目弱児(まよわこ)のはなし 六



 目弱児がまず為したのは、とにかく蓄えを集めることでした。

 これから、季節は冬に入ります。その前に食べるものをかき集めておかなくては、胎に子のいる目弱児は動きが取りづらくなってしまいます。

 ですから目弱児は、暇さえあれば森に足を踏み入れました。

 木の実を拾い、干せる菓子くだものはすべて干します。また、おのれの織った布と引き換えに、塩売りからあまたの塩をあがないました。

 この塩に、菜ものや魚を漬け込んでおくのです。あとは、毎年村おさから村びとへ配られる米を貯め、あるいはや山の芋を採りに出かけます。

 こうしたふるまいは、むろん、すぐに村びとたちの知るところとなりました。

 どうやら目弱児が、父のない子を孕んだらしいということもです。子の父はあかときのみこではないかという噂も流れ、目弱児は、これまで以上に忌み嫌われることとなりました。

 村おさから配られる米が少なくなり、いままではわずかに恵んでもらえていた食べものも、まったく与えられなくなります。


――おおかた、めしいが子なぞ、身のほどをわきまえぬと言いたいのだろう。


 それも、もしかしたら大君の血筋にあるやもしれぬ子です。女の多いこの村では、いっそうねたみと苛立ちを煽るものでしょう。


――そうであるとしても、わたしは産むぞ。あの男の子を守る。


 万一のときは、村を出ることも辞さぬ覚悟です。

 生まれた子が立てるようにもなれば、ともに旅立つこともできぬではないでしょう。それまでは、なんとしても生き抜いてみせるつもりでした。

 きょうも目弱児は、そのように考えながら住まいまで戻ります。

 そろそろ霜や雪の気配がただよい、秋の実りも少なくなってきた時分です。目弱児は、背負い籠を下ろして嘆息しました。


――野老ところいもに、山芋が少し。あとはたけがいくつかか……。


 かじかんだ手足をさすり、これも蓄えの壺に入れておこうと立ち上がります。

 そのとき、外になにかの置かれる音がしました。

 目弱児は敏い鼠のように顔を上げ、杖を掴んで外に出ます。手探りであたりを触ると、籠に干し肉が盛られていました。

 血抜きをしたばかりらしい、生の鳥の肉もあります。目弱児は左右を見回し、近くの茂みへ声をかけました。


「いつも、恩に着る」


 草むらがかすかに揺れます。目弱児は小さく笑み、ありがたく籠を抱えました。

 目弱児が子を孕んでからというもの、ときおり、こうして肉や魚の届けられることがありました。籠だけが置かれているので、これを置いた相手と対したことはありません。

 ですが近くにいる気配から、相手はわかではないかと見当をつけていました。

 下種げすどもに襲われた晩も、どうやら目弱児を助けてくれたらしいおのこです。

 まことに不思議なことですが、小稚はあの晩から、なにかと目弱児を気にかけているようなのでした。


――下種どもを止められなかった償いでもしているつもりか、あるいは……。


 そこまで考え、笑みが消えます。

 うぬぼれやもしれませんが、もしかすれば、小稚は目弱児を好いているのかもしれません。これまでに絡んできたのも、つたない思いのあらわれであったのではと考えます。


――わたしにとって都合のよい、見込み違いやもしれぬがな。


 ですが、いまはその見込み違いすらも、ありがたいものです。子を養うためには、なりふり構ってなどおれません。

 下種どもが殺されてしまったゆえにか、くずも、あれからはなりを潜めていました。目弱児は、ただひたすらに村びとたちから遠ざけられているのみです。

 目弱児はもういちど、心の中で小稚に頭を下げました。

 そうして、まずは肉を煮るために、かまどのほうへ立ちました。



 その日、目弱児は朝から嫌な心地がしていました。胎が張って痛むのです。

 もはや御産も近いであろうという、六月みなづきの初めでした。胎はこれ以上ないほどにふくれ上がり、少し歩くだけで腰がひどく痛みます。

 息がつまって眠れない晩も多く、目弱児は座したまま夜を過ごすことが増えていました。

 手足は萎え、重だるさに起き上がれないときすらあります。ほとんど病などしたことのなかった目弱児には、つらい日々でありました。

 それでも、子はこれまで、胎の中で動き続けていたのです。ときおり目弱児を呼ぶように、ずしん、と胎を蹴ってきました。

 その生きたあかしがあればこそ、目弱児は歯を食いしばって耐えてきたのでした。


――だが、……そういえば、きょうはまだ胎を蹴られていない。


 それどころか、最後に蹴られたのは、いったいいつだったでしょう。昨夜ゆうべ、それとも一昨日おとつひであったでしょうか。

 その覚えがはっきりとせず、さっと血の気が引いてきます。目弱児は這いつくばりました。


――湯を……あとはさらの布……。いや違う、それよりも誰か……。


 重い腰を上げ、よろめくように外へ出ます。そのころには、胎の痛みはまぎれもないものとなっていました。

 きり、と女陰ほとを針でつつかれるような心地がします。目弱児はその痛みを抱え、さまようように村の中へ入りました。

 考えてのことではなく、とっさにすがる者を求めてのことです。手足がふるえ、もがくように指をくうへ伸ばしました。


――誰か……、わか


 小稚の家は、村の中でも目弱児の住まいと近い外れにあります。

 老母とともに暮らしていましたが、その母君は二年ほど前に亡くなりました。ですからいまは、あのおのこも独りで住まっているはずです。

 目弱児は喘ぎながら、小稚の家のすだれを叩きました。


「開けてくれ!」

「……誰だ……? ――ッおまえ!」


 小稚はうるさげに出てきましたが、目弱児を見た途端にぎょっとします。あたふたと狼狽しているばかりなので、目弱児は苛立たしくその腕を掴みました。


「入れろ、頼む、……胎の子が……!」

「お、う……!」


 小稚は怯えながらも、目弱児を抱えるように導いてくれました。

 目弱児をむしろへ座らせ、落ち着かぬ山犬のようにその周りをうろつきます。


「おい、……おまえ平気なのか? 誰か呼んできてやろうか?」


 小稚がそのまま後じさろうとするので、目弱児は足を掴んで引き留めました。


「いかん。村の女たちではどうせ来るまい。……それよりも湯を沸かしてくれ、あと汚れていない布だ。ここになければわたしの住まいにある」

「おれに取ってこいと?」

わずらいをかけるのは承知している。すまぬ。――だがおまえとて、望んで巻き込まれてきたのではないのか?」


 暗に、肉や魚を置いていったことを示します。小稚はぐうと喉をつまらせたのち、身をひるがえしました。


「しようがねえ、持ってきてやる!」

「そうだ、早うせよ!」


 小稚が駆け去っていったあと、目弱児は唇を噛んで丸まりました。そうでもせねば、獣のように吼え狂いそうなのです。

 胎の痛みはひどくなり、女陰からなにか漏れ出るような気味の悪さもありました。子がただしく生まれるしるしならばよいのですが、この痛みは――。

 額に脂汗を浮かべるうちに、乱れた足音が戻ってきます。


「おい、布を持ってきたぞ。あとはなんだ!」


 小稚は息を切らして布を渡してきました。目弱児は、かまどがあるであろう方角を指さします。


「湯を沸かせ、なるべく多く。そして火を絶やすな」

「わかった」


 小稚は急いで水を汲み、湯を沸かしました。湯気のやわらかな匂いが立ち、少しだけ楽になります。目弱児は細く息をつきました。

 それを見た小稚が、どうしてよいかわからぬふうに立ち尽くします。


「……あとは、いいのか? ほんとうに誰か呼んでこないのか?」

「よい。呼ばれたほうが落ち着かぬ――」


 そう言いかけた直後、吐き気がせり上がりました。反吐へどをぶちまけ、咳き込みます。小稚がひィと泣き声を上げました。


「おまえ、血が、――股ぐらから……、」

「見とうなければ……外に出ておれ。わたし独りで、産む」


 息も絶えだえに、それだけ告げます。小稚は数歩たじろいだあと、思いきるようにその場へ座したようでした。


「いや! ……出てゆくものか、そもそもここはおれの家だぞ。おまえに明け渡す所以ゆえんはない」


 小稚の声はふるえていました。それでも歯を食いしばり、そこにいます。目弱児は苦しい息の下から、かすかにほほ笑んでみせました。


「なんだ、おまえ。思いのほか、肝が据わっていたのだな」

「煩え、このめしい。おまえはがなさすぎる」


 軽くこづき合うように、いらぬ口を叩きます。しかし互いの間に横たわる硬さはゆるみ、ほぐれた気配がただよいました。

 目弱児はもういちど笑み、きつく見えぬ目を閉じます。


――さあ、これで産める。……来い、わが子よ。ここまで生きて生まれてこい。


 胎の痛みは、もう引き裂かれそうなところまで来ていました。

 ですが目弱児はその痛みごと、おのれを抱くようにうずくまりました。


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