)はそこまで忙しくはない。吉野山まで供をさせましょう」

 供の相手が、正行まさつらでないとわかると、弁内侍べんのないしと伊賀局は顔を見合わせ、肩を落とす。

「ああ、御舎弟殿(正儀)……でございますか。では、まあ、遠慮なくお願い申します」

 少し投げやりな伊賀局の言い方にも、正儀は少しも気にする素振りを見せない。

「それがしにお任せくだされ。では、参りましょうか」

 正儀は馬を預け、武信ら十人ばかりの手勢を率いて、徒歩で一行を先達した。

 弁内侍べんのないしと伊賀局は、見送る正行まさつらに後ろ髪を引かれつつ、正儀の後に付いて吉野山へ向かった。


 その頃、幕府の重鎮、佐々木道誉どうよの京屋敷を、正儀らの山賊退治に関わる人物が訪ねていた。

 平安貴族が住むような神殿造りに、対面所(対面儀礼を行う部屋)、出居いでい(外に面した接客場所)、遠侍とうざぶらい(警護の詰所)など、鎌倉由来の武家造りの様式を取り入れた屋敷である。庭は、引き込んだ水路と、ひとつひとつまで手をかけた植木や庭石が、小さな夏の景色を見せていた。中に入ると、香木を焚いた柔らかな香りが漂い、壺に活けられた立葵たちあおいの赤い花弁が主張し過ぎない程度に飾り付けられていた。

 屋敷の主である道誉は、広間に大きな壺をえ、来客に背中を向けて立花をけている。

「それで、わしに何の用じゃ。手が離せぬから、用件は手短に」

「何が忙しいのじゃ。花を壺に入れているだけではないか。将軍の言付ことづけで来たのじゃぞ。もちっと相手をしたらよかろう」

 客が憮然と言葉を返した。将軍家の執事、高師直こうのもろなおである。

 二人の接点は婆沙羅ばさら。伝統や常識から逸脱した自由人の道誉は言うに及ばず、師直もそんな婆沙羅ばさら者にも理解を示す、旧来の仕来しきたりにとらわれない者であった。決して互いを信頼することはないが、表面上は気が合った。

 道誉が、師直もろなおに背中を向けたまま問い返す。

「で、何じゃ」

「入道殿(道誉)は引付方ひきつけかた頭人とうにん。されど、近頃はまったく役所にも顔を出さぬ。これでは他の引付方ひきつけかたの者たちへ示しが付かぬということじゃ」

「堅苦しいことを……執事殿、本当に将軍が言うたのか」

 鷹揚な足利尊氏らしくないと思った。

「本当でござるよ。確かに将軍がこのわしに、入道殿の元へ行くように命ぜられた。ただし、三条殿の進言があってこそじゃがな」

 三条殿とは副将軍、足利直義ただよしのことである。三条のいわれは、三条坊門(三条高倉)に屋敷を構えていたためであった。

「やはり、あの御仁か。御舎弟殿(直義ただよし)はどうも堅苦しくていかん。妙法院に火を着けたぐらいでわしを出羽でわ配流はいるとしおって」

 妙法院の件とは、道誉が紅葉をひとさし折り、持ち帰ろうとしたことにたんを発した事件である。佐々木の郎党が、妙法院の僧兵らと乱闘になり、怒った道誉が妙法院を焼打ちしてしまった。

「いや、いや、それは本来、切腹でもおかしくないこと。それに出羽では配流はいると言うても、遊女をはべらせ、道々に酒宴を開いていたのであろう。しかも、ちんたらと進む途中で許され、帰ってきたではないか。それで三条殿(直義ただよし)を恨むのは、いくら何でも逆恨みというものじゃ」

 その言葉を受けて道誉が顔だけ振り返る。

「ほう、執事殿ともあろうお方が、まともな事を言う。そなた、女というのなら、洛中らくちゅうの美女を漁りまくっておるというではないか。美女を執事殿の元に連れていけば銭百ぴきが手に入ると聞いたぞ。そんな執事殿に説教はされたくないのう」

 再び背中を見せて、師直もろなおをあげつらった。

「たわけた事を。いったい誰がそんな噂を……」

「いやいや、実際、そなたは先の二条関白殿(二条兼基)の姫をさらって、子を産ませたではないか」

「さらったなど、言葉に気をつけられませい。道子は帝(光明こうみょう天皇)より賜嫁しかされたまでのこと。二条様は賜嫁しかに際し、道子を猶子ゆうしとして引き受けられただけじゃ」

 顔を向けた道誉に、師直もろなおは不機嫌そうに応じた。

 ふっと鼻を鳴らし、道誉が新たな生花にはさみを入れる。

「されど、人の奥方を手に入れたいがため、夫の塩冶えんや判官はんがん(佐々木高貞たかさだ)に謀反むほんの罪を被せ、追討して自害させた。可愛そうに、その奥方も自害したのであろう」

「濡れ衣じゃ。あれは塩冶えんや判官はんがんの舎弟が、兄に謀反むほんの疑いありと申し出てきたからじゃ。それに、処罰を決したのは三条殿(直義ただよし)。奥方欲しさで判官はんがんを自害に追い込んだなど片腹痛いわ」

 師直もろなおは迷惑千万と苦虫にがむしを噛み潰した。そして道誉の背中をしばらく見つめ、うぅんと首を傾げ、あごに手をやる。

「まさか、入道殿が数々の噂を流しておるのではあるまいな。そもそも、塩冶えんや判官はんがんの舎弟と入道殿は懇意であった。そして、何より、判官はんがんの出雲守護は入道殿のものとなったではないか」

「だから何じゃ」

塩冶えんや判官はんがんの舎弟を言い含めて利用し、無実の判官はんがんを自害に追い込み、最後は出雲を自らのものとした。それで、己の責任を逃れ、世間のそしりをかわすために、それがしの噂を流したのではないか」

 出雲いずも守護職しゅごしょくが道誉のもとに転がり込んだのは事実である。すでに道誉は、代官として重臣の吉田厳覚げんかく(秀長)を現地に送っていた。

「ふん、埒(らち)もないことを」

 つまらなそうに言葉を返す道誉であったが、師直もろなおに背を向けたまま、にやりと口元を緩めた。


 深緑の木々に覆われた高野街道は、日が傾き始めると一気に暑気も退いていく。木漏れ日が低く差し込む時分は、人々の往来にはもってこいであった。

 正儀は津田武信とともに、弁内侍べんのないし(日野俊子)と伊賀局(篠塚徳子)ら一行を警護して、吉野山の行宮あんぐうに向かっていた。

「あの、三郎様(正儀)……」

 弁内侍べんのないしがはにかむ。

「……河内守様(楠木正行まさつら)はお幾つでございましょうや」

「歳ですか。えっと、それがしの七つ上ですから二十五です」

「奥方様はられるのですか」

 矢継ぎ早に質問を投げかけた。

「ええ、二年前に妻を迎え、一年前に子が生まれました。多聞丸といいましてな、これが可愛いの何の。それがしは、一日見ていても飽きませぬ」

「そう……お子までられますか……」

 これを聞いて弁内侍べんのないしの足取りは重くなった。さらには、伊賀局までもが肩を落とす。侍女のたえはそんなつぼねの様子にくすっと笑った。

 しかし、先達する正儀は、二人の様子に気づかない。

「そうじゃ、お二人とも東条へ寄り道されますか。一夜の宿を寺に借りるくらいなら、我が館にお泊まりになればよい。義姉上あねうえ(満子)も、さぞ喜びましょう」

「いえ、結構でございます」

 ぶすっと伊賀局が応じた。

「そうですか。可愛いのに……のう、当麻(武信)」

 残念そうに、正儀は身体をねじって後ろの武信に顔を向けた。

「はっ……左様で」

 武信はそう言いつつも、正儀一人がその場の空気を察していないことが可笑しく、必死に笑いをこらえていた。

 一行は大和五条の栄山寺に宿を借りるべく高野街道を南に進んだ。だが、怪我を負った者たちも一緒では、思うように進めない。結局この日は、紀見きみ峠の延命院えんめいいんに一夜の宿を借りた。


 翌朝、一行は紀伊橋本に出て、伊勢街道を東に進み、吉野山を目指した。

 行宮あんぐうもあと少しというところで、伊賀局が立ち止まる。

「あっ」

「いかがされた」

 正儀が振り返えると、伊賀局が草履の鼻緒が切れてしゃがみ込んでいた。

「どれ、失礼つかまつる」

 草履を手にした正儀は、自らの腰にかけた手拭いを破いて、あっという間に鼻緒を直した。

「ご面倒をおかけしました」

 頭を下げる伊賀局に、正儀が白い歯を見せる。

「何、礼を言われるほどのこともありませぬ。それがしにできることがあれば、何なりと」

 すると、侍女のたえが、思い出したように、伊賀局に顔を向ける。

御局おつぼね様、例のあの話、武勇の誉れ高き楠木の御曹子にお話してみてはいかがでしょう。よいお知恵をいただけるやも」

 たえの言葉に、正儀は頭をく。

「いや、御曹子などと呼ばれる身分ではありませぬが……何か困ったことがあるのですか」

 すると、伊賀局は、余計な事をと言わんばかりの顔をたえに見せる。しかし、弁内侍べんのないしまでが頷く様子をみて、話を切り出す。

「今、宮中の女房の間では、妖怪騒ぎが起きておりまして。どうしたものかと思案しております」

「妖怪……」

 普段は勇ましい武信が顔を強張らせる。

 一方、正儀は薄笑いを浮かべて身を乗り出す。

「本当に見たのですか。怖いと思うと木の枝が揺れただけでも化け物に見えるとも言いますが」

 これに伊賀局は憮然とした表情をみせる。

「ならば、もう、結構でございます」

「あ、いえ、申し訳ござらん……そ、それで、どのような姿なのです。身の丈は。何か悪さをするのですか」

 下手に出た正儀に、つぼねは気を取り直して続ける。

「それが……見た者の話もさまざまで、要領を得ぬのです。ただ一様に、ただならぬものを見たと」

 つぼねに気遣い、正儀は腕組みをしながら唸ってみせる。

「ううむ、それだけでは、何とも助言できかねますな。幽霊の類いであれば、たぶん、相手の願いを叶えてやってから、ねんごろろにとむらってやれば成仏するのではありますまいか。そう、その者の好きなお経でとむらってやっては如何でしょうか」

「はあ……お経でございますか」

 場当たりな返答に、伊賀局は気のない返事を返した。

「今宵は満月です。しかと妖怪の姿を見定めたら、それがしに使いでも送ってください。すぐに妖怪退治に駆け付けましょうぞ。はっはっは……のう、当麻(武信)」

「えっ……はあ、まあ」

 笑いながら正儀は、顔を強張らせる武信の肩を軽くぽんと叩いた。

 その後、一行は無事に吉野山に入る。正儀は、皆を行宮あんぐうに送り届けると、伊賀局らに別れを告げた。


 伊賀局いがのつぼねが吉野山に戻ったその日。前日から一転し、まとわりつく湿気が昼間の暑気を夜まで残す、たいへん蒸し暑い夜であった。

 夜半を過ぎた頃、伊賀局はあまりの寝苦しさに、涼を求めて奥御殿の庭に下りて夜空を見上げる。

「まあ、何と見事な月」

 白く輝く満月が、つぼねの顔を浮かび上がらせた。

 月を見て、正儀の言葉を思い出す。

「妖怪の姿をよく見ておけなどと、適当なお方。まさか、こんな明るい夜に、妖怪など出る事もありますまい」

 月あかりの元、伊賀局は、赤松の向こうから吹き込む風を受けて、つい口づさむ。

「涼しさを、まつふく風に忘られて、たもとにやどす夜半の月影」

 すると、松の下からがさごそと音がして、男の声が続く。

「君待つ我は、やぶ蚊に刺され、我慢しかねる」

 目を見開いて、伊賀局が思わず後退あとずさる。

御局おつぼね様、それがしですよ。いやあ、ずっと隠れておったのですが、やぶ蚊に刺されて、大変でした」

 聞き覚えのある声に、伊賀局は目を凝らす。松の木の下には正儀が立っていた。

 伊賀局は、鼓動を押えるように胸に手を当てる。

「三郎様(正儀)、どうしてここに……」

「いやあ、妖怪の正体を見てやろうと引き返して参りました」

「お連れの方は……」

「ああ、当麻(津田武信)ですね。怖がるので先に戻し、それがしのみ隠れておりました。そうしたら、あなたが出てこられたので、顔を出した次第です」

 腕に止まった蚊を叩きながら、正儀が歩み寄った。

 無邪気に笑うその顔を見て、つぼねあきれる。

「このようなところを近衛このえの兵に見つかれば、ただでは済みませぬよ」

「ただでは済まない……まあそうでしょうね。だいたい想像が付きます。夜が明ける前に抜け出します。決して、ご迷惑はかけませぬ」

 頭をきながら正儀は応じた。

「本当にもう……」

 伊賀局が小息を吐いた。

 しかし、妖怪話を適当にあしらったわけではなく、親身になって引き返してくれた正儀を少し見直していた。

御局おつぼね様、先ほどの歌……よき歌でございますな」

「三郎様は歌がおわかりになるのですか」

「いや、わかりませぬが、何やら音の響きがよいようにございます」

 歌のわからぬ者にめられても、嬉しくはない。つぼねは小さくうなだれた。

「もう一度、聞かせてくれませぬか」

 親身に気遣ってくれる正儀の要望に、伊賀局は、仕方ないといった感じで、もう一度歌を詠む。

「涼しさをまつふく風に忘られて、たもとにやどす夜半の月影」

 続いて歌の返しが聞こえる。

『唯よく心静かなれば、即ち身も凉し』

 すぐさま伊賀局は隣の正儀を見るが、正儀は首を横に振る。


 気付けば、明るい月には雲がかかり、あたりは闇に包まれていた。松の下が、ぼんやり青白く光っている。

 普通の女であればとっくに腰を抜かすところであろう。しかし、伊賀局は正儀の背中に隠れるようにして、肩越しにその得体の知れないものを凝視していた。

 目を凝らすと、だんだんと光が人の形になっていく。狩衣かりぎぬを着た公家の姿であった。だが、頭に烏帽子えぼしはなく、髪も結ばれずに伸び放題。何よりその顔には血がしたたっていた。

 いないと高を括っていた正儀も、思わずる。

「ほ、本当におったのか……」

 そもそも正儀の目的は妖怪や幽霊を見ることではない。いないことを確かめて、伊賀局たちを安心させようと思っただけであった。

「そ、そなたは何者です」

 ひるむことなく、伊賀局が問いかけた。

『麿は右衛門大夫うえもんのたいふ藤原基任ふじわらのもととうじゃ』

 妖怪かと思われたその者は、意外にも返事を返した。これに伊賀局は、正儀の背中にしがみ付いた。

 正儀が伊賀局に代わって問いかける。

「貴殿はこの世の者とは思えぬが、死んでおられるのか」

『死んではおるが、冥途めいどにも行けず、こうして現世と冥途めいどの間を彷徨さまよっておる』

 基任もととうと名乗ったその者が応じた。

(やはり、成仏できていない霊魂の類か)

 二人は顔を見合わせて納得する。

 物怖ものおじせずに、伊賀局が正儀の肩越しにたずねる。

右衛門大夫うえもんのたいふ様は、なぜ亡くなられたのですか」

『あれは、都から吉野へ落ちる折のこと。准三后じゅさんごう様(阿野廉子かどこ)をお守りしておりましたところ、敵方が放った矢を、麿が盾となって御救い申し上げました』

 なるほどと正儀は頷く。

「そうか、その時の矢を受けていのちを落とされたのじゃな」

「まあ、それは可哀想なことでございました。准三后じゅさんごう様が生きておられるのも、貴方様あなたさまのお陰だったのでございますね。私からも御礼を申し上げます」

 正儀の脇に立ち直し、伊賀局は申し訳なさそうに頭を下げた。

 落ち着きを取り戻した正儀が語りかける。

「して、こうしてこの世を彷徨さまよっておられるのも、この世に未練がおありだからか。叶えられることであれば叶えましょうぞ。申してみられませ」

『麿はいのちして准三后じゅさんごう様をお守りしました。にもかかわらず、麿が死んだ事など忘れられたかのように、供養もしてもらえませぬ。それが悔しくて往生できぬのです……』

 毅然とした態度で伊賀局が口を挟む。

准三后じゅさんごう様は、決してそなたのことを忘れたわけではございませぬ。先帝(後醍醐天皇)や朝廷を護っていのちを落とした方々のために、朝夕とお経を欠かすことはありませぬぞ」

『ならば、麿が成仏しないのはなぜでございましょうや』

 逆に問われて、伊賀局はうっときゅうした。

 見かねて正儀が提案する。

「貴殿のためだけに、准三后じゅさんごう様(阿野廉子かどこ)に供養を行ってもらうということでいかがですか」

 すると、基任もととうはゆっくりと頷く。

 これを見て、伊賀局は正儀に言われた事を思い出す。

「お経は何がよろしいでしょうか」

法華経ほけきょうが何よりです。麿は、いつも法華経ほけきょうを唱えておりました』

「わかりました。では、私が明日、必ずや准三后じゅさんごう様にお話し、僧侶に頼んで供養を致しましょう。ですから貴方様あなたさまも、成仏されるようお願い致します」

 伊賀局の約束に、その者はこくりと頷く。

『では、約束をお待ちしております』

 そう言うと、基任もととうの姿は薄れ、その姿を包み込んでいた青白い光も消えていった。


 二人は、夢から目覚めたように我に返る。あたりは満月のあかりに照らされていた。空には月を隠す雲など見当たらない。

「夢を見ておったのか。それとも……」

 正儀は松の木の下を凝視した。しかし、そこには庭石が一つあるだけであった。

「夢……」

 そう小さく呟いた伊賀局は、茫然と正儀に目を合わせた。

御局おつぼね殿、大丈夫でございましたか」

「ええ、ありがとうございます。三郎様がってくれて、本当によかった」

 愛想あいそではない。心からの言葉であった。


 翌日、伊賀局は、准三后じゅさんごう(阿野廉子かどこ)に事の次第を話した。

「何、右衛門大夫うえもんのたいふ……基任もととう殿であると……」

 准三后じゅさんごうは声を詰まらせた。

「ご存知なのでございますね」

 伊賀局の問いかけに、准三后じゅさんごうは気まずそうに頷く。

「存じております。私は右衛門大夫うえもんのたいふ殿も含めて、皆のために手を合わせてきたつもりでしたが、それでは供養になっていなかったのですね。申し訳ないことをしました」

「あの者は、法華経ほけきょうを唱えてほしいとのことでございました」

「そうですか……では、さっそく法華経ほけきょうの供養をさせましょう。すまぬが吉水きっすい院の宗信そうしん法印ほういん殿の元に参じ、お願い申し上げてくれぬか」

かしこまりました」

 ただちに伊賀局は宗信そうしんの元に向かった。


 翌日から吉水きっすい院で二十一日間の法華経ほけきょうの供養が行われる。そこには、もちろん准三后じゅさんごうと伊賀局の姿もある。

 その後、藤原基任もととうは二度と現れることはなかったという。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る