第45話 厳島詣
元中六年(一三八九年)正月、
「足利義満が
正儀は京に
これに、
「昨年、高野山
内大臣の阿野
「
正儀が口にした
独自に関東支配を進める従弟、氏満の動きを牽制するかのように動いたのが義満であった。昨年九月十六日には駿河に入り、守護の今川
右大臣の吉田
「
「
大内義弘は、南朝と幕府の間を巧みに世渡りして
「二つ目は、
「
関白の二条
「はい。
正儀は、常久こと細川頼之の幕府
しかし、
「
「内大臣様(
「それは何じゃ」
「それは、将軍(義満)自身が力を付けたことにございます。それがしが見るところ、足利義満は、尊氏の度量と
幕府に見切りを付けた正儀が南朝に帰参したのは七年前。義満は二十五歳であった。すでに大物の片鱗を感じていたが、七年の歳月が、さらに義満を成長させたであろうことは、容易に想像できた。
「
関白の
「仰せの通りにございます。和睦は交渉すべき相手があってこそのこと。やっと、このときが参ったのでございます」
並々ならぬ期待を、正儀は寄せていた。すでに
二月、正儀は
しかし、
その
渡辺の館に着いた正儀は、
「これは、楠木殿(正儀)、わざわざのお運び、かたじけない」
「あいや、そのまま。身体の加減はいかがか」
正儀は、起き上がる
「歳をとりました。それがしはもう長くはありませぬ。されど、楠木殿に幕府に留まるようにと言われ、こうして家名を残し、生き永らえることができました。楠木殿のお陰です……」
「……楠木殿、今日、お呼び立てしたのは会ってもらいたい者がおるからです」
すぐに、その郎党が正儀たちの前に一人の男を連れてくる。
「叔父上、ご無沙汰をしております」
手をついて挨拶する男を見て、正儀は驚く。兄、楠木
「そなたがなぜ、ここにおるのか」
「御所様(足利義満)の
池田党の拠点は摂津国
渡辺惣領家を継いだ
「すでに御承知とは存じますが、御所様は
「なるほど、左様でござるか」
納得した正儀は、
「今日は西国下向に向けて池田殿(
「これは、わざわざの御配慮、痛み入り申す」
改めて
「すまぬ。そなたの兄(
「叔父上、単に叔父上が兄を見殺しにしたとは思うておりませぬ。それがしも歳をとりました。こうなったのも、双方に事情があってのことと察しております。ただその事情を知りたい。そして兄の最後は、どのようなものであったのか知りたいと思い、今日ここへ参りました」
実兄を思う
これを見て、正信が代わりに口を開く。
「十郎殿(
すると、
「叔父上、憎しみは憎しみを呼びます。楠木を
その変わりように正儀は、皆、それぞれが長い歳月を重ねていたことを了知する。
正儀が
「百隻もの大船団、
「さすがに渡辺党だけでは無理です。
「それがしも、
頷いて、
細川頼之の名が出たことに、正儀は期待を膨らませる。
「常久殿が船を出したということは、やはり将軍は四国にも渡り、常久殿にも会われるのか」
「いかにもその通りにございます。
孫の
「楠木殿(正儀)をお呼びしたのはそのことなのじゃ。この機会に、楠木党から誰かを常久殿への密使として
「渡辺殿(択)、かたじけない。それこそ我が意。こちらから、改めてお願いしたい」
敵方楠木への
「密使は、それがしの供廻りとして加えましょう。もちろん
段取りの良い
「常久殿との密約となれば、父上(正儀)に近い者が名代となったほうがよろしかろう。父上、それがしが密使となりましょう」
「いや、十郎殿(
「土丸山にございますか……
なぜ危険を冒してまで土丸山で会おうとするのか、そんな表情で
「
「兄上の……そうまでして、それがしを墓へ……」
一瞬、
「……承知しました。では明後日、
「そうか、かたじけないのう」
その日、正儀は、
翌々日、一人早く土丸山の
「兄上……」
近くにある雨山の館で、兄、
しばらくして、正儀が津田正信と和田良宗を連れて現われる。
「先に来ておったのか。待たせてすまぬな。楠木の密使として十郎殿(
正信と良宗の後ろから進み出たのは、
「それがし、楠木九郎正秀と申します。
「楠木……正秀……殿」
このとき、数えて十八歳。名代としては若過ぎる正秀に、
その疑問を正儀が振り払う。
「そなたの兄、太郎(
改めて、
「そうか、兄上の子か……それがしに、兄上の子を預けていただけるのか……叔父上(正儀)、御気遣い、痛み入ります」
「さすがに楠木正秀の名は使えぬが、甥ということで同行させればよいと思うてな」
「叔父上(正儀)、承知しました。道中は池田九郎
「承知しました。では、それがしは今より池田九郎
少し照れ臭そうに、正秀は『叔父』という言葉を口にした。
「池田様、若を
そのまま正秀は、
三月六日、百艘からなる幕府の大船団が、
将軍、足利義満が乗る船には、摂津守護の細川頼元も乗船した。池田
頼元に先導されて下船した義満は、迎えに来てきた
「弥九郎(細川頼之)、久しいのう」
「御所様(義満)、お
我が子とも思って育てた義満と再会した感激で、頼之は目を
別の船から遅れて下船した
「あれが将軍か……」
思わず、正秀の口から声が漏れた。
「九郎(正秀)、少しの気の緩みが大事に繋がる。気を引き締めよ」
「はっ。申し訳ござらん」
叔父、
その夜、摂津守護の細川頼元が、池田
「兄上(頼之)、こちらは池田
「池田
「そうか……そなたが池田
先代の将軍、足利
「そなたが楠木
「はっ。承知つかまつりました」
恐縮して
「して、その者は……」
その疑問に応えるべく、頼元が後ろで控える正秀を手で招く。
「この者は池田
「何、正儀殿じゃと……」
驚く頼之の前に、正秀が進み出て、頭を低くする。
「それがしは、楠木
そう言って、正秀は
「
「はっ。我が父は細川殿の
驚きつつも、頼之は書状に目を落とした。読み終えると、静かに書状を直して顔を上げる。
「正秀殿と申されたな。まだ若いのに大儀であった。養子とのことじゃが、正成公との血縁はあるのか」
頼之の問いに、正秀は
「いかにも。それがしは楠木太郎正綱こと橋本
「そうか、では
そう言って、頼之が腕を組む。
「……いまだ幕政は、
「では、どうなるのでございましょうや。それがし、手ぶらでは河内に戻れませぬ」
不安げな表情で、正秀は頼之の顔を
「あとは御所様のお気持ち一つ。九郎殿(正秀)、このまま同行して、その結果を見定め、正儀殿の元に帰るがよい」
「このまま同行……はっ、はい。承知しました。御配慮、ありがとうございます」
「ただし、御所様はいうにおよばず、我ら以外、そなたの素性が悟られないよう、くれぐれも御注意なされよ」
「はっ」
正秀は
翌日、細川頼之は自身の館で、将軍、足利義満のために、盛大に宴を開いた。
その席で、細川頼元が池田
「御所様、紹介したい者がおります」
そう言って、頼元は
「御所様、お初にお目にかかります。
「そうか……その
将軍、義満は、拍子抜けするほど
名を隠し、池田
(これが足利義満か……)
父、橋本
三月八日、
義満は、沖合いに停泊した船から小舟に乗り換えて上陸した。すると、桟橋まで迎えに来ていた義弘が、義満に深々と頭を下げる。
「これは、御所様(義満)。遠路遥々、足をお運びいただき、まことにありがとうございます」
「
「はっ。それがしのできる事は何なりとお命じくだされ」
慣れぬ笑顔で、義弘は平身低頭に接する。過去、南朝に
「大内殿、我らも同行させていただく。よしなに頼み申す」
摂津守護の細川頼元が声をかけた。
「これは細川
頼之らにも、終始、低姿勢で接した。
その夜、大内義弘は、将軍、足利義満一行を、
一方、池田
「その
正秀の背後から声をかけたのは、
「はっ、池田九郎と申します」
「池田といえば摂津。されど、先般から聞いておれば、その
不意に義弘から指摘された正秀は、顔を強張らせた。その様子を見て、義弘がにやりと微笑む。
「近頃は、
「あ、いえ……寝返るなど、そのような……」
「なあに、
正秀は驚きの表情を浮かべる。
「大内様も……」
「そうじゃ。よって、こうして今も頭を低くしておらねばならぬ」
「そうでありましたか……」
「それでも家名を残すためには仕方がない。頭を床に擦り付けてでも、我慢が必要じゃ。
その言葉は、明らかに正儀を指していた。
「そ、それは……」
正儀を
将軍、足利義満が、
「御所様(義満)、これより
正秀は終始、顔を伏せていた。務めて冷静を保とうとしていたが、
「その
「……
義満に声をかけられた正秀は、一言返すのがやっとであった。
「ははは、そうか。その
「い、池田九郎……
ぎこちない甥の様子に、すかさず
「我が一族の者でございます。
「そうであるか。大儀じゃ」
特に気にする様子のない義満に、正秀は安堵の表情で頭を下げた。
そんな正秀らの目前に、海の上に建つ壮大な鳥居が迫る。
舟の上から義満が、
「かの
日天とは太陽のことである。他愛もない戯れ言だが、義満からは、単に
「御所様(義満)は源氏ではありませぬか。にもかかわらず頼朝公ではなく清盛公をあがめられますか」
思わず正秀がたずねると、義満がにやりと笑う。
「源氏将軍の
決意なのか妄言なのかわからぬ言葉に、正秀は戸惑った。
将軍、足利義満の
桟橋で、池田
「わしの役目は終わった。ここに留まらねばならん。九郎(楠木正秀)と会えたことはこの上ない喜びであった。叔父上(正儀)に感謝せねばならんのう」
「それがしも叔父上(
正秀は曇りのない瞳を向けた。それが、
「お前のことは渡辺殿(
「御配慮、痛み入ります」
頭を下げる正秀の肩に、
「次に会うときは南北合一の後じゃ。されど、南北合一が成らなければ、敵として相まみえる事となろう。必ずや、合一を成し遂げ、骨肉
「承知つかまつりました」
そう言って正秀は、渡し舟に乗って、沖合の船へと向かった。
これから楠木一族に降りかかる苦難を見通すかのように、
この後、足利義満を乗せた船団は、予定通り九州へ向かおうとした。だが、風雨が強く、海は
この状況に、九州への案内役として出向いていた九州
三月二十二日、将軍、足利義満を載せた船団は、
細川館の中に入る義満と頼之・頼元兄弟を、正秀は上がり
「その
後ろから声をかけてきたのは、上洛のため、義満に随行した大内義弘であった。
「こ、これは
「池田兵庫(
なかなかの観察眼の持ち主である義弘に声をかけられ、正秀は困惑する。
「そ、それがしは、摂津から手伝いとして随行しただけで……叔父(
しどろもどろに正秀は答えた。
「何を緊張しておるのじゃ。まあ、よい。用が終わったので、摂津に戻るというのじゃな。では、河内にも戻るのか」
「か、河内でございますか」
正秀は急に顔が火照り、汗を吹いた。
「そうじゃ、そちは河内の出なのであろう。違ったか」
「あ、いえ……今は摂津に住んでおります」
「そうか。では
そう言って、義弘は館の中へと入っていった。正秀は、義弘を見送りながら、冷や汗を
翌日の夜のことである。足利義満は人払いをして細川頼之と対座する。
「常久(頼之)、今の幕府、そなたから見ていかがじゃ。
「やはり、山名でございましょうな。あまりにも大きくなり過ぎました」
遠慮のない頼之の返答に、義満は口元を緩めた。
「
「やはり、それら大名の力を
「やはり、常久(頼之)もそう考えるか」
しっかりと自らの答えを持ったうえで、頼之にたずねていた。
「
「うむ。特に山名氏清は時義が惣領を継いだ事を恨んでおった。これは使えそうじゃ」
義満は、紀伊で酒を酌み交わしたときの氏清の顔を思い浮かべた。
「御所様(義満)、土岐もまた、しかりでございます。先般、亡くなった惣領、土岐
「何、満貞を利用しようというのか……」
満貞は義満のお気に入りである。
「……確かに、満貞は兄の康行や従弟の
「
「なるほど、それはよき案じゃ。さっそく理由を付けて満貞に、尾張でもくれてやるか」
頼之の進言に、義満が顔に喜色を浮かべる。
「やはり、常久には、
「もったいなき、お言葉。なれど、
頼之の返答に義満は、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「父とも慕った常久を京から追い出すことになったのは、
「いえ、滅相もございませぬ。そのようなことは……」
「いや、よいのじゃ。
義満は頼之の手をとり、切実に上洛を
すると、頼之の瞳からは一筋の涙がつうぅと流れる。
「こうして御所様に請われる日が来ようとは……この上ない喜びでございます。それがしのような者でよければ、残り少なき人生を御所様に捧げたく存じます」
この日、頼之の京への復帰は既定路線となった。
翌日、楠木正秀は細川頼之に呼ばれた。正秀が頼之の前に座ると、書状を手渡される。
「これを、楠木正儀殿に渡してくだされ」
「これは」
書状を受け取りながら正秀は頼之にたずねた。
「御所様(足利義満)の
「そ、それはおめでとうございます。父(正儀)の願いがやっと叶うのでございますな」
頼之の幕政復帰を、正秀は素直に喜んだ。
「御所様は、わしを
なぜにと
「御所様は、わしが思っていた以上に大きくなられた。幕府
「しょ、承知致しました。お言葉、合わせて伝えます」
正秀は頭を下げて広間を下がろうとした。
「いずれにしても、今の
背中越しの問いかけに、正秀が振り返る。
「我らにその道しか残されておらぬのなら、必ずや父(正儀)は、持ちこたえて見せるでしょう」
「うむ。それと……いや……道中、気をつけてな」
「はっ、では御免」
広間を出ていく正秀を、頼之はなぜか
三月二十六日、将軍、足利義満の船団は細川
「いったい何を言わんとしたのか……」
海風に吹かれながら、正秀は独り言を呟いた。
正秀は、細川頼之の書状を正儀に手渡し、幕政復帰には少し時間を要すと考えている事を伝えた。
書状に目を通した正儀は、
「ご苦労であった。そうか、常久殿(頼之)はそう申されたか」
「父上(正儀)、細川殿はなぜ幕政復帰を急ごうとはされないのでしょう。まして、
「将軍(足利義満)が自らの
正儀の説明に正秀は、日天をも動かしてみたいと言った義満の言葉を思い出した。
書状に目を落としていた正顕が顔を上げる。
「幕政への復帰を急がないのは、今の
「うむ、今の義満には
「そういえば、細川殿はそのときがくるまで、
別れ際の頼之の顔を思い出しながら、正秀は話した。
「そうか……一年か」
険しい正儀の表情に、正秀は、差し迫った南朝の状況を思い知るのであった。
一方、幕府の中では、西国下向の折の、将軍、足利義満と細川頼之の親密ぶりが、あちらこちらで話題に上っていた。中でも敏感に反応したのは、幕府
五月、照禅は、花の御所に出仕していた
「
「そうか、予てから病に
あまり意に介す風もなく、
「はたしてそうであろうか。この頃の御所様(義満)を見ていると、そうともいえぬ。土岐の例もありますぞ」
土岐の例とは、義満が西国から京に戻った直後に、土岐一族に降りかかった一連の出来事である。
義満は、尾張国の守護を土岐の惣領、土岐康行から取り上げて、義満の近習から
新たな守護に任じられた土岐満貞は、義満に急かされるように任国の尾張に下向した。だが、
照禅は、釈然としない表情を
「確か、
「うむ、御所様のたってのご希望であった。土岐一門の不祥事は一門に片を付けさせよとな」
「御所様は土岐を
「やはり、讃岐で御所様は、常久(頼之)に入れ知恵をされたということか」
照禅の意見に、
「左様、御所様は常久を幕政に戻そうとしているということにございます。常久が幕政に戻れば、かつて四国へ追いやった我らを追い落とそうとするでありましょう。そうなる前に手を打たねば……」
何かを求めるように、照禅はじっと
「手を打つ……照禅殿は何を考えられておられるのじゃ」
「ここで、
「照禅殿の言われる
「三種の神器を取り戻されることです。先代(足利義詮)、先々代(足利尊氏)も成し得なかった事を
「されど、御所様は、このところ
「御所様が消極的なのは、やはり
「じゃが、御所様の勘気を被っては元も子もない」
近頃、めっきり威厳を備えた義満を、
照禅が詰め寄る。
「三種の神器さえ取り戻されれば、御所様は何も言われますまい」
「ううむ……」
「
決断を
「照禅殿のお考えはよくわかりました。じゃが、今は土岐のこともあります。よく考えておきましょう」
無難な言葉を返して、
数日後のことである。めっきり、
昨年の正月には、
経典を講じた
その等持寺に大方禅尼の姿がある。ちょうど、夫、足利義詮の供養塔に手を合わせ終えたところであった。
腰を上げた禅尼を、
「西国から御所様が戻られて、さぞ
「もう、
「西国で何かあった……ということでしょうか」
ざりざりと玉砂利を踏みながら、禅尼が口元を緩める。
「まあ、白々しいこと。
義満の怒りが解けるまで、
「さて、どうでありましたかな」
そう言って、
そんな
「常久殿で思い出しました。先日、管領殿(斯波
「それで、大方様は何とお答えに」
「成るようになると」
そう言って禅尼がつっと
「大方様は、常久殿の復帰が嫌ではないのですか」
「ほほほ、いろいろありましたからなぁ。されど、斯波家の後、再び細川家が管領になるというのは悪くはないと思うております」
唖然として
「ほう、それは何故に」
「義満殿の、いえ、足利のためです。管領の力が強くなり過ぎぬよう、潮時を見て代えるのが良いと思うております」
禅尼も立ち止まり、真顔で応じた。
「その為なら、いろいろあった常久殿とて、構わぬというのですか」
「ふふふ、いろいろありましたが、一本気なお方は嫌いではありませぬよ」
「ほう、初耳ですな」
驚く
「
昔、頼之の父、細川頼春は元服前の頼之を伴って、渋川
「大方様は今でも……」
「ふふ、きっと喧嘩ばかりの
幼き頃を懐かしむように、禅尼は顔を
元中七年(一三九〇年)二月、
大方禅尼の後ろ盾も得られないと悟った
幕府の動きは服部
「畠山と山名は、赤坂城に軍を進めるものとみられます」
「小太郎(楠木正勝)はどうするつもりじゃ」
「
思いがけない成儀の言葉に、正儀は目を丸くする。
「何、
幕府軍は一万を超える数になろうと思われた。対する楠木軍は、多少は勢力を盛り返したとはいえ、
それに、楠木が得意とするのは、城に
正儀は、八年前の河内平尾での大敗を思い起こす。
「小太郎は、いったい何を考えておるのか……」
父である正儀をしても、わからなかった。
「小太郎兄者のこと、きっと、策があるのでしょう」
正信の言う通り、正勝が無策で出陣しているとは正儀も思ってはいない。だが、危険な掛けに打って出ようとしていることは間違いないと思った。
その楠木正勝は、兵たちに激を飛ばし、全速で進軍して河内国
楠木軍は東に石川、北に大和川を配した地に布陣する。
「よし、我らがいち早く、大和川にたどり着いた。これで我らは勝てるぞ」
「うおお」
正勝が鼓舞すると、兵たちが気勢を上げた。
楠木正元が正秀を伴って、正勝の元に駆け寄る。
「兄者(正勝)、我らの
「よし、九郎(正秀)は、
「承知した」
正元と正秀は、兵を率いて大和川の南岸に向かった。
少し遅れて、大和川の北岸に、幕府方の河内
赤坂城か千早城に
「ちっ、楠木はここまで討って出てきたのか」
畠山軍は、和泉から出撃する山名氏清の軍勢と歩調を合わせるべく、わざとゆっくり進軍していた。にもかかわらず、山名軍は基国の前に姿を見せていない。
それには理由があった。楠木の
基国は痺れを切らせる。
「こしゃくな、
騎馬隊に向けて、基国は激を飛ばした。
すると、騎馬兵が次々と、身を切るような冷たい水をものともせず、馬の胴まで水に浸かりながら浅瀬を渡る。その後に、歩兵たちも続々と浅瀬を進んだ。
大和川の南岸には、人の背丈ほどの枯色の
これを見て、対岸の土手に潜んでいた楠木正元が立ち上がる。
「よおし、今じゃ、矢を射かけよ」
すると、楠木の兵二百余が、いっせいに土手の上に立ち上がり、騎馬兵に向けて矢を射かけた。
しかし、続く畠山の騎馬兵たちは、これにひるむことなく、大和川を渡り切ろうと馬を速める。だが、次々に騎馬は川中で足をすくわれ、落馬する兵が続出した。予てから、騎馬の進攻を封じ込めるために、楠木党は川底に幾重にも綱を張っていたからである。
落馬する騎馬武者たちに向けて、楠木軍は南岸から容赦なく矢を放ち、大和川を赤く染めた。
だが、騎馬には有効な川底の綱も、後に続く歩兵を止めることはできなかった。歩兵たちは足をすくわれてもよろけるだけで、綱を跨いで対岸目掛けて突き進んだ。
次々に川底の綱を乗り越える敵兵に、楠木正元は諦めて、兵たちに向けて片手を上げる。
「やめよ、やめよ」
楠木の兵たちの雨のような矢が収まると、畠山の歩兵たちは一気に対岸にたどり着く。そして、身の丈ほどもある
しかし、突如として歩兵たちの足が止まる。
それでも、畠山の歩兵らは
「十分に引き付けよ……まだじゃ、まだじゃ……よおし、今じゃ、矢を放て」
正元の号令で、
あたり一面の
それでも、数で勝る畠山軍は、続々と新手の兵を川中へと送り出した。これを見て正元は、残念そうな表情を浮かべる。
「
その
「うわああ、火じゃ」
「逃げろ、逃げろ」
しかし、
川中を、南岸目指して渡っていた畠山の兵たちは、目の前に広がる惨劇に、恐れを成して、大和川の北岸へと引き返していった。
後方の本陣では、楠木正勝が大和川に立ち上る煙を見ていた。
正元から
「殿(正勝)、敵の先陣は我が方が撃破。恐れをなして川向こうに引き返しました」
「よし、ひとまず上手くいった。これでしばらく、畠山は動けぬであろう」
正勝が一息つこうとしたその矢先である。山名氏清の動きを探るために、後方に配していた
「も、申し上げます」
その慌ただしい様子に、正勝は嫌な予感を覚える。
「いったい何じゃ」
「はっ。楠木
山名氏清が、こんなに早く迫ってくるとは予想外であった。山名軍の、折り紙付きの強さを承知していた正勝は、
「全軍退却じゃ。全員に伝えよ。これより千早城に撤退する。急げ、急ぐのじゃ」
すぐさま、前線の正元・正秀にも伝令が送られた。
知らせを受けた二人は、ただちに兵を
「石川を渡って東に進め」
正勝は兵たちに
先に石川を渡っていた正秀が振り返る。
「
「九郎様(正秀)、それがし、ここで敵を食い止めます。さ、兄上たちに従って早くお逃げくだされ」
良宗は、馬を止めた正秀に向かって大声を張った。
「いや、されど……」
「九郎(正秀)、何をしておる。
正元は怒鳴って、正秀を撤退させる。
そうしている間にも、山名の兵たちは我先にと石川を渡り、良宗の目前に迫った。
すると、良宗が馬を走らせて水際に立ち、川から上がって来ようとする敵兵に対して馬上で槍を構える。
「我こそは和田
五十騎の騎馬武者は一人、また一人と討ち取られた。そして、足に刀傷を負って馬から落ちた良宗も、山名の兵に囲まれる。
「殿、それがしも、今、参りますぞ……」
亡くなった橋本
退却した楠木軍から歩兵たちが霧散する中、楠木の将たちは、石川河原の東から、一目散に南へと馬を駆った。そして、かろうじて千早城へと逃げ込んだ。
本丸に建つ館の前で正勝らを待ち受けていたのは、津田正信を連れ立った正儀である。
「小太郎(正勝)、よく無事で戻った」
「父上(正儀)ではありませぬか、来ておったのですか」
正勝は、正儀が取る物も取り敢えず、手勢を率いて駆け付けた事を咄嗟に理解した。だが、父を目の前にして
「このような
「戦の次第は、
だが、正儀の慰労も、正勝には
一方、正秀は、
しかし、正秀の微かな希望は、
「
正秀は、その場で両ひざから崩れ落ちた。
追撃する幕府方の和泉守護、山名氏清は、東条に入ると赤坂の地に雪崩れ込み、楠木館や楠木本城(上赤坂城)を焼打ちした、そして、正勝が逃げ込んだ千早城を包囲する。
「よいか、楠木を千早城に追い込んだのは我ら山名じゃ。畠山に
凄みを利かせて、氏清は重臣たちに命じた。そして、傲岸に笑う。
「はっはは、畠山の悔しがる顔が見ものよ」
幕府が任じた河内
楠木軍を千早城に追い込んだ山名軍は、千早城を取り囲むとともに、
ただ、かつて鎌倉幕府の大軍にも耐えた千早城は、今でも伝説の要塞として恐れられていた。さすがの氏清も
三月、正儀らが千早城に
千早城の館の広間に居た正儀や正勝らの元に、津田正信が駆け込んでくる。
「父上(正儀)、山名軍が兵を引き揚げております」
「何じゃと。いったい何があったのだ」
正儀よりも早く、正勝が声を上げた。
その日の夕刻には、服部
「大殿(正儀)、山名軍は
山名惣領の地位は、前年、亡くなった山名時義の嫡男、山名
およそ二十年前、山名を有力大名に押し上げた山名時氏が亡くなると、惣領は、嫡男の
その
将軍、足利義満はこの好機を見逃さなかった。生前の山名時義に専横の振る舞いありと、跡を継いだ
窮地を脱した正儀は、一息付いて口元を緩める。
「なるほど、将軍が山名討伐に動いたということか」
安堵する正儀に、楠木正顕が首を傾げる。
「兄者、山名討伐と言うが、山名を山名に討たせれば、山名一族の領地は変わらんではないか。まして、山名の中で一番の実力者である氏清の力が増せば、それは将軍にとっても由々しき事」
「うむ、
正儀は冷静に見ていた。
ううむと正顕が唸り声を上げる。
「では、残った方に言い掛かりでも付け、討伐の兵を送るという算段か。幕府も手の込んだことをする」
「たぶん常久殿(細川頼之)が山名討伐や土岐討伐を、将軍に献策したのであろう。全ては
その言葉に、正勝は肩の力を抜いて、大きく息を吐く。
「いずれにせよ、我らは救われたという事か」
その隣では、正秀が頼之の言葉を思い返していた。
『一年、持ちこたえることができようか』
ちょうどその一年が経った。そして、正秀が頼之に応じた通り、何とか楠木は持ち堪えることが出来た。
千早城の囲みを解いた山名氏清が、兵を率いて
義満は、領国を追われて備後へ逃げ込んだ
舎弟の細川
しかし、これは義満が、頼之に備後・備中の守護を任じるための前振りである。隣国の
さらに将軍、足利義満は、矢継ぎ早に、土岐一族にも追討の手を広げる。
そして七月、
義満は着実に将軍の威厳を高め、幕府を盤石なものとする。相対的に、南朝の没落は誰の目にも明らかであった。帝(後亀山天皇)を支える兵力は、もはや楠木・和田だけともいえた。
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