第36話 天野行宮
文中元年(一三七二年)秋。この日の南摂津は小気味よい青い空が広がっていた。
館の縁側に腰を掛けた秀則が、小刻みにひざを叩きながら、何度も奥の間を振り返っていた。側室にせんと、
気づいた秀則が、立ち上がって深く頭を下げた。一方、正儀は、そのままにと言わんばかりに、手を前に差し出す。
「御父上殿(秀則)、まだ産まれませぬか」
「初産ですので、手間取っておるようです」
「そうですか……」
手伝いの女が、正儀の元に駆け寄る。
「玉のような
「祝着じゃ」
正儀より先に、隣の秀則が答えた。
落ち着いてから、正儀は奥の間に入り、赤子に対面する。
「男であったな。御苦労であった」
穏やかな表情を浮かべ、
「殿様(正儀)、私は
「ほう、それはなぜじゃ」
「夢を見たのです。三頭の虎が現れ、私を取り囲んだのです。されど、お腹の子が追い払ってくれました。きっと頼もしき、
「三頭の虎であるか。わしも幼名は虎夜刃丸というた……そうじゃ、この子の名は
「虎夜刃丸様が三人分でございますね。頼もしきことにございます」
年が明けて、文中二年(一三七三年)正月、正儀は、幕府
頼之は正儀がくると、決まって上座から降りて、正儀と向かい合って座った。対当な関係と意識してのことである。
「
「在地の豪族でも
冷静に現状を分析した。
「
頼之には、強硬派の
「帝(長慶天皇)御自身が和睦を拒んでおられます。帝の叔父は強硬な北畠右大臣(
前年十一月、
「昨年三月には、
残念そうに正儀は答えた。
「きりがないな……河内守殿、我らに対する風当たりもだいぶ厳しくなっております。
正儀は頷く。頼之が言わんとすることはわかっていた。一昨年の南軍の
基国はこれを恨んで、将軍、足利義満に、頼之の
「河内守殿、いつまでも今の状況を続けるわけには参らん。何かお知恵はござらんか」
頼之の問いかけに、正儀は厳しい表情で口を開く。
「弟君であらせられる
「されど、
「
これまでは、畿内と異なり九州の地は南朝が優位で、
しかし、
「昨年八月、
「南の帝に、和睦のお気持ちが芽生えているとしても、不思議ではないということか」
頼之の言葉に、正儀は頷きつつ言葉を繋ぐ。
「されど、面子もございます」
「なるほど、南帝は意地でも和睦を認めないであろうが、譲位であれば可能性があると」
「左様、きっかけさえあれば、御譲位を御英断されるやも知れませぬ」
「ならば、強引ではあるが、大軍を天野に送り、譲位を御決断いただこう。河内守殿にとっては心苦しいことと存ずるが、いかがか」
辛い立場である。苦悶の表情を浮かべながらも、正儀はゆっくりと頷く。
「承知しました。されど、大軍を差し向けた後、
正儀は、自らの力で決着をつける決心をした。
三月二十八日、淡路守護の細川氏春が、大軍を率いて尼崎に上陸する。将軍、足利義満が、南軍討伐の総大将に任命したためである。
頼之と氏春、そして、南軍に降って討死した細川清氏のそれぞれの父は兄弟であった。氏春は清氏に似て豪胆な性格であり、頼之よりも清氏と気が合った。
頼之が前将軍、足利
氏春は、淡路に戻り、討死覚悟で徹底抗戦するつもりであった。だが、頼之はその豪胆な性格を惜しみ、説得して幕府に帰参させる。
その後、頼之が
その氏春は、摂津で赤松
一方、正儀は
しかし、南軍諸将への働きかけは、すぐに天野
南朝対策のために、正儀は河野辺正友を伴って、観心寺に
「正儀殿、久しいな」
さすがに幕府に降った正儀のことを河内守と呼ぶことはないが、
「大納言様、ご無沙汰を致しております。
「さすがにこの大軍には麿も驚いたが……そなたには考えがあるのであろう。聞こう」
「今こそ、
目を輝かせた
「うむ、この時を待っておったぞ。正儀殿、詳しく話を聞かせてくれ」
正儀の考えは、幕府軍の兵力を背景に、帝に
ただし、実現させるためには、南軍の諸将を公家大将の四条隆俊から遠ざけ、強硬派を裸にする必要があった。そこで正儀は、南軍の有力武将に幕府帰参を呼びかける書状を送っていた。しかし、諸将からの返事はいまだない状況である。
「つきましては、
正儀は頭を下げて頼んだ。
しかし、
「正儀殿、それはできませぬ。
「左様でございますか……
数日後、正儀は津熊義行を伴い、和泉国大鳥郡に出向く。そこで二人は、
正儀が馬上を見上げる。
「助氏殿、久しぶりじゃな」
そこには
声の主が正儀だと気がついた助氏は、馬上で呆然と
「殿、こちらは何方でございますか」
「……あ、ああ……昔の知り合いじゃ。お前たちは先に帰っておるがよい」
馬を降りた助氏が供廻りの者たちを先に帰すと、正儀も義行に目配せして、その場を立ち退かせた。
美木多助氏が
「三郎殿(正儀)、わざわざ、何しに来たのじゃ」
「書状の返事をもらいに来た」
そう言って、正儀も助氏の隣に座った。助氏は正儀を一瞥してから遠くに目をやる。
「何を今更。返事がないことが返事じゃ」
「では、もう一つ。なぜ、わしから逃げようする。わしが幕府に降った時、助氏殿はわしを避けるかのように
「……」
正儀の問いかけに、助氏は無言で険しい表情を浮かべた。
「助氏殿、わしは天野山の帝(長慶天皇)に和睦を考えていただきたいだけじゃ。幕府に降ろうと、わしの望みは昔も今も君臣和睦。南北合一じゃぞ」
「三郎殿(正儀)、そなたの思いくらいわかっておる」
「では、兄者(楠木
「聞いてどうする。聞いたところでお主の気は晴れぬぞ」
「それでも構わん」
そう言って正儀は、助氏の
「美木多と楠木は、亡き正氏殿を介しての遠縁……わしは血縁がないとはいえ、身内のつもりで太郎殿(
「……それはいったい……」
助氏は正儀の疑問を察するかのように話を続ける。
「わしの祖父、助家は楠木にも幕府にも通じておった。
「そ、それは、本当か」
「わしも後で知った。この件は、北畠卿(親房)より太郎殿(
正儀は複雑な心中であった。
「助家だけではない。叔父の助秀もじゃ。助家亡き後は助秀が幕府に南軍の動きを知らせておった。畠山合戦の前、将軍家の執事であった細川清氏が密使をわしの元によこした。味方をせねば、これまでの美木多の所業を楠木にばらすと」
「それで、仕方なく、幕府に付いたと」
まだ続きがあると言わんばかりに、助氏は首を横に振る。
「我が父、助康を知っておるか」
「いや……
「殺されたのじゃ。そなたの兄、楠木
「まさか……」
助氏の口から出た兄の名に、正儀は呆然とする。
「三郎殿は本当に何も知らぬのじゃな……無理もない。わしとて騙されていたのじゃ。細川の密使に会った後、叔父の助秀に問いただした」
「……なぜ我が兄が、助康殿の
仁義に厚く、優しい兄が、そのようなことをするとは信じられなかった。血相を変える正儀を前に、助氏は淡々と話しを続ける。
助氏の祖父、助家は幕府にも南朝にも通じ、両者の間を巧みに
助氏が不在の時であった。時の
そして、助康が亡くなった後は助氏が美木多の当主となり、祖父、助家が後見となって、再び美木多の実権を握った。
「つまり、わしにとっては、祖父の助家も、そなたの兄、太郎殿(
「まさか、そんなことが……」
にわかには信じられないことであった。また、真偽も不明であった。しかし、北畠親房の
「わしは不忠を働いたという父、助康に代わり、罪滅ぼしとも思い、
「助氏殿……」
口を開いた正儀を、助氏が制する。
「正直に申そう、恐れていたのじゃ。美木多の裏切りが三郎殿(正儀)の知るところとなれば、わしも父と同様に誅殺されるのではないかと。いつかは露見する……この不安から抜け出すために楠木を離れた。はじめから三郎殿が敵であれば、不安もなくなるであろうと……」
正儀は言葉が出なかった。
助氏は腰を上げて尻を払う。
「そういうことじゃ。だから、そなたの味方はできん」
背を向けた助氏に、正儀がやっと口を開く。
「じゃが、本心は裏切りたくはなかった……違うか。わしは誅殺などせぬ。強硬な
しかし、振り返りもせず、助氏は馬留に歩いた。
「幕府に帰参できぬのなら、わしの願いはただひとつ。四条(隆俊)
助氏は正儀の言葉を無視するように馬に跨り、駆けていった。
「殿、太郎殿(橋本
「うむ、ご苦労であった。それでいかがであった」
「それが……太郎殿は帝(長慶天皇)をお守りするとの固い決意でした。四条(隆俊)
「そうか……」
正儀は額に手を当てた。このままでは、美木多助氏も橋本
「ただ、太郎殿は、殿(正儀)のお考えはわかっております。殿が本気で帝に刃を向けるなどと他愛もない噂話を信用しているわけでもありませぬ。されど、それでも、頑として首を縦に振ろうとなされませぬ」
「
帝(長慶天皇)への忠節は、正儀の想像以上であった。
東条の楠木館では、楠木正澄が楠木正勝・楠木正近ら一族と、恩地満信らの家臣を集めて軍議を開いていた。正勝の後見役として、とともに上座に座った正澄が一同を見渡す。
「兄者(正儀)から書状が来ておる。四条内大臣(隆俊)から
そう言って、開いた書状を正勝の前に置いた。正勝は書状を手に取って目を落す。
「父上(正儀)は、力で四条卿らの強硬派を屈服させ、一気に和睦を進めるつもりのようですが、はたして、望み通りにことが進みましょうや」
「そうじゃな。我ら楠木が兵を出さなくとも、和泉守(和田正武)や太郎(橋本
正近が頷きながら、正澄に目をやる。
「……それで、四郎殿(正澄)の考えはどうなのじゃ」
従兄弟の正近に問われた正澄は、腕を組んで考える。
「皆も承知の通り、我らは帝を御護りし、京に御返しするためにこちらに残った。兄者は兄者、我らは我らでやることがある。帝(長慶天皇)に危害がおよぼされるような事は断じてならん。そのようなことがあれば、たとえ兄者であろうが戦うのみじゃ」
日頃から、正儀を
「されど、和睦が成るのであればこれに越したことはない」
「叔父上(正澄)、それがしは父上(正儀)と戦う事を
正勝は勇ましく胸のうちを披露した。
「小太郎(正勝)、そなたの覚悟のほどは判ったが、これには楠木の存続が懸かっておる」
慎重な態度を崩さない正澄に、正近も頷く。
「そうじゃな。まさか三郎兄者が本気で帝に刃を向けることもあるまい。そこは損得合わせて議論すべきであろう」
「もし、兄者の求めに応じて諸将が兵を出すのをためらえば、いかに四条卿とて、強硬な態度は貫けぬであろう。先般の摂津攻めで痛手を
皆が正澄の話にじっと耳を傾ける。
「……河内・和泉の守護である太郎(橋本
正澄は兄、正儀が必ず和睦を成し遂げてくれると信じていた。
結局、
天野山金剛寺の
中納言の
これに、関白の二条
「幕府は、こうして和を乞うてきておる。皆の意見を聞きたい」
すると、内大臣の四条隆俊が口火を切る。
「和睦の条件は、以前の折から何一つ変わっておりませぬ。今更、この和睦を呑むのであれば、この四年間はいったい何であったのか。何も変わっていない和睦の内容を今更検討する余地はありませぬ」
相変わらず、取りつく島がないといったふうである。
大納言の阿野
「四条様、我が方がこれほどまでに劣勢になった後の和睦ですぞ。同じ条件で和睦を求めてくること自体、奇跡じゃと思わぬのですか。この先、条件は悪くなるばかりでございます。のう、
そう言って、
「阿野卿の言われる通りよ」
「ほんにのう」
以前とは様変わりして、和睦を望む
「和泉守(和田正武)や紀伊の湯浅はもとより、
確かに総動員できれば、幕府軍とて
結局、この日の朝議は、幕府との和睦交渉を継続すること。それと、南軍の諸将から出陣に向けての確約を取ることのみが決まった。
鍵を握る橋本
その昔、橋本本家の橋本正高が
この雨山土丸城を、南朝に転じた美木多助氏が訪ねていた。
広間で
「備前守殿(助氏)、これは珍しい。いかがされた」
「どうかされたか」
その表情に
「い、いや、父上に……
「最近、周りの者からも言われまする。父上は、そんなにそれがしの顔と似ておったのですか」
興味深そうにたずねる
父の顔を知らないのは無理もなかった。
「して、今日は……」
「うむ、言いにくいことじゃが……楠木三郎殿(正儀)がそれがしの前に現れた。しきりに幕府に帰参するように求めて参った。断ると、ならば、幕府と
「それがしのところにも、聞世殿(服部成次)を介して、誘いがあり申した。まったく同じです」
「して、返事は」
「無論、断りました」
助氏は、ふうと短く息を吐いた。
「いや、安堵した。三郎殿は南軍の諸将に誘いをかけておる。どれだけの者が幕府に降るのか。また、幕府に降らぬまでも、様子見の武将が多いようだと、わしも無駄死にをせぬよう考えねばならん」
「それで、それがしがどうするのか、助氏殿は確認に訪れたということですか」
「左様。そなたは河内・和泉の守護であるとともに、楠木正成公の
「左様でございますか」
「無論じゃ。そなたが幕府に付けば、朝廷(南朝)は和睦しか道が残されぬ。いずれ三郎殿が、直接、そなたの前に現れて、説得することであろう」
「もし、それがしが幕府に降ったら、助氏殿はいかがされます。後を追って、幕府に帰参されますか」
助氏は返事を
「わしは……きっと
「なぜ、助氏殿は、叔父上(正儀)が幕府に降った時に、わざわざ、
「三郎殿がわしの前に現れたのは、幕府帰参の誘いの他に、もうひとつの理由があった。わしがなぜ幕府に降ったのか。そして、三郎殿が幕府に降ったときに、なぜ、わしが入れ替わるように
「それがしも、ぜひ
真っすぐ、
「それは……長年、わしの喉に突き刺さった魚の骨のようなものであった」
そう言って、
「何か事情があったようですな。それを叔父上に話されたということですか」
「そうじゃ」
「で、魚の骨は取れたのですか」
「いや、魚の骨を取るにはもう一人、話さなければならん。そう、決意して今日はここへ参ったのじゃ」
意外な発言に、逆に
「それは、それがしということですか」
問いかけに助氏がゆっくりと頷く。そして、正儀に吐露した話を繰り返した。
沈黙が広間を包む。
確認するべき
「助氏殿にとって楠木は
やっと
「すまぬ。今更、昔のことを」
「今でも、楠木を恨んでいると……」
助氏が首を横に振る。
「三郎殿も知らなかったことじゃ。今や恨む相手も
「助家殿の裏切りがなければ、それがしが母と別れることもなく、母は楠木を出される事もなく、もしかすると父も死なずに済んだかもしれない……そう言われるのですか」
沈黙に耐えかねた
「顔を上げてくだされ。助氏殿も
「ああ、死を覚悟した。じゃが、
助氏は顔を上げた。
「ならば、助氏殿とて、実の祖父、助家殿に裏切られたということではありませぬか」
「我が美木多は鎌倉幕府の御家人であった。元弘の折、祖父の助家は、叔父の助秀と一緒に千早城を攻め、嫡男であった我が父、助康を
「助氏殿、申し訳ないが今日のところはこれでお帰りくだされ。いや、助氏殿を責めるつもりはござらん。ただ気持ちの区切りが付きませぬ。それがしは、母と離れ離れとされたことを、誰のせいにしてよいかわからず、身近な叔父上(正儀)を恨んで参りました。それが……」
暗い顔で
助氏は
「わしとて同じじゃ。三郎殿を恨むことしかできなかった。三郎殿にとっては辛い役回りであったであろう……」
そう言い残し、助氏は、頭を下げる良宗の前を通って広間を後にした。
幕府と南朝との間で何度目か和睦の交渉が持たれた後、天野山金剛寺の
まず、大納言の阿野
「和睦の条件は、いっこうに変わっておらぬではないか。我らを
隆俊はひざを叩いて怒鳴ってみせた。だが、和睦が進まないのは織り込み済みで、隆俊の態度は、そろそろ和睦交渉を打ち切るのが目的である。
「四条様、和睦の交渉を打ち切れば、必ずや幕府軍はこの
関白の二条
「和睦が決裂となれば、幕府は兵を進める。諸将の動向は曖昧じゃ。出口を探らねばならん。のう、阿野卿」
「
「な、何と……そのような
騒然とする
「もちろん御譲位されるかどうかは、
「こ、これは、その
鬼の形相で、隆俊は正儀の名を口にした。
「四条様、現実を見なければなりませぬ。我らは摂津で大敗し、九州では大宰府を奪われ、
「
「左様でございましょうや。多くの者たちを死地に向かわせるような事を、
「死地などと世迷い言を。和泉守(和田正武)に続き、
あくまで隆俊は強気を崩さない。しかし、
そんな
「まずは、
一同が頭を下げる中、隆俊は一人、憮然とした顔で立ち上がり、退席した。
八月に入っても、いっこうに幕府と南朝の和睦交渉は進展しなかった。正儀は総大将の細川氏春により、四天王寺の本陣に呼び出される。
「これ以上、
氏春はきっぱりと己の考えを伝えた。
正儀は迷いを振り払って、氏春に訴える。
「淡路守殿(氏春)、和睦の交渉を
「よう申された。それでは河内守殿に先鋒を申付けよう」
わざわざ先陣を願い出たのは、万が一のことを考えて、帝(長慶天皇)が窮地に
八月十日、正儀は兵五百を率いて天野山金剛寺の
正儀は進軍する一方で、聞世(服部成次)を、天野山金剛寺の大納言、阿野
その夜、聞世は難なく
「そなたは確か、楠木殿の……」
「いかにも。それがしは聞世と申します。我が殿よりの書状でございます」
聞世は襟元に忍ばせた書状を取り出し、
「何、正儀殿からじゃと」
「我が
書状を読み終えた
「正儀殿は……」
しかし、すでに聞世の姿はなかった。
一方、内大臣、四条隆俊の元には、和田和泉守正武が単騎で駆け付ける。
「四条様、大変でございます。幕府軍は悠々と北和泉を南進しております。されど、
「な、なんじゃと」
隆俊は、正武の報告を聞いて絶句した。楠木正成の
一方、天野の
一門同士の血で血を洗う戦いは、もう目前に迫っていた。正儀は、祈るような気持ちで、帝(長慶天皇)の動座を待った。
両軍の怒声が響く中、関白の二条
「
帝は朝議で譲位の話題が出たことを、
「
隆俊が帝を
「いえ、本当のことでございます。
度重なる負け戦と、南朝内部からも譲位を求める声が強くなっていることを知り、帝はすっかり弱気になっていた。
「
「お、
驚いた隆俊は 帝の前であるにも関わらず、思わず腰を浮かせ、引き留めようとするかのように、手を胸のあたりまで上げた。
しかし、構わず帝は続ける。
「よかろう、
帝は、無念さを通り越し、肩の荷を下ろしたかのような表情を浮かべていた。
わなわなと肩を震わせる隆俊を尻目に、
すぐに阿野
正儀はただちに和田軍との小競り合いを中止させ、後方の総大将、細川氏春と赤松
「これではあまりにも分が悪うございます。ここは、いったん四条様も帝(長慶天皇)と御一緒に、
「ぐっ、正儀め……」
正儀にしてやられることは、隆俊には耐えがたいことであった。眉間に
「……和泉守(正武)、耳をかせ」
隆俊は正武にとある計画を耳打ちした。
「いや、されど……四条様の
「では、おめおめと正儀の言いなりになれと言うのか。これは
「ま、まさか」
驚く正武であったが、帝の意思だと言われては、隆俊の
その日のうちに、譲位を決意した帝(長慶天皇)と強硬派
後に残るは、次なる帝となる
日が暮れてから、正儀らは手勢を率いて、
正儀は金剛寺の一坊、
「いったい何があったというのじゃ。
正儀の怒声に、公家は叱られたこどものように萎縮する。
「し、四条
「な、何じゃと」
苦悶の表情を浮かべた正儀が、
夜にも関わらず正儀は、天野山に進軍してきた総大将、細川氏春の元に馬を駆った。氏春は天野山のとある宿坊を占領して本陣にしようとしていた。正儀が細川の陣中に駆け込むと、氏春は驚き、すぐに宿坊の中に招き入れた。
「なぜ
「無理やりに連れ去られたということでありましょう。まだ遠くへは行っておらぬはず。それがしは兵を率いて跡を追いたいと存ずる。淡路守殿はここ本陣に
「うむ、河内守殿(正儀)、あい判った。ここはそれがしに任せよ」
氏春に後を託した正儀は、急ぎ金剛寺近くに布陣する自らの陣営に戻り、戦支度を整えた。
帝(長慶天皇)の
慣れない馬に跨った帝や
だが、その不安が的中する。
「もしや、三郎殿(正儀)の軍勢か。本気で
正武は苦渋の表情で呟いた。そして、追手を迎え撃つことを決意する。
帝や
「合図があるまで射ってはならん。敵を引き付けてからじゃ。よいな」
正武に代わって、息子の
追手の
「待て待て。皆の者、射ってはならん」
突如、正武が声をあげた。
追手の中から
「我らは、東条の楠木党にござる。帝の
張りのある大声は聞き覚えがあった。楠木の重臣、
正武は気負いを払って、ふう、と大きく息を吐いた。和田の兵らにも安堵の表情が浮かんだ。
正儀の楠木軍は、いまだ天野山にあった。細川・赤松からも騎馬を借り受けて、帝(長慶天皇)と
すぐに十数騎だけで駆け出すことは可能であった。だが、
幕府軍が接収した金剛寺は、周囲に配した
南大門の外は、たくさんの馬の
「殿(正儀)、集めた騎馬は二百余。もう少し猶予をいただければ、もっと集めることもできますが」
「二百か。じゃが致し方ない。一刻をも争う。これより
正友と義行に厳しく命じ、正儀が馬の
―― うおぉぉ ――
南大門の先で、男たちの気勢が上がった。
「何事じゃ」
正儀は驚き、声の上がった先を凝視した。すると暗闇の中から
「父上、夜襲です。山の中から現れた南軍が、矢を放って攻め込んで参りました」
「な、何じゃと」
さすがの正儀も、南軍が山の中に兵を残しているとは考えてもいなかった。突然の奇襲に陣中は騒然となる。
楠木軍は細川・赤松の騎馬兵たちと一緒に、南軍を迎え撃った。しかし、危うくなると山中に身を隠し、神出鬼没の戦を仕掛ける敵に手を焼く。
日暮れから数刻が経った。楠木軍は、細川氏春の本営からも加勢を受けて、徐々に南軍を追い詰める。
正儀自身は河野辺正友とともに、南大門の内側に下がり、全軍の指揮をとった。しかし、気掛かりは、目の前の南軍より、離れつつある
菱江忠元が南大門に駆け込む。正儀は、
「南軍の様子はどうじゃ」
「敵はおよそ二百。山の中から巧妙に戦を仕掛けておりましたが、動きが止まりました。そろそろ矢も尽きたころかと」
「そうか……されど、いったい南軍の誰が……」
「討ち取った者の中に、見知った
忠元の言葉に正儀は表情を曇らせる。
「
脳裏に一人の男の顔が浮かんだ。
疑問は直後に解消する。矢が尽きた南軍の兵たちは山を降りて、槍や
その一隊の中から兵を
「楠木正儀、
正儀も郎党たちを
「
「無理にじゃと。無理に
「南の朝廷をお救いするには、これしかござらん。なぜ事実を認めようとされぬ」
「誰に向こうてものを申すか」
正儀の言葉に、隆俊は目を吊り上げて、
「殿、危ない」
刀を抜こうとしない正儀に、隣から菱江忠元が抱き付くようにして押し倒した。
―― ざっ ――
鈍い音した。
「や、弥太郎(忠元)、しっかりせよ」
「うっ……何、
忠元は傷の痛みにこらえ、笑顔を見せた。
これを発端に、双方の武者が槍と
一方の隆俊も、とても公家とは思えぬ武者振りで、自ら
「内大臣様、危ない」
隆俊配下の公家侍が、間一髪のところで、斬り掛かった楠木の兵を斬り倒した。だがその公家侍も、直後に長槍で喉を突かれて絶命する。隆俊は倒れた公家侍に目もくれず、正儀に迫った。隆俊は京の蒼白い顔をした公家とは違う。幾度も
しかし、数に勝る楠木軍は、ぞくぞくと南大門に兵を集め、正儀の前に二重三重の壁を作った。
それから半刻が過ぎた頃、やっと戦は鎮静化する。
肩で大きく息をしながら、正儀はあたりを見回した。南大門の奥には、しゃがみ込む
「弥太郎(忠元)、しっかりせよ。目を覚ますのじゃ」
正儀は、ぴくりとも動かない菱江忠元を揺さぶった。正信は正儀に向け、ゆっくりと首を横に振る。
「血を止めることができず……無念でございます」
正信の言葉に正儀は悔しそうな表情を浮かべ、立ち上がってあたりを見渡す。そして、ある男を探して陣中を歩く。南大門の外にその男は倒れていた。
「四条様……」
そこには
隆俊に手を合わせた正儀は、その場にあぐらを組む。
「そうまでして……自分の
正儀は言いようのない、悲しみに襲われる。
「……されど、きっと和睦を実現してみせる。あの世で見ておられるがよい」
そう言うと正儀は立ち上がった。そして、その場に居た郎党に、
結局、南軍は隆俊をはじめ七十余人が、一方、楠木党をはじめとする幕府軍は四十余人が討死をするという壮絶な結果だけが残った。
翌日、帝(長慶天皇)は、楠木正澄・正勝、和田正武らに守られて、
ひとまず
和田正武は
「急遽、
「そなた、このような事をして、ただで済むと思うておるのではなかろうな」
その怒りに正武は顔を上げられない。
「申し訳ございませぬ。ただ、それがしは四条卿(隆俊)より、帝(長慶天皇)と
「何が戦じゃ。幕府とは話が付いていたのじゃ。そもそも四条卿はどうしたのじゃ」
「内大臣様(隆俊)は敵の総大将と正儀めの首を狙い、敵に夜襲をかける手筈でした。結果はそれがしもわかりかねます」
「たわけた事を……」
吐き捨てるように
天野山の戦の結果は、その日のうちに
「四条卿は、昨夜、我らに
「何、討死じゃと……」
帝は目を剥いて絶句した。
「四条卿の勝手な振るまいによって幕府は厳しい対応を見せるでしょう。すぐに幕府方に手違いを詫びる
度重なる畿内や九州における南軍の敗北と、頼りにする隆俊の討死は、帝の気力を奪っていた。
「そなたたちでよきに計らうがよかろう」
繰り言のひとつも口にすることなく、帝は奥へと下がっていった。
一方、帝(長慶天皇)が動座した天野山金剛寺には、
しばらくは、寺を占領する幕府の武士たちと、南朝の女房衆・公家衆が共存することとなる。この事態に金剛寺では両者の顔を立て、南北両朝の元号を併用する。
天野山を細川氏春に任せて、正儀は赤坂の楠木館に入る。そこには南朝と行動をともにする楠木党の姿はなかった。
舎弟の楠木正澄と嫡男、楠木正勝は手勢を率い、帝(長慶天皇)を護衛して
久し振りに楠木館へ入った正儀は、感慨深げに中を見て回る。急いだためか、大きな荷物はそのままに、楠木館を立ち去っていた。
かつて自らが使用していた寝所に入ると、正儀宛の書状が目に留まった。手にとって目を落とす。懐かしいその文字は徳子のものであった。そこには、楠木が二つに割れていようと、帝の忠臣であることには代わりないと、正儀の立場を気遣う徳子の気持ちが綴られている。正儀はその書状を、
一方、正儀の子、
「楠木の殿(正儀)が、東条の楠木館に入られた。いよいよ、河内国も名実ともに楠木の殿(正儀)が治めるところとなったぞ……」
天野攻めから戻った秀則が興奮気味に話す。
「……赤坂城はもぬけの殻。すでに
そう言って、
しかし、
「父上、
これに、秀則は目を白黒させる。
「な、何を言う。お前は楠木館で奥方となるのじゃ。そして
「いえ、二つに別れようが、楠木の奥方様は伊賀局様(徳子)で、御嫡男は小太郎正勝様でございます。
数日後、正儀の姿は、河内と和泉の
楠木正勝が撤退した赤坂の楠木館に、いったん入った正儀であったが、ここを手中に収めることはしなかった。妻子を気遣ってということもあるが、東条を拠点とするには、時期尚早と判断したためである。
平尾城はかつて、正儀の父、楠木正成が造った南北に長い砦で、北を枕にした
その平尾城に、早馬が駆け込んだ。
本丸(主郭)で縄張を指図していた正儀の元に、河野辺正友が歩み寄り、使いから託された書状を差し出す。
「殿(正儀)、
正儀は、書状に急ぎ目を通し終えると、ゆっくり顔を上げる。
「先日の八月二十七日、帝(長慶天皇)が天野山の
神妙な顔で正友も頷く。
「まこと、さすがは入道殿(道誉)でございますな」
道誉は正儀と気脈を通じた幕府方の数少ない武将の一人であった。自分にはない魅力を道誉に感じていた。正儀は一人手を合わせて、静かに冥福を祈った。
その頃、
そこに、
内大臣の四条隆俊が天野山で討死したことは、直後に
しかし、
その
不意を突かれた
「そ、そなた……」
ばつが悪そうに目を逸らす
「
「これは阿野卿。仔細は、
「何を仰せです。譲位は
「
楠木正澄・正勝が率いる楠木軍が、いまだ
年が明け、文中三年(一三七四年)一月二十九日、北朝の
数奇な運命の帝であった。
京に攻め入った正儀ら南軍から逃れるため、幕府の細川清氏に背負われて山越えをした事もあった。南朝に転じたその清氏によって、京を追われたこともある。南軍との戦では、実に三度も都落ちを経験した。南北朝の動乱に
上皇は、すでに三年前には、第二皇子の
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