第36話 天野行宮

 文中元年(一三七二年)秋。この日の南摂津は小気味よい青い空が広がっていた。

 交野かたの左衛門尉さえもんのじょう秀則ひでのりの娘、たつは、正儀の子を宿していた。臨月となったたつは、正覚寺しょうかくじ村の秀則の館に戻り、出産の時を迎える。

 館の縁側に腰を掛けた秀則が、小刻みにひざを叩きながら、何度も奥の間を振り返っていた。側室にせんと、たつを正儀の元に送ったが、なかなか二人はそういう関係にはならず、秀則はやきもきした日々を過ごした。あきらめかけたところに、たつが正儀の子を宿したと聞き、思わず、よくやったと声を上げて喜んだ。

 瓜破うりわり城で南軍対策に奔走中であった正儀が、その合間に秀則の館を訪ねる。

 気づいた秀則が、立ち上がって深く頭を下げた。一方、正儀は、そのままにと言わんばかりに、手を前に差し出す。

「御父上殿(秀則)、まだ産まれませぬか」

「初産ですので、手間取っておるようです」

「そうですか……」

 手持無沙汰てもちぶさたに、正儀がしばらく館の縁側に腰を掛けて待っていると、元気な赤子の産声が響いた。

 手伝いの女が、正儀の元に駆け寄る。

「玉のような男児おのこでございます」

「祝着じゃ」

 正儀より先に、隣の秀則が答えた。

 落ち着いてから、正儀は奥の間に入り、赤子に対面する。

「男であったな。御苦労であった」

 穏やかな表情を浮かべ、たつの手を握って労った。

「殿様(正儀)、私は男児おのこだとわかっておりました」

「ほう、それはなぜじゃ」

「夢を見たのです。三頭の虎が現れ、私を取り囲んだのです。されど、お腹の子が追い払ってくれました。きっと頼もしき、男児おのこに違いないと」

 たつは愛嬌のある笑顔を返した。

「三頭の虎であるか。わしも幼名は虎夜刃丸というた……そうじゃ、この子の名は三虎丸みとらまるとしよう」

「虎夜刃丸様が三人分でございますね。頼もしきことにございます」

 たつは、隣で寝ている我が子、三虎丸みとらまるいとおしそうに見つめた。


 年が明けて、文中二年(一三七三年)正月、正儀は、幕府管領かんれいの細川頼之の屋敷に年賀に訪れていた。

 頼之は正儀がくると、決まって上座から降りて、正儀と向かい合って座った。対当な関係と意識してのことである。

河内守かわちのかみ殿(正儀)、あの戦から一年、南方みなみかたの動きはどうであろうか」

「在地の豪族でも南方みなみかたを見限る動きが広まっております。やはり、無理を押して摂津に大軍を動かした、そのつけが大きかったのでしょう。今や南方みなみかたには、北侵する兵力はないと思われます」

 冷静に現状を分析した。

南方みなみかたは、こうなっても和睦に応じる気がないのであろうか」

 頼之には、強硬派の公卿くぎょうたちが理解できなかった。それは正儀にしても同じである。その目には、滅亡に向けてまっしぐらに突き進んでいるように映っていた。

「帝(長慶天皇)御自身が和睦を拒んでおられます。帝の叔父は強硬な北畠右大臣(顕能あきよし)です」

 前年十一月、顕能あきよしは内大臣から右大臣に、四条隆俊は大納言から内大臣に昇進していた。

「昨年三月には、仁木にっき義長殿を破って伊勢の朝明あさけ郡を手中に収めました。北畠右大臣が健在の間は、帝も強気を崩さないでしょう」

 残念そうに正儀は答えた。

「きりがないな……河内守殿、我らに対する風当たりもだいぶ厳しくなっております。南方みなみかたに対して寛容過ぎると」

 正儀は頷く。頼之が言わんとすることはわかっていた。一昨年の南軍の榎並えなみ城、瓜破うりわり城での戦の後のことである。畠山基国らが天野山あまのさん金剛寺の行宮あんぐうに攻め入る事を主張していたが、正儀の意向を受けて、頼之が退けていた。

 基国はこれを恨んで、将軍、足利義満に、頼之の管領かんれい解任と正儀の排除を訴えた。この時は、義満が基国の進言に聞く耳持たず、何事も起きなかった。だが、諸将の間では不満がくすぶっていた。

「河内守殿、いつまでも今の状況を続けるわけには参らん。何かお知恵はござらんか」

 頼之の問いかけに、正儀は厳しい表情で口を開く。

「弟君であらせられる東宮とうぐう様(熙成ひろなり親王)に御譲位いただくことです。新たな帝の元、和睦を進めるしかないかと存じます」

「されど、げんに和睦を拒んでいるという南の帝が御退位されるであろうか」

南方みなみかたにも和睦を求める公卿くぎょうは多くいます。先の戦に大敗したことで、北畠右大臣・四条内大臣ら強硬派への風当たりは強くなっていると聞いております。それともうひとつ、九州の影響もあろうかと存じます」

 これまでは、畿内と異なり九州の地は南朝が優位で、征西将軍宮せいせいしょうぐんのみやこと懐良かねよし親王と菊池肥後守ひぜんのかみ武光たけみつとなえていた。

 しかし、管領かんれいの頼之は、九州探題たんだいに勇将、今川了俊りょうしゅんを任じて、南軍の制圧に乗り出していた。了俊りょうしゅんとは今川貞世さだよの出家後の法名である。

「昨年八月、了俊りょうしゅん殿が九州の大宰府を奪還し、十一月には菊池殿が討死しました。南の帝は征西将軍宮せいせいしょうぐんのみや様による東征に望みを繋いでおられただけに、おおいに気落ちしたと聞きおよびます」

「南の帝に、和睦のお気持ちが芽生えているとしても、不思議ではないということか」

 頼之の言葉に、正儀は頷きつつ言葉を繋ぐ。

「されど、面子もございます」

「なるほど、南帝は意地でも和睦を認めないであろうが、譲位であれば可能性があると」

「左様、きっかけさえあれば、御譲位を御英断されるやも知れませぬ」

「ならば、強引ではあるが、大軍を天野に送り、譲位を御決断いただこう。河内守殿にとっては心苦しいことと存ずるが、いかがか」

 辛い立場である。苦悶の表情を浮かべながらも、正儀はゆっくりと頷く。

「承知しました。されど、大軍を差し向けた後、南方みなみかたとの交渉は、それがしにお任せくだされ」

 正儀は、自らの力で決着をつける決心をした。


 三月二十八日、淡路守護の細川氏春が、大軍を率いて尼崎に上陸する。将軍、足利義満が、南軍討伐の総大将に任命したためである。

 頼之と氏春、そして、南軍に降って討死した細川清氏のそれぞれの父は兄弟であった。氏春は清氏に似て豪胆な性格であり、頼之よりも清氏と気が合った。

 頼之が前将軍、足利義詮よしあきらめいを受けて清氏を討ち取った讃岐白峰しらみねの戦いでは、氏春は清氏を援けて頼之に敵対した。しかし、清氏が討ち取られると、頼之は時の将軍、義詮に、従弟である氏春のいのちを救うように嘆願した。

 氏春は、淡路に戻り、討死覚悟で徹底抗戦するつもりであった。だが、頼之はその豪胆な性格を惜しみ、説得して幕府に帰参させる。

 その後、頼之が烏帽子親えぼしおやとなった現将軍、足利義満の元服の儀では、氏春を推挙して重要な役回りを務めさせた。そういう経緯もあり、頼之を信頼するようになっていた。

 その氏春は、摂津で赤松光範みつのりの軍勢を加えて南進する。そして、ひとまず四天王寺に入って陣を張り、天野山の南朝を威圧した。

 一方、正儀は瓜破うりわり城にて出陣の支度したくを整えていた。さらに橋本正督まさただや美木多助氏など、南軍の有力武将に、幕府帰参を呼びかける書状も送っていた。

 しかし、南軍諸将への働きかけは、すぐに天野行宮あんぐうの知る処となる。帝(長慶天皇)や南朝公卿くぎょうは、正儀憎しの想いを募らせていった。


 南朝対策のために、正儀は河野辺正友を伴って、観心寺におもむく。密かに和睦派の大納言、阿野実為さねために会うためである。

 実為さねため寛成ゆたなり親王が践祚せんそして帝(長慶天皇)に成って以来、長い間、まつりごとの実権を失っていた。しかし、南軍を指揮する内大臣の四条隆俊が摂津の戦で大敗し、九州でも菊池武光たけみつが大宰府を失ってから、相対的に和睦派が力を盛り返していた。

「正儀殿、久しいな」

 さすがに幕府に降った正儀のことを河内守と呼ぶことはないが、実為さねためは正儀を丁寧に扱った。

「大納言様、ご無沙汰を致しております。此度こたびは、恐れ多いことなれども大軍をようしてこのような仕儀しぎとなり、申し訳ござらん」

「さすがにこの大軍には麿も驚いたが……そなたには考えがあるのであろう。聞こう」

 実為さねための問いかけに正儀は頷く。

「今こそ、東宮とうぐう様(熙成ひろなり親王)が帝に践祚せんそいただく時かと存じます。幕府は大軍をようして、和睦か、戦かを迫るつもりです。されど、管領かんれい殿(細川頼之)は、帝が東宮とうぐう様に御譲位されるのであれば、兵を引くつもりです。改めて新帝との関係を作ったうえで、和睦の交渉をしてもよいと言われております。大納言様におかれては、朝議の席において御味方を募り、その流れを作っていただきたく存じます」

 目を輝かせた実為さねためがひざを打つ。

「うむ、この時を待っておったぞ。正儀殿、詳しく話を聞かせてくれ」

 正儀の考えは、幕府軍の兵力を背景に、帝に熙成ひろなり親王への譲位を約束させてから撤退するというものである。帝の強力な後立てである右大臣の北畠顕能あきよしは、幕府が土岐頼康を伊勢守護として送り、伊勢に釘付けにしていた。その隙に、一気に熙成ひろなり親王への譲位の道筋をつけるつもりである。

 ただし、実現させるためには、南軍の諸将を公家大将の四条隆俊から遠ざけ、強硬派を裸にする必要があった。そこで正儀は、南軍の有力武将に幕府帰参を呼びかける書状を送っていた。しかし、諸将からの返事はいまだない状況である。

「つきましては、東宮とうぐう様から御令旨ごりょうじをいただくことができれば、それをもって、諸将の説得はそれがしが行います」

 正儀は頭を下げて頼んだ。

 しかし、実為さねための表情は堅い。

「正儀殿、それはできませぬ。東宮とうぐう様御自身で動いたのでは、天の意向を無視することになります。あくまで、東宮とうぐう様は天の意向に沿って践祚せんそされるのです。正儀殿、南軍の諸将の説得は、すまぬがそなたの方でお願いしたい」

「左様でございますか……不遜ふそんな申し出、お忘れくだされ」

 実為さねための返答に、正儀は困った顔で目を落とした。


 数日後、正儀は津熊義行を伴い、和泉国大鳥郡に出向く。そこで二人は、美多彌みたみ神社の前を馬で過ぎようとする男たちのゆく手を塞いだ。

 正儀が馬上を見上げる。

「助氏殿、久しぶりじゃな」

 そこには美木多みきた助氏の姿があった。たもとを分かってから十三年の歳月が経つ。当時、助氏は与力として楠木軍の一翼を担っていた。しかし、将軍家執事、細川清氏の誘いに乗って幕府に降ってしまう。後に正儀が幕府に身を投じると、今度は逃げるように南朝に帰参していた。この度も正儀の呼びかけに応えることはなかった。

 声の主が正儀だと気がついた助氏は、馬上で呆然とたたずんだ。美木多の若党たちは、正儀の顔を知らない。口を開かない助氏に、若党の一人がたずねる。

「殿、こちらは何方でございますか」

「……あ、ああ……昔の知り合いじゃ。お前たちは先に帰っておるがよい」

 馬を降りた助氏が供廻りの者たちを先に帰すと、正儀も義行に目配せして、その場を立ち退かせた。


 美木多助氏が美多彌みたみ神社の石段にゆっくりと腰を下ろす。

「三郎殿(正儀)、わざわざ、何しに来たのじゃ」

「書状の返事をもらいに来た」

 そう言って、正儀も助氏の隣に座った。助氏は正儀を一瞥してから遠くに目をやる。

「何を今更。返事がないことが返事じゃ」

「では、もう一つ。なぜ、わしから逃げようする。わしが幕府に降った時、助氏殿はわしを避けるかのように南方みなみかたに帰参した。己の利だけでは説明がつかん」

「……」

 正儀の問いかけに、助氏は無言で険しい表情を浮かべた。

「助氏殿、わしは天野山の帝(長慶天皇)に和睦を考えていただきたいだけじゃ。幕府に降ろうと、わしの望みは昔も今も君臣和睦。南北合一じゃぞ」

「三郎殿(正儀)、そなたの思いくらいわかっておる」

「では、兄者(楠木正行まさつら)とわしをあれほどまでに助けてくれたそなたが、なぜ、わしから逃げるのじゃ。訳を聞きたい」

「聞いてどうする。聞いたところでお主の気は晴れぬぞ」

「それでも構わん」

 そう言って正儀は、助氏のまなこをじっと見つめた。すると助氏は、耐え切れずにため息を付く。

「美木多と楠木は、亡き正氏殿を介しての遠縁……わしは血縁がないとはいえ、身内のつもりで太郎殿(正行まさつら)・三郎殿に味方してきた。四條畷しじょうなわての戦でも、東条の戦でも、楠木の一翼を担えることが自慢であった。されど、楠木は美木多を裏切り、美木多も楠木を裏切っていた。所詮、相容あいいれぬ仲であったのじゃ」

「……それはいったい……」

 助氏は正儀の疑問を察するかのように話を続ける。

「わしの祖父、助家は楠木にも幕府にも通じておった。四條畷しじょうなわての戦で楠木軍の動きを幕府に流しておったのは助家じゃ」

「そ、それは、本当か」

「わしも後で知った。この件は、北畠卿(親房)より太郎殿(正行まさつら)の奥方(内藤満子みつこ)のせいとされた。奥方の父は、南方みなみかたを裏切り、幕府にくみした内藤右兵衛尉うひょうえのじょう満幸みつゆき)であったからな」

 正儀は複雑な心中であった。義姉ぎしの満子を楠木の家から追放したのは自分である。命じた北畠親房を恨み、指図に従った自分を責めていた。

「助家だけではない。叔父の助秀もじゃ。助家亡き後は助秀が幕府に南軍の動きを知らせておった。畠山合戦の前、将軍家の執事であった細川清氏が密使をわしの元によこした。味方をせねば、これまでの美木多の所業を楠木にばらすと」

「それで、仕方なく、幕府に付いたと」

 まだ続きがあると言わんばかりに、助氏は首を横に振る。

「我が父、助康を知っておるか」

「いや……四條畷しじょうなわての戦よりも前に亡くなられていたことくらいしか……」

「殺されたのじゃ。そなたの兄、楠木正行まさつら殿のめいでな」

「まさか……」

 助氏の口から出た兄の名に、正儀は呆然とする。

「三郎殿は本当に何も知らぬのじゃな……無理もない。わしとて騙されていたのじゃ。細川の密使に会った後、叔父の助秀に問いただした」

「……なぜ我が兄が、助康殿のいのちを奪わねばならんのじゃ」

 仁義に厚く、優しい兄が、そのようなことをするとは信じられなかった。血相を変える正儀を前に、助氏は淡々と話しを続ける。

 助氏の祖父、助家は幕府にも南朝にも通じ、両者の間を巧みにおよいでいた。南朝寄りの嫡男、助康は、そんな父の態度に業を煮やし、家臣と図って、助家を脅してむりやりに家督を奪取した。そうして美木多の家督を継いだが、永くは続かなかった。助康に裏切りの気配ありと、助家自らが南朝に訴えたからである。

 助氏が不在の時であった。時の准大臣じゅんだいじん、北畠親房のめいで、河内・和泉の守護であった正行まさつらが助康を東条に呼び出した。そこで、事の真相がわからぬまま、楠木の家中の者によって誅殺されたという。館に戻った助氏は、祖父の助家から、助康に不忠があり切腹して果てたとだけ教えられていた。

 そして、助康が亡くなった後は助氏が美木多の当主となり、祖父、助家が後見となって、再び美木多の実権を握った。

「つまり、わしにとっては、祖父の助家も、そなたの兄、太郎殿(正行まさつら)も、我が父のかたきなのじゃ」

「まさか、そんなことが……」

 にわかには信じられないことであった。また、真偽も不明であった。しかし、北畠親房のめいを受け、義姉ぎしの満子を楠木家から里へ戻した経験がある正儀は、その時の兄の心情をおもんぱかった。

「わしは不忠を働いたという父、助康に代わり、罪滅ぼしとも思い、南方みなみかたのために……楠木のためにと力を尽くした。されど、本当のことを知り、我が父を殺した楠木への憎しみと、美木多が裏切っていた楠木への負い目との間で悩んだ」

「助氏殿……」

 口を開いた正儀を、助氏が制する。

「正直に申そう、恐れていたのじゃ。美木多の裏切りが三郎殿(正儀)の知るところとなれば、わしも父と同様に誅殺されるのではないかと。いつかは露見する……この不安から抜け出すために楠木を離れた。はじめから三郎殿が敵であれば、不安もなくなるであろうと……」

 正儀は言葉が出なかった。

 助氏は腰を上げて尻を払う。

「そういうことじゃ。だから、そなたの味方はできん」

 背を向けた助氏に、正儀がやっと口を開く。

「じゃが、本心は裏切りたくはなかった……違うか。わしは誅殺などせぬ。強硬な公卿くぎょうたちの考えを変えるためには、助氏殿の協力が必要なのじゃ」

 しかし、振り返りもせず、助氏は馬留に歩いた。

「幕府に帰参できぬのなら、わしの願いはただひとつ。四条(隆俊)内府ないふ(内大臣)から下知げちがあっても、兵を出さないでくれ」

 助氏は正儀の言葉を無視するように馬に跨り、駆けていった。


 瓜破うりわり城に戻った正儀の元へ、聞世(服部成次)が現われる。広間で正儀は、直垂ひたたれ姿の聞世と向かい合った。

「殿、太郎殿(橋本正督まさただ)の元から戻って参りました」

「うむ、ご苦労であった。それでいかがであった」

「それが……太郎殿は帝(長慶天皇)をお守りするとの固い決意でした。四条(隆俊)内府ないふ(内大臣)からめいがあれば、新九郎殿(和田正武)と一緒に、幕府軍を討ち果たすと言われておりました」

「そうか……」

 正儀は額に手を当てた。このままでは、美木多助氏も橋本正督まさただも討たざるを得ない。

「ただ、太郎殿は、殿(正儀)のお考えはわかっております。殿が本気で帝に刃を向けるなどと他愛もない噂話を信用しているわけでもありませぬ。されど、それでも、頑として首を縦に振ろうとなされませぬ」

七生滅賊しちしょうめつぞく……太郎も楠木の呪縛にらわれておるのか」

 帝(長慶天皇)への忠節は、正儀の想像以上であった。


 東条の楠木館では、楠木正澄が楠木正勝・楠木正近ら一族と、恩地満信らの家臣を集めて軍議を開いていた。正勝の後見役として、とともに上座に座った正澄が一同を見渡す。

「兄者(正儀)から書状が来ておる。四条内大臣(隆俊)から下知げちがあっても兵を出さないで欲しいとのことじゃ。さて、どうするか」

 そう言って、開いた書状を正勝の前に置いた。正勝は書状を手に取って目を落す。

「父上(正儀)は、力で四条卿らの強硬派を屈服させ、一気に和睦を進めるつもりのようですが、はたして、望み通りにことが進みましょうや」

「そうじゃな。我ら楠木が兵を出さなくとも、和泉守(和田正武)や太郎(橋本正督まさただ)もおる。なかなか思うようにはいくまい……」

 正近が頷きながら、正澄に目をやる。

「……それで、四郎殿(正澄)の考えはどうなのじゃ」

 従兄弟の正近に問われた正澄は、腕を組んで考える。

「皆も承知の通り、我らは帝を御護りし、京に御返しするためにこちらに残った。兄者は兄者、我らは我らでやることがある。帝(長慶天皇)に危害がおよぼされるような事は断じてならん。そのようなことがあれば、たとえ兄者であろうが戦うのみじゃ」

 日頃から、正儀を擁護ようごし過ぎるとのそしりを受けていた正澄は、最初に戦うことも辞さないと釘を挿した。そのうえで本心を明かす。

「されど、和睦が成るのであればこれに越したことはない」

「叔父上(正澄)、それがしは父上(正儀)と戦う事を躊躇ちゅうちょして参りました。されど、幕府が大軍をようして天野を責めるとなれば話は別です。父上とも戦う覚悟はできております」

 正勝は勇ましく胸のうちを披露した。

「小太郎(正勝)、そなたの覚悟のほどは判ったが、これには楠木の存続が懸かっておる」

 慎重な態度を崩さない正澄に、正近も頷く。

「そうじゃな。まさか三郎兄者が本気で帝に刃を向けることもあるまい。そこは損得合わせて議論すべきであろう」

「もし、兄者の求めに応じて諸将が兵を出すのをためらえば、いかに四条卿とて、強硬な態度は貫けぬであろう。先般の摂津攻めで痛手をこうむっておるからな。そこで重要になるのは……」

 皆が正澄の話にじっと耳を傾ける。

「……河内・和泉の守護である太郎(橋本正督まさただ)の動きじゃ。これによって諸将の動向も決まるであろう。楠木も存続が掛かっておる。我らが兵を動かすか否かは、橋本党の動きを確かめてからでも遅くはあるまい」

 正澄は兄、正儀が必ず和睦を成し遂げてくれると信じていた。

 結局、南方みなみかたの楠木党は、正澄が主張した通り、正督まさただの動向を見極めることになった。


 天野山金剛寺の行宮あんぐうで、公卿たちによって朝議が開かれていた。幕府側が正式な使者を立て、和睦を求めてきたためである。

 中納言の葉室はむろ光資はるすけが、幕府の約定案を読み上げた。

 これに、関白の二条教基のりもとが一同を見回す。

「幕府は、こうして和を乞うてきておる。皆の意見を聞きたい」

 すると、内大臣の四条隆俊が口火を切る。

「和睦の条件は、以前の折から何一つ変わっておりませぬ。今更、この和睦を呑むのであれば、この四年間はいったい何であったのか。何も変わっていない和睦の内容を今更検討する余地はありませぬ」

 相変わらず、取りつく島がないといったふうである。

 大納言の阿野実為さねため眉根まゆねを寄せる。

「四条様、我が方がこれほどまでに劣勢になった後の和睦ですぞ。同じ条件で和睦を求めてくること自体、奇跡じゃと思わぬのですか。この先、条件は悪くなるばかりでございます。のう、御方々おんかたがた

 そう言って、実為さねためは他の公卿くぎょうらの顔を見渡した。

「阿野卿の言われる通りよ」

「ほんにのう」

 以前とは様変わりして、和睦を望む公卿くぎょうが多くなっていた。しかし、隆俊の威勢は変わらない。

「和泉守(和田正武)や紀伊の湯浅はもとより、民部大輔みんぶのたいふ(橋本正督まさただ)や備前守(美木多助氏)も、幕府を迎え撃つ備えをしております。東条の楠木とて兵を出さぬわけにはいかぬであろう。まだまだ、我らは兵力で負けておりませぬぞ」

 確かに総動員できれば、幕府軍とて迂闊うかつに手は出せない状況であった。

 結局、この日の朝議は、幕府との和睦交渉を継続すること。それと、南軍の諸将から出陣に向けての確約を取ることのみが決まった。


 鍵を握る橋本正督まさただは、和泉と紀伊の国境くにざかい、橋本党が支配する雨山土丸あめやまつちまる城に居た。

 その昔、橋本本家の橋本正高が日根野ひねの時盛から奪い取った土丸つちまる城に、隣の雨山あめやま城を加えてくるわを整備し直し、一体とした巨大な城郭群である。城は、紀伊と和泉を結ぶ粉河こかわ街道を押さえる交通の要所にあった。

 この雨山土丸城を、南朝に転じた美木多助氏が訪ねていた。

 広間で大夫判官たいふのほうがん、和田良宗が助氏の相手をしていると、正督まさただが遅れて現れる。

「備前守殿(助氏)、これは珍しい。いかがされた」

 正督まさただは、助氏に声をかけながら上座に座った。助氏は正督まさただを見て、顔を強張らせる。

「どうかされたか」

 その表情に正督まさただが首を傾げた。

「い、いや、父上に……正行まさつら殿に似てこられたと思うてな」

「最近、周りの者からも言われまする。父上は、そんなにそれがしの顔と似ておったのですか」

 興味深そうにたずねる正督まさただに、助氏はゆっくりと頷いた。

 父の顔を知らないのは無理もなかった。正行まさつらが討死したのは、正督まさただが三つの時である。気がつけば、正督まさただ四條畷しじょうなわてで討死した父の歳になっていた。

「して、今日は……」

「うむ、言いにくいことじゃが……楠木三郎殿(正儀)がそれがしの前に現れた。しきりに幕府に帰参するように求めて参った。断ると、ならば、幕府と南方みなみかたの戦において手出し無用で願いたいと頼まれた。無論、断ったが……そなたのところにも来ておるのではないかと思うてな」

 正督まさただは頷く。

「それがしのところにも、聞世殿(服部成次)を介して、誘いがあり申した。まったく同じです」

「して、返事は」

「無論、断りました」

 助氏は、ふうと短く息を吐いた。

「いや、安堵した。三郎殿は南軍の諸将に誘いをかけておる。どれだけの者が幕府に降るのか。また、幕府に降らぬまでも、様子見の武将が多いようだと、わしも無駄死にをせぬよう考えねばならん」

「それで、それがしがどうするのか、助氏殿は確認に訪れたということですか」

「左様。そなたは河内・和泉の守護であるとともに、楠木正成公の嫡孫ちゃくそんじゃ。三郎殿がらん今、諸将は東条の楠木ではなく、雨山の太郎殿(正督まさただ)を見て、行動を決する」

「左様でございますか」

 正督まさただは苦笑いを浮かべた。

「無論じゃ。そなたが幕府に付けば、朝廷(南朝)は和睦しか道が残されぬ。いずれ三郎殿が、直接、そなたの前に現れて、説得することであろう」

「もし、それがしが幕府に降ったら、助氏殿はいかがされます。後を追って、幕府に帰参されますか」

 助氏は返事を躊躇ちゅうちょする。

「わしは……きっと南方みなみかたに残るであろう。されど、太郎殿に付いて、幕府に帰参する諸将は多いであろう」

「なぜ、助氏殿は、叔父上(正儀)が幕府に降った時に、わざわざ、南方みなみかたへ帰参されたのですか。まるで叔父上を避けているような……そして、此度こたび、叔父上はあえて助氏殿の前に現れた。いったい叔父上との間で何があったのです」

 正督まさただの問いは助氏の顔を曇らせた。しばしの沈黙の後、助氏は重い口を開く。

「三郎殿がわしの前に現れたのは、幕府帰参の誘いの他に、もうひとつの理由があった。わしがなぜ幕府に降ったのか。そして、三郎殿が幕府に降ったときに、なぜ、わしが入れ替わるように南方みなみかたに戻ったのか、何としても理由が聞きたいとのことであった」

「それがしも、ぜひうかがいたい」

 真っすぐ、正督まさただが助氏を見つめた。

「それは……長年、わしの喉に突き刺さった魚の骨のようなものであった」

 そう言って、正督まさただの視線から逃れるように、助氏は、戸板を開け放った縁の外に目をやった。

「何か事情があったようですな。それを叔父上に話されたということですか」

「そうじゃ」

「で、魚の骨は取れたのですか」

「いや、魚の骨を取るにはもう一人、話さなければならん。そう、決意して今日はここへ参ったのじゃ」

 意外な発言に、逆に正督まさただ躊躇ちゅうちょする。

「それは、それがしということですか」

 問いかけに助氏がゆっくりと頷く。そして、正儀に吐露した話を繰り返した。

 沈黙が広間を包む。

 正督まさただと横に控えていた良宗は、驚きのあまり、声を出すことができないでいた。

 確認するべきすべはなかった。当時のことを知っていたであろう養い親の橋本正茂まさもちは、すでにこの世には居ない。三人はしばしの静寂に耐えなければならなかった。

「助氏殿にとって楠木はかたき。それがしにとって美木多はかたき……と言われるのか」

 やっと正督まさただの口をついた言葉に、助氏は頭を下げる。

「すまぬ。今更、昔のことを」

「今でも、楠木を恨んでいると……」

 助氏が首を横に振る。

「三郎殿も知らなかったことじゃ。今や恨む相手もらぬ。それに、全ては美木多の家の裏切りから出たこと」

「助家殿の裏切りがなければ、それがしが母と別れることもなく、母は楠木を出される事もなく、もしかすると父も死なずに済んだかもしれない……そう言われるのですか」

 正督まさただはふつふつと沸き立つ感情の始末に困っていた。一方、助氏は項垂うなだれたまま無言であった。場は再び気まずい空気に包まれた。

 沈黙に耐えかねた正督まさただが、助氏に手を差し伸べる。

「顔を上げてくだされ。助氏殿も四條畷しじょうなわての戦の際、命懸けで戦ったと聞いております」

「ああ、死を覚悟した。じゃが、正行まさつら殿が、負傷した者を連れて逃げろとわしに命じた」

 助氏は顔を上げた。

「ならば、助氏殿とて、実の祖父、助家殿に裏切られたということではありませぬか」

「我が美木多は鎌倉幕府の御家人であった。元弘の折、祖父の助家は、叔父の助秀と一緒に千早城を攻め、嫡男であった我が父、助康を六波羅ろくはら攻めに加わらせた。虫のよいことじゃ。助康、助秀のいずれかが残ればよいと考えておったのじゃ。祖父はそういう男じゃ。もし、四條畷しじょうなわてでわしが討死しても、わしの弟たちが幕府に取り立てられればよいと考えておったのであろう」

 正督まさただは、乱世を生き抜く厳しさを知るとともに、むなしさも感じた。

「助氏殿、申し訳ないが今日のところはこれでお帰りくだされ。いや、助氏殿を責めるつもりはござらん。ただ気持ちの区切りが付きませぬ。それがしは、母と離れ離れとされたことを、誰のせいにしてよいかわからず、身近な叔父上(正儀)を恨んで参りました。それが……」

 暗い顔で正督まさただが言葉を詰まらせた。

 助氏はうながされて立ち上がる。

「わしとて同じじゃ。三郎殿を恨むことしかできなかった。三郎殿にとっては辛い役回りであったであろう……」

 そう言い残し、助氏は、頭を下げる良宗の前を通って広間を後にした。


 幕府と南朝との間で何度目か和睦の交渉が持たれた後、天野山金剛寺の行宮あんぐうで、再び朝議が開かれた。

 まず、大納言の阿野実為さねためから、これまでの幕府との和睦の経緯が報告された。それに対して、さっそく内大臣の四条隆俊が噛みつく。

「和睦の条件は、いっこうに変わっておらぬではないか。我らを愚弄ぐろうしておるのか」

 隆俊はひざを叩いて怒鳴ってみせた。だが、和睦が進まないのは織り込み済みで、隆俊の態度は、そろそろ和睦交渉を打ち切るのが目的である。

「四条様、和睦の交渉を打ち切れば、必ずや幕府軍はこの行宮あんぐうへも攻め込んで参りますぞ。武士たちも、先の戦の大敗にりております。その証拠に、四条様の下知げちにもかかわらず、態度を決めかねておる者が多い。そのような中で、とても幕府に強気な態度をとれるものではありません」

 実為さねためも強い口調で迫った。日和見な公卿くぎょうたちに、実為さねための言葉は響いていた。隆俊と同心することも多い葉室はむろ光資はるすけでさえも下を向く。

 関白の二条教基のりもとが、そんな公卿くぎょうたちの顔を見渡す。

「和睦が決裂となれば、幕府は兵を進める。諸将の動向は曖昧じゃ。出口を探らねばならん。のう、阿野卿」

 教基のりもとがそう言って実為さねために目配せする。

御意ぎょい。実は、幕府からは、御上おかみ(長慶天皇)が東宮とうぐう様(熙成ひろなり親王)に御譲位あそばされるなら、白刃はさやに収めると、内々に連絡してきております」

「な、何と……そのような不遜ふそんなことを……」

 実為さねための発言に、隆俊は顔を真っ赤にしていきり立った。

 騒然とする廟堂びょうどうの中でも、関白の教基のりもとや参議の六条時熙ときひろら一部の公卿くぎょうたちは落ち着いていた。

「もちろん御譲位されるかどうかは、御上おかみ御心みこころ。我ら臣下が申すことではありませぬ。されど、幕府からの申し出は、包み隠さず御上おかみに御伝えするべきかと存じまする」

「こ、これは、そのほうらが、幕府に降った楠木正儀と、申し合わせた策略か」

 鬼の形相で、隆俊は正儀の名を口にした。

 実為さねためは、それには直接応えず、話を続ける。

「四条様、現実を見なければなりませぬ。我らは摂津で大敗し、九州では大宰府を奪われ、征西将軍宮せいせいしょうぐんのみや様(懐良かねよし親王)による東征ははかない夢と消え失せました」

御上おかみは和睦には反対じゃ。そのような話、認める筈はない」

「左様でございましょうや。多くの者たちを死地に向かわせるような事を、御上おかみが心根で望んでいるとは思えませぬ。ただ、御身おんみが言葉をひるがえしては、天子の御威光を傷付けることにもなりましょう。東宮とうぐう様(熙成ひろなり親王)に御譲位されることこそが、御上おかみをお救いする道やも知れませぬ」

「死地などと世迷い言を。和泉守(和田正武)に続き、民部大輔みんぶのたいふ(橋本正督まさただ)が出陣すれば、他の諸将も旗を上げる。それで、幕府を押し返せばよいだけじゃ」

 あくまで隆俊は強気を崩さない。しかし、廟堂びょうどうの雰囲気は以前とは違う。隆俊を見る公卿くぎょうたちの視線は冷たかった。

 そんな廟堂びょうどうの空気を察して、関白の教基のりもとがこの場を仕切る。

「まずは、民部大輔みんぶのたいふをはじめとする諸将が出陣するか否か、確認するのが先であろう。もし、諸将が動かぬということであれば、再び朝議にはかろう」

 一同が頭を下げる中、隆俊は一人、憮然とした顔で立ち上がり、退席した。


 八月に入っても、いっこうに幕府と南朝の和睦交渉は進展しなかった。正儀は総大将の細川氏春により、四天王寺の本陣に呼び出される。

「これ以上、南方みなみかたに遠慮することはできぬ。河内守殿(正儀)の立場もあろうが、それがしは管領かんれい殿(細川頼之)から、交渉が進まない場合はそれがしの考えで兵を進めてもよいとの確約をいただいておる」

 氏春はきっぱりと己の考えを伝えた。

 正儀は迷いを振り払って、氏春に訴える。

「淡路守殿(氏春)、和睦の交渉をまとめられなかったのはそれがしの責任。ならば、楠木が行宮あんぐう侵攻の先鋒をつかまつりたいと存ずる」

「よう申された。それでは河内守殿に先鋒を申付けよう」

 わざわざ先陣を願い出たのは、万が一のことを考えて、帝(長慶天皇)が窮地におちいった場合は、楠木が盾になって逃がすことができると考えたためである。

 瓜破うりわり城に戻った正儀は、出陣の支度したくを急いだ。


 八月十日、正儀は兵五百を率いて天野山金剛寺の行宮あんぐうへと進軍した。その後から細川氏春・赤松光範みつのりら幕府本軍の五千騎が続いた。

 正儀は進軍する一方で、聞世(服部成次)を、天野山金剛寺の大納言、阿野実為さねための元へ送った。


 その夜、聞世は難なく行宮あんぐうに忍び込むと、音もなく実為さねための前に現れる。実為さねためは攻めくる幕府軍に備え、自らも具足ぐそく甲冑かっちゅう)を着込んで、東宮とうぐう御所に居た。

「そなたは確か、楠木殿の……」

「いかにも。それがしは聞世と申します。我が殿よりの書状でございます」

 聞世は襟元に忍ばせた書状を取り出し、実為さねために手渡した。

「何、正儀殿からじゃと」

 実為さねためは素早く書状を開いて目を落した。

「我があるじは帝(長慶天皇)に危害が加わらないことを一番に考えております。直に行宮あんぐうは幕府軍によって囲まれます。それまでに御動座いただきたいと申しております。我らは南に兵を配置しません。南へお逃げください。阿野大納言様より言上いただき、早く、この金剛寺を御引き払いくだされ」

 書状を読み終えた実為さねためが、聞世に声をかけようと顔を上げる。

「正儀殿は……」

 しかし、すでに聞世の姿はなかった。


 一方、内大臣、四条隆俊の元には、和田和泉守正武が単騎で駆け付ける。

「四条様、大変でございます。幕府軍は悠々と北和泉を南進しております。されど、民部大輔みんぶのたいふ殿(橋本正督まさただ)も、備前守殿(美木多助氏)も出陣する気配はありませぬ」

「な、なんじゃと」

 隆俊は、正武の報告を聞いて絶句した。楠木正成の嫡孫ちゃくそんである橋本正督まさただが出陣を見送ったことは、他の武将への影響が必至であった。


 行宮あんぐうを攻めることにした幕府軍の動きは速かった。正儀が率いる楠木軍五百が、大将の細川氏春に先立って天野山に布陣し、南を空けて取り囲んだ。

 一方、天野の行宮あんぐうを守備するのは、和田正武の嫡子、孫次郎正頼が指揮する和田軍であった。和田軍は無数の矢を放って楠木軍を足止めにする。これに応じるように、正儀の楠木軍も矢を放って和田軍を威嚇した。

 一門同士の血で血を洗う戦いは、もう目前に迫っていた。正儀は、祈るような気持ちで、帝(長慶天皇)の動座を待った。


 両軍の怒声が響く中、関白の二条教基のりもとは、内大臣の四条隆俊と大納言の阿野実為さねためを連れ立って帝の元に参上した。そして、正儀を先陣とする幕府軍が、天野を侵していることを説明した。

ちんが譲位をすれば、幕府軍は……正儀は兵を引き上げるというのは本当であるか」

 帝は朝議で譲位の話題が出たことを、教基のりもとを通じて知っていた。

御上おかみ、それは幕府の罠です。信じてはなりませぬ」

 隆俊が帝をいさめるが、実為さねためは首を横に振る。

「いえ、本当のことでございます。東宮とうぐう様(熙成ひろなり親王)に御譲位されれば、幕府軍は兵を引き上げることでしょう」

 度重なる負け戦と、南朝内部からも譲位を求める声が強くなっていることを知り、帝はすっかり弱気になっていた。

ちんは……幕府と和睦することは死んでもできぬ。しかし、東宮とうぐう熙成ひろなり親王)が自らの責において幕府と交渉するならば邪魔はせぬ」

「お、御上おかみっ」

 驚いた隆俊は 帝の前であるにも関わらず、思わず腰を浮かせ、引き留めようとするかのように、手を胸のあたりまで上げた。

 しかし、構わず帝は続ける。

「よかろう、東宮とうぐう熙成ひろなり親王)に譲位しようぞ。幕府にそのように伝えて兵を引上げさせよ。ちん賀名生あのうに隠居する」

 帝は、無念さを通り越し、肩の荷を下ろしたかのような表情を浮かべていた。

 わなわなと肩を震わせる隆俊を尻目に、教基のりもと実為さねためは、英断を下した帝に平伏した。


 すぐに阿野実為さねためは、楠木軍の正儀に使いを送る。帝が譲位を決心され、賀名生あのう隠遁いんとんする旨が知らされた。

 正儀はただちに和田軍との小競り合いを中止させ、後方の総大将、細川氏春と赤松光範みつのりに願い出て、幕府軍の侵攻を止めさせた。


 具足ぐそく甲冑かっちゅう)姿の和田正武は、内大臣の四条隆俊の元にいた。片ひざ付いて、食堂じきどうの縁に立つ隆俊を見上げる。

「これではあまりにも分が悪うございます。ここは、いったん四条様も帝(長慶天皇)と御一緒に、賀名生あのうへお移りください。和田の兵が警護致します」

「ぐっ、正儀め……」

 正儀にしてやられることは、隆俊には耐えがたいことであった。眉間にしわを寄せた隆俊が、きざはしを降りる。

「……和泉守(正武)、耳をかせ」

 隆俊は正武にとある計画を耳打ちした。

「いや、されど……四条様の御下知おげちとはいえ、そのようなこと……」

「では、おめおめと正儀の言いなりになれと言うのか。これは御上おかみの御内意を汲んでのことじゃ」

「ま、まさか」

 驚く正武であったが、帝の意思だと言われては、隆俊のめいに従わざるを得なかった。


 その日のうちに、譲位を決意した帝(長慶天皇)と強硬派公卿くぎょうらの一行が、天野山金剛寺の行宮あんぐうから賀名生あのうに向かって出立した。

 後に残るは、次なる帝となる東宮とうぐう熙成ひろなり親王と、大納言、阿野実為さねためら和睦派公卿くぎょうである。

 日が暮れてから、正儀らは手勢を率いて、行宮あんぐうである金剛寺に入った。だが、中に入るなり、すぐに異変に気づく。嘉喜門院かきもんいんの院号を贈られた阿野勝子など、南朝の女房や多くの公家たちは残されていたが、熙成ひろなり親王と和睦派公卿くぎょうたちの姿はなかった。

 正儀は金剛寺の一坊、観蔵院かんぞういんの外廊で、被衣かつぎをかぶって逃げようとする女房の腕をむんずとつかむ。はらりと被衣かつぎが落ちると、男の顔が現れた。寺を脱出しようとしていた地下じげの公家である。

「いったい何があったというのじゃ。東宮とうぐう様は何処いずこか。答えられませいっ」

 正儀の怒声に、公家は叱られたこどものように萎縮する。

「し、四条内府ないふ様(内大臣、四条隆俊)のめいで……和田和泉守(正武)の兵が、東宮とうぐう様(熙成ひろなり親王)や阿野大納言様(実為さねため)らを、帝の御一行とともに、賀名生あのうにお連れになりました」

「な、何じゃと」

 苦悶の表情を浮かべた正儀が、賀名生あのうの方角に目をやった。


 夜にも関わらず正儀は、天野山に進軍してきた総大将、細川氏春の元に馬を駆った。氏春は天野山のとある宿坊を占領して本陣にしようとしていた。正儀が細川の陣中に駆け込むと、氏春は驚き、すぐに宿坊の中に招き入れた。

 荏胡麻えごまあかりがゆらゆらと揺れる中、正儀の話を聞いた氏春は眉間に深い陰を刻む。

「なぜ東宮とうぐう熙成ひろなり親王)が賀名生あのうに向かうのじゃ」

「無理やりに連れ去られたということでありましょう。まだ遠くへは行っておらぬはず。それがしは兵を率いて跡を追いたいと存ずる。淡路守殿はここ本陣にって、金剛寺に睨みを効かせていただきたい」

「うむ、河内守殿(正儀)、あい判った。ここはそれがしに任せよ」

 氏春に後を託した正儀は、急ぎ金剛寺近くに布陣する自らの陣営に戻り、戦支度を整えた。


 帝(長慶天皇)の行幸ぎょうこうは和泉守、和田正武らに警護されて、賀名生あのうに向かうために紀見きみ峠に向かっていた。どっぷりと夜が更けた中では、兵たちが手にする松明たいまつあかりのみが頼りである。

 慣れない馬に跨った帝や東宮とうぐう熙成ひろなり親王)をほうじた一行は、思ったように前に進まない。正武は幕府軍に追い付かれるのではないかと気が気でなかった。

 だが、その不安が的中する。はるか後方ではあったが、馬のいななきが空気を震わせた。一軍が行幸ぎょうこうを追って迫ってくる。距離はじりじりと詰められていた。

 行幸ぎょうこうの後尾を固める正武に緊張が走る。振り返って、その一軍を凝視した。暗闇の中に二百を越える松明たいまつが目に留まる。

「もしや、三郎殿(正儀)の軍勢か。本気で御上おかみ行幸ぎょうこうに刃を向けるつもりなのか……」

 正武は苦渋の表情で呟いた。そして、追手を迎え撃つことを決意する。

 帝や東宮とうぐうの行列を先に進ませた和田軍は進軍を停止する。兵たちは、ただちに荷物を下ろし、弓矢を構えた。

「合図があるまで射ってはならん。敵を引き付けてからじゃ。よいな」

 正武に代わって、息子の判官代はんがんだい、正頼が兵に命じた。

 追手の松明たいまつが目前に迫る。和田の兵たちは、これ以上ないくらいに、弓のつるを引いた。

「待て待て。皆の者、射ってはならん」

 突如、正武が声をあげた。

 追手の中から松明たいまつを持った一人の男が、和田軍に向けて駆け寄ってくる。

「我らは、東条の楠木党にござる。帝の行幸ぎょうこうを、護衛せんと、一党を上げて、馳せ参じ申した」

 張りのある大声は聞き覚えがあった。楠木の重臣、神宮寺じんぐうじ正廣である。追手と思った軍勢は、楠木正澄・正勝が率いる援軍であった。

 正武は気負いを払って、ふう、と大きく息を吐いた。和田の兵らにも安堵の表情が浮かんだ。


 正儀の楠木軍は、いまだ天野山にあった。細川・赤松からも騎馬を借り受けて、帝(長慶天皇)と東宮とうぐう熙成ひろなり親王)の跡を追おうとしていたところである。

 すぐに十数騎だけで駆け出すことは可能であった。だが、行幸ぎょうこうに追い付いたとしても、東宮とうぐうを取り戻す算段がつかない。正儀は焦りながらも、和田軍を圧倒する騎馬を集め、南朝公卿くぎょうを威圧して東宮とうぐうの保護と三種の神器を確保しようとしていた。

 幕府軍が接収した金剛寺は、周囲に配した篝火かがりびによって、明々と照らされていた。幕府軍は総勢およそ五千。金剛寺の最も近くに布陣する正儀の楠木軍は五百である。

 南大門の外は、たくさんの馬のいななきで騒然としていた。篝火かがりびの脇で、河野辺正友とこの後の段取りを話し合う正儀の元に、津熊義行が駆け寄る。

「殿(正儀)、集めた騎馬は二百余。もう少し猶予をいただければ、もっと集めることもできますが」

「二百か。じゃが致し方ない。一刻をも争う。これより行幸ぎょうこうを追いかけて、東宮とうぐう様をお救い申す。じゃが、我らは戦うのではない。御上おかみ公卿くぎょうたちに、刃を向けてはならんぞ」

 正友と義行に厳しく命じ、正儀が馬のあぶみに片足を掛けたまさにその時である。

 ―― うおぉぉ ――

 南大門の先で、男たちの気勢が上がった。

「何事じゃ」

 正儀は驚き、声の上がった先を凝視した。すると暗闇の中から猶子ゆうしの篠崎正久が駆け寄ってくる。

「父上、夜襲です。山の中から現れた南軍が、矢を放って攻め込んで参りました」

「な、何じゃと」

 さすがの正儀も、南軍が山の中に兵を残しているとは考えてもいなかった。突然の奇襲に陣中は騒然となる。

 楠木軍は細川・赤松の騎馬兵たちと一緒に、南軍を迎え撃った。しかし、危うくなると山中に身を隠し、神出鬼没の戦を仕掛ける敵に手を焼く。行幸ぎょうこうを追い掛けようとしていた正儀は、焦りの色を濃くしていった。


 日暮れから数刻が経った。楠木軍は、細川氏春の本営からも加勢を受けて、徐々に南軍を追い詰める。

 正儀自身は河野辺正友とともに、南大門の内側に下がり、全軍の指揮をとった。しかし、気掛かりは、目の前の南軍より、離れつつある行幸ぎょうこうであった。

 菱江忠元が南大門に駆け込む。正儀は、篝火かがりびに照らされた顔を忠元に向ける。

「南軍の様子はどうじゃ」

「敵はおよそ二百。山の中から巧妙に戦を仕掛けておりましたが、動きが止まりました。そろそろ矢も尽きたころかと」

「そうか……されど、いったい南軍の誰が……」

「討ち取った者の中に、見知った貴志きしの郎党がおりました」

 忠元の言葉に正儀は表情を曇らせる。

貴志きし……紀伊の者か……まさかな」

 脳裏に一人の男の顔が浮かんだ。


 疑問は直後に解消する。矢が尽きた南軍の兵たちは山を降りて、槍や薙刀なぎなたを手にして楠木軍に挑んできたのである。南大門にも二十名ばかりの一隊が雪崩れ込み、正儀らに白刃を向けた。

 その一隊の中から兵をき分けて、一人の男が姿を見せる。赤いおどしひもよろいに二つくわの兜。まるで源平合戦を思わせる出立ちである。

「楠木正儀、御上おかみ(長慶天皇)の後は追わさせぬぞ」

 薙刀なぎなたを構えて正儀の前に現れたのは、南朝の内大臣、四条隆俊、その人であった。隆俊自らが天野山に残り、紀伊の郷士ら二百余からなる特攻隊を率い、正儀の動きを封じるために攻め込んだのである。すでに南大門の外では、双方の兵が激しく刃を交えていた。南軍は、討死覚悟の総力戦を仕掛けているようであった。

 正儀も郎党たちをき分けて隆俊の前に立つ。

東宮とうぐう様(熙成ひろなり親王)を無理にお連れされたのか」

「無理にじゃと。無理に御上おかみに譲位を迫ったやからが何を言うか」

「南の朝廷をお救いするには、これしかござらん。なぜ事実を認めようとされぬ」

「誰に向こうてものを申すか」

 正儀の言葉に、隆俊は目を吊り上げて、薙刀なぎなたを振り降ろした。

「殿、危ない」

 刀を抜こうとしない正儀に、隣から菱江忠元が抱き付くようにして押し倒した。

 ―― ざっ ――

 鈍い音した。

「や、弥太郎(忠元)、しっかりせよ」

「うっ……何、浅傷あさででござる」

 忠元は傷の痛みにこらえ、笑顔を見せた。

 これを発端に、双方の武者が槍と薙刀なぎなたを交えた。正儀は猶子ゆうしの津田正信に言って忠元を奥に運ばせるとともに、自らも槍を持って紀伊の武士と戦った。

 一方の隆俊も、とても公家とは思えぬ武者振りで、自ら薙刀なぎなたを振って、楠木の兵を切り倒していく。

「内大臣様、危ない」

 隆俊配下の公家侍が、間一髪のところで、斬り掛かった楠木の兵を斬り倒した。だがその公家侍も、直後に長槍で喉を突かれて絶命する。隆俊は倒れた公家侍に目もくれず、正儀に迫った。隆俊は京の蒼白い顔をした公家とは違う。幾度も戦場いくさばに立った南軍の総大将であり、胆も座っていた。

 しかし、数に勝る楠木軍は、ぞくぞくと南大門に兵を集め、正儀の前に二重三重の壁を作った。


 それから半刻が過ぎた頃、やっと戦は鎮静化する。

 肩で大きく息をしながら、正儀はあたりを見回した。南大門の奥には、しゃがみ込む猶子ゆうし、津田正信の姿があった。そして、その足元には、菱江忠元が掌を組んで仰向けに横たわり目を閉じていた。驚いて正儀が駆け寄る。

「弥太郎(忠元)、しっかりせよ。目を覚ますのじゃ」

 正儀は、ぴくりとも動かない菱江忠元を揺さぶった。正信は正儀に向け、ゆっくりと首を横に振る。

「血を止めることができず……無念でございます」

 正信の言葉に正儀は悔しそうな表情を浮かべ、立ち上がってあたりを見渡す。そして、ある男を探して陣中を歩く。南大門の外にその男は倒れていた。

「四条様……」

 そこには薙刀なぎなたを構えたまま、無数の刀傷を負って息絶えた内大臣、四条隆俊がいた。

 隆俊に手を合わせた正儀は、その場にあぐらを組む。

「そうまでして……自分のいのちしてまで、南北合一は嫌じゃと申されるか……」

 正儀は言いようのない、悲しみに襲われる。

「……されど、きっと和睦を実現してみせる。あの世で見ておられるがよい」

 そう言うと正儀は立ち上がった。そして、その場に居た郎党に、むくろを丁重に葬るように言い渡した。

 結局、南軍は隆俊をはじめ七十余人が、一方、楠木党をはじめとする幕府軍は四十余人が討死をするという壮絶な結果だけが残った。


 翌日、帝(長慶天皇)は、楠木正澄・正勝、和田正武らに守られて、賀名生あのうに入る。

 ひとまず行宮あんぐうに入ったものの、収まりがつかないのは、和田正武にむりやり連れて来られた熙成ひろなり親王と、大納言の阿野実為さねためら和睦派の公卿くぎょうたちであった。

 和田正武は行宮あんぐうの庭先で、熙成ひろなり親王の元に駆け寄り、その場に平伏する。

「急遽、東宮とうぐう様(熙成ひろなり親王)をお連れすることになり、たいへん申し訳なく存じます。ここ賀名生あのうであれば、敵の追撃もおよびませぬ。どうか、ご安堵召されませ」

 熙成ひろなり親王の隣に控えた武者姿の実為さねためが激怒する。

「そなた、このような事をして、ただで済むと思うておるのではなかろうな」

 その怒りに正武は顔を上げられない。

「申し訳ございませぬ。ただ、それがしは四条卿(隆俊)より、帝(長慶天皇)と東宮とうぐう様を安全な場所までお逃がしするように申しつかった次第です。あのまま金剛寺に留まっておれば、戦に巻き込まれたのは必至でございます」

 実為さねため怪訝けげんな顔をする。

「何が戦じゃ。幕府とは話が付いていたのじゃ。そもそも四条卿はどうしたのじゃ」

「内大臣様(隆俊)は敵の総大将と正儀めの首を狙い、敵に夜襲をかける手筈でした。結果はそれがしもわかりかねます」

「たわけた事を……」

 吐き捨てるように実為さねためは呟いた。


 天野山の戦の結果は、その日のうちに実為さねためらの元に届く。阿野実為さねためは関白、二条教基のりもとと伴に、行宮あんぐうに入った帝の元に参上した。

 教基のりもとが、上座の帝を前にかしこまる。

「四条卿は、昨夜、我らにはかる事なく、二百人からなる軍勢を率いて敵陣に夜討ちをかけました。ですが、敢なく討死したよしにございます」

「何、討死じゃと……」

 帝は目を剥いて絶句した。

「四条卿の勝手な振るまいによって幕府は厳しい対応を見せるでしょう。すぐに幕府方に手違いを詫びる勅使ちょくしを送ろうと存じます。ですが、謀られた幕府は兵を引き上げることはないでしょう。恐れながら、こうなってしまえば、一刻も早く東宮とうぐう様が践祚せんそし、幕府との信頼を回復させることが肝要です」

 実為さねためは、言いにくいことを遠慮なく言い放った。

 度重なる畿内や九州における南軍の敗北と、頼りにする隆俊の討死は、帝の気力を奪っていた。

「そなたたちでよきに計らうがよかろう」

 繰り言のひとつも口にすることなく、帝は奥へと下がっていった。


 一方、帝(長慶天皇)が動座した天野山金剛寺には、熙成ひろなり親王の母、嘉喜門院かきもんいん(阿野勝子)を始めとする南朝の女房衆や公家衆が取り残されていた。幕府軍の総大将、細川氏春は、正儀の意を汲んで、兵たちの乱暴狼藉を厳しく禁じた。

 しばらくは、寺を占領する幕府の武士たちと、南朝の女房衆・公家衆が共存することとなる。この事態に金剛寺では両者の顔を立て、南北両朝の元号を併用する。


 天野山を細川氏春に任せて、正儀は赤坂の楠木館に入る。そこには南朝と行動をともにする楠木党の姿はなかった。

 舎弟の楠木正澄と嫡男、楠木正勝は手勢を率い、帝(長慶天皇)を護衛して賀名生あのうにいる。そもそも、天野山金剛寺を幕府軍に占領されたことで、早々に赤坂城や龍泉寺城を放棄して難攻不落の千早城に籠り、幕府方の侵攻に備えていた。もちろん、徳子や如意丸、式子のりこらも避難したあとであった。

 久し振りに楠木館へ入った正儀は、感慨深げに中を見て回る。急いだためか、大きな荷物はそのままに、楠木館を立ち去っていた。

 かつて自らが使用していた寝所に入ると、正儀宛の書状が目に留まった。手にとって目を落とす。懐かしいその文字は徳子のものであった。そこには、楠木が二つに割れていようと、帝の忠臣であることには代わりないと、正儀の立場を気遣う徳子の気持ちが綴られている。正儀はその書状を、いとおしそうにふところにしまった。


 一方、正儀の子、三虎丸みとらまるを産んだたつは、いまだ摂津国せっつのくに正覚寺しょうかくじ村の、父、交野かたの秀則の館に暮らしていた。たつら家族が迎える広間に、小具足こぐそく姿の秀則がどがっと腰を下ろす。

「楠木の殿(正儀)が、東条の楠木館に入られた。いよいよ、河内国も名実ともに楠木の殿(正儀)が治めるところとなったぞ……」

 天野攻めから戻った秀則が興奮気味に話す。

「……赤坂城はもぬけの殻。すでに南方みなみかたの楠木党は逃げた跡であった。御嫡男や奥方様もじゃ。これで、たつが楠木館に入れば、お前が奥方様と呼ばれるようになろう。そして、この三虎丸みとらまるが次の守護となるのじゃ」

 そう言って、たつが抱く三虎丸みとらまるに視線を落とした。秀則は、たつが河内・和泉・摂津住吉郡を治める大名の奥方となり、自身が外戚として栄達することを夢見ていた。やっとそのときがやってきたのである。

 しかし、たつは首を横に振る。

「父上、たつは殿様(正儀)の邪魔はしたくありませぬ。このまま、正覚寺しょうかくじ村で暮らす覚悟でございます。時折、殿様(正儀)がここへ通って来られれば、たつは満足です」

 これに、秀則は目を白黒させる。

「な、何を言う。お前は楠木館で奥方となるのじゃ。そして三虎丸みとらまるを楠木の跡目とするのじゃ」

「いえ、二つに別れようが、楠木の奥方様は伊賀局様(徳子)で、御嫡男は小太郎正勝様でございます。たつはその座を奪おうなどとは、微塵も考えておりませぬ」

 たつの言葉を聞き、秀則は顔を真っ赤にして翻意をうながすが、たつの考えは変わる事はなかった。


 数日後、正儀の姿は、河内と和泉の国境くにざかいにある平尾ひらお城にあった。瓜破うりわり城から南へ二里ばかりのところである。幕府方となった正儀は、始め北の榎並城に入り、続いて瓜破うりわり城へと南下し、この度、さらに南の平尾ひらお城に進んだ。天野あまの行宮あんぐうから帝(長慶天皇)が動座したことで、新たにこの城を拠点に、勢力範囲を南に広げるためであった。

 楠木正勝が撤退した赤坂の楠木館に、いったん入った正儀であったが、ここを手中に収めることはしなかった。妻子を気遣ってということもあるが、東条を拠点とするには、時期尚早と判断したためである。

 平尾城はかつて、正儀の父、楠木正成が造った南北に長い砦で、北を枕にした涅槃ねはんぶつになぞり、涅槃ねはん城とも呼ばれていた。正儀はここに人足にんそくと大工を集め、城塞を造ろうとしていた。

 その平尾城に、早馬が駆け込んだ。

 本丸(主郭)で縄張を指図していた正儀の元に、河野辺正友が歩み寄り、使いから託された書状を差し出す。

「殿(正儀)、管領かんれい殿(細川頼之)からの早馬でございます。京極入道殿(道誉)が身罷みまかられたとのことです」

 正儀は、書状に急ぎ目を通し終えると、ゆっくり顔を上げる。

「先日の八月二十七日、帝(長慶天皇)が天野山の行宮あんぐうを出られた十日後のことであったようじゃ。死に際しては、香を焚いて、部屋に立花を飾り、お気に入りの書や絵をかけた華やかなものであったらしい。まことに最後まで婆娑羅ばさらであったそうじゃ」

 神妙な顔で正友も頷く。

「まこと、さすがは入道殿(道誉)でございますな」

 道誉は正儀と気脈を通じた幕府方の数少ない武将の一人であった。自分にはない魅力を道誉に感じていた。正儀は一人手を合わせて、静かに冥福を祈った。


 その頃、賀名生あのう行宮あんぐうでは、大納言の阿野実為さねためが中心になって、帝(長慶天皇)の退位と熙成ひろなり親王の受禅践祚じゅぜんせんその儀を執り行おうと支度したくを行っていた。受禅践祚じゅぜんせんその儀は、新帝の即位の礼に先立って、帝から三種の神器を受け継ぐ儀式である。実為さねためは、帝の気が変わらぬうちにと急いだ。

 そこに、実為さねための予想に反して、伊勢で幕府軍と戦っていたはずの右大臣、北畠顕能あきよしが兵を引き連れて賀名生あのうに入った。天野山の戦いからおよそ一月ひとつき後の九月八日のことである。

 内大臣の四条隆俊が天野山で討死したことは、直後に顕能あきよしの耳にも入っていた。顕能あきよしは甥である帝のことが気が気でなかったが、土岐頼康や、再び幕府に帰参した仁木にっき義長との戦に釘付けにされて、動けないでいた。

 しかし、賀名生あのう践祚せんその儀が行われるとの噂を聞き、急遽、嫡男の北畠顕泰あきやすに家督を譲る決心をする。そして、戦の指揮を顕泰に託すと、自らは帝を支えるために、駆け付けたのであった。

 その顕能あきよし賀名生あのうに入ると、まずは帝の御殿に兵を配して、他の公卿くぎょうらが近づけないようにする。そして、行宮あんぐうに置かれた三種の神器を力で押えてしまった。

 不意を突かれた実為さねためは、六条時熙ときひろを伴い、急ぎ行宮あんぐうに向かった。そして、北畠の兵を押し退けて内裏だいりに入る。

「そ、そなた……」

 顕能あきよしの傍らには、中納言の葉室はむろ光資はるすけの姿があった。顕能あきよしを神器のある場所へと手引きしたのは、この光資はるすけである。

 ばつが悪そうに目を逸らす光資はるすけを睨みつけるようにして、実為さねため顕能あきよしの前に座る。そして、頭も下げずに切り出す。

右府うふ様(右大臣)、これはいったい……」

「これは阿野卿。仔細は、葉室はむろ卿から聞きましたぞ。麿がおらぬ間にずいぶんと勝手な真似をしてくれたものよ」

 顕能あきよし実為さねための顔を見るなり、目を吊り上げた。

「何を仰せです。譲位は御上おかみの御意志です。後は、受禅践祚じゅぜんせんその儀を執り行うばかりです。三種の神器を持っていかれたとか。これは只事ではありませぬ。ただちにお返しいただきたい」

御上おかみを騙して三種の神器を取り上げようとしたのはそなたたちではないか。これは御上おかみに御返しいただく」

 実為さねためらは反論するが、顕能あきよしの武装した兵の前では、どうすることもできなかった。

 楠木正澄・正勝が率いる楠木軍が、いまだ賀名生あのうを守備していれば、北畠の兵たちとて勝手な真似はできなかったであろう。だが、すでに楠木軍は千早城に兵を引き上げた後であった。

 実為さねためら和睦派と顕能あきよしら強硬派の対立は、目に見える形で決定的となってしまった。


 年が明け、文中三年(一三七四年)一月二十九日、北朝の後光厳ごこうごん上皇が、若くして疱瘡ほうそう(天然痘)のため崩御ほうぎょする。

 数奇な運命の帝であった。正平しょうへい一統いっとうで南軍が京を占領することがなければ……正儀が四主上しゅじょう崇光すこう上皇、光厳こうごん上皇、光明こうみょう上皇、直仁なおひと親王)を東条に連れ去ることがなければ……僧侶としての生涯を送るはずであった。

 京に攻め入った正儀ら南軍から逃れるため、幕府の細川清氏に背負われて山越えをした事もあった。南朝に転じたその清氏によって、京を追われたこともある。南軍との戦では、実に三度も都落ちを経験した。南北朝の動乱に翻弄ほんろうされた三十七年の生涯であった。

 上皇は、すでに三年前には、第二皇子の緒仁おひと親王に譲位し、親王は新帝(後円融ごえんゆう天皇)として即位していた。新帝は、しくも征夷大将軍、足利義満と同じ歳である。それだけではない。母親同士が姉妹であった。つまり、帝と将軍は、同じ歳の従兄弟でもある。北朝の新帝もまた、不思議な天命をもった帝であった。


 天野あまのを追われた南朝と、新たな帝を頂いた北朝。まさに、ひとつの時代が終わり、新たな時代が始まろうとしていた。

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