目弱児(まよわこ)のはなし 二
「これは、ぼろだな!」
男は
「おまえ、わたしを嘲笑うておるのか。嫌ならば森へ帰れ」
「嫌とは言うておらぬ。あまりにも見事なぼろゆえ、なにやら楽しゅうなってきたのだ」
「だから、それが嘲笑うておると――」
そう言いかけたところで、くさめが出ました。男が急いで、目弱児に深く
「いかん、こうしていては病がつく」
男は入り口の
その身丈が思いのほか高いので、目弱児は童のように引きずられる形となります。
「おい、この家のあるじはわたしだぞ。なにを勝手に……」
「そう言うても、おれもそなたも、ひとしく寒い。……どこぞに火付けの枝はあるか?」
男は喋りながら、狭い家の中をうろつこうとし始めます。
これ以上荒らされてはたまらぬと、目弱児は男を押しのけてかまどの前に立ちはだかりました。
「わたしがやる。おまえは動くな」
「おう、そうか。ならば頼んだ」
男はそう笑うなり、どっしりと家の真ん中に座しました。
これはこれで、大きな岩でも転がっているような妨げです。目弱児はまたもや唾を吐きたい気持ちになりながら、火を起こし始めました。
手がかじかんで幾度かしくじりましたが、じきにあたたかな気配が立ちます。目弱児はほっと息をつきました。
「うまいものだな」
いつの間にか、男がぬっと覗き込んできます。目弱児は驚きました。
――この男、……動いた気配がわからなかった。
思わず唾を飲み込みましたが、男はなにやら、犬の子が土をつつくように感心しているばかりでした。
目弱児は力を抜き、ふんと鼻を鳴らします。
「これくらい為せねば、とても独りでなど生きてゆけぬわ」
すると、男は心からわからぬというふうに、首をかしげたようでした。
「そなた、まことに独り身なのか。そなたの里の者たちは、なにを見ておるのだろうな」
「なに、とは何だ」
また痴れたことでも言い出すかと、目弱児は疑わしく男をふりむきます。男は気にせず、目弱児の濡れた髪をひと房、すくい上げました。
「いや。そなたは
「――……なに、」
目弱児は、耳がおかしくなったかと息をつめました。
いま、この男は目弱児になにと言ったのでしょうか。いよいよ気の触れたことを言い出しはしませんでしたか。
目弱児はからからに乾いた唇をこじ開け、改めて問いかけます。
「おまえ、……いま何と言うた。おかしなことを言わなんだか?」
「おう、おかしいか? おれはただ、そなたはうるわしいと言うたのだが――」
その瞬間、目弱児はあらん限りの力で男の頬をぶっていました。
「この
「待て、待て! まずは落ち着け、おれは目など潰れておらぬ」
男はかろがろと目弱児のこぶしを止めます。目弱児は暴れましたが、男の力には敵いませんでした。
「離せ痴れ者! 力でまさるからといって勝った気か!」
「いや、おれは勝ったつもりもないし、偽りも言うておらぬ。思うたことを述べたまでだ」
「ならば、わたしの何がうるわしいのか説いてみよ――!」
目弱児は、とっさに相手を煽るようなことを叫んでしまいました。
しかし男は、のんびりと首をひねるばかりの様子です。そうさなあ、と呟いて続けました。
「まず、額の具合がよい」
と、男のてのひらが前髪を掻きやります。
「そして眉の線がりりしい。目もキリとして、瞳がしろがねのようにも見えるな」
白く濁った瞳の色を、男はそのように称えました。
「引き締まった唇や顎のかたちも、――あとはなによりも、からだつきだな。そなたは骨が太いのだろう、それでぜんたいに、がっしりとして見える。丈夫な子を産みそうな、よい身なりではないか」
男はそう説き、なんのうしろ暗さもない様子で笑います。
それでまことに、この男が目弱児を褒めているのだと感じ取れました。そう思った途端、頬にぱっと血がのぼります。
「――ッ!」
目弱児は男の手をふりほどき、蹴り飛ばすように離れました。
「おまえ……! おまえはもう近づくな、この色狂い! 女に向かってからだつきがよいの悪いの、卑しいにもほどがある!」
「……と言われても、そなたが
「黙れ
目弱児は指で見えぬ境をえがき、衣を掻き合わせます。
男はしばし
「わかった、そなたには近づかん。近づかぬゆえ、火にあたって休め」
男はそう告げ、かまどのそばから下がったようです。
目弱児はその
ただ、隅のほうでごろりと横たわります。
「おれは
男は言うなり、ほんとうに目を閉じてしまったようでした。しばらく経って、のびのびとした寝息が聞こえ始めます。
目弱児はあきれ果て、どっと疲れてしまいました。
――何者なのだ、この男は。
ひとかけらとて相容れるところのない、奇妙な男です。
ですがなによりも奇妙なのは、このような男を拾ってきてしまった、目弱児そのものなのでした。
――……否、これより先は考えまい。
考えるほどに、疲れが増してしまいそうです。
目弱児は思いきるように首をふり、おのれもまた、かまどの横にうずくまりました。
そうして、無理にでも眠ってしまうことにしました。
嵐のあとで、外はつねどおりの静けさに収まっている様子です。目弱児は灰だけになったかまどへ寄りかかり、ぼんやりとした気持ちになりました。
――嵐のような男だった。
わけがわからず、騒がしく、目弱児の癇に障る男です。
しかしその男が立ち去れば立ち去ったで、どこかうつろな感じもしました。秋の夜ふけに、しくしくとすきま風が吹き込んできたかのようです。
目弱児は身震いするおのれを押さえ、胸元を握りしめました。
――……何奴だったのだ、あの男は。
そう思いながら起き出した、そのあとです。
嵐が去ったこの日、大君の御子である皇子のひとりが、村へおいでになることとなりました。
皇子はもともと、この村の近くを通って、東へ赴かれるおつもりにしていました。東の国にすむ
ですが
皇子の御名は、あかときの
村びとたちは大わらわで、野のあちこちに
目弱児には見えませんが、村びとたちがひそひそとささやきを交わします。
「なかなかに、背の高い御方ねえ」
「なんと武具のお似合いなこと。きっと弓を引けばお強いのでしょう」
「むろんだよ、知らぬのか。あかときの
そうしたささやきの合間に、ふと、あかときの王らしき男の笑い声が弾けます。目弱児はその声を聞いた瞬間、はっとしました。
「――!」
――あの男の声に似ている!
まさかと耳をそばだてます。もしや、まさか皇子が、
しかし皇子は、供になにか小言を言われながら行ってしまったようでした。村びとたちも、皇子が去れば立ち上がり始めます。
目弱児はひとり膝をついたまま、黙して考え込みました。
「……、」
その後、皇子のご一行は村おさの家へお渡りになりました。村おさに対して、見舞いの挨拶をされるためです。
そこで、目弱児は下女のひとりとして、この村おさの家へまぎれ込むことにしました。
これまでにも、人手が足らなくなれば駆り出されたことがあります。ゆえに、まぎれ込むのは難しくありませんでした。
女たちが入り乱れる
やはり、あの男に似ています。目弱児は部屋の外で畏まり、声をかけました。
「失礼仕ります、お客人へ
「その声は、
村おさの、女人にしては低い声が応じます。目弱児は深くこうべを垂れました。
「はい」
中へ入ると、上座にあかときの王や供の者たちが座しているようです。村おさは目弱児から壺を受け取り、忌むように手をふりました。
「もうよい。おまえは下がりなさい」
目弱児が盲なので、客人の目にさらしたくないのでしょう。
ですが、ここで従っては男の正体が掴めません。目弱児がこぶしを握りしめたそのとき、
「よいではないか、
安夜児とは、村おさの名です。村おさは客人の望みに、戸惑ったような衣ずれをさせました。
「しかし、この者は目が見えませぬ。王さまにとんだ粗相をしでかすやも……」
「よいよい、かまわぬ。それに、その者の目は星のようなしろがねだな。これから旅立つ我々には、大いに
「では、……王さまが、さようにおっしゃいますならば」
目弱児は村おさに呼ばれ、あかときの王のそばに侍ります。わざと、しおらしく頭を下げてみせました。
「失礼いたしまする。……どうぞご一献」
「おう、すまぬな」
王はかろく杯を上げ、酌を受けます。そのはずみに男の
――……やはり、
間違いありません。この男――あかときの王は、きのう森で歌っていた痴れ者のあの男です。
しかしそうであるというのに、王はなにも言いませんでした。からからと大きく笑い、村おさへ話しかけます。
「それにしても、昨晩はひどい嵐であったな。この村もたいへんであっただろうが、わたしもいささか難儀をした。森で供の者たちとはぐれてなあ――」
と王が告げた途端に、横からため息まじりの声が割り込みました。
「それは、はぐれたのではなく、私どもを撒いてゆかれたというのです。
「おう、それを言うな
「雨風でお乱れになった、たいそうなお姿でございましたがね!」
どうやら磯良というのが、あかときの王のそば仕えであるようです。
王はみずから行方をくらましていたらしいとわかり、目弱児は改めてあきれ果てました。
――なにをやっておるのだ、この男は。
そして、こんな男を追ってきたおのれも愚かです。
もう退いてしまおうかと壺を下ろしたそのとき、ふと、あたたかなものが目弱児の手に触れました。あかときの王の、てのひらです。
王は周りから見えぬように、ひっそりと目弱児の指をからめ取りました。
「――ッ、」
思わずうつむいてしまった目弱児をよそに、王は平然とした
「それはそれとして、女が多いこの村では、嵐の後始末も
「ありがたきお心遣い、痛み入ります」
村おさが、ふかぶかと
そのあとは、村のここが崩れたですとか、あちらの川が泥で埋まって、といった話に移ります。
目弱児はその話を聞きながら、どうにも男の手をふりほどくことができませんでした。
耳がぽっぽっと火照るままに、てのひらに滲む汗を押し隠しておりました。
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