黒海臣(くろみのおみ)のはなし 六



 間諜うかみのふたりは、ほどなく見つかりました。

 ですがどれほど責め立てようとも、誰の指図で動いていたのかは明かしません。打ちすえる牢番のほうが参ってしまい、黒海臣に訴えてくる始末です。

 そこで黒海臣はみずから出向き、間諜たちの首を刎ねました。見せしめも兼ねた処刑です。


――間諜たちのうしろにいたのは、阿多臣あたのおみではあるまいか。


 こたびのことについて、黒海臣はこのように考えていました。

 もともと、阿多臣は闇彦祇くらひこのかみの代から、それほど重んじられてはいませんでした。舎人とねりの位こそ与えられていましたが、闇彦祇はあまり阿多臣をお近づけにならなかったのです。

 それは、闇彦祇の御気色がすぐれなくなってから、なおさらでした。御子の耀日祇も、阿多臣の言うことなど聞きません。

 阿多臣としては、おもしろくない日々であったことでしょう。この恨みが悪しきほうへねじ曲がっても、不思議はないのです。


――だが、間諜たちは阿多臣の名を出さなかった。ほかに彼が為したというあかしもない。


 つまり、いま阿多臣を罰することはできないのです。

 ならばせめて、あちらの手勢を減らすしかありません。そうすれば、おまえを疑っているとそれとなく伝えることにもなります。

 黒海臣はかように考え、間諜たちの首を刎ねたのでした。

 また耀日祇の見張りも増やし、さらに駒には、陰から阿多臣を追わせてもいます。これで阿多臣がおとなしくなればよいのだがと、黒海臣は思いをめぐらしていました。


――あとは、細蟹比売だな。


 あの比売のことを思い浮かべると、おのずと嘆息したくなります。向かい合っていた真木が、それを聞きとがめました。


「お加減が、よろしくないのですか?」

「いや、大事はない。すまぬ」


 真木は、いまひとつ得心していないような衣ずれをさせます。こちらを案じる様子が伝わり、黒海臣はふと力を抜きました。


「……否、やはり少し考え込んでしまっていた。細蟹様のことだ」

「ああ……、」


 真木は頷き、わずかにうつむいたようでした。


「その節は、細蟹様にご納得いただけることができず……。わたくしの力足らずでございました」

「真木どのの責ではない。細蟹様があのように強いお心をお持ちとは、思いがけぬことであったが、」


 きのう、細蟹比売は十日ぶりにとこから起き上がりました。

 それよりも前、剣を持った耀日祇に襲われたあと、ずっと寝ついていたのです。そして黒海臣は真木を通じて、目覚めた細蟹比売にひとつの申し出をいたしました。

 すなわち、いちど里下がりをされてはいかがか、ということです。

 いま、耀日祇の御気色は悪く、阿多臣の出方もわかりません。かような宮へ残り続けるのは、かえって危ういと考えられます。

 ならばいっそのこと、婆とともに機織りの村へ帰らせるほうがよいのではないでしょうか。

 黒海臣はそう真木と話し合い、細蟹比売に申し出をしたのです。

 しかし、比売はその献策をしりぞけました。黒海臣は真木からこの報せを聴き、いささか驚きを覚えたものです。


――細蟹比売は、ただ耀日祇様に囲われているだけではなかったのか。


 おとなしいばかりのむすめと思っていましたが、どうやらそうとも限らぬようです。

 それどころか、細蟹比売はみずから文目あやひとの工房へ下がりたいと願い出ました。ほかの臣下たちは渋りましたが、黒海臣は彼らをなだめ、比売の望みを受け入れました。


――とにかく、細蟹比売には健やかに御子を産んでいただかねばならぬ。それまではあの比売の言うことを聴こう。


 そう決めて、黒海臣はきょうも真木を呼び寄せたのです。

 真木も用向きは承知していたらしく、細蟹比売の様子をつぶさに教えてくれます。

 黒海臣はそのようにして話を聴きつつ、ついため息をついてしまったのでした。


「……黒海臣さま、」


 真木が、かすかに膝でにじり寄ります。ためらいながらも、黒海臣に寄り添おうとするようなふるまいです。

 そうしながら、真木はひっそりと口を開きました。


わたくしごときは、とうてい、黒海臣さまのお助けには、なれぬかと存じます。……それでも、どうか妾にも、お手伝いをさせてください。黒海臣さまが、いまから為そうとされていることの」

「――……、」


 聡い女人だと、黒海臣はあらためて思いました。

 確かなことは明かさずとも、真木はおのれなりに、黒海臣の考えを察したのでしょう。耀日祇を亡き者として進んでゆく、三つの道筋にまつわることを。

 黒海臣は口を結び、それから低く告げました。


「――では、私の思うところを話そう。だがそれを聴けば、貴女はもはや戻れなくなる」


 よろしいか、という問いかけにも、真木は怯みませんでした。

 ゆえに黒海臣も、まことをもって真木の前に対しました。手のうちには、もしものための短刀を忍ばせながらも。



 その日、宮はしんと張りつめておりました。

 八月はづきに入り、風が秋の香をまとい始めたころです。しかし誰もその涼やかさを気にとめる者はなく、落ち着かぬ様子で息をひそめていました。

 いよいよ、細蟹比売が産気づいたというのです。

 つい先ほど、文目あやひとのひとりがこのことを正殿へ報せに来ました。以来、みな浮き足立ってしまっています。

 黒海臣も、たかくらの部屋でじりじりと控えていました。


――どうか、無事にお生まれになってくれ。


 なによりも、それが黒海臣の願いです。無事にお生まれになっていただかねば、黒海臣の考えた道筋が、またも潰えてしまうのですから。

 黒海臣が考えていた道は、もともと四つありました。

 ひとつは、耀日祇が元通り国をお治めになる道です。ですがこの道は、いまやほとんど果たせる望みのないものとなっています。

 ふたつめの道は、細蟹比売が男王ひこみこを産んだ場合です。

 このときは耀日祇を弑し奉り、お生まれになった男王を世継ぎとしてお育てします。その男王が長じてのち、ただしく大君の座にお就けするのです。

 また三つめは、細蟹比売が女王ひめみこを産んだときです。

 この場合も、耀日祇を弑し奉るつもりです。

 それから細蟹比売を仮の大君として立て、女王が長じるまでのつなぎとします。女王がお育ちになったら婿を迎え、その婿に大君を継がせるのです。

 そして四つめは、細蟹比売の御子が無事に生まれなかった場合でした。

 このときは、ひとまず耀日祇をお生かし申し上げます。

 その間に女人をあてがい、大君の種だけはお遺しいただくのです。女人に御子ができれば、耀日祇を弑し奉るという狙いでした。


――最もよいのは、細蟹比売が男王を産む道だ。だがせめて女王でもよい、平らかにお生まれになってくれさえすれば……。


 四つめの道はなりゆき任せで、おぼつかぬところが多すぎます。

 ですから黒海臣としては、なんとかふたつめか三つめの道を成り立たせたいのでした。


――兵も私の意に添う臣下たちも、すでにそれぞれ、しかるべき場へ配している。あとは御子を待つだけだ。


 ところが、夜がふけても御子はお生まれになりませんでした。

 細蟹比売は初めての御産に苦しみ、ひどく難じているとの報せです。宮びとたちには疲れの色があらわれ、どこかゆるんだ気配もただよい始めました。

 とそのとき、ひとりの兵士が部屋へ駆け込んできました。


「黒海臣様ッ、失礼仕ります! 大君様が――!」

「いかがした!」


 急いで立つと、兵士は黒海臣の前にひざまずいたようでした。そうして、いましがた起こったことを話し始めます。

 それは、なんと耀日祇が、御みずから首を吊ろうとされたというのでした。

 吊るのに使ったのは真新しい男帯で、細蟹比売が夫君のために織り上げたものです。

 それを真木が、遣いの文目あやひとから渡されたと言って、持ってきたらしいのでした。細蟹様のお心がこもったものであるから、ひとたびでもお召しになっていただきたいと。

 真木はそのように兵士たちをかき口説き、ひとりで耀日祇のお召し替えを手伝いました。

 すると直後、部屋の中から異様な呻きが聞こえました。そこで兵士たちが踏み込んだところ、耀日祇が首を吊っていたというのです。

 耀日祇の御身はあわてて下ろされ、元通りとこに寝かされました。糸くり婆は細蟹比売の元へ駆けつけており、耀日祇のおそばにいなかった隙のできごとでした。

 黒海臣はいきさつを聴き、鋭く兵士にたしかめます。


「では、耀日祇様に大事はないのだな?」

「はい。幸いなことに、おからだに別状はございません」

「真木どのはいかにしている」

「ひとまず捕らえ、大君様の隣の部屋に籠めております」

「わかった。私が赴こう」


 そう頷いて歩み出します。部屋の前で兵士に告げ、中へ通してもらいました。


「……真木どの、」


 声をかけると、真木は泣き濡れた様子でいらえます。


「黒海臣、さま……」

「私がやってきた所以ゆえんは、じゅうぶん承知しておられよう。なにゆえに、帯を耀日祇様へお渡ししたのか?」


 向かい合って膝をつけば、真木はわっと泣き声を上げました。


「申し訳ございません、黒海臣さま! ただ、ただわたくしはこれ以上、黒海臣さまのお手を煩わせたくなかった……!」

「私の手を?」


 いぶかしく訊ねます。真木はすすり泣き、いたく昂った様子で答えました。


「なぜ、黒海臣さまがこれ以上、お手を汚されねばならぬのです。あんな気の触れた大君のために――!」

「真木!」


 黒海臣は、とっさに真木の口を手でふさぎました。そのまま締め上げるような勢いで咎めます。


「滅多なことを申すのではない、大君に対する不敬であるぞ」

「――ッ!」


 ふり払うように手を放せば、真木は倒れ伏して咳き込みました。黒海臣は立ち上がり、その苦しみを冷ややかに聞き捨てます。


「後ほど、貴女の沙汰を下す。それまで身を慎みなさい」


 黒海臣は兵士たちに、引き続き真木を閉じ込めておくよう言いつけました。

 そうして高御座の部屋に戻りながら、はらわたが煮え立つような心地になります。


――愚かな。……なんと愚かな。


 真木も、そして黒海臣も、あまりにも愚かです。

 おそらく真木は、黒海臣に罪をこうむらせまいとして仕組んだのでしょう。黒海臣が耀日祇を弑する前に、耀日祇御みずからが死に向かうよう仕向けたのです。

 真木には、耀日祇を亡き者とする謀りごとを話していました。ゆえにこそ、こたびの騒ぎを起こしたに違いありません。


――私なぞのために、まこと愚かなることを!


 しかしそう激しながらも、なによりも愚かなのは、おのれ自身だとわかっていました。

 黒海臣は、真木をいらぬ罪びとの道に引きずり込んでしまったのです。


――そのうえで、私はそれを、喜ばしくも感じている……。


 真木が怯まず、黒海臣の謀りごとへ付き従ってきたことを。黒海臣の背負う荷を、かたわらで引き受けようとしたことを。

 そうした真木の献身を、黒海臣は、どこか救われたような気持ちで眺めてもいるのです。


「……真木どの、」


 黒海臣は、回廊のさなかで立ち止まりました。

 そうしてたぎる気持ちを抱え、こらえるように歯を噛みました。


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