目弱児(まよわこ)のはなし 三



 その晩、目弱児の住まいの外に、誰かの気配があらわれました。

 足音のぬしは、入り口のすだれを叩いて知らせてきます。目弱児は唇を固く結び、寝床から立ち上がりました。

簾をたぐり、そこにいる男の匂いに顔をしかめます。


「……やはり、来よったな、」


 するとその男――あかときのみこは、からりとした声で笑いました。


「おう、そなたに会いにきた。中へ入れてくれ」


 誰が入れるかと追い払いたいところですが、村びとたちにこのさまを見られては、具合がよくありません。

 目弱児は鼻を鳴らし、顎で王を招きました。


「そこに突っ立っていられてはわたしが困る。仕方ないゆえ許してやる」

「おう」


 王は頷いて入ってきます。その瞬間、目弱児は杖でくうを薙ぎました。王が軽く飛び退きます。


「ずいぶん、熱のこもった出迎えだな」

「黙れ色狂い。妙な気を起こせばこの杖で男根はせを突く、その意を込めての出迎えだ」

「それは恐ろしいな」


 王は、頭を掻くようにして苦笑いをこぼしました。それからふと、居ずまいを正すような気配になります。


「そなた、おれとともに来ぬか。そなたを妻としてめとりたい」

「……さような言い分、信じられるか、」


 目弱児は、すぐさま言い返しました。苦いものを飲み下したように眉が寄ります。

 しかし王は、否といらえながら近づきました。


「おれは、戯れも偽りも申しておらぬ。そなたがいと思うたから、妻に求めるのだ。……なあそなた、名を教えてくれ。そしておれとともに来い」

「――……、」


 目弱児はこわばりました。

 あかときの王のことばには、力があります。

 決して喚いているわけではないのに、聴く者の心の臓を掴みとるような重みがあるのです。思わず、惹き寄せられてしまいたくなります。

 目弱児は半ばその力に引きずられながら、しかし唸るように首をふりました。


「わたしは、……ゆかぬ。やはりおまえのいいを信じがたい」

「どうしてもか」

「どうしてもだ。おまえがわたしを好くのは、少しめずらかなものがあったから目を留めただけであろう。じきに飽きる」


 きっと、あかときの王の周りには、かような女はいないでしょう。

 王に盾つき、歯向かう女。めしいた村のき遅れ。王は見慣れぬこの女をおもしろがり、少しばかり手を出してみただけなのです。


――そうとでも考えねば、わたしをうるわしいなどと言うはずがない……。


 目弱児は、ひそかにこぶしを握りました。手がふるえ出さぬように、唇も噛みしめます。

 王はそうした目弱児を眺めていたようですが、やがて長いため息をつきました。


「そなたは、どうにも頑なだな」

「そうだ。それが嫌ならば早うね」


 吐き捨てるように、王そのものを拒みます。ですが王はさらに近づき、目弱児の頬へ手をすべらせました。


「――おまえ!」


 とっさに杖をふりかぶります。王はそれを片手で受け止め、静かな声で告げました。


「嫌ではない、と言うたはずだ。この住まいもそなたのことも、おれはまことに、よいものだと思うている」

「――」

「だが、いまはこれ以上無理を強いまい。……半月のちだ」

「……なに?」

「半月で、おれは東を制してこの村に戻ってくる。そのときにもういちど、そなたの心を聴こう。それまでおれのことを考えていてくれ」


 王はするりと目弱児の頬を撫で、きびすを返しました。思わずその背を呼び止めます。


「おい!」

く、帰ってくる。戻ったら口でも吸うてくれ」


 王は色めいた笑いを含み、手をふったようでした。

 そのまま、ひょうひょうとした風のごとく去ってゆきます。目弱児は喉がつかえたように立ち尽くし、そのうちに座り込みました。


――この、烏滸おこめ。


 言うだけ言って逃げるなど、なんと憎らしい男でしょう。目弱児は地を殴り、膝に顔をうずめました。


「……痴れ者が、」


 ですがそう呟いた声音は、おのれのものとも思えぬほどに弱々しいものでした。

 目弱児はどうしようもなく、甘い苦みに胸を潰されておりました。



 その次の日です。

 目弱児は、村おさの家の近くで木の実を採っていました。嵐でいろいろと蓄えが流れたので、村びとみなでかてを得るように触れが出たのです。

 幸いなことに、九月ながつきのいまは実りが多くあります。目弱児は茂みに潜り、しいかしの実を拾っていました。

 そのとき、目弱児の道をふさぐように誰かが立ちます。


「見ていたぞ。昨晩ゆうべ、おまえの家にみこ様が来ていたろう?」

「……その声は、わかか」


 小稚というのは、この村の若者です。同じ歳ゆえにか、なにかと目弱児へ絡んでくるおのこでした。

 目弱児は嘆息し、籠を抱えて追い払うしぐさをします。


「退け、いらぬ妨げだ」


 ですが小稚は、ふふんとせせら笑いました。そこらの茂みから、おそらく山葡萄えびかずらの実をちぎって口に入れます。


「いいのか、そんな口を利いて。おれが言いふらせば、おまえは村をんだされるかもしれんのだぜ」

「おまえのような木偶でくの話を、誰がまことに聴くものか」


 目弱児は、相手を見下ろすようにして言い放ちました。

 女系のこの村では、男は弱い立場にいます。ただ種を残すためだけに婿へ取られる者も多く、男たちには大した勤めもありません。

 彼らは村をふらついたり、あるいは賭けごとに興じたりして、日がな一日過ごしていました。

 少し志のある者は、早々に村を出ていってしまいます。そういうわけで、村には働かぬ男ばかりが居つくのでした。

 小稚も、そうした男のひとりです。小稚は葡萄の皮が混じった唾を吐き、ふてぶてしく笑いました。


めしいき遅れが言うことだって、どれほど聴いてもらえるのだろうな?」

「……おまえは、何がしたいのだ。わたしを脅しでもするつもりか。だが生憎と、わたしがおまえに遣れるような財はないぞ」


 目弱児が疎んじられ、ひどい暮らしをしているのは小稚も知っているはずです。ですからこの点においては、目弱児は屈する隙などないのでした。

 しかし小稚は、くつくつと笑って近づいてきます。


「別に、財なんぞ要らん。おれはおまえをなぶるのが楽しいのだ」

「この下種げすめ」


 目弱児は顎を取られ、見えぬ目を細めました。小稚は怒り出すでもなく、皮肉めいて鼻を鳴らします。


「そう、おれは下種だよ。この村じゃ、下種でも食ってゆけるのだから。――耳を貸せ、」


 貸すも貸さぬも、無理に顎ごと引き寄せられます。目弱児は手をふり上げようとしましたが、その前に小稚がささやきました。


くずたちが、おまえをえらくねたんでいる。みこ様が住まいを訪なったというんでな。せいぜい用心しておけよ」


 葛児というのは、いつも小鳥のように群れているむすめたちのひとりです。

 群れの中でも先頭かしらのようなむすめで、とりわけ目弱児への風当たりが強いのでした。

 ですが目弱児もしおらしいむすめではないので、泣き寝入りをしたことはありません。

 いまも鼻に皺を寄せ、唾を吐きかけるようにいらえました。


「ご忠告痛み入る。――だがおまえこそ気をつけるのだな!」


 そう告げた瞬間、小稚のむこうずねを蹴り飛ばします。目弱児は呻く小稚を突き放し、さっと身をひるがえしました。


「愚か者め、詰めが甘いわ! そこで死ぬまで座しておれ!」


 目弱児はそれだけ言い捨て、籠を抱えて駆け出します。そうしながら、ひそかに舌を打ちました。


――あの、痴れ者め。おまえのせいで、いっそう村暮らしが難儀ではないか!


 耳の奥に、からりと笑う男の声がよみがえります。

 目弱児はその声をふり払うように、いつまでも駆け続けました。


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