第29話 敗鏡尼
正平十七年(一三六二年)九月の末、河内の山々は
正儀は楠木
水を打ったように静まり返った館で、武信の妻が二人を迎える。
「これは殿様(正儀)、それに若様(正綱)。ようお越しくださいました」
館の中に通された正儀は、正綱とともに手を突き、深々と頭を下げる。
「奥方、すまぬ。わしの棟梁としての未熟さが
「殿様、頭をお上げください。幼き時より一緒に育った殿様の方が、よほどお辛いかもしれませぬ」
悲しみをこらえて、武信の妻は丁重に言葉を返した。
そんな彼女を前に、正綱が強張った顔を上げる。
「当麻を死なせてしもうた。我が責任じゃ。わしが当麻の言うことを聞かずに無理な戦をしたことが原因じゃ。当麻はわしを
そこに、奥から目を赤くした少年が飛び出してくる。
「父上を……父上を返してくだされ」
立ったまま言葉を投げつけてきたのは、武信の七歳になる息子、
「やめなさい、正寿丸……」
武信の妻は、手で正寿丸の袖を引いて、横に座らせる。
「……若様、御無礼をお許しください。私も正寿丸も気持ちの整理ができていないのです。今日のところは、お許しくだされ」
悔しそうな表情を浮かべた正寿丸を、妻が
そんな正寿丸の姿をじっと見ていた正儀が、再び妻に目を向ける。
「そなたも存じておろうが、わしは津田の館で育った。当麻はわしにとって兄弟のようなものであった。じゃから、正寿丸はわしが後ろ盾と成り、立派な武将に育てたい。そなたさえよければ、楠木館へ一緒にくるがよい」
正寿丸を自らの
「殿様、ありがたいお申し出なれど……」
「いや、今すぐにとは言わん。正寿丸が館に来たいと思うそのときまでわしは待とう。それまでは、一緒に城へ遊びにくるがよい。これは当麻に対するわしの償いなのじゃ」
武信の妻はうつ向いて沈黙する。そして、しばらく考えてから顔を上げる。
「武士の妻として、常に夫の死を覚悟はしておりました。それゆえ、わたし一人であればお断りしたと思います。されど、この子を立派な武士に育てるためには、殿様のお申し出をお受けせねばなりませぬ。私にはお断りする理由は見当たりませぬ。
「そうか……かたじけない」
妻の気持ちを察しつつも、武信の顔を思い浮かべて安堵する正儀であった。
翌日、
「これを見よ。京の七条道場の
「すでに
頭を傾げるようにして正澄は書状を受け取り、目を落とした。
これに聞世が答える。
「国清は鎌倉
聞世の話は、およそ次のようなものであった。
南河内に進攻して
義詮の不評を買ったうえに、南朝に寝返った細川清氏と親しかったことが災いする。国清は、義詮の弟で鎌倉
「それで、兄者はどうするつもりじゃ。細川清氏のように南軍の将として迎えるのか」
書状から顔を上げた正澄に、正儀はゆっくり首を横に振る。
「国清を迎えて幕府と戦っても、結果は清氏の二の舞であろう。清氏は幕府の執事であったからこそ、将軍、足利義詮から粛清を受けたのじゃ。国清は先の関東執事じゃ。国清に対しても幕府は絶対に許さないであろう。おそらく、今の幕府は裏切り者を見せしめにして、たがを締めようとしておる。我らが国清を抱えれば、我らと幕府との間でいらぬ戦をすることになる」
「そうじゃな。摂津を落して力を回復したところで、兄者は幕府との和睦を考えておるのであろう。南軍に国清が
「うむ、その通りじゃ。そこで、四条大納言らには知られとうない」
正儀は、強硬派である大納言の四条隆俊や、同じく大納言の北畠
これに、河野辺正友が頷く
「では、この話、我らのところで留め置きましょう」
「うむ。それと、新九郎(正武)殿にも内密にな」
正儀は、和田正武が血気に
「承知じゃ。兄者」
「承知しております。殿」
正澄と正友は顔を見合わせてから、それぞれ、返事を返した。
さっそく正儀は、
翌々日、楠木館に
「おい、どうしたのじゃ。何があった」
「これは、
その僧は正友の名を聞くと、それまでの態度を改めて、笠をとる。
「駿河守と言われると、河野辺殿であられるか」
「そなた、もしや
剃髪こそしていたが、その男の顔に見覚えがある。
かつて、足利
「すでにその官職は捨てました。今は出家して
「なぜここへ。すでに断りの書状は貴殿の元に届いておるはずじゃ」
「いかにも。されど、それがしから直接、
「殿は留守じゃ。いや、たとえ
すると突然、国清は土下座して額を地面に擦り付ける。
「この通りじゃ」
その態度に、正友は困惑した。
そこへ外から、
「又次郎(正友)、どうしたのじゃ。その
「殿……」
間の悪さに、正友は顔をしかめた。
これに、国清が顔を上げる。
「楠木殿、それがしの顔がわかるか」
「これは、畠山殿か」
正友の予想に反して、正儀は驚かなかった。それどころか、あっさりと国清を館の中に通した。
楠木館の広間では、楠木正澄と河野辺正友を
「畠山殿、勘違いはして欲しくない。館に入れたからというて、貴侯と手を取り合おうとは思うておらぬ。断るにしても、一応の礼儀じゃ」
「楠木殿、待たれよ。先の戦では
無表情を返す正儀に向けて、国清が
「……清氏が討たれたと聞いた。次はそれがしの番であろう。されど、みすみすとやられるわけにはいかぬ。畠山と南軍が手を握れば幕府に一泡食わせることができよう」
自信満々に国清が申し出た。しかし、正儀は深くゆっくりと息を吐く。
「畠山殿、そなたは勘違いをされておられる。先の戦の遺恨で、そなたと手を組まぬのではない」
「では、いったい何の問題があるのじゃ」
不思議そうな表情で、国清は正儀の目をじっと見た。
「先に細川清氏殿も同じことを言われ、我らとともに京を落した。じゃが、結果はそなたも知っての通りじゃ。それがしは、幕府と戦を行うことばかりが策ではないと思うておる。もし、我らが和睦すれば、幕府は条件にそなたの処罰を求めてくるのではないか。我らは、そなた一人を救うために、幕府と交渉することはできぬ」
ゆっくりと首を横に振って、正儀は応じた。
これに、国清が目を
「何と、幕府と和睦じゃと。これは可笑しなことを。これまで将軍からの和睦の誘いを頑迷に断ってきたのは
「われらのうちでも、強硬な者も
「お主は、和睦派じゃと言いたいのか。
疑う国清の様子を見て、横から正友が言葉を足す。
「殿の和睦への思いは、今に始まったことではない。幕府に戻った
「畠山殿、駿河守(正友)が申す通りじゃ。すまぬがお引き取りいただこう」
そう言って、正儀は立ち上がる。
「い、いや、されど……お待ちくだされ」
慌てた様子で国清が
「兄者が言うようにお引き取りあれ。今日は大目に見て進ぜよう。されど、次にお会いした時は、
そう言うと、正澄は郎党に命じて、国清を館の外へ放り出した。
この後の国清の動向である。
幕府から追われ、南朝への帰参も許されず、
しかし、幕府の御達しで、徐々に国清を支援する者は居なくなり、寝床はおろか三度の飯にもありつけなくなる。そして、ついには
津田武信の討死から四十九日が過ぎる。正儀は、遺児の
「正寿丸殿、わたしと一緒に、楠木の館に遊びに参りましょう」
優しい菊子の問いかけに、正寿丸は母の顔を
「正寿丸、母のことを気にする必要はありませぬ。菊子様に連れて行ってもらいなさい」
母に
正寿丸は菊子に手を引かれ、楠木館への道を歩く。
「正寿丸殿はお幾つですか」
「七つです。菊子様は」
「私は十四です。正寿丸殿より七つ上のお姉さんですね」
菊子は正寿丸に暖かく微笑んだ。その笑顔に、父を失い悲しみに暮れていた正寿丸の心は、束の間ではあるが
この日、正寿丸は、正儀の実子である持国丸、
皆で追いかけっこをして楽しく遊ぶこどもたちを、外から戻った楠木正綱が目にして立ち止まる。正寿丸の姿を認めた正綱は、父を返せと言われたことを思い出し、胸に手を当てた。
その姿に気づいた菊子が、正綱に歩み寄る。
「太郎様(正綱)。当麻殿(武信)の子、正寿丸殿です。連れて参りましょうか」
「い、いや、存じておる……わしは用があるので失礼する」
正綱は、いまだ正寿丸に顔向けできない。館へと向かう正綱に対して、菊子は心配そうに、その後ろ姿を見送った。
その年の冬には、正寿丸は正儀に引き取られ、楠木館の離れで母と暮らすようになっていた。菊子は正寿丸を可愛がり、正寿丸も菊子を実の姉のように慕った。そして、歳の近い持国丸のよい遊び相手となった。
正儀は縁に座り、正寿丸と持国丸の遊ぶ姿を
父、楠木正成が、虎夜刃丸こと幼い正儀を、武信の父、津田範高の元に送ったのは楠木家存続のためであった。東条の楠木家に万が一のことがあっても、津田に預けられた正儀によって、楠木家の再興が図れるからである。
家名の存続は武家にとって最も重要なことである。正儀の祖父、楠木
家名を存続させるということにおいて、目下、正儀の頭を悩ませていたのは、
家督を継がせるつもりで、正儀は紀伊橋本の橋本
腕を組んで目を閉じる。だが、これといって解決策は出て来ない。時をかけることくらいしか、正儀には解決策は思い浮かばなかった。
楠木館の奥では、徳子が侍女の
神妙な顔で、徳子が頭を下げる。
「聞世殿、無理を頼んで申し訳ありませぬ。この役目は聞世殿を置いて他にお願いができぬことです」
「お任せください。では、わかりましたら、奥方様(徳子)に使いを送りましょう」
そう言って聞世は腰を上げる。
数日後、徳子は小袖の
同行する正綱の心は、相変わらず晴れなかった。だが、義母の徳子はお構いなしに心の中に入り込み、正綱を館の外へと引っぱり出した。
そんな徳子に、正綱はなぜか逆らえない。腹立たしいという思いはなかった。ただ、何も言わずに
「叔母上(徳子)、いったいどこに連れていくのですか」
「今にわかりますよ」
そう言うばかりある。同行する義行も、さあ、といった感じで肩をすくめた。
「さあ、着きましたよ」
そう言って徳子が
「ここは、かつて、そなたの御父上(楠木
「ここに陣を……」
その言葉に、正綱は感慨深げに寺の中を見渡した。
出迎えた僧侶に徳子は頭を下げ、一行は金堂に入る。そこには、聞世(服部成次)が女を連れて座っていた。
徳子に
「お
自らの幼名を呼びかけた女を、正綱は凝視した。見覚えはない。だが、その声に、なぜか
付き従った義行が、目を見開く。
「ふ、
正綱の隣に座った徳子が、
「
「こちらこそ、多聞丸様と……いえ、太郎様(正綱)と会う機会を頂戴し、ありがとうございました」
「そうですか……
「いえ、満子様が出ていかれた楠木家に、私などが入るのは心苦しい限りでございます」
「聞世殿……いえ、服部成次殿より、いろいろとお聞きしました。奥方様は信頼できる御方と思うております」
そう言って
面識のあった聞世は、
徳子の意図を察して、義行が大きく頷く。
「そうか……奥方様(徳子)は、亡くなった満子様の代わりに
一方の正綱は、徳子にたびたび頭を下げる
「しばらく、水入らずでお話になられるがよろしかろう。我らは
そう言うと、徳子は聞世と義行を連れて金堂から出ていった。
「太郎様、御達者でおられましたか」
問いかけに正綱は頷く。その顔に、微かに幼き日の記憶が蘇る。
「
いきなり正綱が本題を切り出した。
「恨み……」
「……そうですね、満子様は確かに恨まれておられました。されど、それは三郎様ではなく、自らの
「では、母がわしを置いていったのは、なぜなのじゃ。叔父上(正儀)が命じたからではないのか」
すると、
「満子様が三郎様に願い出たことです。太郎様が楠木の嫡流として、御父上様(
「母上が頼んだことと申すのか」
潤んだ瞳を見せて、
「三郎様はそんな満子様の思いを汲んで、跡目は多聞丸様に継がせると約束されました。将来、生まれるであろう我が子を押し
「将来、生まれる子……」
「はい、伊賀局(徳子)様のお子です」
実は、正儀に対する誤解は、
楠木館に戻った楠木正綱は、館の縁に座って、持国丸と正寿丸が遊ぶ様子を、ただ、ぼんやりと眺めていた。
「太郎殿(正綱)、久しぶりじゃな」
後ろから声をかけてきたのは、正綱にとっての里親、橋本
その
そして、正儀が徳子を嫁に向かえ、一人前の棟梁となったのを見届けると、一線を退き、今は紀伊橋本に
「橋本の父上……いつ参られました」
「先ほどじゃ。三郎殿(正儀)に呼ばれてな」
この日、正儀は、南朝に願い出ていた紀州橋本の所領安堵が叶ったことを伝えるために、
この育ての親の顔を見て、正綱は意を決っした。
翌日、楠木正綱は神妙な面持ちで正儀の書院を訪れる。
「叔父上(正儀)、少しよろしいですか」
「いかがした、太郎(正綱)」
久し振りに、正綱から声をかけられたことに、正儀は表情を和らげた。一方の正綱は、正儀の前に座ると、重い決心を口にする。
「叔父上、それがしを
「何じゃと」
唐突な申し出に、正儀は目を見開く。
「何を言うのじゃ、太郎。お前は、この楠木館で兄者(
「いえ、どうか、楠木の棟梁は持国丸にお継せ願いとうございます」
そう言って、正綱は頭を下げた。しかし、正儀は険しい表情で首を横に振る。
「何を言っておるのじゃ。お前は生まれた時から楠木の棟梁となる定めを背負っておる」
「叔父上が、我が母と交わした約束は聞きました。されど、もう、約束などよいのです」
「聞いたのか……されど、
正綱は、その約束の時には生まれてもいない持国丸の顔を浮かべる。
「父上との約束……死んだ者と約束されたと言われますか。叔父上の
「重荷じゃと……約束は約束じゃ。ならんものはならん」
そう言って、正儀は正綱に背中を見せた。すると正綱は、拳をぎゅっと握って立ち上がる。
「わかり申した。では、致し方ありませぬ。それがしは失礼つかまつる」
そういって正綱は背中を向けた。
「待て、待つのじゃ」
書院の中に、呼び止める正儀の声が
この日も、
予てから徳子は、一人離れて
朝から菊子は、
「菊子、ずいぶんと綺麗になりましたね。もう十分ですよ。
中から敗鏡尼が現れて菊子に声をかけた。菊子は腰に手を当てて立ち上がる。
「敗鏡尼様、ありがとうございます。他にすることがあれば、何でもお申し付けくださいね」
「ありがとう、菊子」
その敗鏡尼が、突如、麓から
「あれは……」
「敗鏡尼様、いかがされました」
遠目で何かを見つめる敗鏡尼に、菊子が問いかけた。
「いえ、誰か居たような気が……三郎(正儀)……いえ太郎(楠木正綱)であったでしょうか」
「太郎様でございますか……」
その視線の先を菊子も凝視するが、正綱の姿はおろか、誰も目には入らなかった。
「でも、太郎様であれば顔を出すでしょう」
「そうですね……きっと、気のせいでしょう。さ、
敗鏡尼は頷き、菊子とともに
外に誰も居ないことを確認して、木蔭から顔を出したのは、やはり、正綱であった。覚悟を決めて敗鏡尼に会いに来たところであった。しかし、自分を慕ってくれる菊子の姿を見て、それを押し留めた。結局、祖母に一言も声をかけることなく、この
この日、楠木正綱は、正儀に書置きを残して、一人、東条を出奔した。菊子は楠木館に戻り、初めてそれを知る。
「太郎様(正綱)、なぜ……」
大きな衝撃であった。あの時、やはり、
菊子にとって正綱は、叶わぬ想いであった。それは、自身が一番よくわかっていた。故に、正綱が側にいるだけでよかった。それだけで菊子の心は華やいだからである。
この
正平十八年(一三六三年)、年が明け、中国
頼之は、将軍、足利義詮の
結局、大内
これに危惧を抱いたのは
清和源氏新田流の支族であった山名氏は、鎌倉幕府のもとでは貧しい御家人であった。元弘の折には、本家の新田義貞には従わず、早くから足利尊氏を支えていた。その甲斐あって、時氏は山陰の守護大名に任じられた。
時氏の気性を知る細川頼之は、この機を逃さなかった。頼之は供を従えて
「山名殿、大内殿が幕府についた。そなたがあくまで
戦上手の時氏は、南朝の帝の名の元に、
頼之は中国
しかし、時氏は首を縦には振らない。
「元の領地というと
強気に時氏は振る舞った。
しかし、頼之は時氏の内心を見透かしていた。機を見るに敏な時氏なら、これ以上、
「将軍に立てついた者の最後は哀れじゃ。細川清氏は討死し、畠山国清は大和で野垂れ死んだ。南朝の
「じゃが、九州は
「されど、九州の南軍の中心である菊池
「畿内は楠木がおるではないか。摂津を
「確かに楠木正儀は、正成の子だけあって、なかなかの武将であろう。されど、頑迷な南朝の
時氏は、正儀が四条隆俊や北畠
「出雲・
「何、出雲からも兵を引けと」
時氏の嫡男、
「左様、出雲守護は京極道誉じゃ。山名殿が出雲を手放さない限り、この和議は収まらん」
「笑止、道誉と聞いては、尚更、引くわけにはいかぬ」
頼之の申し出を、
山名が南朝に降ったのも、元はといえば、この
しかし、時氏は、
「わかり申した。幕府に御味方しましょう」
「お、
「小太郎(
棟梁、時氏の言葉は絶対であった。山名氏は五か国を条件に幕府に降った。
頼之が時氏に約束した領地は広大なものである。時氏には
また、幕府の
この頃、足利
逗留する屋敷の殺風景な庭で、
「殿、
「何、
すぐさま書状を開いて目を通すと、その場で天を見上げた。
「殿、何が書かれていたのですか」
「大内に続き山名が幕府に寝返った……もはやこれまでか」
実父である足利尊氏から
しかし、山名時氏と大内
「わしは、単なる旗印でしかなかったということか。ふふふ……」
力なく
山名時氏が幕府に降ったことは、すぐに諸将の間で話題となる。その一人、京極道誉は娘婿である赤松
「山名は所領五か国の守護と
吐き捨てるように道誉が言った。
一方の
「
「ふん、
道誉が言うところの源氏将軍の兄弟とは、足利尊氏と舎弟の
一方の
「山名も憎いが、交渉に当たった細川頼之が
「ううむ、細川清氏を討伐し、
道誉は、娘婿である
「確かに。道朝が幕政を牛耳るようになってから、我らの声は将軍には届かんようになりました。あやつを幕府
苦々しい顔で
「それには、我らが
「されど
それは難しいと言わんばかりに、
「やはり南との御一統であろう。
その言葉に、
「それがしは
「ふふ、先の
「返す返すも腹立たしい。
吐き捨てるように
その態度に、道誉はにやりと笑みを浮かべる。
「であれば、その
「されど、楠木は
「それはそれ、これはこれじゃ」
道誉は、目の前の敵を追い落とすためには、かつての
「ううむ……それに、
「それはゆっくりと機会を待つことじゃ。いずれ、機会は向こうから訪れる」
予言するかのように、道誉は不敵な笑みを浮かべた。
この年の秋、三十歳となった
「見物人もたくさん集まっておるぞ。いよいよじゃな」
元成が観世と向かい合った。
「父上から教えていただいた猿楽を、このような形に作り変えてしもうた。申し訳なく存じております」
「なあに、よいのじゃ。これまでも猿楽は移り変わりながら今がある。お前が変えてくれるのなら、願ったりじゃ」
観世は他流の猿楽と田楽を学び、独自の流儀を完成させていた。擬態や滑稽中心の伝統神事から、物語中心の芸能に大きく変貌を遂げる。主役の
「これまでの猿楽と、お前の猿楽とを分ける必要があるのう。呼び方を変えてみてはどうじゃ」
「呼び名ならば、猿楽
「うむ、よい名じゃ。どうせなら、字も変えてみてはどうじゃ。もはや猿真似の猿楽ではない。
そう言って元成は、『
「……このように、一偏を加えれば、
元々、猿楽と
「
「なるほど、
父の提案に、観世は笑みを返した。
そこに、母の楠木
「そろそろ出番ではないか」
赤子は晶子の孫、つまり観世の子で、
「では、父上、母上、行って参ります」
頭を下げて、観世は舞台に向かった。
「
観世の背中を見送った晶子は、少し寂しそうに呟いた。
前髪を垂らした童子の面で舞台に登場した観世は、
内容は、
新生小波多座の初演は大盛況であった。
正平十九年(一三六四年)六月、正儀の母、敗鏡尼(南江久子)が
そんな母を、正儀と徳子が見舞いに訪れた。正儀は横になった母の隣に座り込む。
「母上、お加減はいかがですか」
そう言って、母の顔を覗き込む。
(歳をとった)
心の中で正儀は呟いた。それもそのはず、正儀自身もすでに数えで三十六となっていた。
ぎこちない笑みを敗鏡尼が返す。
「大丈夫ですよ。今日はね、朝から加減がよいのです」
「敗鏡尼様は、今朝は
侍女の
「私がおりますのに、申し訳ございませぬ」
しかし、
座るのも大変そうな
「
「承知しました。母上様」
菊子は頷くと、
その後姿を見送った徳子が、今度は正儀の顔を
「母上(敗鏡尼)のお世話は、私も行います。殿(正儀)、私もここに泊まろうと存じますが、よろしゅうございますか」
「そんな、徳子殿にまで……」
その脇で、敗鏡尼は申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「私を生んだ母はすでにこの世にはおりませぬ。母と呼べるのは、殿の母上である敗鏡尼様をおいて他におりませぬ。どうかしばらく、私に世話をさせてください。私も母上と一緒に
心から徳子は願った。敗鏡尼の死期が近いことは、ここに居る者は皆わかっていた。
「伊賀(徳子)がそう申すなら、そうすればよい。よろしく頼む」
了承を取り付けて、徳子は嬉しそうに頷いた。
「ありがとう、徳子殿。貴女と菊子と、こうしてひとときを過ごせるとは、何と幸せなことでしょう」
喜ぶ敗鏡尼の手を、徳子は両手で握り、微笑みを返した。
七月三日、赤坂の楠木館に、正儀を訪ねて二人の来客があった。興福寺の
「楠木殿、我らは幕府から
それは、摂津へ攻撃をする
「なぜ、それがしに……それは
「いえ、これは京極
「そうか、道誉殿のお考えか」
舎弟の正澄に顔を向け、正儀は我が意を得たりと口元を緩めた。
さっそく、正儀は
「京極道誉より、和睦の取り成しを願うて参りました。朝議へお
「河内守(正儀)、
「幾度も京奪還が失敗する中、まだ討幕など……」
正儀は苦々しい思いであった。
「河内守が摂津で勢力を盛り返していることが、強行派の者どもの討幕を、勇気づけているのじゃ。皮肉な事よ」
「それがしが摂津の国を回復しようとしているのは、幕府との交渉を有利に進めんがため。京へ攻め上がることなど考えてはおりませぬ」
ゆっくりと
「もちろんわかっております。さりながら、四条卿や北畠卿は、いまだ本気で討幕を考えておる。後の強硬派の
しかし、正儀は、四条隆俊と腹を割って話しをしてみたくなる。隆俊の父、先の大納言、四条
「わかり申した。阿野大納言様に仲立ちいただけるのであれば、喜んでお会いしましょう」
「うむ……判った。ではさっそく手配しようぞ」
少し、申し訳なさそうな表情を浮かべる
翌日、住吉にある阿野
最初から、隆俊は
「阿野卿の
「実は、幕府からの和睦の申し入れがありました。四条大納言様(隆俊)より、
「やはり、そんなことであろうと思うた。麿を
「
懇願する正儀を目の前にして、隆俊は不敵な笑みを浮かべる。
「九州では、
正儀は、隆俊の
「四条様、そのあたりでよろしかろう。河内守は聞いてほしいことがあって参られた。和睦をする、しないにかかわらず、話は聞くべきでありましょう」
これに、隆俊は苦々しい顔で沈黙する。
「大納言様(四条隆俊)のお話し、この河内、十分に感じ入るところでございます。されど、九州と畿内では同じという訳には参りませぬ。
「だから何じゃ」
「今後も幕府の内紛は続くやも知れませぬ。されど、将軍に討伐されそうになった者が、そのつど、我らを利用しようとするだけでございます……」
ふんと鼻を鳴らす隆俊を前に、正儀はさらに続ける。
「……これらの者は、幕府を討伐したいのではございませぬ。幕府の中の敵を討ちさえすれば、また幕府に戻りたいと思うことでしょう。幕府を認めなければ、帝(後村上天皇)の立場はますます悪くなるだけと存じます」
努めて冷静に、かつ穏やかに自身の考えを伝えた。
しかし、隆俊の反応は違う。
「そのようなこと、そちに説教されずともわかっておる。我らはその裏をかいて、奴らを利用するまでのことじゃ。さりながら、そなたのように腰砕けがおると、うまくいくものもうまくいかん」
予想していたこととはいえ、正儀は隆俊の感情的な態度に、終始、困惑する。
「なぜ、そこまで、討幕に固執されます。幕府は本当に無用なものなのでしょうか。幕府を倒しても武士は残ります。武士を統率する者は必要でございます。
「麿にそちの言うことを信じろというのか。そなたはここぞという時、
顔を真っ赤にして隆俊は激昂した。
事情を知る
「四条様、それは言い過ぎでございましょう。八幡合戦の折、河内守が戻って来なかったのには理由が……」
「いや、阿野大納言様。そのことはもうよろしいのです」
正儀は
「裏切り者の言うことなど聞きとうないわ。阿野様、麿はこれにて失礼する」
「大納言様、お待ち下されませ」
しかし、隆俊は正儀に振り返ることなく座敷から出て行った。結局、正儀と隆俊の仲を改めて確認しただけに終わった。
この後も正儀は、和睦の上奏に向け、
楠木館の近くの寺で待たされていた興福寺の
この後、正攻法では難しいと観念した正儀と、阿野
七月十七日、南北和議が決裂した直後、正儀の心に追い討ちをかける出来事が起きる。
楠木館の奥間。侍女の
「殿様(正儀)、敗鏡尼様(南江久子)の御加減が急に……ただちに
「何、母上はどんな御様子じゃ」
「今朝から呼びかけに応じられませぬ」
すぐに正儀は実子の持国丸・如意丸と、舎弟の楠木正澄を連れて、
正儀が駆け付けると、そこには
「
「しばらく四国を巡っておりました。戻ってみると敗鏡尼殿が伏せているとの話を聞きおよび、こうして参ったのですが……」
「そうでありましたか」
正儀は、
「母上、正儀です。三郎でございますよ。お気を確かに」
息子の呼びかけにも敗鏡尼は目を開かず、苦しそうに息をするのみであった。
「昨夜までは、私の他愛もない話を、母上は笑って頷いておられました。それが、今朝起きられないと思うたら、このようなことに。あいすいませぬ」
徳子は菊子とともに
「お婆様、お返事くだされ。お婆様」
「お婆様は、まだ起きないの」
まだ数えで三歳の如意丸は、そう言って、しきりに皆の顔を見上げていた。
正儀がそっと母の手を取る。
「死んではなりませぬ。まだ
その時、敗鏡尼の手が微かに動く。正儀の手を握り返えそうとしたようであった。
「母上、聞こえておったのですか……
声を詰まらせた正儀は、母の手に
敗鏡尼が息を引き取ったのはその日の夕刻であった。
持国丸・如意丸の兄弟と菊子は、目にいっぱいの涙を蓄えて
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時……」
敗鏡尼の
この後、
敗鏡尼の葬儀は、近親の者が集まり、勧心寺で執り行われた。しかし、そこには、敗鏡尼にとっての初孫、楠木正綱の姿はなかった。
埋葬の後、徳子とこどもらは墓の前で手を合わせる。
その隣で正儀が、
心の中で、正儀は問いかける。
(母上、聞こえておりますか。母上が持たせてくれた
笛の音色に、幼き頃の思い出が、色紙をちぎり合わせたように蘇る。
笛の音が途切れると、徳子はうっすらと涙を浮かべながらお腹を擦る。そこには新たな命が息づいていた。
「殿、きっと生まれてくる子は女の子です。母上様の生まれ代わりでしょう」
その言葉に、正儀は静かに頷いた。
数日後、正儀が主の居なくなった
読経を終えた
「失礼ながら勝手に上がっておりまするぞ。ここに
「
「ほう、それはよいお考えです。正儀殿、その寺の
「これは願うてもないこと。母上や父上のことをよく知った
頭を下げて
ふと、正儀は胸のうちを吐露したくなる。
「
問いかけに、
「拙僧は生前の正成殿とよく語らいました。正成殿の人となりは、まだ幼かった正儀殿より、よう知っておったやも知れませぬ」
「父とはどの様な話を」
「正成殿は、武士の不満を誰よりも心配されておった。その解決に、足利尊氏殿は絶対に必要な御仁じゃと話しておった。それだけ正成殿は尊氏殿を買っておられた。逆に尊氏殿も正成殿に一目置かれておられた……」
正儀は、尊氏が父とは仲のよい友達だと語っていたことを思い出した。
「……御父上は、幕府……とまでは言わんが、武士の棟梁として、武士を
正儀の顔に安堵の
「そのように
「それは何より。
苦笑いして、
「……だからと言って諦めてはなりませぬ。正成殿もそなたの兄上たちも、
静かに正儀は頷く。父や兄たちの覚悟の討死を理解する人が居てくれるだけで嬉しかった。
この後、
観音寺
正平二十年(一三六五年)、年が明け、正儀は
「楠木正儀を
「ははっ」
続いて大納言、阿野
「楠木河内守に
これは、大納言の
帝の
正儀が
隆俊は、
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