第39話 康暦の政変
天授四年(一三七八年)十月、山深い吉野は、色鮮やかな紅葉に包まれる。
南朝は、再び
「……の言上くだんの如し。よって、
南軍は、河内の正顕と正勝、和泉の和田正武・正頼親子、大和の
平尾城の正儀の元にも、南朝の不穏な動きは伝わっていた。
聞世(服部成次)が正儀の元に現れる。
「殿(正儀)、仁王山城の御舎弟殿(楠木正顕)より、密書にございます」
ちょうど奥の書院で、重臣の河野辺正友から南朝の動向を聞いていたところであった。さっそく正儀は密書を受け取って目を落とす。そして、困惑の表情を浮かべる。
「先日、吉野山の
「やはり、このところの
正友は溜息をついた。
「ここで吉野が兵を挙げれば、畠山ら幕府の強硬派にとっては思う壺。これまで
「承知しました」
「又次郎(正友)は、
「はっ、では、ただちに」
一気に平尾城は騒がしくなった。
正儀の知らせを受けた幕府
そのような中で、ついに南軍が動き出す。まずは、北畠
城の館で、正儀は河野辺正友・津熊義行と、絵地図を囲んで南軍の動きを協議していた。そこへ、
「兵を上げた和泉の和田党が、南へ進んでおります」
「南……そうか、和田軍の狙いは雨山城を守備する橋本党であろう。北からの和田党だけであれば、雨山に
「承知しました。父上」
篠崎正久は軽く頭を下げて、部屋を飛び出して行った。正儀は正久を目で追うこともせず、津熊義行に視線を向ける。
「三郎(義行)は京の
「かしこまりました」
ただちに津熊義行も正久の後を追った。
続いて正儀は、河野辺正友に顔を合わせる。
「又次郎、陣触れを出すのじゃ。用意ができ次第、すぐに出陣する」
「はっ、心得てそうろう」
そう言って、正友も席を立った。
正儀が率いる楠木軍が平尾城を発って西に向かう。そして、和泉国に入ると南に進軍した。
しかし、和泉国からは
「おかしいな、和田軍の気配がない。
雨山土丸城の近くまで来ても楠木軍は和田軍に追いつくことはなかった。
馬を停めて諸将を集めた正儀の元に、正友が
連れてくる。
「殿、
片ひざ付く
「で、和田軍はどこに布陣しておるのじゃ」
「そ、それが……すでに紀伊に入っております」
不信な表情を浮かべた津田正信が、
「なにっ、では雨山の橋本勢と戦ったのか」
「いえ、雨山の
一同が耳を疑う。
正信は、まさかといった表情を正儀に見せる。
「太郎兄者(橋本
正儀とて何が起きたのかはわからない。ただ、紀伊の方に顔を向け、茫然とするしかなかった。
雨山土丸城には橋本軍の過半が残り、正儀の楠木軍が紀伊に入らぬように牽制した。
一方、橋本
細川
「篠崎殿、話が違うではないか。我らは北に向かう南軍の背後から牽制するという話ではなかったか」
「も、申しわけござらん。それがしにもわからぬのです。雨山城が落ちておらぬのに、これを背にして南軍が
いまだ、
そこへ細川の郎党が飛び込んでくる。
「殿、わかりましたぞ。南軍には橋本軍が加わっております。いや、加わっているというよりも、布陣をみる限り、橋本軍が南軍を率いてこちらに攻め込んで来ております」
郎党の話に顔を強張らせた正久が、
「
「くっ……そなたには聞きたいことが山ほどあるが、とりあえず、今は急いでここを出ようぞ」
さらに南の有田へは、蜂起した湯浅党が雪崩のごとく侵攻し、湯浅城を奪還した。
こうして
十一月八日、橋本
「武蔵守(細川頼之)、何たる失態じゃ。橋本
「はっ、申し開きもございませぬ。河内守(正儀)は
そう言って、頼之はひれ伏すしかなかった。
「それでいかがするつもりじゃ」
「すぐさま、我が舎弟(細川頼元)と赤松
苦渋の表情を浮かべて、頼之が義満に応じた。
「ちと心もとなくはありますまいか」
頼之に対して胸に
「そうじゃな……武蔵守(頼之)、山名に合力させよ。多いに越したことはないであろう」
「……はっ」
反論を飲み込んで、頼之は神妙に頭を下げた。
義満の
山名
一方、赤松義則は、この時、二十歳の若武者であった。赤松
南軍に帰参していきなり総大将となった橋本
一方、正儀は城から少し北の方に兵を引く。そして、幕府の大軍が到着するまで、しきりに雨山土丸城の
十一月十七日、総大将に任じられた細川頼元が率いる幕府軍は、雨山の北に陣を敷いていた正儀と合流する。紀伊に残って雨山土丸城の南に布陣する細川
本陣とした近くの寺で、正儀は討伐軍の諸将を迎える。総大将の頼元が上座に腰を下ろすと、正儀は申し訳なさそうな表情を浮かべて、
「
「それで、どうして橋本
「いえ……」
正儀はゆっくりと首を横に振った。
その背後から、がちゃがちゃと
「理由はどうあれ、裏切り者は討ち滅ぼすのみじゃ」
二人の会話に口を挟みながら、弟の氏清が、どすっと床に
「
兄の
勇む山名兄弟と、沈黙する正儀を前にして、頼元はしばらく考え込む。
「ううむ……では、先陣は山名兄弟にお任せしよう」
「はっ」
翌日、さっそく山名兄弟は、城のある雨山の麓に兵を進め、城へと続く山道を封鎖した。
その日の夜のことである。山名
兄弟の元に郎党が飛び込んでくる。
「と、殿、敵襲にございます」
「何っ、山から下りて夜襲を仕掛けてきたというのか」
「つけあがらせるな。押し返せ」
野太い声で周囲の兵らを鼓舞した氏清は、自らも
橋本軍は夜の雨山を下り、山名の館に火矢を放った。
館の外で
「者ども、
氏清は鬼のような形相で、
翌日、激怒した山名兄弟は、総大将の細川頼元に軍議を迫り、細川の本陣に、赤松義則、細川
「
兄の山名
眉間に皴を寄せて、頼元が正儀に顔を向ける。
「楠木殿、もはや橋本
正儀は言葉もなく、目を
すぐに、正儀は楠木の陣に戻り、諸将の前で、自軍もこの総掛かりに加わらざるを得ないことを話した。
「父上(正儀)、本当に雨山を落とすのですか。太郎兄者にも何か考えがあってのことと存じます」
「あやつにも何かの事情があろうことはわかっておる。されど、もはや致し方ない。君臣和睦、南北合一のために、ここまで耐え忍んできたのじゃ。大儀を無視することはできぬ」
正儀の決心は固かった。
翌日から、幕府軍は幾日にも続く波状の攻撃を雨山土丸城に仕掛けた。だが、南軍の守備も固い。千早城にも匹敵する堅牢な雨山土丸城からは、楠木正成張りに丸太や石が襲い掛かり、正儀ら幕府軍は
しかし、元弘の折の千早城ほどには
十一月末、太陽が西の
従弟の聞世に、正儀は苦渋の表情を見せる。
「明日が総攻めと決まった。太郎(橋本
「ならば、それがしが参りましょう。撤退するよう説き伏せてみます」
「そうか……たのむ、聞世」
危ない役目であった。聞世のそばに歩み寄った正儀は、その肩に手を掛け、目を見ながらゆっくりと頷いた。
夜が更けても、雨山土丸城の南軍に動きはなかった。
その麓、楠木の陣中では、
「太郎兄者(橋本
焦る気持ちは正儀も同じである。言葉少なに漫然と過ごす二人を、夜のしじまが包みこんだ。
未明のことである。郎党が正儀の前に駆け込んでくる。
「雨山の南軍に動きがありました。山を駆け下っているようです」
郎党の知らせに、正儀と正久は顔を見合わせ、胸を
橋本
南軍は包囲が手薄な東の赤松軍を狙った。突然のことに、若い赤松
雨山の北にある山名軍の本陣では、一報を受けた山名
その後、
そして、十二月二日には、討伐軍の総大将、細川頼元が、仕方なく幕府軍に撤退を命じた。活躍の場を失った山名兄弟は悔しさを
一方、南軍の居なくなった雨山土丸城は、紀伊守護の細川
一段落したかに思えた雨山土丸城であるが、天は正儀の苦悩を解き放してはくれなかった。
十二月十三日、正儀の姿は、雨山土丸城の本丸(主郭)にあたる、雨山山頂の陣屋にあった。そこに、津熊義行が駆け込んでくる。
「殿、大変でございます。南軍が再びこの城を目指して進軍して来ております」
「何じゃと」
軍忠状に
橋本
「幕府軍が去って、わずか十日でか」
正儀は、天から次々と与えられる試練に頭を抱えた。すでに山名も赤松も、総大将の細川頼元も、この地から撤退を完了している。いま、味方と言えるのは、土丸城を守備する紀伊守護の細川
雨山と土丸山は尾根続きに一体となっており、雨山城が本丸、土丸城が三の丸となっている。その雨山城にいる正儀の楠木軍は五百、土丸城の細川
一方、雨山の南、
「狙うは雨山城の楠木軍じゃ」
橋本
驚いた良宗が顔を向ける。
「細川軍ではなく、楠木軍を討つのですか」
「そうじゃ。楠木軍を攻めれば、叔父上(正儀)は必ず戦を避けて兵を引くであろう。わしと戦をしたくないからじゃ」
その
その正頼が
「されど、土丸城には細川
「土丸城の細川
正儀は、雨山の上から麓に続々と到着する南軍の様子を
「父上(正儀)、およそ二千騎というところでございましょうか」
「南軍は土丸城を無視するかのように、雨山城にだけ兵を配しておる。おそらく、我らと兵部大輔殿(細川
「我らが窮地に落ち入っても、兵部大輔殿は救援しないということですか」
正久は苦々しい表情を浮かべて、土丸山に目をやった。
「くそっ、太郎兄者(橋本
津田正信は土をにじるように足先を動かし、
対して、早くに
「わしもそれがわからん。太郎兄者とて、頭の硬い
その言葉に、皆、
重臣の河野辺正友が、麓に続々と集まる南軍の様子を
「殿(正儀)、南軍二千に対して我らは五百……されど、籠城すれば
「いや、
てっきり籠城すると思っていた正友は、怪訝な表情を浮かべる。
「なぜにございますか。この城ならば、援軍が来るまで十分に持ちこたえることはできましょうぞ」
「南軍は我らを取り囲んでいるうちに、きっと幕府の援軍に取り囲まれることになろう。窮地に陥るのは我らではなく、南軍のほうじゃ。しかも、この山には、我らと兵部大輔殿(細川
頭の中には、兄、楠木
「南軍の狙いはこの城じゃ。我らがこの城から退却すれば、追い討ちをかけてくることもなかろう。まだ北は囲まれておらんな」
城はまた奪い返せばよい。誰も傷つけることもなく、穏便にことを収めようとするのは、いかにも正儀らしかった。
その正儀の
これに驚いたのは、雨山と尾根伝いの土丸山を守備していた細川
「くそ、楠木め、一戦も交えずに逃げおって。このままでは我が軍はここに取り残されたままとなるぞ」
橋本
さらに南軍は、紀伊の北部、守護館のある府中からも幕府勢を追い払い、再び紀伊国をも手中に収めることに成功する。まさに、小軍で快進撃を続けた父、楠木
吉野山の朝廷は、この
帝は上機嫌で皆の前に姿を見せる。
「橋本
「よき、お考えと存じます」
大納言の
「橋本
「
喜ぶ帝に、右大臣の北畠
それは、一年前のことであった。
橋本
その八角堂で、
「
入口に背を向けていた
「こっ、これは……」
そこには右大臣、北畠
唖然とする
「正儀は来ぬぞ」
「なぜ、
「呼び出したのは麿じゃ。正儀の名でも使わねば、その
「そ、そうまでして……何用でありましょう」
絞り出すようにして
再び
突然のことに、
帝は、右大臣の
ゆっくりと帝が身体を向ける。
「まだ、捨てずに持っておったのじゃな」
帝は
「は、ははっ」
ばつが悪そうに、
すると、帝が少し、表情を和らげる。
「かつて、
後醍醐天皇の強さを求める帝から出た弱気な言葉に、
「い、いえ、滅相もございませぬ」
思わず
「いや、よいのじゃ。さりながら、
どう言葉を返してよいか、まったく見当がつかず、
「
「……」
「
「はっ……」
短い言葉で、
帝が
楠木家を出奔した
花の御所では将軍、足利義満が、
雨山における幕府方の不甲斐ない戦ぶりに、義満が眉を吊り上げる。
「では、楠木(正儀)と(細川)
「申しわけございませぬ。それがしの責任はいずれ……」
頼之は頭を下げた。盟友の正儀に続いて土丸山を放棄した一族の細川
「
照禅は、正儀を通して頼之を批判していた。
むっとした表情を浮かべて、頼之は照禅に身体を向ける。
「それがしはそのようには思いませぬ。
「されど、その橋本
―― ばちん ――
照禅が言い終わるのを待たず、義満が手に持った扇を音を立てて閉じた。
「もうよい、照禅。橋本
「な、なんと。わざわざ、御所様自らが御出陣などせずとも……」
予期せぬ義満の発言に、照禅は慌てた。
「控えよ、照禅。
「はっ。承知致しました」
頼之は、すぐに意を汲んで平伏した。頼之の薫陶を受けて育った義満は、その血筋も相まって、二十一歳にして早くも将軍の貫禄を備えるまでになっていた。
十二月二十日、足利義満は、
それでも、義満自らが
義満は本陣とした
「武蔵守(頼之)よ、雨山を捨てて敗走した楠木と
「お、お待ちください、御所様(義満)」
「ならぬ」
間髪入れず、義満は頼之を制した。和泉国へ赴くつもり満々であった義満は、出鼻をくじかれて機嫌が悪かった。
頼之に相談することなく、細川
「すでに後釜を呼んである」
そう言うと、
「御所様、弾正(
「
山名兄弟が
「その
「はっ。ありがたき幸せにございます」
「必ずや、雨山を落としてご覧にいれます」
山名兄弟は深く頭を下げた。そして、二人は立ち上がると頼之を
厳しい表情を浮かべ、山名兄弟の背中を目で追う頼之に、義満が追い打ちをかける。
「武蔵守、次はそなたじゃ。これより男山に出向き陣を張るがよい」
「男山でございますか……」
頼之は言葉を失う。
将軍自らが出陣した戦において、幕府軍を差配すべき
雨山土丸城を橋本
正儀は、館の広間に
そこに、
「父上(正儀)、
何事かとざわつく一同の間を通り、正信は正儀に書状を差し出した。素早く書状を開いて、目を落とした正儀は、わなわなと肩を震わせる。
「わしから和泉と摂津住吉郡の守護を取り上げ、河内一国のみに封じるとの将軍の
悔しさを
「何と、それはあまりにも無体な仕置きではありませぬか」
「何を持っての仕置きでしょうや。雨山から引いた事を
重臣の正友も、身体をにじり寄せるようにしてたずねた。
「これにはそのように書いてある。されど、それは表向きのことであろう。太郎(橋本
正儀の言葉に、皆は言葉を呑み込んで沈黙した。
若い忠儀が、皆の顔を見回し、遠慮がちにたずねる。
「あの……殿(正儀)、後任の守護はどうなるのですか」
「将軍は、山名
武勇を誇る山名兄弟の出陣に、正信は悔しそうに歯ぎしりする。
「くっ……いっそ、太郎兄者に加勢して、山名を討ってはどうじゃ」
「おお、それはよい。太郎殿も助けられるし、一石二鳥じゃ」
義行が相槌を打った。しかし、正儀は険しい表情で首を横に振る。
「幕府を裏切ることはいつでもできる。じゃが、我らは君臣和睦、南北合一を図るために、これまで耐え忍んできたのじゃ。太郎に加勢することで南北合一が成るのであれば、それもよかろう。されど、そうではあるまい」
そう言って正儀は口を閉じた。だが、その拳は強く握られている。一番悔しいのは正儀であることは、皆わかっている。その正儀の言葉に、異議を唱える者は居なかった。
天授五年(一三七九年)正月二十三日、山名
兄弟は、紀伊と和泉の守護職を獲る機会だと、山陰の山名嫡流家をはじめ、一族総出の陣容であった。
対する橋本
和田党を率いる正頼が、麓に集まった山名勢に頭を抱える。
「太郎殿(橋本
幕府軍の動きは正頼らの想定よりずっと早く、籠城の備えを行う
近臣の和田良宗も色を失う。
「殿(
「兵が
「何を言うのじゃ。そのような事をすれば、支丸の一つでも突破されれば、敵はこの本丸を占領し、我らは上からの攻めにも
「いや、本丸を奪われれば、幕府軍とは戦わぬ。支丸を一つでも突破されれば、
無謀な策に、正頼は
「本当に一か八かじゃな。じゃが、それもよかろう。ここは御大将に任せるとしよう」
正頼は苦笑いを浮かべて立ち上がり、自らの持ち場に戻っていった。諸将も腰を上げて、後に続いた。
広間に残った
「叔父上(正儀)、守りはこれでよろしかったですか……」
その姿を、近臣の良宗だけが静かに見守った。
ついに山名軍による城攻めが始まる。山陰の兵たちは勇猛果敢で、雨山に籠る南軍を四方から激しく責め立てた。しかし、雨山土丸城の橋本
山名を主体とする幕府軍の雨山土丸城攻めが始まった翌日、平尾城に早馬が駆け込む。これに、菱江忠儀が慌てて奥の間にいた正儀に繋ぐ。
「殿(正儀)、雨山に送っていた
「うむ、すぐに参ろう」
館の外に出ると、すでに
正久が悔しそうな顔を上げる。
「父上(正儀)、雨山が落ちたとのことでございます」
「それで、太郎(橋本
正儀は片ひざ付いた
「南軍の多くは幕府軍の囲いを突破して四方に逃げたそうにございます。橋本党と
「そうか……」
力なく正儀は応じた。
少し落ち着きを取り戻した
「初め、南軍は山名の攻撃をよく防いで持ちこたえておりましたが、何せ、多勢に無勢。次第に旗色は悪くなっておりました。橋本党が守る土丸城が落とされると、南軍はすぐに山を下り、山名の囲いを破って四方へ退散しました」
「おそらく、そういう時のために、逃げる算段をつけておったのであろう。太郎らしいではないか。きっと、生きておろう」
正儀は、義兄を心配する正久と正信に目を配り、皆を安心させた。
正儀が思った通り橋本
雨山土丸城から四方へ散った南軍であったが、そのうち
しかし、山名
二月九日、南軍を追って紀伊の有田まで進んだ幕府軍は、湯浅城に総攻撃を仕掛けた。湯浅城は先の紀伊守護、細川
湯浅城には
近臣の和田良宗が、苦汁の表情を
「殿、いかが致しますか」
「くっ……ここは、撤退するしかなかろう」
「殿、この後、いかに」
「うむ、石垣城を攻めて南軍の息の根を止めてくれよう。山名は
近臣の問いかけに、
翌々日には幕府軍が石垣城を攻め、南軍を追い詰める。執拗な攻撃に、
時を同じくして
そして、二月十日、
「これで九州の
「左様でございますな」
(兄上も、それがしの活躍をきっと喜んでくださるであろう)
自分に言い聞かせるように、
しかし、その橋本
だが、実兄が幕府を裏切って南朝に帰参し、窮地に
その後も
同じく二月、幕府は北大和の南軍を征圧する。橋本
これに対し幕府は、
大和を平定した幕府軍は、勝利を祝って陣中で酒を振舞まった。陣幕の中に
酔いが回った高秀が、勢いに任せて吐き捨てるように悪態をつく。
「
そう言って、盃になみなみ注がれた酒をぐいっと飲み干した。京極道誉の三男、高秀は、道誉の跡を継いで佐々木京極家を継いでいた。その高秀が頼之を嫌うのには訳がある。息子の京極
高秀の話に土岐頼康が相槌を打つ。
「京極殿、それは当然じゃ。雨山の戦では本陣から出されて何の差配もしていない。討伐軍にも加わってもいない。何の功も挙げられなかった
頼康が二人の笑いを誘った。頼康もいったん手に入れた伊勢守護を、
突然、高秀がひざを叩く。
「そうじゃ。いっそ、
「京極殿、口が過ぎますぞ。それを決めるのは御所様じゃ。我らが言うことではありますまい」
特に
真面目な表情を浮かべて高秀が頼康の盃に酒を注ぐ。
「されど、
「そうじゃな、御所様は昔から
威勢を下げる高秀と頼康に、
「いっそ、このまま兵を京に進め、
唐突に、真顔で危ういことを言う
「いやいや、
その細川頼之が、将軍の足利義満によって花の御所に召し出されていた。
「御所様(義満)におかれてはご機嫌麗しゅう、恐悦にございます」
「武蔵守(頼之)、元気にしておったか」
「はい。お気遣い、ありがたく存じます」
何事もなかったかのように、義満が頼之に声をかけたことに、同座していた伊勢照禅(貞継)は一瞬、驚きの表情を浮かべた。将軍御所に
「
義満に問われた頼之は、なるほどとゆっくりと頷く。
「鎌倉
「どういうことか」
「はい、
「ううむ、やはりそうか、氏満め。では、まず、
「
義満の考えに、頼之は
そこに照禅が割って入る。
「御所様、いきなり謹慎とはあまりにも……。まずは三将に弁明を求められてはいかがでしょうや。それを無視するか見極めたうえで、謹慎を申し渡されては」
そう言って、照禅は頼之の顔をちらっと
二人の様子に、義満はふうむと首を傾げた後、頼之に向けて口を開く。
「武蔵守(頼之)、さっそく
「はっ、承知致しました」
弁明なら謹慎させてからでもできる。頼之は手緩いと思ったが、義満との間が微妙な状況では、昔のように、強く言うこともできなかった。
さっそく頼之は、
そして、二月二十七日、幕府
さっそく将軍、足利義満は、高秀の挙兵に対して飛騨と出雲の守護職を取り上げた。さらに佐々木六角家を継いだ
義満の頼之不信を信じて拳を振り上げた高秀であったが、義満の素早い
幕府諸将の細川頼之への不満は、正儀にとって他人ごとではない。不評の一役を買っていたのは、南軍へ消極的な態度をとる正儀への批判でもあった。
四月二十二日、この日、
馬を降りる正儀に、慌てた様子で聞世が駆け寄る。
「殿、橋本
「何、四郎左衛門(正高)殿が……」
正儀が強張った顔で立ち尽くした。
「昨日、和泉の高名里で、山名氏清に追い込まれ、一族郎党十余名と共にお討死。
橋本正高は、和田正武とともに、楠木党を支える一門衆の両翼であった。橋本党の棟梁として正儀を支えたあと、楠木正綱こと橋本
正儀は恨めしそうに天を仰ぐ。南軍とは敵対し、幕府の中では頼之とともに諸将から敵視される。和泉の守護職を失った正儀には、かつての一門衆の重鎮すら救う
しかし、これは高秀の策であった。翌日、高秀は軍を率いて入洛すると、
花の御所では、この予想だにしない出来事に、皆が右往左往と慌てふためいた。
将軍近臣の伊勢照禅(貞継)が足利義満の元に駆け込む。
「ご、御所様(足利義満)、
「何……うぐぐ、将軍を取り囲み脅すとは、前代未聞の悪行よ」
若い義満はわなわなと身体を震わせて
照禅の前で、義満は感情を高ぶらせる。
「くっ、
「お、お待ちくだされ」
慌てて止めようとする照禅を振り払い、大股で廊下へ出る。まだ義満は、血の気の多い二十二歳の若者であった。
しかし、行く手を阻むように、一人の女が立ち塞がる。
「義満殿っ。一時の感情に任せて、将軍が刀を振り上げるようなことがあってはなりませぬ」
征夷大将軍にも臆することなく一喝したのは、
「母上は、それがしの出陣を
肩を怒らせる義満に、禅尼が口調を戻して言い聞かす。
「将軍が刀を抜けば、もはや、収める鞘はありませぬ。相手を殺すか、殺されるかの何れかです。初代様(足利尊氏)でさえ、仲良き
「ではどうせよと言われますか」
きっと目を吊り上げる義満に、禅尼が腹案を語る。
「
自身と対照的な大方禅尼の様子に、義満は、くっと声を発して黙り込んだ。
義満の後ろに立った照禅は、禅尼の自信ありげな顔に、この度の出来事の背景を、一人納得する。
平尾城に、早馬が駆け込んだ。
菱江忠儀が慌てて、正儀の元に参上する。
「殿(正儀)、京に潜伏していた服部
急ぎ、正儀が庭に出ると、ちょうど、津熊義行が使いの透っ
「何があったのじゃ」
目の前で正儀に問いかけられた使いは、その場で
「はっ。昨日、
目を見開いた正儀が、使いの者に詰め寄る。
「何じゃと。で、
「はっ、御舎弟、
「して、
「し、四国に渡るものと思われます。将軍は、
使いの透っ
すると正儀は、きっと顔を上げて立ち上がる。
「そうか、ご苦労であった。ゆっくりと休むがよい」
労いの言葉を掛けた正儀は、決意を秘めた表情を浮かべて周りの者たちの顔を見まわす。
「楠木にとっては何の得にもならんことではあるが、細川殿(頼之)を見捨てるわけにはいかぬ。追手から逃がすために兵を出す。すぐに集められる者だけを集めて馬を走らすのじゃ。ただちに
楠木党百余騎の
女こどもを含めた一族郎党およそ三百人とともに、頼之は沖合の船へ向かう小舟の到着を待っていた。
その時、一人の郎党が、血相を変えて指を差す。
「追手じゃ。追手の一軍が来たぞ」
「まずい、急がせろ」
頼之は到着した小舟に女こどもから載せていく。しかし、小舟は小さく、沖合いの船に全員を乗船させるには、幾度も往復する必要があった。
舎弟の細川頼元が駆け寄る。
「兄上(頼之)、このままでは追いつかれますぞ」
「わかっておる……いや、待て……」
近づく騎馬の軍勢が旗を掲げた。
「……あの旗印は……菊水の
「まさか、楠木が我らを追討して
菊水と聞いて不安を募らす頼元に、頼之が安堵させるように軽く肩を叩く。
「楠木殿(正儀)はそのような男ではない。きっと、我らを無事に逃がすために、援軍として駆け付けたのであろう」
楠木の百騎は、細川頼之・頼元兄弟の手前で馬を止めた。騎馬隊の中央から正儀の馬が進み出る。そして、馬から降りて頼之の元に歩み寄った。
頼之の姿に、正儀が安堵の表情を見せる。
「ご無事でよかった」
「このような
剃髪した頭に手をやり、頼之は正儀に苦笑いを返した。
伏し目がちに、正儀は無念の表情を見せる。
「南北合一まで、あと少しでございましたな。まさか、このようなことになろうとは。それがしが幕府に降った時には、想像すらできておりませなんだ」
「楠木殿、申し訳ない。そなたを幕府に引き入れたのはこのわしじゃ。それが、先に幕府を去ることになってしもうた」
「いや、最後に決めたのはそれがしでござる。誰を恨む話ではござらん」
正儀の思いやりは、頼之にも痛いほど伝わっていた。
「それがしが幕府から去れば、必然的に楠木殿への風当たりは強くなろう。楠木殿は私心を捨てて
頼之が正儀にかけてやることができる唯一の言葉であった。
しかし、正儀は首を横に振る。
「いや、この身がどうなろうと、君臣和睦、南北合一を実現したいと存ずる。これは、我が父との約束でしてな」
「楠木正成殿ですか。後醍醐帝の
「いかにも。我が父、正成は、君臣和睦こそが後醍醐帝を御救いする唯一の道と信じていたはずです。
「そうですか……では、それがしには貴殿の御武運をお祈りするしかありませぬ」
申し訳なさそうな表情を浮かべた頼之が、頼元とともに深々と頭を下げた。
小舟に乗って沖の船へと漕ぎ出していく頼之・頼元の兄弟を、正儀は、見えなくなるまで見送った。大海を渡る船は、もう正儀にはなくなってしまった。
また、政変のきっかけを作った京極高秀は、飛騨守護に戻すが、再び出雲守護を許すことはなかった。
もう一人、政変に加担した土岐頼康には伊勢守護を与える。ただし、伊勢国の多くは南朝の伊勢国守、北畠顕泰の支配地であり、土岐頼康の石高は決して多くはならなかった。
その伊勢守護を密かに欲していた近臣の伊勢照禅(貞継)には、
義満の仕置きは、武力にものを言わせた諸将に対し、一見、希望を叶えたように見せ掛け、厳しい現実も与える巧妙なものであった。
この後も、義満は賞罰をうまく利用して諸将の人心を捕えていく。頼之が義満のために残した、
この年の夏、南朝でも大きな動きがある。
ついに帝は、右大臣、北畠
右大臣の
帝は新しい
しかし、吉野山に残った南朝の
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