目弱児(まよわこ)のはなし 七
呻きは、長々と続きました。
目弱児は高く低く、声をふり絞るように力みます。おそらく血も、子を守るための胎の水も、なにもかもを垂れ流しているはずです。
憐れだとは思いますが、いまの目弱児に気づかうゆとりはありません。突き上げるような痛みが走り、たまらずにうつ伏しました。
「ああ――……、」
両の手で地を掻きむしります。ふつふつと汗が湧き、這ってもあがいても苦しみが止まぬのです。
目弱児は息を荒げ、絶え入りそうな頭の奥で男のことを思いました。
――……あかよ。
ほんのひととき、交わっただけの男。とんでもない痴れ者で、かろがろしく、それでも目弱児のために走った男。
目弱児が名を許した、ただひとりのわが夫――。
――そう。おまえはわたしの夫だ。わたしはおまえの子を産む……。
涙と鼻水が、とめどなく流れてゆきます。背骨は軋み、いまにも折れ果ててしまいそうです。
もはや、唸っているのか喚いているのかもわかりません。天と地は逆さになり、波が押し寄せ、どんどんと高まります。風が吹きつけているのです。
風は雲を、嵐を呼んでうねります。やがてすべてのはじけ飛ぶ瞬間がおとずれ、目弱児は目を見開いて叫びました。
「ッあああァアアア――!」
なにか抜け落ちてゆく感じがあり、たましいすらも遠ざかるかと思われます。それは子を産み落とすのと続けて、後のものが抜け出る痛みもありました。
目弱児は倒れ伏し、幾度も荒く息を継ぎます。しかしすぐさま、背をひやりとしたものが走りました。
――泣き声が……、
小稚も、そのことに気がついたようです。戸惑った様子で、目弱児たちの元に近づきました。
「おい……」
ですが目弱児には、その呼びかけは聞こえていませんでした。這いずるように、いまだ
子は、おのこです。ぬるつく血や
目弱児はわななく手で、その背をそっと叩きます。
「おい、……泣け。泣いてくれ……」
それでも、子は黙していました。目弱児は手をふり上げ、次こそ強く叩きつけます。
「ッ泣けっ! 泣かぬかこの痴れ者めッ!」
目弱児は、いつしかむせび泣きながら子を打ちすえておりました。めまいがし、息がつまり、熱いのに爪先までふるえます。
しかしそうまでしても、やはり子は泣きません。目弱児は崩れ落ち、小稚がその肩に触れました。
「なあ、……もう、やめてやれよ。おまえも子も、傷がつくばかりだろうが」
目弱児の手のうちで、打たれた子はぐったりとしています。その重さは、産む痛みよりもはるかに胸を引きちぎるものでした。
――……丈夫な、子を……。
あかときの
そうであるというのに、目弱児は、この子を産んでやれなかったのでした。
夫と交わした、ただひとつのいのちの結びを。
「――ッ!」
目弱児は小稚の手をふりほどき、子の
血まみれの緒を噛み砕き、子の
そうして目弱児は、ぬめるおのれの唇を拭いました。
「小稚。……この子を埋めてくれ。弔うてやってくれ」
「――……、」
小稚は唇を噛むように黙り込み、やがてきっぱりと頷きました。
「わかった、子は埋めてやる。ゆえにおまえは、いったん休め。おまえも死ぬぞ」
小稚が、ぎこちなく藁の
子を亡くしたばかりの胎が、すすり泣くように痛みます。その痛みはしくしくと、絶えることなく目弱児をさいなみました。
七夜のち、目弱児は足を引きずるようにして起き上がりました。
小稚もしまいには折れ、戻る目弱児へ付き添います。その途中で、子の亡骸を埋めた場まで
「おまえの家の近くに埋めた。そのほうが弔いやすいだろう」
そう言って、小稚は目弱児の手を引きます。導かれて土に触れると、露草の青い匂いが立ちのぼりました。
目弱児は花を撫で、そうかと頷きます。
「すまなかった。おまえには、いろいろと手数をかけた」
「かまわん。いまさらだろ」
小稚は、ふいと顔を逸らしたようでした。風が吹き抜け、ふたりの額をさらってゆきます。
短いしじまが落ちたあと、小稚はためらいがちに口を開きました。
「……なあ、おまえ」
「なんだ」
「おまえ、おれとともに暮らさないか。このままおまえを放り置くのは、気にかかってしようがない。――いや、」
小稚は首をふり、改めて目弱児に向き直ったようでした。
目弱児もその気配を察し、立ち上がります。小稚はこぶしを握りしめるように、硬い口ぶりで続けました。
「むかしっから、おまえのことは気にかかったんだ。突っかからずにはおれなかった。それで罵りを吐いたりもしたが……いまは悔いている。虫がいいかもしれんが」
「――……、」
やはり、と見えぬ目を閉じます。やはり小稚は、目弱児を好いていたのです。
かつてならば、すかさずそのことばを拒んだでしょう。小稚が罵りを吐いたように、目弱児も悪たれてせせら笑ったに違いありません。
――だが、いまのわたしは知っている。誰かを恋うるということを。
そうであるからこそ、いまの小稚がまことなのだとわかります。このおのこは、真実、目弱児に思いを向けているのです。
しかしそれゆえに、目弱児はかぶりを振りました。
「おまえの気持ちは、嬉しく思う。こたびは返しきれぬほどの恩をも受けた。……だが、おまえの妻にはなれぬ。やはりわたしは、あの男の妻であるから」
「――」
「ほかの者に心があるのに、おまえと暮らすことはできぬ。それは、おまえもわたし自身も辱めることだ」
「……そうか、」
小稚は嘆息しましたが、どこか悟っていたふうでもありました。顔を上げるような衣ずれをさせ、さっぱりとした様子で話します。
「そうか。……まあ、おまえはそう言うだろうと思っていた。かわいげのない女だしな」
ふふん、とわざとらしく鼻が鳴らされます。それを受け、目弱児も皮肉めいて唇を吊り上げました。
「おまえこそ、好いた女に甘いことも言えぬ
「ふん、それはわからんぜ。おれはこれから変わるのだからな」
「……なに?」
眉を寄せると、小稚は胸を張るようにして告げます。
「おれは、この村を出る。それで薬師になってやるんだ」
「薬師だと?」
目弱児は驚きました。日がな村をふらつくばかりであったこの男が、いきなり薬師であるなどと――。
ですが小稚は、いきいきとした声で頷きます。
「そうだ、この村にいるのも飽いた。おれは村を出て、薬師の里へゆく。そこで学んで、おまえがたまげるほどの偉い薬師になってやるんだ」
小稚の声は、童のようにすがすがしい熱を帯びていました。
それでほんとうに、この男が村を出るつもりなのだと察します。目弱児は力を抜き、小稚の背を叩きました。
「では、せいぜい努めるのだな。泣いて村へ帰ってきたら、慰めるくらいはしてやろう」
「ならばおれとて、慰められるくらいはしてやろう」
そこまで言い合い、くっと笑いが漏れてしまいます。目弱児たちはひとしきり笑ったのち、ふいと口をつぐみました。
小稚が、きまじめな声で告げます。
「……おれは、ゆくぞ」
「ああ」
「ではな」
小稚は静かに、草を踏んでゆきました。
目弱児はその場に残り、もういちど、風に揺れる露草の香を嗅ぎます。
――わたしは、機織りの村の目弱児だ。わたしはここで、独り地を踏みしめて生きてゆく。
夫と成した子を弔い、あるいはいずれ帰ってくるやもしれぬ、薬師の男を出迎えてやるために。
目弱児はそう誓い、強くきびすを返しました。
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